『
「どーぞー」
『失礼するね」
用事がある、と言って熊野が帰ってすぐ、入れ換わるように土井が部屋に来る。
「さて。もう一回聞くけど、別に体に変なところは無いんだよね?」
「自覚できるような事はなにも」
「そっか。じゃ、ちゃちゃっと終わらせよう。5分もかからない」
すぐに終わる。土井の言葉に嘘は無かった。最初に手の脈を確認され、次に体温を、その後に血圧計を使うように言われる。最後に聴診器で心音やら何やらの確認が終わると、機器を使った健康診断みたいなものは終わった。
全て異常なし。強いていえば1ヶ月間の点滴生活のせいか血圧が低かったらしいが、それも成人女性と比較して危険な域に突入するほどの物でもなく。何も問題はないよ、と言われてひとまず鈴谷はほっとした。
「お疲れさま、というほどでもないかな。貴女の言う通り変なところは無かったよ」
「良かったァ……」
「こちらこそ。私で一応成功してるとはいえ、この施術で何か異常でも発生したら切腹する覚悟だったからね」
胸を撫で下ろしていた女に、土井ははにかみながらそう言う。続けて彼女は、前日に鈴谷に言うように約束していた、施した治療についての説明をしようとする。
「じゃあ、鈴谷さんにやった手術の事なんだけど……」 そう、土井が話し続けようとしたときだった。ドン! と部屋の扉に何かぶつかるような音がして、2人の視線が入り口に向く。
『
「……来客かな?」
「あ、木曾の声だ」
『あ、あ、あ。
「入っていいよ~」
『失礼しまァす!』
あいつが入室の許可? 何かあったのかな。
礼儀にうるさい熊野ですらやらなかった、中に誰がいるのか知っているのに関わらず、相手はわざわざドアのノックをして入室してきた。明らかに彼女の様子がおかしいと鈴谷は考える。
艦娘としての制服は海賊みたいな服装で、プライベートの時はジーンズにシャツか上下ツナギ姿みたいなラフな格好でいることが多いのに。今日訪問してきた木曾は、眼帯を外してビシッとパンツスーツ姿に、右手に花束、左手に……一万円で
「お、おはよう木曾。お見舞いあんがとね?」
「ふうぅぅ……フゥゥー……!」
「……!?」
なんか私狙われてる? 自分の姿を認識するや否や、猛獣みたいにフーフー唸り始めた木曾に。鈴谷は何か彼女の機嫌を損ねることでもしたかと自問自答を開始する。
そんな彼女の想定は外れた。木曾は、例えば彼女がもしマネキンか何かだとしたら首が吹っ飛ぶようなスピードでお辞儀した。ロボットみたいな気持ち悪い動作をしたこの人物に、土井と鈴谷は目が点になる。
「この
「!? !? ちょっとタンマタンマキモいキモいキモい! どうしたの木曾!? え、木曾のお姉さんか何かですか!?」
「
「あぁ本人!?」
変に気合いの入っていた木曾に合わせてテンションのおかしくなった鈴谷の応対を見て、土井は吹き出した。
花束の中身を大きな花瓶に移して、バスケットはとりあえず空いていたベッドに置くように言った。アクセル全開みたいだった相手が落ち着いたのを見てから、鈴谷は続ける。
「どうしたのさ、あんたらしくもない。頭のネジでも取れた?」
「だって俺のせいで……」
「……???」
「覚えてないのか、あの日あのとき俺が何て言ったか?」
覚えてないのか、とか言われたって何もされた記憶が無いんだけれど……。そんな気持ちを顔で表現した。困惑した表情を見せた鈴谷に、恐る恐る、といった具合で木曾が重い口を開く。
「お前が怪我した日さ、昼飯の時に言ってたよな。早く軍隊辞めたいなって」
「あぁ、言った? かな」
「俺は、腕がもげるような怪我をすれば除隊になるんじゃないかって……ずっと謝りたくてぇ……!」
「えぇ……」
「いやぁ考えすぎでしょう?」 鈴谷は困った顔で、静観していた土井は相変わらずはにかみ笑顔だ。
「でもよ、
「大丈夫だって木曾、そんなこと言ったらさ、那智なんていっつも私に「鈴谷が死んで悲しい」とかジョーダンかましてるんだから」
「…………言われてみたらそうだわ」
立ち直るの早いな! 鈴谷は内心ズッコケた。
潤んでいた瞳の涙をがしがし服の袖で拭って、木曾は深呼吸をしてから続ける。
「悪いな俺っ……あたしだけで。蒼龍と那智に、長門も来るはずだったんだけど、急な用事が入っちまって」
「いいよいいよ別に、私なんかのために時間割かなくて」
「いぃや良くないね! 退院できるまで全力で見舞う!!」
「あは、あはは……アリガトウ……」
どう返事しろってのよ。鈴谷は営業スマイルを木曾に見せておく。
「そろそろ、お話良いかな?」 土井が会話に首を突っ込んでくる。しまった、邪魔したか、と思ったのか木曾は慌てて白衣の女の方に体の向きを変えた。なんだか今日の木曾はいつもと違ってすっごい女の子してるな。アタフタしている彼女を鈴谷はかわいいと感じた。
「すいません……」
「いやいいよ、何せあんなに酷い容態だったしね。快復したら驚くのも知人としてはやむなしだろうし……さて、鈴谷さん、詳しい説明をするね」
「せっかく桜田さんが持ってきてくれたんだ、これでも食べながら。」 土井は果物ナイフを取ってくると言い残し、1度部屋から出ていった。多分、話が長くなる、と見越してこちらに配慮したのか。鈴谷はそう思った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
自分の座っていたベッドにずらりと並べられた書類・レポートに、壮観だな、なんて鈴谷は思う。木曾が切り分けた
「今回やった治療だけど、繰り返すけど深海棲艦絡みだ。周りは浸食だの汚染だの物騒な名前をつけたがってるけど、ここの方針としては「浸透再生治療」って名前で呼んでる。具体的な手法は、怪我人の患部に深海棲艦の皮なんかを張り付けていくのが、一応は確立されたやり方として提案しているよ」
ファイルやタブレットで情報を提示していきながら、彼女は喋っていく。鎮守府に鈴谷の容態とこの手術について話を聞いてくるように、とも言われたらしい木曾は知らないが、鈴谷は、ずっと病院だとばかり思っていたここが研究所の一室だったことに驚いていた。
「で、更に詳しい話に進むために深海棲艦の細胞について話をするね。深海棲艦それ自体はまだまだ謎だけど、その体組成なんかは意外と解明されてはいる。結論から言うと、彼ら彼女らは普通の炭素生命だし、水から酸素を取り出す海草みたいな器官を持っていたりと変な部分があれ、そこまで異常な生き物でもないって事がわかってる……
「はぁ……」
「その研究過程で発見したのが、深海棲艦の血液、及び体を構成する細胞に優れた再生能力があるってこと。色々やった後に、これを医療分野に生かせないかと発展して、鈴谷さんに施した治療に繋がるわけ」
「へぇ~」
鈴谷も木曾もうんうん頷きながら話に聞き入っていた。テレビゲームで遊ぶ人間が必ずしもプログラムに詳しいなんて有り得ないように、深海棲艦と直接対面する職種とはいえ。ただ淡々と戦うだけの2人とも詳しいことはさっぱりだから、土井の言うことに
「鈴谷さんなら知ってるかな。再生能力なんて御大層な言い方をすると凄そうだけど、それ自体は人間にもある。怪我をしたときに
水で喉を
「でもそんなレベルじゃなくて、綺麗さっぱり治ってしまう、それこそSF映画で言うような再生能力がこの細胞にあったのさ。人の役に立つ方面に転用しようと意見が出るのは時間の問題だった」
「…………」
「で、ここからまた長~い動物実験を重ねて、ってお話は余計だから言わないよ。今話したいのはなんといっても「コレ」だからね」
そう言って、彼女はアームカバーを両手とも取り払う。鈴谷は、この女の体の異常は左腕のみに有るのかとてっきり決めつけていたのだが、土井の体は右腕もうっすらと灰色がかっていた。それを差し引いても、やっぱり目を引くのは血管の浮かび上がった真っ黒な左手だったが。
「前置きすると、すこしばかりエレベーター事故に巻き込まれてね。片腕を持ってかれた時があったんだ」
「えっ……それ、大丈夫だったんですか」
「痛すぎて話せもしなければ立ってられないぐらいやばかったね。たまたま近くの人が救急車呼んでくれて、なんとか生きてたってわけ」
「そーだったんだ……」
「いつだったかな。詳しい日時は忘れたけど、ちょうど、さっきの事で研究していた最中だったものだから。いい機会だと臨床試験に名乗り出たのさ。都合のいい患者さんもいなければ、「気味が悪い」とこの手術に参加する人も居なかったし、医者仲間も暇していたしね」
「よくやる気になりましたね。何が起こるかわからないのに」
「あわよくば体が治るとか前向きに考えていたからね。あまり不安は無かったよ。身内が揃って優秀で腕利きだったのもあるけど」
「医者の友達かぁ……」
「無くなった腕の再生はうまくいった。ついでに子供の頃の火傷した
「で。長くなったけどここから鈴谷さん関連ね?」 梨をひと切れ口に持っていく相手を見て、2人は自分らが全く果物に手を付けていない事に気付く。木曾と鈴谷は全く同じタイミングで梨を食べた。あんまりにも息がぴったりだったので、仲が良いんだな、等と土井に思われていたが2人の知るところではない。
「この通り私は両手とも
「というと」
「私はね、対象者の「ストレス」が関係してるんじゃないかと思ったんだ。ちょっと根拠にした実験結果もある」
へぇ、と艦娘2人で生返事をした。繰り返すが、詳しいことを知らないのでこれ以外に返答のしようがない。取り合えず相槌するだけ、といった木曾・鈴谷の対応に別に嫌な顔もせず、土井はレポートを並べて続ける。
写真つきの書類に目を通す。文面を見て、実験用マウスに深海棲艦の細胞を移植して経過を見る実験ということを2人は理解した。
「まだ動物実験しかやってなかった頃なんだけど、ただ怪我の治療だけをしたマウスと、経過途中にエサを減らしたり、また同じように傷を付けたりしたほうには変化が見られたんだ」
「ええと、深海棲艦の血や細胞をマウスに?」
「そう。特に不自由なくさせたマウスは綺麗に回復した。逆にストレスを与えたマウスは、こんな感じ。わかるかな?」
彼女は使い古されたファイルから1枚の紙を出す。
普通に市販されている虫かごの中に、1匹の生き物が入っている様子が写された写真だった。話の流れから大方察したが、
「なんですかこれ……ハリネズミかアルマジロ?」
「いいや? 元を正せばただのハツカネズミさ」
「え!」
「凄いでしょ。怪我をした部分を中心に守るように、この子の体は深海棲艦にも見られるようなあの外骨格が形成されてるのさ」
「「へ~」」
「昨日色々見てて、そういえばこんな実験やってたなと思って。この資料、多分貴女に関係がありそうだと思ったから持ってきた」
土井の言葉を聞いて鈴谷は再度写真をまじまじと眺める。画質は悪くあまり綺麗ではないこれだが、どう見てもハツカネズミには見えなかった。ここまで生物の体を変形させる深海棲艦の細胞に多少不気味な物も感じたが、少しとはいえ医療・生物分野に居た彼女はむしろ興味を持つ。
「私の他にごく少数手術を受けた人が居てね? でも、私含めてみんな治った患部は
「? 私だけそんなに特別なんですか」
「特殊だね、それもう~んと」
鈴谷の疑問に、土井は
「最初は鈴谷さん以外の条件が悪かったのかな?とか思ってたけれど、私の時と比べたら思うことがね。普通の動物と比べると、人間って遥かに扱う情報が多いでしょう? 感情なんてものもあるしね。だから、多分普通に過ごしてるだけでストレスを感じてしまってる事があると思うんだ。小さなこどもならわからないけど、成人してたら尚の事ね」
「…………あっ」
「気付いたかな。私らに比べると、鈴谷さんはこの1ヶ月間をずっと眠って過ごしていた。つまり、外界の情報はシャットアウトしていた訳だ。だから普段思うような負荷が思考に絡まないで、限りなくストレスを0に出来てたんじゃないか。私はそう思ったんだけど」
女の話が終わる。鈴谷は服の袖を取って自分の腕を眺めた。土井と違って人間の皮膚の色の範疇に収まる綺麗な白色をしている。
「これが本当だとしたら、全部納得がいくな、と思って」 治った腕や腹部をつねったりなんだりしていた鈴谷と木曾に、土井は散らかっていた紙を纏めて話し始めた。
「寝ていた鈴谷さんに比べると、あのとき私は結構イライラしていたと思ってね」
「治ったのにですか?」
「これ、結構時間がかかったからね。今みたいにまだやり方も出来てなかったから、ミルフィーユみたいに薄っぺらの皮膚を1日置きに積層して何ヵ月もかかった。勿論治療中はここに居たから仕事もやらなきゃいけない。大変だったよ、利き腕じゃないとはいえ体のバランス取れなくて走れなかったり、すぐ転んだり。多分そういうのの積み重ねで変色したんだと思う」
女の言葉を聞いて、なんて素人染みた事を聞いたんだろうと鈴谷は思った。人間の腕の重さはだいたい1本4~3kgほどだが、それが無くなったと仮定して。いつもは釣り合っている
「長くなったけど、鈴谷さんは何とも無いんでしょう? 渡くんから貴女の主治医を任された身としては、このまま何事もなく終わるとみんな嬉しいから、そこは安心かな」
「……先生、ちょっといいですか」
「? なにか?」
ひとつだけ。たった1個だが気がかりな事が鈴谷にはあった。
昨日目が覚める前にみたあの夢である。このまま心の奥底に仕舞うのも良いかもしれないが、変な爆弾を抱えておくよりは吐いた方が楽になるのでは…… そんな考えのもと、彼女は土井に言ってみることにした。
「昨日、浜波さんと顔を合わせる前に夢を見たんです。ちょっと変なのを」
「夢? 一体どんな」
「町の中の喫茶店で、私は熊野のことを待っているんです。そうしたら、ネ級……1匹の深海棲艦が現れて、「死ななくてよかったね」って言ってきて」
「興味深いね。詳しく聞かせてくれないかな」
突拍子もない鈴谷の言葉を、土井と木曾は真剣に聞いてくれる。そんな2人に鈴谷は心から感謝した。
下手な口を動かして、見たもの全て、考えたことをそのまま喉から出力して相手に伝える。数秒の間を置いてから、最初に口を開いたのは土井だった。
「どんな化け物になるんだろうね、ね。穏やかじゃないなその人」
「人ですらないですけどね」
「でも、何て言うかな。私は、鈴谷さんから聞くに、少なくともそいつを悪いやつだとは思えないな」
「え」
「先生、おれっ……あたしもそう思うっす」
「え、木曾も?」
研究員の前は現役の医者だった土井はさておき、正直木曾には「何を言っているんだコイツ」ぐらい言われてもしようがないと思っていた鈴谷は少し面食らう。
「その子、ただ世間話をしながらパン食べてただけなんでしょう? おまけに励ますようなことまで言ってるときた。こう、危害を加えるような者だとは……私が会って話をした訳じゃないから、あまり、これだ、と決め付けはしないけどそう思うな」
「最後に言ったことが気がかりだがな。あたし詳しくねーけどさ、こう、脳の防衛本能的な……違うか」
「……なるほど」
言われてみればそういう考え方もできなくないか。客観的に考えてくれる第三者って大事ね。2人の顔を見ながら鈴谷はそう思う。
「で、だよ。鈴谷さん他は無いのかな?」
「あ、今のだけです。ありがとうございます」
「そっか。あぁ、最後に1つ、さっき言ったことがもし正しかったとしたらなんだけど。」
思い出したように切り出し、一呼吸置いて土井が話す。
「この短期間にあり得ないとは思うけど、血圧が変動するぐらいに物凄く怒ったり悲しんだり、そういうのは厳禁ね? だから、そういう感情を思い起こさせるような動画だとか小説は観ないこと。約束して。これらも広義にはストレスに当たるから……せっかく私と違って綺麗に治ったのに、勿体無いでしょう?」
「……聞きたいんですけど、そうするとどうなるんですか?」
土井と鈴谷が真剣に話していたとき。会話の内容を噛み砕いて何かひらめいたらしい木曾が、ニヤリと笑いながら鈴谷を茶化してこんな事を言う。
「鈴谷の体がまるごとネ級になったりしてな!」
「はぁ!? ……木曾、またあんたの言う通りになったら枕元に化けて出てやる!」
「!? それはごめん
とんでもないことを言いやがってからに、この野郎! 木曾にそう言う鈴谷を、何とも言えない微妙な笑顔で土井は眺めていた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
数日の間を空けてのこと。もうすっかり元気になったものの、目が覚めてから計測してあと2週間はここで過ごすように、と、リハビリの期間を設けられた鈴谷は。今日は昼から土井に施設を案内してもらう事を約束していたので、私服に着替えて、部屋を出てすぐの廊下にあるソファに座っていた。
趣味の読書で暇潰しをしていたとき。行為を始めて数分もしないで、土井が現れた。
「こんにちは。待ったかな?」
「こんにちは、今昼ごはん食べ終わったばかりでした」
「そっか、ちょっと急いでたけどそれなら良かった」
目が覚める前までを無しとして、今日でここの生活も4日目だ。許可が降りるまで動くのはやめた方がいいだろうという考えから、鈴谷は部屋とすぐ近くのトイレ、外から見える駐車場ぐらいしかここを把握していなかったので、少しワクワクする。
話で聞いたところだと、この建物は研究室のある棟と病院もどきで真っ二つに別れているらしい。聞きかじりの知識だけでいえば、教育施設の代わりに研究所のくっついた大学病院みたいなものか、と鈴谷は考える。
土井の案内を受けて散策したが、今まで鈴谷が居た病棟は特に妙な設備・場所は無かった。2~3台の自動販売機がある喫煙所つきの休憩スペース、病室が自分の寝ていた場所の他に3つほど、バリアフリーのエレベーター。どれも普通の病院で見られるものだ。
しかしこの程度は大方予想通りだったので、興奮するでも落胆するわけでもなく、鈴谷は女の先導を受ける。
「自販機はここに居る人は無料で使えるから、何か飲み食いしたくなったら自由に使っていいよ。あ、でもタバコは駄目ね。まだ体が本調子じゃないだろうし、副流煙にも気をつけて」
「吸ったこと無いですし、これからも無いだろうから大丈夫です」
「……あぁ、そういえば熊野さんが言ってたっけ。まぁいいや、ここの職員にとんでもないヘビースモーカーが居てね、白衣がタバコ臭い奴からは距離をとって」
「は~い」
何気ない世間話と設備の使い方について教えてもらう。そうしているうちに病棟内部は大方探索が終わり、鈴谷は次に研究所に案内して貰うこととなった。
廊下の突き当たりにあるドアの前で2人は歩みを止める。関係者以外立ち入り禁止。病院に関わらず、色んな建物のスタッフルームだとかの前にあるお決まりの貼り紙だ。鍵の掛かってないドアの取っ手を捻り、土井は奥の空間に入っていく。
女の後に続いてガラス張りの連絡通路を歩きながら、それとなく鈴谷は彼女に質問してみた。
「先生、良いですか。私って、ただの一般人じゃないですか。どうしてこんな大事なところに招いてくれたんでしょう」
「私なりの誠意の見せ方だよ。この先でやってる実験が貴女にやった手術に関わってるし、別に見せられないような物扱ってるわけでもないしね。下手に隠す意味もないし」
「そうなんですか」
「そ。突然だけど漫画やアニメは好きかな?」
「へ? いや、有名どころしかわかんないです」
いきなり話題が変わって、鈴谷はどもった。
「AKIRAって映画知ってるかい? 漫画でもいいんだけど」
「あ~……ちょっとわかんないです」
「その漫画の暴走族が居るんだけど、そいつの言葉が心に残ってて。「心ン中にやましいものがあるから、そうやってビクビクしてんだろ!」って言うの。結構好きでさ」
「へぇ……暴走族なのに良いこと言うんですね」
「そう思うでしょ? 最初は笑えるけど、良い言葉だなぁって」
無駄話をしていると、土井がまた歩みを止めた。入り口に着いたのだ。
「ようこそ。我らが研究所へ」 こちらを茶化すような事を言って、彼女は扉を開けた。鈴谷は彼女の思惑に乗って、最初にドアを潜る。
「……………。すご……」
研究所、と言う言葉だけだと。鈴谷の頭に浮かぶのはペットショップの裏側みたいな、ペットの代わりに実験動物の入った檻が
まず、明るいかと思っていたここは薄暗く。入ってすぐの場所にあった、水族館並の、壁1面の巨大な水槽の中に小さな駆逐艦の深海棲艦が泳いでいる光景に目が釘付けになる。どれもが普通の魚と何も変わらない様子で泳いでいたが、1匹、小魚か何かをくわえているロ級が鈴谷の印象に残った。
「大丈夫なんですかこれ、いきなり撃ってきたりとかは……」
「それがね、大丈夫なのさ。実はこの子らは深海棲艦じゃないしね。せいぜい興奮したときにテッポウウオみたいに口から水鉄砲してくるぐらい」
「え……あ! 魚に深海棲艦の」
「ビンゴ」
「へぇ~……」
巨大水槽に見とれながら、鈴谷は土井についていく。繰り返すが、個人的に研究所なんてものは殺風景なイメージがあった鈴谷には、妙にコジャレたここは知的好奇心を煽るのに充分だった。
水槽のすぐ隣に100円ロッカーのような設備がある。鈴谷は職員向けの物かと思ったが、違ったらしい。土井はここの前でも立ち止まって説明を始めたからだ。
「じゃあ、次これね。なんだと思う?」
「ただのロッカーじゃあ」
「半分正解。正解はね……」
土井はそれらの中の1つを解錠して開けた。彼女が鍵を開けるまでの間に鈴谷は他のロッカーに目を向けたところ、ナンバーみたいな物が振り分けられていることに気づいた。
→イ.5、↑ル2、→ヲ7……矢印と数字の意味は解りかねたが、自分もよく知っているカタカナの羅列に、まさか、と思う。
「さてもう一度。これ、なんだと思う?」
「深海棲艦の細胞ですか?」
「正解。へぇ、鈴谷さん勘が鋭いね」
目を離していた隙に、土井は何か入ったタッパーを持って見せつけてきた。中には乳白色の寒天みたいな物が入っているが、鈴谷が答える物で合っていたようだ。
土井の説明によると、このロッカーの中は常に一定の温度になっており、細胞が腐ったりしないように冷やされているとのこと。なんだか冷凍食品みたいね、なんて鈴谷がまるで他人事だと思っていたときだった。
「先生~! 土井先生! いらっしゃいますか!」 同じ部屋のどこかから、男の声が響いてきた。「なんだろう?」 呼ばれた本人は持っていた物をロッカーに戻して鍵を掛け直す。
話し掛けてきた男の姿が見えてきた。その格好に、鈴谷は目を剥きそうになった。
収納付きの防弾ベストに無線機を挿し、頭にヘッドギアを被っている。おまけに肩からライフルを携行しており、どう見ても機動隊か特殊部隊の隊員か何かなのだ。
「先生、お客さんが来てます」
「客? 誰だいこんな時間に」
「またあの人ですよ。全く、仕事なくて暇なんですかね? あの男……」
「あぁ……面倒だな。藤原くん、ありがとう。君は研究室にでも隠れてるといい。お客さんはロビーで待つように……」
「いや、それがここまで来るらしくて」
「……なぬ? まぁいいや、取り合えず隠れててよ」
「了解です。お気をつけて」
「またあの人か。頭が痛いな……」 そう言っている土井に、鈴谷は聞いてみる。
「あの、なんですか今の人。すっごいゴツい格好だったけど」
「ん? あぁ藤原くん? 一応ここ国家機密? とかでね、何人か雇ってる人さ。元特殊部隊って話」
「特殊部隊……」
「私はいらないと思うんだけどね。だってさ、ここグレネードランチャーとかまで置いてるからね。正直頭がおかしいと思う……いや、ごめんね。案内の途中に急用ができて」
「いえ構いませんよ……そうですね、あともう1つ。客って、心当たりあるんですか?」
鈴谷の問いに、土井が答えた。
「吉田 法正って提督。深海棲艦嫌いだかなんだか知らないけど嫌なんだよね、変な因縁つけてくるし」
「!!」
うっそでしょまた出てきた。あんのクソジジイ。こめかみに手を置いて頭の痛そうな手振りを見せる土井に、鈴谷はそう思った。
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