職業=深海棲艦   作:オラクルMk-II

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いままでのくっそ遅い展開を巻き返す超展開入ります&鈴谷が酷い目に遭います。
こんな真っ昼間に重い話を持ってくるスタイル


6 ただ立ち尽くす私の弱さ

 

 来客というのが、この薄暗い研究所までやって来ると聞いて。土井の指示を受けて、鈴谷は照明の光度を上げる手伝いをしていた。

 

 中にある設備もさることながら、雰囲気まで水族館だった場所が明るくなり、今度はにわかにホームセンターのようになる。

 

 準備が整った、と思ったとき。丁度、件の男がやって来た。白の軍服姿なので何者かはすぐにわかったそいつは、土井と鈴谷から見て、誰が見ても不機嫌だとわかるような顔をしていて。鈴谷の方は、相も変わらず愛想の無さそうなシケた人相だ、などと勝手に考えていた。

 

「こんにちは。ご用件は?」

 

「チッ……フン、知ってて言っているくせに」

 

「えぇもちろん。また言い掛かりでしょう?」

 

 用件というのを、部外者に等しい鈴谷は、当たり前だが知るわけがない。ただ1つ彼女に言えたのは、二人の間は穏やかな空気じゃないということだ。

 

 電源関係のボタンがある場所から土井の近くに戻ってきた鈴谷を見て、吉田が細い目をほんの少し大きくした。気は進まなかったが。何も言わないのはどうか、なんて考えた鈴谷は無難に挨拶で場を濁そうとする。

 

「……どうも」

 

「おまえ……なんでここにいる?」

 

「代わりに私が。1か月前ほどに療養が必要な負傷をしまして、こちらで処置をさせて頂きました」

 

「ほぉう? 良い気味だ。せいぜい安全地帯で腐ってろ」

 

 こいつ……――! たぶん、顔は覚えられているぐらいは予想していたが、土井の説明にそう返事をして来た男に。流石に我慢したが、鈴谷は胸ぐらをつかんでひっぱたいてやろうか、なんて考える。

 

 「まぁお前なんぞどうでもいい。言いたいことを言わせてもらう」 今日一日は楽しく過ごせるかな、なんて考えていたが機嫌を損ね、それが顔に出ていた鈴谷を無視し、吉田は続けた。

 

「この水槽も(おり)の獣どもも今すぐ殺せ。目障(めざわ)りで不潔だ、こんな汚いものをこの国の陸地に置くな。建物ごと失せろ……ついでに、あの気持ち悪い手術の凍結だな」

 

「!?」

 

 めちゃくちゃすぎる。一体何を言っているんだこの人は。土井は真顔だったが、端から見ていた鈴谷が思う。

 

「できもしなければ、乗れもしない相談ですね。スパムメールで(ひる)まないと思って直接言いに来たんですか?」

 

「そうだ」

 

「わぁ、そこまで言い切ると尊敬しますよ」

 

 唖然としていた鈴谷や眉間にシワを寄せていた吉田とは対照的に、土井は相手の言い分を聞いて笑顔になった。ただ、鈴谷から見た彼女のその顔の中で目だけは笑っていなくて怖かったが。

 

「何度でも言いますけど、設備の使用も、臨床試験の手術も許可は頂いています。治験審査委員会と海軍統轄部署のサイン入り色紙と私の医師免許です。これらはコピーだけど、持ってこいと言われれば今すぐ元本(がんぽん)も持ってきますが」

 

 熊野もそうだが、彼女もまた吉田が好きじゃないと言っていたのを、ついさっき聞いたばかりで勿論鈴谷は覚えていた。だからだろうか。重要書類を「サイン色紙」なんて言うあたり明らかに土井はふざけていたし、そんな相手に乗せられて男の方は苛々(いらいら)しているのがはっきりとわかる。

 

「ここは国の認可を受けた「指定研究施設」です。門の表札を見ましたか? 青い看板がその印です」

 

「こちらこそ何度も言うがそんな事は俺だって知ってる。これは警告だ。これ以上妙な研究を続けてみろ、命は無いかもしれんぞ」

 

「それはただの脅しでは? しつこく言い掛かりをつけるようなら威力業務妨害と信用毀損(しんようきそん)で訴えますよ」

 

 話が見えてこない。そもそも、この男は何が気に入らなくて、そんな小学生みたいなクレームをつけているのやら。2人の確執(かくしつ)に詳しいわけでもないが、様子を見ていて鈴谷は思う。

 

「だいたい、この建物は半分ぐらいは国の管理ですから、私の一存でぶっ壊したりなんてできないんですよ。ここを本当に閉鎖にしたいんだったら、明確な理由とそれが記された書類でも持ってきてください。貴方、仮にも権力者なのでしょう。それぐらいの金と手間ぐらいはかけてください」

 

「………………」

 

 鈴谷には、面接で嫌なことを聞かれた学生か何かが浮かぶ。吉田は土井の言葉でついに黙ってしまった。

 

 サァ次は何を言うんだ? 土井の、そう言っている目から顔を逸らし、吉田は服の胸ポケットから筆記具を1本取り出した。???、一体何を……? 女2人がそう思ったときだった。

 

 手にしたペンを、吉田は思いきり壁に叩き付けてへし折った。持っていた物が自分の(てのひら)にめり込んで少し血が出ている。逆上するぐらいならまだしも、この男の異常としか言い様のない行動に、鈴谷は背筋が寒くなる。

 

「…………忠告はしたんだからな……どうなっても知らんぞ」

 

「……さようなら。あっちは職員用の裏口ですから、ちゃんと正面玄関から出てってくださいね」

 

 捨て台詞を吐いた後。男はどすどす歩くかと思いきや、そこは流石に大人らしく、普通に回れ右をして来た道を引き返していく。そんな相手に、多少嫌味のこもった言い回しで土井は案内を投げる。

 

 連絡通路の扉を開けて、吉田が先に進んでいったのを確認してから、鈴谷は口を開く。

 

「……災害みたいなオジサンでしたね」

 

「本当にね。まったく、クレーマーを気取るなら理屈ぐらいはコネてこいっての」

 

 いつもは笑顔の土井は、このときばかりはムスッとしていた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 あくびをしながら鈴谷はベッドから体を起こす。二度寝から覚めて、今日はなんだか朝から薄暗いな、と思ってカーテンを開けると、外は大雨で鉛色の雲が空に蓋をしている状態だった。

 

「ひっどい天気……や~なカンジ……」

 

 これは、夜の散歩は流石に出来ないか。彼女は小さく愚痴った。

 

 土井から施設の案内を受けてからここ数日、鈴谷は適当に庭を散歩したり、テレビを流し見する日常を過ごしている。初めのうちは何にも縛られないとはなんと素晴らしいことか! なんて仕事を明確な理由でサボれる事に喜んでいた思考も、すぐに雲散してしまっていた。やることが無さすぎて暇なのである。

 

 「んー!」とうなってるみたいな声を出して、腰や腕を(ねじ)る。ゴキゴキと体の中で間接の空気が抜ける音がした。

 

「暇だ!」

 

 誰もいない空間にそう言ってから、彼女はとりあえず部屋から出ることにする。

 

 

 

 2~3日前に土井から教えてもらった休憩所に着き、鈴谷は自動販売機のアイスカフェオレのボタンを押した。

 

 紙コップを片手に、ソファに座ってスマートフォンで動画でも見ようかと考える。

 

 どしゃ降りの大雨に加えて、もう5月なのに今日は妙に気温が低い日で。肌寒いこの感覚に鈴谷は上着を着てから部屋を出ていたのだが、自分が大怪我したあの日の事が脳裏にフラッシュバックして、思わず身震いしてしまった。

 

 ふと、前に研究所までやって来た吉田の事を思い出した。嫌みな男の顔が浮かんできて多少不愉快な気分になると同時に、鈴谷は、あの後に土井と交わした会話の事も考え始める。

 

『まぁ何となく想像はつくと思うんだけど、深海棲艦関係には私が勝手に名前をつけた「利用派」と「過激派」って派閥が居てね?』

 

『利用派はその通り、深海棲艦を倒すにあたって積極的に研究を進めて、解明した事を色んな技術に転用しようってグループ。私もこっちさ。敵を調べてマイナスになることなんて無いと思うしね』

 

『過激派ってのはその逆ね。家族でも殺されたのか……いや、実際そういう人も居るだろうけど、徹底的に敵は倒してゴミとして処理してしまえみたいなグループ。何でもかんでも頭ごなしに否定するものだから、私は嫌いだね』

 

「……………」

 

 考え事をすると、動画の内容も飲み物の味も頭に入ってこない。

 

 『吉田サンは多分後者でしょう。今の家庭で何かあったとかも聞かないし、理由はわからないケド……』 そう言って去っていく彼女の背中まで思い出して、ますます鈴谷は気分を害していた。特に理由もなく相手を攻撃するなんてクレーマー気質な人間は、昔から大嫌いなのだ。まだ出会って数文字程度の会話しかしていない吉田だが、すでに鈴谷の中での株は下落する一方だ。

 

 半ば無心で暇潰しをしていると、カフェオレを飲み干している事に気がつく。口が寂しいと思い、鈴谷は椅子から立ち上がる。

 

 さて、次は他のジュースでも飲もうかな…… そう思って、今度は違う自販機のボタンを押そうとする。「売り切れ」のランプが点灯していた。舌打ちしそうになったそのとき、作業着姿の女性2人が自分の側まで来ていることに気づき、慌てて鈴谷はその場から離れる。

 

 適当に会釈してから2人の様子を眺める。すると、その女たちは機械を鍵で開けて、中の物の交換をし始めた。ちょうど良いな、と鈴谷は思う。てっきりここの職員が休憩に来たのかと思ったが、どうやら販売機の補充に来た業者らしい。

 

 鈴谷は一旦は距離をとった相手の1人に話しかけてみた。

 

「あの、自販機の補充ですか?」

 

「は~いそうですヨ!」

 

「このジュースくれませんか? ちょうど切れちゃってて」

 

「あぁ、大丈夫ですよ。どうぞ」

 

 業者の女は愛想の良さそうな顔で、ワゴンからボトルを1つ取って鈴谷に渡してくる。

 

 誰とは言わないが、どこぞの軍服男とはえらい違いだな。先ほどまでの考え事が思考に侵食してきて、そんなような事を考えていた時。

 

 

 

 この時、鈴谷は一人で事足りるような仕事に、業者が2人も居たことを妙に思うべきだった。

 

 唐突に物を渡してきた人物の隣に居たもう一人に背後に回られ、物凄い力で鈴谷は羽交い絞めにされる。

 

「お前さんに恨みはねぇが」

 

 意味がわからなかった。鈴谷が状況を認識する前に、ボトルを渡してきた業者は上着を脱ぎ捨てて、身動きの取れなくなった彼女に刃物で切りかかる。

 

「仕事だ。死んでくれ」

 

 拘束を振りほどいて反撃に移るような隙も時間も無かった。業者の変装をしていた女は何の躊躇(ちゅうちょ)もなくアーミーナイフを引き、鈴谷の首を切り裂く。

 

「かっ…はっ……」

 

 激痛だとかそんな生易しい言葉で表現できない感覚に襲われた。首を中心に体を焼かれるような痛みに、叫ぶことは勿論、鈴谷は泣くことはおろか立っていることすらままならなくなり、膝から崩れ落ちるようにその場に倒れる。

 

「目標1個終わりだな。次いくぞ」

 

「了解」

 

 一体こいつらは…… 首を上げて女らの事を見るどころか、酷い痛みで体が動かない。おまけに頭も働かない。ならばと大声でも出そうとしたが、それも喉を切られた鈴谷にはできなかった。

 

 だめだ。こいつらを行かせては。土井先生に何をするつもりなんだ―― 人一倍他人を気遣う性格が、瀕死の彼女の体を動かす。

 

「待……て………こ…のぉ………」

 

 繰り返すが声が出ない。切られたのは頸動脈(けいどうみゃく)だろうか―― 人間というのは不思議なもので、死の危険にさらされておきながら、首を切られた事を認識して数秒もたてば鈴谷の思考回路は異常なほどクリアになっていた。

 

 絞り出した声は小さすぎて、謎の女たちに届くことはなかった。また、止めを刺すまでもないと判断されたらしい。2人の姿を視界に捉えるのは叶わなかったが、遠退いていく足音からそれは理解できた。

 

「どう……し…………て……――――」

 

 気を引くことすらできないのか その考えが頭に浮かんだ瞬間、鈴谷は思い出したように首が熱くなり、少しだけ地面から浮かしていた頬を地面に打ち付ける。

 

 倒れた自分の顔……目から数センチと離れていない床が、己の血液で赤く染まっていく。タイル1面に収まらない量の(おびただ)しい血液に、鈴谷は絶望感に思考を奪われた。滴る、などと甘いものではない。傾けた飲料ボトルから内容物が流れ落ちるような勢いで出血する感覚が、とてつもなく恐ろしい。

 

 色がついていた景色が、テレビの砂嵐みたいな物に飲み込まれてモノクロになっていく。次いで、だんだんと目がかすみ、前が見えなくなってきた。

 

(意識が……消える………)

 

 急速に血の気が無くなっていき鈴谷の肌が白くなる。同時に、その目から光が消えた。

 

 電源が落ちるような妙な感覚と共に。彼女は意識を手放した。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 はっ、として目が覚める。

 

 起きた場所を鈴谷は上半身と首を忙しなく動かし見渡した。己の目がおかしく無ければ、見慣れた自分の病室だ。

 

 良かった。あれは夢だったのか……そんな独り言が口から漏れる。

 

「……夢?」

 

 ただし残念なことにそんな甘い想定はすぐに覆った。

 

「いいや、現実だねアレは。ほんと、貴女って運が無いのね」

 

 背後から聞こえてきた声に振り向く。首を動かす間に、とてつもなく嫌な予感がしていたが、それは当たってしまっていた。鈴谷の目の前にあのネ級が居たのだ。

 

 鈴谷が呆然としていると。ネ級は続ける。

 

「ん~そう。考えてるとおり明晰夢(めいせきむ)ってやつだね。夢を夢だと本人が認識するやーつ」

 

「…………!!」

 

「あ、わかっちゃった? だからね、さっきのは夢じゃなくてリアル。おわかり?」

 

 あんな訳のわからない出来事が本当でたまるか。鈴谷はそう思って、ネ級が話している間に自分の首を触った。嫌に、水っぽい感触がある。人体の急所の1つである頸動脈のある部分がぱっくりと裂けて血が出ていた。

 

 絵の具をぶちまけたように真っ赤に染まる手のひらに、ただただ彼女は非現実的だとの感想しか頭に浮かばない。その鈴谷の様子を見て、尚もネ級は喋り続ける。

 

「そんな……」

 

「でもそんなのどうでもよくない? 早く起きないと、あのお医者さん危ないんじゃないの? ほらさっさと二度寝しないと。助けてもらったんだから、今度は貴女が守る番でしょう?」

 

「守るったって……」

 

「不安なら深海棲艦になればいい。そんな風にね。結構便利だよ」

 

「!?」

 

「私の体、あげる。頭に来るような景色が広がってるでしょうから、思う存分暴れてくると良いでしょ」

 

 ネ級がそう言いながら自分の体に触れてくる。気が付いたときには、という表現がしっくり来るか。いつの間にかに鈴谷の首は甲殻類の外骨格のようなものに覆われ、腹部から2本1対の触手が生えていた。

 

「な……!」

 

「それじゃ、また会うときまで。おやすみなさい」

 

 待って! と言おうとしたが、またあの強烈な眠気に抗えず、鈴谷はベッドの上に倒れる。

 

「貴女に天のご加護がありますように……なんてね」

 

 おどけているネ級に、そんな言葉で見送られた。

 

 

 

 

 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇

 

 

 

 

 今度こそ鈴谷が目覚めたのは現実世界だった。

 

 何をするにもまずは動くか、と立ち上がって周りを見る。まず何よりも早く視界に入ってきたのは、床一面に広がる血溜まりだ。間違いなく自分が作ったものであろうこれに、鈴谷はさっきの出来事が本当に起こったことだと認識せざるを得なかった。

 

 また、これを思うことはおかしいかもしれないが。本当だとすれば確かに自分は首を切られて死んだはずなのだ。どうして生きているのか? そんな疑問で頭がいっぱいになる。

 

 不思議に思って傷があるはずの首を撫でようとしたとき、首の皮膚に触れなかった。そして妙に堅い手触りに、鈴谷は「これ」は何かと携帯電話を取り出した。

 

 カメラを内側に設定して自分の顔を見る。

 

「!」

 

 チョーカーとも首輪とも違うか。名前なんてどうでもいいが、黒っぽい色をしたそういったものに近い何かが、自分の首と口元を守るように覆っていたのだ。おまけで、着ていたウインドブレーカーの首回りは血で酷いことになっていたが。

 

 怪我をした部分を防御するために皮膚の一部が発達した、ということだろうか……?? 深海棲艦化に伴う体質の変化、と土井が数日前に自分に説明していた事が脳裏に浮かぶ。

 

 考え事をしていると。鈴谷は、今まで体感したことがないほどに喉が乾いている事に気づいた。

 

 開きっぱなしになっていた自動販売機から、散乱していた飲み物を1つ取って口にする。

 

「先生は……大丈夫なのかな」

 

 口からそんな言葉が漏れたが、そんな事は考えていなかった。自分を落ち着かせるための方便である。

 

 水分補給が終わって、急いで鈴谷は研究所と繋がる連絡通路まで走る。いつもなら施錠されているそこがこじ開けられているのを見て、嫌な予測ばかり脳裏に過るが、そんなものは吹っ飛ばしてひたすらガラス張りの道を走って先を急いだ。

 

 研究所の中に入る。つんと鼻をつく鉄っぽい臭いに、鈴谷の頭の中で警報が鳴り響く。周囲の様子を見て、口が勝手に開いた。

 

「何……これ……………」

 

 悲惨、としか言いようが無かった。施設全体が、銃撃戦でもあったように酷く荒れている。

 

「うっ……!?」

 

 倒れていた人に声をかけようとして近づき、その「状態」をみて硬直する。防弾チョッキを貫通するほどの銃か何かを撃たれたのか、着ていた服が穴だらけになっていた警備員の男性は、既に事切れていたのだ。

 

 なんだ。なんなんだ。一体自分の知らないところで何が起きているんだ。見ればは1つ2つできかない人数の職員が、死体となって転がっている。映画か小説でしか普通の人間は見ることがないようなこの状況に、鈴谷の頭は混乱するばかりだ。

 

 不安と恐怖で目が潤むなか、必死に土井の事を探す。

 

 神様、お願いです。どうか先生だけは…… 恩人の無事を願ってひたすら建物の中を走り回る。

 

 1つ、まだ電気のついていた部屋を見つけた。祈るような気持ちで、鈴谷は半開きだったドアを蹴飛ばして中に駆け込む。

 

「あ、あぁ……!」

 

 もう、遅かった。

 

 中に居たのは、白衣を真っ赤に染め、力なく壁にもたれ掛かる土井だ。

 

「先生ぇぇぇ!! しっかりして、何があったの!? 早く手当てを!!」

 

「…………ん……あぁ…根…上……さん………かな?」

 

 喉が破裂するような金切り声を挙げて、鈴谷は土井の体を起こす。相手は、まだ息はあるようだった。しかし、彼女は今正に虫の息といった様子で。誰が見ても瀕死といえた。

 

「それは……勿体無い…………根上…さん。綺麗に治った……のが台無しだ…主治医……失格……わたし…………」

 

「そ、そんな弱気な事言わないで、ね!? 先生!」

 

「いや……誉められた物じゃない…吉田……こんなに危険な人間だったか………見誤りだ……」

 

 血だらけの自分など他人事といった様子で、土井は鈴谷の首もとを見て言う。

 

 完全に鈴谷の気は動転していた。さっきまでは自分の方こそ死にかけていたことすら忘れ、必死にその場にあった包帯などの粗末な道具で土井の手当てに努める。だが、当然のごとく、適切な設備・処置もままならない場で、こんな大量出血を伴う怪我の治療など出来るわけがなかった。

 

「ねぇ、根上さん……さっきまで、痛みで声も出なかった…………でもね、今は結構喋れるんだ……こんな風に……」

 

「だ、喋ったら駄目です、少しでも体力をッ……」

 

「ふふ、優しいんだな貴女は……どうせもう助からない………多分、肝臓を撃たれた…………血も沢山出た……痛みを感じなく……なる……ぐらい…………」

 

「そんなっ」

 

「それ…より……なんでそうなったか……教えて…よ……最後に……貴女の…視診を…………」

 

 理解不能だが傷の治った自分と違って、今も激痛に朦朧とする意識の筈なのに―― 優しい笑顔を崩さずに話す土井に。鈴谷は(すす)り泣きながら事の経緯を話した。

 

「いきなり首を切られました……でも、どうしてか生きてて、目が覚めて……」

 

「そうか………相手は、多分……吉田か……それに…準ずる派閥の……差し金だ………」

 

「差し金って、こんな意味不明で無茶な事っ!」

 

「ふふ……人間っ…て…怖い……金さえ積まれれば……何で…もする……やつも…いる………」

 

「……………!!」

 

 言うことを聞かなかったから。そんなくだらない理由でこんなに沢山の人を殺すように仕向けたのか……? 吉田か、それと同調する者なのかは知らないが、そういった「連中」なるものに対する怒りの情が燃え始める。

 

 そんな鈴谷に、静かに。しかししっかりとした声で、土井は落ち着くように諭した。

 

「良い…か…い……根上さん……君につけた…のは……重巡ネ級の…細胞だ……あまり、無茶をする……桜田さん…言った……深海棲艦………その物になっ……まう……かも……れない……………」

 

「でも…」

 

「で…もじゃない……患者が…―理性を失っ……化け…物になる……なん…て……私は…耐えら…れない……」

 

「…………、わかり……ました」

 

 頬を伝う涙が止まらない。たった数日とはいえ、自分に尽くしてくれた人に何の恩も返せないのか―― 血染めの土井の服の袖をぐっと握る。こんな状況下であっても自分の事を考えてくれる相手に、鈴谷は申し訳無さと無力さに泣くことしかできない。

 

 鈴谷の腕の中で、土井はぐったりと脱力しながら、小さな声で呟いた。

 

「ねぇ…根上さん……なんだか……すごく…眠くなっ……て…きたんだ……寝か…せて……くれない……かな…………」

 

「はい……」

 

「ふ……ふふ…また………あし…た……おや………す……み……―――――」

 

 虫の羽音より小さなか細い声だった。恩人の発言は耳を澄ましてもあまりにも小さすぎて、全てをきちんと聞き取ることは鈴谷にはできなかった。

 

「先生ぇ……聞こえないよ……もっと……大声で喋ってよ……」

 

 もう、返事は返ってこない。

 

「ああああぁぁぁぁぁ……!!」

 

 体中の水分が涙になって外に出てしまうぐらいに。鈴谷は気が済むまで泣き叫んだ。

 

 

 

 

 何秒。何分。もしかしたら何時間と同じことをしていたか。とうとう泣きつかれた鈴谷は、土井の遺体を部屋にあったソファの上に寝かせた。

 

 薄目を開けていた彼女のまぶたをそっと閉じる。そしてその手のひらに、持っていた小銭を2枚握らせ、部屋を後にした。

 

「………………」

 

 鈴谷は精気の抜けきったような闇色の目をしながら、幽鬼のようにふらふらと歩く。逃げる所も、行く先も宛はない。ただ1つ、恩人から「死ぬな」と言われたので、それだけは守ろうと考えていた。

 

 目線の先に職員の死体があったので。ふと、身を守るものが必要か、と思い、倒れていた警備員の遺体から、まだ使えそうだった短機関銃の1種と思われる銃器を拝借する。

 

 いくら一般人の流入が増えた組織とはいえ、鈴谷が働いていたのは一応は軍隊だ。ということで、必要最低限の銃火器類の扱いぐらいなら彼女は取得していた。都合の良いことに、サブマシンガンは両手で構えれば反動も比較的少ないし、取り回しも良好と、こういった非常事態で初心者の鈴谷にはありがたい装備だ。

 

 特に考えもなくぶらぶらしていたが、時間の経過が彼女の正気を呼び戻す。まだあの謎の襲撃者が居ないとも限らない。となれば、ここに居るのは危険かもしれない。そう結論付けて、鈴谷は外に出ることにした。

 

 「事実は小説よりも奇妙なものだ」 暇なときにしていた土井との世間話で、彼女がよく口にしていた言葉だったが。鈴谷は、目の前に広がる光景に、そのワンフレーズを感じずにはいられなかった。

 

「嘘でしょ…………」

 

 辺りによく響く、轟音といって差し支えない、建物が燃えて崩れていく音に。今日何度目かわからないが、彼女は放心状態になる。

 

 まるで焼夷弾でも大量に落とされた爆心地みたいに、建物の外には焼け野原が広がっていた。

 

 研究所の中が荒れていたなんてまだ可愛いレベルだ。普通の住宅や何やらと立ち並ぶ建物は崩れ、炎上し、周囲は酷く焦げ臭い。

 

「ッ……誰か人は……!」

 

 普段の彼女なら立ち止まっていたか。しかし、持っていた銃が多少は鈴谷の気を大きくするのに一躍買っていた。生存者を探そうと、燃え盛る住宅街に走る。

 

 銃を小脇に構えつつ、身に付けていた腕時計を確認した。外が暗いので夜だとは思っていたが、時刻は午後8時を少し過ぎた頃を指している。自分が刺されたのは夕方だったから、目が覚めて外に出るまで2~3時間は経ったことになる。

 

 泣いている間に時間を食ったのか、それとも起きたのが遅かったのか。少し思うところはあったが、まずは何が起きているのかを把握するのが一番大事なことでしょう。そう思ってひたすら走り続けていた時だった。

 

 激しく炎上していたが、まだ原型を留めている家を見つける。が、そんな物よりも鈴谷の目に飛び込んできたのは、その燃え盛る一軒家に突っ込んでいく中学生ぐらいの女の子の姿だった。

 

「危ない!!」

 

 自然と体が動いていた。

 

 鈴谷は走ってきた勢いをそのままに、その女の子を横から突き飛ばす。

 

「ご、ごめんね、いきなり吹っ飛ばしちゃって」

 

 綺麗に真横に倒れた彼女へ、脊髄反射ですぐに謝った。

 

 突き飛ばしなんてやったんだから、すぐに起き上がって怒るに違いない。そう、思っていた。しかし彼女は一向に立ち上がる気配が無く、まさか、と思って相手の顔を伺ってみたときだ。

 

 女の子が発した言葉に、鈴谷は目を見開いた。

 

「おかーさんが……おかーさんが死んじゃう……!」

 

「!!」

 

 この家にまだ人が居るのか? 鈴谷は相手に聞く。

 

「この中に、貴女のお母さんが居るの?」

 

「…………。」

 

「そっか……どうしたら」

 

 無言で頷いた相手に、鈴谷の目線は自然と、燃え盛り倒壊しかけている家に向く。

 

 何かできることは…… そう、回らない頭で必死に考えていた鈴谷に、あるものが視界に入った。玄関と庭の境と思われる場所にあった、雨水なんかを貯めておく、大きなポリバケツである。

 

 これ、使うか! ベルトで首から下げていた銃を一先ず置いて、鈴谷はバケツを傾ける。半分ほど水を捨てて軽くなったそれを持ち上げると、彼女は頭から水を被った。

 

「重っ……うりゃあぁ!!」

 

 今までの人生で聞いたことがないような音をたてて燃えているこの建物の前だと、この水浴びは体温調整に心地よく感じられた。

 

 ここまで行動すると、自然と覚悟が決まる。濡れた服と体が乾く前に…… 凄まじい熱気を前にすると、正直とても怖かったが。考えつつ、最後に鈴谷は自分を見て口を開けていた女の子に、逃げる退路を塞ぐ意味で口を開く。

 

 

「待ってて、必ず戻ってくるからね!」

 

 

 今日は、色んなことが起こりすぎだ。そんな思いを胸の奥底にしまって、精一杯に格好をつけて女の子に言う。全身ずぶ濡れになった鈴谷は、そのまま意を決して燃え盛る家の中に突っ込んだ。

 

 

 

 

 

 

 




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鈴谷が土井に握らせたお金は三途の川の渡し賃です。

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