昼に入る前、直海に名前を教えたときにも考えていたが、鈴谷は自分の事を嘘が苦手な性分だと把握している。
と、いうわけで。先程言い淀んでおきながら、彼女はありのまま、昨日から今日の今この瞬間までの事を洗いざらい熊野にぶちまけていた。
「「「……………」」」
会話が終わり。鈴谷と直海は無言で飲み物を飲む。2人の行動を真似するように、熊野も、愛飲している缶コーヒーで喉を潤す。
研究所が襲われ、土井は死亡したこと。そのときに直海を連れて逃げたこと。何故か致命傷を2、3度受けても平気だったこと……何か、自分等には想像もつかないような何かが、研究所と住宅街にテロリスト紛いの者らを差し向けたこと。全部を言い終わって、鈴谷は心中の雲が少しは晴れた。
3人共々一言も発しない時間が数分経過する。最初に口が開いたのは、熊野だ。
「…………これからどうしますの」
「うん……とりあえず、さ。鎮守府のみんなに顔は会わせたいよね。色々あったんだから」
それに、と鈴谷は続ける。
「熊野、心配してくれてたけど。私の事を思ってくれた、ということは、こっちがこうなってる事、少しぐらいは知ってたんでしょう?」
「流石ね。その通りですわ。昨日、テレビでもラジオでも夜中に速報が入って、みんなで貴女の事を」
「……ん!? え、ちょっと待って、テレビでもラジオでも?」
「えぇ」
おかしい。情報統制というか
「おかしくない? だとしたら、こここんなに警備だ封鎖だがユルユルなはずが」
「…………私にもよくわからない事だらけで。今でも混乱していますわ」
「と、いうと」
「この規模の活動、どう考えても事件性があるのは明らか。となれば、連日、短くても1週間はメディアの話のタネになって当然ですわ」
「そりゃ、まぁ確かに」
「今朝の情報番組で観たことですが……アナウンサーが、研究所を目標としたテロリストによる犯行だと。たったそれだけの情報を公開して、速報を取り下げてしまったのを観ました。テレビの業界に詳しい訳では有りませんが、素人から見ても明らかに異様でしたわ」
「………………。」
「まぁ、しかし、です。テレビなんて言うメディアは昔から国の操り人形みたいなもの。貴女の話を聞いて、こういった動きをする事に多少は合点がいった気がしますの……もっとも、動きがあからさますぎて、その
一般人が首を突っ込めば、最悪死ぬことになるような黒い物っていうのは、世の中に沢山あるだろう。たぶん、これはその
「既にインターネット等でも情報統制が始まっているようですわ。掲示板、ブログ、SNSに動画サイト……昨日の事に関わるものが軒並み削除されているのを見ましたから」
「嘘……まだここらが焼かれてから24時間も経ってないよ?」
「だから……鈴谷。悪いことは言いません、すぐに鎮守府か自宅か、私の家か。ここから離れたどこかに身を隠すべきですわ」
「身を隠すったって……」
今、親友が置かれている状況を把握したからか。どこか焦りの見える微妙な早口で捲し立てる熊野に、鈴谷が返事をしようとしたときだ。何か閃いたのか、熊野は相手に食い気味に提案する。
「鈴谷、車の鍵は今?」
「? 持ってるけど」
「お借りしても」
「別に良いけど……」
何かな? と思う間も無く、相手は疑問の答えを口にした。
「車を変えてきますわ。2シーターじゃこちらのお嬢さんが乗れませんもの。少しお待ちを」
そう言って熊野は物を受け取ると、駆け足で店の外にすっ飛んでいき。鈴谷と直海が見れたのは、ホイルスピンを起こしながらロケットみたいに発車するスポーツカーのリアだった。
あんなに飛ばして大丈夫? とか現状的にはどこかズレた心配をしていると。直海が口を開く。内容は熊野と自分の関係についてだ。
「根上さん」
「ん?」
「あの人は、お友達なんですか?」
「ん~……そうだね。友達
一言じゃ現せない付き合いの事を無理に
会話が途切れて10分と経過していないのに。少し離れた場所から風に乗って聞こえてきた車のスキール音に、鈴谷は驚いた。シビックに乗り換えた熊野が自分らの所まで戻って来たのだ。近付いてくるエンジンの空吹かしの音で、帰ってきたことはすぐにわかる。
お粗末なバリケードの間をぬって自分の車が寄って来る。真顔とも笑顔とも言えない、表現しづらい表情をしながら、運転手が車から降りた。
「お待ちどう、ですわ」
「早すぎだよ。飛ばしすぎじゃないの……一体何キロ出したらこんな早くに」
「親友の緊急事態、モタモタする道理など有りませんわ?」
自分の土地勘が正しければ、ここから鎮守府・もしくは自分の家は5kmも離れていないが、道は入り組んでいて信号も多く、10分近くはかかる。余程スピードを出してきたと見える熊野に鈴谷はそう言ったが、当の本人にはそんなように涼しい顔でいなされた。
まぁ、確かに急ぐのも大事か。今さら言い争ってもしようがない。鈴谷は外していた首輪と眼帯代わりの仮面を着け直して車に乗り込む。
車両の持ち主にドライバー役を譲り、持ってきた熊野は助手席へ、と動いたときだった。ナビシートのドアを開けようとすると、熊野は誰かに服の袖を引っ張られる。
なんだ?と振り返って、あぁ、とここにはもう一人、親友の「ツレ」が居たことを思い出す。直海だった。
「あぁ……えーと」
「わ、私は、根上さんの隣に居たい!」
「ふふふ。わかりました。なら私は後ろにお邪魔します」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「で。私はこの車でどこに向かえば良いわけ?」
「知り合いの方々に顔を見せたいのでしょう?」
「あぁそういう……鎮守府かぁ」
後ろに座っていた熊野との会話の最中、信号が青になり、鈴谷は切っていたクラッチを繋げる。
熊野に鎮守府へ向かえと言われたが、なんとなく気持ちがくじける。冷静に考えて、「昨日深海棲艦になった」などという与太話を周りは信じるのか?という疑問が沸いたのだ。――ただ、現になってしまったのだから、どうにか納得してもらわねば困るのだが。
考え事混じりに運転していると。また数分もしないで信号に捕まったとき、体に何か絡まっているような感覚を覚えて顔を横に向けると、直海が自分の触手を両手でしっかりと抱えているのが目に入る。
「……………」
遠回しに、なるべくトゲの抜いた言葉で、何の真似だと相手に尋ねた。
「……ナオちゃん」
「はい」
「そんなもの抱えててさ、気持ち悪くないの……?」
「もちもちやわらかです!」
答えになってない! と思ったその時。今度はもう一方を、後部座席にいた熊野が引っ張って抱え始める。
「あっ、ちょっと! ……あのさ……くすぐったいんだけど」
「まるで上質な抱き枕のようですわ」
「あのさ!」
「鈴谷、信号が青ですわ」
「え、あっ!」
慌てて運転に戻る深海棲艦の姿を、直海と熊野はニマニマと形容しがたい笑顔で見守るが、操作に集中している鈴谷にはもちろんそれらは見えない。が、なんとなく2人が妙な表情を浮かべているのを察して、彼女の口からはため息が漏れた。
こいつら……目的地に着いたら転がして差し上げようか!? 穏やかではない事を考えつつ。鈴谷はアクセルに掛ける力を強くする。
ここ数日、色々な事があったせいか、それとも久し振りに車のハンドルを握ったからなのか。なんだか長く感じた時間が終わり、シビックは鎮守府の門を通り抜ける。
律儀に自分の割り当て場所に車を停める。エンジンを停止させて乗り物から降りるまで、最後まで彼女の曇り模様の心が晴れることは無かった。
誰が見ても、顔色も含めて少なくとも調子が良さそうには見えない顔をしていた彼女に。熊野は会話を切り出す。
「鈴谷。これから、どうしますの」
「? どうって、みんなに会いに」
「その「後」が聞きたく再度質問しましたわ。……その、隠居するだとか、私が匿うとか……」
悪いことは何もしていないはずなのに。なぜか熊野はばつが悪そうに、俯きながらそう言ってきた。鈴谷は、自分を案じてくれる親友の言葉に少し感動する。
「あぁ、そんなこと?」 と一言返事をする。この質問なら答えられる―― 鈴谷は、はにかみながら口を開いた。
「……私さ、とりあえず海に出てみようと思う」
一瞬、親友はポカンとした表情を見せる。真顔というには穏やかな顔をしていたのが、熊野は、鈴谷の言葉の意味を理解した途端に眉間にシワを寄せながら質問した。
「貴女、正気で? 補給や住むところのあてもないのに」
「うん……もしかしたら深海棲艦の仲間に入れてもらえるかも」
「あまりにも博打が過ぎますわ。彼女らがどんな生き物かすら録にわかっていないのに」
「何かあったらそのときはそのとき。なるようになる! ……って思ってればさ。きっと道は開く!」
楽観的思考の極まった発言の後に、自信満々で鈴谷はサムズアップして見せる。直海がまた触手ごと鈴谷の体に抱きついてくる。話の内容はよくわからなかったらしく、不思議そうな顔だ。女の子のことはひとまず置いておき、なんとまぁ呆れるほどのポジティブだろうか…… とでも言いたげな顔で、熊野が話し始めた。
「はぁ……なんだか安心しましたわ。ま~~ったく変わってない、楽天家の紀美のままで。……貴女がそう言うなら、私は止めませんわ。好きにしてくださいまし」
「楽天家で悪かったね」
「別に悪いだなんて言ってませんわ。むしろそこまで底抜けに明るいと
「……私がこんな所に居たら、またあの吉田とか言うのが来るかもしれないじゃん。そしたらこの子が危ないもの」
「……………………」
……あ。今のは言う必要無かったか。
会話の流れで自然と出てきた言葉に、熊野が詰まる。元はと言えば空気を軽くするつもりでの受け答えだったのに、重くなったら失敗だ。鈴谷はそう思っていた時だった。駐車場でたむろしているのに夢中で気が付かなかったが、誰かがこちらに歩いてきているのに意識が向く。
どういうことなのか。海上でもないのに、見るからに破壊力の有りそうな重武装を幾つか背負った、背の高い女……。見間違える筈がない。自分らの勤める鎮守府の、「
初対面の人間が相対すれば、一目散に逃げ出しそうな威圧感を放ちながらゆっくりと歩みを進めていた彼女に。熊野が疑問のこもった声を掛ける。
「??? 長門、どちらへ? その装備は……」
「連絡したのは熊野だろうが。提督の指示だ。駐車場で重巡ネ級を迎え撃てとな」
「提督が!?」
なんだと!? と鈴谷が言いそうになる暇もなく。あろうことか、長門は言うが早いか、艤装の砲口を向けてくる。こんな場所で撃たれでもしたら一体どうなるのか……と想像してしまい、白かった顔が更に蒼くなる。
が、それは流石に
「さァて重巡ネ級!! お前が本当に鈴谷なのなら1つ、質問に答えてもらおうか!」
「?」
「女性不信から『髪長ければ 知恵短し』という格言を残した哲学者がいるそうだ! その名前を………」
思わず鈴谷と熊野は吹き出す。
「ふふふっ……w」
「ぷっ、あはははは!」
「!? な、何がおかしい!」
「くくっ、うふっ、だ、駄目ですわ!! わわっ、笑いが……」
引き笑いをして呼吸が苦しくなったのを、無理矢理深呼吸で息を整えてから熊野が答える。
「おかしいも何も、察しませんか? 普通の深海棲艦が車の運転が出来るとでも?」
「…………………」
「というか、繰り返しますが普通は立ってる位置やら、私の様子やら、こっちの女の子でわかりませんこと?」
熊野の言うことに長門は無言になった。確かにこの深海棲艦、運転席側に立っているわ、熊野とフレンドリーに会話をしているわ、子供が何の警戒もなくくっついているわ、と妙な状況を作っている……と理解するまでもなく。普通わかるだろと鈴谷が思っていると。相手は機嫌が悪そうに口を開いた。
「はぁ。失敗か、くそ。解ってるに決まってるだろそんなこと。」
え? と熊野と鈴谷が同時に呟く。
「「迎えに行ってやれ」の意味で言われたのは理解してたから、ちょいとばかし脅かしてやろうかと思ってただけなのに……興を失ったわ、全く!」
「あぁ……その」
「謝罪なんていらないよ。私は別に怒ってないからな!」
うぅ~わっ! 明日は大粒のヒョウでも降るんじゃないかしら! ヘソを曲げた相手に、仲良し2人は全く同じことを考えていた。というのもこの長門というのは、真面目が服を着て歩いているような性格だ。おふざけだと見破る難易度が高すぎて本気でやっているものだとばかり思ってしまったのだ。
良かった。少なくともこの人は敵ではないか、とまで鈴谷が思ったときだった。直海が抱き付く力を強くしたことに感付く。何かと彼女に視線を向ける。
「ん……どうかした?」
「いや……嫌だ……怖い………」
「ナオちゃん、大丈夫だよこの人は……」
人見知りだろうか。などと軽く考えた鈴谷と熊野の甘い考えが、次の彼女の発言で吹き飛んだ。
「深海…棲艦…………」
「「!!」」
『怖い人たちが深海棲艦! お姉さんが艦娘なんだ!! 嘘つかないでよ!』――「あの時」直海が言った言葉が鈴谷の脳内でリピートされた。友人から口頭で事情を聴いた熊野も、彼女が長門に怯える理由を理解したらしい。少し動揺しているのが顔に出ていたので、鈴谷にはすぐにわかった。
長門が視界から外れるように、と、鈴谷は自分の体を壁にして直海の前に立ち、口を開いた。
「長門さん。お願いがあって。大至急、着替えてもらえませんか?」
「なに?」
鈴谷の言葉の意味をとらえかねて、長門はまた少し間の抜けたような顔になる。熊野は早歩きで彼女の耳元に立つと、何か耳打ちした。
事情が事情だけに、この内緒話は長引く。要点をかいつまんだ親友の要求がどんなものだったかは勿論聞こえなかったが。話を聞いた長門は「お願い」を聞き入れる。
「! そうか、失礼した」
「出来れば施設内の全員に私服で居て貰うようにお願いして回って頂きたく思いますわ。間違っても、艤装を付けっぱなしでは歩くな、と」
「応、承知した。悪かったな」
眉をへの字にして力の抜けた笑顔を見せると。長門は駆け足で建物の方へと戻っていった。
「説明、ありがとね」
「礼なんて欲しいと思ってませんわ。事の経緯は、私から皆様へお話しします。お2人はゆっくりと疲れを癒すと良いと思いますの。たしか、寮の部屋には空きが有った筈ですし」
「うん……本当にありがとう」
「よしてくださいまし、貴女らしくもない」
「さ。シャワーでも浴びて昼寝でもしよっか?」と鈴谷は直海に呼び掛ける。あんなことがあった手前仕方がないのかもしれないが、相当フル装備の長門が怖かったらしい。涙目になっていた彼女はゆっくりと頷く。
典子。本当、感謝してもしきれないぐらいだ。この大きな貸しと恩にどう報いるべきか…… 1か月ぶりに入る建物に近付きながら、鈴谷は直海に道案内をする彼女にそう思った。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
鎮守府の友人・同僚達は、鈴谷の想像から5割増ほどに理解力と慈愛に溢れていた。意外を通り越して、もはや不気味と言えるほどにすんなりと深海棲艦化した彼女を受け入れたのである。これも人付き合いを大事にしていた
ただ、体は休まっても、やはりそう簡単に心の疲れや悩みというものは抜けず。
既に時刻は夜中に差し掛かっていたのだが。鈴谷は、別段今日は暑い日だとかに関係なく、悩み事が祟ってか寝付けなかったために鎮守府の防波堤の上に居た。
「……とんでもないことになったなァ」、と口から自然と出てくる。自分のためにみんなが頑張っていると言えば聞こえは良いが、裏返せばこの鎮守府の人間は艦娘から工兵の一部まで、全てが深海棲艦を1匹
加えてここ48時間以内に起こった出来事は、生々しくも現実味がなくて。鈴谷には、夢の世界に来ているのでは?等という半ば現実逃避に近い考えも浮かんでいる。
熊野も言っていたが、これから自分はどうなるのだろうか。いきなり提督や那智が豹変して、自分が実験動物的な物として怪しい場所に飛ばされる……ということも、物事に絶対が無いなんていう通り、有り得ないとは言いきれない。
「…………」
その辺に落ちていた石を拾って、軽く水切り遊びをする。投げた物は、水面で3回跳ねてから沈んでいった。
目の前に広がる夜の海では、この時間帯に海上警備に出ている艦娘や船のサーチライトが散らばっているのが遠くに見える。ちょうど自分の座っている場所は喫煙所が近くにあるので、まぁ見つかったところで誰かがタバコを吸いに来ているぐらいにしか思われないだろう、なんてどうでもいいことを考える。
点滅したり、揺れたりと繰り返しているそれらを観てぼうっとしていると、頭の中が空になったように思えて。その感覚は、一瞬とはいえ悩みが消えたと同義のためか、今の鈴谷には心地よく思えた。
こうして無心で風に当たっていると、少しは眠くなってきた。さて、帰るか。そう思った時だった。
のっそりと立ち上がって体の向きを変えると。すぐ近くに人が居た。
その人物と目と目が合う。「「うわぁっ!?」」と2人の声が重なった。お互いこんな時間に、こんな場所で知り合いに会うとは思っていなかったのだ。
「び、ビックリしたぁ……なんだ
「こっちこそ!
居たのは、自分の教え子の一人の満潮だった。
腕時計で見て時間はもう午前1時半であったが、何でこんなところに来たのか、と鈴谷は自分を棚に上げて相手に聞いた。すると、彼女はゴミ拾いに来たと言う。あぁ、そういえばそんな仕事があったな、と鈴谷は一人で納得していた。本当は後日にやる教務だが、面倒だと思ってこんな時間にやりに来たという。
「ちょうどいいや。今暇だった? なら手伝ってよ」 満潮が言ってくる。鈴谷は長期療養扱いでどうせ暇なので、と引き受ける。
「本当にクソどもよね。ここにゴミぶちまける奴らは」
「タバコの吸い殻は仕方ないんじゃないの? そこの喫煙所なんて吹きっさらしだし」
「あぁ違う違う、ヤニ吸ってる奴なんて気にしてないの。あ! ほら、こういう中身入ったお菓子とか。意味わかんない!」
満潮はキャンプなんかで使う大きなトングで、見るも無惨な残飯を掴んで見せてくる。夜中なのにテンション高いな、等と適当に思っていたが、そんなもの落ちてるのかと鈴谷は顔がひきつった。
「誰がそんなの捨ててるのさもったいない……ここの人ってそんなにマナーなってないの?」
「ウチの奴らじゃないでしょ、十中八九はね。もしそうなら私がど突き回すわ」
「え、じゃあ誰が」
「客よ客。何が良いのか知らないけど、偉いのがしょっちゅう来るでしょここは。どうせあの仕事できなさそうな肩書きだけ人間どもに違いないっての。わざわざお菓子なんて食いに来てブン投げてくとか、幼稚な人間性が
ぶつくさと言いながらも黙々とビニール袋にゴミを詰めていく彼女に、今日も絶好調だな、と鈴谷は思わず噴き出した。人によってはこの暴言の嵐はかなりハッキリと好き嫌いが別れそうだが、割りとそちら側の彼女は共感できる事が多くて、この口が悪い女のことが好きだった。
満潮は散々に言いたい放題喋ったが、実のところそこまでこの堤防は荒れ放題というわけでもなく。2人がかりということもあり、掃除はすぐに終わる。
「手伝ってくれてありがと。袋はまとめて喫煙所に寄せとけって司令官が」
「投げに持ってかなくていいんだ?」
「うん、週末に清掃係が持ってくからって」
はぁバッチぃバッチぃ、と言いながら持ってきていたペットボトルの水で手を洗い。満潮がこんなことを言ってきた。
「……あのさ、気になることがあって」
「ん?」
なんだろうか? と思った次の瞬間には、鈴谷は渋い顔になった。
「そのウジャウジャ触っていい?」
ゆらゆらと動く触手を指差して彼女はそう言う。お前もか! と思う。「コレ」を見た人間は全員思うことらしい。わざとらしい大きなため息をついてから、鈴谷は口を開く。
「はぁ~……………満潮でもう28人目なんだけど」
「えっ、すごい大人気」
「もういいよ……好きに触ったら」
「じゃあ、失礼して」
鈴谷に表現させると、虫取りに来たガキンチョ並の興味津々さ、という様子で満潮は
今日、散々に触られて初めて解ったことだが。この触手、太い神経などは通っていないのか、感覚が四肢に比べると大分鈍いことに気付いていた。ただ、それでも体の一部を撫で回されていることに変わりは無いので多少くすぐったいが。
「うわっ本当にやわらかい。でぶっちょの
「直海ちゃんがね、ずっと抱き着いてくるんだよね。なんなら昨日なんて枕にされてたし」
「直海……直海……あぁ、あの女の子か」
ありがとね、と端的に礼を告げて満潮は触手から手を離す。
「もう一個、聞きたいことがあってさ。鈴谷、いい?」
「なぁに?」
「あの、今も言ってた直海って女の子から聞いたの。その、昨日色々あったこと……」
「ん~……なるほど」
一度深呼吸をしてから、何か決意を決めたように仕切り直して満潮が切り出す。
「私、口が下手だから素直に言うけど。何でその、あの辺りを火の海にした奴らを殺さなかったワケ?」
本当にハッキリ言ってきたな、と鈴谷は思った。満潮は続ける。
「貴女から直接話を聞いたって熊野からも聞いた。素手で艦娘の艤装を粉砕してアスファルトの地面にヒビ入れたって? まぁ確かに、見た目だけじゃなくて中身まで深海棲艦になったなら有り得なくはないのかな? って無理矢理納得したけど、今日ずっと気になってた。私なら力任せにぶっ殺してる所ね」
「……何だろう。……説教にせよパンチするにせよ、人間相手はな~んかブレーキかかっちゃうんだよね。カッとして、手、出すとかしょっちゅうあるクセに」
「茶化さないで。本当にそれだけ?」
物怖じしない姿勢の満潮の質問に、鈴谷は数秒ほど無言になった。胸に手を当てて考えて、ひとつだけ。心当たり、と言えなくもないものがあったので、話してみることにする。
「夢のせい、かな」
「…………何? 哲学的な話?」
「いいや。私的には大真面目」
海側を向いてその場に座る。相手の様子を見て同じ行動を取り、隣に満潮が座るのを見ながら鈴谷は続けた。
「私には夢があったから。まだ学生だった頃から見ていた夢が」
「看護師になりたかった、ってやつ?」
「そ」
「ふ~ん……そういえば何で看護師志望だったのか知らないんだけど。教えてよ」
「理由が2コあって」
体育座りで、膝の上で頬杖をついて目先のサーチライトの光を追いながら、鈴谷は思い出を語る。
「昔、子供の頃に観ていた好きなドラマがあって。タイトルは忘れちゃったけど、看護師役の役者さんの演技が、今でも忘れられなくてさ。」
「うわっありきたり」
「やっぱりそう思う? そのテレビに印象的なシーンがあって。主人公の父親が、飛行機事故に巻き込まれて怪我を負うの。現場に駆け付けた主人公は、それはもう慌てて避難と手当てを受けるように親に言うの」
茶々を入れつつも、満潮は相手の話に耳を傾ける。
「でも、父親は聞き入れないの。そして、自分の娘に『お父さん、医者だから。困っている人を置いて、休むわけにはいかない』って。子供のときに、あまりストーリーもわかってないクセに泣いちゃって。よく覚えてる。」
「お約束、ってやつか。お涙頂戴の展開だ」
「うん。私結構単純だからさ。そういうの大好きなんだ」
にやにやしながら冷やかす相手に、反撃として何とも思っていないと返事をする。満潮に「二つ目は?」と聞かれ、鈴谷は再度口を開いた。
「高校生だったときに、現役の解剖医の人が学校に来て講演をするっていうのがあって。それで知り合ったその先生の勧めで、実際の仕事の見学をさせてもらったのがふたつ目」
「解剖医……? 医療関係っても看護師とは関係なくない?」
「まぁそれは追々。血とか内蔵とか沢山見せられたけど……不思議と気持ち悪さとかは感じなくて。見たことない物を見るのは、すごい勉強になるなぁって。結構普通の人とはズレてたと思う」
「うぇ……人体模型の100倍グロいようなやつ見ても何ともなかったって? 凄いね鈴谷って」
「ふふ、まぁね。暇さえあれば見学行って、学校じゃ解剖学の本読んで。みんなからは不気味だって言われたなぁ。あいつ、ニコニコしてて愛想は良いけど、人をバラバラにする本を読んでるから気持ちが悪いって」
「私が同級生なら多分そう言うと思う」
「あぁ! 満潮ひどっ!」
ブラックな会話の中で2人は軽く笑う。
「ただ、やっぱり半年とかも陰口叩かれると結構キてさ。悩みを先生に打ち明けたら、なんて言われたと思う?」
「ん……………ん、わかんない」
「「君のような女の子は、正直、かなりの変わり者だと思う。だけど、同時に貴重な子だ。こういった物に耐性があることについては、誇れることだと思う」って。ちょっと嬉しかった。ちょっとだけね」
「………………」
「看護師を目指すからには、勉強も大切だけど、その先も大事。見るに耐えないような重症患者を見て寝れなくなるような人もいるこの時世に、そういったものに臆しない君なら活躍できるよ……だったかな? みたいなことをね」
一応、これで全部かな―― そう言って鈴谷は会話を締めくくった。
「医療従事者は、患者の側に優しく寄り添う存在だから……それを目指す私は、人を大切にする生き方を……精一杯、今までしてきたつもり」
「なるほどね。だから普段悪口はベラベラ出てくるのに、手が出ないわけか。てっきり喧嘩弱いとかそういう理由かと」
「そりゃ、気に食わない変なのには文句言いたくなるよ。でも手を出すのは本当に最終手段って決めてる……まぁ、うん。満潮の言う通り私らの居る組織って変なのしか居なくてフラストレーション溜まるけどね!」
満潮の顔を見ながら鈴谷ははにかむ。
言いたい放題の人間に釣られて自分もまたやりたい放題、好きなことを全部言ったが。結構スッキリする物なんだな、なんて思っていると。満潮は立ち上がって、大きなあくびをしたあとに話し始めた。
「ふあぁ……いいか。久し振りにお喋りできて楽しかった。明日休みだけど、眠いからそろそろ寝るわ。ありがとう、色々してくれて」
「おやすみ、別にいいよ、なんならまた違う日にでも私の武勇伝を」
「楽しみにしておくわ。おやすみ」
大きく伸びをしながら鎮守府へと歩いていった彼女の背中に手を振る。さあ。流石に自分も眠くなってきた。直海の所まで戻ろうか。鈴谷は就寝のために立ち上がり、軽いストレッチをやった。
現時点での戦闘能力=
長門>>熊野≧ネ級≧木曾=浜波>那智=(鈴谷)>>蒼龍>>>満潮