おぉ、我が姉よ   作:泥人形

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おぉ、我が姉よ_3

 

 『敵は沈んだはずの大和だった』

 本来なら一笑に付されるようなその言葉はしかし、聞き捨てられることはなかった。

 そう言ったのは他の誰でもない、大和の相棒だった女だからだ。

 疑う余地は無かった。

 ───いや、違うな。

 皆は疑おうとしなかったのだ。

 むしろ、その話を信じたがった。

 勿論、武蔵本人への信頼が高いということは一因であったが、この場合はもっと違う所に理由があったからだ。

 敢えて言うのであれば、藁みたいな希望にすらすがりたい気持ちであった、といった辺りであろうか。

 結局皆、過去を忘れることも出来なければ、悔いを忘れることも出来ず、ズルズルと思い十字架を背負った気分でいたということである。

 ───僕を除いて、ではあるが。

 そもそもの話、姉が死んだという現実自体に現実感を見出だせていないが為に、似た立場へ近付こうとしている僕である。

 それが実は生きていました、と言われても正直反応に困るといったところだった。

 いや、勿論生きているのであればそれは嬉しいのだ、それだけは間違いない。

 死んでいるよか、生きている方がずっと良いのは当たり前だ。

 ただ、僕等は死に別れる前から既に何年もあっておらず、何だか会わないことが普通になっていたことも加味されてか、非常に曖昧な気分だった。

 だからだろうか、皆が希望を見つけた、とでも言わんばかりの期待に胸を膨らませる中、僕は何となく居心地の悪さを感じていた。

 皆が僕を見るたび「必ず連れて帰ってくるからな」と、力強くかけてくる言葉に何と返せば良いのかすら分からなかったのだ。

 提督が向ける潤んだ瞳に、少しばかりの罪悪感すら抱いた僕は、それから逃げるように武蔵に問いかけた。

 適当に言った言葉だった。

 「何で大和だって分かったんだ?」なんて口の中で生まれたような言葉に、武蔵は少し困ったように首を傾げた。

 そしてそれからゆっくりと笑って「お前も見れば分かるだろうさ」と言った。

 背中を電流が走ったかのような気持ちを覚える。

 そうか、そうだな、その通りだ。

 回りくどいことなんかしないで、実際に会えば手っ取り早いじゃないか。

 そうして僕は飛び出した。

 感情の赴くままに、海へと飛び出した。

 

 

 陽の光に明るく照らされた、緩やかな流れの海にそれはいた。

 迷うことは無かった、一目で分かるくらいそれは人外の()()()だったからだ。

 肌は絵の具で塗られたみたいに真っ白く、袖を通している服と装備は吸い込まれるような黒。

 色を抜かれたように彩りのない髪の毛は一つに結ばれていて、瞳は紅く輝いている。

 海上をぼんやりと、ゆっくりと滑るように我が鎮守府へと向かってきていた深海棲艦と目があって、その瞬間そいつ───姉と僕は、互いを認識した。

 一目で分かった。

 雰囲気とか、見た目とかじゃなくて。

 僕にはアレが姉であると、何故だか理解出来てしまって、その変わり果てた姿に僕は何故だか()()()()()()()

 おかしな話だ。

 散々現実味が湧かないの何だのとほざいておいて、結局僕は目をそらしていたかっただけなのだと痛感する。

 常々抱いていた姉への申し訳無さを何とか正当化させようと必死になって言い訳を積み重ねていたことを自覚する。

 一度姉の姿を見ただけでこれである、何と愚かで何と脆弱な精神だろうか。

 ボートのスピードを落としてゆっくりと接近する、姉も同様に、更に速度を落として僕に近づいてきていた。

 備え付けられている無線機から激しい声がするが、全ては耳を通り抜けていて、僕は先頭に立って姉を見た。

 姉もきっと、既に僕のことを弟であると理解している確信があったからだ。

 気味の悪いくらい白く染まった腕で、姉は僕を抱きしめた。

 身体はほんのりと、暖かい。

 姉は真紅の瞳をつむり、「コレカラモ、ワタシガ、マモルカラ」と片言気味に呟いた。

 ───本当に、この人は。

 

「姉ちゃん」

「ダイジョウブ、オネエチャンガ、マモルカラ」

「姉ちゃん」

「シンパイハ、イラナイカラ」

「姉ちゃん」

「オネエチャンニ、マカセテ」

「姉ちゃん!」

「コワイオモイナンテ、サセナイカラ」

「姉ちゃん!!」

「オネエチャンガ、ゼッタイ────」

「姉ちゃん!!!」

 

 ───頼むから、聞いてくれ。

 弱々しくなってしまったその言葉は、しかし姉の耳にはやっと届いたようで、ゆるりと腕が解かれた。

 震える心をそのままに、僕は前を向く。

 

「姉ちゃん、よく見てよ。僕、もう二十歳超えたんだぜ? そろそろ姉ちゃんの歳に並ぶんだ」

「………………」

「だからさ、もう大丈夫なんだよ。僕はもう、守ってもらわなくても、大丈夫」

「モウ、ダイジョウブ……?」

「そう、大丈夫。もう、大丈夫なんだ。僕はもうひとりでも、生きていける」

「ヒトリ、でも?」

「うん、うん。だから、もう心配はいらないよ」

「ソンなノ、無リダよ」

「無理なんかじゃない。僕は姉ちゃんの弟なんだから、大丈夫」

「ホン、当に?」

「うん、本当に。いい加減、信じてくれよ。過保護かよ」

 

 徐々に姉は、その姿を元に戻していっていた。

 色素の抜けた髪色は綺麗な黒に戻っていて、肌は赤みをましている。

 真っ黒な装備はガチャリと海に沈んでいた。

 元の色に戻った瞳からは、薄っすらと涙が流れていた。

 

「だって、私は、お姉ちゃんだから。お父さんと、お母さんに、貴方を育てきるって、誓ったから」

「それなら、もう果たされた。僕はもう、酒だって飲める歳なんだ」

「でも……」

「でも、もクソもあるかよ。もう心配はいらないから」

 

 だから、もう休んでくれ。

 そう言った僕の眼からは涙がこぼれていた。

 姉をここまで追い詰めたのは、僕のせいと言っても過言ではない自負があったからだ。

 そんな僕を、姉はゆっくりと抱きしめる。

 

「私の知らない内に、とっても優しい人に育ったね」

「身内に馬鹿みたいに良いお手本がいたからな」

「へへ……何だか、照れちゃうね」

「褒めてないからな」

「残念ながら、褒め言葉にしかなってないからね?」

 

 まぁでも、安心できた───いや、させられちゃった、かな。と姉は呟くように言って、僕の身体を離した。

 それからワシャリと頭を撫でて、そして姉は僕に背中を向けた。

 僕は何だか不安になって声をかけたが、姉は気の抜けた返事をしたままこちらを見ない。

 嫌な予感がする、不意に思って僕は何とか身を乗り出したが姉はふらりと避けて、遠ざかる。

 

「どこに行くつもりなのさ」

「どこにも行かないよ、お姉ちゃんはいつだって、──の中にいる」

 

 そう言って姉は僕を指す。

 涙で濡れた形跡のある姉は、それでも少しだけ微笑んだ。

 吐き気にも近い悪寒が、僕の心を通り過ぎる。

 振り払うようにもう一度姉を呼ぼうとして、それは起こった。

 姉の姿が、ぼやけていく。

 さながら泡になるように、輪郭がボヤケて解けていくのだ。

 思わず言葉を失う僕を、姉が呼ぶ。

 からかうような声音で、僕に言う。

 

「もうひとりでも、大丈夫なんでしょう?」

 

 ドクンと心臓が鳴った。

 反射的に交わす言葉はこれで最期になると、そう思った。

 けれども口にしなきゃ後悔するとも感じれた。

 だから、僕は言う。

 

「当然だ、姉ちゃんの分まで、立派に生きやる。百年くらい先で待ってろよ」

 

 姉はほっとしたように笑って

 

「ばいばい」

 

 と、そう口だけ動かして、そしてその姿を綺麗に解かした。

 

 

 

 

 

 

 




終わり!

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