「「「いらっしゃいませ!『クライン・グリュック』へようこそ!何枚様ですか?」」」
クライン・グリュック。
『小さな幸せ』の名前の通り、その店には日常的な幸福があふれていた。
……メイド、巫女、デュラハンなどなどそれぞれが違う衣装を着ているが、決してここはそっち方面のいかがわしい店ではない。
来る客皆、最後には腹をさすって幸せそうな表情で去っていく。
それは、とある没落貴族が営む、朝、昼、晩でそてぞれ違う顔をするレストラン。
あなたにひと時の幸せを。
レストラン『クライン・グリュック』、もう間もなく開店です。
※この作品はお試し版です。
4月21日、12時に投稿予定。
「汚ならしい平民め!出ていけ!」
「きゃっ!」
真夜中の貴族邸から、五歳ほどの一人の少女が追い出された。
くるる、と少女の腹が鳴る。
「お願いします領主様、どうか食べ物をお恵みください!」
『なんど来ようと同じだ!領主様は【働かざる者食うなコノヤロウ】を美徳としているのだ!』
扉の内側から、くぐもった声が聞こえる。
少女には、親がいない。
彼女に残されたのは、たった一つの自らに課せられた運命の産物、未解禁の職業だけ。
【貴族騎士】の職業を持つ門番は扉の内側から追いやるように、槍で扉を叩いた。
ドンドンと鳴る音に肩を震わせ、少女は恐ろしさのあまりに涙を堪える事ができなくなってしまう。
しかし、目の前には貴族の屋敷。
大声を上げようものなら死罪もあり得なくはない。
親のいない不安と空腹からなる涙をなんとか押さえこもうと少女が奮闘しているとき、
「……いいにおい」
屋敷の裏から漂う香りに少女の涙はあっさりと止まってしまう。
まだ春先で地面に残る雪を踏み、現れたのは───
「こんにちは。あ、いや、こんばんはだ。うん、こんばんは」
年齢が少女と同じくらい、もしくは少女よりも一つ二つ上の柔和な笑みを浮かべる少年だった。
少年は「床で悪いけど」と謝りながら、手に持ったお盆を新雪の上に置く。
少女が意味もわからず目をぱちくりしていると、少年は自らも雪の上に座る。
「実は僕も、今日の晩御飯をあまり食べてなくてね。君がドアの前でごはんをねだるものだから」
「すみ、ません……」
「いいよいいよ。ごはんは後で食べれば良いのだし」
袋の中からパンを取りだし、お盆の上のコーンスープと共に少女に差し出す少年。
「え……?」
「僕と、ごはんを食べてくれませんか?」
「え、えぇ!?そんな、恐れ多いです!」
少女は恐る恐るといった表情で口を開く。
「───次期領主、アロナックス・シュタインゲート様……」
柔和な笑みを浮かべる彼の名はアロナックス。
悪徳貴族と評判高いシュタインゲート家で珍しい善良の塊、この国で毎晩飯の無い子供たちが餓え死なないのは彼が毎夜毎夜家から料理を持ってくるからである。
「遠慮はしなくていいからね?僕もごはんを食べるんだし。あと、名前もアロンで結構。いただきまーす」
「あの、その……」
右手にパンとスープを持ちながら左手で自らの食事を口に運ぶアロン。
「うん、おいひい。……まだ?」
アロンの右腕が痙攣をし始めたのを見て、少女は慌てて食器を受けとる。
コーンスープの香りが湯気と同時に少女の鼻をくすぐり、今まで突然の事で忘れていた空腹が目を覚ました。
くるる、と可愛らしい音が響く。
アロンは赤面する少女に笑いかけ、パンを一口かじり、
「お食べ。誰かと一緒に食べる料理が一番美味しいんだ」
とだけ言った。
アロンの慈悲を受けたものは、この街のスラム街にはもういないのではないだろうか。
それでも、この夜に餓えに苦しむ人がアロンの元を一気に訪れないのは、救ってくれたアロンに迷惑をかけてしまうから。
この街の民は、彼に迷惑をかけてまで、己の空腹を見たそうとはしない。
領主としての天性の才能が、街の人々の信頼を寄せ集めているのだ。
「どう?美味しい?」
「はい……!とっても……!」
通常、極限で餓えた者はいきなり食事を与えられても胃が受け付けない。
だが、少女はあっというまにそれを平らげてしまった。
理由は簡単、アロンによる細工である。
厨房の料理を後から手を加え、胃が弱くてもさらりと食べられるように細工をしたのだ。
「それはよかった。じゃあ、ごちそうさまでした」
「ごっ、ごちそうさまでした!」
貴族の息子らしく作法にならって手を合わせるアロンにならい、少女もややぎこちなくではあるが手を合わせる。
そんなほっこりする一連の光景を、眺めている者がいた。
「アロンめ……。あれだけ平民に食事を与えるのは止めろと言ったのに……。職業を持ってない者が楽をするべきではないのだ」
デイルズ・シュタインゲート。
【商人】の職業を持ち、表では鉱石を、裏では奴隷を売っている名家の主である。
シュタインゲート家は昔、大魔法使いに狐獣人の奴隷を売った経歴があり、その大魔法使いによる太鼓判から今も貴族から『奴隷売買といえばシュタインゲート』と呼ばれるまでになった家だ。
「……ふう。まぁ、所詮は子供の道楽か。アロンは何の職業を開花させるだろうか。私と同じ上級職の【商人】か、【竜騎士】であればハクがつくな」
その名残か、使えない人材は下に見る傾向がデイルズにも残っており、その分アロンに期待をしていた。
……風で舞い上がった雪が、窓に張り付いて溶けた。
◇
あれから10年が経った。
「いらっしゃいませ、『クライン・グリュック』へようこそ!何名様ですか?」
「お一人様でーす」
「あちらの席へどうぞ!」
垂れた犬耳メイドの少女が銀のお盆を片手に、やってきた客に席を進める。
「ありがとうございました!またお越しください!」
どこか和装の少女が会計を済ませ、帰りゆく客にお辞儀をした。
「シェフの気まぐれサラダの中身?あ、ですか?えーと……。すいませーん!これ何が入ってるんすかー?」
「マンドラゴラの根っことレタス、キュウリ、すりおろしたニンジンでーす!」
銀髪に三白眼の素行の悪そうな女が厨房に声をかけ、厨房ではなく犬耳メイドが声を張り上げる。
意外と仕事はきっちりやるタイプの少女が懇切丁寧にサラダの説明をしているところに、1人の客が声を上げた。
「真紅牛のステーキセットくれ!」
「えっと……。はい!厨房、ステーキセット入りまーす!」
そして。
見事なナイフ捌きで牛肉を集めにカットし、魔法を使って炎で炙り。
「分かりました!」
柔和な笑みを浮かべた青年が、声を返した。