フランドール・スカーレット(仮)に憑依したけどアイドルになったから歌うことにする 作:金木桂
ボクは?
カワイイ!
アイドルって何をやるんだろうなあ、と。
アイドルになった私が初日に考えたことがそれだった。
初っ端からライブとかCMとか、ましてや番組とかそういう仕事が貰えるはずもない。私はアイドルはアイドルでも超駆け出しなのである。だけど無意識でアイドルって単語に絢爛なイメージを結び付け過ぎていたのかもしれない。
んで。
一週間経過した私からすればその答えは容易に出せるようになっていた。
───レッスンレッスンレッスンレッスン、もっかいレッスン!
とにかく練習塗れなのだ。年齢以上には胆力があると自負している私でも引いちゃうくらいには。なんだろう、想像以上に地道だった。
そんな私の一日は朝起きてランニングを行うことから始まる。トレーナーから「お前は体力がとにかく足りない」と言われた私は家でも出来る体力トレーニングとして朝ランニングを始めたのだった。正直めっちゃ辛いけど大事なのは臥薪嘗胆の心である。
ランニングを終えると家事をして、レミリアお姉様の愚痴を聞きながら朝食を食べる。その後学校に行って一人で退屈な授業に身を馳せる。放課後になればその足で346プロのビルに行ってレッスン!……何だかレッスンって言葉を思い浮かべるだけで憂鬱になってきちゃった。
まあこんな日々がこれからも永遠と続くと思うと気が滅入る話ではあるけどそこは老舗大企業の346プロ、人のやる気を削ぐような世知辛い話だけじゃない。
下野Pによれば、まず今やってる346プロに所属するアイドルの全体曲を覚えたら個人曲のレッスンを始めるらしい。それもそんな遠い話じゃないようだ。
「にしても歌は捨てていいからまずはスタミナ付けろって言ってもなぁ」
朝ごはんのパンを焼きながら思わずボヤく。
歌音痴なつもりはなかったんだけどやっぱりプロからすればお粗末なものだったんだろうなぁ。自信あったんだけどなぁ。落ち込む。
ともあれ、スタミナである。今必要なのはスタミナなのだ。
「やっぱタンパク質豊富なものとか摂ったほうが良いのかなぁ?」
「フランおはよ〜」
眠そうに欠伸をしながら朝ごはんを品定めするお姉様に「おはよ」と返しつつ、昨日言われたことを思い出す。
「今日はこれから九州だっけ?」
「ええ、そうよ。1泊2日の地方ロケだから今日は帰れないのよね……偉い偉いしてフラン」
「はいはい偉い偉い」
「うわ〜我が妹ながら雑」
いや朝からダル絡みされても面倒だしそりゃそうなるよ。
……そう言えばこの姉も腐ってもアイドルだ。食生活の秘訣とかもしかしたら知ってるかもしれない。
「お姉様。アイドルになってから何食べてるの?」
「藪から棒にどうしたのよ?」
「いや私、アイドルになったけど体力が全然無いじゃん。だから食生活とか抜本的に見直す必要あるのかなあって」
「必要ないわよフラン。私だって最初はそうだったもの。大事なのは日々のトレーニングよ」
食パンを片手にワイングラスを傾けるお姉様に久々に一日の長を感じる……!ワイングラスの中身ただの水道水だけど。
確かにお姉様のご飯を作ってるのは私だ。今でこそ多忙に連れてその頻度は少なくなってきてるけど、それでもこの2年間ずっと作り続けてる。
「な〜る。じゃあ尚更トレーニングサボれないね」
「まあ頑張りなさいな。その頃は私も大変だったわ」
天蓋を貫いて燦々と射し込む陽の光が部屋を明るく照らす。
今日は一日通して晴れのようだ。
ーーーーーーーーーー
私は音に合わせてステップを踏んでいた。
想像するのは湖畔に立つ白鷺。優雅に、それでいて流麗で淀みない川のせせらぎみたいに身を溶かす。どれだけ踏んでも舞っても水面は揺れずに月を投影している。
ぱちゃり。
一歩、ステップを間違えると飛沫が舞う。月影は儚く揺ぎ、僅かに私は湖に沈んだ。
ぱちゃりぱちゃり。
栓が抜けたように私は間違えを続ける。既に足元は見えず、膝上まで水に浸かった。否、沈んでしまったのだ私の身体は。
蜘蛛の巣に引っ掛かってしまったモンシロチョウみたいに憐れに抵抗を続けるが、すればするほど水飛沫はバシャバシャと上がり続け、身体はズブズブと何者かに湖底から引っ張られているみたいに沈む。水に動きを奪われ身体は思うように働かず、まるで全身が金属製になったみたいな疲労感すらあった。
ついには水面が顎下まで達した私は、それでも最後まで諦めじと踊り踊り───。
「───今日はこれまで。各自クールダウンをするように」
トレーナーの言葉に「ぷはぁっ!」と情けない息を吐いて、私はふにゃふにゃりと倒れ込んだ。
本格的に始まり一週間、私はレッスンに全くついて行けてなかった。
体力が無いのもあるけど、何より身体のキレに精彩が欠けている。運動不足に加えて運動神経まで不足気味とかこれは如何に。
でも隣にいる女の子も私と同じように倒れ伏してバタンキューとなっちゃってるのでもしかしたらこれが普通なのかもしれない。うん、普通。……やっぱり私たち、どっちも体力が無いだけでは?
「ぜぇ、ぜぇ……!幾らカワイイボクのレッスンで張り切ってしまったとは言ってもこれはキツ過ぎますよ!」
「そうかそうか。ならもっと張り切ってしまっても構わないな輿水?」
「カワイイボクの踊っている姿をもっと観たいのならそう言ってくれれば───じょじょじょ冗談ですよ!?冗談ですからカセットラジオの再生ボタンを押そうとするのは止めて下さい!」
人差し指をカセットラジオのボタンに当てていたトレーナーは残念そうにその指を退かした。これは冗談を言った方が悪い。私なんてそんな言葉を発する余裕すらないのに、やっぱり彼女の方が体力が多いっぽい。
輿水幸子がこのレッスンに加わって二日目。
どうにも私がスカウトされるちょっと前に346プロでアイドルオーディションがあったらしくて、つい先日その合否が郵送されたばかりらしい。それで幸子は合格通知を見てすぐに鉄砲玉みたいにここへ来て346プロのアイドルの寮に入ったとのこと。またこれからもレッスン人数は増えていくんだろうね、人が増えるのは良いことである。因みに他にもう一人、既にレッスンに入っている人もいるそうだけどそっちの方は出会ってない。噂では大人、らしい。
まあそれはさておき。
今までは私とトレーナーだけのマンツーマンで地獄みたいな時間だったけど、昨日からスケープゴー.......じゃなくて幸子が増えたおかげでトレーナーの指導が分散して何とか多少楽出来るようになれた。でもキツいのは変わりない。だって根っこが引きこもりだもの。
「フランさん聞いてくださいよ!トレーナーさんが可愛さのあまりボクを虐めてきます!まあ可愛いから仕方ないですけどね!」
「トレーナーどうする?」
「ああ、明日のレッスンはもっと可愛がってやろう。可愛いから仕方ないよな?」
「うわわわっ!カワイイもの虐め反対!僕には及ばなくてもかなり可愛いフランさんもこちら側についてください!」
「トレーナー、明日は私もコーチ側に回って良い?」
「一週間の長はあるからな、特別だぞ?」
「裏切りましたね!?フランさんの孔明!」
それは捨て台詞なのだろうか……?
諸葛亮孔明。確か劉備とその子に生涯仕え、君主と同じく仁義を重んじた軍師だった……と評されているがその実正史では非人道的なエグい権謀術数も厭わず行った蜀の大物である。
……なるほど、こんな分かりにくい罵倒をするなんて幸子も酷い女の子だ。食糧不足で兵士のご飯に人肉を混ぜたとされる魏の軍師である程昱よりはマシだけど。さておき、幸子は意外にも私と同じで読書家なのかもしれない。
トレーナーは「じゃあ明日も休まず来るように」と学校の先生みたいな事を言うと部屋から出て行ってしまう。去り際に口元が少しニヤリとしていた気がするけど.......ま、気のせいか。
「フランさん酷いですよ!?ボクを売りましたね!?」
「私はお金は貰ってないわよ?」
「ものの例えです!幾らカワイくてもボクを売るのはダメですからね!」
「うーん、……考えとく!」
「満面の笑顔!くぅっ!僕には敵わないですがカワイイ!」
この子の世界はカワイさを基準にして動いているのかな。
私は床に座って足を前に伸ばす。長座である。
「幸子ー。それより背中押してー」
「それよりって……まあ良いですけど。後でボクにもお願いしますね」
「うぃ」
幸子は私の背中を押し始める。レッスン後の柔軟体操なのだ。こういう丁寧な体調管理がアイドルには必要だったりする。特に私とかはあまり運動してこなかったからこまめに身体を労わらないとすぐ何処かおかしくしちゃいそうだしね。
「あの、ちょっと気が抜けすぎじゃありません?アイドルがそんな返事したらダメですからね?」
「えーっ、面倒臭いの。じゃあ私こういう、怠惰な感じのキャラでアイドルやってこうかなあ」
「ダメですって!折角ボクレベルではなくてもカワイイんですからちゃんと自分の魅力を発揮しましょうよ!」
と言われても。
私もあんまり個性ないからなぁ。一応下野Pに提案だけはしてみたけど通るとも限らないし、すると私はただの引き籠り気味の女子小学生のフランちゃんになるのである。うん。幸子の半ばナルシスト染みた個性が羨ましいのだ、まる。
幸子にグイグイと押されること5分、選手交代の時間である。今度は私が押す番だ。
「じゃあ幸子、押すわよ」
「ゆっくり丁寧に、丁寧にですよ!」
「はいはい分かった分かった」
私はゆっくりと手で背中を押していく。……アレ、思ったよりも柔らかい。これならもっと行けそうな気がする。更に押す。ついでに胸を背中に当てて身体の全体重を幸子に掛ける。
「……って痛い痛い痛いですよフランさん!?ボクがカワイくなくなちゃったらどうするんですか!それって世界の損失ですよ!」
「大丈夫だよ。柔軟で人は死なないから」
「そういう問題じゃないです!もっと優しくして下さい!」
「幸子の背中って暖かいね。ポカポカしてて日向みたい」
「言葉を優しくされても身体は限界を超えて曲がることはイタタタタタ!?」
注文多いなぁ幸子は。
望み通りに力を抜くと、ふにゃ〜と気が抜けた声を出した。猫か。
クールダウンを終えると、幸子と一緒に死に体でトレーニングルームを後にする。更衣室で着替える前に風呂入ろうかな。
「幸子ーお風呂入らない?今なら貸し切りだよ、多分」
「良いですね!お風呂もボクのカワイイ姿を見たいとばかりに呼んでいます!」
「断じてそれはないと思う」
「ちょっと否定の仕方が強すぎません!?」
そりゃ幸子だし。会って二日目だというのに何だか大体幸子の扱い方が分かったかもしれない。
「じゃあお風呂入ったらどうする?」
「ボクは帰りますよ?帰ると言ってもスグそこにある寮ですけど」
「そう言えば幸子って一人暮らしなんだっけ」
「フフーン!家事とかも一通りできますよ!」
「えっと……凄いね」
「何ですかその微妙そうな表情!?」
だって私もそのくらい出来るし……。
何だったら無駄に大きな自宅を管理してるのもほぼ私だ。ただ、これからはそんな管理人みたいな事をしてた私も忙しくなるし……どうしようか?お姉様に手伝って貰おうにもアイツ何も出来ないし。あーあ、こういう時に有能なメイドが欲しいわ。
「まあいいや。幸子ってじゃあ暇なんだよね?」
「その物言いには納得行かないですけど……まあそうです。こうして一人で過ごしてみて初めて知ったんですが、家に帰っても誰もいないというのはこんなにも寂しいものなんですね」
幸子はそう言って笑った。
そうだった。良く考えたら幸子、未だ12才じゃん。小学6年生じゃん。なんで一人暮らししてるんだこの子。
「……良かったら私の家泊まる?」
「……カワイイボクを家に招きたいのは分かるんですけど、いいんですか?」
「どうせ私の家も今日誰もいないし、もしいたとしてもお姉様かプロデューサーくらいだわ。そんなの空気よ空気」
「空気って……プロデューサーさんも不憫ですね。まあいいでしょう!ボクがフランさんの家にカワイイを振りまいてあげますよ!」
「カワイイを振りまくって良い表現だね!まるで火災用スプリンクラーみたい!」
「その例えはカワイくないです!却下です!」
……と言うか今何となく誤解が発生した気がする。主にプロデューサーってあたりに。まあいっか。
「ふと思ったんですけどフランさんって何才でしたっけ?」
「設定上仕方なく10才だよ」
「設定?」
「本当は495才なの」
「あからさまに嘘じゃないですか!」
一応そういう風に売ってくつもりなんだけどなぁ、私の中ではだけど。
「と言うかちょっと待ってくださいよ!?10才なんですか!?」
「アレ?言ってなかったっけ?」
「知りませんでしたよ!大人っぽいからてっきり見た目は小さくても年齢は上なのかと!」
「幸子がガキっぽいだけだよ」
「ホント時々口悪いですよね!」
そんなこと無いって。私超良い子だもの。問題とか一回も起こしたことないし。
「まあここはお姉さんとしてボクは快く許してあげましょう。ふふーん、今この瞬間からフランちゃんと呼んじゃいますよ」
「じゃあ私も小林って呼ぶわ」
「違いますよ!?絶対にやめてくださいね!?」
相変わらずオーバーだなぁ幸子は。冗談なのに。
窓から仄かに望める星明りに夜を実感しつつ、私は暖簾を潜る。
ここ346プロ別館には様々な福利厚生施設がある。先程までダンスを教わっていた場所であるトレーニングルームやボイストレーニングをする為にあるレッスンルーム、更にエステルームや娯楽室まであるのだから驚きだ。今いる浴場もその一つで、346プロの社員なら誰でも使える。でもまあ、男子風呂はともかく女子風呂は恒常的に使ってる人が少ないようで私が行ったときも多くて2人とか3人くらいしかいない。大浴場が嫌なのかもしれない。さておき、つまり穴場ってことなのだ。
「ふわわ!おっきいですね〜!」
幸子は感嘆するように口を大きく開いた。
同時に50人以上は余裕で入るだろう。大きなホテルとかで見る大浴場のサイズだと思う。それでも普段入浴してる人数がアレなので、ちょっとこのお風呂が不憫に感じてしまうのである。
既に何度か入っている私は置いてある物に特に迷うことなく普通に身体を洗い流し、髪の毛を洗う。
にしてもシャンプーやヘアーコンディショナーも見て分かるほど高いのが何気無く置いてあるあたり、やはり346プロは老舗大企業だなぁと改めて実感してしまう。それともあまり使う人間がいないから置いてあるのか……まあ使えるんなら何でもいいけど。
丁寧にリンスを落とすと、ぱちゃぱちゃと湯船に足を進める。
1分くらいのほほんとしていると幸子もやってきた。
「フランちゃん早くないですか?」
「いつもこんなもんだよ?まあ慣れてるし」
と、不意に目が胸元に行く。
……無い。皆無ではないけど、侘びしさを感じるくらいには無い。故に幸子の胸は侘助。
「あのフランちゃん?ボクがカワイくて見惚れるのは分かりますけど何をジッと見ているんですか?」
口を尖らせて追及しようとする幸子はほっといて、ふと少し離れたところで私たちと同じようにお風呂でゆったりしている女の人に私は目が行く。女の人、というか目が行ったのは更にその一部分。野外ライブも斯くやと盛り上がってるその部位。
「……富士山と高尾山、かな」
「失礼過ぎません!?」
あれ、視線の意味に気付いてたんだ。
「ボクだってまだ小学6年生ですよ!成長期は全然これからで、即ちボクは今以上にカワイくなることを確約された宝石なんです!」
「うん、幸子は伸びる伸びる」
「適当!?」
まあ実際この年齢だと成長の個人差もあるし、本当に何とも言えないところではあるけど個人的には控えめのままお淑やかに現状維持してもらいたいよね。そっちのほうが面白そう。
なんて思っていると、さっき幸子との比較対象にしてしまった女の人と目があった。
未完まであと一話。
こうして読むと読み返すと分かりにくいネタが多いですね…。