あの、月の綺麗な日の陽だまりの中で(仮題) 作:RyuRyu(元sonicover)
──誰もいない、静かな場所。大好きで、大嫌いな場所。
──恥の多い生涯を送ってきました。
去年の夏休みの読書感想文で読んだ本の冒頭が確かそんな感じの文から始まっていた。
物語は、確か、自分の本心を悟られまいと道化を演じた男の半生を描いた私小説風のフィクションだったか。
去年の俺はその本を読んで、主人公の堕落していく様子と『学校』という社会の
曰く、中学二年生の分際で学校の何たるかを、社会を舐め腐ってるんじゃないかと。
そのうちの担任の教師は、割とガチで俺の精神面を心配して個人的に半ば無理矢理に心理カウンセラーを紹介してきた。大きなお世話である。
俺──赤崎飛翔は中学一年生の時に両親を亡くした。結婚二十周年を記念して家族でとある国に家族で旅行した時に、テロ事件に巻き込まれて俺を庇って死んでいった。
以来、俺は三人で過ごしたこの家に一人で住んでいる。
中学三年生になって早一ヶ月。広い家で一人暮らしを始めて約一年半。決まった時間にベッドから這い出し、オーブンレンジでこんがり焼いたトーストにバターを塗ってかぶりつく。ボサボサに伸びた髪の毛からぴょこんと跳ねた寝癖を直しながら、のそのそと制服に着替えて学生鞄を肩にかけて家を出る。歩いて十数分、この通い慣れた道も今年で最後だと思うと少しだけ寂しくなる、ような事は決して無い。そんなセンチメンタルな感情は持ち合わせてない。
時は移りゆくもの。過ぎ行くを惜しむより、先を見据えて行動する。それが俺のモットーだ。
学校に近づくにつれて同じ制服を着た男女が多くなる。
後ろから誰かが走ってきて声をかける。
すると前を歩く奴が反応してこちらを向く。
声をかけた人は俺を通り越してそいつへ駆け寄って共に俺に背を向ける。
俺がいなくても成り立つ朝の一風景。むしろ俺がいない方が様式美として成り立つ。
この世界、主人公は自分自身という最早テンプレと化した言葉があるが、少なくとも俺は自分の人生の主人公は俺であるはずがない。
だから、だからこそ、俺はこの物語からいち早く離脱したいと常々思う。
◆◆◆
学校では、俺は空気になる事を望む。
目立ちたくないし、目立たれたくもない。
だから、教室に入って向けられる、様々な感情が篭った同じクラスの奴らの視線や、俺の机の上に置かれた、彼岸花が生けられた花瓶にも特別感情を、表情を変えることは無い。
授業中も俺に対する扱いは変わらない。
消しゴムの削りカスを投げられるのはいつもの事、先端を硬くした紙飛行機や不要なプリントをガムテープでぐるぐる巻きにしたボールを頭を狙って投げてくる時もある。
教科書を開けばいつやったのか油性ペンでぐちゃぐちゃに塗りつぶされているし、ノートには罵詈雑言が全ページに渡って書き連ねている。ご丁寧な事で、本当にいつやったのか俺が知りたいくらいだ。
教科担当の教諭は全ての問題の答えを俺に求め、立たせ、黒板に書かせる。特に国語は、明らかに大学の入試問題レベルの記述問題を授業の半分以上を使って解かさせたりされた。もちろんその間も、後ろから紙飛行機は飛んできたが、その教師から咎める声は何も無い。担当教諭の出す問全てに答えていたら自然に学力が上がって、二年生の学年末テストでは見事学年一位を獲得した。
そしてそんな無駄な事をさせるものだから俺の所属するクラスの国語の成績は全員が軒並み低評価となり、国語の担当教諭は減俸処分になったという。なんというか、可哀想な話である。
そのおかげでそれまでの行為がエスカレートしたのは言うまでもないが。
そうやって、全ての授業を欠席せずに受けて放課後、持参した靴袋の中身を外靴から上履きへと変えて帰路に着く。もちろん常識的に下駄箱は使わない。今頃は牛乳の染み込んだ雑巾にキノコが生えているだろう
いつもは真っ直ぐ家に帰るのだが、今日は何故かそういう気分にならなかった。携帯を見ると、なるほどそういう事か。
──今日は、両親の命日。父さんと母さんが死んだ日だ。
たまには寄り道して帰ろう。それで花でも買って家の仏壇に手向けてやろう。そう思うくらいには二年生の秋から続く行為に嫌気が差してきたのかもしれない。それくらい、許して欲しい。
ただし同じ制服を着た奴らに目撃されては寄り道しても気晴らしにはならない。そう考えた俺は学校から少し離れた駅へと足を向けた。
電車に揺られる事数十分。
俺は知らない駅に降り立っていた。車内で寝てしまったのがいけなかったのかもしれない。
今から引き返そうか。
黄昏時の空を見てそう思った時、雑踏に紛れて駅のアナウンスが聞こえてきた。
『──18時34分頃、○○駅で人身事故が発生した為、只今全線で運転を見合わせております。運転再開は20時50分頃を予定しております。繰り返し、お知らせします-』
ああ、きっとこの人の人生はこの人が主人公なんだ。
だから、この人は自分の物語に幕を自ら引いたんだ。
──弱い人だ。
自分が人生の主人公だと思うから、意識してなくとも脳の片隅でそんな事を認識しているから、自分に対して絶望なんてするから自ら幕を引くという決断ができるんだ。
翻って、俺はどうだろうか。俺の人生には終わりがない。主人公がいないから。幕を引く必要がないから。それとも、もう絶望しきっているからなのか。
そんな事を考えているうちに、何だか電車を待って家に帰るのも馬鹿らしくなったので、改札を抜けて、ぶらぶらと、薄暗い街を散策してみる事にした。
ふと、気になって、改札を抜けた先で駅名を確認した。特に確認して何になるかと言ったら何にもならないけど、自分の本能に従って確認してみた。
──『椚ヶ丘駅』
うむ、初めて見る名前だ。
でも、こういった初めての街でこその発見や出会いがあるのではないか。
「……はっ」
自嘲的な笑みが零れた。
なんなんだろうな、俺は。そうやって変な所で変な希望を持って。馬鹿なんじゃねぇのか。
未だ自らを蔑むような笑みを浮かべながら、俺は夜の椚ヶ丘の街へ繰り出した。
◆◆◆
駅前のバスロータリーを抜けて歩くこと数分、住宅しかないこの区画に場違いすぎるほどの巨大な建物が、そこにはあった。見た感じだと学校、もしくは何らかの研究所か。少し気になって、敷地の塀伝いに歩くと、建物に相応しい立派な門が存在感を放っていた。
『椚ヶ丘中学校高等学校』
やはり学校だったようだ。正門と思われるその門の脇に刻まれてあったのを見てそう思った。
今までの俺だったら、そこでこの学校に対する興味は失せて、駅の方へと足を向けていただろう。
だが、何を考えたのか、まだ電車が止まっているのを理由にして家に帰りたくなかったのか。わからないが──わかろうとも思わないが、椚ヶ丘学園の校舎、その向こうにある小高い山に俺はどうしようもなく興味を持った。
もっとも、もう既にこの学校に対する興味は無かったので、俺はその山にまるで吸い寄せられるように足を進めた。
山の麓には、ある程度整備された山道が暗闇に向かって続いている。その道を進んで行くと、頂上付近で急に視界が開ける所に出くわした。
広場みたいな場所で、薄暗くてよくわからないが、隅の方には砂場や、サッカーゴールの枠組みがあり、所々に生える雑草や、ここが山奥というのもあって、今は使われていない、寂れた公園だろうかと予測した。
誰もいない静かな場所を何よりも好む俺にとってはここが自宅の次に居心地が良いと感じ、しばらくの間、ゴールポストに寄っかかった。
──どのくらい経っただろうか。
時計を見ると、九時を回った所だ。どのくらい彷徨っていたかはわからないが、思ったより長くここにいたようだった。
もうそろそろ帰ろう。それでこの場所にはもう来ることは無いだろう。
体を起こしてここに来るまでに使った山道に戻ろうかと思ったその時。
何故今まで気がつかなかったのだろう。俺が登ってきた山道と反対側に、古ぼけた建物がひっそりと建っていた。
猫よろしく夜目が効く訳でもないので窓越しに見ても中の様子はわからなかったが、廃墟も同然のこの建物には誰かが使っているという感じがした。
柄にも無く興味を示した俺はもっと知ることが出来ないかと注意深く部屋の中の様子を見た。
暗闇にも慣れた目でようやく視認出来たことは、三人分のデスク、デスクに乗せられた書類、壁に掛けられたホワイトボード……。
事務室か?いや、こんな山奥にこんな場所──
「おや?そこにいるのは誰ですか?」
どうやら中の様子にいつの間にか夢中になっていて、背後の方に気を使えていなかった。
──どうする。今の俺は傍から見れば完全に不審者だ。最悪通報まである。
どうやらまだ相手もこちらの存在を完全には認識できてないようだ。
世の中にはこんな言葉がある。
──三十六計逃げるに如かず。
俺はその場の運に任せて走り出した。
「あっ!こら!待ちなさい!」
後ろからそんな声が聞こえる。もちろんここで大人しく待つようなバカではないので俺は暗闇が広がる雑木林に走り込んだ。
雑木林を抜けた辺りで後ろに振り返ると、俺を追ってくるような気配はもう無かった。
乱れる呼吸を整えて、心を落ち着かせると、今自分が置かれている状況が正確に把握できた。
──うん。ここどこだ?
闇雲に走ったせいで、引き返そうにもどこに進めば良いのかがわからない。雑木林の中は暗闇。よくこんな所転ばずに走ったなと自分でも思う。
後ろを見れば真っ暗闇。反対に前を見ると、その先が無い。
この先は崖の様で、下を見ても飲み込まれる様な黒しか見えない。どうやらそれなりに高さはあるようだ。人が落ちれば100%死ぬくらいには高い。
「……」
詰み。八方塞がり。退路無し、かといって進路も無し。
俺の置かれている状況に常人なら帰れないとかで慌てふためくだろう。
けど、俺はこれが必然、もっといえば運命だと直感した。もちろん、今日は家に帰れないだろうとも思った。
が、それよりも、この状況が何故かしっくりくるものだった。
見渡す限りの暗闇。進路も退路も無い──
──ああ。そうか。今の俺じゃないか。
誰からも認知されず、向けてくるのはせいぜい闇のような黒い悪感情。そんなので雁字搦めの俺は逃げる事も進むこともできない。まさに八方塞がり。
こうやって、誰からも必要とされない人間は淘汰されていくのか。薄っぺらい自分の人生にも何も意味は無かったのかと。薄っぺらい俺にはやはり生きる資格などあってはならないものなんだと。
そう思うと、それまでドス黒く感情で支配されていた脳内がスーッと晴れていくような気がした。
──なんだ。俺ってばその程度の存在なんだ。
──薄っぺらいなぁ
崖の先端に立って下を見ると、相変わらず闇がそこを支配していた。
でも、今の俺には、その闇がこちらに手招きしているようにしか見えなかった。
不意に頬を伝う温かい何か。
ああ。俺今泣いてんだ。
俺って泣くこと、できたんだ。
誰もいない、静かな場所。
この場所は今、俺とっては最も心が痛む場所になっていた。
──心が、痛い。
──嫌だ。ここに居たくない。
崖下の暗闇がこちらへ手招いている。
──もう、いいよな。
一陣の風が俺の背中を突き動かした。
身を煽られ、俺はなす術もなく、崖から身を投げ出される。
瞬間、脳内に走馬灯が駆け巡った。
どれも血反吐を吐きそうな辛い記憶。
学校の奴らは俺が死んだらどうするんだろうなぁ。きっとみんな揃って万歳三唱だろうなぁ。
ああ、そういえば姉ちゃんには悪い事したなぁ。どうだろ。謝ったら許してくれるかなぁ。
俺って死んだらどっちに行くんだろう。やっぱ地獄かなぁ。天国の父さんと母さんはなんて言うんだろう。
巡りゆく走馬灯の最後、決して忘れることの無い両親の顔と共に雲の隙間から見えた青白い光。
今年の三月に世界中を騒がせた世紀の大ニュース。
その七割を失った物を見て、何を思うだろうか。
──手を伸ばしても掴み取れない、一筋の光。
「……歪な月」
その言葉を最後に俺は来たる最期に備えて意識を手放した。