IS<インフィニット・ストラトス>―Deus Ex Machina 作:ネコッテ
格納庫を出たロリーナが向かった先は、学園の中央フロートユニット、学園職員たちが<アスガルド>と呼ぶ区画だった。<アスガルド>はIS学園が独自の学政を行うために設けた中枢区画。本来は学園の教師しか立ち入れないが、ロリーナはその区画へ降りるためのエレベーターを事もなく呼んでいた。
(ここってIS学園の教師しか入れない場所だよね)
下降の途中、シャルロットはラウラに小声で話しかけた。
(それも一部の、な。だが、なぜを問うのはいまさらだろう)
IS学園が何とどう繋がっているのか、問うのも憚れた。
今までの経験を経て察しがつかないほどバカではない。
「それで、私たちはどこに向かっているのだ?」
「希望になれなかった希望の、その跡よ」
なんだか情叙的な表現だった。何の見当もつかなかったラウラは黙って従うことにした。
エレベーターが止まる。出てしばらく歩いたところで、ロリーナはある一室の前で、生体認証を行った。
扉が開く。
室内には広大な空間と無機的な白い壁、そして観測室と思わしき入出力装置が並べられていた。
「これは何の装置なの?」
「コンピューターの抽象世界を私たちに解りやすいイメージに変換してくれる装置よ。疑似電脳潜行装置とでも言っておこうかしら。ここでは人間的な直感操作でシステムの制御や潜入ができるわ」
ロリーナは、観測室に入り、システムを起動した。
「電脳ダイブでハッキングだなんて、まるで『ニューロマンサー』だね」
「意外だな。サイバーパンクを読むのか?」
「え、読まない、けど。い、言ってみただけ……」
「だろうな。おまえはどちらかといえばファンタジー派だろ。頭の中がメルヘンだしな」
「それってどういう意味!」
「確かにシャルロットちゃんって、お花とかに話しかけていそうよね」
「ララさんまで!」
「じゃあ、これから体験することは、シャルロットちゃんにぴったりかもしれないわね」
ロリーナがキーボードを打ち込む。その操作に合わせて、部屋の壁から8つの装置がスライドして登場してくる。トンネル状のスライドカバーを伴ったベッド装置。医療現場で使われるMRIによく似ていた。
「さあ、ここに横になって」
言われるがまま、ラウラたちはベッドに体を倒した。
すると、ゆっくりとトンネル状のスライドカバーが稼働し、自分の視界に覆いかぶさってくる。
閉塞感を感じる間もなく、ラウラの意識はすぅーと落ちていった。
意識を取り戻したラウラが最初に見たものは、ウサギ耳を生やした少女だった。
10歳にも満たない少女がこちらの顔を覗き込んでいる。
「あ、ラウラ、起きた?」
「シャルロットか」
シャルロットの他にはララとロリーナの姿もあった。目覚めは自分が最後のようだ。
身体を起こし、鮮明になった意識で周囲を確認する。桃色の絨毯に、トランプ柄の装飾品、大理石のような美しい鉱物で積み上げられた室内は、城の謁見室に見えた。目の前に、豪奢なハートのドレスに身をまとった王女が立っていればなおのことだ。
「ここが電脳空間か」
「正確にはその入り口かしら。インターネットでいうプロキシに相当する場所よ」
「そのふたりは?」
トランプ柄のドレスを身にまとった、女王風の女性を見やる。彼女はハートの杖をトントンと叩いていた。足許には、さきほどラウラを覗き込んでいたウサギ耳の少女がギュッと抱きついている。
「<レッドクイーン>と<ホワイトクイーン>の雛型になったマザーAI<ハートの女王>よ」
《いご、お見知りおきをわえ》
<ハートの女王>はドレスの端を摘み、優雅におじぎした。
「彼女には電脳世界の水先案内人になってもらうわ。時間がないからさっそく行きましょう」
《では、みなの者、わらわについてまいれ》
<ハートの女王>がドレスを翻し、玉座の後方にある扉にステッキをかざす。
開いた先に広がっていたものは、極採色の庭園だった。そこに上半身が鷲、下半身が獅子という奇妙な生き物が五匹、待ち構えていた。
「これってグリフォンだよね」
現実の世界には存在しない生物を目の当たりにして、シャルロットが誰よりも先に駆け出す。
そのあとを「アイリーンがいたら喜びそうだな」とラウラが続いた。
《さあ、のるわえ》
<ハートの女王>さまに促されて、伏せるグリフォンたちの背を跨ぐ。
鷲の翼を大きく広げ、飛翔を始めるグリフォンの背で、シャルロットは毛を逆立てた。
「まさか、グリフォンに乗れるなんて、夢みたいだよ!」
「そう、これは夢よ。仮想現実が私たちに見せている夢。意識だけの旅行よ」
《さあ、行くわえ》
<ハートの女王>が杖を翳す。翳した先で扉が開き、ラウラたちを乗せたグリフォンがそれめがけて飛翔する。それからは摩訶不思議な世界旅行の始まりだった。
神代と大正が融合したトウキョウを抜け――
退廃的なサイバーニューヨークを駆け――、
スチームパンクなロンドンを飛び――
やがてラウラたちは、クレーター状の盆地へ訪れた。中央には赤茶の屋根を被せたスエバイトの家々と、市街を取り囲むように高い壁がそびえたっている。シャルロットは見覚えがあるように言った。
「ドイツにこういう町、あったよね」
「ネルトリンゲンか」
確かに目前に現れた街並みは、隕石が作ったドイツの町によく似ていた。
だが、本物じゃないはず。だとしたら、今自分たちが見ている街並みはなんなのか。
「ここはドイツ軍のサイバーセキュリティーを、電脳装置が私たちに解りやすい形へ変換した世界。いま、私たちはドイツの軍事ネットワークの中にいるわ」
《降りるわえ》
グリフォンに降下を命じ、民家と民家の間にある裏路地に身を下ろす。
石畳の道路に、足を置いたラウラは周囲の街並みを見渡した。街中には黒い軍服がいたるところに見えた。周囲に気を配るその様子は、町を巡廻しているようにも見える。
「あいつらは?」
「IDS(侵入防止装置)よ。不正なアクセスからネットワークを守る仕組み。電脳世界の警備員のようなものね。発見されると、管理者に通報されて、増援を呼ばれてしまうわ」
「つ、捕まったらどうなっちゃうの?」
「尋問、それとも拷問か?」
シャルロットは身をふるいあがらせた。
「でも、電脳世界じゃ苦痛はないよね。体が無いんだもん」
「いえ、“痛み”とは認識と感情で処理されるわ。実際に外傷を負わなくても対象が「これは“痛い”こと」と錯覚すれば、脳は“苦しい”という感情を発生させる。アリーシャが幻肢痛に苦しめられたようにね」
「肉体がなくても、意識と感情が存在すれば、人間は苦痛を受けるということか」
「ぼ、ぼくここに隠れていてもいいかな」
「大丈夫よ。拷問にかけられたりしないわ。でも、私たちが持っているメタ情報を解析されてしまうことは良くないわ」
メタ情報には、どこから、どういう経路で、接続してきたかなどのデータがふくまれている。解析されてしまうと、身元を特定される恐れがある。
「それをブラックリストに登録されたら、もうアクセスできなくなるわ」
「人間の免疫みたいなものね」
人間の免疫システムは異物の侵入を検知すると、それを解析・登録して、以後排除の対象にする。この動きが“抗体を持つ”ということだ。
それと同じことがこのネットワークの中でも行われている。
いまの自分たちは体内に侵入したウィルスも同じで、IDSはいわばそれと戦う白血球だ。
「で、どうする。結構な人数が巡廻しているようだ。発見されずに進むのは至難かもしれん」
路地裏から周囲を伺う。黒服の兵隊は同じ場所を行ったり来たりしている様子だった。
自分ひとりならまだしも、5人では見つからない方が難しい。
「IDSは、持っているメタ情報の内容で、敵味方を識別しているわ。体内版IFFね。そのメタ情報に細工を施せば、怪しまれないわ」
言うが早く、ロリーナは空間をタップして、コンソールを出現させた。羅列されたデータパッケージの中から、<German army>を選択する。すると、ラウラたちの身体がまばゆい光に包まれ、衣装がパリっとした格式の高そうな軍服に変化した。
「さすがラウラは板についているわね」
将校の軍服姿になったラウラは、小柄な体格にも関わらず、威厳が感じられた。
上から羽織るオーバーコートと、アイパッチが歴戦の兵らしい雰囲気を助長している。
「ま、これが本職だからな。――ララもよく似合っている」
「そう?」
ララは略帽を頭に乗せて見せる。略帽に、背広、タイトスカートという服装は、医者という職業柄もあって、前線で戦う兵士というより、後援の婦人部隊に見えた。
「ロリーナもよく似合っているわ」
「うふ、ありがと」
ロリーナは制帽の唾を上げて見せる。帽章は将官級。着る軍服も将校級のラウラより高級感のある仕上がりになっている。科学者という職業柄もあって、彼女を知力に富んだ参謀にも見える。
「いいなぁ、三人とも、なんでも僕だけ野戦服……」
シャルロットは、ロリーナやラウラのような格式ばった制帽でもなく、ララの略帽でもない、
「そう愚痴をもらすな、シャルロット」
「や、ヤー」
制服効果だろうか。階級の高い人間の言葉に、思わず背筋が伸びるシャルロット。
「さて、これで捕まってもIDSを騙せるはずよ。じゃあ、行きましょう。」
石畳の道路をすすっと滑るように歩き出したロリーナのあとに、ラウラたちが続く。
町の中を巡廻する
「にしても、初めて電脳世界を体験したけど、怖いぐらいにリアルね」
ララは懐かしむようにドイツを模した街並みを見渡した。
目に映る街並みの質感。踏みしめる石畳の硬さ。どこか埃っぽい匂い。視界に写る街並みは、どれも本物のようだった。心なしか故郷の空気さえして、帰国したような錯覚にさえ陥る。導入のプロセスがなければ、ここを現実世界と間違ってしまいそうだった。
「より現実世界に近くなるようディテールにはこだわったわ。その代償に莫大な情報資源が必要になったけど」
「では、なぜ、こんな大掛かりな装置を?」
彼女ほどのプログラマならラップトップ一台でも事足りる。
わざわざ電脳潜行という大掛かりな装置を作ってハッキングする意味がわからなかった。
「もともと、この電脳潜行装置はハッキング用に開発したものじゃないの」
「ではなんのために?」
「人類を救済するためよ」
人類を救済。随分と大それた理由がでてきたな、とラウラは思った。
「実は、核兵器を開発したのは私のおじい様でね。おじい様はフォンノイマンと共に、核爆発に必要な演算機の開発に携わっていたの。私たちは核兵器を生み出した一族として、この世界の行く末を考えないといけなかった。私のお父様は荒廃した世界でも誰かと繋がる希望を残した。私もこの世界に希望を残したかった」
「その“希望”がこの世界?」
「そう。もし<核の冬>が訪れれば、太陽光線が遮られて作物は育たなくなる。放射能で変異した病魔とも闘わなければならない。人間は肉体の維持が困難になるわ」
「だから、いっそ、肉体を放棄して、この世界に移住できないかと考えた?」
「そう。それには、人間の意識を情報化し、機械へ移し替える技術が必要だった。そのテクノロジーがニューロAIよ。もし人間と同じように知性と感情を持った人工知能が誕生すれば、それは人間の記憶や意識を保存する技術になる」
「かぎりなく人間に近くなった人工知能は、人間の<魂の器>になりうると?」
「ニューロAIの技術は、人間の意思を情報化し、肉体から精神を切り離すことができる。やがて生物としての制約から解き放たれた人類は、電脳世界へ移住できるようになる。すなわちそれは現実世界を放棄することでもあったから、私はそれをこう名付けたわ――<ワールドパージ>って」
「でも、希望になれなかった希望って……」
「そう、<ワールドパージ>は人々の希望にはならなかった。電脳世界は人に夢を見せることはできても、人の夢にはなれなかった。
ラウラは
ならば、<レッドクイーン>と同じ目的で生み出された自分がすべきことは。
きっと、その希望を守ることだ。ラウラは強くそう思えた。
「で、どこへ向かっているのだ」
歩きながら耳を傾けていたラウラたちは、まだ歩き続けていた。
やがて街を囲う壁前までやってきたロリーナたちは、その正門で立ち止まった。
「ここよ。この壁の向こう側に、兵士の情報を管理するデータベースがあるはずよ。けれど、この壁はいわば不正なアクセスからサーバーを守る仕組み。ファイアーウォールなの。この偽装でIDSを騙せても、突破は難しいわね」
「では、どうする」
《強行突破でもするかえ?》
<ハートの女王>は、両手に抱えたウサギ耳の少女を見せた。さらに頭からもう一匹。それを皮切りに、わらわらと現れ始める。一体どこから沸いて出たのか。数は次第に1000へいたろうとしていた。そのどれもが「いくぞー」「やるぞー」「がんばるー」とプラカードを掲げて息巻いている。まるで政府官邸前で異議を訴えるデモ集団のようだ。
この数がまとまって突撃したら、さすがに堅牢な壁門も敗れそうではあるが、
「現代のセキュリティはトラフィックの負荷を分散して処理するよう設計されているわ。DOS攻撃でセキュリティシステムをダウンさせられるほど、ドイツ軍のセキュリティは軟じゃないわ」
というわけで、<ハートの女王>は《ほら、解散わえ》と手を叩いた。1000匹近くいたウサギの少女は一匹を残してぞろぞろと何処かへ帰っていく。
「攻めるには、守りの三倍の戦力が必要と言うことか。では、どうする」
「正面突破はあきらめて、別の方法で潜入するわ。――<ハートの女王>、エンハンスモードよ」
《招致したわえ》
そっと、舞踊を誘うように差し出された手に、ロリーナが手をそえる。その動作がスイッチとなって、<ハートの女王>とロリーナの姿がまばゆく輝いてひとつになっていく。光の中から現れたのは、トランプ柄の白いドレスを身にまとい、プラチナの冠を被った
「その姿は? 先のコスチュームチェンジとは違うようだが?」
<AIと融合した姿とでも言っておこうかしら。ニューロAIを外部脳として用いることで、人間本来の能力を拡張強化させることができるわ>
そう言って、ロリーナは壁に手を添えながら、沿って歩き始めた。
ラウラとシャルロットはそのあとに続きながら、
「つまり?」
<電脳潜行装置はコンピューターの抽象世界を私たちに解りやすい形や姿で見せていると言ったわよね。いまの私には、より解像度の高い情報が見えているわ。いうなれば、いまの私は高性能なデバッカーそのものかしら。それで“穴”を探しているのよ>
「穴?」とラウラ。すると正門から300メートルほど歩いたところで、ロリーナが「あったわ」と足を止めた。眼前の壁面をこするとパラっと土が零れ落ちた。その箇所だけ脆い作りになっている。そのまま削り続けると、子供一人がなんと通れそうな穴が開いた。
「なるほど、穴とはセキュリティーホールのことね」
とララ。ロリーナは「そういうことよ」とウィンクし、ウサギの少女を手招きした。口頭で指示を告げる。ウサギ耳の少女は「わかった」のプラカードを掲げた。そして、空いた穴へ頭を突っ込み、もじもじと身体を捩じらせて壁の向こう側へ侵入していく。ややして、ウサギ耳の少女は書簡らしき物を持って帰ってきた。それが欲していたデータであることは察しがついた。
「よくやったわ」
しかし、ウサギ耳の少女は「やっちゃった」とプラカードを掲げた。
「なにを?」とシャルロットが首を傾げた、その直後、けたたましい鐘の音が街中に鳴り響いた。次いで、街中のあらゆる窓や扉が急に閉まり始めていく。しかも錠をかける念の入りようだ。
「何が起こったのだ!」
<システムが情報の流出を検知したんだわ>
ウサギ耳の「やっちゃった」とはそういう意味だった。
「これから何がおきるの?」
<システムはネットワーク回線をすべて落として、情報の流出を防ごうとするわ!>
「僕たち閉じ込められちゃうの!?」
<大丈夫よ。私たちは目が覚めて終わり。でも、肝心な情報をIS学園まで持ち帰れなくなるわ>
「回線を遮断されたら、情報をダウンロードできなくなってしまうというわけか」
<ネットワークを遮断されるまえに、なんとかしてここからでる必要があるわ>
女王ロリーナは、指笛を吹いた。待機していたグリフォンがやってくる。
全員が乗ったことを確認して、ロリーナはグリフォンを飛翔させた。鷲の羽を羽ばたかせて疑似ドイツの街並みを滑空する。流れていく民家はどれも閉まっていた。
「まずい。
とララの焦る声。
「さすがわが軍だ」
「感心している場合じゃないよ、ラウラ」
<どこかにまだ空いている
ロリーナはグリフォンを飛翔させて、上空からウサギ耳の少女を大量にばらまいた。
まるで絨毯爆撃のように落下していったウサギ耳の少女は、地上に着地するなり「ポートだ」「探せ―」とプラカードを掲げ、怒涛の勢いで街を駆け巡りはじめる。
「人海戦術ならぬ兎海戦術だな」
「ほんと、便利なウサギちゃんだよね。――あ、見て。あの子!」
シャルロットが前方にそびえる教会を指さす。
その先ではウサギ耳の少女が「あったー」とプラカードを掲げていた。
「でかした!」
「急ぎましょ。掴まって!」
羽を畳んで急降下。抵抗をなくして流星のように飛ぶ。
教会の扉はすでに閉まりかけていた。全速力でも間に合いそうにない。
「もうしまるわ!」
ララの悲鳴。
<まだよ>
ロリーナが杖を振るう。
駆けつけてきた他のウサギ耳の少女たちが「閉まるぞー」「押さえろー」と扉に群がった。
わずかに閉まる速度が遅くなる。
「いまだ!」
ラウラが叫ぶ。
ほぼ閉まりかけた扉のわずかな隙間を縫って、教会内にすべりこむ。そのまま飾られていたステンドグラスを抜ける。グリフォンの足にウサギ少女たちを葡萄の房のように連ねながら、ラウラたちはドイツ軍の軍事ネットワークから脱出した。
「ぎりぎりだった」
ラウラは手に入れた書簡を手に、振り向いた。
背後ではポートがすでに閉鎖され、入り口が消滅していた。
「さっそくIS学園に戻って、手に入れた情報を確認しましょ」
<ハートの女王>と分離したロリーナはそういった。