IS<インフィニット・ストラトス>―Deus Ex Machina 作:ネコッテ
第七王女アイリス・トワイライト・ルクーゼンブルクの自室。
<王族会議>の政務官を務める第1王子・オズワルド・アークライト・ルクーゼンブルクに接近するため、ソフィアは自前のトランクケースを開いた。その中からメイド服を取り出し、袖に腕を通す。彼女はもう一度、ソーニャとして接触する腹積もりらしい。
「しかし、ソフィア。ソーニャは既に身元が割れておるぞ」
ソフィアはしおらしく頬を赤くして
「『あなたとの夜が忘れられなかったの』、そういう具合でいきます」
さすが女スパイ。見事な演じ分けだったけど、それはさておき、「仕事のつもりだったのに、あなたが私を本気にさせてしまったのよ」というのは、確かに男ならぐっとくるシチュエーションかもしれない。
「それに以前より魅力的になったと思わないか」
しなを作って、長い蒼髪をかきあげる。見えたうなじと、綺麗なS字ラインからふわっといい香りがした気がして、同性の私でも一瞬ドキっとした。
「確かに、以前より色気がましたような気がいたしますわね」
「だろ?」
ソフィアはどこか嬉しそうに微笑んだ。相手を油断させるための笑みじゃなく、心から微笑んでいるようにみえた。こう、自分を縛っていた何かから解放されたような。私も経験したことがあったから、それがわかった。
「一体何がかわりましたの?」
「ちょっとした心情の変化だよ。心のありようで女は綺麗にも醜悪にもなるってことさ。――さて、セシリー。後ろのファスナーをあげてくれ。それとレイシー、オレのカバンから、コンタクトをたのむ」
「はい」
「はいな」
髪をかき上げたソフィアのファスナーをセシリアが上げる。
私は彼女のトランクを開いた。中には、髪色を自在に変えられるナノコーティング剤、パッチ型の変声機、小型のICレコーダーにカメラ。それがそれと分かったのは、私も以前に使用したことがあったからだ。
「うむ、これがスパイアイテムというやつか」
アイリス王女が興味を示すようにトランクを覗き込む。そして、中から薄い衣類を取り出した。レースとシースルーの色っぽい下着は、いわゆる大人のランジェリーだ。
「これもスパイアイテムか?」
「いいえ、それは女の武器です」
ソフィアはターンしてメイドワンピースをふくらませる。
チラッと見せた下着は漆黒のストリングス。いわゆる紐パンというやつだ。
「男はそういうのが、好みなのか?」
「男性のすべてがそうといえませんが、王子はこれが好みなので」
「そんなことまで知っておるのか。では、これはなんじゃ」
と、取り出したものは、狸のぬいぐるみだ。
王女がそのぬいぐるみを抱きおこすと、ぬいぐるみは急に手足を動かして、王女の腕から飛び出した。そのままテクテクとソフィアの許へ歩いていく。女王を含め、私たちは目を丸くした。
「なんじゃこれは……。急に動き出したぞ!?」
「それは秘密の暗号通信機です。どうやら仲間から通信が入ったようです」
ソフィアは膝を折って、たぬきのぬいぐるみに話かけた。
「オレだ。どうした、楯無」
どうやら通信相手は会長らしい。
確か会長は国家代表を辞退するためロシアにいるって聞いていたけど。
『ソフィア、あなたに頼まれていた件だけど』
狸のぬいぐるみは両手をあげてフリフリした。
「何か動きがあったのか?」
『クレムリンが<アツェロタヴァヤ・ヴァトカ>と契約して<パッケージ>を買ったらしいわ。内容はまだわからないけど、山猫がウクライナ製の
狸のぬいぐるみは腕を組みながら深刻そうにそう言った。
「わかった。詳しいことがわかったら、また連絡をくれ」
『ええ』
通信が終わると、ソフィアは珍しく深刻な顔を見せた。
普段からクールな彼女が表情を曇らせたとあって、室内の空気もまた重たくなった。
「ど、どうしたのじゃ、ソフィア。なにがあった?」
「クレムリンが<アツェロタヴァヤ・ヴァトカ>の<パッケージ>を購入したそうです」
「何を言っておるかわからぬ。わらわにも解るように話せ」
「<
<パッケージ>とは、軍事作戦に必要な人員、物資、情報を梱包したPMCの商品だ。
従来のPMCは受注をうけて業務にあたる。だが、大手のPMCは独自の情報機関を持ち、得た情報を許に作戦を立案し、それを商品として販売している。『もしもし、あなたの国はテロリストに狙われています。私たちはそれらを殲滅する準備がありますが、いかがでしょう。お安くしておきますよ』そんな具合に。
「詳細はわかりませんが、ロシアがそれを買ったということは――」
事の重大さを飲み込めたアイリス王女は、全身を小刻みに震わせた。
「近々この国で軍事作戦が展開される可能性があります。この国ではすでにアメリカのPMCが展開されています。おそらくその排除でしょう。いずれにしろ戦闘です」
この国で戦闘が行われる。それを聞いたアイリス王女は顔を蒼くした。
そのうしろで、セシリアが「“消費”が始まる」と――そうつぶやく。
「すべてお母様の思惑どおりですわ……」
この国を舞台に、ふたつのPMCがぶつかり合い、物資、エネルギー、そして命の消費が行われる。それが世界経済を回す。いままさに<リリス>が宣言した「男たちが殺し合うことで、女性社会が富む」世界が、この国で実現しようとしている。
「具体的な作戦内容はわかりませんが、のんきに手まわしている時間はなくなりました」
「ど、どうするのじゃ。どうすれば――」
その時、一人のメイドが入ってきた。「王女様――」と言ったメイドに、王女は「なんじゃ」と怒鳴りつける。気が立っている王女に怯みながら、メイドはおずおずと告げた。
「だ、第一王女エアリスさまが、外遊からお戻りになりましたので」
アイリス王女は「姉上がお戻りになられたら教えろ」と命じていたことを思い出す。
「そうか。わかった。――下がれ」
メイドは頭を垂れ、逃げるように退室していく。
メイドが去った瞬間を見計らって、ソフィアは言った。
「アイリス王女、根回しをしている時間はありません。直接、エアリス王女に訴えかける他に手はないでしょう。幸い、エアリス王女はたったいまお戻りになられた。次の公務へ移られるその前に、エアリス王女の許へ直談判しに参りましょう」
「そうじゃな。もうそれしか手はあるまい」
アイリス王女が緊張した面持ちで頷く。
この重大局面を乗り切れるかの成否は彼女の言葉にかかっていると言えた。いま、彼女の身には途方もない重圧が押しかかっている。それでも彼女は逃げ出さなかった。
「おまえたち、いましばらく、わらわに勇気と知恵を授けてくれ」
私たちは「はい」と傅いた。
♠ ♢ ♣ ♡
王宮・国王専用執務室。アメリカ、ヨーロッパと外遊を終えた第一王女・エアリス・アークライト・ルクーゼンブルクは、スイス製の椅子に深く腰掛けた。ウェーブの銀髪。サファイアアイ。<ルクーゼンブルクの月>とも囃される容姿には、疲労の色が見て取れた。
「おつかれさまでございます」
専属のメイドから出されたハーブティーを「ああ、ありがとう」と受け取る。
そして、執務机に積まれた書類を手に取る。書面にはWTOからの苦情がつらつら書かれていた。地下資源を外交カードとしているため、こうして自由貿易を守る機関から、ときよりやっかみのような苦情がおくられてくる。
「で、外遊のご成果のほどは」
と、メイド。エアリスは書類を執務机に投げ、
「概ね、友好的だった。ドイツもフランスも、わが国がEUの経済圏に加入することを歓迎してくれた。支援も約束してくれたよ。あとはわれわれがEU内でどれだけ発言力を得られるかだな」
EU内で最も発言力を有する国は、いわずもがなドイツ、フランスだ。ユーロ価値を支えているのが、この二か国だからだ。よってEUでは経済政策に置いて、この二か国の意向が最優先される。仮に加盟国が貿易赤字を出しても、ドイツとフランスが動くことはない。
「結局、大国の利益が優先され、小国の意向は無視される。弱者は強者に媚びて、飢えをしのぐしかない。これが共栄を謳ったEUの現実、いや、世界の現実だよ。今回の外遊で改めてそれがよくわかった。だが、私はごめんだ。私は主権国家の元首でありたい。そのためには、この国を強くするしかない」
だが、いまのルクーゼンブルクでは、世界の列強国とわたりあえない。だから――
その時、執務室にノックが響いた。
「お姉さま、アイリスです。すこしばかりお時間をいただけないでしょうか」
訪問者は腹違いの妹のようだった。
(王女陛下、いかがなさいます)
(うむ……)
姉妹とはいえ、歳も離れている。かてて加え、アイリスは国営に携わらない身分ゆえ、国家運営の中核人物であるエアリスとは疎遠な関係にある。いまはそんな妹の相手をすることが億劫に思え、資料を取って仕事の振りをきめた。
「いまいそがしい。あとにしろ」
だが、扉の向こう側の妹は、食い下がった。
「それを承知の上で、切に聞いていただきたいことがありますのじゃ。すこしでもかまいませぬ。わらわに時間をください」
「切に聞いてほしいことだと?」
傍若無人な振る舞いを見せるときとは違う、切実な声音に聞こえた。強張っていて緊張しているようにも思える。こずかいの類をせがんできたようには思えない。エアリスはティータイムをあきらめて、資料を執務机に投げた。
「いいだろう。入れ」
許可を得られたアイリスが室内に入る。手には資料らしき紙の束。後方には見たことのない顔のメイドが二人と、見たことのある顔のメイド。一人は確かソーニャという弟の専属メイドで、ロシアのスパイだったか?
「彼女らもよろしいでしょうか」
「ああ。かまわんが」
「ありがとうございます。まず、このたびの外遊お疲れ様でした」
「ああ。それで話とはなんだ。私はいそがしい」
「はい、実はロシアの地質調査団の案件について、わらわなりに意見をまとめてみました。お姉さま――いえ、エアリス王女陛下に目を通していただきたいとおもいますのじゃ」
アイリスは持ってきた意見書をスッとエアリスに差し出す。
「わかった。そこに置いておいてくれ。時間があるときに目を通しておく」
「いえ、いま読んでほしいのです」
「私は忙しいと言っただろ。このあとも仕事だ。それを妨げる気か」
鋭い視線を送る。一国を束ねる王女の眼力に思わず怯みそうになる。
しかし、アイリスは勇気をしぼって、肩に力を入れた。
「はい。その覚悟でまいりました」
「ふん、言うではないか。いいだろう」
めずらしく毅然として言った妹に、姉は意見書を手に取った。
そして、黙々と目を通しながら、
「そういえば、また侍女が辞めたそうだな。フローレンスが嘆いていたぞ。ただでさえ、この国の離職率は高く、問題視されているんだ。王家がその問題を加速させていては、国民に示しがつかん。妙なごっこあそびで使用人を困らせるなよ」
意見書から目を離さず、エアリスはそう言った。アイリスは視線を泳がせた。
「ご、ごっこ遊びではありませぬ。わらわはこの国のためになりたくて――」
「だから、こんなものを作ってきたのか」
どこか呆れたような声音で、意見書をパンパンと叩く。だが、アイリスはくじけなかった。いまは、ソフィアを信じ、渡してくれた意見書を信じる。エアリスは意見書から目を離さなかった。
「だが、わるくない」
最初は興味なさそうだった目が、徐々に真剣さを帯びていく。
手ごたえを感じるには十分な反応だった。期待に鼓動が高鳴る。だが、思わぬ落とし穴が待ち受けていた。
「では、ひとつ訊く。『<時結晶>が産出される国家間と同盟を結び、他に負けない産出量と資本を確保する。そうすることで、相手に価格の主導権を握らせないようにする』。それがおまえの考えだな? だが、資本が大国に対抗できるだけ集まらなかったときは、どうする?」
「え、えっと、それは……」
思わぬカウンターパンチだった。借りてきた知恵ゆえ、アイリスは答えられなかった。
アイリスが困ったようにソフィアを見やる。「大丈夫です」とソフィアが頷き、前に出る。
「そのときは、われわれが協力をいたします」
「我々だと?」とエアリス、そして、アイリスがソフィアに視線を向ける。
「はい、われわれ<
「<
「われわれは“篠ノ之束”を抱えています。EU加盟の撤回、ロシアとの国交正常化を行っていただけるなら、彼女の技術を提供する準備があります」
「具体的には?」
「ISの<コア>、そして第四世代型ISのテクノロジーです」
提示された技術は、いまも世界が莫大な予算を継ぎこんで研究している。その成果が手に入るなら、ぜひとも。――と、飛びついてくれたなら、話はラクだった。だが、エアリスは意見書を置いて手を組んだ。
「悪くない条件だ。技術があれば、資源がなくても外貨を得られる」
「しかし、だ」――と、エアリスは立ち上がった。そして、書籍棚から一冊の本を取り出す。『21世紀の冷戦:マーベリック著』とタイトルがつけられたそれは、イギリスの軍事アナリストが書いた本だ。
「『ISを制するものがこの冷戦を制する』――そう言われた時代は終わった。あの人が言うにこれからは『個人の時代』だそうだ。大国の敵は大国ではなくなり、非対称戦争、非正規戦が主流になるだろう。篠ノ之束がいう『
第四世代は、オーバーテクノロジーゆえに維持コストがすこぶる高い。乗りこなし、整備できる人間の確保も困難だ。非対称戦の時代、莫大なコストを払ってまで手に入れる意味が、第四世代にない、と。
「コスト高な第四世代は需要が悪い、と。ですが、ISそのものには、まだ需要があります」
「いや、どうかな。ある知り合いから、君たちがいま新たなインフィニット・ストラトスを開発していると聞いた。それが普及したとき、いまある<コア>の技術にどれほど価値がある?」
ソフィアは舌を巻いた。――この王女、よくわかっている。
「そこで条件変更だよ――」
エアリスは執務椅子の背もたれに身を預け、人差し指を立てた。
「まず、<亡国機業>に我々の“席”を用意してもらおう」
次に中指を立てる。
「そして新型インフィニット・ストラトスの開発をわが国で行ってもらう。それが条件だ。私は<時結晶>の価値を知っている。前国王と違ってな」
エアリス王女は、置かれた書架から一冊の本を取り出す。ロリーナの著書『ISはどこからきて、どこへ向かうのか』だ。ソフィアは苦虫を嚙み潰したよう顔を見せた。
「私だけでは承認しかねます」
「では、承認できる人間をつれてこい。話はそれからだ」
「わかりました。話を通してみます」
「よい報告を期待しているよ」
エアリスは二本指を上げたまま言った。アリスには勝利のVに見えた。
事情が呑み込めないアイリスだけが、ついていけていない顔をしている。それが二人の手腕の違いを明確にしているようだった。
「では、私たちはこれで」
退室を促すように、ソフィアはアイリスに目線をやる。
アイリスは「このまま引き下がるのか!」と目を開いた。そうだ、まだ何も達成できていない。けれど、ソフィアは首を左右に振った。これ以上は切れるカードがない、とばかりに。
「アイリス王女。行きましょう」
セシリアに促されて、アイリスはひどく肩を落として歩き出す。
アリスもそれに続こうとしたとき、エアリスが訝しい表情で彼女を呼び止めた。
「……おい、そこの赤い髪のメイド。おまえ、名前はなんだ」
「レイシー・アデルと申します。つい最近雇って頂きました」
エアリスが目を細めて、アリスを見つめる。
時間にして数秒後、いつもの表情で、エアリスは言った。
「そうか。アイリスの世話は大変だろう。無理を言うようなら、きつく叱ってくれてかまわんよ」
「かしこまりました」
「呼び止めてわるかったな」
「いえ」と言ってアリスは、項垂れるアイリス王女に続いて、執務室を去っていく。
いなくなってから、エアリスは執務室の内線を繋いだ。
「私だ、ジブリル。アイリスに仕えるレイシー・アデルというメイドに監視をつけておけ。その女、あの人が言っていた、アリス・リデルかもしれん」
『アリス・リデル?』
「NATO側では<
『なぜそのような人物がアイリス王女のおそばに……』
「何か目的があって王家に潜り込んだのだろう。いずれにしろ、監視しておいた方がいい」
「了解しました。ただちに部下を手配します』
通話を終えると、メイドが「次の公務の時間です」と言った。「まあ、待て」とエアリス。そして「茶のお変わりぐらいさせてくれ」と言って、すっかり冷えた紅茶を入れ直すようにメイドに命じた。
その間、エアリスは席を立ち、備え付けのテラスへ赴いた。
テラスからは王都が一望できた。眼前にはルネッサンス時代の街並みをそのまま保存したような風景が広がっている。近代化から取り残されたような情緒が、そこにあった。
「いつ見ても、この風景は好きになれんな」
エアリス王女は、その景色を忌々しそうに睨んでいた。