IS<インフィニット・ストラトス>―Deus Ex Machina 作:ネコッテ
学校の屋上というと、みなさんはどんな場所を想像するだろう?
一面コンクリートで、給水塔があったりする場所?
フェンス越しに町が一望できる場所?
近からず遠からず、そんな場所だろう。IS学園の場合は、各所に花壇が設けられ、季節の花々が植えられている。その色彩はとても豊かで、ふとした瞬間ココが人工物であることを忘れさせてしまう。そんな場所に美男美女が集えばさぞかし画になるのだが、二名の不機嫌そうな顔が全てを台無しにしていた。
一人目は、篠ノ之さんだ。原因は一夏が他の娘を誘ったことだろう。
二人目は、オルコットさんだ。こちらの原因は私だろう。
オルコットさんにいい顔されないのは日頃からだけど、今はいつにも増して私を見る目が険しい。まるで『コイツは宇宙人に違いない』と疑うオカルト研究家みたいな顔だ。
ともあれ、私は隣にいる篠ノ之さんに耳打ちした。
(今さら一夏の鈍感を怨んでも仕方ありません。気持ちを入れ替えましょう)
(うむ、そうだな)
篠ノ之さんと私がコソコソしていると、一夏がこちらを見た。
「なんだ、二人して内緒話か?」
「いえ、なんでも。それより篠ノ之さんが、あなたにお弁当を作ってくれたそうですよ」
「お、そうなのか?」
「あ、ああ。実は分量を間違えてな。処分するのももったいないし、お前に弁当でも作ってやろうと思ったのだ。そ、その勘違いするなよ。他意はないぞ、他意は。本当に作りすぎてしまっただけなのだ」
というのは、もちろん篠ノ之さんの照れ隠しだ。
実を言うと、篠ノ之さんは一夏のために毎日お弁当を作っていた。ただ、勇気が出せず、ずっと渡せず仕舞いだったのだ。
そして、渡せずにその日が終わると『今日も渡せませんでしたね』『ああ、今日も渡せなかったな』と残ったお弁当を二人で食べるのが、最近の日課だった。なので、最近の私はすこし太り気味。
「そっか。ついでだとはいえ、嬉しいよ。ありがとな、箒」
「ふふ、礼には及ばないぞ」
ハニカム一夏につられて、篠ノ之さんも嬉しそうに微笑む。
しかし、そのほんわかな雰囲気を快く思わない人物が二人。鈴とオルコットさんだ。
鈴はふたりの雰囲気をぶち壊すようにタッパーを繰り出した。
「はい、これッ、あたしから!」
次いで、オルコットさんがバスケットをススーと差し出す。
「実はわたくしも早起きをして、こういうものを用意いたしましたの」
そう言って、オルコットさんがバスケットを開ける。中身は美味そうなBLTサンドだ。だけど、それを見たみんな(デュノア君を除く)の顔からサーと血の気が引いた。
はっきり言おう。セシリア・オルコットの料理は壊滅的に不味いのだ。
「あ、ありがとな、セシリア」
「別によろしくってよ。何でしたらこれから毎日でも――」
「 よ ~ し 、 み ん な 飯 食 お う ぜ ぇ ~ い ! ? 」
必要以上に大きな声を出して、オルコットさんの好意を聞かなかったことにする一夏。
私たちは視線で非難するが、事情を知らないデュノアくんだけは――
「お お ~ 、み ん な で ご は ん た べ よ う ~」
と、一夏のノリに合わせていた。
「あ、あれ、もうかしてこういうノリじゃなかったッ!?」
ぽか~んとする私たちを、デュノアくんがきょろきょろと伺う。
いえ、空気を読み間違えたわけじゃないんですけど、意外な反応に驚いたというか。
「いや。大丈夫だぞ。ほら、シャルルもこう言っているし、みんな食おうぜ」
「そ、そうだな」
「じゃあ、まず箒の弁当からもらうな。お、唐揚げに鮭の塩焼きか、豪勢だな」
「ああ。特に唐揚げは自信作だ。あれこれといろいろ試行錯誤したんだ」
一夏はどれどれと唐揚げをつまむ。
それをぽいっと口に放り込んで、もぐもぐと咀嚼。そして目を瞠いた。
「うおっ、うめぇ! 何だこれ。ショウガと醤油と……なんだ?」
「おろしニンニクだ。それとコショウを少し混ぜてある。あとは隠し味に大根おろしが適量だな」
「なるほどな、おろしたニンニクと大根おろしか。よし、俺も今度試そう」
うんうんと感心しながら、一夏がまた唐揚げを口に運ぶ。
そんなに美味しいのでしょうか、あの唐揚げ。失敗作なら食べた事があるけど。
「なんだ、アリス、じ~と見てきて。もしかして食べたいのか?」
「ええまあ。あなたがそんなにも絶賛するものですから」
「じゃあ、一個やるよ。ほら、あ~ん」
箸でつまんで差し出された唐揚げに、私はぎょっとした。
いくらなんでも、彼女たちの前で「はい、あ~ん」はちょっと……。ほら、篠ノ之さんとか「なんでアリスばかり」って涙目で訴えかけてきているし、鈴なんて「食べたら泣かす」って顔に書いてある。オルコットさんに至っては、目に熱が無い。
「ほらほら、どうした? 食わないのか?」
目の前で泳ぐ唐揚げに、私は思わず「ごくり」と生唾を飲んでしまう。カラッと揚げられた衣は、食べずとして旨いと断言できるだろう。こうして近くで見れば見るほど、美味しそうなから揚げだ。結局、私は食い意地に負けてしまった。
「では、一つだけ」
私は横髪が邪魔にならないよう耳にかけながら口を開いた。
「あ~ん♡」
「あ、やっぱりやめた」
急に唐揚げをサっとUターンさせる一夏。
スカされた私は「きゃふん」とブルーシートと接吻した。
「あれだけ見せびらかしておいて、やめるなんてひどいですよ、一夏!」
「ははは、しかたないだろ。急に食べさせたくなくなったんだからさ」
一夏は悪戯が成功した子供のように笑って、私が食べるはずだった唐揚げを頬張る。
さては、最初から食べさせる気なんて無かったんですね、このひとでなしは!
「唐揚げなのに、あげないなんて、そんなの唐揚げじゃないです」
「お、うまいこと言ったな、よし、そんなアリスには――」
「あ、くれるんですか?」
「このバランをあげよう」※バランを知らない人は、グーグル先生に聞いてみよう。
「いりませんよ!」
と、言いつつも貰ったバランをムシャムシャ食べる。少しだけど肉の味がした。
「まったく、お前らは何をやっているんだ。ほら、私の唐揚げをやるから機嫌を直せ」
私の惨めさを見かねてか、篠ノ之さんが自分の唐揚げを分けてくれる。
あぁ、なんと優しい人でしょうか。決めました。篠ノ之さんは私の嫁にします。一夏なんて、その辺のベンチにいる青いツナギを来たイイ男と結ばれればいいのですよ。ホイホイついていけ! ベーだっ!
「てかさ、箒のばかり食べてないで、あたしのも食べなさいよ!」
と、先ほどから篠ノ之さんのお弁当ばかり食べるもんだから、拗ねた鈴が頬を膨らませる。
ライバルのお弁当ばかり食べられたら、確かに面白くないだろう。
「まぁ、そう声を荒げるなって、鈴。ちゃんと食うからよ」
一夏がタッパーを開くと、辺りに甘酢のいい香りが広がった。人参、筍、ピーマン。タッパーの中身は鈴の得意料理、酢豚だ。彩も綺麗で、それが食欲を駆り立ててくる。
一夏は豚肉を頬張って「おおっ」という顔をした。
「うまい。うまいぞ、鈴。ほどよく甘辛くて、全然しつこくない」
「そうでしょう、そうでしょう。お母さん直伝の、あたしの勝負飯だもの」
褒められた鈴はどこか得意げだ。一夏も美味しい手料理を味わえて、ご満悦の様子である。
だが、その至福の時も、そろそろ終わりに近づきつつあった。
オルコットさんが“次は自分の番だ”とニコニコしていたからだ。
「では、一夏さん、次はわたくしのお弁当を召し上がってくださいな」
「お、おう」
意気揚々と勧められたバスケットに、一夏が戦々恐々の様子で手を伸ばす。その様子に“食べたくない”という彼の本心が透けて見えるようだった。でも、他の娘のお弁当を食べて、彼女のお弁当だけ食べないわけにもいかない。一夏は振るえる手で、サンドウィッチを取った。
そして、手にしたサンドウィッチを数秒ぐらい凝視したのち、何かを閃いた顔で私を見る。
「アリス、あ~ん」
「シャーッ!」
毒物を近づけてくる一夏を、私はヘビのように威嚇した。
さては、ラブコメを利用して、私に毒物を処理させようという魂胆ですねッ!
「誰が食べますかッ! そんな劇物ッ!」
と言ったところで、私は自分の失言に気づいた。
「わたくしの料理が劇物ですって?」
オルコットさんは、自分の料理が上手いと信じて疑わない。私の言葉は、彼女にとって侮辱に他ならなかった(そんな気はこれぽっちもないのだが。)しかも侮辱した相手が私とあって、怒りも二倍だ。
「あ、いや、あの……そのですね……」
私は鈴たちに助けを求める。だが、みんな首を横に振るばかり。事情を知らないデュノアくんだけが、にこやかな表情を浮かべている。こうやって、みんなで食事できるのが嬉しいのだろうか。なんであれ、楽しそうで何よりである。私はこれから死ぬかもしれないので、ちっとも楽しくないが。
「劇物なんて冗談ですよ、フフ。美味しそうですね、――いただきます」
観念した私は普通のサンドイッチであることを祈りながら口に入れる。
しかし、祈り虚しく、噛みしめた口内を未知の味が支配した。
味の要素は、甘味、辛味、酸味、苦味、旨味であるけど、そのいずれにも属さない味わいは、いうなれば
「これは、ひどい……」
結局、私はそのまずさに耐えきれず、ややして意識を失った。
♡ ♣ ♤ ♦
気づくと、私は真っ白な花畑に立っていた。視界を埋め尽くす、穢れ無き純白の花弁たちは、この世のモノとは思えない美しさを讃えている。そんな美しい景色の中で、一人の少女が私に微笑んでいた。
淡い桜色の髪に、愛らしくも賢さを宿したサファイヤアイ。手には小さな本。
そのちいさな本が聖書だと判ったのは、私が彼女を知っていたからだ。
「エイミー……」
死んだ友人との再会に、私はその場から駆け出していた。
ずっと会いたかったのだ。会って、話がしたかった。――そんな私に、エイミーが持っていた聖書を振りかぶる。
「そいやッ!」
って、え、投げるですか!
命中した聖書に、「ぎゃふ」と思わず涙ぐむ私。視界の端では、エイミーが優しく手を振っていた。
まだこっちに来るのは早い。自分の世界に戻れ。そういうように。
――ああ、あなたに謝りたいことがあったのに……。
その願い虚しく、私はエイミーに追い返される形で、この世界から去った。
♡ ♣ ♤ ♦
「あ、気が付いた?」
私が死の淵から生還すると、デュノアくんが私の顔を覗き込んでいた。
後頭部には柔らかい感触。彼が私を膝枕してくれているらしい。どうやら、意識を失った私を、デュノアくんが介抱していてくれているようだ。その事実に気づいた私は慌てて体を起こした。
「あ、すみません。手を煩わせてしまったようで」
「そんなことないよ。むしろ、リデルさんみたいな綺麗な女性を介抱できて得した気分さ」
さすがフランスの貴公子。口が上手い。でも、彼の甘言に反応したのは鈴だった。
「なになに、デュノア、甘い言葉はいちゃって、こいつに気でもあんの?」
鈴は日頃から私に“恋人を作れ”とうるさい。だからなのだろう。デュノアくんの甘いセリフを聞いた鈴は、私たちの間に嬉々と割り込んできた。
この思いかげない鈴の行動に、デュノアくんが「わっ」と驚く。その拍子に持っていたコップからお茶が宙を舞った。綺麗な放物線を描くお茶。それを頭から被った私はずぶ濡れとなった。
「あぁ~、ごめんね、リデルさんッ!」
デュノアくんが慌ててハンカチを取り出し、濡れた私を拭く。
透けたシャツの上から。私の胸を。ふにふにと。私はバカみたいに赤くなった。
「だ、大丈夫ですきゃら。しょこは、び、敏感なところでもありまふし……」
ダメだ。恥かしすぎて、呂律が回らない。
「でも、ちゃんと拭かないと染みになっちゃうから」
わざとなのか。それとも天然なのか。なおも私の胸を熱心に
私が羞恥心を超え、得体のしれない新境地を開きかけそうになっていると、箒が助け舟を出してくれた。
「こほん、デュノア、そこはアリスの胸だぞ」
「え?……あッ!」
篠ノ之さんに指摘され、デュノアくんは慌てて私から手を放した。
「ごめんね、ごめんね、わざとじゃないんだ!」
そう、何度も謝罪するデュノアくんの横腹を、鈴が肘でつっつく。
「やるわね、このすけべ。――で、アリスのおっぱい揉んだ感想は」
「え、こぶりだけど、とても、やわらかった、よ? ――って何を言わすの、凰さん!」
「だってさ、アリス」
「ぐすん、もうお嫁にいけません」
私は両手で顔を覆い泣くマネをする。そんな私の背を擦りながら、篠ノ之さんが言う。
「嫁に行けぬとは、一大事だな。ちゃんと責任を取れるのか、デュノア」
「せ、責任!?」
「取れないなら事案発生ですわね。でも安心してください、アリスさん。わたくしの知り合いに、この手の案件を得意とする弁護士がおりますわ。ええ、大丈夫です、女性の弁護士ですから」
「弁護士!?」
「きっと乙女を辱めた罪で、デュノアは全員にフレンチフルコースの刑ね」
「全員にフレンチフルコースの刑!? ど、どどうしよう、一夏!?」
「落ち着け、それ、大した刑じゃないから。というか、おまえら、あんまりシャルルをいじめんな」
狼狽えるデュノアくんを見てケラケラ笑う私たちを、一夏が半眼で諌める。
その様子を見て、ようやく冗談だと気付いたデュノアくんが胸をホッと撫で下ろした。
「なんだ、冗談だったんだ……、びっくりしたよ」
「すみません。反応がおもしろかったのでつい」
「だが、女性の胸をさわったのだから、これぐらいは当然の報いだろ」
と、篠ノ之さんが代わりのお茶をデュノアくんに渡す。私にもお茶を渡してくれる。
それから、しばらく食後の団欒を楽しんだあと、鈴が思い出したように、あの事にふれた。
「そういやさ、あんた、専用機持っていたのよね?」
鈴がお茶をすすりながら、私を見る。一夏と篠ノ之さんも私を見る。
オルコットさんはスっと目を鋭くした。
「わたくしも詳しく知りたいですわ。――本来、専用機持ちになるには、A以上の適正と100時間以上の稼働時間が必要ですわ。アリスさんには、その資格がおありじゃないでしょう?」
「いえ。私はその条件を満たしています。ただ――」私は言葉を詰まらせ「ただ、人前で専用機を使えない事情がありまして」
「あら、一体、どんな事情がおありだったのかしら。教えて下さらなくって?」
「すみません。それは言えないんです」
知りたい箇所を誤魔化されて、オルコットさんが更に視線を強める。
反対に擁護してくれたのは一夏と鈴だった。
「まあ、セシリア。そう、問い詰めてやるなって」
「ですが、一夏さんだって、知りたいでしょ? 彼女が何者なのか」
「確かに訊きたい事はたくさんある。でも、アリスにもいろいろ事情があるんだろ?」
「ええ、詳しくは話せませんが」
「ほら。それに俺たちはアリスにどういう事情があるかなんて、どうでもいいんだ。たとえ、どんな理由があっても、アリスはアリスだと思うからさ」
「あたしも一緒。だから、あんたが何者かは訊かない。でも、ひとつだけ言いたいことがあるの」
一夏と鈴は顔を合わせ、優しい笑顔で言った。
「助けてくれてありがとうな、アリス」
「ありがと。あんたのおかげで、あたしはまた一夏とこうやって一緒にいられる」
告げられた真っ直ぐな感謝に、私はうまく言葉を紡ぎ出せなくなった。
多くを語れない私に、“あなたはあなただから”と言ってくれたこと。
その信頼が、とてもうれしくて。
「……こちらこそ、その、こんな私を信じてくれて、ありがとうございます」
辛うじて絞り出した言葉は、ほとんど涙声だった。
そんな私を、鈴がカラカラと笑う。
「なに泣いてんのよ。あんたは、信頼に足るだけのことをしてきたのよ。当然じゃない。――で、あんた、実際どれくらいISに乗ってんの? あの操縦を見る限りだと長いでしょ?」
鈴の軽い対応に感謝しながら、私は正直に答えた。
「そうですね、1800時間ぐらいでしょうか」
『ぶっ』
お茶を噴出したのは一夏と篠ノ之だった。
ふたりには30時間って言っていましたからね。
「1800……。60倍だな……。どこでそんなに?」
「実はアメリカの空軍にいた経歴がありまして。もう除隊した身ですが、そこの第6IS航空団特務小隊という部隊で、2年ほど経験を積んでいました」
「第6IS航空団特務小隊ですって……」
当然、オルコットさんが蒼い目を見開いて、驚愕をあらわにした。
「なんだ、セシリア、そのISなんたら小隊っての知ってんのか?」
「はい。主に試験評価やアグレッサーなどを行っている部隊ですわ」
「アグレッサーって?」
「部隊に戦い方を教導する人。要するに、プロを訓練するプロたちだよ。僕たち代表候補生も実戦的な技術を身に付けるために、そういう人たちを雇ったりするよ」
「プロを訓練するプロか。どうりで教えるのが上手いはずだよな」
一夏と篠ノ之さんは、すこぶる納得した様子でうんうんと頷いた。
「それにしてもオルコットさんは、私のいた部隊に詳しいですね」
「実はわたくしの知り合い
だった。過去形。おそらく、その人物は故人なのだろう。
だから、判ってしまった。それが誰なのか。
(エイミー……)
まさか、オルコットさんがエイミーと知り合いだったなんて。
エイミーもオルコットさんと同じ越境鉄道の事故で両親を亡くしていたけど、同じ被害者という境遇から、二人は知り合ったのだろうか。
そんなことを薄ら考えていたら、一夏が真剣な眼差しで私を見つめてきた。
「どうしました?」
「いや、そのだな、実はお前の実力を見込んで、お願いがあるんだ」
「なんです?」
「アリス、もう一度、俺を鍛えてくれないか?」
姿勢を改め、深々と頭を下げる一夏に、私は優しく返事した。
「お断りします」
「え?」
「却下、拒否、不採用、です。済し崩し的にコーチを増やすのはよくないって知っているでしょ? あなたに、既に何人のものコーチがいるではないですか」
「でも、知ってるだろ、あいつ等の教え方が“あれ”で“それ”なのは……」
あやふやな言い方だったけど、言いたい事は伝わった。
彼女たちの教え方は『ぐぉーんとやれ』とか、『感覚よ、感覚』とか、『その角度は38度を意識して』とか、超抽象的か、超具体的なのだ。教えようという熱意は伝わってくるのだが、教わる側は理解に苦しんでならない。
そのせいか、このところ、彼の勝率は伸び悩んでいた。
それに襲撃の時、鈴を守れなかった一夏は、今まで以上に「強くなりたい」と思っている。代表候補生に勝利させた私に、再びコーチを依頼したい気持ちはわからないでもない。わからなくもないけど、篠ノ之さんたちの恋路を妨害してしまうのは避けたいし、何より私にはVTシステム捜査の任務がある。
さてどうしましょうか
私が悩んでいると、意外な人物が解決案を提示してくれた。
「じゃあ、リデルさんに代わって、僕がそのコーチ役に立候補してもいいかな? 僕、こう見えてフランスの代表候補生なんだ。専用機もあるし」
デュノアくんは首から鷲を模ったペンダントを取り出し、それを見せた。
名案ですね。女の私より、男である彼の方がいろいろと融通が利くし。
「どうかな?」
「ほんとうか! 助かるぜ、シャルル!」
一夏は、感謝の意を込めてデュノア君の手を握った。
その時の篠ノ之さんたちの表情は……嫉妬とも安心とも取れない複雑な顔だったけど。
「じゃあ、まず試験期間として一週間コーチするよ。ダメだったら解雇して」
「おう、わかった。じゃあ今日の放課後からたのむ」
話がまとまったようなので、なによりです。あとはデュノア君が教え上手である事を願おう。
さて、海から吹きつける風が眠気を誘ってくるが、ウトウトはしていられない。もうじき午後の授業が始まる。