IS<インフィニット・ストラトス>―Deus Ex Machina 作:ネコッテ
生徒会。一般的にそう言えば、学校行事を取り仕切ったりする組織であるが、IS学園の<生徒会>はちょっと事情が違う。その理由の一つに、学園の立場上の問題があった。
パワーポリティクスで動く現代社会において、軍事力を左右するISは重要な外交カードだ。
当然ながら、それを扱う本校生徒の重要性は高い。過去には、彼女たちを狙って偽装入学してきた工作員が摘発された事例もある。(かくいう私が、そのいい例だ)。
しかし、IS学園はある種の治外法権地区なので、国家の保安組織に頼れない。
そこで発足されたのが、この<生徒会>だ。彼らは学園の自警団と防諜を担い、さらには疑似的な警察権さえ有している。逆らえば、公務執行妨害(的なもの)になる。私が素直に従った理由のひとつだ。
さて、長くなってしまったが、私は今そんな組織の中枢に案内、もとい連行されていた。
「どうぞ、入って」
生徒会長に促され、生徒会室に入る。
内装はいたってシンプルだった。事務デスクが六つと、資料を収めたアルミ製の棚があるだけ。
あとは液晶テレビと最新ゲーム機、ティーセットがいくつか。
ここが学園の自警団<生徒会>の本部? どうみても、ただのオフィスにしか見えない。
「思っていたのと違うって顔ね。ここは表の生徒会室よ」
そういうことか。自警団としての仕事をする生徒会室は別にある、と。
「お~アリスだぁー、どしたの?」
私が身近にあった椅子に腰を下ろすと、知った声が聞こえてきた。
間延びしたしゃべり方と、ゆるいこの声は――
「
布仏さんこと、
ぽわぽわした雰囲気が特徴で、人を和ませることから『のほほんさん』と慕われている。
「なぜ布仏さんが生徒会室に? あ、もしかして、あなたも何かやらかしたのですか?」
「えー、違うよー。わたし<生徒会>の一員なんだよー」
「ふふ、面白い冗談ですね。もしかして、またドジして、学校の備品を壊したのですか?」
「いえ、彼女も列記とした<生徒会>のメンバーなのよ」
私は椅子から転げ落ちそうになった。
とろくて、いつも眠そうな布仏さんが<生徒会>のメンバーですって?
「ほ、本当ですか?」
「本当ですよ。――どうぞ」
私が布仏さんに疑惑の眼差しを向けていると、横から湯のみが差し出された。
『あ、どうも』と、その湯飲みを受け取る。
持て成してくれた人は、眼鏡を掛け、髪を三つ編みにした生徒だ。物腰は『仕事のできる女』といった感じで、知的な雰囲気を漂わせている。リボンが赤色だから、学年は三年生のようだ。
「あなたは?」
「私は
布仏虚と名乗った三年生は、雰囲気こそ正反対だが、よく見てみれば、目元や口元に妹と通じるところがあった。それにしても、姉妹の名が
早く退室したい私は、話を進めた。
「で、なぜ私を生徒会室に? 事情聴取、というわけではなさそうですが?」
そもそも訓練用リミッターを外して戦闘しただけだ。処罰は厳重注意ですむ。
この対応には裏があるとみていい。
「ふふ、話が早くて助かるわ。それでさっそくだけど、――あなた<生徒会>に入らない?」
生徒会長が『勧誘』という扇子を広げた。
「実は、前々よりあなたに目をつけていたの。僅か稼働時間2時間の少年を、代表候補生に勝たせる指導力。敵の情報を集め、対策を構築する戦術力。大したものね。それを見込んでのことよ。どうかしら?」
一見ただのヘッドハンティングのように思えた。でも、きな臭さが拭えない。何か裏を感じる。あの笑顔の裏側には、何かが陰謀めいた企みがあるようでならなかった。
これ以上は関わらない方がいいだろう。そう判断した私はNOと言った。
「お断りします」
「あらそう。残念ね。――でも、あなたには<生徒会>に入ってもらうわ。絶対にね」
その言葉に、私の警戒レベルが跳ね上がった。
自然と体に力が入る私に、生徒会長がスッと何かを差し出す。一枚の写真だった。
「それはイランで撮影された写真よ」
写真に写っていたのは、<赤騎士>を駆る私の姿だった。イランで撮影されたという事は、例の作戦で撮影されたものだろう。その写真を私に見せて、どうするつもりなのだろうか。どうも嫌な予感がする。
「実は私の知り合いに、その操縦者をすごく憎んでいる人がいてね」
私の眉がピクっと動く。即座にその人物の名前が脳裏に浮かんだ。
彼女が仄めかしている人物は、ロシアの元代表候補生、ソフィア・アルジャンニコフだ。
「もし協力してもらえないなら、その怖いお姉さんに、あなたのこと、教えちゃおうかしら」
私は思わず内心で舌を打った。
ロシアという名詞が出た時から嫌な予感はしていたけど、こんな手段に訴えてくるとは……。
「生徒の規範となるべき生徒会長が脅迫ですか?」
「悪いとは思っているわ。でもね、お姉さんの住む世界は、きれい事だけじゃ渡っていけないの。――さて、アリスちゃん、私たちと仲良くするか。ソフィアと
生徒会長は、私の皮肉など歯牙にも掛けず『二者択一』と書かれた扇子を広げた。
出来るならソフィアは相手にしたくはない。かといって、この読めない生徒会長に協力するのも控えたいところだが……。
「他に交渉の余地は?」
「ないわ」
「…………5分、考えさせてください」
そう言って、一時的に生徒会室を退室する。そして、廊下に誰もないことを確認し、<赤騎士>を介した衛星通信で、上司であるロリーナに暗号通信を繋いだ。
『あらあら、アリス。どうしたの? 私が恋しくなったのかしら?』
「面倒な事になりました。実は――――」
私は経緯を簡単に説明し、上司に対応を求めた。
『いいんじゃない?』
帰ってきたのは、呆れるほどあっけらかんとした返答だった。
私は一瞬「はっ?」とまぬけな声を出してしまう。
「いいのですか」
『ええ、<生徒会>なんて所詮小さな箱庭の組織でしょ? できる事なんて高が知れているわ』
「しかし、<生徒会>を取り仕切っているのは、あの更識ですよ?」
一般には認識されていないが、更識は日本の対暗部用暗部――現代で云う
日本は対外諜報機関を持たないと公言しているが、情報を守るための組織は持っている。
『大丈夫よ。例え相手が日本の防諜組織だったとしても、
「切り札?」
『そういう事だから、とりあえず今は相手の要求を受け入れときなさい』
それだけ告げ、ロリーナは通信を切った。
私はしばらく≪OffLine≫と表示されたウィンドウを訝しい目で見つめる。どうにも腑に落ちなかったが、組織の上層部<お茶会>のメンバーであるロリーナがOKを出したのだ、末端の私はそれに従うしかない。
丁度5分後。私が生徒会室に戻ると、生徒会長が得意げな貌で待っていた。
「ふふ、考えはまとまったかしら?」
おおよそ、私がどんな返答をするか予測できているのだろう。
全てを見透かしたような目に苛立ちを覚えながら、私は『呑みます』と了承した。
「じゃあ、交渉成立ね。――虚ちゃん、例のものを」
「はい。では、アリスさん、この書類にサインを」
渡された書類に簡単に目を通す。
契約内容に問題がないことを確認し、私は乱暴に書類へサインした。
「これで満足ですか」
「うんうん、大満足。これであなたも晴れて、生徒会の犬――じゃなくて一員ね」
「今、犬って言いましたよね、犬って!」
確かに私は
「ふふふ、そう怒らないで。それに悪いことばかりじゃないわよ? <生徒会>に入れば、色んな特権が与えられるわよ。それに虚ちゃんがおいしいお茶とお菓子を用意してくれるわ」
「え♡――いえ、何でもありません……」
私は耳まで真っ赤になって俯く。一瞬でもお菓子に目が眩んだ自分が恥ずかしかった。
お菓子につられるなんて、これじゃ本当に犬じゃないですか……。
「ふふふ、可愛いところあるじゃない。お姉さん、あなたのことが気に入っちゃったわ♡」
「私はすこぶる気に入りませんが、一応、よろしくとだけ言っておきます」
「こちらこそ、よろしくね。それでアリスちゃんには、これから二人一組で<生徒会>の仕事にあたってもらうから、そのつもりでいてね」
「はいはい、わかりましたよ……。それで私のパートナーというのはやはり?」
「はいはーい、わたしだよー」
見当は付いていましたけど、やっぱり布仏さんですか。なんだか不安ですね……。
「本音、迷惑かけないようにね」
「だいじょーぶだよ!」
布仏さんはえっへんと胸を張るが、虚さんは不安そうな顔だ。
その気持ち、すごくわかる。私だって幸先に不安を感じていますから。
「ねーねー、アリスー、コンビ組んだんだし、ニックネームで呼び合おうよー」
「いいですけど、なんでまた急に?」
「本音は、刑事ドラマが好きなんです。それもハードボイルドな」
布仏さんは得意げに指鉄砲を作って「ばきゅん☆」と撃つ真似をした。
虚さんの話によれば、警察のドラマでは、刑事同士がよくニックネームで呼び合うらしい。
「わかりました。では、布仏さんのニックネームは……無難に『のほほん』で」
「うん、いいよー。じゃあ、アリスはぎっちょん、ね。よろしくー、ぎっちょん」
「絶対にいやです。なんですか、ぎっちょんって。訂正を要求します」
私が強く抗議すると、のほほんさんは姉の後ろに隠れた。
そこから半分だけ顔を出して、こちらの様子を伺う。
「だめー。もう決めちゃったもん」
「ぎっちょん、いいニックネームだと思いますよ?」
と、虚さん。私は『どこがですか』と半眼で言い返す。
「さて、ニックネームも決まった事だし、のほほん、ぎっちょん。あなたたちにさっそく仕事よ」
私が変な呼び名にげんなりしていると、椅子に腰掛けていた会長が言った。
その手には、なぜかとても大きなワイングラス。しかも、女性には不釣合いなサングラスまで掛けている。どこかで見たことのある格好だ。誰とは言うまいが。
「ぎっちょん、これを」
ぎっちょんで確定なのか。私は肩を落としながら、虚さんからクリップボードを受け取る。
クリップボードには、知った顔のプロフィールが挟んであった。
「シャルル・デュノア?」
「実はね、彼には性別詐称の疑いがかけられているの」
やっぱりか。私も彼の性別については、怪しいと思っていたけど。
「それで、あなたたちには、その証拠を掴んできてほしいのよ。同じクラスでしょ」
「でも、わざわざ調べる事ですか? 仮に彼が女性だったとしても、それは些細な事でしょ?」
ほぼ全ての個人情報が虚偽の私に比べれば、彼の性別詐称なんて可愛らしいものだ。
「そうね。男か女かなんて些細な事だわ。――ここが普通の学校ならね。ここでは性別の違いが、その存在価値を大きく変えてしまうの。あなたもそれを知っているでしょ?」
「それはまあ……」
この学園に於いて性別というものは、適正値以上に重大なファクターだ。
それに些細であっても詐称である事に変わりはない。なら、運営側――特に学園の治安維持を務めている<生徒会>からすれば、何かしらの措置を講ずる必要がある。見逃す事は論外。それは学園の信用問題に関わる。
「わかりました。で、許容範囲は?」
許容範囲。つまりは生徒に対してどこまで行っていいのか、という話だ。
「できるなら、強引な手は控えてちょうだい。拉致して、衣服を引っ剥がすとかはダメ。盗撮とか生徒のプライベートを著しく侵害するのもダメよ。可能な限りソフトなやり方が好ましいわ」
「それって実質、自供しか手がないじゃないですか」
これは難しい。私は口がうまい方じゃないのに。
「そうでもないわ。ハニートラップっていう手もあるわよん♡」
ハニートラップ。男性を誘惑して懐柔することだ。
私は一瞬だけデュノア君と肌を重ねる自分を想像してしまった。
『アリス、僕が気持ちよくしてあげるね♡』
デュノア君の甘い声が脳内再生され、私は紅潮を通り越し、のぼせそうになった。
「あなた、可愛いからうまくいくわよ」
「むむむむ、無理ですよ、私、キスもまだなのに……!」
私は悪魔召喚のような怪しい動きをしつつ、目をうずまきのようにグルグル回す。
実のところ、私はそーゆー経験が一切ない。その、処女、なのだ……。
「奇遇ね。実はお姉さんもまだなのよ」
会長は自分の唇に人差し指を当てて、艶やかになぞった。
「お姉さんのファーストキス、奪ってみる?」
「いりません!」
「ふふ、ムキになるところが可愛いわね。このツンデレさんは」
「仮にそうだったとしても、あなたみたいな人には絶対デレませんから。誓っていいです」
「そんなこと言われたら、余計に攻略したくなるわね」
「残念ながら、私は攻略不可です。よってアリスルートもアリスEDも存在しません」
「そう。じゃあ、代わりにソフィアとのBADENDフラグを立てちゃおうかしら」
「ぐすん、会長なんて嫌いです……」
「私は好きよ。あなたの事」
「あの、お二人方、話が脱線し過ぎです。話を戻しますよ」
虚さんが口論する私と会長を窘め、話の路線を戻す。
「ではアリスさん、シャルル・デュノアの件よろしくお願いしますね。あと念のためにコレを」
と、虚さんから渡されたのは、正方形のビニール製品だ。真ん中には『家族作りは計画的に』というメッセージがプリントしてある。これは、もしかしてアレの時に使うゴム製品ですか!?
「なななな、なんでこんな物を私に!」
「もしシャルル・デュノアが正真正銘の男性だった場合、必要になってくるおそれがあります。なんせ、男はみんなオオカミですから。きっとフランスの貴公子と呼ばれている彼も例外ではありません」
「いや、待ってください。私はハニートラップを仕掛けるなんて一言も……」
「そ、そして、終わったら、ぜひ、感想を聞かせてください!」
虚さんの瞳があまりに真剣だったので、私は何も言えなくなった。
虚さんってまじめな人だと思っていたけど、やっぱり、そういうことが気になる年頃なのですね。
「じゃあ、今日はこれでお開きにしましょうか」
「じゃあ、失礼します……」
一秒だってココにいたくなかった私は、そそくさ荷物をまとめた。
「あら、もう帰っちゃうの……?」
まるで遊びに来た恋人との別れを惜しむような、甘えた口調だったけれど、私は無視した。
どうせ本心じゃないし、ぐっともこない。きてもこまるけど
「そういうことは、自分の恋人に言ってください」
気力ゲージがゼロだった私は、そそくさ踵を返した。
そんな私の後ろを、のほほんさんが『ぎっちょん、一緒に帰ろー』と付いてくる。
断る理由もなかったので、私は彼女と並んで生徒会室を後にした。
♡ ♣ ♤ ♦
「ようやくね」
夕焼け色に染まる時刻。アリスがいなくなった生徒会室で、更識楯無は一人つぶやいた。
ようやくだ。ようやくあの組織へ近づくための“
「<デウス・エクス・マキナ>」
白騎士事件以降、世界では箍が外れてしまったように様々な問題が浮上した。
冷戦、女尊男卑、第三世界の核保有、バイオショック、モラルハザード、国連の機能不全。そんな悪化の一途をたどる国際情勢の裏で暗躍する武装組織<デウス・エクス・マキナ>。
この数年で、彼らの影響力は次第に大きくなっている。
いまでは大国でさえその存在を無視できず、それぞれがアプローチをかけている。
更識もその中のひとつだった。
しかし、更識の力を以てしても、彼らとの接触は困難を要していた。
そんな矢先に現れたのがアリスだ。
アリスが組織への足掛かりになることを確信した楯無は、強引な手段に訴えてでも、彼女の身柄を自分の影響下に置いておく必要があった。――彼女を懐柔し、
そう、彼女は知っているのである。拷問より懐柔の方が、諜報的に効果的であることを。
愛は静かに相手の心を麻痺させる。愛情は諜報員にとって最も便利なスパイアイテムなのだ。
(さて、どうしようかしら)
懐柔とはいかにして相手の心に侵入するかだ。しかし、あの手の――意志の強い人間には、心のセキュリティーホールがない。つまり、更識でも骨が折れる相手なのである。
だが、楯無の顔に面倒の色はない。むしろ、人たらしの性が疼いてしかたなかった。
「また、何か好からぬ事をお考えですか?」
やらしく舌舐めずりする楯無の後ろで、虚が言った。
「あら、わかる?」
「はい。私はあなたの幼馴染ですから」
どこか誇らしげな虚に、楯無はにこやかに笑った。
更識と布仏は、本家と分家の関係にある。その間柄から、楯無と虚は幼い頃から苦楽を共にしてきた。今や言葉を交わさずとも、相手の気持ちを汲み取るなど造作もない。
「じゃあ、明日のお茶、奮発してもらえるかしら。あの娘、甘い物が好きそうだから」
「餌付けですか?」
「ええ。昔から言うでしょ。意中の相手を射止めたいなら、まず相手の胃袋を握れってね」
「わかりました。では、話題の人気店『リップ・トリック』のケーキを用意しましょう」
「うん、お願いね」
『はい』と答え、虚はさっそく用意に取り掛かった。
『リップ・トリック』のケーキは人気があるため、前日に予約しなければ入手困難なのだ。
♡ ♣ ♤ ♦
「なにかアリスに面白そうなことが起こりそうな気がする」
ラウラとの一騒動終えた帰り道。なぜか、俺はそんな気がして足を止めた。
「くそ~、最近アリスをいじる奴が増えてきた気がするな……」
アリスは俺にとって数少ない、つーか、唯一からかえる女の子だ。
そんな彼女をからかうのが、風呂に次ぐ俺の楽しみだったのに……。
「ぐぬぬ」
「何が“ぐぬぬ”なんだ?」
誰もいないはずの背後から声が聞こえ、俺は慌てて振り返った。
背後に立っていたのは千冬姉だった。
「うわっ、千冬姉!……じゃなくて、織斑先生、どうしてここに?」
「アリーナで騒ぎがあったと聞いてな。どうも、ラウラがまた難癖をつけてきたようだな」
神妙な顔をする千冬姉に、俺は先の出来事を思い出した。
「難癖というか『貴様のせいで、織斑教官は<モンド・グロッソ>で二連覇を成し遂げられなかった』とか『その無念を教官に代わって晴らさせろ』とか、そういうことは言われたけど」
そこまで言って、怒りで体が熱くなった。
でも、それはラウラに対する怒りからではない。自分の弱さに対する怒りからだ。
「それで、その、千冬姉、俺は……」
俺が胸中のモヤモヤを吐き出そうとすると、千冬姉がスーと目を閉じた。
これは千冬姉の癖だ。悩み事や考え事がある時、こういう仕草を見せる。
「そうか。まぁ、それについては、気に病むな。私は二連覇を逃したことに未練も無念もない。ましてや、その責任がお前にあるなど、一度も思った事はないから安心しろ」
千冬姉には珍しく、優しい声音でそう慰めてくれる。
みんなもそうだ。アリスも、箒も、鈴も、お前は悪くないって言ってくれる。
だけど、いくら優しい言葉を貰っても、俺に対する俺の“怒り”は簡単に消えてくれなかった。
「でも、思うんだ。あの時、俺に“力”があれば、せめて抗うだけの力があれば、千冬姉はあんな目に遭わなくて済んだんじゃないかって……。そう思うと、俺、悔しくて、悔しくて、堪らなくなるんだ」
無力だった自分。その悔しさから拳を硬く握る。強く、血が滲みそうなぐらいに。
そんな俺の肩に千冬姉が優しく手を置いた。
「では、その悔しさを糧に強くなれ。そして、今度はお前が誰かを救ってやればいい」
「え……?」
「いいか、一夏。償いとは、己を咎め続ける事でも、ましてや自ら命を絶つ事でもない。その経験で感じた事を糧に、人として強く、優しくなることだ。そして、その強さと優しさを以って、人々の幸せに貢献する。それが償いだ」
人として強く優しくなること。それを以て人の幸せに貢献すること。
そうか、俺は大きな勘違いをしていた。
己を咎め続ける事も、死んで侘びる事も、全て自己満足でしかない。
それでは誰も報われない。大事なのは、他の誰かのために、何をしてあげるか。
「わかったら諌めるのをやめて、特訓に励め。今のままじゃトーナメントも初戦敗退だぞ」
千冬姉は微笑みながら、俺の額を小突く。
なんだろう。まるで憑き物が落ちたような、不思議な気持ちになった。
「ありがとう、千冬姉。今ならラウラとも真っ直ぐ向き合えそうな気がするよ」
「そうか。――なら、ラウラについて少し話をしてやろう」
「ラウラについて?」
「ああ、なぜラウラがあそこまで私に固執するのか、についてだ」
それはすごく気になった。
いくら敬愛しているとはいえ、ラウラの千冬姉に対する執着は常軌を逸している。
「それでまず、私が少しの間ドイツ軍でIS部隊の教官をしていたのは知っているな?」
「ああ」
前にも言ったが、千冬姉は一年間ほどドイツ軍の教官を務めていた事がある。
実は俺の誘拐事件の際、捜索に尽力してくれたのが、
その時の借りを返すため、千冬姉は一年間だけドイツIS部隊の教官を買って出たのである。
「ラウラと出会ったのは、その時だ。だが、当時のラウラは今と違って酷いものだったぞ。目は虚ろで、頬は痩せこけていた。今のような覇気もなく、まるで亡霊のようだった」
意外だった。圧倒的な存在感を放つ今のラウラからは、想像もできなかった。
「さすがに、そんなラウラを訓練するのは気が引けてな。ISの技術を教える傍ら、いろいろ世話を焼いてやったんだ。飯をご馳走してやったり、女の嗜みを教えてやったり、さながら母親のようにな」
千冬姉はどこか懐かしむように語っていた。
もしかしたら千冬姉も千冬姉で、ラウラの世話焼きが楽しかったのだろうか。
「だが、今思えば、私はラウラに情を注ぎ過ぎたのかもしれん。それがある問題を浮上させた」
ある問題? 下士官に慕われる事のどこに問題があるのだろうか。
そんな表情をする俺に、千冬姉は神妙な顔つきで重々しく言った。
「実はラウラの出自は特殊でな、両親がいない」
俺は驚きで目を瞠いた。両親がいないだって……?
「まさか俺たちと一緒で、親に捨てられたのか?」
「いや、あいつの場合、事情はもっと複雑だ。詳しくは聞かない方がいい」
何だろう、凄く気になる。でも、訊かない方がいい気もしてきた。
千冬姉があえてそう言ったって事は、俺が激昂するような、胸糞悪い理由なのだろう。
「それであいつは、生まれながらの天涯孤独でな、ずっと“家族”というものに憧れを抱いていた」
「もしかして、ラウラは千冬姉のことを本当の家族のように?」
千冬姉は頷き、肯定した。
「だから、ラウラは私にこう言ってきた。『自分を貴女の家族にしてほしい』とな」
「それって織斑家の養子にしてくれって事か? それで、どうしたんだ?」
「どうしたも、こうしたもない。私はおまえにラウラを紹介した事があったか?」
いや、なかった。そもそも千冬姉の話は1年以上前のことだ。もし千冬姉がラウラを養子に引き取っていれば、こんな事態に発展していない。つまり、千冬姉はラウラの申し出を断ったのだ。
「でも、なんで?」
経済的な理由? それとも法的な問題? もしかして俺が原因だったりするのだろうか?
素朴な疑問を投げかけると、千冬姉は視線を逸らし、どこか遠いところを見た。
「――自信がなかった」
千冬姉が、か細い声でそう漏らす。
あまりに弱々しい声音だったので、俺は聞き逃してしまった。
「え? 千冬姉、今なんて?」
「何度も言わすな、自信がなかったのだ。――お前とラウラを平等に愛せる自信がな。所詮、私はちょっとばかりISの扱いに長けただけの小娘だ。聖人君子みたく万人を愛せるほど出来た人間ではない。やはり、赤の他人と実の弟では、実の弟の方が可愛い」
俺はいろんな意味で言葉を失った。
なんだろう、うれしいはずの言葉なのに、なぜか素直に喜べない。
「片や愛情。片や同情。そんな不平等な愛し方では、ラウラが辛いだけ。そう考えて、私はラウラに言った。
『私には弟がいる』とな。
その言葉を聞いた途端、ラウラは何も言わず、その場を駆け出していった。おそらく『私には弟がいる――私の家族はその弟だけだ』、大方そんな風に受け止めたのだろう。いま思えばあの言葉は浅慮だった。私がもっと言葉を選んでいれば、こんな事態にはならなかっただろう……」
千冬姉は自虐的な笑みを浮かべた。
千冬姉のそんな表情を見るのは初めてで、俺は少し面を食らってしまう。
「じゃあ、ラウラが俺に突っかかってくる理由って」
「おそらく、自分が私の“家族”になれないのは、お前がいるからだ、と思っているのだろう。だから、ラウラはお前を否定し、抹消する事で、私の“家族”になろうとした。<モンド・グロッソ>の一件を引っ張り出してきたのは、お前を否定するための口実材料だろう」
そうか、<モンド・グロッソ>の事を引き合いに出して、俺の存在を否定する。
そうすることで、自分の方が千冬姉の“家族”に相応しい事を証明しようとしたのか。
「でも、そんな事をしたって“家族”にはなれないだろ。“家族”はそうやって作るもんじゃない」
「その通りだ。だが、ラウラは戦う事しか知らない不器用な娘なんだ。人の愛し方も、愛され方も知らない。やり方は歪だが、あいつはあいつなりに、私の気を惹こうと一生懸命なんだ。だから、あいつを悪く思わないでやってくれ。悪いのは、あいつの気持ちに応えてやれない私なんだ」
「千冬姉……」
俺はかける言葉が見つからなかった。家族として何か言ってあげたいのに、何も出てこない。
それに自分の未熟さを思い知りつつ、俺は辛うじて言葉を絞り出した。
「その、俺は平気だから。ラウラを恨んだり、憎んだりしてないよ」
ラウラに腹が立つところはあったし、気に入らないところもあった。でもそれは、明日には忘れてしまうような些細な苛立ちだ。ドロドロした感情じゃじゃない。それに千冬姉から話を聞いた事で、ラウラに対する俺の認識も変わりつつあった。
「そうか。それは助かる」
それだけを言い、千冬姉は『話はこれで終わりだ』と踵を返す。
「それと、これは私とラウラの問題だ。おまえが気を遣う必要はないからな」
その後、千冬姉は振り向くことなく、そのままアリーナの方へ歩いていく。
俺は何も言わず、それを静かに見送った。