IS<インフィニット・ストラトス>―Deus Ex Machina   作:ネコッテ

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第24話 シャルル・デュノアのコンプレックス

 いま起こった事を、ありのまま話すぜ?

 千冬姉と別れた後、俺は“ラウラと、どう接していくか”を考えながら、帰路に着いていた。

 その途中、浴室のボディーソープが切れていたのを思い出したんだ。あれがないとシャルルが困るだろうと思って、学園内にある売店に寄って、ボディーソープを買って帰ったんだよ。そして部屋に着いたら

 

 

 女性下着をつけた(・・・・・・・)シャルルを運ぶ、アリスとのほほんさんがいたんだ。

 

 

 何を言っているか解らないと思うが、俺も何が起こっているのか解らないんだ。

 なぜ、男のシャルルが女性下着をはいているのか。

 なぜ、彼は気を失っているのか。

 なぜ、俺の部屋にアリスとのほほんさんがいて、彼を運んでいるのか。

 でも、コレだけは云える。俺は見てはいけないモノを見てしまったのだ。

 その証拠に、のほほんさんがゾンビのように両手を突き出して襲ってきた。

 

「おーりーむー、見ーたーなー」

 

 このままだと目撃者として消されかねない! 俺は、咄嗟にドアを勢いよく閉めた。

 その向こう側で、バコっという派手な音が鳴る。どうやら勢い余ってドアにぶつかったらしい。

 

「だ、大丈夫か?」

 

 必要以上に大きい音だったので、俺は心配になって部屋の様子を窺った。

 

「おりむー。ドア、きゅーにしめる、だめ。わたし、きゅーに止まれない……」

 

 真っ赤になった鼻を押さえながら、のほほんさんは言った。

 

「いや、その、すまん」

 

 涙ぐみながら蹲るのほほんさんにそう謝る、そのあと、俺は気づいた。――アリスが居ない事に。

 直後、背後に誰かの気配。アリスだ。

 しかし、そう思った次の瞬間には、視界が逆さまになり、俺は意識を失っていた。

 

 くそ、なぜ俺がこんな目に……

 

 

 

 

 

 なぜ、彼がこんな目に遭わなければならなかったのか。

 それは、時をさかのぼること、数十分前の事だ。

 

 

 

 

 

 私は面倒事を真っ先に片づける主義だ。それは仕事でも同じで、たとえ疲れていても、さっさと片付けるようにしている。というわけで、私はデュノア君の件を片付けるため、彼の部屋をノックした。

 だが、いくら待っても、応答が返ってこない。

 

「いないんでしょうか……?」

 

 もしかしたら、まだ一夏との訓練から帰ってきていないのかもしれない。

 時間を改めようかと思いつつ、なんとなくドアに触れると、扉が開いた。カギはかかっていなかったようだ。無用心だなと思いながら、私はのほほんさんと顔を合わせた。

 

「どうします?」

「入っちゃおーか?」

 

 のほほんさんの提案に、私はすこし考えた。

 

「そうですね。確認を兼ねてお邪魔させて頂きましょうか」

「うん」

 

 というわけで、私たちはそーっとデュノア君の部屋に入る。

 部屋は仄暗く、人の気配はなかった。

 本当に誰もいないのかと思いきや、バスルームから水の流れる音が聞こえてきた。

 

「でゅっちーかな?」

 

 だとしたら、チャンスだ。彼の入浴を覗ければ、決定的な証拠を掴めるかもしれない。

 もちろん、バスルームにいるのが、一夏だという可能性もある。それはそれで――いえ、なんでもないです!

 

「のほほんさん、このシチュでのぞかない手はないですよね?」

「ないよね」

 

 ふたりしてグフフと笑い、忍び足でバスルームへ向かう。

 脱衣所に忍び込みこむと、ガラス越しのバスルームに人影が見えた。ぼかしガラスなので断言はできないが、入浴中の人物は金髪のようだ。俄然、デュノア君の可能性が高くなる。

 

「なんかどきどきしてきたー」

「私もです」

 

 正直、傍目からは完全に変態だったけど、私たちは構わずガラスの戸を開けた。

 そこから漏れる湯気に目を細めつつ、浴室を覗き見る。そこには――

 

 少女が立っていた。

 

 慎ましく膨らんだ二つの乳房。くびれた腰から続く綺麗なお尻。それらが描き出す芸術的な曲線美。滴るしずくが、その曲線をなぞる度、ドキリとする色気が醸し出された。

 まさに美少女。

 だが、その顔はフランスの貴公子こと、シャルル・デュノアその人だ。

 これで決定ですね。<生徒会>の読み通り、シャルル・デュノアは男装の麗人だった。

 あとは気づかれないように、この場を――

 

(ぎっちょんだけ、ずるい。わたしも見るー)

 

 そう言って、のほほんさんが横から体当たりしてくる。

 その拍子にドアが全開になり、私とのほほんさんは雪崩れ込むようにバスルームへ。

 

「えっ……?」

 

 ドタンバタンと浴室に入ってくる私たちに、デュノアくんが目を丸くする。

 無理もない。男なら悲鳴を上げればいいですけど、相手が女ではね。

 とはいえ、気まずい雰囲気であることに変わりはない。私がどう誤魔化そうか考えていたら、のほほんさんがグッと親指を立てていた。

 

「シャルル君、ないすばでぃー」

 

 さすがのほほんさん、この状況でものほほんだ。

 

「あ、ありがとう……」

 

 そして、満更でもなさそうなデュノアさん。

 いや、あの、私が言うのもアレですが、そこはお礼を言うところじゃないと思いますよ?

 

「じゃなくて……いや、あのね、これは、違うんだよ……」

 

 ようやく事の重大さに気づいたデュノアくんが、血相を変えた。そして、慌てて私たちに詰め寄ろうとする。だが、それがいけなかった。

 ツルッ

 慌てるあまり、濡れた床に足を滑らしたデュノアさんは、ドジッ娘よろしく引っくり返った。

 私たちが「あ」と言う間もなく、床に頭部を強打して気を失うデュノアさん。

 しばらくの間、シャワーの音だけがバスルームに響く。

 

「今のうちに、逃げます?」

 

 私のろくでなし発言に、のほほんさんは冷静な口調で言った。

 

「風邪を引いたら大変だから、冷えない内に体を拭いてあげて、ベッドに寝かせてあげるべきだと思うー。それと目が覚めたら事情を説明して、念の為に頭の検査を受けてもらった方がいいかもー」

 

 ハキハキと――でも口調はのほほんと――的確な意見を述べるのほほさんに、私は感心した。

 逃げようなんて思った自分が恥ずかしいかぎりだ。

 

「そうですね、そうしましょう」

 

 デュノアさんの体を浴室から運び出し拭いたあと、私たちは彼女の体を拭き、下着を着せた。それから私が頭部を持ち、ほほんさんが足側を持って、彼女を脱衣所から運び出す。そうやってデュノアくんをベッドに運んでいると、自動ドアの開く音がした。

 ――入ってきたのは、ルームメイトの一夏だ。

 一夏は下着姿のデュノアさんを運ぶ私たちを見て、持っていたビニール袋をドサっと落した。

 

「え? なにしてんだよ、おまえら」

 

 動揺する一夏に、私とのほほんさんが顔を見合わせる。

 参りましたね。ここで一夏に騒がれたら、面倒なことになります。

 

(しかたありません。彼の口を封じしましょう)

(第一目撃者は消される運命ー)

 

 アイコンタクトで頷き合い、まずのほほんさんが動いた。

 

「おーりーむー、見ーたーなー」

 

 のほほんさんが両手を突き出し、一夏の口封じにかかる。

 でも、相変わらず動きが遅い! あれじゃ……

 

 バタン!

 

 予想通り、ドアを閉められてしまった。

 

「ふぇ!?」

 

 急に閉まったドアに驚くのほほんさんだったが、減速できず、そのまま派手に衝突した。

 あちゃー、これは完全に逃げられ――

 いや、そうでもなかった。一夏が音に反応して、部屋の様子を窺ってきたのだ。

 

「おりむー。ドア、きゅーにしめる。だめ。わたし、きゅーに止まれない……」

「いや、その、すまん」

 

 一夏の意識がのほほんさんに向いているのを見計らい、私は素早く背後に回り込んだ。

 そして近接格闘術(CQC)で、彼を床に叩きつけ、意識を刈り取る。一夏は目を回して、動かなくなった。

 

「これで一安心です」

 

 無事、情報漏洩を防げたので、私は蹲るのほほんさんの様子を窺った。

 

「――大丈夫ですか、のほほんさん、派手にドアとキスしましたけど」

「うー、大丈夫じゃないー、鼻がジンジンするー」

 

 ああ、鼻が真っ赤になっていますね。かわいそうに。

 

「では、私が痛くなくなるお呪いをかけてあげましょう」

 

 えっぐえっぐ、と涙ぐむのほほんさんの鼻を撫でながら、私は魔法の呪文を唱えた。

 

「痛いの、痛いの、飛んでいけー。生徒会長(・・・・)のところへ飛んでいけー♪」

 

 私が生徒会室の方向へ指を指すと、のほほんさんがぴたっと泣き止んだ。

 

「あれー、ほんとうに痛くなくなったー! ぎっちょん、すごーい!」

 

 ふふ、こう見えて私、黒魔術や呪術に精通していますから。

 そして、憎き生徒会長は鼻を押さえて悶絶している頃でしょう。愉快痛快です。

 

「じゃあ、一夏たちをベッドに運びましょうか」

「は~い」

 

 無事復活を遂げたのほほんさんと共に、私は手早く二人をベッドに運んだ。

 

 

     ♡          ♣          ♤         ♦

 

 

 お母さんとよく歩いたシャンゼリゼ通り。

 私の家は裕福じゃなかったから、洋服とかあまり買ってもらえなかったけど、不満はなかった。

 お母さんと並んで歩ける。それだけで、私は幸せだったから。それだけで私は……

 私の大好きなお母さん。お父さんのいない私の唯一の家族。

 でも、そんなお母さんはもういない。

 

 ――強く生きて。そして、必ず幸せになってね。それだけが私の願い。

 

 そう云い残して、お母さんはこの世界のどこでもない場所に行ってしまった。

 お母さんの優しい声も、陽だまりのような笑顔も、全て“過去”のものでしかない。

 それからだった。あの人が私の前に現れたのは。

 

 その日から私は人形になった。何も感じない人形に。

 そして、思い出せなくなった。お母さんの願いも、自分の名前も。

 

 

     ♡          ♣          ♤         ♦

 

 

 二人をベッドに運び終えて20分あまり。

 介抱の片手間、私がフランスの経済紙を読んでいると、デュノアさんが目を覚ました。

 

「り、リデル、さん……?」

 

 ベッドで目を覚ましたデュノアさんは、不思議そうな貌で私を見た。

 それから、状況を整理するように、しばらく天井を見つめる。

 

「……そっか、僕、バレちゃったんだったっけ……」

 

 事のあらましを思い出したデュノアさんは、不自然なほど冷静だった。

 その反応に少し驚く。てっきり、もっとあたふためくかと思っていたのだけど……

 ともあれ、私はまず事の経緯を説明した。

 

「実は、あなたに性別詐称の疑いが掛けられていましてね。<生徒会>の方から、その真偽を確かめるよう命令を受けたのです」

「そっか。それであんな事を……」

「はい、失礼かとは思いましたが、一番手っ取り早い方法だと思いましたので」

 

 そう言うと、一夏がお盆に湯飲みを乗せてやってきた。

 ちなみに、一足早く目を覚ました一夏には、既に上記の経緯を説明してある。

 

「ほら、はいったぞ」

 

 私とデュノアさんは彼に礼を言い、緑茶の入った湯飲みを受け取った。

 とてもいい香りがした。一夏は虚さんに負けず劣らず、お茶の淹れ方がうまいようだ。

 

「ん? のほほんさんは要らないのか?」

 

 一夏が私の隣にいるのほほんさんに尋ねるが、俯いたまま答えない。

 妙に思った私が耳を澄ますと、微かな寝息が聞こえてきた。

 そう言えばここへ来る途中『昨日は徹夜だったー』と言っていましたね。起こすのもかわいそうですし、このままにしておいてあげましょうか。事情は私が聞けばいいですし。

 

「それで、なぜデュノアくんは男装を? 趣味という訳ではなさそうでしたが?」

 

 一夏が腰かけるのを見計らい、私は事情を聴いた。

 

「実は、デュノア社の社長に、そうするよう命令されてね……」

「社長ってシャルルの親父だよな。なんで自分の娘にそんなことを?」

 

 一夏の疑問はもっともだった。

 普通の親なら愛娘に『性別を偽れ』などと命じたりしないだろう。だが、一体この世界に子を虐待する親がどれだけいる事か。デュノアさんのお父さんがその類の人種だったとしても何ら驚かない。ありふれた話だ、と思うだけだ。

 だけど、デュノアさんが発した言葉は、私の予想の斜め上をいった。

 

「僕はね、父と愛人の子なんだ」

 

 愛人の子。さすがの私も言葉に詰まった。一夏も驚愕に目を開く。

 千冬さんではないが、私たちはまだまだ小娘だ。だけど、愛人という言葉が、男女のどういた関係を示すかぐらいは知っている。つまり、彼女は不倫という背徳の末として生まれてしまった子……

 

「話を戻すね。それで二年前、僕を生んで育ててくれたお母さんが亡くなったんだ。それから一週間もしない内に、僕の父を名乗る人がやってきてね。身寄りの無かった僕は、その人の邸宅で暮らすことになったんだけど……」

 

 デュノアさんは掴んでいた湯飲みをぎゅっと握り、表情を顕著に曇らす。きっと良い目には遭ってこなかったのだろう。特にデュノアさんに対する本妻の態度は想像するに難しくなかった。

 

「まぁ、出自が出自だったから、本妻の人から嫌がらせはたくさん受けたよ。『泥棒ネコの娘はさっさと出て行け』とか、『お前は不徳の子だ』とかね。はは」

 

 デュノアさんは平然を装うとして失敗した。それを取り繕うとして、また失敗する。

 ようやく作った笑みでさえ乾いていて、見るに堪えない。

 それが当時の壮絶さを物語っているようで、私と一夏は愛想笑いすら返せなかった。

 

「それからしばらくして、デュノア社が経営危機に陥ったんだ」

「ちょっと待ってくれ、おまえの会社、経営危機なのか?」

 

 デュノアさんの言葉に、豆鉄砲をくらった鳩のような顔をしたのは一夏だ。

 彼の反応も当然か。デュノア社はフランスのIS企業最大手。量産機の世界シェアは第三位を誇る。一見すれば、順風満帆な企業に見える。だが、実際はそうじゃない。

 

「実は<ラファール・リヴァイヴ>の後継機に、<ラファール・リヴァイヴ・カスタム>っていうISがあるんだけど、これが全然売れなくてね」

「それってシャルルの専用機だよな。いい機体だと思うけど、なんで売れなかったんだ?」

「需要を見誤ったからですね。現在ISの需要は、第三世代型に移りつつあります。たとえ性能が良くても、顧客のニーズに合っていなければ、どこも買わないでしょう」

 

 兵器開発には技術力も必要だけど、それ以上にマーケティングの才能が必要だ。

 それに<ラファール・リヴァイヴ・カスタム>は、デュノア社の次期主力商品として莫大な資金を投じられたIS。投資を回収できなかったことが、大きな経営打撃になったのだろう。

 

「一応、デュノア社も、第三世代型の開発に着手し始めたんだけど、なかなか形にならなくてね。第三世代型の開発には、技術革新が必要なんだ。いまのデュノア社には、それだけの技術力がない」

「要は勝負商品が満足に売れず、会社の資金ぶりが悪化。起死回生の第三世代型の開発も行き詰り、その結果がこの経営危機だという訳です」

「そうだったのか。――で、それが男装と、どう関係があるんだ?」

「簡単、広告塔になれるからだよ。男性操縦者は希少だから、研究者や投資家の耳目を集められる。その宣伝効果をエサに、提携を結んでくれそうな企業や融資を集めようって目論んだんだ」

「でも、そんなことしても、すぐバレるだろ」

「うん。だから、僕は転入してきたんだ。一夏のデータを奪って偽装するために」

「じゃあ、俺のコーチを買って出たのも……」

「偽装工作の一環。でも、バレちゃったから目論みはここまでだね。話はこんなところかな。聞いてくれてありがとう。それと騙していて、本当にごめんね」

 

 デュノアくんは深く頭を下げ、騙していた一夏に深く謝罪した。

 しかし、一夏はデュノアくんの肩を掴み、乱暴に顔を上げされる。

 

「謝らなくいい。悪いのは、そんなことを命令した親だろ。それに俺が慕っていたのは、シャルル・デュノアっていう人間の人柄だ。性別がどうのこうので掌を返したりしない。――で、それよりどうなんだよ」

「……どう、って?」

「シャルルは俺たちに自分の出生や境遇を話してくれた。でも、おまえがそれに対してどう思っているかを、俺たちはまだ聞いていない。それでどうなんだよ、この事についてお前はどう思っているんだ?」

「どうも思わないよ。どう思ったって、どうにもならない。僕には、身寄りがいないんだ。あの人の言うことを聞いて、生きていくしかないんだよ」

 

 子供は大人の扶養がなければ生きていけない。着る物も、食べる物、住む所も、与えてくれるのは全て大人だ。子供が生きていくには大人の力が必要だ。その大人がどんなに腐っていても。

 

「くそっ……」

 

 その現実を目の当たりにして、一夏は酷く苛立っていた。彼はいまデュノアさんの父親を、全力で殴りたい気持ちでいっぱいだろう。――自分の子供を道具にするなって。

 けれど、殴ったところで、何も解決しないことを知っているから、彼は酷く苛立っているのだ。

 私はそんな彼を慰めるように、肩に手を置く。それから、改めてデュノアさんと向き合い、シンプルな問いを投げかけた。

 

「あなたはそれでいいのですか?」

「え……?」

「親権とか、扶養とか、そんな事はどうでもいいのです。心を殺し、家の傀儡に成り果てること。それであなたは幸せなのですか?」

「僕の……幸せ……?」

 

 ――強く生きて。そして、必ず幸せになってね。それだけが私の願い。

 

 刹那、何かを思い出したように、彼女の心の中で光が灯った。

 私は続ける。

 

「もし私が亡くなったお母さんなら、そんな事、望まないと思いますよ?」

 

 我が子の幸せが親の願い。

 それが全ての万人の想いとはいわない。けど、デュノアさんのお母さんは“子の幸せ”を願ったはずだ。なぜなら、デュノアさんのお母さんはデュノアさんを、こんなにも優しい子に育て上げた人だから。親の愛情なくして、こんな優しい少女は育たない。

 人が人に愛情を注ぐのは、人を想うがゆえだ。では、何を想うのか、それは幸福に他ならない。

 

「ぼ、僕は……」

 

 私の言葉に無感動だったデュノアさんの心が動き始めた。

 まるで古びた歯車が動きだすように、ゆっくりと、凍っていた心が動き出そうとしていた。

 

「……こんなの、全然、幸せじゃないよ……。友達をだまして……自分を偽って……。いやだよ……。もっとふつうでいたいよ……。でもね、僕にはどうする事もできなくて……」

 

 デュノアさんは嗚咽を堪えながら、一つ、一つ、嘆くように言葉を紡ぐ。

 身寄りがなく被扶養者であるデュノアさんは、父親の傀儡に成らざるを得なかった。

 本妻には嫌味を言われ続け、窮屈な生活を強いられていたのだろう。

 今まで、ずっと。

 そして、これからも、ずっと。

 彼女はデュノアという鳥籠で飼われている小鳥。飼われた小鳥は飼い殺される。それが運命。

 でも、運命は変えられる。人と出会うことで。そして、彼女は私と出会った。

 

「辛かったのですね。なら、そんな悲しい日々、今日で終わりにしましょう」

「終わりに?」

「何、簡単な事です。この手を掴むだけでいい」

 

 そう言って私は差し伸べる。悲嘆と絶望に暮れた少女に、救いの手を。

 

「私は救世主(メシア)ではありません。だから、たくさんの人は救えないけど、少女一人ぐらい救ってみせますよ。だから、貴女は私を信じて、この手を掴めばいい」

 

 私は差し伸べる。悲嘆に暮れた少女に、救いの手を。

 

「…………リデル、さん……」

 

 デュノアさんは救いを求めるにように、か細く、か弱いその手を伸ばした。

 私は、しっかりと、強く、硬く、握りしめた。彼女がこの手に希望を抱けるように。

 

「あなたの想い、しかと受け取りました。これより私が貴女のジャンヌ・ダルクです」

 

 そう、かつてジャンヌ・ダルクがオルレアンを開放へ導いたように。

 今度は、私がデュノアさんを開放し、自由へと導いてみせましょう。

 

「まったく、アリスはずるいよな。一人だけいい格好してさ」

 

 と、笑いながら一夏が、私たちに手を重ねてきた。

 

「俺もだ。俺もシャルルの力になるぜ」

 

 それは中途半端な正義感でもなければ、場の空気に流されたわけでもなかった。

 彼は思っていた。心の底から『彼女の力になりたい』と。

 なぜそう云えるのか。彼女の不遇を怒り、自分の無力さを嘆く、彼を見たからだ。

 

「いいの、一夏?」

「ああ。俺にできる事なんて高が知れてるけどさ、それでも俺はシャルルの幸せに少しでも貢献したいんだ。だから、俺にできることなら何でも言ってくれ。全力で力になる」

「一夏……ありがとう」

「これは頼もしい味方ができましたね。あなたがいれば百人力ですよ」

「じゃあ、わたしが加われば、百一人力だねー」

 

 そう言って、私たちの手に小さな手を重ねてきたのは、のほほんさんだ。いつ目を覚ましたのか判らないけど、『ふふふ』という不敵な微笑が、全て承知の上だと物語っていた。

 

「ありがとう、リデルさん、ありがとう、一夏。そして布仏さんも」

 

 デュノアさんから死相染みた表情が消え、その頬に熱い涙が伝う。

 デュノアさんは顔をぐちゃぐちゃにしながら、泣いていた。

 けれど、部屋が暖かい雰囲気に包まれた気がした。陽だまりの中にいるような、暖かさに。

 

「では、あなたの本当の気持ちを聞かせてください。私たちが力になりますから」

 

 私が改めて訊くと、デュノアくんははっきりと自分の気持ちを打ち明けた。

 

「わからない。でも、一夏たちと過ごした日々は楽しかった。一緒に食事して……、一緒に訓練して……、その時だけは、家のことを忘れられた……。ぼくは……、わたしは……ここにいたい。偽りのない、ありのままの自分で」

「わかりました。では、そうした上で、ココに残れるよう会長に話をつけましょう」

「ありがとう、リデルさん」

 

 さて、まだ一件落着とはいきませんが、これでひとまずこの件については――コンコン。

 訂正。もう一悶着ありそうな気がしてきた。

 

「一夏さん、いらっしゃいますー?」

 

 扉越しに聞こえてきたのは、オルコットさんの声だ。

 これは、まずい。なにがまずいいって、デュノアさんの格好だ。今の彼女は男装用のコルセットを外しているため、体つきがどう見ても女なのだ。目撃されたら、誤魔化しようがない。

 

「返事がないわね。寝てんのかしら?」

 

 この声は鈴。鈴も一緒なのか。

 これは尚更まずい。私、一夏、デュノアさんはバタバタ騒然とした。

 

「シャルル、とりあえず、どこかに隠れろ」

「そうですね。では、とりあえず、クローゼットに」

「バカ、なんでクローゼットなんだよ! てか、なんで、アリスが一緒に入ってんだ!」

「す、すいません。気が動転して……でも、ココ以外隠れられそうな場所が……」

「シャルル君、お布団に隠れたらいいよー」

『それだ!』

 

 のほほんさんの意見で、一夏が布団を捲り上げ、そこへデュノアさんが滑り込む。

 何も本人を隠す必要はない。布団で体を覆ってしまえば、それで事なきを得られる。

 

「なにやら、中が騒がしいですわね」

「そうね。カギ、開いてるみたいだし、入ってみよっか」

 

 そんな会話と共に自動扉が開く。デュノアさんを寝かしつけた私たちは、慌てて席に戻った。

 それと一寸狂わぬタイミングで、鈴とオルコットさんが部屋に入ってくる。

 

「よよ、よお、鈴にセシリア」

「あら、一夏さん、おられましたの?」

「あんたね、いるなら返事ぐらいしなさいよ」

「悪い、悪い。で、なんだ、二人して?」

「実は夕食のお誘いをしようかと思いまして。ところでデュノアさん、どうかいたしましたの?」

 

 布団に包まるデュノアさんを見て、オルコットさんが不思議そうに首を傾げる。

 私たちの間に、緊張が走った。のほほんさんは、のほほん。

 

「ああ、ちょっと体調が悪いみたいでさ。今、看病していたところなんだ」

「あら、そうですの?」

「う、うん、ちょっとね。うー、苦しいなー、うー、辛いなー、うー、うー」

「………………」「………………」

 

 ワザとらしい演技に、脂汗を浮かべる私と一夏。流石に大根過ぎますよ、デュノアさん。

 でも、幸い、鈴とオルコットさんは疑う素振りを見せなかった

 

「ふ~ん。で、アリスも心配になって見舞いにきたわけ?」

 

 と、私を見てニヤニヤする鈴。そんな彼女の瞳が言う。『やっぱり、そーゆー事なのね』と。

 実はあの昼食会以来、鈴は私とデュノアさんの仲を若干誤解している節があった。

 確かにデュノア君の転入以来、ずっと気には掛けていた。でもそれは『デュノア君って本当に男性なのだろうか』と疑っていたからだ。でも、鈴には私の勘ぐる視線が恋する乙女の視線に見えていたらしく、度々いらぬお節介を――いや、それは別の機会に話すとして、

 

「ええ、まあ、そんなところです。で、鈴はどういった用件で?」

「や、野暮な事聞かないでよね、そ、そんなの決まってんじゃない」

 

 鈴は頬を赤め、視線を逸らす。そんな彼女に『だと思いました』と私。

 

「という事らしいですし、一緒に食事でも取ってきたらどうですか?」

「うん、僕は大丈夫だから、行ってきなよ、一夏」

「そうだな……そうするか」

 

 誘いに応じれば、鈴たちをデュノアさんから離せる。

 その事に気づいた一夏が首肯した。

 

「じゃあ、いくわよ」「では、参りましょう」

 

 そうと決まれば、二人の行動は早かった。

 二人は仲良く一夏の両手をさらって、部屋を出て行く。私たちは手を振った。

 

「いってらっしゃい」

「ごゆっくり」

「いってらー」

「あんたもくるのよ」

 

 と、部屋を出る途中、鈴がのほほんさんの襟を掴んで、部屋から連れ出す。

 さては、私とデュノアさんを二人きりにしようって魂胆ですね。

 鈴、気持ちは嬉しいんですけど、こういった気遣いはけっこうです!

 そんな私の心情など知る由もない鈴は、『うまくやんのよ』とウィンクして部屋を出ていった。

 

「やれやれ。鈴には困ったものです」

 

 と、かぶりを振う。

 でも、せっかく二人きりになれたので、アレ(・・)をデュノアさんに渡しておこう。

 

「そうです、デュノアさん。貴女にこれを渡しておきますね」

 

 私はデュノアさんの手を取り、ポケットに入れていた例のゴム製品(・・・・・・)を握らせた。

 デュノアさんが不思議そうに掌を開く。そこには『家族作りは計画的に』という文字。

 

「え!? これ、その、あれだよね! アノの時に使う! なな、ななんで、僕にこれを!?」

「ほら、これから三年間、一夏とこの部屋で生活する訳ですから」

 

 一夏は品行方正だ。それでも一夏だって年頃の男の子。デュノアさんに劣情を催すこともあるだろう。何かの拍子に、そーゆー事態にならないとも限らない。だから、万一に備えておいて損はないハズだ。

 

「そ、そうだね。備えあれば、憂いなしっていうもんね。ありがたく貰っておくよ」

 

 デュノアさんはお守りでも扱うように、受け取った“ゴム製品”を大事にしまった。

 

「ところで、こういうの持ってるってことは、リデルさんは経験あったりするの?」

「ふぇ?」

 

 まさかの質問に、私は頬をボっと赤くした。

 

「ほら、最近の女の子は早いって聞くし、どうなの?」

 

 興味津々と聞いてくるデュノアさんは、貴公子というより年頃の少女のようだった。

 しかも、妙な迫力――。言わないと、言うまで聞かれそうな迫力がある。

 

「いえ、その、お恥ずかしながら、まだです、えへへ……」

 

 恥ずかしさ余って、照れ隠しの笑いを零す私。

 あうー。自分の経験を語るのが、こんなに恥ずかしいなんて思いませんでした。顔から火が出そうです。というか、みんな普通にまだですよね? 私だけ遅いとかないですよね?

 

「そうなんだ。じゃあ、僕がリデルさんの“初めて”もらってもいいかな?」

「ひゃいっ!?」

 

 私は椅子の上で転げ落ちた。

 確かに、ほの暗い照明がイイ雰囲気ですし、二人きりですけども!

 

「いや、その、こーゆー事は、もっと仲良くなってからといいますか……もちろん、デュノア君が嫌いなわけじゃありませんし、好意はうれしいですけど、そもそも私なんかでいいんですか?」

 

 悪魔召喚のような怪しい動きで、意味不明な言葉を口走る。

 すると、デュノアさんが『クスッ』と笑った。

 

「リデルさん、僕は女の子だよ?」

 

 そういわれて、彼女の冗談だということに気づく。

 

「はは、ですよね……」

 

 冷静に考えれば、デュノアさんは女の子なのだから、貰うも、貰わないもない。

 うー、デュノアさんが凛々しい顔をするので、すっかり性別が混濁してしまった。

 

「でも、経験がないなんて意外だなぁ。リデルさん、綺麗なのにね」

「あ、ありがとうございます。お世辞でもうれしいです」

「お世辞じゃないよ。もし僕が正真正銘の男の子だったら、きっと放っておかないよ?」

「褒めても何もでませんよ? 見てのとおり、何もない女ですから」

「じゃあ、リデルさんのこと、アリスって呼んでもいいかな?」

 

 褒められ、ちょっといい気分になっていた私は、上機嫌に『ええ、どうぞ』と答えた。

 そこへ水を差すように、私のお腹がグゥーと鳴る。

 そんな私を見たデュノアさんが堪え切れず、口元に手を当てクスクスと笑った。

 

「ふふ、アリスは花より団子なんだね」

 

 確かにその通りだったので、私は反論できなかった。

 すると、今度はデュノアさんのお腹がグゥーとなった。私とデュノアさんは揃って笑う。

 

「あはは、僕のお腹も鳴っちゃった」

「ふふ。では、食事にしましょうか。デュノアさんはここで待っていてください。私が食堂に行って何か貰ってきますから」

 

 私は『ありがとう』という声をその背に受け、部屋を出た。

 

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