IS<インフィニット・ストラトス>―Deus Ex Machina 作:ネコッテ
「バ、カ、ど、も、が!」
第1アリーナ。Aピットに高らかな出席簿の音が響き渡った。
出席簿アタックを受けた、俺、アリス、更識会長、月子、ローズマリーさんは叩かれたところを抑えながら、揃いも揃って『あうあう』と悶絶する。さぞかし同情を誘う光景だったが、千冬姉は容赦なく続けた。
「まったく。お前たちは何をしでかしたか、わかっているのか?」
表情こそいつもの千冬姉であるが、口調には怒気が含まれていた。
それに誰もが口を閉ざす。
俺たちが多くの人を危険にさらした事は紛れもない事実だ。反論の仕様もない。
だけど、俺には一つだけどうしても告げたい想いがあった。
「千冬姉。確かにたくさんの人を危険に曝したし、迷惑もかけた。その事については素直に悪いと思ってる。だけど――それでも救いたい命だったんだ!」
胸中の気持ちをさらけ出すと、アリスが言葉を紡いだ。
「ラウラは不器用で、誰にも愛されず、求められず、ずっと一人ぼっちでした。そんな日々の中でようやく貴女という光を見つけた。彼女はそんな光を掴もうと必死だったのです。そんなラウラを私たちは見捨てられなかった」
「千冬姉、罰なら受ける。グランド100週でも、反省文1000枚でも、何だってかまわない。だからほんの少しでいい。ラウラに優しくしてやってくれ。じゃあなきゃ、アイツがあまりにも報われなさすぎる」
そう訴えると、千冬姉は瞳を閉じ、考える素振りを見せた。
ピットに沈黙が満ちる。いろんな思いが交錯しているのか、千冬姉はしばし無言だった。
その間、俺たちは固唾を呑んで千冬姉の返事を待つ。
しばらくして、千冬姉はふわりと柔らか笑みを浮かべた。そこに先の剣呑な表情はない。
「……そうだな。確かに私は<シュヴァルツェア・レーゲン>の破壊を命じた。だが、心の中ではこうなる事を望んでいた。だとしたら、私はお前たちを咎める権利も資格もないな。それにお前たちが命がけで救った命だ。もう無碍にはできまい。私もオルコットの言う通り、自分の魂に従おう」
「千冬姉!」「千冬さん!」
「だが、お前たちにもけじめはつけてもらう。罰として一週間トイレ掃除だ。いいな」
打って変わって、ニヤリと意地悪な笑みを浮かべる千冬姉。
一週間のトイレ掃除か。それで今回の事を水に流してもらえるなら破格の処罰だろう。
それに、俺たちは千冬姉の感謝と労いを感じ取った。
しかし、それに顔を見合わせたのは、お嬢様育ちのローズマリーさんと月子だ。
「あの千冬さま、それはわたしたちも、でしょうか?」
「もちろんだ」
「一週間ですか?」
「そうだ、住む込みしてもらう。メイドは使うなよ、ローズマリー」
千冬姉に言われ、二人は心底嫌そうな顔をした。特にローズマリーさんの表情は形容し難い。
まあ、遥々IS学園にやってきてトイレ掃除をさせられたんじゃ嫌な顔もしたくなるだろう。
それを見かねた代表候補生たちが、各代表の許に駆け寄った。
「ローズマリーさま、わたくしもお手伝い致しますわ」
「ありがとう、セシリア。とても助かります」
「……月子、私も、手伝う」
「簪ちゃん、ありがとう」
「おねぇーちゃんも手伝って欲しいなー、なんて」チラチラ
「……うん、……い、いいよ」
「ほ、ほんとに! やっほーい!」
妹さんに手伝ってもらえるのがうれしいのか、更識会長は『狂喜乱舞』と書かれた扇子を取り出し、喜びの舞を披露しはじめた。その顔は満面の笑みだ。
「では、今日はこれで解散とする。お前たちは部屋に戻ってトイレ掃除に勤しめ」
そう告げ、千冬姉はジェニファーさんと何かの相談を始める。
すると、ピットと通路を繋ぐ空気圧縮の扉が開いた。
入ってきたのは黒いスーツの男性が数人と、白衣を着た女性が数人。胸にはISCのワッペン。彼らは<国際IS委員会>に所属する監査機関の人間のようだ。
後々聞いた話だと、ラウラを歪めたアレはVTシステムという<アラスカ条約>に違反する代物だったらしい。その証拠品である<シュヴァルツェア・レーゲン>を回収しに来たのだろう。
その中に一人見知った顔があった。先月出会った異国美女、ロリーナさんだ。
(ロリーナさんって国際IS委員会の人間だったのか?)
そういえばIS関係の仕事に就いているって言っていたような気がする。
まあいいか。それよりもトイレ掃除に取り掛からなければ。
♡ ♣ ♤ ♦
学園のカリキュラムや訓練上、事故の発生はやむを得ないため、学園には『保健室』とは異なる最新の医療機器を備えた医療区画が存在する。ラウラが搬送された先はその区画だ。
MRIの検査を終えたラウラは、いまベッドの上で眠りについていた。
そのラウラを、同伴した千冬が優しい瞳で見つめている。
先生曰く『疲れて眠っているだけよ、しばらくすれば目を覚ますわ』とのことだ。
その言葉に違わず、ラウラはしばらくして目を覚ました。
「目が覚めたか。気分はどうだ?」
ラウラは『大丈夫です』と苦痛に顔を歪めながら体を起こした。
「無理をするな。無茶な動きをした所為で筋肉が痛んでいる。しばらく動ける身体じゃない」
「大丈夫です、私は強化された人間ですから。それより試合はどうなりました?」
「それなら中止だ」
淡白な返答。その言葉に、ラウラは堪らず顔を伏せた。
『お前がVTシステムを使った所為でな』と言われたような気がしたのだ。
「軽蔑しましたか? あんな力に頼った自分を」
刹那的とはいえ、欲の為に自分は禁忌に身を委ねてしまった。
その結果の暴走。欲に負けた羞恥と、軽蔑される恐怖で、身を焼き焦がされる思いだった。
「いや。軽蔑などしていないさ。かつて偉大な戦士はこういった。『死の直前まで、戦略を練る。それが戦士だ』と。おまえは、最後まで戦おうとした。VTシステムの使用さえ戦略のひとつにして。おまえは立派に戦った。それを責める権利など、私にはない。――それよりすまなかったな」
てっきり酷く叱られると思っていたラウラは面を食らった。
「なぜ教官が謝るのです!? 悪いのは私です!」
「そうでもないさ。お前は私を振り向かそうと、一生懸命になっただけだ。なのに、私はお前の気持ちに気づいていながら、一夏を理由にずっと逃げてきた。私がちゃんと向き合ってさえいれば、あんな事態にはならなかっただろう。全て私の責任だ」
千冬は胸に手を当て、過去の行いを懺悔するように語った。
ラウラとしては当惑を禁じ得なかったが、千冬は構わず続ける。
「だが、そのおかげで決心ができた事もある」
千冬はまっすぐラウラを見つめ、こう言った。
「ラウラ、私の家族にならないか?」
それが今回の事件を通して、千冬が導き出した答えであり、けじめだった。
一夏と同じように彼女を愛せるか、その不安はある。だが、ラウラのために戦う弟を見て、思ったのだ。――一夏がいてくれたなら、ラウラを幸せにできるんじゃないか、と。
彼はもう与えて貰うだけの子供じゃない。誰かに与えられる人間だ。一夏と二人なら、きっと。
しかし、ラウラは首を振った。――左右に。
「もういいんです、教官」
今度は千冬が面を食らう番だった。
「なぜだ? これはお前が望んでいた事だろ?」
「はい。でも、教官の望んだ事じゃありません。――私はVTシステムが作り出した世界の中で、たくさんの“教官”を見てきました。そして改めて理解しました。教官にとって織斑一夏が、どれだけ大切な存在なのかを」
ラウラは胸に手を置き、
苦しい時、哀しい時、楽しい時、嬉しい時。いつだって彼女の心は弟への想いで満ちていた。
それを千冬自身になりきることで追体験したラウラは、はっきりと告げる。
「あなたは、織斑一夏のために在る。私のためじゃない」
「お前はそれでいいのか?」
ラウラは千冬から寵愛を受けることで、自らの存在意義を見出そうとした。
それを諦めるという事は、彼女にとって自らの存在を消し去る行為に他ならない。
そんな事が彼女にできるのだろうか? できないから戦い続けてきたのではないのか?
しかし、ラウラの表情には不安も恐怖もない。あるのは未来を信じた明るい笑み。
「大丈夫です。織斑一夏が私に教えてくれましたから。おまえは一人じゃない、と」
「あぁ、そうだったな」
千冬は赤毛の少女を思いだした。
彼女はもう一人ではない。この世には、ラウラの為に戦ってくれる人がいる。
「でも、教官、一つだけお願いをしてもいいですか?」
「なんだ、言ってみろ」
「生まれ変わった私に、名前をくださいませんか」
今までのラウラは、千冬という母なくして生きられない胎内の胎児だった。だが、自己の存在意義を見出したことで、外の世界に生れ落ちることができた。
それにあたって名前が必要だ。
「名前か。いいだろう、とびっきりのいい名前を付けてやる」
「お願いします」
「では、今日からお前はラウラ・ボーデヴィッヒだ」
ラウラ・ボーデヴィッヒ。
千冬は、たった今この世に生を受けた、白く美しい少女にそう名づけた。
「お前はもう遺伝子強化素体ではない。一人の人間、私が担任を受け持つ一年一組の生徒『ラウラ・ボーデヴィッヒ』だ。これからはビシバシしごいていくから覚悟しておけ」
「では、これからも教官とお慕いしても?」
「ああ、構わんさ。ただし学園にいる時は織斑先生、だ。いいな」
「はい、織斑先生。では、これからもご指導よろしくお願い致します」
そう言って二人は心の底から笑いあった。
そこに血の繋がりはない。だが、絆は確かに存在していた。
♡ ♣ ♤ ♦
証拠品の<シュヴァルツェア・レーゲン>を積んだ<国際IS委員会>のトラックは、エンジンをふかしながらIS学園の物資搬入口から出発した。そのトラックを先導するように黒塗りのセダンが先頭を行く。
5分あまり走ったところで、助手席のロリーナは見飽きた車窓から視線を外し、後部座席に座る女性をルームミラー越しに見やった。
紅い瞳に、真珠色の銀髪が美しい女性だ。その顔立ちは、とてもラウラに似ている。
それも当然のこと。ラウラの受精卵には、彼女の卵子が使われていたのだから。
つまり、彼女がラウラの<マザー>。名はララ・ボーデヴィッヒといった。
「本当に良かったの? あの子に会っていかなくて」
ロリーナの問いにララは薄く笑った。まるで、我が子の成長を喜ぶように。
「はい。今の彼女はもう一人で歩いていけるみたいですから」
「確かに巣立った雛鳥に親鳥は必要ないのかもしれないけど、あなたはそれでいいの?」
「会いたい気持ちはあります。けれど、私は嘗て自分の知的欲求を満たすために、ラウラたちを作りました。そこに愛情などはなく、私はずっとラウラたちを研究成果の一つ程度にしか扱ってきませんでした」
「そんな自分が、いまさら母を名乗るのは烏滸がましい、と」
「はい。改心したところで、私の罪が許されたわけでも、贖われたわけでもない。だけど、あなたたちと共に“彼女たちが戦わなくて済む世界”を作れたなら、その時は会いに行こうと思います」
彼女たち――<遺伝子強化素体>が戦わずに済む世界。
そんな世界を彼女たちに与えられたのなら、自分は母を名乗りでる事ができるような気がした。
それまでは草葉の陰から彼女を見守り続ける。それが自らに科した彼女の戒め。
「そう。早く会えるようになるといいわね」
ふわりした笑みを浮かべ、ロリーナは鏡から視線を外した。
♡ ♣ ♤ ♦
学年トーナメントはVTシステムの暴走により中止が決定した。これによりアピール機会を失った生徒に対する配慮として、現在、第一アリーナでは、国家代表を交えた立食パーティーが開かれていた。
会場の至ることでは、学園の生徒たちが企業や代表に自分を売り込んでいる。セシリアたち代表候補性も、その仲介で大忙しといった具合だ。
その様子を離れたところで見ていたら、私の許に一夏がやってきた。
「お、おう、アリス……」
「どうしました、随分とお疲れのようですけど」
一夏は苦笑しながら何十枚の名刺を見せた。
なるほど。企業の押し売りを受けて、クタクタなのか。
「相も変わらず挙って『うちの装備を使ってみないか』とか『専用機を提供させてくれ』とか。正直、俺の独断では決めかねる話だしさ、断るのも一苦労だったよ」
「男性操縦者は、宣伝効果が期待できますからね」
「デュノア社がシャルルに男装させたのは、こういう狙いがあったんだよな。で、そのシャルルだけどさ、学園はシャルルをどうするって?」
<生徒会>にデュノアさんの性別詐称を報告した私に、一夏が訊いた。
「本来なら学籍抹消なのですが、事情を考慮してもらって、再入学にしてもらいました」
ちなみに、件のデュノアさんはこのパーティーに参加していない。
現在、彼女は再入学のための入試テストをやり直している最中だ。
「フランス代表にも、便宜を図ってもらえるようお願いしたので、今まで通りの生活を送れるでしょう」
デュノアさんは未成年だから、独立して生計を立てるのが難しい。そこで、もしもの場合には、フランス代表が彼女の扶養者になってもらえるようお願いしてある。
「――ま、頼んでくれたのは、会長ですけどね」
私はフランス代表と面識がない。そこで同じ国家代表である会長に事情を説明し、話をつけてもらったのだ。今回の件で嫌いな会長に借りを作ってしまったけど、今は諦めている。
「本当、おまえって大した奴だよな。それに比べて、俺は……」
千冬さんの言葉がまだ尾を引いているのだろうか、一夏は俯き、拳を握りしめた。
私は、そんな彼の固く握られた拳を手に取り、そっと解いてやる。
「貴方の言葉はデュノアさんを救ったと思いますよ。だからこそ、デュノアさんは貴方に力を貸してくれたのではないですか?」
「それは……そうかもしれないけど」
「それに今日ラウラを救ったのは他ならぬ貴方です。私だけでは彼女を救えませんでした。貴方がいてくれたからこそ、ラウラを助けられた。あなたは決して無力じゃありません」
「そ、そうか?」
微笑む私に、一夏が恥ずかしそうに視線を逸らす。
そんな彼を可愛く思っていると、会場の向こうから、山田先生がたわわな胸をゆらしながら走ってきた。
「あ、織斑くん~。ここにいたんですか、探しま――あ、もしかしてお邪魔でしたか!?」
手を重ね合う私たちを目撃して、山田先生が顔を赤くする。
あからさまに誤解している様子だったので、私は慌てて弁解した。
「いえ、あの、これは――」
「照れなくてもいいのですよ、リデルさん。先生もまえから、二人はお似合いだと思っていましたから。苦悩する王子のピンチを救う女騎士。ロマンスです! でも個人的にはちょっといじわるなお姫様の妨害があったほうが盛り上がるといいますか」
「―― そ れ で 彼 に ど の よ う な 要 件 で ? 」
妙な物語を語り始めたので、これはダメだと私は声を張った。
山田先生も自分の世界から戻ってきて、ぽんと両手を叩く。
「はい。今日はボイラーの点検で大浴場が使えない日だったのですが、予定より早く点検が終わりましてね。折角なので、男子生徒に大浴場を解放しようという計らいになったんです」
「本当ですか、それは!」
提案を訊いた途端、一夏がくわっと目を開いた。
「ええ、本当ですよ、織斑くん」
「じゃあ、さっそくMYお風呂セットを取りに行ってくるぜ!」
言うが早く、一夏はパーティー会場を飛び出していった。
私と山田先生はヒラヒラと手を振りながら、それを見送る
――って、MYお風呂セットなんか持っているのですか、この子は……
「山田先生、ここにいたんですか」
「あ、織斑先生、どうしたんですか?」
「実は大浴場の使用について変更がありましたので、それを伝えに」
「変更ですか? 一体どのような?」
「急遽、国家代表に大浴場を使ってもらう事になりましたので、その報告を」
「えええええええ!!」
「おお、さすがに広いなー」
脱衣を済まし、浴場に向かうと、俺はその広さに圧倒された。大浴槽にバブルジェット。さらにサウナ室まで完備されており、ざっと見た感じでは、完全にスパリゾートだ。
体を洗い終えるなり、俺はさっそく一番大きい湯船につかった。
「くぅ~、生き返る」
心身に染みわたる熱が疲労を忘れさせてくれるようだった。魂の選択とはよく言ったものだ。
あぁ、極楽である。俺はここ二ヶ月の疲労を癒すつもりで、思いっ切り羽根を伸ばした。
「しっかし、俺の学園生活は戦いの連続だった気がするなぁ」
クラス代表決定戦、クラス対抗戦、襲撃、学年別トーナメント。そして、VTシステムの暴走。
その度、俺は苦しくも勝利、あるいは生き残ってきたけど、その影にはいつもアリスの姿があった気がする。
その事実が俺にアリスの存在を強く意識させた。
(アリス・リデル、か)
彼女を想うと、心の裡から形容できない感情が沸いてくる――気がした。
それをなんと表現すればいいのだろうか。ただ、彼女を想うと、勇気が湧いてくる。アリスがいてくれたなら、俺はどんな強敵にも立ち向かえる気がした。こういう存在をなんと呼べばいいのだろうか。
そんなとき、不意に脱衣所から女性の声が聞こえてきた。
「む? アンジェ、また大きくなったんじゃないか?」
ん、この声、どこかで聞いたような……。
「……そういうノエルは、その……残念ね」
「なっ! そんな憐れむようなジト目で、私を見ないでくれよ!」
「……いや、この目付きは元からなのだけど……」
よく聞くと、その声は女性のものだった――――って、女性だと!!
待て、待て、今日は俺の貸し切りじゃなかったのか? しかも今の声、国家代表たちじゃないか!
(やばいぞ。バレたら国際問題(?)だ!――どうする? どうしよう? どうしたらいい?)
俺が謎の三段活用でテンパっていたら、ついに美女美少女の一団が入ってきた。
その光景たるや、まるで神話の女神たちが絵画を抜け出してきたような光景だ。
「あら、広いわね」
一番に感想を漏らしたのは、アメリカ代表のジェニファーさんだ。ジェニファーさんはグラマスな体躯と豊満なバストをタオルで覆いながら、浴槽を一望する。そこで俺を見つけ、驚くように言った。
「あら、弟くんじゃない」
「いえ、俺は桶太郎デス」
とっさに桶を被って誤魔化す。我ながら酷い誤魔化しようだ。
当然ながら、そんな誤魔化しなど<ブリュンヒルデ>に通じる筈もなく、
「ふふ、もしかしてお姉さんのお風呂を覗きにきたのかしら?」
さすが<ブリュンヒルデ>の一人。悪戯っぽく笑うだけで、悲鳴を上げたりはしない。それどころか蠱惑的な笑みさえ浮かべる余裕さえあるようだ。
しかし、まったく恥ずかしくない訳じゃなく、頬には仄かに赤みが指している。
「いえ、実は山田先生に『大浴場を使ってもいいですよ』と言われてきたんですけど……」
「あらそうなの? 私たちは千冬から『大浴場を使ってもいいぞ』って言われてきたのだけど。教師の間に手違いがあったのかしら」
「そうみたいですね。――じゃあ、俺あがりますから、ごゆっくり!」
おもむろに立ち上がり、隠すところ隠して、そそくさ湯船を上がる。
「まあ、そう言わず、ゆっくりして行きなさい。あなただって今きたところでしょ?」
「いやいや、そういう訳にもいきませんよ!」
そりゃー俺も男だ。こんな美女たちと混浴できるなら望むところだ。
でも、鈴やセシリアたちに知られたら、ただでは済まない気がするのだ。きっとレーザービームや衝撃砲が飛んでくるに違いない。とにかく酷い目に遭わされそうな気がするのだ。
「鈴の事を気にしているなら心配ない。私は口が堅い方だ」
と、言ったのは、いつの間にか現れた中国の国家代表フーさん。
ジェニファーさんに負けず劣らず麗しい身体のフーさんは、まさにアジアンビューティーといった美貌で、西洋人には出せない魅力を醸し出していた。それでいて綺麗かつ顕著なバストをお持ちになられていた。
「ローズマリーはどうだ?」
「御二方がそういうなら。私もセシリアに妙な勘違いをされたくありませんし」
と『俺には興味なし』といった態度で、ローズマリーさんは淡々と自分の身体を洗いだした。ビスクドールのような白く麗しい肢体にスポンジを滑らせるその様は、動作だけで思わず生唾を呑みそうになる。
「あなたたちも、いいわよね?」
「ああ、シャルルも世話になったことだしな。少しサービスしようじゃないか」
ジェニファーさんの呼びかけに、フランスの代表が答えた。
ノエルさんは現役のバレリーヌだけあって華奢な体つきだったが、乳房から腰回りへの曲線にメリハリがあり、女性らしさが強調されていた。そんなノエルさんの胸を、イタリアの代表アンジェリカさんが、後ろからもみあげる。
「……サービス? マットの上でぬるぬるとかしてあげるの?」
「ち、違うぞ、そういう意味じゃないぞ、アンジェ。キミも変な誤解をするな!」
「してません!」
俺は咄嗟に否定した。つーか、マットの上でぬるぬるってなんだ!
「……ふふ、残念だったわね」
アンジェリカさんが大人の女性特有のグラマラスな体躯で魅惑の“しな”を作る。
そこへ魅惑の谷間と艶やかな声音が加われば、想像を絶する破壊力があった。怠惰に見える人だが、女性の魅力は申し分ないようだ。
「まあ、彼女たちもそう言っていることだし、安心するといい」
「でも、あとで千冬姉に怒られそうなので」
「千冬には私から言っておくわ。それにあなたと混浴したいって子もいるわよ?」
ジェニファーさんは殺し文句を放った後、視線でぱっつん髪の少女に流し目を送った
月子は『ジェニファーさま!?』とびっくりして、床に転んだ。その拍子に、たわわな胸が弾み、タオルと綺麗な黒髪が宙で踊った。俺は咄嗟に視線を逸らした。
「そういうことだからゆっくりしていきなさい」
俺を強制的に湯船へ戻したあと、ジェニファーさんは身体を洗いに行った。
観念した俺は身体を渋々――内心、得した気分だったりするが――湯船に浸かり直す。
「でも、なんでそこまでして?」
しばしして、帰ってきたジェニファーさんにそう訊く。
正直そこまでして俺と混浴したい理由が解らない。いや、俺は歓迎なんだけど。
「それはね――」
「きっとジェニファーは汝の貞操を狙っておるのだ」
子猫を桶に入れ、ドーンと現れたのはドイツの国家代表アイリーンさん。
首筋から爪先まで長くすらっとしたアイリーンさんの華奢な肢体は、ビスクドールのようにくすみなく、それらから織り成される美貌が、まだ幼い少女の躰に仄かな色香を与えていた。――って、アイリーンさん、ちょっとは隠してください! ちっぱいが丸見えです!
「泣かすわよ、アイリーン。弟くんも身を守らないでくれる?」
「あ、はい」
言われて、身体を抱きしめるような仕草をやめる。
ジェニファーさんは『私、年下は守備外だから』と付け加え、湯船に浸かった。
「実はね、あなたと一度ゆっくり話がしたかったのよ」
「なんせ、君とこう話せる機会は多くないからな」
そう言ってフーさんが櫛で後ろ髪を器用にまとめながら、湯船に入ってきた。
話す機会か。それりゃ国家代表と唯の学園生徒では身分が違い過ぎる。
「それに弟くんも私たちに何か訊きたいことがあるんじゃない?」
確かにその通りだった。
これも何かの縁だろう。この機会に思い切って、訊いてみるか。
「あの、なんでジェニファーさんの専用機には《雪片》が積まれているんですか?」
「その前に、弟くんは千冬が<ブリュンヒルデ>になった理由を知っている?」
質問するなり質問で返される。俺は少し考えてみた。
千冬姉は地位や名誉を欲しがるような人じゃないし、やはり金――生活費を稼ぐためか。
俺がそう言おうとした瞬間、ジェニファーさんがすらっと長い美脚を組み替え、言った。
「友人のためよ」
友人? 千冬姉の友人と聞き、真っ先にあの人の姿が浮かんだ。
「それって束さんですか?」
「そう。あなたも学園の生徒なら知っていると思うけど、IS運用規定――通称<アラスカ条約>の草案を作ったのは篠ノ之束なの。でも、各国は篠ノ之束が提示した草案を自分たちの都合のいいように解釈し、様々な例外措置を加えていった」
「結果、ISは篠ノ之束の思惑とは懸け離れた形で運用されるようになりました」
そう言ってローズマリーさんが形の良い豊満な胸を抱えて、湯船に入ってくる。
思わず凝視しそうになる気持ちを抑え、俺は尋ねた。
「ISの兵器化ですか?」
「それだけじゃありません。ISの競技化も、篠ノ之束にしてみれば忌み嫌う対象でした。ISの兵器、競技化。それに反比例して進まない宇宙進出。それに嫌気が挿した篠ノ之束は<コア>の製造をやめました」
「だから、世界には467個しかコアが存在しないわけだ。数字自体に意味はない」
と、言いながらフーさんが肩を回す。
あの大きさだと凝るのだろうかと思っていたら、話し手がジェニファーさんに戻った。
「そこで千冬は<ブリュンヒルデ>になることで、世界が歪めたISの在り方を正して、ISのベクトルを宇宙進出に向けようとしたの。<ブリュンヒルデ>の発言力は、それぐらい大きいのよ」
それを聞いて、俺の古傷が痛み出した。
「でも、俺のせいで……」
「そう、あなたが誘拐された事で、千冬の目論見は潰えてしまった――――かと思えたわ」
「え?」
「さて、ここで弟くんの疑問に答えましょうか。――なぜ、私の専用機に《雪片》が装備されているか、だったわね。それは私が千冬の意志を継いだからよ。《雪片》はその証なの」
「千冬姉の意思を? それって……」
「そう、私は千冬の意思を継いで、ISの宇宙進出を実現させる。――私ね、ずっと宇宙飛行士になりたかったのよ。そう、マーキュリー・セブンのような宇宙飛行士にね」
ジェニファーさんは天井――のさらに上、宇宙を見上げる。
そこに思いを馳せるジェニファーさんの横顔はとてもきれいだった。
「じゃあ、ジェニファーさんがIS操縦者になったのも」
「ええ、その夢に近づけると思ったから。まあ、現実は『最速の狐』なんて呼ばれて、地べたを這いずり回っているだけだけど。もしかしたら、それが私の限界なのかもしれないわね」
苦笑するジェニファーさんに俺は『そんなことないです!』と言う。
彼女は『ありがとう』と答え、千冬姉との話を続けた。
「私と千冬が目指したものは似ていた。だから、千冬から意志を継ぐことに躊躇いはなかったわ。――これが私の専用機に《雪片》がある理由よ」
「そうだったんですか」
ジェニファーさんの話を聞いて、俺の中にあった千冬姉に対する疑問が一つ解明した。
『なぜ、千冬姉は現役を引退したのか』
最初は、俺を守るために決勝戦を放棄したから関係者との信頼を失い、止めざるを得なかったのだと思っていた。おそらくそれも原因の一つだろう。
でも、未練なく潔くやめられたのは、ジェニファーさんに、願いを託せたから。
きっと《雪片》は、彼女たちの“夢”というリレーを繋ぐ信頼のバトンなんだ。
――だとしたら、ジェニファーさんの次の走者は?
そう考えたところで、不明瞭だった将来のビジョンが鮮明になった。
「あのジェニファーさん、<ブリュンヒルデ>になるのって難しいですか?」
そんな質問をする俺に、ジェニファーさんがきょとんとした。
「そうね。血反吐を吐くほど努力しても届かない。そういうレベルね。というのも<ブリュンヒルデ>は実力が有ればなれるモノじゃないのよ。活動費を出資してくれるスポンサー。専用機を開発してくれる技術者。そういったものを得られないと、なるのが難しいわ。千冬だって例外じゃなかったはずよ」
ジェニファーさんの言葉は事実だろう。
千冬姉だって<輝夜重工>の後援を受けていたし、束さんの協力も大きかったに違いない。
「もしかして、弟くんは<ブリュンヒルデ>になりたいの?」
俺は素直に肯いた。
「千冬姉の夢が潰えたのは、俺の所為でもありますし、ただ<白式>に乗っているだけじゃいけないと思っていましたから。こうして男性でISを扱える身ですし、俺にできる事を精一杯しようと思います」
「そう。私もあなたのような後継者がいてくれると心強いわ。でも、あえて言うわ。大変な道のりよ? 人一倍の実力、人一倍の知識、人一倍の人望が必要になるわ」
「精進します。そして必ず<ブリュンヒルデ>になってみせます」
俺が決意を告げると、バブルバスに居たアンジェリカさんがクスっと笑った。
「なんです? 俺の決意、おかしかったですか?」
ムっとする俺に、アンジェリカさんは首を横に振るった。
「……ごめんなさい。そうじゃなくて、男なのに<ブリュンヒルデ>って変ねと思っただけなの」
そう言われたら、そんな気がしてきた。
<ブリュンヒルデ>とは戦乙女の名だ。男が名乗るには、聊か似合わないかもしれない。
「アンジェリカがいうことも一理あるわね。じゃあ、<ジークフリート>なんてどうかしら? ワーグナーの楽劇『ニーベルングの指輪』における<ブリュンヒルデ>の恋人。どう?」
「<ジークフリート>……」
<ジークフリート>か。いいな、かっこいいじゃないか。
まだ獲得したわけでもないのに、なんだか気分が高揚してきた。
「俺、がんばってその<ジークフリート>を目指します」
「ええ、期待しているわ」
「だが、君の往く道は荊の道だと思ってくれ。なんせ、うちの鈴は強いからな」
「セシリアのことも忘れなく。彼女の実力は一級品です」
そうだ。この道を歩むなら必然的に鈴やセシリアたちとの勝負は避けられない。
だが、俺は望むところだと思った。だけど、その前に――
「まずは代表候補生にならないと、ですね。私も及ばずなら協力させて頂きます」
そう言って両手を叩いたのは、日本の国家代表である月子だ。
慎ましく微笑む月子は、儚げ容姿に反して、とても心強く見えた。
「スポンサーはもう大丈夫みたいね。私も今日の活躍、評価しておくわ。――それと」
ジェニファーさんは片腕で胸を隠しつつ、もう片方を俺に差し出した。
「
「え?」
「今日、あなたは私たちができなかったことを成し遂げた。その勇気と行動を表してね」
ジェニファーさんの言葉に、国家代表全員が「そうだ」と頷く。
国家の代表から敬意を向けられ、その反応に困りつつも、俺はその敬意を素直に受けとった。
「それと最後にもうひとつ。あまり千冬に心配かけないようにね」
そういってジェニファーさんがカラカラ笑いながら俺の額をつつく。
俺は苦笑しながら「心がけます」と答えた。