IS<インフィニット・ストラトス>―Deus Ex Machina 作:ネコッテ
照準がぶれる。砲身が震える。システムの所為じゃない。自分の手が震えているのだ。
未確認のISと戦うことに対する恐怖が、そのまま荷電粒子砲を握る手に現れていた。
それでも簪は持ち得えるありったけの勇気を振り絞り、照準をつける。
「……弾道制御、予測。斜角マイナス10。方位5修正」
FCSの弾道計算ソフトが弾きだした演算結果に従って、砲身の斜角と方位を調整する。
自分は決して狙撃が得意じゃない。しかも、アリスに当てず、所属不明機だけ命中させるのは至難の業だ。だが、幸いにもインストールした<打鉄>の砲撃特化パッケージ<撃鉄>の弾道計算ソフトは、世界最高クラスの命中率を誇っている。今はそれと、彼女と共に作ったこの荷電粒子砲を信じるしかない。
「……臆病者の一撃、見せてあげる」
簪は一呼吸入れて、引き金を絞った。
発砲。
撃ち出された粒子ビームは海上を疾走し――――<赤騎士>を拘束していた所属不明機に命中した。
(……よし!)
柄にもなく振り上げたくなる拳を制し、二射目を放つ。
今度は難なく躱される。三発目も同じ。でも、敵を<赤騎士>から引き剥がすことができた。
チャンスだ。簪はすかさず、アリスへ個人間秘匿通信を繋いだ。
『……アリス、援護する。逃げて……』
『了解!』
アリスはすかさず機体を回頭させた。
うまくいった。けれど、まだ安心はできない。アリスが安全圏に離脱するまでは。
(……アリスは、やらせない。……アリスは、わたしが守る)
<打鉄弐式>のハイパーセンサーが<赤騎士>を追うとする未確認機を捉える。
簪は再び荷電粒子砲の引き金を絞った。未確認機は側転するように<打鉄弐式>の攻撃を躱す。同時にその状態から発砲してきた。その一撃が<打鉄弐式>の右翼ウィングスラスターを打ち抜く。
「……えっ!? この距離からカウンター!?」
炎上する自機の損傷を確かめる間もなく、今度は左翼のウィングスラスターを撃ち抜かれる。
「……あ、……あ」
推力を失い、ぐらりと機体が揺らぐ。簪は機体制御を忘れ、恐怖に打ちのめされた。
圧倒的な強さを目にして眩暈がする。
そこに個人間秘匿通信が開かれた。通信相手は、一年一組の副担任、山田真耶だ。
『更識さん、よくがんばりましたね。あとは私たちに任せて撤退してください』
通信終了後、簪の頭上を6機の<ラファール・リヴァイヴ>が通過していった。今まで海域を封鎖していた教師部隊だ。<福音>が確保されたことで、こちらにやってきたのだろう。
教師部隊の大半は元国家代表やその候補生で構成されている。その強さは折り紙つきだ。
けれど、安心できないのはなぜだろうか。簪は胸の裡で燻る不安の炎をなぜか消せなかった。
(……教師部隊でも、あのISには太刀打ちできない)
気づくと、教師部隊の中にいる担任エドワース・フランシィに個人間秘匿通信を繋いでいた。
『……先生、あれと戦っては、ダメです』
『大丈夫よ。先生を信じなさい。こう見えても、元カナダの国家代表なんだから』
そういってウィンクし、エドワースは通信を切った。
「先生……」
今まさに衝突しようとする教師部隊と謎の未確認機の戦闘を心配そうに見守る。
しかし、簪の心配をよそに戦闘は行われなかった。緋色のISが機体を翻し、撤退したのだ。
(……逃げた?)
だが、相手の異様な強さを体感した簪には、そう思えなかった。
間違いなく、あの緋色のISには教師部隊と互角以上に渡り合う実力があった。
(……きっと見逃してくれたんだ)
緋色のISは現行ISにあるまじき速度で現空域から離脱していく。<ラファール・リヴァイヴ>の推力では、それに追いつけない。教師部隊は<レーヴァテイン>を見送るしかできなかった。
ともあれ。簪はここにきてよくやく安堵の溜息をついた。
♡ ♣ ♤ ♦
日が沈み、漆黒に染まる海の上。
簪の助けを借り、命かながら撤退したアリスは、ずっと口を閉ざしていた。
自分の姉を名乗る女性が現れたこと。それに対する当惑が胸中でずっと渦巻いていた。
「…………」
本来なら『有り得ない』と鼻で一蹴するところだが、どうしてもそれができなかった。
記憶の奥で、母じゃない女性に抱きかかえられていた記憶があるのだ。
「……くそっ!」
アリスはアリスらしからぬ汚い言葉で悪態をついた。
《ハニー? メンタルの数値があまりいい数字を示していない》
「私は大丈夫です」
口調を強めて言い返すが、苛立っているのは誰が見ても明らかだった。
ただ、何に対して苛立っているのか、それはアリスにも判らなかった。だが、ひとつだけ決心する。
「この事は、セシリアには黙っておいてください」
イギリスの代表候補生であるセシリア・オルコットは、イギリス代表であるローズマリー・ライオンハートを敬愛している。もしこの事を知ったら、さぞショックを受けるだろう。そして、板挟みの立場に苦悩するかもしれない。
「苦しむのは、私だけでいい」
誰にいうでもなく、そうつぶやく。
その背後で夕日が沈んでいく。アリスの長い一日がようやく終わろうとしていた。
♡ ♣ ♤ ♦
「お前たち、よくぞ無事で帰ってきた。これにて状況終了だ。今日はゆっくり休め」
アリスたちが帰還すると、旅館の玄関口で千冬が待っていた。
口調は普段どおりだが、顔には若干の安堵が窺えた。作戦中は冷静を装っていた彼女だが、内心では<レーヴァテイン>の出現に肝を冷やしていたのだろう。
千冬の労いに全員が姿勢を崩す。
腑に落ちない点はいくつもあったが、当初の目的は達した。一応は作戦完了といって差し支えないだろう。
「それと、篠ノ之はちょっとこい」
そういって千冬が、箒に視線をやる。箒は黙って彼女の前に歩み出た。
「ジェニファーから、おまえに話があるそうだ」
「アメリカの国家代表が、私に?」
箒は千冬から通信機を受け取り、それを耳に当てた。
『初めまして。篠ノ之箒さん。私のことは知っているわね?』
「はい。それで私に話とは?」
『あなたの専用機についてね』
箒は表情を強張らせた。
ISは稀少だ。その数が新たに増えたなら、それを管理する機関が動くのは当然だ。
『今あなたの専用機はどこの国家にも所属していない。それはとても問題なの。わかる?』
それは箒にも理解できた。ISは強大な力を持つ。使い方次第で凶悪な兵器にもなる。そんな物の使用可否が国家非公認の少女に委ねられているのである。国家からすれば穏やかな話ではない。
「はい。わかります。それで<紅椿>はどうなるのでしょうか」
『一度<国際IS委員会>が預かることになるわ』
「そのあと、返してもらえるのですよね?」
その答えにジェニファーは短く沈黙したあと、冷たく言った。
『難しいと思うわ。おそらく、然るべき措置が取られるでしょうね』
「然るべき措置とは?」
『ISの保有を認められた国家や機関に分配されるか、あるいは――』
「なっ! なぜです! <紅椿>は私の専用機ですよ!?」
『そう思っているのは、あなただけなのよ、篠ノ之さん。いい? 本来、専用機は国家が認めた操縦者にしか受領されないの。厳しい言い方をするけど、査定基準をクリアしていないあなたには、専用機を持つ資格がないのよ。それでもあなたが専用機を持っているのは、姉が気まぐれを起こしたからに過ぎない』
彼女の言葉は正論だった。
今の箒は、親に買い与えてもらった自動車を、無免許で運転しているドライバーとさして変わらない。しかも、一度は運転を誤り、事故を起こしている。そんな彼女にISを預けておくことは危険だ。それがジェニファーの、ISを管理する人間の言い分だった。
「でも、<紅椿>は姉さんが私のために作ってくれた大事なISなんです……」
『知ってる。事情は千冬から聞いたわ。でも、ISは強力な兵器の側面を持っていて、なおかつ一定数しか存在しない。それを個人が所有することは難しいの。わかってもらえる?』
「それは……」
言い分は理解できる。だが箒は拳を握りしめた。
ようやく自分の進むべき道がみえたというのに、<紅椿>を失っては、また振り出しだ。
往生際が悪いのは承知の上で、箒は食い下がった。
「その、ジェニファーさんは<ブリュンヒルデ>なんですよね。なんとかなりませんか?」
『なるわよ』
「やっぱり、無理ですよね……――え? なんとかなるんですか!?」
箒は顎が外れそうになった。
『ええ。<紅椿>を国家に帰属させず、IS学園に寄付すればばいいのよ。寄付後、学園があなたを<紅椿>の専属操縦者に任命すれば、あなたは国家の認定がなくとも<紅椿>を専用機にできるわ』
箒は思わず掌を叩きそうになった。そんな手があったのか。
『私が委員会に<紅椿>の学園寄付を進言するから、その後、千冬に<紅椿>の専属操縦者として任命してもらって。千冬にはその権限があったはずだから』
有事の際、教師部隊の指揮を執っている千冬には、学園の訓練機を他に譲渡する権限がある。その権限で箒を<紅椿>の専属操縦者に任命すれば、晴れて<紅椿>は彼女の物だ。
しかし、問題はまだあった。
「だが、訓練機を一人の生徒に独占させれば、他の生徒から不満の声があがらないか?」
ただでさえ、学園の訓練機の少なさに生徒から不満の声が噴出しているのだ。
教師が学園の訓練機を一人の生徒に独占させれば、贔屓と不服の声があがるだろう。
「なら、いい方法があります」
そんな問題に妙案をもたらしたのは、アリスだった。
「<生徒会>に入ればいいのですよ。IS学園の<生徒会>は、学園の治安維持に務めています。その大義名分を、そのまま受領の口実にしてしまえばいいのです」
「つまり学園の治安維持に貢献するため、特別専用機が与えられた、とするのだな?」
「はい。ちゃんとした名目があれば、文句はでないでしょう。それに篠ノ之さんは剣道の全国大会で優勝しています。<生徒会>が勧誘するには十分な理由です」
千冬は頷いた。
「わかった。楯無には私から話をつけておこう。篠ノ之もそれでいいな?」
「はい」
提案に応じると、箒は回線の向こうにいるジェニファーにも頭を下げた。
「ジェニファーさんも、ありがとうございます」
『いいわよ。ただ、お姉さんにあなたから言っておいて。あまり勝手なことするなって』
「わかりました」
申し訳なさと感謝を込めて、箒は再びジェニファーに頭を下げた。
『――じゃあ、千冬に代わってくれる?』
「はい」
箒は通信機を千冬に渡した。
「すまないな。今回の件といい、ラウラの件といい。お前には世話になりっぱなしだ」
『ほんとよ。今度、ディナーでもご馳走しなさい』
「わかった、今度あの店を予約しておこう。ではな」
そう礼を言って、千冬は通信を切った。
「では、全員旅館に戻れ。作戦に参加したものはデブリーフィングを行う。更識、お前もな」
千冬の号令で全員が旅館に戻っていく。
いくつかの謎を残しつつも、ようやく戦士たちに休息の時が訪れようとしていた。
♡ ♣ ♤ ♦
臨海学校二日目の夜。大広間にて
自室待機を解かれた彼女たちは、興味津々な様子で俺たちを囃し立ててきた。
「ねえ、織斑くん、何があったの? よかったら食事の時に話きかせて」
「篠ノ之さん、お疲れ様。初めての特務任務、怖くなかった?」
そんな質問を俺たちは愛想笑いと適当な返事で誤魔化した。
『俺を疎む組織が、ISの暴走を演出して、アメリカの大統領を失脚させようと目論んでいた』だなんて荒唐無稽な話を語ったところで、誰も信じないだろう。何より作戦に参加した俺たちには守秘義務があるからな。
(でも、最後に現れたあのISはなんだったのだろう)
なんでも、アリスたちでも逃げるのが精一杯だったそうだ。鈴があとで教えてくれた。
「なあ、アリス、あの<赤騎士>に似たIS。何者だったんだ?」
旅館が用意してくれた海鮮料理に舌鼓を打つアリスに小声で訊く。
アリスは表情を険しくして、箸を止めた。
「わかりません。でも、あのISには《展開装甲》が装備されていました。……おそらく篠ノ之束博士の関係者でしょう。《展開装甲》は篠ノ之博士だけが持っている技術ですから」
「そうだとしたら、あのISの操縦者は何が目的だったんだ?」
「私たちのISだと言っていましたよ」
「でもさ、束さんの関係者なら、ISを奪う必要なんてないだろ?」
束さんはISを<コア>から製造できる。わざわざ奪わなくても自作すればいい話だ。
だとすれば、緋色の操縦者の行動には、別の目的があったということになる。もしかして、ロリーナさんと同じ目的だったのだろうか。
そう意見しようとすると、アリスが表情に暗い翳を落した。
「もうこの話はやめましょう。折角のおいしい食事が不味くなります」
「お、おう?」
確かに、食事中にする話じゃなかったな。でも、俺はアリスの表情に何か引っかかるような物を感じた。まるで、ふられたくないものに、ふれられたような……。
(なら余計この話題はやめて方がいいな)
改めて食事を再開すると、アリスが思い出したように言った。
「そういえば、7月7日は篠ノ之さんの誕生日なんですってね」
「ああ」
「実は私もプレゼントを用意したのです」
そう言って、ポケットから可愛らしいメモリースティックを取り出す。
「よかったら、これを渡しておいてください」
「それはいいが、アリスから渡さないのか?」
「私はこのあと、もう一仕事ありますので。ほら、今<福音>はこの旅館にあるでしょ? それでロリーナがまたこちらに来るそうなのです。それに付き添わないといけないので」
俺たちが止めた<福音>は、今晩にも米軍へ引き渡される予定になっている。その前に<福音>のAI内部にあるという<彼女たち>の手掛かりを手に入れようというのだろう。
「それに簪のことをロリーナにお願いしないといけませんし」
と付け加え、アリスは俺にメモリースティックを渡した。
「わかった。ちゃんと渡しておくよ」
「お願いします」
さて――箒のプレゼントを受け取った俺は、それをどのタイミングで渡すか考えた。
7月7日もあと数時間で終わるし、食事を終えたあとでも、声を掛けるとしようか。
♡ ♣ ♤ ♦
「一夏、待たせたな」
食後の自由時間。旅館を抜け出し、月夜を眺めていた俺の許に、箒がやってきた。
実は食事が終わったときに、『浜辺ですこし話さないか』と声を掛けていたのだ。
「お、箒も水着か」
「あ、ああ」
少し気恥ずかしそうに身をよじらせた箒は、白のビキニ水着を着ていた。
過激すぎず、地味すぎず、良いバランスの水着だ。以前、過激なマイクロビキニを着せたことがあったけど、純粋な愛らしさでは、こちらの方が良かった。
「綺麗だな。よく似合っているよ」
「そ、そうか? あ、ありがとう」
箒はぎゅっと身を抱きかかえて視線をそらした。恥じらう箒に、俺の鼓動が跳ねる。
ギャップというのだろうか。普段は威風堂々としているから、余計にグッとくるものがあった。
このままだと、気まずい雰囲気になりそうなので、俺はさっそく本題にふれた。
「そういえば、今日は箒の誕生日だったよな?」
「ああ、そうだな。覚えていてくれたのか?」
「当たり前だろ。――ほら」
驚く箒のスキを見て、俺は誕生日プレゼントを取り出した。
「俺からの誕生日プレゼントだ。開けて見てくれ」
箒は『あ、ありがとう』と驚きつつも、ラッピングのテープを剥がして中身を取り出した。
出てきたのは、シンプルな白い生地のリボンだ。
いろいろ考えたけど、箒にはこれが一番だと思ったんだ。俺が前にあげたリボンは随分と草臥れていたし、俺と箒にとってリボンは特別な意味のある品だからさ。
「あの時と同じ、リボン……」
箒はリボンをギュッと握り、急に瞳を潤ませた。
急に目頭に涙を蓄えた箒に、俺は動揺した。
「あぁ~、悪いッ! もしかして気に入らなかったか!?」
あぁ……、やっぱり、こういう時は洒落たアクセサリーとかが良かったか?
しかし、箒はフルフルと綺麗な黒髪を振り乱しながら首を左右に振った。
「いや、違うんだ。リボンには特別な思い出があるから、その、いろいろ込み上げてきて。――紛らわしい事をしてすまない。すごく嬉しい。大事にする。今度は絶対に燃やしたりはしない」
そう言って、人差し指で涙を拭う。月に照らし出されたその笑顔はとても綺麗だ。神秘的ですらある。他では見せないであろうその一面に、俺は彼女の幼馴染でよかったと、わずかに思った。
「それで、一夏……その、今日のことなのだが……」
今日のこと。俺が箒を庇って<福音>に撃墜されたことだろう。箒はそのことでボロボロになるまで自分を責め続けていたらしい。心なしか、俺にも若干やつれているように見えた。
「すまない。私の所為でお前に怪我を負わせてしまった」
「いや、いいって。大した傷じゃなかったし」
「大きい、小さいは関係ない。私の愚かさがお前を傷つけた。それに対する償いをしたい。お前が望むなら、その、切腹でもかまわない」
俺は苦笑した。切腹って、おまえはいつの時代の人間だよ。
「そんなことされても俺は嬉しかねーよ」
「そ、そうか。とにかく、私を罰してほしい。でないと申し訳が立たない」
真剣なまなざしで罰を欲する箒に、俺はもう一度苦笑した。
みんなが許しているのだから今のままでいいと思うのだが、生真面目で責任感の強い箒のことだ。簡単には引き下がらないだろう。そんな箒に俺は表情を改め、“償い”について語った。
「実はさ、俺も償いの真っ最中なんだ」
箒は驚いたように、目を開いた。
「そうなのか?」
「ああ。みんなには言ってないけど、千冬姉が<モンド・グロッソ>で連覇を逃したのは俺の所為なんだ。そのことをずっと悩んでいたら、千冬姉が俺に言ったんだ。『償いとは、己を咎め続ける事でも、自ら命を絶つ事でもない。その経験で感じた事を糧に、人として強く、優しくなることだ。そして、その強さと優しさを以って、人々の幸せに貢献する。それが償いだ』って」
「人として強く、優しくなること。それを以て、人々の幸福に貢献すること……」
千冬姉の言葉を強く反芻する箒に、俺は肯いた。
「ああ、己を咎め続ける事も、死んで侘びる事も、全て自己満足でしかないんだ。それじゃ誰も報われない。大事なのは、誰のために、何をしてあげるか」
そこまで言って、俺は自嘲しながら頬を掻いた。
「まあ、俺はまだまだ半人前で、みんなにしてやれる事なんか殆どないんだけどな」
今ある生活は学園の庇護があるからだし、不自由なく暮らせているは千冬姉のおかげ。<白式>に乗って戦えるのも、そういう人たちの膳立てがあるからだ。結局のところ、俺は一人じゃなにもできない非力な人間なんだ。
それでも続けようと思う。アリスが『あなたには誰かを救える力がある』って言ってくれたから。
すると、箒が何かを決心した面持ちで俺を見た。
「なら、私が手を貸そう。お前がひとりでも多くの人を守れるように」
決めた、それが私の償いだ。――言うなり、箒は俺の前に仁王立ちした。
そして、手慣れた手付きでいつもの髪型――ポニーテールを作る。
「お前がくれたこのリボンに誓おう。お前に立ちはだかる苦難は私が斬り伏せる」
神々しい月を背後に語る箒の姿は、あまりに綺麗で、俺は言葉を失ってしまう。
でも、それ以上に彼女の気持ちが嬉しくて、俺は素直に礼を告げた。
「ありがとう、箒。心強いよ、本当に」
「礼をいうのは、こちらの方だ、一夏。よくぞ、私に道を説いてくれた」
「道なんてオーバーだよ」
そう言って笑い合うと、俺と箒は揃って天を仰いだ。
夜空には満天の星が輝き、綺麗な天の川が流れている。流星が天の川を跨いでは消えていった。
♡ ♣ ♤ ♦
旅館の浜辺から離れたある岬の一角。
束は岬から足を放り出した足をばたつかせながら、小さいモニタを微笑ましそうにみつめていた。その画面には仲睦まじい男女が映し出されている。まるで、天の川を越えて再会した織姫と彦星のように。
「ふふ、箒ちゃん、がんばったね。《絢爛舞踏》も発現できたし」
モニタを切り替えると、画面に高速で渦を巻く粒子群の映像が表示された。
それは<対生成反応>と呼ばれる現象だった。これを発現させるために、束は危険な作戦に<紅椿>を推した。束にはそうしてでも《絢爛舞踏》を発現させたい理由があったのだ。
<紅椿>の
「でも、こんなところで<彼女たち>の陰謀に巻き込まれちゃうとわねぇ」
本来は<レーヴァテイン>に<紅椿>をぶつけることで《絢爛舞踏》の発現を促す予定だった。
だが、<福音>が暴走したことで、そのシナリオを大きく変更せざるを得なくなった。結果的には《絢爛舞踏》の発現に漕ぎ着けられたが、得られ損なったものも確かにあった。例えば――
「<紅椿>と<レーヴァテイン>が戦うところ見たかったなぁ」
自分が作った最高傑作と、息子が作った最高傑作。操縦者の技量が違うため、勝敗は明らかだが、四世代同士の戦闘だ。それ自体に大きな意味がある。
「楽しそうね。狂ったうさぎさん」
母性的で優しげな声音が、束の背後から聞こえた。音もなく現れたのはロリーナだ。
束は浜辺での態度は見せず、かといって振り向きもせず言った。
「よくここがわかったね」
「貴女に訊きたいことがあってね。部下にあなたを監視させていたの」
「ふ~ん。で、訊きたいことってなんだい? 今日は気分がいいから、答えてあげなくもないよ」
「助かるわ。では最初に、あの緋色のIS、<レーヴァテイン>は何なのかしら?」
束は海岸から放り出した足をバタつかせながら答えた。
「レーヴァテインは悪神ロキが魔人スルトのために鍛えた魔剣だよ」
まるで答えになっていなかったが、ロリーナは苦笑した。
「まるで今のISの在り方に対するあてつけね」
最高のIS操縦者に与えられる称号<ヴァルキリー>は北欧神話に由来する。
そのヴァルキリーが住まう世界アスガルドを焼き払ったのが、巨人スルトのレーヴァテインだ。ロリーナの言葉通り、<レーヴァテイン>というコードネームは、まるで今のISの在り方に対するあてつけに聞こえる。
「それをいうなら<赤騎士>だって
「いいえ。<赤騎士>は<白騎士>が成しえなかった偉業を成すISよ」
対抗意識からではなく、純粋に真実を語るような口調だった。
それに興味を惹かれたのか、束のウサミミがピクピクと反応する。
「ふ~ん。<赤騎士>は<白騎士>に代わって、何を成すっていうんだい?」
「《
オペラでも歌うかの如く、月夜を見上げ、誇るように語る。
究極の《単一仕様能力》。それが何か知る束は、ロリーナに流し目を送った。
「ロリーナはそれがどんな能力か知っているの?」
「ええ、全ての《単一仕様能力》を内包する能力でしょ?――でも、私が欲しいのは、二つの能力。《零落白夜》と《絢爛舞踏》よ。この二つの《単一仕様能力》を<赤騎士>に実装したいの」
《零落白夜》の能力は理論値のオーバーフロー。簡潔にいうと性能の限界突破だ。<白式>が《絶対防御》を看破できるのは、これで《雪片弐型》の性能を限界突破させているからである。そして《絢爛舞踏》は無尽蔵のエネルギーを生む《単一仕様能力》だ。
「このふたつの《単一仕様能力》を<赤騎士>に実装して何の意味があるんだい?」
「<赤騎士>の《単一仕様能力》は量子ジャンプ。でも、その能力は限定的なの。跳躍距離、使用回数に制限があるわ」
ロリーナの言わんとすることを理解した束が、続きを紡いだ。
「そこで《零落白夜》と《絢爛舞踏》かぁ。《零落白夜》の限界突破能力があれば量子ジャンプの飛距離は飛躍的に伸びるだろうね。そして、その超長距離ジャンプに必要なエネルギーを《絢爛舞踏》で補う。で、ロリーナの目測ではどれくらいの距離を跳躍できるようになるの?」
「ざっと約3億キロメートルね」
束は月夜を仰いで哄笑をあげた。
「ははは、そりゃすごいね。火星までひとっ跳びだ。――でも、《第三形態移行》は<白騎士>ですら成し得なかったことだよ?」
「言ったでしょ? <赤騎士>は<白騎士>が為せなかった偉業を成すISだって。<赤騎士>はニューロAIを介することで、操縦者の“想い”や“意思”を的確に汲み取れる。アリスが強く願えば願うほど、<赤騎士>は自らの進化を加速させるわ」
「アリスちゃんなら<赤騎士>を《第三形態移行》させるっていうのかい?」
ロリーナは誇るように頷いた。
「ええ。彼女の強い意志がそれを成す。彼女は“地球”と“火星”を繋ぐ架け橋になるわ。やがて訪れる世界的飢餓から、大切な人たちが住むこの世界を救うためにね」
「そっか。あの子が言っていた“やらなきゃいけないこと”ってそういうことだったんだね」
束は渡り廊下でのやり取りを思い出し、合点がいったように笑った。
「もしかして欲しくなった? でも、あげないわよ。アリスは誰にも奪わせないわ」
そこで初めてロリーナの瞳が恐ろしげに光った。しかし、束は怯まず、ひょいっと立ち上がる。
「奪う? 違うよ、ロリーナ。返してもらうんだ。妹はお姉ちゃんのものなんだから」
束がくるりとこちらを向く。その背後に緋色のISが浮かび上がった。
赤騎士に酷似したIS。世界を火の海にするための魔剣――<レーヴァテイン>だ。
「その言葉、私たち姉妹に対する敵意と取っていいのね?」
「ご自由に受け取りください。それとアリスはあなたの妹ではありません。私の妹です」
間違えるな。そうとも取れる強い言葉で答え、ローズマリーは束を抱えて後方に下がる。
その去り際、ロリーナが最後の問いを投げかけた。
「束、最期に教えてくれるかしら。――結局、あなたはISで何がしたかったの?」
束が失踪する以前、ロリーナは束を食事に誘ったことがあった。いまの質問は、その時に尋ねた質問だ。
その時、束は食べるだけ食べて何も語らなかった。
その時聞けなかった答えを再び聞くため、ロリーナはここを訪れたのだ。
「ロリーナは地球を外から見たことある?」
束は夜空を――いや、宇宙を見上げ、そこに想いを馳せるように問い掛けた。
ロリーナは簡潔に答える。
「いいえ、ないわ」
「わたしはあるよ。ISを使って成層圏からね。――そこには、神さまなんていなかった」
「ガガーリンも言っていたわね。――“地球は青かった。でも神はいなかった”って」
「それどころか国境の線引きも、民族の色分けもなかった。地球にはね、わたしたちを区別するものなんて何にもないんだよ。そこでわたしは悟ったんだ。国家、宗教、民族の違いなんて些細なことでしかないんだって。――ロリーナ、わたしたちは地球という家に住むひとつの“家族”なんだよ。だから、思ったんだ。わたしたちはもっと仲良くすべきだって」
「その気持ちを世界の人々が共有できるよう、ISで人類を宇宙に上げるつもりだったの?」
「まあね。わたしが感じたことを、みんなにも感じてほしかったんだ。ロリーナ、人の世界は、社会意識の共有化によって成り立っているんだよ。『私たちは社会の一員。秩序や規範を守り、助け合わなければならない』。そんな強迫観念に似た意識、あるいは暗黙のルールを人々が共有しているから、社会は円滑に回っている」
同様に世界がひとつの集団意識――束が云う『わたしたちは地球という家に住む一つの家族なのだから、人類はもっと仲良くすべきだ』という意識をみんなが共有できたのなら、きっと世界は今より円滑に回るだろう。やがて、その社会意識が国家や宗教、肌の色を越えて、世界をひとつにする。
新たな社会意識の萌芽。それが、束がISに込めた願いなのだろう。
「でも、それが目的なら<白騎士事件>を起こす必要なんてなかったはずよ」
ISが人類を宇宙に導くツールだというのなら、兵器の側面を見せる必要はなかったはずだ。
<白騎士事件>は自分自身の手で、我が子というべきISの存在を貶めたことに他ならない。
「それはISを世界に受け入れさせるためだよ。科学の進歩は日進月歩。ある日突然、急激に発達することはまず在りえない。だからなんだろうね、ISを発表した当初は、ISは科学を冒涜しているって言われたよ。だから、ISを世界に受け入れさせるには、センセーショナルな出来事が必要だと思ったんだ」
「それだけ? それだけの理由で何百万の人々を危険に曝したの? 貴女は酷いエゴイストだわ」
「否定はしないよ。でも、それは全人類にいえることでしょ? みんなが自分勝手だから、尊重し合えないから、世界はひとつになれないんでしょ? でも、わたしのエゴはそんな世界のエゴを飽和する」
「でも、できなかったわ。貴女のエゴは、世界のエゴに押し潰された。現実を見てみなさい。世界は無作為に兵器を突き付け合い、社会は差別を容認し続けている。どれひとつとして貴女の望みは叶っていない。貴女は理想を追い過ぎるあまり、現実が見えていなかったのよ」
彼女は理想を追い求めるあまり、現実に対して盲目だった。だから、世界の傲慢さに気づけなかったのだ。利己的主義者は平和の祈りだって、スイッチ一つで吹き飛ばす。そんなエゴを少女一人のエゴで飽和できるほど、世界は優しくなければ寛容でもない。
ロリーナは続けた。
「貴女の想いは間違っていなかったと思うわ。ただ、貴女はやり方を間違えた。それが個人範囲に収まっていれば“若気の至り”で済んだでしょう。でも、貴女と織斑千冬が起こした<白騎士事件>は、世界を冷戦という混沌に陥れた。もう若気の至りだなんて言葉では許されないわ。貴女は世界に対して贖罪すべきよ」
「わかってる」
強く避難するロリーナの言葉を、束は真摯に受け止め、そして言った。
まるで既に決意を固めているような声音で。
「償いはちゃんとするよ。くーちゃんのためにもね」
「くーちゃん、一緒にいたアフリカの子ね?」
ロリーナはクロエの翳のある容貌から、彼女の正体に気づいていた。
「うん。くーちゃんはね、アフリカの児童労働者だったの。毎日、毎日、ダイヤモンド鉱山で過酷な労働を強いられて、奴隷のように扱き使われていた。でも、くーちゃんは生きたんだ。人権を奪われ、逃げられないように麻薬漬けにされても、くーちゃんは精一杯生きた。くーちゃんには夢があったから」
「夢?」
「くーちゃんの夢は“大人”になること。大人になって“お母さん”になること」
子供はやがて大人になり、親になる。当たり前のことだが、彼女の住む世界では、違った。飢餓、疫病、紛争。残酷な現実を前にして、多くの子供が大人になれないまま死んでいく。彼女の住んでいた世界はそういう世界だった。
それでもクロエは夢を見続けた。自分に明日がある事を信じて。
「くーちゃんと出会う前は、自分の発明品を正しく使えない世界なんか『どうにでもなっちゃえ』って思ってた。――でも、ダメなんだ。どんなに残酷でも、この世界には夢を持って生きている子供たちがいる。そんな子供たちの未来に“冷戦”や“女尊男卑”なんてものは必要ない」
健気に明日を夢見る少女と出会ったことで、束の裡で何かが変わったのだろう。
それが再び世界と向き合う覚悟を束に与えたのだ。
「だから、わたしは帰ってきたんだ。わたしの作った罪を
誰よりも強い意志を以って語る束の瞳は、優しい母親の色をしていた。
そう、子の幸せを願う母親の。ロリーナは微笑んだ。ここに来て初めての笑みだ。
「束、貴女は科学者に向いていないと思うわ。だって、科学者は自分が作り出した物が未来にどういう影響を与えるか考えないといけないもの。なのに、貴女はそれを怠り、<白騎士事件>なんて事態を引き起こした。科学者失格ね。――でも、いい母親にはなれると思うわ。今の貴女はとても優しい瞳をしているもの」
ロリーナの言葉に、束の表情がすこし綻んだ。
「じゃあ、これからは一人のお母さんとして、世界と向き合っていくよ」
『ありがとう』の代わりにそう告げて、束は<レーヴァテイン>と共に岬を離れた。
「またね、ロリーナ」
「ええ。“また”があればね、ウサギのお母さん」
ロリーナの言葉に一度だけ微笑んで、束はローズマリーと共に岬を離れた。
闇夜に溶け込むように、二人は姿を晦ます。
彼女の去った世界をしばらく眺めてから、ロリーナは踵を返して、口を開いた。
「あなたの親友は、自分の進む道を見つけたみたいよ。――あなたはどうするの?」
柏木の影に身をひそめていた人物――織斑千冬は無言のまま答えなかった。