IS<インフィニット・ストラトス>―Deus Ex Machina   作:ネコッテ

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第54話 8月9日 午後

「あなたたちは完全に包囲されています。いかなる策を講じても逃走は不可能です。いかに我々国家権力に対抗しようとしても、必ず徒労に終わります。今あなたたちがすべきことは裁判官の心証を良くし、情状酌量の余地を広げることです。そのために、今すぐ武器を捨て人質を開放し、速やかに出てきなさい」

 

 警官の紳士な呼びかけに、強盗たちは銃声で応えた。

 

「うっせー。ごたごた言ってる暇があったら逃亡用の車を準備しろ!」

 

 まるで絵に描いたような強盗たちは、逃亡犯のようであった。持ち込んだ革製のバックからは日本紙幣が覗いている。どうやら銀行を襲撃したはいいが、運悪く通報され、ここに逃げ込んできたようだ。

 

「――たくっ、サツの野郎が。――おい、お前らも余計な真似すんじゃねーぞ」

 

 そして私たち従業員とお客は店内の奥の方へ追いやられ、一つにまとめられていた。

 幸い拘束はされなかったけど、後頭部に回した手を下げれば、容赦なく発砲してきそうな勢いだ。

 

(ねえ、アリス、どうする? 僕たちの手で制圧する? ISをあるし)

 

 隣のデュノアさんが静かに訊いてくる。私はしばし思案した。

 代表候補生であるデュノアさんは、こういった事態に対する訓練を受けている。特にラウラはその道のプロフェッショナルだ。私もCQBを始めとした室内制圧の訓練は受けている。その気になれば、制圧も可能だろうけど……。

 

(今は大人しくしておいて方がいいでしょう。相手は殺気立っているようですし)

 

 仮に制圧が可能でも、今は犯人を刺激すべきではない。もし下手に刺激して銃撃戦にでもなれば、如月さんたちやタカト君に危害が及ぶかもしれない。あくまで強盗の制圧はあと回しで、人質の安全確保が第一だ。

 

(私も嫁に同意だ。それに強盗犯たちは私たちを傷つけたいと思っていない。素直にいうことを聞いていれば、危害は加えてこないだろう。今は様子を伺うのが賢明だ。そして油断が生じたところを一気に制圧する)

(そうですね)

 

 ラウラの意見に同意し、私は改めて強盗たちを観察した。

 強盗たちは4人組の男性で、手には自動拳銃ノーリンコT54。いわゆる中国製のトカレフを装備していた。おそらく中国マフィアや日本の暴力団が横流した品を購入したのだろう。日本の正規ルートではまず銃器なんて手に入らないから。

 

(そして、外の状況は、と……)

 

 視線を動かし、窓の外を窺う。外では既に警官隊とパトカーがこの店を包囲していた。

 時より呼びかけはあるものの、交渉人の類は入ってこない。“交渉の余地なし”と見做して突入してくるつもりなのだろうか。だとしたら、せめて私たちの位置情報を彼らに知らせたいところだ。

 

「<レッドクイーン>、外のパトカーの無線機に……――あっ」

 

 そこまで言って、手元に<赤騎士>がないことに気づく。そうだった。<赤騎士>は今タカトくんが持っているんだった。私は静かにタカトくんの傍まで移動した。

 

「タカトくん、大丈夫ですか?」

「あ、メイドのお姉さん……」

 

 タカト君は、お母さんの腰にギュッとしがみつきながら小さく震えていた。

 当然だ。銃を持った男が襲ってきたら大人だって怖い。そんなタカト君を勇気づけるように言う。

 

「タカトくん、<レッドクイーン>は持っていますか?」

「う、うん」

 

 ポケットから赤いナイフを取り出して頷く。

 

「それはISです。何かあったとき、必ず君とお母さんを守ってくれます。安心してください」

《Mrタカト。怖がることはない。私がついている。心配しないでいい》

「うん」

 

 <レッドクイーン>の励ましに、タカトくんが強く頷く。うん、強い子だ。

 私は改めて店内の状態と犯人たちの様子を観察し直した。

 

「しっかし、こんな事になるなんて……。本来なら今頃リゾート地で優雅にバカンスを楽しんでる予定だったのによ……クソがっ!」

「で、アニキ、これからどうするんスか?」

「気長に奴らが要求を呑むのを待つさ。こっちには大勢の人質がいるんだ。そのうち焦って要求を呑むはずだ。幸いここは喫茶店のようだし、食いモンには困らねえ。籠城するにはもってこいだ。なによりよぉ――」、

 

 リーダー格と思わしき男(強盗Aと名付けよう)が私たちを眺めながら、上唇を舐める。

 

「ここには上玉の女がいる。楽しめそうじゃねえか……へへへ」

「ほほっ! いいっすね!」

「俺も賛成ですっ」

 

 強盗Aの提案に、強盗Bと強盗Cが同意する。

 特に強盗Bは好色家なのか、言うなりさっそく店内の従業員を品定めし始めた。

 

「へへ、選り取り見取りだな。さて、誰にすっかな?」

 

 従業員一同は指名されないよう視線を逸らすが、私は堂々と受け止めた。

 そんな私の気の強そうな態度がお気に召したのか、強盗Bは私を指名した。

 

「俺、あの赤毛のメイドが良いっす」

 

 狙い通りになって内心で、私はほくそ笑む。今、やつらは完全に油断しきっている。警察が包囲する中で、猥褻行為に及ぼうとしているのがいい証拠だ。これは他らならぬ制圧の好機。逃す手はない。

 

「お前、ああいう気丈に振る舞ってる女、好きだよな」

「へへへ、そういう女を力で言いなりにさせるのがイイんスよ。――ほら、早くこいよ」

 

 歪んだ性癖を突き付けられて嫌悪が最大になるが、今は堪えて男の前に進み出る。

 私が男の眼前まで寄ると、強盗Bは私の身体を舐めるように見て、さらに興奮の度合を上げた。

 

「うひょー! 近くでみるとますます美少女っすね!」

「それはどうも」

 

 こんな男に褒められたところで嬉しくもないので、愛想のない返答をする。

 それでも男にとっては興奮のスパイスになったのか、更に息を荒げた。

 

「いいね、いいね、その強気の態度。よし、さっそくメイドらしくご奉仕してもらおうか。一応言っておくが、変な真似したら、そこの従業員をぶっ殺すからな。覚えておけよ。いいな」

 

 お決まりのセリフをかまし、強盗Bは興奮で震える手で腰のベルトに手をかける。しかし、片手ではうまくベルトの金具を外せないのか、無謀にも持っていたトカレフをテーブルに置いた。

 

(救いようのないバカですね……)

 

 そんな男を内心で嘲笑する。わざわざ自分から武装解除し、無防備な姿をさらしながら、警官が囲っている中でわいせつ罪に勤しもうとしている男は、これ以上ないぐらい滑稽に見えた。

 だが、私にとっては好都合だ。

 

「よし、俺の前にひざまずいて、俺のを咥えるんだ」

 

 ベルトを抜き終えた男は、興奮を最高潮にしてそう命じる。

 私は素直に従って膝を折り、跪いた――その数瞬後、脚部に蓄えた跳躍力を解放した。

 

「!?」

 

 眼の高さまで飛び上がった私を見て、男の顔が驚愕に染まる。

 そのマヌケ面に、私は憂さを晴らすような渾身の蹴りを叩き込んだ。

 

「くぴっ!」

 

 顔面に鋭い一撃を受けた男が、折れた二本の前歯を置き、後方に大きく吹き飛ぶ。

 充分な手応えを感じた私は、誰に言うまでもなくつぶやいた。

 

(――まず一人目)

 

 そして私は葬った強盗Bに一瞥もくれず、Bが置いたテーブルのトレカレフを取る。

 初弾が装填済みなのを確認し、強盗たちに向けた。

 

『動くな』

 

 強盗Cが私に銃を向けるのと、私が強盗Cに銃を向けるのは、ほぼ同時だった。

 銃口と銃口が睨み合い、私たちの動きが止まる。が、私は勝利を確信していた。

 

「ふっ!」

 

 睨めっこし合う私と強盗Bの視線を遮って、誰かの綺麗な踵が振り下ろされる。

 ラウラだ。ラウラのカカト落としの威力に強盗Cの腕があらぬ方向へ圧し折れた。

 

「ぐぎゃっ!」

 

 骨折の激痛に耐えきれず、強盗Cが自前のトカレフを掌からこぼす。

 私が落ちたトカレフを遠くに蹴って、ラウラが近接格闘術で強盗Cにとどめを刺す。

 

『これで二人』

 

 私とラウラの声が重なると、眼前に四人目の強盗――強盗Dが落ちてきた。

 確認するまでもなくやったのはデュノアさんだろう。これで残りはリーダー格の男一人だ。

 

「よくもやってくれたな、クソガキどもが……」

 

 この数秒の内に三人の仲間をやられた男は、焦りながら周囲を見渡した。しかし、武器を所持していないため、抵抗らしい抵抗もできそうにない。そこで男は追い詰められた悪党にありがちな行動を取った。

 

「こうなったら、人質を盾にして――」

 

 そう、“動いたらこいつの命は――”というアレだ。だが、そんな事をさせる気は毛頭ない。

 私は客と従業人が集められた場所へ走る強盗Aを容赦なく撃った。

 

「ぐおっ!」

 

 足を撃ち抜かれた強盗Aがバランスを崩す。だが、ここで思わぬ誤算が発生した。

 撃たれた強盗Aが、出血する足で踏ん張りながらも、人質の許へと走破してしまったのだ。

 

(見かけよりタフですね。はやり、身体を狙うべきでしたか……)

 

 でも、それだと強盗を殺してしまいかねない。別に強盗が死のうと構わないが、タカトくんの目の前で“人殺し”の現場を見せるのには抵抗があった。だから、胴体を避け、脚部を狙ったのだが、その甘さが裏目にでてしまったようだ。

 

「へへ、動くなよ、小娘ども。妙な真似をしたらこのガキの命はないぞ」

 

 強盗Aが悪党の常套句を吐きながら、人質を抱えて出てくる。

 人質はよりによって私を指名してくれたタカトくんだった。

 

「お、お姉さん……」

 

 タカトくんはお客の中で最も幼く、力がない。人質としては打って付けだ。強盗Aもそのことを理解して彼を人質に選んだのだろう。でも、その判断が仇となったことを彼はまだ知らない。

 

「タカト!」

 

 我が子を人質に取られたお母さんが悲鳴のような声を上げた。

 

「お願いです。その子は傷つけないでください!」

「うるせぇぞ、ババア。黙らねえとてめぇのガキを血祭りにすんぞ」

 

 言って、手に握った赤いナイフ(・・・・・)をタカトくんの喉元に食い込ませる。

 顔から血の気が失せたお母さんが、助けを求めるように私へ縋った。

 

「どうか、どうか、あの子を助けてください……!」

「大丈夫ですよ。私が助けるまでもありません」

 

 私はタカトくんにウィンクを送った。

 そのウィンクの意図を察したタカトくんが大きく叫ぶ。

 

 

「助けて<レッドクイーン>!!」

 

 

 タカトくんが大きく叫ぶと、強盗Aの握っていた赤いナイフ(・・・・・)が閃光を放った。

 閃光の中から現れたのは、赫々と燃えるような赤い鎧を纏った赤髪スーパーロングの美女。<赤騎士>と自動人形を展開した<レッドクイーン>だ。

 

《Yes Master Takato――御心のままに!》

 

 <レッドクイーン>が命令を受諾し、タカトくんから強盗Aを払いのける。

 そして左手にタカト君を抱きかかえ、右手で強盗Aを締め上げた。

 

「え? え? えぇ!? なんだよ、これぇ!! あ、ISだと!?」

 

 突如現れたISに、状況が呑み込めない強盗が、驚愕と当惑の声を上げる。

 だが、そんな男の翻弄など無視して<レッドクイーン>が強盗を締め上げた。

 

《マスタータカト、ご指示をどうぞ。あらゆるご指示をどうぞ》

 

 その言葉で、タカトくんは初めてこの美女が自分の命令で動くのだと悟る。

 タカトくんは再び大きく息を吸い込んで、命令した。

 

「悪いやつをやっつけろ、<レッドクイーン>!」

《Yes Master Takato!!――御心のままに!》

 

 タカトくんの命令に応え、<レッドクイーン>が締め上げていた強盗Aを壁際に勢いよく投げつける。まるでボールのように投げ捨てられた強盗Aは、これまたボールのように弾んで、床に叩き付けられた。

 

「……こ、この、クソガキが……ッ!」

 

 強盗Aはよろめきながら、気絶した仲間から自動拳銃を奪う。そして発砲。しかし、吐き出された銃弾はシールドによって遮られ、一発もタカトくんに命中しなかった。

 

「な、なんだ、ありゃ!?」

 

 なおも、必死に撃ち続ける強盗Aだが、50口径のライフル弾ですら貫通できないシールドを自動拳銃の火力で突破できるはずもなく、あえなく弾切れとなった。

 

「レッドクイーン、とどめだ!」

《Yes Master Takato――テイザー威力行使》

 

 <レッドクイーン>は<赤騎士>のマニピュレーターに備わった対人用の電気銃で強盗Aを攻撃した。

 

「アガガガガガッ!」

 

 体を駆け巡る高圧電流が強盗Aを戦闘不能にする。

 そんな強盗Aの許へ店長である如月さんが、怒りで肩を震わせながら歩み寄った。

 

「よくも私の店をめちゃくちゃにしてくれたわね! これは請求書の代わりよ」

 

 そして、トドメとばかりに強盗Aの股間を力いっぱい蹴り上げる。

 

「ひぎゅっうッ!!」

 

 女性にはわからないであろう痛みを受け、強盗Aは内股のまま意識を手放した。

 同じように何人かの男性客が内股になっているから、よほどの激痛だったのだろう。

 今度こそ、強盗Aは動かなくなった。

 

「タカトっ!」

 

 強盗が成敗されたとみるやいなや、お母さんがタカト君の許にかけ寄った。

 私もタカトくんのところまで行って、掌を差し出す。

 

「やりましたね、タカトくん。見事、強盗をやっつけましたよ」

「うん!」

 

 強盗に襲われたショックを感じさせない様子で、タカトくんが私とハイタッチを交わす。

 人によってはトラウマものの経験だったが、大好きなISを操れた興奮がそれを凌駕しているようだった。彼の瞳はいまだ興奮を訴えている。タカトくんのIS好きも筋金入りだ。

 

「さて、これにて制圧完了(クリア)っと」

 

 今度こそ強盗が完全沈黙したところで、デュノアさんが身体を伸ばした。

 

「うん。被害がでなくてよかったね」

「まあ、いいところを全てあの少年に持っていかれたがな」

 

 私たちが警戒を解くと、人質になっていたお客や従業員から歓声が巻き起こった。

 

「よかった! 助かった!」「ありがとう、メイドさん!」「うわ、俺たちスゲー場面に立ち会ったんじゃね?」「きゃー、映画みたい!」「私、あの赤い髪のメイドさんに見惚れちゃった」

「何から何まで、どう礼を言っていいのか。本当にありがとう」

 

 感謝感激で湧き立つ客人を代表して、如月さんが言った。

 

「いえ、(みせ)を守るのがハウスキーパーの仕事ですから」

「もう、いってくれるわね」

 

 如月さんがカラカラっと笑って私の額を軽く突っつく。

 そのあと、お客を代表してタカトくんのお母さんがやってきた。

 

「アリスさん、息子を助けてくださって本当にありがとうございます」

「いえ、タカトくんを助けたのは<レッドクイーン>ですよ」

「ふふ、そうでしたね。息子をありがとうございます、<レッドクイーン>さん」

《No Mrs Madame――私は主の命令を履行したまで。私を駆使して強盗を撃退したのは他ならないタカト。タカトを褒めてやるべき。将来、良いIS操縦者になる》

 

 ぽんぽんと<レッドクイーン>がタカトくんの頭を叩く。彼は嬉しそうにえへへと笑った。

 それからほどなくして裏口と正面口から警官隊が突入してきた。私は強盗から奪ったトカレフを置き、無抵抗の意思を警官に伝える。その後、私たちは警官たちによって保護された。

 

 

     ♡          ♣          ♤         ♦

 

 

 私たちが強盗騒動の事後処理から解放された時には、時刻は午後6時半を超えていた。

 学園の門限は7時。私たちは雑貨屋での買い物を諦め、校門を潜った。

 

「それにしても、今日は大変だったね……」

 

 どこか疲れた声音でつぶやくデュノアさんに「ええ」と同意する。

 いきなりメイドのアルバイトをやることになったかと思えば、強盗退治である。生涯にあるかないかの経験(たぶんない)に私も少々くたびれた。

 

「まあ、これも一つの経験だ」

 

 逆にラウラは疲れの一つも見せず、ぴんぴんしている様子だ。

 さすがこの手の事件を扱う特殊部隊の隊長。これしきの事、物の数ではないのだろう。

 

「では、8時に私の部屋に集合でいいですか?」

 

 部屋の分かれ道にさしかかったところで、改めて今日の予定を確認する。

 ラウラ、デュノアさんが「うむ」「うん」と答え、ここでとりあえず解散となった。

 

(そういえば、ラウラの好きなチョコプリンが切れていましたね)

 

 あとで補充しておこうと考えつつ、自室のリーダーに学生証を通して部屋に入る。

 部屋に箒はいなかった。実は昨日から帰省しているのだ。その代わりに――

 

「お帰りなさい、アリス。ごはんにする? お風呂にする? それとも・わ・た・し?」

 

 ロリーナがベタベタな台詞で私を出迎えた。しかもフリフリのエプロン姿で。

 

「なにをやっているのですか……?」

「あらぁ、もしかして似合っていなぁい?」

「いや、エプロン姿はよく似合っていますけど……」

 

 もともと色香の濃いロリーナだけど、エプロンをつけると、人妻的なエロティズムが加わって、いつもより色っぽくみえた。これで実際は未婚――それどころか生娘――なのだから、世の男たちの目は節穴なのだろうか。

 それはさておき、いまだ『ただいまのキスはどうかしら?』なんて言ってくるロリーナを軽くあしらって自室に入る。それから飲み物を取りにキッチンへ向かった。

 

「ロリーナ、美味しい紅茶のアイスティーがあるのですけど、飲みます?」

「ええ、もらうわ」

 

 私はセシリアから貰ったダージリンのアイスティーを冷蔵庫から出し、カップに注ぐ。

 ついでに鈴が買ってきてくれたお土産のお菓子も出し、二人でテーブルに腰かけた。

 

「で、今日はどうしたのですか? まさか新婚ごっこする為に来ていたわけじゃないでしょ?」

「簪さんの手伝いついでに、あなたへの追加資料をもってきたの」

 

 アイスティーを一口味わい、ロリーナが自前のバックから資料を取り出す。

 取り出されたそれを手に取って見ると――

 

「『マリアージュ8月号~心に残る結婚式特集~』?」

 

 と表紙に書かれていた。なぜ、結婚情報誌……?

 

「あら、やだわ。うふふ、それは違うのよ」

 

 ほんのり頬を桜色にしたロリーナは『間違えてしまったわ』と、やんわり私の手から結婚情報誌を取り上げた。さては、結婚情報誌を読みながら、結婚の妄想に耽っていたのでしょうか。だとしたら新妻の真似事をしていたのも説明がつく。

 

「こっちが本当の資料」

 

 言って別の資料を取り出す。資料に記されていた内容は、潜入先の経済パーティーで使う偽装プロフィールについてだ。それに目を通しながら、私は簪の専用機開発の進捗状況について訊いた。

 

「そういえば、マルチロックオンシステムの開発はどうですか?」

「順調よ。経験不足はあるけれど、複雑なコードも一度で理解するし、大したものだわ。情報処理についてなら、お姉さんより有望かもしれないわね。――そうそう、そのお姉さんだけど、今日、一緒に食事してきたわ」

「会長とですか?」

「ロシアに帰郷するから、簪さんの様子をこっそり見にきていたみたいなの」

「で、どうでした? 話した感想は」

「そうね。強いカリスマ性を感じられたわ。気構えや物腰は人の上に立つ大人のそれね。伊達で楯無の名を継いではいないわね。でも、一番の感想は“やっぱり刀夜の娘ね”ってところかしら、フフ。それだけに一部相容れない部分もあったけれど」

「相容れない部分?」

「ええ」

 

 気になったけれど、ロリーナは話す気がないようだった。

 その後、いろいろと雑談していたら、時計の針が7時を指していた。

 

「もうこんな時間ですか。そうです、ロリーナ。今日、ラウラとデュノアさんとでパジャマパーティーをするのですけど、一緒にどうですか? 今日も泊まっていく予定なのでしょ?」

「そうね、ラウラ・ボーデヴィッヒとも話してみたかったし、そうさせてもらおうかしら」

 

 そうと決まれば、さっそくラウラとデュノアさんに連絡を入れないと。

 

 

     ♡          ♣          ♤         ♦

 

 

 夕食の後、私たちは予定通りパジャマパーティーを開催した。

 場所は私の部屋。参加者は、私、デュノアさん、ラウラ、そして飛び入り参加のロリーナだ。格好はロリーナを除き、今日購入したネコの着ぐるみパジャマ姿だ。それが今夜の正装となっている。

 いま、ベッドの上では、デュノアさんとラウラがじゃれ合っていた。

 

「ふふ、ラウラ、とってもよく似合ってるよ」

「こら、抱きつくな。私は嫁のものだぞ」

「だって、かわいいんだもん。かわいいものはみんなで共有すべきだよ~♡」

 

 白猫のデュノアさんは黒猫のラウラを膝の上に乗せ、じゃれるように頬擦りした。

 ネコに仮装したラウラはびっくりするほどキュートだ。デュノアさんが思わず抱き着きたくなる気持ちはよくわかる。今のラウラはそれぐらい愛らしい。

 

「ふふ、まるで『鏡の国のアリス』の冒頭ね」

 

 テーブルでお酒を嗜んでいたロリーナが、楽しそうに言った。

 確かに『鏡の国のアリス』にこんな場面が冒頭にありましたね。だとしたら、黒猫のラウラがキティ、白猫のデュノアさんはスノードロップかな。私? 私は二匹の親猫ダイナだ。

 

「ええい、離れろ。私は嫁のところに行くのだ」

 

 ラウラは猫みたいにぴょ~んとデュノアさんの腕から飛び出すと、私の膝に飛び乗った。

 そして、愛くるしい視線を寄越し、機嫌よさそうにゴロゴロと喉を鳴らす。

 

「さあ、嫁、存分に私を愛でるがいい」

「もう、ラウラったら! アリスだけにはデレるんだから!」

 

 自分の時と態度が違うラウラに、ムスっと不機嫌そうに頬を膨らませる。

 心成しか尻尾も揺れているように見えた。機嫌が悪くなった猫はしっぽを振るうのだ。

 

「まったく、ラウラは甘えんぼさんですね?」

「な、誰が甘えん坊だ! 私は訓練された兵――ふにゃ~」

 

 私が喉元をくすぐってやると、ラウラは一転して甘い声を出した。

 兵士に似つかわしくない声が出て、ラウラがぼっと頬を赤めて怒った。

 

「こ、こら。急にくすぐるから、変な声が出たではないか!」

「ふふ、そうですね。ふにゃって変な声がでちゃいましたね」

「嫁のせいだぞ。お前は旦那に恥をかかせたいのか?」

「そう怒らないでください。――ほら、好物のチョコプリンも買ってありますよ?」

 

 しかし、好物をちらつかせても、ラウラはそっぽを向いたままだった。

 

「ふん、本物のネコではあるまいし、エサなどに釣られるものか」

「じゃあ、どうしたら機嫌を直してくれます?」

「……み、耳そうじ、耳そうじをしてくれたら、許してやろう」

 

 恥かしそうに言って、腕を組む。

 耳そうじですか? また突拍子もないことを言い出しましたね。いえ、いいのですけど。

 

「耳かきぐらいお安い御用ですよ。えっと、耳かきの道具、どこに仕舞っていましたか」

「道具なら私が持っているぞ」

 

 言って、どこからか柄にウサギの飾りがついた耳かきを取り出す。

 

「用意がいいですね」

「耳かきは、夫婦の醍醐味と聞く。だから、その、ずっとだな……――って何をいわすのだ!」

「ふふ、ずっとして私に耳かきをしてほしかったのですね? では、どうぞ」

「うむ!」

 

 ふとももをぽんぽんと叩くと、ラウラは嬉しそうに頭部を預けてきた。

 そして、ふふふと何やら楽しそうに頬を緩める。

 

「どうしました、ラウラ?」

「ふふ、なんでもにゃいぞ」

 

 なんでもにゃいのですか。どうやら、そうなってしまうぐらい膝枕が心地良いらしい。

 すると、もう一匹のネコが尻尾を逆立ちさせてこちらにやってきた。

 

「いいな。僕もアリスに耳かきしてもらいたいなぁ」

「不許可だ。嫁の耳かきは旦那の特権なのだ」

「もう! そうやっていつもアリスを独占する~!」

「独占して何が悪い。アリスは私の嫁だぞ」

 

 ラウラがまるで“これは私のものだ”というように私に抱きつく。

 はは、相変わらず独占欲の強い旦那様なんですから。

 

「まあ、そういわずにね。――デュノアさんもあとでしてあげますから」

 

 私を巡って争われるのは心苦しいのでそう提案すると、ラウラがムスっと毛を逆立てた。

 

「こら、嫁! 旦那の断りなく、何を勝手に約束しているんだ!」

「そう怒らないでください。怒りん坊な旦那さまより、甘えん坊の旦那さまの方が、私は好きです」

「むーっ……」

 

 言うが効果覿面。“好き”と言われ、ラウラが主張を引込める。

 いい判断です。私の機嫌を損ねたら、耳かき自体してもらえなくなりますからね。

 

「その代わり遠慮はしないぞ」

「はい、遠慮なく甘えてください。――じゃあ、耳のお掃除、始めますよ」

 

 まずベッドサイドに置いてあったウェットティッシュで、耳の入口付近を丁寧に拭く。

 

「ふにゃんッ」

 

 ウェットティッシュが冷たかったのか、ラウラの身体がビクンと跳ねた。

 

「あ、すみません、冷たかったですか?」

「う、うむ。すこしな」

「でも、ちょっと我慢してくださいね」

 

 引き続き、ウェットティッシュで耳の入口を丹念に拭いていく。

 思いの外、彼女の耳は綺麗だった。ただ照れているのか、真っ赤ではあるけれど。

 

「この辺りは綺麗ですね。もしかして自分で掃除しました?」

「ああ、衛生管理も兵士の務めだからな。だが、奥はあまりだ。そこは自分の手では限界がある」

「わかりました。じゃあ、次は奥の方を掃除していきますね」

 

 ウェットティッシュから棒状の耳かきに持ち替え、耳の中へと潜らせていく。

 手前の方に大きい塊が見えた。それをちょいちょいと耳かきの先端で掻きだす。

 

「ほっ、よっ、こちょこちょっと」

「ふぁ、にゃ、そこ、にゃ~ん♡」

 

 私がクイクイと耳かき棒を動かす度、ラウラは気持ちよさそうに身をモジモジとよじらせた。瞳もすっかり愉悦でとろけていて、まるでマタタビを嗅いだネコのようだ。

 

「ふぁ~……これは想像以上に良いものだな……」

「痛くありませんか?」

「大丈夫にゃ」

 

 ふふ、すっかり気が緩んでいますね。語尾がネコ語になっていますし。

 その後も、ちょいちょいと耳かきを動かし、耳垢を取っていく。

 

(うん、コツがわかってきましたね)

 

 それにつれて、耳かきする側も楽しくなってきた。大きいのが取れた時の快感は、結構たまらない。マイ耳かきを買おうかな、なんて思うようになった頃には、ラウラが私のひざで息を立てていた。よっぽど心地が良かったんですね。私の耳かき。

 

(でも、困りましたね。これだとデュノアさんに耳かきしてあげられません)

 

 かといって、気持ちよさそうに寝ているラウラを起こすのもかわいそうですし。

 すると、テーブルで私たちを見守っていたロリーナが言った。

 

「じゃあ、私が代わってあげるわ」

 

 ロリーナは席を立つと、私の隣に座りってラウラをそっと自分の膝に移す。

 ラウラは『よめ~』と寝返りをうって、ロリーナのももに顔を埋めた。二人とも銀髪だから(厳密にいうとロリーナはプラチナブロンドで、ラウラはアッシュブロンドだけど)なんだか親子みたい、

 

「 姉 妹 の 間 違 い よ ね ?」

 

 にっこりと迫力のある表情で微笑まれ、私は『そ、そうですね』と視線をそらす。

 そんな私をしばらく笑顔で睨んでから、ロリーナが再びラウラの髪を撫でる。

 

「可愛い寝顔ね。ララにも見せてあげたいわ」

「ララ?」

 

 私の知らない名だ。ララ、とは誰だろうか。

 

「こっちの話よ、それよりデュノアちゃんの耳かきをしてあげなさい」

「わかりました。――では、デュノアさん。私のひざにどうぞ」

「にゃ~ん!」

 

 デュノアさんのネコ耳がぴこ~んと立ち上がる。

 私は、甘えるように擦り寄ってきた白い仔猫の耳かきを始めた。

 

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