IS<インフィニット・ストラトス>―Deus Ex Machina   作:ネコッテ

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第56話 8月11日②

 ウォーターワールド休憩所。

 一夏たちの悲鳴を遠くで聞きながら、簪は自前のラップトップパソコンを立ち上げた。

 起動までの待ち時間、ポーチからジュエリーケースを取り出し、サファイヤの指輪――<打鉄弐式>の待機形態――をそこに接続する。リンクが確立されたところで、ディスクトップにアニメキャラの壁紙といくつものアイコンが表示された。

 数あるアイコンの中から、おもちゃ箱のアイコンを選んでクリックする。

 このアプリケーションは、ロリーナが提供したプラットフォームだ。高性能エディターから、ユティリティーツール、ランタイム、仮想上でISをシミュレーション可能な物理エンジンまで、ISのソフトウェア開発に必要な機能が実装されている。

 画面左下では、三頭身デフォルメされたロリーナがVer2.10のアップデートを報せていた。

 クリックして<トイボックス>を最新バージョンに更新する。

 更新バーを眺めていると、簪の前にぬーっとビニール製のシャチが現れた。

 

「『へいへい、そこの可愛いお嬢さん、パソコンなんてやめて俺と遊ぼうぜ』」

 

 ビニールのシャチ――で腹話術するアリス――を一瞥もせず、簪は鬱陶しそうにシャチを視界の端に追いやった。

 

「……わたしのことはいい。……アリスは楽しんできて」

 

 しかし、アリスはシャチの口先で簪の頬をぐりぐりしながら、しつこく誘ってくる。

 

「『そう言わないでさ~。せっかく来たんだからよ~、一緒に遊ぼうぜ~』」

 

 ぐりぐり、ぐりぐり。でも、簪はアリスの妨害を頑なに無視し続ける。

 もともと簪はウォーターワールドに来たかったわけじゃない。月子が『来ないと多機能フェイズドアレイレーダーわたさへんで』と脅してきたもんだから、従わざるを得なかったのだ。

 月子としては、他の代表候補生と交流を深め、その技術や気概を学んでほしかったのであるが(なにせ代表候補生の本分は、ISの開発じゃなく操縦技術を磨くことだから)、意に反して簪はずっとこの調子だった。

 なおも、ウォーターワールドそっちのけでIS開発に勤しむ簪の前に、警告ウィンドウが現れた。

 

<ISを認識できません。接続を確認してください>

 

 簪はISとPCを繋ぐソケットを確認した。

 ジュエリーケースには、<打鉄弐式>の待機形態である指輪がなかった。

 

「綺麗な待機形態ですね。どうです、似合いますか?」

 

 薬指に指輪をはめて遊ぶアリスに、簪が眉をひそめた。

 

「……アリス、勝手にとらないで……」

 

 ムスッとした簪が、アリスから<打鉄弐式>を奪い返そうとする。しかし、アリスが意地悪に指輪を遠ざけるため、なかなか手が届かない。業を煮やした簪は右手を振り上げた。

 

「……アリスでも、お、怒る……よ」

 

 それは “場合によってはぶつからね”という警告だったが、なんせ相手はあのアリス・リデルである。簪の弱々しい脅しが、通用する相手ではなかった。

 そもそも、非生産的なことにエネルギーを使いたがらない簪は、喧嘩どころか誰かを怒鳴った経験すらない。そんな人間の啖呵など誰が怯もうか。

 

「あなたも代表候補性の端くれなら、実力で取り戻してはどうです?」

「……なら!」

 

 これ以上言っても無駄だと悟った簪は、全力でアリスに踏み込んだ。こう見えても日本の代表候補生だ。身の熟しは常人のそれと一線を画す。跳んだ簪はまるで疾風のようだったが、

 

「ほいっと」

 

 マタドールよろしくあっさりいなされた。勢い余って派手に“べった~ん”と転ぶ簪。

 周囲から『イタそう』とくすくす笑いが起こり、簪は顔を真っ赤にした。

 

「……アリス、もう、許さ……ない」

 

 肩を震わせながら怒るも、はやりアリスは怯えた様子を見せなかった。

 

「きゃー、こわい。なので、私は逃げることにします」

 

 そればかりか、道化のようにおどけて身を翻す始末。

 <打鉄弐式>を持ったまま逃げたアリスのあとを、簪は「……こらぁ~」と追いかけた。

 

 

     ♡          ♣          ♤         ♦

 

 

 アリスと簪が鬼ごっこを始めた頃。

 鈴とセシリアは、浮き輪におしりをすっぽりと収め、流れるプールをたゆたっていた。(ちなみに一夏と箒は波のプール、シャルロットとラウラは月子と馬が合ったらしくIS談義に花を咲かせている)

 

「ああ、いいわ~、このゆっくりした感じ、癒されるわ~」

「ここ数か月、何かと大変でしたものね~」

 

 襲撃やら暴走やらで、一学期の学園生活は波乱の連続だった。その反動か、こういうゆったりした流れが本当に心地よかった。二学期は、この流水のように平穏であって欲しいものだ。そう思いながら流れに身を任すセシリアたちの耳元に、早くも騒がしい声が聞こえてきた。

 

「簪さん、こちら、手の鳴る方へ~」

「ま、待って、返して……」

 

 遠目からでよくわからないが、簪がアリスから何かを取り戻そうとしているようだ。

 セシリアと鈴は顔を見合わせた。

 

「なにやってんのかしら、あいつら」

「さあ。でも、簪さんえらく怒っている様子でしたわね」

 

 興味がわいた二人は、しばらくアリスたちを観察することにした。

 

「……あ、アリス、いい、加減にしないと。ひ、酷い目に遭わせ、る」

「ほおー、一体どんな目に遭わせるっていうのです?」

 

 強気なアリスに、簪が小型端末を見せつける。

 その画面には、腹をかきながら涎を垂らして爆睡するアリスの動画が再生されていた。

 

「……この動画をYouTubeにアップする」

 

 セシリアと鈴はそろって「確かにそれは酷い」と思った。

 無防備な寝顔――それもみっともなく涎を垂らしている動画を全世界に配信されるなんて、いい恥さらしだ。アリスは血相を変えて、簪に飛びかかった。

 

「こら、やめなさい」

「……だめ、返してくれないと、HDで配信する」

「ちょ、やめて」

「……じゃあ、4K」

「もっとダメですってば!」

 

 ケータイを奪おうとするアリスに、<打鉄弐式>を取り戻そうとする簪。そんな二人の取っ組み合いを遠目から見ていたら、アリスの手からぴゅーんと指輪が飛んできた。それがうまい具合に鈴の手に収まる。

 「なにこれ」という鈴に、アリスが叫んだ。

 

「鈴、それを簪に渡してはいけません!」

 

 どうやら、アリスは意地でも簪から<打鉄弐式>を取り上げ、このテーマパークを満喫させるつもりらしい。

 その意図を汲んだかはわからないが、セシリアと鈴が強く頷いた。

 

「わかりました。必ずや守り抜いてみせます!」

「任せておきなさい!」

 

 二人はぐっと親指を立て、流れるプールを進む。簪は「任されないでッ……」と呟き、流れるプールに飛び込んだ。そして、外見に似合わないアクティブな泳ぎでセシリアと鈴を追いかける。

 

「鈴さん、このままでは追いつかれてしまいますわ」

「陸に上がりましょう」

 

 二人は浮き輪をプールの淵に寄せ、飛び込み台の方向へ逃げようとしたが――

 

「あ、りんさん、ちょっと待ってくださいな」

 

 急にセシリアが困惑した声を出した。

 

「どうしたのよ、セシリア、あの子がそこまで来てるっていうのに」

「あ、あの……う、浮き輪が……」

 

 そう言って、浮き輪の穴にすっぽり収まったままの尻を突きだす。

 どうやら、浮き輪の穴から尻が抜けなくなってしまったらしい。その光景ときたらマヌケそのものだったが、セシリアの肉感的なヒップラインと、瑞々しい柔肌に食い込むヒモ水着のせいで、どこか官能的だった。

 

「まったくエロ(デカ)い尻しているから、そうなるのよ!」

「エロくありませんわ! 安産型と言ってくださいな!」

「ほら、手伝ってあげるから、はやくしなさい。いくわよ――――ひっひっふー!」

 

 なぜかラマーズ法で浮き輪を力いっぱい引っ張る鈴。

 ぽんっと、勢いよくセシリアの卑猥なおしりから浮き輪が外れた。

 

「もう、ちゃんと自分のおしりの大きさぐらい――――あ」

「だから、わたくしは安産型だと―――って、ど、どうしましたの、鈴さん?」

 

 どこか気まずそうな鈴の表情に、セシリアは嫌な予感を覚えた。

 なにより、先ほどからスースーする股間(・・・・・・・・)の解放感(・・・・)が気になる。

 セシリアは恐る恐る股間に視線をやった。――案の定、そこにはあるべき水着がなかった。おそらく、おそらくだ。浮き輪を外す勢いが強すぎて水着の紐が解けてしまったのだろう。

 幸いにも周囲には誰もいなかったけれど、セシリアは慌てて股間を両手で隠した。

 

「り゛ん゛ざ ~ ん!!」

 

 自分をひん剥いた鈴を、セシリアは真っ赤な顔で睨みつけた。

 

「あはは、勢い余って一緒に脱がしちゃったみたい、ごめんね」

 

 と、落ちていた水着を拾い上げ、セシリアにわたす。

 セシリアは片手で秘所を隠しながら、水着をひったくった。

 

「こればかりは許しませんわよッ!」

「じゃあ、逃げる」

 

 言うなり、びゅ~んと猫のように逃げだす鈴。

 そんな鈴と入れ替わる形でやってきた簪が、おしり丸出しのセシリアを見て首を傾げた。

 

「……痴女?」

 

 セシリアは顔を真っ赤にしながら、光の速さで水着を身につけた。

 

「違いますわ! たとえ痴女だとしても、わたくしは痴女という名の淑女ですわ!」

 

 それはすなわち痴女だったが、半狂乱に陥っていたセシリアは気づかない。

 なんにしろ、公共の場で股間を丸出しにしていては、痴女と間違われても仕方なかった。

 

「……性癖は人それぞれ。でも、場所をわきまえるべき」

 

 常識的な言葉を残し、簪は鈴を追いかけた。セシリアは人知れず泣いた。

 

 

     ♡          ♣          ♤         ♦

 

 

 アリスから始まったいじわるな<打鉄弐式>のリレーも終盤を迎えつつあった。

 逃げた鈴を追いかけ、簪はついに10m級の飛び込み台、その先端に追い詰めた。

 

「……もう、逃げられない」

 

 簪が途中で拾ったデッキブラシを鈴に突きつける。

 

「ふん、やるじゃない。このあたしをここまで追い詰め――ごふゅッ」

 

 いきなり鳩尾(みぞおち)にデッキブラシを喰らい、変な声が出る。

 専用機のことになるとアグレッシブになる簪である。

 

「けほ、あ、あんたね、褒めてんだから最後まで言わせなさいよ!」

「……別にそういうの、いらないから。早くわたしの専用機、返して……」

 

 と、デッキブラシを構える。簪は母親譲りのなぎなた使いだ。長柄を持たせれば、右に出るものはいない。素手では、さしもの鈴でさえ勝ちは薄いだろう。しかし、鈴は降参しなかった。

 

「それであたしを追い詰めた気? なら早計ってもんよ。――中国の代表候補生をなめないで!」

「!?」

 

 鈴が屈み、跳躍した瞬間、簪は瞠目した。鈴が中国雑技団ばりのアクロバットを決め、飛び込み台からジャンプしたのだ。しかも、難易度の高い背面ジャンプで。

 簪が飛び込み台の下を覗き込むと、鈴は綺麗に着水を決めていた。

 

 

     ♡          ♣          ♤         ♦

 

 

 飛び込み選手も顔負けの着水を決めた鈴は、すぐに水面から顔を出し、上を見上げた。

 視線の先では、簪がこちらを驚いた顔で見下ろしている。

 

「ふふふ、これでもう追ってこれないでしょう」

 

 臆病な簪に10mの高さから飛び込む勇気があるわけない。鈴はそう思っていた。

 だが、それが過小評価であることを、直ぐに思い知らされることになった。簪が迷いなくこちらに飛び下りてきたのだ。

 完全に油断していた鈴は、着水の影響をモロに受けた。

 

「あばぁッ!!」※いい子はちゃんと人がいない事を確認してから飛び込みましょう。

 

 水しぶきを大量に浴びた鈴がゲホゲホと咽ながら陸に上がる。

 プールサイドで呼吸と整えたあと、鈴はぷかんと水面から顔を出した簪をビシっと指差した。

 

「や、やるわね。なかなか度胸があるじゃない!」

「……前、隠した方がいいと思う」

「へ?」

 

 簪の手に見覚えのある水着を見つけ、自分の胸を見下ろす。

 ひかえめだが、確かなふくらみ。綺麗な濃い桜色の頂点。小さくも形のいい双丘が惜しげもなく、簪の前で曝け出されていた。さらに日焼けのあとが乳房の輪郭をくっきりさせていて、どこか煽情的だ。

 

「きゃああぁー!」

 

 慌てて胸を隠す鈴に、これ好機と踏んだ簪が「……チャンス」と飛びつく。

 胸を隠すだけで精一杯だった鈴は、ほとんど無抵抗に簪の接近を許してしまった。

 

「ちょっと、どこさわってんのよっ。そこは一夏にだってまださわらせてないのに!」

「……弐式を返してくれれば、……変なこと、しないから」

「もうしてるわよっ!」

 

 気が動転した鈴は「離れろ離れろ」と手を振り回した。その拍子に、はめていた<打鉄弐式>がスポ抜け、また明後日の方向に飛んで行く。

 放物線を描きながら飛んでいった指輪の行き先は、露店商のたこ焼き屋だった。

 しかも、図ったように指輪がたこ焼きプレートの穴に、ぽちゃんとカップインする。

 

「……ああ~ッ、わたしのISッ!」

 

 簪は慌ててたこ焼き屋に駆け寄った。だが、距離があったせいで、どの穴に自分の専用機が入ったのか判らない。店主も気づいていないのか、“らっしゃい”などと言ってくる始末。

 このままじゃ、<打鉄弐式>がたこ焼きの具に……。

 

「む、簪じゃないか。どうしたんだ、たこ焼きが食べたいのか?」

 

 絶望的な気分になる簪の元に、男女の二人組が通りかかる。一夏と箒だった。

 

「……ちがう、実は――――」

 

 簪は一夏と箒に、ここまでの経緯を話した。

 事情を聞いた箒が苦笑する。そして一夏はすこし考えたあと、はっきりと店主に言った。

 

「おじさん、ここにあるたこ焼き、全部もらえる?」

 

 それを聞いたとき、簪は『月子が彼を好きになった理由(わけ)』がわかった気がした。

 

 

     ♡          ♣          ♤         ♦

 

 

 午後12時。俺たちは一度集合して昼食を取る事にした。

 食事場所はパーク内の休憩所。メニューは俺が買った大量のタコ焼きだ。

 

「へえ、おごってくれるなんて気前いいわね」

「鈴、おまえは払え」

「一夏さんがごちそうしてくれるなんて、うふふ」

「セシリア、おまえも払え」

「一夏は気前がいいですね」

「アリス、おまえの分のたこ焼きはねえから(真顔)」

 

 「は?」「え!」と文句が出ようが、俺は容赦なく鈴たちから料金を徴収した。

 アリスには「これ、おまえの昼食な」と爪楊枝を渡す。反省するまで、おまえは兵糧攻めだ。

 

「よし、みんな、食おうぜ」

 

 アリスの首に「エサを与えないでください」という札をかけ、たこ焼きのふたを開けた。香ばしいソースの香りが辺りに漂う。それに食欲を刺激されていると、月子がたこ焼きのひとつをふーふーして持ってきた。

 

「はい、一夏さま、あ~ん♡」

「待て待て。大勢の前でそれは恥ずかしいって」

 

 公共の場で“あ~ん”ができるほど、俺の神経は図太くない。

 ほら見ろ、通りかかった男どもが揃いも揃って悪意丸出しで睨んでくるじゃないか。

 

『ちっ! いいよな。あんな可愛い子に食べさせてもらえて!』

『ちっ! こっちは男三人だってのによぉ~!』

 

 こういう嫌がらせって、地味に心的ダメージが大きいんだぞ。

 それに気づいているのか、いないのか、月子は口先を尖らせた。

 

「そんなに恥ずかしがらずとも、昔から食べさせ合いっこしていたではありませんか」

「それはママごとの話だろ?」

「では、これもママごとだと思って頂ければ、よろしいかと」

「おもえねーよ!」

 

 俺たちはもういい歳なんだ。ママごと気分になれるわけがない。

 

「てゆーか、さっきから聞いていれば、あんたらって、そんなに昔から知り合いだったの?」

 

 俺たちの様子を険しい表情で睨んでいた鈴が耐えかねたように言った。

 チャンスだ。俺は『あいやー』と言う月子をひっぺがしけながら、昔の記憶を掘り起こした。

 

「確か……俺が五歳頃かな。それで千冬姉が自立できるまで一緒に暮らしていたんだ」

 

 定かな記憶じゃないが、俺たちの両親が蒸発したのが大体10年ぐらい前。

 月子の――輝夜家の下で生活するようになったのは、その頃からだったと思う。

 

「期間的には、箒と同じ時期ぐらいだな」

「だったら、なんであんたたち面識がないのよ?」

 

 鈴は箒と月子を交互に見比べた。それに月子が答える。

 

「当時は病弱でほとんど家におりましたし、通っていた学校も違っておりましたから」

「私も一夏の家には、ほとんど行かなかったからな。交流の大半は道場と学校だ」

「なるほど、顔を合わせる機会はそれほどなかったと」

 

 と、アリスが比較的やさしいシャルロットから、たこ焼きを密輸しようと手を伸ばす。

 その手を簪さんがパチンとはたく。ナイスセーブだ、簪さん。

 

「………………ダメだから」

「………………ちっ」

 

 にらみ合う簪さんとアリス。その様子を見て、苦笑するシャルロット。

 そして、箒が続ける。

 

「そうだな、記憶に残るほど会っていなかったのだろう。風貌も以前と変わったようだしな。当時は、おかっぱ頭ではなかったか? それがこんな美人になっているなんて驚いたぞ」

「だよな。それに今じゃ日本の国家代表だっていうし」

「それほどでもありません。人より環境に恵まれておりましたから、それだけです」

 

 確かに月子はIS企業の令嬢だし、人よりISに触れられる機会は多かっただろう。だとしても、代表まで上り詰めるには、それだけの努力が必要だ。ISを動かせるだけじゃ、上り詰めることはできない。ここ数か月で俺が実感したことだ。

 

「で、月子、今はどうしているんだ?」

 

 月子はIS学園の生徒ではない。ということは、別の学校に通っているってことだ。あるいは、家庭教師を雇って自宅学習しているか。おじさんは人との協調性を大事にする人だから、後者はないだろう。

 

「今は聖マリアンヌ女学院に学籍を置いております」

 

 聖マリアンヌ女学院。どこかで聞いたことのある名前だ。確か……。

 

「あんた、それ、蘭が通ってる学校じゃない!」

 

 そうだそうだ。今日誘おうとした友人――五反田弾の妹が通っている学校だ。確か大学までエレベーター式で、かなりネームバリューのあるお嬢様学校だったはず。でも、驚くのはここからだった。

 

「もしかして、蘭とは五反田蘭ちゃんのことでしょうか?」

「そうそう、――って知ってんの?」

「はい、私が中等部の生徒会長を務めていた時に、蘭ちゃんは副会長でしたので」

「そうなのか!」

 

 これは驚きだ。まさか月子と蘭が顔見知りだったなんて。世間って思っているより狭いんだな。

 

「もしや、二号さんは蘭ちゃんと「だから、二号いうなってのっ」――おひりあいへ(お知り合いで)?」

「こら、鈴、月子のほっぺをつねってやるな」

「く、これが正妻(ファースト)の余裕か」

「知り合いっていうか、実は俺たち蘭の兄貴と同じ中学だったんだ」

「ほんまに!?――あ、すみません。本当に? 世間はせもうございますね」

「だよな」

「そういえば、この前“IS学園に入学したい”と相談されましたので、父の会社で適正テストを受けて頂いたんですよ。そしたら――」

「A判定だろ? すごいよな」

「はい。将来は有望だと父も期待をよせておられました。私も期待しております」

 

 そこで鈴が小声で月子に耳打ちした。

 

(てかさ、あんた、蘭がIS学園に入学しようとした理由、聞いてないの?)

(はい。そこまでは聞いておりませんが)

(あの子、一夏が好きなのよ。だから、IS学園に入学するって言い出したのよ?)

(そうだったのですか!?)

 

 ん、どうしたんだ、月子のやつ。目を真ん丸にして。

 

(あんた知らなかったの!?)

(は、はい。私の学校は格式の高い女学院なので、異性交遊に厳しい校風なのです……。おそらく口外にできなかったのだと。私も一夏さまの事を蘭ちゃんに話しませんでしたし。しかし、こんな事があるとは……)

 

 うん? なんかすごく月子が怨めたしい視線を送ってくるんだが……。

 

「一夏さまは、罪な殿方でございます」オヨヨ

「ほんと、一夏は罪ね」

「ああ、罪な奴だ」

「大罪者ですわね」

 

 なんだ、お前らまで一緒になって。罪、罪、って。人を犯罪者みたいに。

 俺が何をしたっていうんだよ。そっちがその気なら、名誉棄損で訴えるぞ?

 

「気づいておらぬから、罪なのでございます!」

 

 月子は泣きまねをやめて立ち上がった。さらに一同が「うんうん」と頷く。

 え、俺が悪いの? なんだか、完全に俺が悪役なんだが……。

 

「そ、そういえば、<白式>は元々おまえの専用機なんだって?」

「うわ、逃げたわね……」

 

 うっせぇー。おまえらが批難するから居た堪れなくなったんだよ!

 

「なんだか、悪いな。俺の所為で」

「いえ。こちら側としてもデータを取らせて頂いておりますので、Win-Winです」

 

 <白式>は日本帰属だから、その稼働データは開発元の輝夜重工にフィードバックされている。この前やってきた技術者さんからは「有効なデータを提供してもらえて頭が下がる思いだ」なんて言われたな。なんでも《単一仕様能力》や男性操縦者のデータは、貨幣価値に換算すると何億の価値があるって話だ。俺すげぇー……。

 

「それと、アリスさまも、本当にお世話になっております」

 

 と、月子がアリスにたこ焼きをあ~んする。

 あ、こら……エサを与えるなって首の看板に書いてあるだろ。

 

「はふはふ。簪のことなら、気になさらずに。はふはふ、大した事していませんから」

「……その通り。……最近、整備科にきてもゲームしてるか、寝てるか。まったく役に立ってない」

 

 「……むしろ邪魔」と簪さんが半眼を向ける。はは、こりゃさっきのこと根に持ってんな。

 そんな簪さんの肩をアリスがトントンと叩く。

 

「かんざし」

 

 と、べーと出した舌上には、サファイヤの指輪。簪さんの専用機だ。

 『……うえッ』という顔で、簪さんがばっちぃもの触るような手つきで、唾液まみれの専用機をつまむ。そして、手持ちのミネラルウォーターで必死に洗い出した。

 その様子をカラカラと笑うアリスから電子音が聞こえてくる。ケータイの着信音だ。

 画面を確認したアリスが「ちょっと、失礼しますね」と言って席を外す。

 離れる直前に「できるだけみなさんから離れないでください」と、俺に告げて。

 

 

     ♡          ♣          ♤         ♦

 

 

 一夏たちから離れたあと、人気のない場所までやってきた私は自前のケータイを確認した。

 西エリアの機材置き場にこい。そう表示された画面を見て、ここで間違いないことを確認する。

 

「どうしました」

 

 私の声に応じて、何もない空間から一機のISが現れた。

 白い甲冑のような装甲。翼のような大型推進器。腰のハードポイントにはプラズマブレードが格納されている。電磁光学迷彩(EOC)を解除して現れたISは、誰もがよく知る<白騎士>――をリプロダクトした機体<白兵士(リリィ)>だ。

 今は電子戦用パッケージ<ビショップ>を装備しているのか、側頭部左側に大型のブレードアンテナ、右側肩部に大型レドームが装備されている。

 頭部をHMDで覆っているため、顔は見えないが、私は彼女の正体を知っていた。

 彼女は、別の作戦でここを離れる私の代理戦力として派遣された<デウス・エクス・マキナ>情報部のエージェントだ。そのエージェントが抑揚のない声音で言った。

 

「織斑一夏を監視する影を確認した。詳しいことはまだわからないが複数だ。最低でも二人はいるとみている。エイダが調査しているが、おそらく例の組織だ。他にも潜伏しているかもしれん。おまえも警戒しておけ」

 

 例の組織。私たちが<彼女たち>と呼称している謎の秘密結社だ。

 女性優遇を謳う女尊男卑の根源的存在。その組織が本格的に動き出したという話は私も聞いている。

 この数か月。一夏はいくつもの功績をあげた。それによって『女性より男性の方がISのマシンポテンシャルを引き出せるのではないか』という憶測が飛び交い、『男性操縦者には稀少価値以上のものがあるのでは?』とう見解が為され始めたらしい。

 それによって男性機運の高まりを恐れた<彼女たち>が、本格的に動き出したというわけだ。

 

「ISを装備している可能性は?」

「わからん。だが、可能性としては高いだろう。もっとも、織斑一夏の周囲にはかなりの専用機もちがいる。迂闊に手は出せんだろうが、<彼女たち>が政治的な圧力をかければ、切り離すことも可能だろう」

「どの政府にも依らない私たちだけが頼り、ということですか」

 

 私たちしか彼を守れない。そう思うと、私はなんだか彼の許を離れるのが躊躇(ためら)われた。

 そして、そう思った自分に一番躊躇う。

 私の中で私の知らない感情が大きくなっていく感覚を、私は確かに感じていた。

 

「なんだ、兄さんに懸想しているのか?」

 

 唐突に<リリィ>のパイロットが言った。

 相変わらず抑揚のない声だったが、すこし笑っているように感じられたのは、気のせいだろうか。

 

「だが、私情は抑えるべきだ。我々は組織で動いている。おまえはおまえの仕事を果たせ」

 

 力強い言葉に、私は成長したものだと思う。昔は情緒不安定で、自傷癖があったと聞くけど。

 とはいえ、まだ姉兄との確執は埋めきれていない様子だったが。その証拠に彼女はこう言った。

 

「なに、安心しろ。わたしはおまえと同じ、お母さまから<リデル>の識別名(コードネーム)を頂いた人間だ。不出来な兄ぐらい、わたしひとりでも守ってやるさ。わたしは無能な姉さんとは違う」

 

 相変わらず抑揚に欠ける声音だが、どこか嘲るニュアンスを感じさせる語調だった。それに、ふと「一夏の護衛に彼女を充てたのは、この確執を埋めさせるためなのだろうか」と考える。

 たぶんそうだろう。彼女がその意図を汲み取っているかは知れないけど。

 とはいえ、私も人の姉妹関係をどうこう言えた義理じゃないので、何も言わなかった。

 

「ではお願いします。――3番目のリデル(イーディス・リデル)

 

 私は妹にそう告げ、踵を返す。

 イーディスは何を言わず、電磁光学迷彩を発動させ、姿をくらました。

 

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