IS<インフィニット・ストラトス>―Deus Ex Machina 作:ネコッテ
第57話 8月13日/8月14日
8月13日。私はIS学園に別れを告げ、日本の成田国際空港にやってきた。
まずこの成田空港からフランスのエールフランス国際空港に向かう。それからパリを経由してイタリアのミラノに入り、ジェノバから本題の経済パーティに参加する予定だ。ホテルの手配、任務遂行に必要な装備の調達は、既に組織の人間がしてくれている。私は身ひとつで現地に向かうだけだ。
「さてと。搭乗時間までまだ時間がありますね。適当にどこかで時間を潰しましょうか」
乗る便は午前11時搭乗。現在の時刻は9時半。1時間以上余裕がある。
私は空港内ラウンジのカフェで、ブレイクタイムすることにした。
「あら、会長」
適当に選んだカフェに入ると、IS学園の生徒会長、更識楯無がコーヒーを嗜んでいた。
「あら、アリスちゃん。奇遇ね。よかったら一緒にどう?」
言ってカップを上げる。
丁度、話し相手が欲しかった私はウェイトレスに『カプチーノ』と頼んだ。
「それにしても本当に奇遇ですね。これからどちらに? ロシアの方に帰国ですか?」
「うん、ちょっと野暮用でね」
「もしや、ソフィアに私のことを告げ口しに帰るんじゃないでしょうね?」
「ふふ、どうかしら」
会長は不敵に笑ってコーヒーカップの淵をなぞる。
口調から真偽の判別はつかなかったけれど、おそらく心配は杞憂だろう。私が学園を去るような事態になれば、困るのは簪だから。妹大好きの会長が、そんな真似をするとは思えない。
「では、近日、
「いいえ、それには参加しないわ。そもそも、その演習は中国が台湾進攻を名目にした軍事演習なの。だから、ロシアはその演習に参加しない。――それにしても、アリスちゃんったら、やたら私の目的を知りたがるわね。そんなに私のことが気になるの?」
会長は色っぽくニタっと笑った。
「さ・て・は、好きな人の行動は常に把握しておかないと落ち着かないタイプ?」
「違いますよ!」
「いやん。お姉さん、あまり束縛されるの、嫌いなんだけどなぁ~」
「だ~か~ら~」
「あ、あの、お客さま、注文の品をお持ちに……」
私は怒鳴りながらウェイトレスから注文のコーヒーを引っ手繰った。
今さらながら、相席なんてやめておけばよかったと、ちょっと後悔する。
「まあ、あなたに不利になるようなことはしないから、安心して」
「簪のためにもそうしてください」
自分でいうのもあれだけど、私に何かあったら簪が悲しむ。
「そういえば、<打鉄弐式>の開発はどう?」
「順調みたいですよ」
最近、ロリーナが積極的に手伝ってくれているおかげで、マルチロックオン・システムの開発は順調だそうだ。ちなみに、人工知能に疎い私は、最近まったく二人の会話についていけていない。それをいいことに、ふたりは私を仲間はずれにして楽しんでいる節すらあったが、
「友人が褒めていました。簪は理解が良くて、教え甲斐がある子、だと」
「そうなのよ。簪ちゃんは、実力あるし、頭も切れる。身内贔屓を差し引いてもできる娘なの」
「私も簪の知識量には驚かされてばかりです」
姉の影に隠れがちだけど、簪の知識は一流の技術者として既に遜色ない。工学の修士号を持っていても納得するレベルだ。ロリーナが自身のシンクタンク<国境なき科学者たち>に誘った理由もうなずける。
「でも、肝心な
「もしや専用機の開発も……?」
会長は肯定の代わりに「内緒よ?」と人差し指を立てた。
やっぱりか。前からおかしいと思っていたのだ。
莫大な資金が必要なISの開発を、ノウハウのない学生に委ねるのは、かなりリスキーだ。もし頓挫してしまったら、投資金のリターンは望めなくなる。多大なリスクを抱えながらも開発が許可されたのは、裏で会長が手を回したから。もしかしたら更識と輝夜の間に密約が交わされているのかもしれない。
ほとほと呆れるほどに簪バカな会長へ私は意識を戻した。
「でも、あなたに会って、簪ちゃん、変わったわ」
「そうですか?」
確かに出会った当初より、態度は柔らかくなっただろうけど。
「ええ。だって、臆病だったあの子が誰かの為に駆け出していくなんて、なかったことだもの。――私が世話を焼いても、簪ちゃんの心は離れていくだけだったのに。正直、私はあなたがうらやましいわ」
「そんなことを言うなんて、会長らしくないですね」
ある意味で全てを持っている会長が、誰かをうらやましがるなんて珍しい。
それに羨望の対象が私というのも妙な感じだ。私は超人が羨むようなものは何も持っていない。
「まあ、そう気を落さないでください。あなたと簪なら、仲の良い姉妹に戻れますよ」
「そう?」
「ええ、それに冷めたなら温め直せばいいのですよ」
このコーヒーみたいにね――と、いまだ熱いコーヒーを掲げ、口に含む。
そして、その熱さにびっくりして吹き出した。
「……………」
噴出したコーヒーを浴びた会長が、なんとも言えない表情をする。
忘れていた。私、猫舌だったんだ。
「い、いい言葉だったのに、今ので台無しだわ……」
会長はお手拭を貰い、自分にかかったコーヒーをシミにならないよう拭き取った。
こればかりは私も悪かったと思い、清掃を手伝った。
「でも、あなたの言葉、嬉しかったわ。だから、あなたの言葉、信じてみようと思う」
会長が柔和に微笑む。
それは普段と違う――社交用の笑みではない――心からの笑顔に思えた。
「お礼にいいこと一つ教えてあげるわ。――私、ある極秘作戦に志願したの」
極秘。つまり口外にしてはいけない作戦に志願したということ。
それについて語るなど兵士にあるまじき行為だが、彼女の瞳には相応の覚悟があった。
「そのためにロシアへ?」
「ええ。さすがに内容は言えないけど、おそらく危険な任務になる。もしかしたら日本に帰ってこられないかもしれない。だから、もし私に何かあった時は――」
「お断りします。簪はあなたが守ってあげるべきです。お姉さんでしょ?」
面倒臭そうな演技でヒラヒラと掌を振る。
会長は微笑を浮かべた。“無事帰ってこい”という意図が伝わったようだ。
「ふふ、そうね。そうするわ」
言って、気合い込めるように冷めたコーヒーを一気に飲み干す。
「じゃあ、そろそろ便の時間だし、行くわ。無事を祈っててね、私の可愛いアリスちゃん」
「ええ、暇ができれば、ね」
私の言葉を背で受け止め、会長は自身のキャリーバックを転がしながら店を出ていく。
その途中、思い出したように振り返り、いつもの小悪魔的な微笑を浮かべる。
「聞き忘れていたけど、あなたはこれからどこに行くの?」
「イタリアへバカンスを楽しみに」
「そう。――じゃあ、いってくるわ。ちゅ♡」
置き土産に投げキッスを残し、会長は再び空港の通路を歩きだした。
それから残りの半時間をカフェで潰し、私も予定の便に搭乗すべく席を立つ。
「さて」
これから10時間近いフライトになる。エコノミー症候群にならないよう気をつけないと。
♡ ♣ ♤ ♦
8月14日。
織斑と掘られた表札のまえで、セシリア・オルコットは戦きながら喉を鳴らした。
「こ、ここが一夏さんの邸宅……」
セシリアが目の当たりにしている織斑邸は、二階建て、築10年のごく平均的な一軒家だ。
しかし、ここが想い人の住まいだと思うと、難攻不落の要塞を前にしているような心境だった。
それだけに覚悟が決まらず、玄関の前で右往左往していると、隣の鈴が痺れを切らした。
「じれったいわね。早くインターフォン押しなさいよ」
小学校からの付き合いである鈴は、何度もこの家を訪問している。いまさら緊張するほどでもなく、実戦を前にした新兵のようなセシリアと比べ、リラックスした口調だった。
「待ってくださいな、鈴さん。まだ心の準備が」
「心の準備って大げさね。たかが家にいくだけでしょうが」
「たかが!? 女が男の家に行くというのは、とても勇気がいることなのですわよ! まぁ、男勝りの鈴さんには解らないと、――あぁ! 鈴さん、呼び鈴を鳴らさないでくださいまし! まだ心の準備が!」
セシリアの嫌味にイラっときた鈴は、仕返しとばかりに呼び鈴を連打した。
鈴の後ろでセシリアがわたわたしている内に、インターフォンから一夏の声が聞こえてくる。
『お、鈴とセシリアだな。よく来たな。今、空ける』
ドアの内側からガチャっと開錠の音が鳴る。出迎えた一夏はエプロン姿だった。『可能性の獣』という刺繍は意味不明だったが、エプロン姿はよく似合っていて、二人は「あら」「まぁ」と感動の声をもらした。
「どうした。二人とも?」
「いえなにも!」
見惚れていましたともいえず、セシリアは声を張って誤魔化した。
「そうか。まあ、外で立ち話も熱いし、中に入れよ」
「はい。では、失礼して」
セシリアと鈴が一夏に案内されて奥のリビングに上がる。
織斑家はリビングとキッチンが一つに繋がっているタイプの間取りだった。奥には庭も見える。築10年と伺っていたが、手入れが行き届いているため、古臭さはまったく感じなかった。
「好きな所で寛いでくれ。今、何か飲み物、持ってくる」
「あ、お構いなく」
「あたしは構って欲しいから、ちゃんと持て成してね」
身の振る舞い方に迷うセシリアとは対照的に、鈴は注文を付けてソファーにドカっと腰かけた。
さすがセカンド幼馴染。態度に遠慮がない。一夏も楽しそうに笑った。
「そう言うと思って、鈴の好きな濃い麦茶、用意しておいてやったぞ」
「うんうん、殊勝な心がけね、偉いわよ」
「そうさ、俺は殊勝なんだ」
言って、二人でカラカラ笑う。心を許している相手だからこそできる会話に、セシリアは取り残された感じがし、一人頬を膨らました。
(幼馴染ってズルいですわ)
(ふふ~ん。でも、これはこれで大変なのよ?)
例えば、身近すぎて異性として意識してもらえない。などがある。
女の幼馴染とは、ある意味で近しい異性であるのと同時に遠い異性でもあった。
「お待たせ。ほら、これは鈴の濃い麦茶」
そこへ一夏が盆を持って帰ってきた。
「ありがと。――って、これ、あたしが中学生の時に置いていったコップ?」
「おお、いつか帰ってくるんじゃないかって、ずっと残しておいたんだ」
(それってあたしの帰りを待っていたってことかな?)
一夏は倹約家で整頓家だ。不要な物は買わないし、残しておかない。
そんな彼が自分のコップを捨てずに残していた。それは、つまりそういうことなのだろうか。
「――ねえ、一夏はあたしが帰ってきて嬉しかった?」
瞳を期待で濡らし、コップをぎゅっと握る。――嬉しかった。そう言ってほしかった。IS学園に帰ってきたとき、彼は出迎えに来なかったけど(それはデータ取りで忙しかっただけだが)、だからこそ、そう言ってほしくてたまらない。でないと、これからに希望が持てない。
「ああ。鈴がいなくて寂しかったぞ」
「そ、そっか」
一夏の言葉に、顔がぶあっと火照るのを感じる。それを冷やすため、冷えた麦茶を一気に飲む。
その味は3年前と同じほろ苦い味のままで、それが嬉しくてまた顔を赤くした。
「どうした、鈴。顔が赤いぞ。――もしや熱中症か? 外出のときは帽子と水分をだな」
「も、もう、子ども扱いしないでってば、わかっているわよ!」
「そうか、ならいい」と一夏が笑い、鈴も釣られて「ふふっ」笑う。
完全に二人の世界である。セシリアは疎外感を感じ、再び頬を膨らませた。
「(むー、鈴さんばかり。……わたくしも負けてられませんわ)一夏さん、これを!」
「ん? なんだ」
(む、セシリアのやつ、ちょっとイイ感じだったのにッ)
いい雰囲気に横槍を入れられ、鈴が目くじらを立てるが、セシリアは気にせず小箱を取り出だす。中身は色鮮やかな可愛いケーキたちだった。
「実は美味しいとウワサの人気店――リップ・トリックのケーキを買ってまいりましたの」
「おお! 駅の地下街にあるやつだよな? よく手に入ったな!?」
リップ・トリックのケーキは国際大会で受賞経験を持つパテシエが開いた店として有名なのだ。
その人気は並んでも入手困難というレベルで、よく購入できたと驚く一夏の反応も当然だった。
(セシリア、あんたいつの間に用意したのよ、こんなもん)
(“一夏さんはスイーツ男子”という情報を掴んでおりましたから、事前に予約してメイドに購入しておいてもらいましたの。準備を整えず、戦場へ赴くのはバカのすることですわよ?)
さすが策略家とも知られるセシリア・オルコット。事前に下調べしているところが抜かりない。加え、四個という数がにくい。ちゃんと千冬の分もあるのだ。対し、普段の軽いノリでやってきた鈴は、手土産の一つも用意していなかった。
「これ、高かっただろ? なんか、悪いな。もらってばかりで」
「いいえ、お気になさらずに」
と、女神の微笑み――鏡の前で練習100回した――で答える。
これには一夏もドキリとしたようで、照れ臭そうに『今度お返しさせてくれ』と言ってきた。
(ぐぬぬ……セシリアのヤツ、しっかり次に繋げてくるあたり、したたかな女よねっ!)
セシリアのデキる女アピールに奥歯を鳴らしていると、キッチンからピピっと電子音が鳴った。
キッチンタイマーの呼び出しに、一夏が慌てて立ち上がる。
「じゃあ、これは昼食後のデザートにしようか」
ケーキの小箱を冷蔵庫にしまい、一夏はその足で昼食の調理を再開する。
テキパキと調理を熟す姿はシェフというより“台所のお母さん”だった。千冬が安心して家を空けられたのも、何だか頷けてしまう。そんな一夏の後姿に、二人は未来の妄想に花を咲かせた。
(あぁ~、将来、一夏と一緒にお父さんの店をやるのも悪くないかも。一夏が作った料理をあたしが運んで。常連のお客さんにおしどり夫婦ってからかわれたりして――)
悪くない。悪くないぞ。鈴はニヤニヤしながら、バンバンとテーブルを叩く。
その向かいでは、セシリアがどこか光悦とした表情で一夏の調理を見守っていた。
(うふふ、一夏さんにはオルコット家の婿養子として家庭に入ってもらうのも悪くありませんわね。そして、疲れたわたくしを一夏さんが出向かえて、おかえりのキ、キスなんかてして――)
悪くない、悪くないぞ。セシリアはふやけた顔にクッションを押し当て、ぬふふと笑う。
そんな妄想爆発の二人に気づいた――というわけではないが、一夏が振り返った。
「あ、そうだ」
すっかり妄想の耽っていた二人はビクッと肩を躍らせた。
「ど、どうしましたの?」
「ソースだけど、カルボナーラとミートソースどっちがいい」
「え、じゃあ、あたしはミートソース」
「わたくしはカルボナーラで」
「わかった。鈴がミートソースで、セシリアがカルボナーラだな」
肯き、一夏は料理を再開した。パスタ鍋から丁度いい具合に茹で上がったパスタを上げ、均等に取り分ける。そこに自作ソースをからめると、ついお腹がなってしまいそうな匂いが立ち込めた。
「よし、できたぞ」
出来上がった二品のパスタをテーブルに配膳し、鈴たちを呼ぶ。
テーブルに着席した二人は、本場さながらのパスタ料理に目を開いた。
「う、これはなかなか……」
「あんた、本当になんでも作れるのね……」
見るからにオシャレな盛り付けと香るソースは、それだけでうまいと断言できる。一夏は「こんなの大したことねえよ」というが、これが大したことないなら、はたして自分たちが作るパスタは何なのか……。
「さぁ、召し上がれ」
「では、いただきますわ」
「いっただきま~す」
二人は準備されたフォークでパスタを絡め取り、口に入れた。
「う~ん、これはおいしいですわ♡」
カルボナーラは卵と牛乳のコクがまろやかで、実にクリーミーな味わいをしていた。これを自分と同じ年の学生が作ったとは、にわかに信じられない。なにより一夏の手料理と思うと、さらに美味しく思えてくるから不思議だ。
「ほんとに、おいしいわ、このミートパスタ」
鈴のミートパスタもトマトの酸味が強すぎず、味わい深いスパイシーな出来上がりとなっていた。本場のイタリアンパスタには及ばないが、レトルトのミートソースより段違いに旨い。
「これ、店出せんじゃない?」
「それはいい過ぎだって。――ほら、鈴、口にトマトソース、ついてんぞ」
「んん!?」
一夏に口周りを拭いてもらった鈴は、ミートソースより赤くなった。
「あ、ありがとう」
「どういたしまして。そんなにがっつかなくても、たくさんあるからゆっくり食えよ」
「う、うん」
そんなにがっついていたように見えたのだろうか。確かに美味しかったけれど。
恥ずかしくなった鈴は、また頬を赤くした。
(むッ……)
仲睦まじい様子をうらやましそうに見ていたセシリアは、目にも止まらない早業で自分の口周りにカルボナーラのソースを塗りつけた。そして、何食わぬ顔で言う。
「まったく、鈴さんたら。もう少し上品に食べられませんの?」
「はは、そういうセシリアも口にソースついてるぞ。――ほら」
「あら、お恥ずかしいですわ」
セシリアは計算通りなんて表情など億尾も出さず、『ん♡』と唇を突出す。
となりで鈴が眉を顰めていたが、セシリアの知った事ではなかった。こういうものは、やったもん勝ちなのである。
「よし、綺麗なった。――ふたりとも、おかわりはまだあるから、存分に味わってくれよ」
「はいな」「うん」
その後、談笑を交えながら、楽しい昼食会は進んでいった。