IS<インフィニット・ストラトス>―Deus Ex Machina 作:ネコッテ
クロエは頬を膨らませて、ほこりっぽい通路をぷんすかぷんすか大股で歩いていた。そのたびゆれる三つ編みは、怒っている猫の尾のようだ。
その実、クロエは怒っていた。
なんでも八月のこの日には、義理の母――束の実家で“お祭り”なるものがあるらしい。それを聞いたクロエは「いきたい、いきたい」と駄々をこねたのだが、なんせココはロシアの辺境である。とてもすぐに行ける距離じゃなく、自制を言い聞かしたのだが、それがクロエの機嫌を損ねたのであった。
「仕方ありません」
束からクロエの機嫌取りを命じられたローズマリーが苦笑をもらした。
「……でも、束さまのおうち、行ってみたかったでございます」
と、頬を膨らませるクロエ。
組織の都合で彼女に不自由をかけるのは心苦しいが、ここを離れるわけにもいかない。けれど、大人の事情など知ったこっちゃないのが子供心というもので、それがローズマリーを「どうしたものか」と困らせた――そんなときである。
「あ、ローズマリーさま、見てくださいませ。猫さんがいるでございますよ」
突き当りのT字路に顔を洗う猫を見つけ、動物好きのクロエが一目散に駆け出す。
ローズマリーはすっと目を細め、警戒しながらクロエのあとに続いた。
「なんで、猫さんがいるのでしょう。迷い込んだのでございましょうか?」
言って、白猫の頭を撫でるクロエ。
白猫は「にゃん」と嬉しそうに鳴いた。えらく人馴れした猫だ。構成員の飼い猫とも考えられたが、ローズマリーの記憶にこのような猫がいた覚えはなかった。ただ心当たりがあるとすれば――
「いえ、違うでしょう」
言って、クロエとその白猫を自分の背後に隠す。そして、通路の奥に鋭い視線をやった。
その先からカランカランと何者かの足音が聞こえてくる。まるでぽっくり下駄を擦って歩いているような音色。足音が大きくなるにつれて、通路の暗闇から一人の女性が現れた。
とにもかくにも、奇抜な衣装の女性だ。
刀鍔を模した眼帯で右目を覆い、手には吹かしたキセル。豪奢な着物に身を包んでいるが、肩と鎖骨は大胆に露出し、大きな乳房ものぞいていた。髪はほのかに赤く、左右に結い上げられて櫛で止められている。
その女性はニヤと妖艶に笑って、
「くしゅん」
と、可愛く、くしゃみをした。
「ここは冷えるのサ」
と、隻腕で自分の肩をさする花魁もどきの女性。ローズマリーは呆れた顔をした。
「そんな格好では当然だと思いますが」
「はは、ロシアの気候を舐めてたのサ」
ははは、と煙管を回す花魁女性に、ローズマリーは再び呆れながら、されど警戒を強める。
「――それでどのような要件で? アリーシャ・ジョゼスターフ」
一見、ただの花魁崩れに見えても、彼女からは張りつめた弓矢に似た気配が放たれていた。殺意の鏃はローズマリーに向けられている。明確な敵意。彼女が亡国機業の幹部として、自分の前に現れたことは明白だった。
「おまえさんとお茶をしてもよいのだけど、今日はやんちゃ坊主とその嫁さんを折檻しに来たのさ」
途端、手にしたキセルから閃光が放たれ、彼女を中心に嵐が吹き荒れた。
荒れ狂う風の中から現れた物体は、暴風を形にした流動的なフォルムを持ちながらも、重量を感じさせる黒いISだ。<テンペスタⅡ>。イタリアの第三世代型ISだった。
「やはり、目的はこちらの粛清ですか」
ローズマリーもフランベルジュを抜き、<レーヴァテイン>を展開した。刀剣から放出された赤色の粒子が猛る炎のごとくうねり、世界に二機とない第四世代型ISとなって現れる。
「クロエ、急いで束さまの許へ向かいなさい」
「はいでございます」
クロエは云われるがまま、来た道を急いで引き返す。なぜか、ネコを抱えたまま。
「わーにん、わーにんでございますよー!」と叫びながら走り去っていくクロエを、花魁女性は“シャイニィを取られたさ?”と笑った。――彼女に危害を加えるつもりはないようだ。
「しかし、どちらかと言えば穏健派のあなたまで出張ってくるとは思いませんでした」
「<お母さま>の命令で、ちょっと出張してきたのさ」
「<お母さま>? あなたのお母様はすでに亡くなれているはずでは……?」
「おっと、しゃべりすぎたのサ」
「では、あなたを捕らえたあとで、ゆっくり続きを聞かせてもらいましょう」
ローズマリーは可変出力式の荷電粒子砲《レーヴァテイン》を展開してアリーシャに発砲した。
しかし、アリーシャはよけず、腕を払って赤い粒子ビームを薙ぐ。瞬間、ビームが曲がり、背後の壁に突き刺さった。
背後で起きた爆発を背景にアリーシャが妖艶に笑む。
「それはお断りなのサ★」
ローズマリーは意に反さず立て続けに二発の粒子ビームを撃ち込む。
やはり、その二発も彼女を反れ、命中しない。ローズマリーはすっと目を細めた。
(ローレンツ力の応用かしら……?)
電磁場を張っておき、飛来した粒子に電荷を与える。そうすれば電磁誘導とフレミングの法則でビームは歪曲する。ならば、とローズマリーはもうひとつの専用機である<サイレント・ゼフィルス>の武装《スターブレイカー》を展開して、引き金を引いた。しかし、光の銃弾も歪曲してアリーシャに当たらない。
(――光も曲げるのね)
どうやら、アリーシャが用いる防御兵装は電磁場兵器の類ではなく、もっとシンプルな力。
(確か、イタリア代表の専用機は重力操作を可能にしていたかしら)
事故で右腕を失ったアリーシャの後任として選抜されたイタリアの国家代表アンジェリカ・バレンタイン。そのアンジェリカの専用機<テンペスタ・プルガトーリオ>には、局所的重力場を発生させる重力砲が装備されていた。
ローズマリーの推測が正しければ、<テンペスタⅡ>は重力子に干渉することで重力の向きやその強さをコントロールし、攻撃を歪曲させているのだ。
それを証明するように、アリーシャが手を振りかざすと、でたらめな重力波が空間を歪めた。周囲の物質が悲鳴のような軋みをあげ、自重で崩壊していく。<レーヴァテイン>でさえ圧倒的な物理の力を受けて後方へ吹き飛ばされた。
しかし、ローズマリーは顔色を変えず、あくまで冷静に対処した。
「ウルズ、光圧センサーをONにして、機体の環境設定をモード5に変更です」
《警告、環境設定モード5は高重力下での活動を想定したものであり、機体の消耗を――》
「いいからやるのです」
《ラジャー。光圧センサー、オン。機体の環境設定をモード5にて再起動――――コンプリート》
<レーヴァテイン>の補助AIが機体を高重力下での活動に対応させる。それに合わせてローズマリーは可変式荷電粒子砲《レーヴァテイン》をライフルモードからソードモードに切り替え、アリーシャに肉薄した。
「では、<嵐のアリーシャ>、あらため<重力嵐のアリーシャ>。不肖このローズマリーがお相手します」
「お手並み拝見さ、<ブラッディ・マリー>」
破壊の剣を手に魔人が嵐へ突貫す。
♡ ♣ ♤ ♦
背中に強い衝撃を受けた楯無は前のめりに倒れ込んだ。
しかし、そこは更識家の当主。すぐさま体制を立て直し、敵から距離を置く。
「どういうことかしら、ソフィア?」
さしもの楯無でも現状を把握するのに時間を要した。
「どういうことも、こういうことさ」
ソフィアが楯無に向けてトリガーを引く。
大口径の銃口から吐き出された粒子の銃弾を、楯無は驚異的な反射神経でかわし、コンピューターアームへ身を滑り込ませた。同時に蛇腹剣《ラスティーネイル》を展開し、ソフィアに《蒼流旋》を、新型ゴーレムに《ラスティーネイル》を向ける。
「裏切り、ってことでいいのかしら?」
ソフィアは肩をすくめた。
「裏切り? 違うな。キミを欺いていただけさ。
ソフィアが目線でロキを示す。
それに合点がいった。事前に情報が筒抜けだったら、この施設は蛻の殻なのだ。
「つまり、彼のスパイだったということ?」
「そういうことさ。オレはロキの命令である人物を暗殺すべくロシアに潜入していた」
「ある人物?」
「アレクサンドロス・アルツェバルスキーという男だ」
その名には聞き覚えがあった。ロシアの復権を掲げる、強硬派の総統だ。
しかし、ソフィアが紡いだ言葉は、彼女にさらなる驚愕をもたらした。
「<亡国機業>の幹部さ」
ソフィアの言葉に、楯無は「なんですって」と眉を顰めた。
だとしたら、ソフィアは自らの組織の幹部を暗殺したことになる。
「元々、俺たちの組織は一枚岩じゃなくてな。特に俺とアルツェバルスキー大佐との仲は険悪で、俺たち一派と、大佐一派は互いに目の上のコブだった」
「だから、消した……。じゃあ、この作戦は――?」
「オレがでっちあげたウソさ。こう見えてオレは彼に気に入られていてね。自由にできる部隊もある」
楯無はその可能性を疑わなかった迂闊さを呪った。
今思えば、自分のようなよそ者が、こんな極秘作戦に参加できるはずがない。
(でも、まあいいわ。ソフィアに欺かれたことは誤算だったけど、本来の任務に変更はないもの)
経緯はどうであれ、<亡国機業>の資金を奪取する目的に変わりはない。そもそもこちらは<亡国機業>とソフィアの両方を出し抜くつもりだったのだから、彼女が裏切ったところで本来の目的を修正する必要はない。楯無は意識を本来の目的へ回帰させた。
(まずはあのロキという男を捕える)
ロキは、ロシアの大物が敵と見做す相手だ。<亡国機業>における地位は大佐と同等かそれ以上。彼を捕えられたなら、<亡国機業>が有する資金の情報も手に入れられるはず。
楯無はそのロキを捕らえるべく《アクア・ナノマシン》のディスペンサを解放した。
だが、次の瞬間、<霧纏の淑女>が纏う水――《アクア・ヴェール》が唐突に凍り始めた。それだけにとどまらず、武装の《蒼流旋》、駆動系までもが自らの“水”で凍っていく。
ロシアの第三世代型兵器《アクア・ナノマシン》は、水分子を操作するNEMS兵器だ。分子運動を加速させて熱に変換ができれば、その逆――分子運動を止め、熱を奪う事もできる。
問題なのは、この現象が楯無の意思ではないということだった。
「悪いが、彼はやらせない」
楯無はソフィアを見た。
「あなたの、仕業なの……?」
「ああ、オレの専用機は《アクア・ナノマシン》のネットワークをハックできる」
「ハック? あなたのISは第二世代型の<ヴォルグ>じゃ」
「それは欺瞞さ。オレの専用機は<
楯無は怪訝な顔をした。ロキが開発した<霧纏の淑女>の上位互換? それはありえない。
「《アクア・ナノマシン》の製造工程とそのメカニズムを知っているのはロシアだけよ」
「だから、<霧纏の淑女>より上位に位置するISを作り出すことはできない、と。――残念ながらそれは違う。そもそも《アクア・ナノマシン》は<亡国機業>のテクノロジーなんだ。それだけじゃない。イギリスのBTレーザー、ドイツのAIC、中国の衝撃砲、イタリアの重力操作、それら技術は全て<亡国機業>によって開発されたものだ」
ここに来て、楯無は初めて表情に驚愕を浮かび上がらせた。
各国で盛んに行われている第三世代兵器が全て<亡国機業>によってもたらされたもの?
「われわれ<亡国機業>は、もともと核戦争を想定して創立された組織なんだ。――もし大国間で核戦争が勃発し、核の冬が訪れれば、地球は人類が住める環境ではなくなる。そこで<亡国機業>は、人類の移民――火星の地球化を計画していた」
「そのために開発された技術が現在の第3世代兵器だというの?」
「そうだ。火星で人が生きていくには、大気が必要だ。その生成には水、つまり巨大な氷塊が必要になる。それを生成するために水の分子をコントロールする研究が行われていた」
「《
「そういうことだ。今度は生成した氷塊を宇宙に上げないといけない」
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「大気を生成できたとしても、重力が無ければ定着しない。重力を生成するには星の密度を高めてやればいい」
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「君は賢いな。組織の幹部たちはこれら技術を組織から持ち出し、自国で兵器へと転化させた。ISの開発を裏から操り、世界のパワーバランスを図る。そんな名目でな。だが、俺は彼らとは違う。分散した技術と資金を再び統合し、これらを以て篠ノ之束が夢見た時代を創造する」
不遜の面持ちから一転して、彼は年相応な二つの表情を見せた。
夢見る幼気な少年の顔と、母親への感謝。そのふたつが同居した表情を。
「そこでだ、更識。俺と組まないか?」
優雅独尊を貫くような男から、そんな提案が出た事に楯無は驚いた。
「なんですって?」
「この組織は派閥闘争で大分に疲弊している。組織として運営を続けるには、再編する必要がある。そこで、日清、日露、第二次世界大戦、更識が一世紀以上をかけて構築した人脈を預かりたい」
更識自体は、とても小さい組織だ。そんな小規模組織が諜報活動するには、他の協力が不可欠。そこで更識は持ち前の“人たらし”で独自の人脈を形成し、数の少なさを補ってきた。
更識家では楯無の名を襲名すると、歴代の楯無が築いたネットワークも一緒に継承する。それをロキは欲していた。
「作戦をでっち上げて、私をここに連れてきた理由はそれ?」
「そうだ。もちろん、協力の見返りは十分に用意しよう。諜報活動への協力。更識への資金援助。技術の提供、妹の安全な開発環境も用意できる。なんなら、これらすべてを望んでくれてもかまわない。こちらには、それに応える準備がある」
提示された好条件に、楯無の心が沸き立つ。これら全てが手に入るなら、自分を悩ませる問題はほとんど解決されると云っていい。完全にこちらの足許を見たカード提示だった。
(ほとんど悪魔のささやきだわ)
一瞬“この悪魔に魂を売り渡してしまおうか”と、そんな誘惑に駆られる。彼に実現できるだけの資金と技術があるぶん、その誘惑は強かった。だが、それは、そう“一瞬”だった。
「断るわ。私たちは血塗られた一族だけど、テロリストには与しない!」
楯無はにべもなく提案をはねつけた。
学園を襲った彼らは楯無にとってテロリストだ。彼らが<IS学園襲撃事件>のような事を繰り返さない保障はない。そんな彼らに協力することは、これから起こるかもしれない襲撃に加担するということだ。更識は血塗られた一族だが、傷づく謂れのない人間の血で濡れているわけじゃない。
「でも、あなたには協力してもらうわ。うちの座敷牢の中からね」
楯無が蛇腹剣を構えると、ロキは苦笑いを見せた。
「協力はしない。けれど、協力はしろ、か。わがままな女だな。嫌いじゃないが、そうさせたいなら相手を惚れさせてから云え。――<ナルヴィ>、プランBを実行しろ」
《イエス、マスター。プランB、実行》
彼の隣に控えていた新型<ゴーレム>が抜いた近接ブレードを腰に宛がい、身を落した。
そして、全員が機械で構成されているとは思えないしなやかさで、鯉口を斬る。目にもとまらぬその早業に楯無は視線を奪われた。
(この技は織斑先生の!?)
などと驚いている暇などない。敵は既に初動を終えている。
一閃。
放たれた一撃を、楯無は咄嗟に《ラスティーネイル》で防ぐ。だが、攻撃を受け止めた瞬間、蛇腹剣が刃節もろとも砕け飛んだ。
「接近戦はまずいわね……」
剣撃の威力を目の当たりにした楯無は、近接戦の不利を悟って、距離を置いた。
その隙にロキが身を翻す。協力してもらえないなら、ここに残る理由もない。
「では、俺は失礼させてもらうよ。機会があったらまた会おう」
そう言い残して、ソフィアと共にラボのエレベーターで地上に登っていく。
それをかばうように立ちはだかる<ゴーレム>。ロキを逃がすわけにはいかなかったが、このゴーレムをどうにかしなければ、追撃もできそうにない。楯無は眼前の<ゴーレム>に意識を集中した。
(にしても、先の一撃は一体……?)
<ゴーレム>の放った剣技は最速を一撃必殺とする篠ノ之流剣術の居合術だった。ISのモーションマネイジメントを使用すれば再現できるが、それには術者のデータが必要だ。となると、あのISには――
「織斑千冬のデータが!?」
篠ノ之箒ではなく、織斑千冬の名が出たのは、音声が彼女のものだったからだ。
「でもどうやってそれを」
考えるまでもなかった。VTシステムからの流用。これに間違いない。ロキは「AICは亡国機業の技術だ」と説明した。なら、VTシステムを開発した<ワルキューレ・ウェポン>は<亡国機業>の傘下だったと容易に想像がつく。おそらく彼はすでに<ワルキューレ・ウェポン>を手中に収めているのだろう。
(声まで似せて、悪趣味よね)
そう嫌味を零したところで楯無は、武装のコンソールを開いた。
<――武装レジストリ――>
<四連装ガトリングガン内蔵ランス《
<蛇腹剣《ラスティーネイル》――大破>
<水分子相転移MEMS《アクア・ナノマシン》――■蓄量$%&>
「やっぱり、《アクア・ナノマシン》は使えないか……」
いまだ<フェンリル>の影響を受けているのか、正確な情報を習得できない。となると、こちらが使える武装は《蒼流旋》だけとなる。それだけで新型<ゴーレム>の相手をしろと?
(相手は
偽物とはいえ、相手は織斑千冬と同じ剣技を使う。
オリジナルより威力は劣るだろうが、それでも脅威には違いない。
(ほんと、やになっちゃうわ……)
ソフィアに欺かれ、ロキには逃げられ、楯無のプライドは酷い惨状だった。
(でも、ここでやられるわけにはいかない……!)
自分には果たさなければいけない使命と、帰る場所、そして待っている(と思いたい)妹がいる。
こんな辺境の秘密都市で、置き捨てられたロケット共に朽ちるなんて勘弁願う。
「やってろうじゃないの、かかってらっしゃい!」
楯無は《蒼流旋》のガトリングガンに装填された12.7mmの弾丸をゴーレムに打ち込んだ。