IS<インフィニット・ストラトス>―Deus Ex Machina 作:ネコッテ
PMCのヘリの中で、ロゼンダは崩壊していくビルを茫然と眺める。まさかこんな手段で<ヴェルフェゴール>を封じるとは。仕えのショコラも手練れではあったが、相手が悪すぎたか。
同時に、あの中に自分に仕えてくれたショコラがいる事実に胸が痛んだ。
フランス代表、そして会社のプロスタッフとして、デュノア社の繁栄に大きく貢献してくれた彼女。彼女がもたらしたノウハウなくして<ラファール・リヴァイヴ>の誕生はなかった。そして彼女の献身にどれだけ助けられたことか。
「奥様、着陸します」
雇ったPMCがそう言い、ヘリをゆっくりと下降させていく。
着陸した10メートル先では、夫アルベール・デュノアが待っていた。隣にはフランスの国家代表ノエル・ラ・フォンテーヌがいる。コゼットが好きだったワイン酒造家の娘だ。
ロゼンダは風圧で乱れる髪を押さえながら、その夫の前へ出向いた。
「さんざん私をないがしろにしておいて、今更なにをしにきたの」
自分が苦しんでいるときも、会社のことしか考えていなかった夫を、妻は痛烈に非難した。
ナイフのような鋭い言葉。それをアルベールは真摯に受け止める。娘が現実と向き合う勇気を見せたのだ。親の自分が逃げるわけにはいかない。
「私は一度おまえを裏切った。それを許してくれとはいわない。ただ償いをさせてほしい」
そのためにココへ来た。――強い決意を秘めた夫の言葉を、ロゼンダは怒声ではねつける。
「どうせ、言葉だけよ。恋人のときは甘い言葉をささやいて、結婚のときは愛を誓った。なのに、結局、あなたは私を裏切った。信用できると思うの」
「ああ、そうだな。私はおまえを傷つけた。何をされても文句は言えないし、言わない。だが、私とコゼットの裏切りは、シャルロットを傷つけていい理由にならない」
なおも愛人の子を慮る夫に、ロゼンダが唇をかみしめる。
あふれ出る強い猜疑心が、彼女の桜唇を自傷していた。
「……わかっているわよ。でも、あの女だけが子どもを授かって、幸せになるなんて、耐えられないの! 私は子供を産めなくて、こんなにも苦しんでいるのに! あの女も苦しまなきゃ、不公平じゃない!」
今まで心の底に溜め込んできた不満の澱が、ここにきて一気に噴き出す。
すると、声を枯らさんばかりに激情を放つ彼女をなだめるように、やさしい言葉が響いた。
「ううん、お母さんは苦しんでいたよ」
そう言ったのは、アルベールの背後から現れたシャルロットだった。
「お母さんはずっと苦しんでいたよ。――「なんでわたしにはお父さんがいないの」って聞くと、お母さんはいつも辛そうな顔をしてた。胸を強くつかんで。幼い頃の僕はその意味を理解できなかったけど、いまならわかる。あれは罪悪感だった」
愛は尊いけど、すべての免罪符にはならない。罪と知りつつも、愛ゆえに婦徳を犯したコゼットはその罪悪感に心臓をつかみ、苦しんでいた。それだけじゃない。罪から生まれた子だったとはいえ、シャルロットを愛していたから、不徳の罪と、我が子を愛する感情の挟間で、身を裂かれるような想いをしていた。
あなただけが苦しかったわけじゃない。そう母を擁護する娘を、ロゼンダは唾棄した。
「だからなに? 罪を感じていても何もしないなら、自覚がないのといっしょでしょ。彼女はやさしいふりをした臆病者よ。結局、罪の意識から逃げて何もしなかった。自分で自分を罰せないから、私が罰を与えてやろうというんじゃない」
ぶわっとロゼンダの瞳に再び感情の炎が昇る。やがてその炎は熱を上げて、狂気の火炎へと変貌していった。
だが、シャルロットはその炎を消そうとしなかった。
「そうだね。罪の意識を持っていても、償う気がないんじゃ無自覚と一緒だよね。僕もそう思う。お母さんはちゃんとあなたのまえで罪を認め、謝るべきだったんだ。償おうとしなかったお母さんを罰することは、あなたに許された権利だと思う。でもね、お母さんが受けるべき罰を僕が受けることは、やっぱり違うよ」
断罪を肯定しつつも、咎を拒むシャルロットを、ロゼンダは怪訝そうに見た。
「母に代わって咎を受ける気がないなら、あなたは何のために戻ってきたというの?」
「僕がここに来た理由は一つ。それはね――――」
シャルロットは臆することなく継母の前に出て、こう言った。
「あなたを“幸せ”にするためだよ」
ロゼンダの幸せ。
かつて母が自分にそう望んだように、シャルロットはそれをロゼンダに望んだ。
「あなたは不幸な人だ。だから、あなたこそ幸せになるべきだよ」
暴漢に襲われ子供を産めなくなってしまったこと。最愛の夫に裏切られたこと。その相手が愛娘を授かったこと。度重なる現実に耐え切れず、彼女はすべての人間を断罪の名の許で不幸にしようとした。
人の不幸は蜜の味。その蜜の甘さが辛い現実を忘れさせてくれる、そう思って。
悲しきかな、人は他人の不幸を喜ぶ生き物だ。けれど、他人の幸福を妬んでしまうのは、自身に「幸せになりたい」という気持ちがあるからだ。幸せの願望があるから、人は他人の幸福に嫉妬する。
だから、シャルロットは思った。
ロゼンダが復讐を望むのは、幸せになりたい気持ちの裏返しでは、と。
その彼女を幸福にできたなら、この不毛な憎しみ合いもきっと終わらせられる。そして、幸せの許に開かれた心の安寧が“寛容さ”を生めば、自分という存在を受け入れてもらえる。そのとき、母は何の憂いもなく本当の眠りにつけるはず。そのために彼女はここにやってきた。
「あ、あなたは自分を陥れた女の幸福を願うというの……?」
不幸のどん底に貶めようとした少女からの言葉に継母は怯んでいた。
その彼女の首に、アリスがくれた幸福のメダリオをかける。
「うん、僕はもう幸せだから。僕はこの温かな気持ちをあなたに分け与えたい」
人を幸せにするには、まず自分が幸せにならなければならない。裕福とは、誰かに分け与えられるだけの幸を持っていることだから。いまシャルロットはありあまる“幸せ”に包まれている。
危険を顧みず戦ってくれた友だち。自分を愛してくれた両親。力を貸してくれた先輩。
これほど多くの人に想われている自分は間違いなく幸せ者だ。
母がシャルロットの幸せを願ったのは、その幸福で人を幸せにしてほしいと思ったからだろうか。本当のところは、シャルロット本人にもわからなかったが、まっすぐとロゼンダを見据えてそう言ったシャルロットにはコゼットの面影があった。臆病だったけど、やさしかった女性の面影が。
「ロゼンダ、相手の幸福を憎み、不幸を望んでも、幸せになんてなれない。相対的な幸せは本当の幸せじゃないんだ。だから、私は他人の不幸を望むより、自分の幸せを望んでほしい。おまえがそうなれるよう、私は全身全霊をかけて尽くそう。だからもうやめるんだ、こんなことは……」
ロゼンダは俯き、沈黙した。ただ立ち尽くす彼女のつま先にポタンと落ちた滴がはじける。涙だった。苦しめようとした、あの娘は自分の幸せを願った。そんな子を貶められるほどの狂気をロゼンダは秘めていなかった。
「ロゼンダ、もう一度言おう。私におまえを幸せにさせてくれ」
ふるえる妻の肩を抱き、アルベールは言った。
「それはつぐないのため?」
「それもある。だが、これほどまでにつよく償いたいのは君が愛しいゆえだ」
「コゼットより?」
「わからない。愛もまた相対的に測れるものじゃない。ただいえることは、彼女は思い出の人だということだ。彼女は過去というアルバムの一ページ。未来は共に生きられない。でも、君となら生きられる」
「私たちの愛には未来があるってこと?」
「ああ、私たちはこれからも愛を紡げる。どんな大きい愛にだってできるはずだ」
コゼットを心から愛した。それは事実であり、真実だ。だが、アルベールは「かつて愛した女性」として気持ちにピリオドを打ち、思い出という心の書架に収めることにした。妻――ロゼンダとの物語を再び紡ぐために。
「ふふ、本当にあなたは口がうまいわね」
「うまくなければ、大企業の責任者はつとまらんよ」
「なら、責任者としてこんな気持ちにした責任をとってね」
「ああ、もちろんだ」
愛する人が戻ってきたような気がして、ロゼンダは微笑んだ。
心の奥底から温かいものが湧き上がってくる。
体中が温まっていく感覚に、これが“幸せ”なのだろうとロゼンダは思う。それは他人の不幸から搾り取った蜜より甘く感じた。
「ねえ、瞳をつぶって」
と、ロゼンダ。あまくささやくようなお願いに、アルベールは静かに瞳を閉じる。これから行われる事に、周囲もなんだか微笑ましいような、気恥ずかしいような顔をした。
しかし、ロゼンダは、一歩身を引き、――――こぶしを振り上げた。
掛け声をつけたなら「どりゃ」と聞こえそうなパンチを喰らい、アルベールがしりもちをつく。
てっきり口づけが交わされるものだと思っていた一同は「なッ!?」と茫然とした
そんな人たちを笑うようにロゼンダは爽快に言う。
「浮気の件、これで全て水に流してあげます」
満面の笑みでそういったロゼンダに、アルベールは苦笑した。てっきり和解のキスだと思っていたのだ。――だが、そうだ、自分には受けるべき制裁が残っていた。それを受けて、ようやく自分の罪は贖われるのだ。
「キスされると思ったの? 人生、そんなに甘くはないわよ、ふふ」
人生はボンボンのように甘くない。けれど、ロゼンダは夫に甘いのかもしれない。
不徳の罪をたった一発の鉄拳で許してしまうのだから。これまさに鉄拳制裁ならぬ鉄拳正妻。
「しかしながら、なかなかいいパンチだった。まだほほが痛い」
殴られた頬を撫でながら、アルベールは言った。
「全力で殴ったんですもの。――ほら、立ちなさい。手当してあげるから」
尻餅をついたままの夫に手を差し出す。「やさしく頼む」とアルベールも手を出す。
その二つの手は、真の和解を示すように握られる
はずだった。
一発の銃声さえ聞こえてこなければ。
和やかなムードを引き裂くように、それは響き亘った。
それと重なるように、ロゼンダの体がアルベールの前にもたれかかってくる。
「ロゼンダ……?」
不振がりながら、夫が寄りかかってきた妻を支える。
支えた手は赤くてらてら濡れていた。それが血だと気づけたのは、彼女の腹部に銃傷を見つけたからだった。
撃たれた。
その事実が場を凍りつかせる。
あたかも時間が停止したような空間で、最初に行動を起こしたのは、アリスとPMCの兵士だった。
両者はM4とFN‐SCARを同じ方角に構えた。
その方角から一人の女性がやってくる。全身を黒色のウェディングドレスに包み、顔をベールで隠した漆黒の花嫁だ。手にはエングレーブが刻まれたリボルバー式の拳銃が握られている。その銃口から漂う硝煙が「彼女が撃った」ことを明確にしていた。
あまりに場違いすぎる漆黒の花嫁の登場に、私は幻を見ているような気がした。
だが、夫人から臭う血の香りが、目の前の出来事が現実であると証明してくる。眼前の花嫁は実在している。その花嫁に撃たれた夫人が息も絶え絶えに言った。
「ご、ご機嫌、麗しゅう、<お母さま>、わざわざ、あなたがお越しになるとは……」
漆黒の花嫁は母性的なやわらかい声音で、あたかも子を叱るように言った。
「ええ。誰かさんが<ヴェルフェゴール>を持ち出し、果てにはその能力を披露してしまったんですもの。そんな悪い子には、私が直々にお仕置きが必要でしょ?」
<ヴェルフェゴール>。その単語から、彼女は夫人が帰属する組織――つまりは<彼女たち>の人間であるようだ。それも高貴な物腰と、夫人を子のように接する振る舞いから、組織の上位者と推測できた。
その上位者に、アルベールさんが強い怒りをぶつける。
「妻がいかなる悪さをしたか知らないが、仕置きと呼ぶには、やりすぎではないか?」
「あら、組織を統括するために、規律を乱した人間を罰することは必要な処置よ。大手企業の責任者ならわかるんじゃなくて?」
「だとしても、私は部下を撃ったりしない」
「それは、あなたの組織が小さいから。私たちの組織は、世界に影響を及ぼすほどの権力を有する。だから、組織の秩序は厳格に保たれなければならない。そのためなら、時に生殺与奪の権利を行使する。――あなたたちの世界もそうやって守られているのよ。正義の名の許に、どれだけの人間の命が奪われているか、知らなくて?」
秩序を乱したものには制裁と報復を。そうやって世界は守られている。
意志なき戦争は悪だが、平和のための戦争は許されるのかもしれない。だとしても。人殺しが正当化されることはない。そんな時代もこない。私は夫人をかばうようにM4を構えた。
「国家の安全保障と、個人の殺人を同一に語るじゃありませんよ。――シャルロット、ロゼンダさんを。私はこいつを縛り上げて、一夏に差し出す」
彼女が<彼女たち>の首魁なら、これは千載一遇の好機だ。彼女を捕らえられれば、すべてを終わらせられる。「うん」と応急処置に入ったシャルロットを背に隠し、M4の引き金に指をそえると、花嫁はやんわりとした喜色に富んだ声を上げた。
「まあまあ、アリス。大きくなったねー」
向けられた好意に、わずかなに戸惑いながらも私は発砲した。
しかし、放たれたライフル弾は、奇術のようにことごく逸れて彼女に当たらない。全ての弾が歪曲して逸れていく。フルオートでも一発さえ命中しなかった。
「どんな手品です……」
驚く私の許に、花嫁がゆっくりと近づいてくる。私はもう一度M4の引き金を引いたが、かちんと空しい音が鳴るだけだった。
弾切れ。するとPMCの隊長が「こいつをつかえ!」と自分のFN-SCARを投げてくれた。私はありがたく、投げられたアサルトライフルを受け取り、花嫁に構えた。
発砲。
銃声が辺りに響く。
放たれた銃弾は地面に命中していた。銃身を押さえつけた花嫁の手によって。
睨む私に、花嫁が淡い桜色の唇をそっと寄せてこう呟く。
「自分の親に、こんな物騒なモノを向けてはダメよ」
我が子を叱るように。やさしく。
暖かさを秘めたその言葉に、既視感を覚えた私は、花嫁を突き飛ばした。
「あいにく、私の両親はすでにいない。あなたの胎から生まれてきた記憶もない」
「あら、冷たいことをいうのね~」
女はくるくる回りながら私から離れていく。構わず撃つが、やはり弾は逸れて当たらない。
花嫁は持っていたレースの日よけ傘を開いて、空に浮かびあがった。
「さて、お仕置きも済んだし、<ヴェルフェゴール>も回収できたようね」
花嫁の背後では不思議なできごとが起こっていた。――<ヴェルフェゴール>を押し潰した瓦礫が重力を忘れたように浮遊していたのだ。その中に<ヴェルフェゴール>も見える。
「では、わたしは行きます。みなさん、ごきげんよう。そして、私の可愛いアリス。また近いうちに迎えに行くわ。そのときはローズマリーも一緒に。楽しみにしててね」
私の母を語った花嫁は、最後に表情を覆い隠していたヴェールを捲り上げた。
ヴェールの下から現れた素顔は、もう一人の私だった。
絶句する私たちに、やさしい笑みを向け、花嫁は春風に踊るたんぽぽの綿毛のように飛んでいく。私はそれに銃を向けることができなかった。自失茫然だった。けれど、立ち込める血の匂いと悲痛な叫び声が、私に今すべきことを教えてくれる。疑問に支配されている暇はなかった。
「ロゼンダ、しっかしろ!」
顔面蒼白の夫と、苦悶の表情を浮かべるその妻を見て、吐き気のような疑問を飲下する。
いまは彼女を救うことに集中しなければ。
私は救急キットを取り出し、止血パットを傷口に押し当てる。しかし、生気はどんどん薄れていくばかりだ。もしかしたら持たないかもしれない。そう思った私は立ち位置をシャルロットに譲った。
ロゼンダさんは虚ろの瞳で夫とシャルロットを見据えた。
「……あなたに、……ひどいことをした、罰かし……ら……ね」
シャルロットは髪を振り乱した。
「違うよ! だって、あなたには何の罪もなんだから!」
シャルロットは叫んだ。弱りゆく継母の姿が、亡き母と被っているのかもしれない。
そうしたのが、私の母かもしれないという考えに、私は胸が痛んだ。
「あり、がとう、シャルロット。夫、と変わっ、て」
「なんだ、ロゼンダ」
「――あなた、コゼットに言伝、ある……? 一緒の場所、いけるか、わからないけど……」
ほとんど生きることを諦めたような言葉だった。けれど、残された者への気遣いにあふれた言葉でもあった。本当ならもう一言しゃべることさえ辛いはずなのに。
アルベールさんはこみあげてくる感情を、必死で自制して言った。
「言伝など不要だ。自分が死んだ後に伝えに行く。それより未来の話をしよう。君との未来の話だ。そうだ、私ときみの子供を生んでくれる代理母を探そう」
「そ……う、ね。うまれ……子が、男の子なら、シャルル、ふぅ……、ふぅ……」
「もういい、もう、しゃべるなッ」
言いたことも満足にしゃべれない妻に、夫は感情を自制できず、嗚咽を漏らしていた。
シャルロットは堪え切れず、ノエルさんの胸を借りていた。そんな二人に私はどんな言葉をかけていいかわからなかった。――――ただ、助かってほしいとだけ思う。
そう願いながら、空を見上げると、会長が操縦するヘリが下りてきた。