IS<インフィニット・ストラトス>―Deus Ex Machina   作:ネコッテ

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第95話 開幕のタッグトーナメント

 まず鍋にバターとオリーブ油を入れ、牛肉を炒める。肉の色が変わったら、一口サイズに切ったじゃがいも、にんじん、きゃべつ、たまねぎを加え、次に、水、ホールトマト、ビーツ、ビーツの缶汁、固形スープの素、ローリエを入れて煮込む。

 トーナメント当日。IS学園食堂。その厨房でソフィアはボルシチの調理に勤しんでいた。

 楯無に「あなた、私にあなたのボルシチをごちそうしてくれるって言ってくれたわよね、ね、ね」とせがまれたからである。一応はそう言った手前もあり、ソフィアはIS学園食堂の厨房を借り、こうして調理に勤しんでいた。

 

「うん。こんなもんかな」

 

 塩と胡椒で味を調え来上がったボルシチを食器によそい、厨房を出る。

 食堂のテーブルでは、白髪の少年が寄生木の鉢植えらしき装置にケーブルを接続し、キーボードを叩いていた。味見役に呼ばれたロキだ。

 

「そいつが<ミストルティンの槍>か」

 

 言って、持ってきたボルシチをテーブルに置く。

 

「ああ。まだ完成はしていないがな。――そっちはどうだ」

 

 ソフィアは食ってみろと持ってきたスプーンを差し出した。

 ロキはサワークリームをすくいボルシチをひとくち。口の中に程よい酸味と、濃厚な野菜の甘みが広がった。

 

「うまい。イワンのよりうまいかもしれん」

「オレのは母さんの特性レシピだからな。おやじのボルシチとは一味違うのさ」

「一味か、言い得て妙だな。よし、俺にも今度作り方を教えてくれ」

「おまえが料理に関心を持つなんてめずらしいな」

 

 と言いながらも、ソフィアはロキがそう言いだした理由に思い当たる節があった。<デウス・エクス・マキナ>との会談後のことである。終了後、彼はルイスに「組織運営に必要な心得などはあるか」と余談がてら訊いていた。そのとき、ルイスは『豚汁かしら』と答えた。どういう意味かと尋ねた彼に、彼女は「要は同じ釜戸の飯を食うこと」と微笑んだ。

 とはいえ、彼女と同じ品ではアレなので、「ボルシチ」にしようというわけらしい。

 

「じゃあ、あとで秘蔵のレシピを教えてやるよ。ただし、重要機密だ。口外にするよ」

「わかった、厳守する」

 

 そう言ってボルシチをもう一口。

 そして、部下のボルシチを堪能しながら食堂に備え付けられたモニターを見やる。

 

「そろそろか」

 

 画面には<専用機ペアトーナメント>の開会式の映像が流れていた。

 その映像の中で、一人の女子生徒が用意された台に乗り、開会の訓辞を述べている。

 

『みんなおはよう。今日は専用機持ちのタッグトーナメントですが、試合内容はこれから専用機持ちになるであろう皆さんにとって勉強になるはずです。しっかり見ておいてください』

 

 よどみなく生徒たちにそう告げたのは生徒会長けん、優勝候補の楯無である。

 楯無は訓辞を終えるなり、突然ニパっと笑った。

 

『とはいえ、ただ観戦するだけではつまらない。そこでこんな企画を用意しました』

 

 急にそう言いだした楯無は扇子で集まった生徒たちの背後を示した。

 一同が振り向くと、バックモニターに『優勝ペア応援・食券争奪戦』の文字が浮かぶ。

 

『ルールは簡単です。お金を食券に換金して、優勝すると思うペアにベットするだけ。そして優勝ペアを的中させた生徒で、集めた食券を山分けします』

 

 降って湧いたイベントに「おおーッ」と学生が湧く。あからさまな賭博行為ではあったが、教師陣から反対の声は上がらなかった。根回しは既に終わっているらしい。さすがは更識家当主。敏腕である。それにはロキやソフィアもひと目おいている。

 

『では、このトーナメントに参加する選手の紹介をするわよ』

 

 楯無が高らかに宣言すると、モニターに参加選手と試合の組み合わせが表示された。

 

         ┌─【アリス・リデル/更識簪】

        ┌┤

        │└─【ローズマリー・ライオンハート/更識楯無】

     ┌──┤

     │  │┌─【ダリル・ケーシー/フォルテ・サファイア】

     │  └┤

     │   └─【セシリア・オルコット/シャルロット・デュノア】

【優勝】─┤   

     │   ┌─【月亮(ユエリャン)太阳(タイリャン)

     │  ┌┤

     │  │└─【篠ノ之箒/凰鈴音】

     └──┤

        │┌─【輝夜月子/李紅梅】

        └┤

         └─【織斑一夏/ラウラ・ボーデヴィッヒ】

 

 出場ペアは全部で8組。

 アリス・簪の『妹ペア』。

 それに相対するローズマリー・楯無の『姉ペア』。

 ダリル・ケーシーと、フォルテ・サファイアの『先輩後輩ペア』。

 一夏とラウラの『師弟ペア』。

 箒と鈴の『幼馴染ペア』。

 上記の結成により相手がいなくなった、セシリアとシャルロットの『百年戦争ペア』。

 そして特別枠で出場した月亮(ユエリャン)太阳(タイリャン)の『双子ペア』と、月子とフーの『国家代表ペア』。

 以下が今回の専用機持ちペアトーナメントの組み合わせであった。

 

「なぁ、ロキ、おまえは誰に賭ける?」

「ローズマリーだ。そういうおまえはどうだ」

「オレ? オレは簪さ。楯無には悪いが、彼女を応援させてもらう」

 

 そう言って、ソフィアは個人端末を取出し、ネットワークにアクセスする。ホームページといくつかのサブベイで構成されたサイトは、諜報員専用のソーシャル・ネットワーク・サービスだった。ソフィアはページを操作し、あるメールのやり取りをロキに見せた。

 それを見たロキはめずらしく驚きを見せた。

 

「そういうわけさ」

 

 ソフィアはそう言ってモニターに視線を戻す。

 画面の向こう側では、開会式が終わり、第一試合目の準備が行われていた。

 

 

     ♡          ♣          ♤         ♦

 

 

「両ペアの準備が終わったそうです」

 

 専用機トーナメント第一回戦。その準備が終わった報告がアリーナ管制室に入った。

 千冬は「わかった」とプログラム表に目をやり、初戦の組み合わせを確認する。

 

「初っ端から、優勝候補同士の試合になったな」

 

 一回戦はアリス・簪ペア対ローズマリー・楯無ペアの試合である。

 またしても一回戦目から本命の試合であった。

 

「楽しみですね。どんな試合になるか」

 

 事情を知らない真耶が、両ピットに出撃の命令を送信する。

 それに従い、ピットから4機のISが出撃を開始した。

 赤い装甲に騎士の意匠を醸すIS<赤騎士>。

 荷電粒子砲とミサイルを満載した重装備の武者型IS<打鉄二式>。

 水のドレスをまとった水精霊を思わせる優美なIS<ミステリアス・レイディ>。

 そして、燃えるような装甲と、世界の終焉を思わせる禍々しいIS<レーヴァテイン>。

 途端、真耶が顔色を変えた。IS管制室の空気も緊迫する。<サイレント・ゼフィルス>に代わって現れた禍々しいIS――<レーヴァテイン>は臨海学校で、生徒や教師部隊と遭遇し交戦している。管制室が緊迫するのも当然だった。アリーナの待合室でも騒然としていることだろう。

 

「おおお、織斑先生、このISは……ッ!」

「落ち着け、襲ってきたわけじゃない」

 

 思わず、警報を鳴らそうとする真耶を千冬が制す。

 

「で、でも……」

「何の問題もない、試合を続行しろ」

 

 事情を知らされず戸惑う真耶に申し訳なく思うも、話せば長くなるため、千冬は説明を省略して事を進めさせた。腑に落ちないながらも教員たちは、千冬の言葉に従う。そのなか、千冬は「やはり出してきたか」とつぶやいた。

 

 

     ♡          ♣          ♤         ♦

 

 

 一方、アリスもまた千冬と同じ台詞を内心でつぶやいていた。

 第四世代型IS<レーヴァテイン>。ローズマリーが本気なら第三世代型の<サイレント・ゼフィルス>ではなく、より性能の高い<レーヴァテイン>を出してくることは、アリスも予想はできていた。これが相手となると苦戦は必至。なにより――

 

「簪、大丈夫ですか」

 

 かつて、簪は<レーヴァテイン>に一矢報いながらも、手痛い反撃を受けている。その時、植えつけられた恐怖心はどうか。アリスはそれを案じたが、

 

「大丈夫」

 

 こちらの心配を余所に簪ははっきり答えた。動揺の類は伺えない。

 事前に説明してあったとはいえ、実物をまえにしても震えない勇気。彼女はあの時から確実に成長している。

 そんな相棒に頼もしさを覚えながら、アリスはアリーナの管制室に繋いだ。

 

「開始の合図をお願いします」

 

 もはや交わす言葉はない。言葉ではどちらも引き下がらないことを、互いに知っている。

 勝利者の強制力のみが、相手の運命を決定できる。

 

『あ、はい――。では、第一回戦を開始してください』

 

 かくして、今後の命運を決める戦いの火ぶたは切って落とされた。――刹那、光と共に<赤騎士>が姿を消した。

 量子テレポート。それを駆使して<レーヴァテイン>の背後に回り込んだ<赤騎士>は両手に《ヴォーパル》を持ち、その二刀を振り落とした。

 すかさずローズマリーが《レーヴァテイン》を抜き、頭上からの斬撃を受け止める。

 そこへ簪が荷電粒子砲《春雷》を発砲するが、この一撃は<ミステリアス・レイディ>が展開する《アクア・ヴェール》によって阻まれた。

 

「楯無、あなたは更識簪を。私はアリスの相手をします」

 

 ローズマリーは脚部のビームサーベルを展開し、回し蹴りの要領でアリスに斬りかかる。アリスは後退してこれをかわす。退いたアリスを、ローズマリーは展開装甲を高機動モードに切り替えて追った。

 それを見送ることなく、楯無が妹を見据える。

 

「了解。――さあ、簪ちゃん、勝負よ」

 

 簪は無言で頷き、荷電粒子砲を構えた。

 発砲。

 迫る虹色の閃光を、楯無がサイドステップでかわす。

 再び照準。楯無は乱数移動で荷電粒子砲の射線を掻い潜った。右へ、左へ、前へ、後へ。縦横無尽に跳躍する姉に翻弄され、簪は照準を定められず、引き金を絞れない。まったく予想のつかない機動に、コンピューターも悲鳴を上げた。

 

(……<打鉄弐式>の射撃システムじゃ、あの人は捕らえきれない)

 

 ならばと、簪は<マルチロックオン・システム>の知能エージェントを起動した。

 

「照準レーダー展開。――標的補足。誘導モード1。1番基から48番基まで全弾発射ッ!」

 

 打ち出されたミサイル群が、標的に向かって飛翔を開始する。

 数に物を言わせた面での攻撃。これなら相手がどう動こうが関係ない。必ずダメージを与えられるはず。―――そう期待した簪の目論みは簡単に潰えた。<ミステリアス・レイディ>が《アクア・ヴェール》を展開した、その瞬間に。

 楯無が水のドレスを身にまとうと、ミサイルたちが標的を見失い、迷子になったのだ。

 

「……追尾用のレーダー波が吸収されてる……」

 

 マイクロミサイルユニット《山嵐》は、レーダー波を照射し反射したそれを受け取って、標的を認識・追跡する。照射したレーダー波が返ってこないと《山嵐》は標的を追尾することができない。

 

「……ならIRで――」

 

 簪は知能エージェントに命じ、ミサイルの誘導方式を変更した。

 左肩部に備わったレドームのレンズが一昔前の射影機のように切り替わる。レーダー波誘導から赤外線誘導へ。すると、ミサイルたちは熱源を頼りに<ミステリアス・レイディ>を追いかけ始めた。が―――やはり見失う。

 《アクア・ヴェール》は機体表面温度を抑えることができる。だから赤外線でも探知できない。

 

(じゃあ、カメラで標的を認識する画像解析は……? だめだ……。《アクア・ヴェール》は可視光も吸収する。カメラに映らない。レーダー誘導もダメ、赤外線もダメ、画像もだめ――――)

 

 電子兵装を武器に戦う<打鉄弐式>にとって、完全なステルス有する隠密型の<ミステリアス・レイディ>はまさに天敵だった。

 だが、<マルチロックオンシステム>のマルチの名は伊達じゃない。

 レーダー波誘導、赤外線誘導、画像認識。それに加えもうひとつ誘導方式がある。

 

「<打鉄弐式>。マルチロックオンシステム、誘導管制モード4」

 

 簪が4つ目の誘導方式をセレクトすると、マイクロミサイルたちが再び<ミステリアス・レイディ>を追尾し始めた。見えないはずの<ミステリアス・レイディ>を、だ。

 

「どういうこと……」

 

 《アクア・ヴェール》はあらゆる探知から逃れられる魔法のマント。レーダーにも、目にも映らず、赤外線も発しない自分をどうやって見つけているのか。

 

(ともかく、いまは対ミサイル機動ね……)

 

 楯無は対策を講じるよりも先に被弾を避けるため、機体を後方へ下がらせた。

 そのあとをミサイルはしっかりと追ってくる。

 なんと引き離そうとするものの、小型ゆえ小回りが利き、数も数なだけあって、簡単には降り切れない。そうやって手をこまねいているうちに、距離は徐々に縮まり、やがて先頭の一発目が<ミステリアス・レイディ>を捉えた。

 

(……いけッ)

 

 簪は心で吠えた。同時に爆薬の信管が起動する。

 爆発。

 小規模ではあったが、近距離での爆発は、彼女を「くっ……ッ」と怯ませた。そこへ二発目、三発目とミサイルが群がる。爆発の連鎖に次ぐ連鎖。それはやがて膨大な熱量の塊となり、楯無を灼熱地獄へ陥れた。

 

「や、やった……!」

 

 黙々と立ち上る爆炎。むせるような熱気。ぱちぱちと火を灯す<ミステリアス・レイディ>の破片。

 手ごたえはあった。これは勝ったかもしれない。

 そう気が緩みかけた時、背後から声が聞こえた。

 

「簪ちゃん、『やったか』はフラグよ」

 

 ひんやりとした言葉に振り返れば、《蒼流旋》に流水をまとわせた楯無が立っていた。

 しかも無傷で。

 接近に全く気づけなかったこと。攻撃を外したこと。

 二つの事実で動揺する簪に、楯無は《蒼流旋》の鉾先を突き出した。

 すさまじい衝撃に<打鉄弐式>が大きく転倒する。簪は倒れ込んだまま姉を見た。

 

「……なんで。……命中させたはずなのに」

「ミサイルが攻撃したのは、ナノマシンで作った水の分身よ。――あのミサイルは《アクア・ナノマシン》のGPS情報を傍受して、私の位置を特定し追跡していた」

 

 GPSを用いたミサイル誘導。それが完全なステルスを有する<ミステリアス・レイディ>を追いつめたネタだった。けれど、それを知っていた楯無は、逆に分身をデコイとして利用し、背後を取ったのだ。戸惑い見せたのは、囮だと気づかれないための芝居だった。

 

「どうする、続ける?」

 

 気づかうように伺がってくる姉に、妹は俯き黙り込む。

 荷電粒子砲もダメで、ミサイル攻撃もダメだった。自分のテクノロジーが完敗し、彼女の闘志は折れてしまったのだろう。――――すくなくても姉の目にはそう見えた。

 そう、見えただけだ。

 

「まだ……。まだ……おわってない」

 

 顔を上げた簪の瞳には闘志があった。そう、ゆるぎない闘志が。

 

「で、でも、あなたの攻撃は、私に通じないわ。続けても結果は見えてる。もうやめましょう」

 

 これ以上妹に鞭打つ行為はしたくない。

 そんな思いから降参を薦めるも、簪は首を縦に振るわなかった。

 

「……やめない。わたしにはまだこれがあるッ」

 

 展開したのは対複合超振動薙刀《夢現》。簪がそれを頭上で回転させて構える。

 

「……更識簪、参ります」

 

 荷電粒子砲と、電子兵装。そして、ミサイルキャリアーをパージし、簪は楯無に斬りかかった。正面からの袈裟切り。楯無は《蒼流旋》で弾き、空いた胴へ展開した《ラスティーネイル》を打ち込む。

 簪は崩れた体勢をすぐ立て直し、再び斬りかかる。楯無は横薙ぎの《夢現》を《ラスティーネイル》で払い、《蒼流施》の刺突をくりだす。簪は息を詰まらせた。

 

「もうやめましょう、簪ちゃん。あなたじゃ私に勝てない。勝負はついたわ」

 

 親愛なる妹に敵意を向けられ続ける心境も、それに刃を向けなければならないこの状況も、精神衛生上よろしくなかった。だからといって、負けてやればきっと本当に大事な何かを失ってしまう。

 行くも戻るもできない楯無がどうにか降参させようと促すも、やはり妹は聞く耳を持たなかった。

 

「……ついてないから。構えてッ!」

 

 なおも彼女は勇ましく薙刀を構えた。

 

「……か、簪ちゃん、どうして……。いったい、何があなたをそうまで駆り立てるの……?」

 

 けして劣勢に立たせいるわけじゃないのに、楯無は怯んだ。

 普段は庇護欲を駆り立てられるようなか弱い妹が、闘志を滾らせて、まっすぐ自分へ挑んでくる。何度も。めげずに。どうしてそうまでして自分の打倒に燃えるのか、姉にはわからなかった。

 

「……わたしにも譲れないモノがあるから」

 

 簪は《夢現》を握り直し、戸惑う姉に再び突撃した。

 

 

     ♡          ♣          ♤         ♦

 

 

 アリーナ第二待合室。第二試合目に出番を控えたダリルは、ISスーツの調整をしている最中だった。ミューゼル社製の運動性を阻害しないハードタイプであるそれは、レオタードに近く、きつめにフィットする。その食い込み位置を直しながら、待合室に設置された観戦用モニターを見やる。

 第一試合は両者とも格闘戦にもつれ込んでいるようすだった。

 モニターには楯無が繰り出した《蒼流旋》の刺突を、後方に下がって躱す簪が映し出されている。その簪を、楯無は<打鉄二式>に《ラスティーネイル》絡めて引き戻す。そして引き寄せた妹に再び《蒼流旋》を突き立てた。

 簪は薙刀の名手だが、総合的な格闘術はやはり姉が上であるようだ。しかし、劣勢ながらも簪は一歩も引かない。何度、打ちのめされても立ち上がり、姉に立ち向かっていく。

 

「へぇ、なかなかガッツがあるじゃねえか」

 

 とはいえ、劣勢は劣勢。実力差も明確で、この分だと勝負は早くに尽きそうだった。相方のアリスも苦戦を強いられているようで、ローズマリー相手に勝機を見いだせずにいる。簪への加勢は見込めそうにない。初戦はローズマリー・楯無ペアの勝利で終わるだろう。

 ダリルは観戦に見切りをつけ、相棒の名前を呼んだ。

 

「おい、フォルテ、そろそろ行くぞ」

 

 だが、返事はなかった。

 ただ備え付けのベンチにこしかけ、黒い三つ編みの執拗にいじっている。それは彼女が不安を感じているときに見せる仕草だった。

 

「おい、どうした」

 

 ダリルがフォルテ・サファイヤの様子を伺うと、彼女は不服を訴えるような表情を向けた。「これから一戦交えようってのに、なんだ、その面は」と仁王立ちするダリル。フォルテはややして抱えていた不満をさらけ出した。

 

「なんで、あんなこと言ったんスか?」

 

 ダリルは「は?」と顔をしかめた。

 

「なんのことだ?」

「エントランスでのことッスよ。フォルテのISは化け物だから、気をつけろって、織斑一夏に。あれじゃまるで警告ッス。なんでそんな真似したんすか」

 

 ダリルはどこか苦笑いをしながら頭をかいた。

 

「深い意味はねえよ。単純にビビらせてやろうと―――」

「それだけじゃないッス。サラのこともあるっス。<キャノンボール・ファスト>で、仕掛けた装置が作動しなかったのは、先輩が細工をしたからッスよね……?」

 

 疑念のまなざしを受け、ダリルはバツが悪そうに首筋を撫でた。フォルテは自分が行ってきた裏工作に気づきつつある。もうこの恋人に、白を通すのは無理そうだった。

 

「ああ、そうだ。あたしが細工した」

 

 フォルテのしゃがれた声が待合室に響いた。

 

「な、なんで……」

「なんでっておまえ、あたしはそっち側の人間じゃねえからに決まっているだろ」

「こっち側じゃないって、それじゃあ……」

 

 好きだった相手の告白が胸を貫き、瞳が動揺と驚愕で揺れる。

 そんな彼女の許へ在らざる者の声が聞こえてきた。

 

「大方、坊やの差し金ってところさね?」

 

 左右に結った赤い髪。豪奢な和装。カランコロンと、ぽっくり下駄をすりながら現れた隻腕隻手の花魁にダリルは「ここの警備はどうなってんだ」と毒づいた。

 アリーシャ・ジョセスターフ。

 ダリルが欺いた組織のナンバー2とも云える人物は、フォルテを見て煙管を回した。

 

「<亡国機業>にいたころの同僚さね。おそらく目的は<アップルシード>か、あるいは……。何にせよ、こいつはおまえさんに取り入って、利用しようとした<亡国機業>のスパイなのさ」

 

 ダリルは応えなかったが、アリーシャは確信に近いものを得ている様子だった。その証拠に濃い目の“赤”で塗られた唇を得意げに曲げている。フォルテは潤んだ瞳でダリルに詰め寄った。

 

「そ、そうなんスか」

 

 自分に優しかったのは、自分を利用するため。愛は偽りだったのか。それを視線で問うも、彼女は何も言わなかった。ただ用済みのようにフォルテを無視し、アリーシャだけを睨みつけている。

 

「怖い顔さね。――にしても、その貌、どこかでみたことあるさね……」

 

 ややして、アリーシャは煙管をダリルに突き付けた。

 

「あっ、おまえさん、もしやミューゼルの……。どうりてスコールに似ていると思ったのサ」

「へっ! 似ているのは、姿だけじゃないぜ!」

 

 放った言葉と共に、突如として何もない場所から火が昇った。それが命をもったようにうねりアリーシャへ襲い掛かる。

 

「ほぉ、これが母様が仰っていたミューゼルの発火能力さね?」

 

 アリーシャは着物の火の手を払い、後方に飛ぶ。

 ダリルはそれを視線で追った。

 炎もまた視線に従って生き物のようにアリーシャを追いかける。

 

「こんがりやいてやるよッ」

 

 炎は勢いを増し、徐々にアリーシャへ迫る。ダリルは仕留めるつもりで強く念じた。逃げ切れないと悟ったアリーシャはフォルテの背後に忍び込み、盾にした。恋人を盾にすれば、攻撃を中断すると踏んでのことだろう。しかし、ダリルは気を緩めない。炎がフォルテを襲う。瞳を見開くフォルテ。寸でのところで、彼女はISを展開して難を逃れた。

 あわや丸焦げに成りかけたフォルテを見て、アリーシャはカラカラと笑った。

 

「おやまぁ、恋人を丸焼きにする気かい。酷い恋人もいたもんなのさ」

「盾にしたおまえがいうな」

 

 睨み合う両者にフォルテが言葉を失う。方や自分を裏切り、方や自分を盾にした。

 誰も自分を大事に想っていない。両親に捨てられ、やっとみつけた居場所、それがココだったのに。

 信じていた何かが砕け散り、セカイが崩壊していく感覚に、フォルテは瞳に涙を蓄えた。その雫が床に落ちて砕ける。――――涙は凍っていた。からん、からん。そんな音色と共に、熱気で満たされていた待合室が冷気を帯びていく。発動していたスプリンクラーの水もいつしか凍って出なくなっていた。

 これが<レヴィアタン>の能力。

 情緒が乱れた彼女は無意識に専用機<レヴァアタン>の能力を発動させていた。

 

「ちっ、フォルテ、落ち着け。<レヴィアタン>を解除しろ」

 

 白い息を吐きながら停止を訴えるが、いまの彼女には届かなかった。

 

「てめぇ、アリーシャ! この落とし前どうつける気だ!」

「お互い様なのさ。ま、ちょいと予定は狂ったが、いいサ。フォルテ、我慢することはないのさ。その力をまき散らすがいい。そうすればきっと楽になる」

「楽に……」

 

 か細い声で答えたフォルテに、アリーシャが頷く。ダリルは目じりを釣り上げた。

 

「てめぇ、ここで<レヴィアタン>を暴走させる気か! やめろ、フォルテ!」

 

 叫ぶがやはり恋人の言葉は届かない。

 フォルテは虚ろな表情で、自らの専用機――<レヴィアタン>の力を解放した。

 

 

     ♡          ♣          ♤         ♦

 

 

 赤と緋の間で火花を散らす二つの剣。アリスは《ヴォ―パル》を翻して再び斬り払った。それをローズマリーは《レーヴァテイン》で受け止める。苛烈な鍔迫り合い。だが、徐々に<レーヴァテイン>が<赤騎士>を押し負かしていく。

 やはり、どの局面においても性能差が出る。速力でも、防御力でも、膂力でも。

 第四世代型の<レーヴァテイン>は《展開装甲》のモードを切り替えることで、ハイモビリティ、ハイパワー、ハイディフェンスを実現する。かてて加えローズマリーの操縦技術。ハイエンドの性能と世界トップクラスの実力が織りなす強さに、アリスは自らの勝ち筋を見いだせないでいた。このままでは負けるのも時間の問題かもしれないとさえ思えるほどに。

 そんな時、簪から通信が入った。

 

『アリス、あの人を倒したら援護に行く、なんとか持ち堪えて』

 

 劣勢だが、力強い、そして冷静な言葉。

 彼女はまだあきらめていない。

 彼女の頼もしさに勇気をもらったアリスは弱音を吐こうとした自分を蹴っ飛ばした。

 

「了解。――そういうことです。なんとしてでも持ちこたえますよ、<レッドクイーン>」

《Yes My honey――<赤騎士>、第二形態移行》

 

 サイドバインダーと非固定浮遊部位から射出した《シュナイダー》を背後で円環状に配置し、スラストリバーサーで後退。鍔迫り合いを脱した勢いのまま姿見を抜ける。《第二形態》の<赤騎士>なら、性能差はほぼ無い。アリスは姿見を抜けた勢いをPICで反転させ、《ジャバウォック》の貫手を繰り出した。

 ローズマリーは《展開装甲》を防御モードに切り替え、前方に六角の赤いシールドを展開して、その刺突を受け止める

 

「《第二形態》ですか。本気を出してきましたね」

「出しますとも、負けられないんですから――」

 

 アリスは腰部を軸にして、テイルユニットを鞭のように叩きつける。

 ローズマリーも同様に腰部を軸に、脚部のブレードでテイルコンデンサーを切断した。コマのように回る二機の間でそれが爆発する。

 

「負けられないのは私も一緒です。あなたに何かあれば、姉としてお母様に顔向けできません」

「そうやって姉ぶっているところが嫌いなんですよ!」

「姉ぶります。姉なのだから」

「姉だって言うなら、なんで一番つらい時、そばにいてくれなかったんですか!」

 

 アリスは姉を正面から見据え、心の裡を晒した。

 それが彼女の本音だった。

 両親を亡くした日。エイミーを失った時。悲しみにくれる自分のそばに、なぜ彼女はいてくれなかったのか。悲しいとき、慰めてくれる存在が家族のはずだ。いてほしいときにいてくれなかったくせに、いきなり現れて、姉面して、指図ばかり。それがアリスが言う“ウザイ”の意味だった。

 

「私のことを心配しているなら、再会してすぐに言うべきことがあったでしょ! 『大変だったわね』とか『苦労したのね』とか『よくがんばった』とか『もう大丈夫だ』とか。あなたは一度でもそんな言葉をかけてくれましたか!」

「……」

 

 妹の本心を聞き、ローズマリーが初めて怯む。

 おそらく最初で最後のスキ。アリスはステンドグラスの翼を羽ばたかせ、《ヴォーパル》を用いた渾身の一撃を姉に見舞った。―――その時。

 

 二人の間に黒いISが落ちてきた。

 

 黒炎のようなフォルムに、狗のような顔の非固定浮遊部位。操縦者は金髪をポニーテイルにしてまとめ上げている。第二試合に出番を控えていたダリル・ケーシーだった。

 突然の乱入に、アリスは攻撃を中断せざるを得なくなった。

 その彼女に一瞥もくれることなく、ダリルは体制を立て直し、ローズマリーに告げた。

 

「わりぃ、ローズマリー、しくじった」

 

 乱入者に会場がざわめくなか、ローズマリーは責めるでもなく「わかりました」と答える。

 そこへ楯無たちも試合を中断してこちらにやってきた。

 

「ローズちゃん、どうしたの?」

「楯無。試合は中断です」

「詳しいことは省くが、――理由はアレだ、生徒会長」

 

 ダリルがアリーナの向こう側にある海面を見やる。そこには天へ上る巨大な水の渦が発生していた。まるで天変地異の前触れ。自然現象とは思えないその光景に言葉を失っていると、氷柱の中から東洋の龍を想起させる長蛇型の巨大なISが現れた。

 

「……何あれ」

 

 簪が震えた声で言う。ダリルが答えた。

 

「<レヴィアタン>。フォルテ・サファイアの専用機<コールド・ブラッド>の本当の姿だ」

 


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