IS<インフィニット・ストラトス>―Deus Ex Machina   作:ネコッテ

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第96話 凍てつかない想い

 天に向かって吠える<レヴィアタン>の映像は管制室のモニターにも映し出されていた。

 学園と比較してもその全長は100メートル近い。しかし、その巨大さもさることながら、恐るべきは外気温が急激に下がり始めたことだった。学園に設置された観測計が示す温度はすでに零度を下回っている。

 信じがたい超常現象を目にして、真耶は悲鳴に近い声を上げた。

 

「お、織斑先生ッ!」

「おちつけ、まずは状況を把握しろ」

 

 言われて観測モニターを注視する。モニターが映し出す外界はすでブリザードに覆われていた。5メートル先も伺えない濃厚なブリザードだ。外は氷河期を迎えたような極寒の世界に変貌しつつある。

 

「こいつは気候を操るのか……」

 

 千冬もその巨大さと能力に言葉を失いかけるが、すぐに冷静さを取り戻した。

 いずれ<デウス・エクス・マキナ>を母から継承する身。あらゆる事態に備え、対処できなければ、組織の長は務まらない。そう胆に銘じていた彼女は、すぐさま行動を起こした。

 

「山田先生、生徒たちに避難命令を。可能なら防寒具の着用も。教師部隊も各自の機体で出撃。専用機持ちには、教師部隊と合流するよう伝えろ。合流次第、標的の注意を引きつけ、生徒が避難する時間をかせげ」

「りょ、了解!」

 

 三人いる通信担当は、各々に指揮の伝達を始めた。

 二組の副担任はアリーナで控える専用機持ちに教師部隊と合流するよう、三組の副担任は教師部隊に出撃を命じた。そして千冬自身はインカムを取出し、<デウス・エクス・マキナ>の指揮系統にアクセスした。

 

「ああ、私だ。事態b32に遭遇している。そちらの支援を要請したい。――わかった。準備が整い次第たのむ。それまで、何とか持ちこたえてみせるが、現状の戦力では、難しいかもしれん」

 

 アリーナ全体を見渡せる中央モニターに視線をやる。

 戦局はちょうど教師部隊と専用機持ちが合流しているところだった。

 

 

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 IS学園・食堂の厨房。吐く息が白いことに、ソフィアは気づいた。

 ボルシチを作っていた彼女は、手を止めて、外の様子を窓越しに眺める。結露を拭いた先にあったのは、白銀の世界であった。いま学園は凍りつつある。ありえない気候変動に、ソフィアは苦笑いを浮かべた。

 

「レインの奴、失敗したな」

 

 ロキもキーボードを叩いていた手を止め、外を見た。

 

「想定の内だ。そのためのコイツだ」

 

 ソフィアは寄生木の植木鉢に実るクルミサイズの物体を見やった。

 

「使えるのか?」

「いや、まだ最終ブログラムが完成していない。ソフィア、時間を稼いでこい」

「わかった」

 

 そのとき、校内放送が流れた。

 

『学園生徒、教員のみなさん、直ちに避難地区へ避難してください。そしてできるなら体温を保てる温かい格好をしてください。繰り返します――』

 

 真耶のアナウンスを聞いたロキは、通信機を取り出した。

 

「クロエ、アナウンスは聞いたな? 母さんと一緒に避難しろ。いいな」

『くーちゃんもお兄様のお手伝いするでございますッ』

「わかった。じゃあ、シャイニィはおまえが守れ。それがおまえの使命だ」

『わかったでございます! シャイニィはくーちゃんが守るでございます!』

「任せたぞ。だが、無茶はするな。おまえは“仮面のお姉さん”に守ってもらえ」

 

 そう言って通信を切る。

 

「クロエは無事のようだな。――で、おまえはどうする?」

「俺はアリーナの管制室に向かう。知恵は多い方がいいだろう」

 

 そう言ってジャケットに袖を通し、<ミストルティンの槍>をわきに抱える。ソフィアはスーツを脱ぎ、ISスーツに着替えると、自身の専用機<フェンリル>の準備に取り掛かった。

 

「わかった。あと風邪をひかないように暖かくしておけよ。バカは風邪をひかないらしいが、おまえは賢いんだから」

 

 そう言い残して、ソフィアは食堂を飛び出していった。

 

 

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 ホワイト・アウト。吹雪で視界が白に染まることをそう呼ぶのだったか。

 篠ノ之箒はそう思いながら、教師部隊と合流した。参加者はセシリア、シャルロット、楯無、簪、鈴、月子、フー、陰陽姉妹。そして、アリスとローズマリー。彼女たちはV字で飛行する教師部隊の後方についていた。

 

「にしても、イベントがあると、どうしてこうなるのかしらねぇ」

「ご都合主義だね」「それは言わないお約束だよー」

 

 鈴の愚痴に「くふふ」と顔を見合わせる陰陽姉妹。そんな双子をフーが「気を引き締めろ」と諌める。濃氷の中に超大型IS<レヴィアタン>を確認できるようになったからだ。

 

「まるで怪獣や……」

 

 月子が息を吞む。

 到底、パワードスーツと呼べないその巨大さと、クリスタルの鱗で覆われ全身。山脈のような背びれ。鋭い牙と角を生やした頭部。その形状はまるで機械仕掛けの怪獣だ。いまから迎撃に向かう自分たちはさながら地球防衛軍か何か。

 しかし、正義の主人公という気分にはなれなかった。そう楽観的になるには、敵のプレッシャーが強すぎた。

 

「標的を確認。これより攻撃フェイズに移行する。――全機、攻撃開始」

 

 V字に並ぶ教師部隊の編隊が20ミリ機関砲による一斉射撃を開始する。

 だが、クリスタル状の装甲にわずかなヒビが走るだけで有効なダメージは確認できなかった。そのヒビも数秒後には、内部から滲みだした水によって復元されてしまう。

 

「実弾が利かないなんて……」

「なら、お下がりなさいな、シャルロットさん。ここはわたくしたちの出番でしてよ、箒さん」

「ああ」

「よし、アルファチーム、およびブラボーチーム、彼女たちに道を開けてやれ」

 

 マルガリータの指示で教師部隊が下がり、箒とセシリアが前に躍り出る。箒は《雨月》を振るい、セシリアはBTレーザーを浴びせた。

 七本の赤い閃光と、一条の青い閃光が<レヴィアタン>に向かう。本来なら戦艦を鎮めるほどの大火力。しかし、それら閃光が<レヴィアタン>の装甲に命中すると、屈折してこちらに跳ね返ってきた。

 

「ちょっと!」「ふぁっ!」「ふぁ!」

 

 返ってきたレーザーを寸前のところで避けた鈴と陰陽姉妹は、箒とセシリアを睨みつけた。

 

「ちょっと何すんのよ」「危ないよ!」「危ないね!」

 

 箒は「すまない」と詫び、セシリアは「向こうに言ってくださいな!」と文句を言った。

 どうやら<レヴィアタン>の装甲は指向性エネルギー兵器を跳ね返すらしい。

 

「なんてやつだ……」

 

 箒は改めて相対する敵の強大さに戦慄を覚えた。実弾もエネルギー弾も通用しないうえ、100メートルを超える大きさである。一体どうやって食い止めろというのだ。

 

「怯むな。来るぞ」

 

 マルガリータが警戒を促すと、今まで悠然と攻撃を受け止めていた<レヴィアタン>がついに動きを見せた。背筋に並んだ山脈のような氷柱を一斉に放ったのだ。それは――ミサイルの弾頭だった。数は50以上。それが彼女たちをロックオンした。

 

「くるぞ、全機、散開。任意で対応!」

 

 マルガリータの命令に従って各機がミサイルを振り切ろうと戦闘機動を展開する。

 だがしかし、思うように対ミサイル機動を展開できない隊員から困惑の声があがった。

 

『く、スラスターの出力が上がらない……!? これじゃ降り切れないッ!』

『マニューバーに支障!! 誰か援護をッ!』

 

 <レヴィアタン>が生み出したブリザードによるスラスターノズルの凍結が原因だった。そのため、思うように速度を出せず、ミサイルを振りきれない。そこへ50を超える物量。教師部隊と専用機持ちたちは、思うように対応できず次々に被弾していった。

 

『こちら被弾。――なによこれ、機体が凍結して!』

『全機体に告ぐ。敵は特殊弾を使用。命中すると、機体が結晶体に浸食され――』

『く、こちらセシリア機。スラスター部分に被弾。航行に支障!』

『シャルロット機、被弾。ごめん、離脱しまっ――きゃ!』

 

 箒の視界の先で氷塊と化したシャルロット機が、さらにその向こう側では半身を結晶に覆われ、墜落していくセシリアが確認できた。なおも一機、二機……とやられていく仲間たち。それを目の当たりにして、箒の脳内に全滅の言葉がよぎった。

 

「くそっ。この、もののふめ! これ以上やらせるか!」

 

 箒は第四世代の万能性を活かし、吹雪をもろともしない速度で<レヴィアタン>に接近した。

 そして表面上にとりつき、《空割》を突き立てる。

 だが、巨体すぎて刃先がまったく内部に届かない。それどころか、<紅椿>の脚部が<レヴィアタン>の装甲と氷でくっついてしまい、溶接されたみたく動けなくなってしまう。このままでは氷に飲み込まれ――

 

「たくっ、考えもなく突撃するからよ」

 

 と言ったのは鈴だった。

 

「ほら、いま助けてあげるからジッとしてなさい」

 

 鈴は衝撃砲を箒に向けた。その衝撃で氷がくだけ、<紅椿>の脚部が<レヴィアタン>の装甲からはがれる。衝撃で吹き飛ばす。なんと乱暴な救出方法か。

 

「鈴、もうちょっとやさしく、――いや、助かった。しかし、鈴、よく無事だったな」

「あいにく、<甲龍>はこの程度の悪天候でへこたれるほど軟じゃないのよ」

 

 もともと<甲龍>の特長は、その屈強さにある。特殊な環境下――寒冷地や砂漠でも、パフォーマンスがほとんど低下しない。だからこそ、<レヴィアタン>が生み出したこの悪天候でも、十分な性能を発揮できていた。<甲龍>と同系列の<甲虎>や陰陽姉妹の専用機<干鞘/莫耶>も、また戦闘に支障をきたしていない。

 そして、彼女たちにそれをもたらしているのが、開発基盤となったロシア製第二世代型の技術。

 

「箒ちゃん、大丈夫?」

 

 だから、簪と共に現れた楯無も、ほとんど<レヴィアタン>の影響を受けていない様子だった。

 この悪天候でも動ける機体がある。これは光明が差したか。いや、天候を克服できたとしても、攻撃が通じないのではどうにもならない。

 仲間も大分に減ってしまっている。残っているISは、確認できるだけで、同じ第四世代の<レーヴァテイン>と<赤騎士>。<ミステリアス・レイディ>に守られている<打鉄弐式>と、<甲虎>に守られている<白鉄>、そして、陰陽姉妹とマルガリータ機のみ。他は視界の悪さとレーダー障害で確認できない。

 

「で、どんすんのよ。はっきりいって勝てる気がしないんだけど……」

 

 しかし、泣き言は言っていられない。この残存戦力で<レヴィアタン>を食い止めなければ、学園が壊滅しかねない。すると、管制室の千冬から通信が入った。

 

『全機、聞こえるか。これより<レヴィアタン>への“爆撃”を開始する。アリス・リデルを除く教師部隊および専用機持ちは指定の位置までさがれ』

「爆撃? それにアリスだけ?」

 

 一同の視線がアリスに集まる。

 アリスは「ようやくメインディッシュが用意できましたか」と言った。

 

「みなさん下がってください。ここにいたらまきぞえを食います」

 

 箒たちに撤退を促しながら、アリスが前線に躍り出る。

 何が行われるのか。わからないが、「ここは任せましょう」とローズマリーの一言で、箒たちは指定のポイントまで下がった。

 

 

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 アリーナ管制室に続く通路。

 率先して避難誘導を行っていた一夏は、その道すがら肌を突き刺すような寒さに腕をさすった。

 

「なんなんだ、この急な冷え込みは……風邪ひいちまうぞ……」

「おそらくは現れた巨大物体がもたらしているのだろう」

 

 一夏に同伴し、共に避難誘導を行っていたラウラが言った。

 

「みたいだな。しっかし、なんなんだ、あの馬鹿でかい怪獣みたいなのは」

「わたしにもよくわからん。ただ、あの大きさだ。施設を攻撃するために作られた戦術兵器の類とみていいだろう」

「じゃあ、あいつはIS学園を壊滅させるために現れたのか?」

「いや。壊滅させるつもりなら、もっと有効な時間帯や潜入ルートがあったはずだ。このタイミングと、出現場所から察するに、偶発的に現れた可能性が高い」

「時と場所を選ばねーなんて、ほんとうに怪獣じゃねーか」

「なんだとしても放置はできん。いま、教官たちが策を講じているはずだ」

 

 ラウラは、千冬たちがいる管制室の方向に視線をやった。そのとき、彼女たちの頭上を、猛スピードで何かが駆け抜けていった。長い円筒形の物体だ。それが火の尾を曳きながら、<レヴィアタン>の方角へ向かっていく。

 

「なんだアレ……」

 

 一夏の疑問に、ラウラが<ソリッドアイ>を望遠モードにして言った。

 

「あれは――――巡航ミサイルだ!」

 

 その数瞬後、アリーナの方角からけたたましい爆発音と火の柱が昇った。

 

 

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 <ウォルラス>から発射された巡航ミサイルは、アリスの最終誘導でレヴィアタンに命中した。

 激しい爆発に<レヴィアタン>が初めてのけ反る。鈴は「やりぃ」と指をならした。

 

「これやったでしょ」

「……“やったか”はやってないフラグ」

 

 ぼそっとつぶやいた簪をキっと睨む。高揚した気持ちに水を差され気分を害した様子だった。

 

「これだからオタクは……。そうやって、すぐアニメのジンクスやネットスラングをリアルに持ち出すんだから。ただでさえ、寒いんだから、そういう冷めることいわないでよね」

「でも、二号さん、簪ちゃんの言葉は正しかったかもやで」

 

 月子が睨んださきでは、<レヴィアタン>が再び立ち上がっていた。

 

「マジ!?」

 

 全身を覆うクリスタル状の鱗こそ剥がれ落ちているが、本体に損傷はない。その損傷もやがて滲み出てきた水によって復元されていく。間髪おかず、二発目が飛来するが、やはり表面上の装甲がはがれるだけで、機能停止に至るほどのダメージは与えられなかった。

 

「巡航ミサイルも通じへんなんて……」

「正真正銘の怪獣だな……」

 

 いかなる攻撃もまるで歯が立たない現状に、中国と日本の代表の声にも畏怖がにじみ出ていた。

 実弾もエネルギー兵器も、化学エネルギー兵器も跳ね返す装甲。ある意味で絶対防御ともいえるそれを無力化するすべがない今、誰もが撃破は不可能に思えた。

 

『全機に告ぐ。攻撃は失敗した。いったん、体制を立て直す。撤退しろ』

「なに、こいつを放置すんの?」

『“足止め係”がいまそちらに向かっている。おまえたちは撤退しろ』

「了解した。全機一時撤退する」

 

 マルガリータが応じる。いまこちらには対抗手段がないうえ、機体不良のISを抱えているのだ。戦闘を継続しても全滅するのが目に見えている。

 アリスたちも撤退に異論はなかったが、現場の事態はそうさせてくれそうになかった。ガラス玉のようなレヴィアタンのセンサーアイがギョロッとこちらを向いていたからだ。このまま素直に見逃してくれるとは思えなかった。

 

「では、私が残りましょう」

 

 ローズマリーが殿を買って出るが、楯無は首を横に振った。

 

「ううん、殿は私が務めるわ。<レーヴァテイン>の主兵装は荷電粒子砲でしょ。跳ね返されるわ。先のミサイル攻撃を見た限り、熱量を持った攻撃なら多少はダメージを与えられる。相転移で熱を生む《クリアパッション》の方がまだ有効なダメージを与えられるわ」

 

 ローズマリーは思案した。彼女の提言は正しい。それにアリーシャをまだ見ていない。彼女と遭敵を想定するなら<ヴァルキリー>と戦える自分はここに残らない方がいい。

 

「では私も残ろう」

「フーさんが残ってくれたら頼もしいけど、あなたは月子ちゃんをお願い。この環境下での撤退じゃ<白鉄>にもエスコートが必要だし。そこの双子ちゃんは、簪ちゃんをお願いね」

「わかったよ」「わかったね」

「無理はするなよ、更識」

「大丈夫です、先生。こうみえて“学園最強”ですから」

 

 楯無は余裕を見せるように扇子を開く。アリスは箒と、マルガリータは鈴、月子はフー、簪は陰陽姉妹とバディーを組み直し、機体を回頭させる。最後に全体を守るようにローズマリーが編隊に寄り添う。

 全員が撤退の準備に入ったところで、簪が視線を楯無に向けた。

 楯無は「大丈夫よ、お姉ちゃんは無敵だから」と笑って見せた。簪は笑わなかった。

 

「では、撤退する。全機、ローズマリーに続け」

 

 ローズマリーが先頭を切って、アリスたちが前線から離脱していく。

 それを見送ることなく楯無は《蒼流旋》を頭上で回して構えた。

 

 

     ♡          ♣          ♤         ♦

 

「殿を務めるなんていったものの、どうするか」

 

 鎌首をもたげる<レヴィアタン>をまえにして、さしもの楯無のさすがに戦いていた。

 けれど、やるしかない。私は学園最強の生徒会、そのように振る舞うだけだ。

 

「――さて、いくわよ、<ミステリアス・レイディ>」

 

 楯無は《アクア・ナノマシン》のディスペンサーを解放し、水の位相を操る分子機械群(MEMS)を放出する。それをお伽噺に登場する人魚の形に模り、近衛のように配列させた。

 こいつの注意をどうひきつけるか。その策略を練る楯無に、<レヴィアタン>は咢を大きく開いて咥内を覗かせた。まるで底なし井戸のような喉から出てきたのは、パラボラアンテナのような装置だ。

 そのアンテナの先端に不気味な青白い光が灯る。

 光の正体が何かはわからない。わからないが、ひどくまずいことはわかった。

 あの光は撃たせてはいけない。

 ましてや、射線上に撤退する仲間がいる、この状況では絶対に。

 考えるより早く、ほとんど反射的に、楯無は切り札の名前を叫んだ。

 

「<スカーレット・レイディ>モードオン!!」

 

 楯無の全身を包む水のマントが赤色に染まりあがる。

 <スカーレット・レイディ>モード。ナノマシンの出力をオーバーロードさせて、破壊力を爆発的に高めるモードだ。楯無は赤色化したナノマシンの水を《蒼流旋》にまとわせて、瞬時加速を使った。

 加速の威力を乗せた鉾先が、<レヴィアタン>の喉元を下から突き上げる。その衝撃で、青い光線が撤退する仲間からIS学園の中央タワーへそれてくれる。身代わりになった中央タワーは、まるで液体窒素につけたバラのように砕け、倒壊していった。

 

「なんて威力なの……」

 

 真ん中からぽっきり折れる<ユグドラシルタワー>に楯無は絶句する。

 でも、なんとか、しのいだ。――そう安堵した束の間、<レヴィアタン>のガラス玉のようなセンサーアイがギョロッとこちらを向いた。

 

「なに、文句でもあるの」

 

 <レヴィアタン>は何もいわない代わりに龍咥を見せた。

 整列した鋭い牙が楯無に迫る。――噛みつこうっていうの!

 

「ちょ、ちょっと、お姉さん、食べてもおいしくないわよッ」

 

 楯無は機体を後方に下がらせるが、<レヴィアタン>はその図体に似合わない俊敏な動きで楯無を追いかけた。楯無は《蒼流施》に備わった12.7ミリガトリングで応戦するも、相手は20ミリ弾を跳ね返した怪物だ。まったく意に反さない。

 

(まずい。こっちは《アクア・ナノマシン》がもう使えないのに……ッ)

 

 <スカーレッド・レイディ>は高い攻撃力を得る代償として、使用後ナノマシンが使えなくなる。その状況では、身を隠すことも、反撃することも敵わない。ありたいていにいえば、絶対絶命だった。

 なおも迫る<レヴィアタン>の(アギト)が、ついに楯無の頭上へ迫る。

 寸でのところで何とか支えるも、暴虐な圧力に<ミステリアス・レイディ>が軋みを上げた。

 <警告:フレーム強度を超える圧力を検知>

 <警告:大腿部骨格に歪が発生。変形の恐れあり>

 <警告:上腕部骨格に歪が発生。変形の恐れあり>

 <警告:第七アクチュエーター出力低下【原因】電磁筋肉の断裂>

 <警告:第三アクチュエーター出力低下【原因】電磁筋肉の断裂>。

 無数に乱立する警告メッセージは<ミステリアス・レイディ>の悲鳴のようだった。

 

(耐えて、ミステリアス・レイディ!)

 

 出力を膂力に回して、なんとか持ちこたえるが、限界の扉は確実に開きつつあった。

 万力で押しつぶすような緩慢さで機体が圧潰していく

 さしもの楯無も「ここまでかしら……」と限界を感じとった。――その時、<ミステリアス・レイディ>にかかる圧力がわずかに緩和された。

 

「……なに?」

 

 ぎりぎりのところで持ち直した楯無は、すんでのところで滑りこんできたISを見やる。

 間一髪のところで、彼女を助けたのは――

 

「……お姉ちゃんはやらせない、から」

 

 妹の簪だった。

 

 

     ♡          ♣          ♤         ♦

 

 

 間一髪のところで、彼女を助けたのは妹の簪だった。

 手には彼女がもっとも得意とする得物――対複合装甲超振動薙刀《夢現》。それをつっかえ棒にして、簪は暴虐のアギトを受け止めていた。

 

「か、簪ちゃん!? どうして戻ってきたの!!」

 

 果敢に自分を救い出そうとする妹の姿を見て、飛び出した第一声はそれだった。

 妹は我が身を危険に冒して立ち向かうような勇者じゃない。臆病で、か弱い、そんな妹が戻ってきたことに楯無は驚きを隠せなかった。

 

「どうして、どうしてなの……」

 

 このトーナメントが始まってからというもの、妹はずっとそうだった。彼女は自分に立ちはだかる壁へ果敢に立ち向かおうとする。臆病者と言われた簪の一体なにがそうまで彼女を駆り立てるのか、姉にはわからなかった。

 

「……認めてもらいたいから」

 

 簪は白い吐息と共に胸中の想いを吐き出した。ずっと、ずっと秘めていた姉への想いを。

 

「……いま、国防の在り方が変わって、いろんな責任や負担が更識に覆い被さってきてる……。それをお姉ちゃんは全て一人で背負おうとしてる。……わたし、知ってるよ、お姉ちゃんが何で楯無になったのか。わたしに負担をかけさせないためでしょ」

「それは……。そうよ。でも、姉なら妹に苦労を――」

「それがずっと嫌だったのッ!」

 

 簪は姉の想いを強い口調で撥ね付ける。

 面を食らった姉に、妹は自らの想いをぶつけた。

 

「だって、わたしたち姉妹なんだよ! 助け合うための姉妹なんじゃないの!」

 

 姉は妹を守るもの。それが姉の価値観だった。

 けど妹は違った。“守る・守られる”関係が姉妹じゃない、互いに支え合う関係が姉妹だと。血を分けた姉妹だからこそ、簪は姉と苦労を分かち合い、支え合いたかった。

 

「……でも、分かってた。わたしはお姉ちゃんを支えられるような強い人間じゃないって」

「そんなことないわ!」

「あるよ! わたしがダメな子だから、ひとりじゃ何もできない子だから、裏で手を回していたんじゃないの? それは私の力を信じてくれてもいなければ、認めてくれていない証拠だよ。違うって言うなら、なんで<ミステリアス・レイディ>の開発にわたしを呼んでくれなかったの!」

 

 楯無に再び強い衝撃が襲った。

 アリスに大破させられた<モスクワの深い霧>を改修するさい、彼女は自分の伝手を使い、腕の立つ技術者を集めた。布仏虚や黛薫子。ミステリアス・レイディの心臓ともいえるナノマシン制御ソフトウェア<ウンディーネ>の開発は、<倉持技研>にいるISのソフトウェア開発のプロフェッショナル篝火ヒカルノに依頼をした。その開発チームに簪の名はなかった。

 なぜ、呼ばなかったのか。わからない。もしかしたら、簪が語ったとおりなのかもしれない。

 開発に呼ばなかったのも、裏で手を回したのも、簪がダメな子だと決めつけていたから。

 

 ――私が全部してあげる。だから、あなたは無能なままでいなさいな。

 

 私は妹をそう思っていたのか。すくなくても、簪にはそう思われていた。

 だから、簪は自分に対する評価をひっくり返したかった。ひっくり返して、頼られるような妹になりたかった。独力の専用機開発にこだわったのも、我武者羅に立ち向かってきたのも、すべては姉に認めてもらいたかったから。

 

「簪ちゃん、あなた……」

 

 どこまでも姉を想い、健気に努力しようとしてきた妹に、涙があふれる。

 それに比べて自分は――。妹に劣等感のレッテルを張り、臆病と決めつけて、本当の姿を見ようともしなかった。結局、自分は「ダメな妹の世話を焼くできた姉」をしたかっただけ。

 

「ごめんね、こんなお姉ちゃんで。私、あなたのこと何にもわかっていなかった」

「……ううん。わたしこそこんな妹でごめんね。でも、いまだけはちゃんと守るから」

 

 支えていた《夢現》が軋みを立てる。そうながく持ち堪えられそうになかった。

 

「行って」

 

 簪ははっきりとした声で、姉を突き飛ばした。それを境に、支えになっていた《夢現》が壊れ、暴力的な圧力がいっきに簪を襲った。

 口を閉じた<レヴィアタン>を見て、楯無は視界が真っ白になった。周りが濃氷に包まれていたからじゃない。堰きとめていた簪の姿が猛龍の咥内に消えたからだ。

 

「か、かんざしちゃん……?」

 

 返答はない。ただ、代わって<レヴィアタン>が天に向かって咆哮した。

 憎しみは湧いてこず、途方もない悲しみだけが襲ってきた。本当の悲しみに直面したとき、人は怒りすら忘れるものだと、楯無は始めて思い知った。

 涙も凍って流れてこなかった。

 怒り狂うことも、泣くこともできず、楯無は虚無の世界で立ち尽くしかできなかった。

 まるで糸切れの傀儡人形のような楯無を、<レヴィアタン>が再び喰らおうとする。

 “行け”と言われたのに、体は動かなかった。あの奥に妹がいるかもしれないと思うと、このまま食われてしまっていいかもしれないとさえ思えた。

 <レヴィアタン>の咢が迫る。楯無は目を閉じた。――次の瞬間、強い横殴りの衝撃が彼女を襲った。すんでのところで<レヴィアタン>の攻撃から彼女を逃したのは、狼のような姿をしていた。

 

「ソフィア……」

 

 <霜氷の大狼(フェンリル)>をまとったソフィアは、ビシッと尾を立てた。怒った犬がそうするように。

 

「見ていられないな。なんだ、その貌は」

「だって、簪ちゃんが、簪ちゃんがッ!」

 

 楯無はソフィアの胸に飛び込んだ。柔肌のぬくもりにふれて、ようやく涙が楯無の頬を伝った。

 ソフィアは「そうか」と楯無をその腕で慰めてやる。

 そんな二人へ<レヴィアタン>が再び龍腔を開く。放たれた咆哮には攻撃の意図が見てとれたが、ソフィアは動かなかった。

 

いま、とりこんでいるんだ、すこし黙ってろ

 

 狼が縄張りに入ってきた他種族を威嚇するような、そんな睥睨だった。

 その睨みと共に<フェンリル>の周囲が陽炎のように歪む。やがてそれは、ひとつの大狼となって、<レヴィアタン>の喉元に噛みついた。途端、<レヴィアタン>の全身が凍り始めていく。

 神をも殺したとされるフェンリルの牙は、やがてドラゴンを氷の眠りへと誘っていった。

 

「いまのうちだ。<フェンリル>の力でもそうながく奴を食い止めてはいられない」

「いやよ、私はここを離れない。簪ちゃんのそばにいる」

 

 髪を振り乱す楯無にソフィアは淡々と答えた。

 

「それはできない。オレはキミの妹から『キミを頼む』と任されている。ここで無残にやらせるわけにはいかない」

 

 もう何度目だろうか。こうして妹に衝撃を受けさせられるのは。

 

「話せば長くなるが――わたしがこんなんだから。わたしの代わりに姉の力になってほしいと言われていた。彼女はキミを大事に想っている。だというのにキミは“もうどうにでもなれ”と言う。キミはどこまで人の気持ちを無下にすれば、気が済む」

 

 楯無は俯く。こうやって本気で誰かに叱られたのは久しぶりだった。

 偉くなって叱れる人もいなくなってしまったから、すっかり忘れてしまっていた。甘やかすだけが優しさじゃない。厳しく接することも優しさだってことを。簪が欲しかった優しさはこういう優しさだったのかもしれない。

 

「そうね。そうやって私が妹の気持ちに気づいてあげなかったから、簪ちゃんは……」

「気を病むのも、懺悔するのも、明日にしろ。いまはすべきことがある」

 

 そうだ。いまは後悔する時じゃない。ソフィアが作った時間を有効活用し、体制を立て直して、<レヴィアタン>をどうにかする。それがいますべきこと。

 

「安心しろ。<打鉄弐式>も、それを作り上げた簪も、簡単にやられるようなタマじゃない」

「うん」

 

 心から頷づく。――そうだ、妹は簡単にやられてしまうような子じゃない。

 楯無は初めて妹を認めることができた気がした。あとはこの気持ちを妹に伝えるだけ。

 

(待っていて、簪ちゃん、すぐ戻ってくるから)

 

 凍りついた<レヴィアタン>にそう告げて、楯無は戦場を後にした。

 


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