地を覆う摩天楼の中、ひときわ大きくそびえる一本の塔があった。雲を貫く塔の足元に、その影のごとくたたずむ一人の男がいる。
ただ腕を組んだまま、雲にさえぎられてみることのできない生まれ故郷――塔の頂を見上げている。
そこには音がなかった。
静寂が支配する世界で、そこに唯一存在する男は孤独をむさぼっていた。
心地のいい世界だ。かつては身を焦がさんばかりだった”渇き“も、醜く争いあう人間たちも、生きることを邪魔してくる敵もいない。
――そのはずだ、なのに。
背後から聞こえてくる小さな足音を聞いとき、全身の血が沸き立ち、止まった世界が動き出すのを感じた。
「すげえ……!まるで世界樹みたいだ!」
少年は間の抜けた顔で塔を見上げながら、近づいてくる。
「まさにそれそのもの。てめえらの世界に中心にそびえる世界樹だ」
男は”来客“のほうへ向き直る。
「よう小僧、はじめまして、だな」
「あ、ああ……うん。はじめまして……」
少年は、たじろいだ。大人との会話は慣れているつもりだが、何しろ相手は背が倍ほども違う、筋骨隆々の鎧の大男だ。
しかし、礼節には礼節を自己紹介することにした。
「オレの名前は――」
「レックス、だろ。知ってるぜ」
「えっ、なんで……!?」
「触れただろ俺のセイレーンのコアに、そのときにな。お前さんだって知ってんだろう、ブレイドとの同調は」
確かに聞いたことはあった。コアクリスタルと人間が同調したとき生まれる亜種生命体、ブレイド。彼らは生まれた時から自らの名前も言葉も、そして同調した人間のことも理解しているのだと。
だが、それを聞いて一つの疑問が浮かんだ。亜種生命体に共通する特徴がその男にはなかったからだ。
「じゃあ、あんたはブレイドってこと?でもあんたの胸にはコアクリスタルがないよ」
「まあなあ、こうしてここにいる俺は影……幽霊みたいなもんさ」
「幽霊?」
男は自嘲気味に笑ったが、レックスはその意味を理解しかねた。
「ここはどこなの。雲海も全然見えないし、アルストとは思えないけど……。まさか、あの世とかじゃ……!」
「あの世か、言いえて妙だな。ここは俺の走馬燈の世界、
「……」
レックスはあたりを見まわした。地に生える建造物は、直方体や立方体でどの
500年前までアルストに君臨したというイーラ、ユーディキウムすら凌ぐ文明があったのだと想像できた。
この世界を包んでいる不気味な静寂は、死者の国だというには十分だったが、目の前の大男の妙にギラついた眼を見ているとそうは思えなかった。
「オレ死んだってこと?そもそもオレ何でここにいるんだっけ……」
記憶をたどってみる。
覚えていたのは大きな胸像――腕も足ももがれ、コアクリスタルのようなまがまがしい赤を腹に抱えていた。全体に侵食され、依頼人がとても古く歴史的な価値があると言っていたのも納得だ。
雲海に沈んでいたそれをサルベージ船に引き上げ、仕事の成功と互いの無事を仲間たちとねぎらいあった。
何の予兆もなく、砲撃が直撃した。吹っ飛んだ人の中には、知った人たちがいた。サルベージャーになりたてのとき応援してくれた人、ガキだって見下して陰口をたたいてたやつ、そいつらがオレの命綱を切ったとき必死になって助けてくれた人。
傾いた船の柱につかまりながら、オレはみんなが雲海に落ちていくのを見ていた。
砲撃の轟音がやんで、次はドライバーたちが乗り込んできた。ブレイドから力を供給され、超人と化したドライバーに、生き残りも斬殺されていった。
オレも目をつけられた。逃げなければ殺される。
思っても体は動かず、恐怖に足がすくんで背中の壁に――胸像にもたれかかった。
「お前の恐怖と怒りが俺を呼び覚ました……」
「あ、あぁ!クソっ……!なんで!みんな、みんな殺された……!アイツらに……ッ!」
レックスは頭を抱え、こらえていた。怒りと理不尽に血が沸き立って今にも爆発しそうだった。
「奴らが狙っていたのは俺だ。アーケディアは俺の存在を許さない。俺に接触しようとする人間もだ」
アーケディア……そう
(アイツら、神の言葉の代弁者なんて言っていても、やっていることは単なる虐殺じゃないのか!?)
だが怒りは絶望へと転化する。
ここは死者の国と、男は言った。つまり……。
「オレは死んだのか……。結局何にもならず、“楽園”も行けないまま……。あんなに大見得切って夢をかなえるんだって、村を出て行ってこの様かぁ……。ハハ」
力なく笑うレックスだった。しかし、男は飢えた獣のように笑った。
「小僧、力が欲しいか?」
「えっ?」
「お前はまだ死んでない。もっともこのままじゃ確実に死ぬ、運命ってやつさ。誰もあらがえない世界の流れ。だが、俺の力を使えば生きられる。生きて、神の住む楽園へ行くっつう夢も叶う」
「オレの夢、どうして」
「言ったろうが、俺がお前のブレイドだからだ」
男は笑っている。それは生きようとする意志を持った目だった。
不思議だ。この男は自分を幽霊だと言いながら、生きているはずの自分よりも元気なんじゃないか。レックスはそう思うと、口の端が上がっていることに気づいた。
「あんた図体でかいくせにオレの夢を笑わないんだな。みんな楽園は禁足地だって、アーケディアに従ってるのに。あんた何者なんだ?」
「なーに、俺は天の聖杯。“
男は不敵で、何も恐れていない。たしかにこの男は、楽園への道を切り開いてくれるだろう。そう確信するとともに、どうしても腑に落ちない点があった。
「なるほどね!故郷への道なら迷うことはなさそうだ。でもさ、この話ちょっとできすぎだよ。あんたは力をくれるけど、オレは何を返せばいいのさ。“幽霊に体を乗っ取られました”なんてオレはごめんだよ」
「へっ!甘い話にホイホイ乗るようなガキじゃないってか。そう俺は幽霊、肉体もなければ力もわずか。完全な復活のためにも、小僧、お前の身体が必要……ってオイ!何逃げてんだ!」
レックスは胸を手で覆いながら、内股でズザザッ!と下がった。……いや、そういう話じゃないのはわかってるんだけど。
「俺からの要求は2つ。現実で活動するための肉体を構成するための遺伝子情報。ま、実質的に通常の同調と変わらん。小僧には何一つリスクはない。ただ俺が不安定になるってだけだ。だがもう1つ、俺が残した剣……モナドの恢復。これはやってもらう」
「モナド……それが力?もしかして、その剣のおかげで幽霊のままいられるのか」
「勘がいいじゃねえか。そういうこった。モナドは俺の力で俺自身でもある。だから手にすれば俺は完全復活!確実に楽園まで行けるだろうさ」
このままでは死ぬ。そういう状況ではあるが、追い詰められて仕方なくではない。前向きな気持ちで楽園へ行ける。
滅びゆく世界アルスト、神の怒りを買った人間。そういわれたって受け入れられわけがない。
争いのない楽園があるなら移り住めばいい。神様を怒らせたっていうなら、許してもらうまで謝ればいい。
そして何より知りたい、
雲海に沈んだサルベージ品はおもしろい。役にも立つ。
でも下ばかり見て終わりたくない。空に輝く緑葉のその先を見てみたい。
「どうする小僧?俺とともに世界にあらがうか。運命を受け入れ死を待つか」
大きな手が差し出される。背だけじゃなくて手の大きさも倍あるんじゃないか。
「別にいいけどさ、名前も知らないやつとは組めないかな」
「ん?そういや名乗ってなかったな。俺の名はメツ。気軽にメツ様って敬ってくれてもいいんだぜ」
「よろしく、メツ!」
ガシッっと握手が交わされる。固く握手してくるので、その分握り返すと、また強く握ってくる。ふふふ、ハハハとお互い意地の張り合いをして、離した時には感覚がなかった。
「これが世界樹なら、楽園はこの上にあるんだよな……」
少年と男は二人で空を見つめる。塔の頂は雲に隠れて見えなかった。しかし、彼らには未来が見えていた。楽園へたどり着き、神に会う未来が。
「そうだ。小僧、俺が楽園へ連れて行ってやる!」
欲する男と願う少年。
こうして二人は出会った。出会いとは別れの始まりとも気づかぬままに。