合州国
1960年代
「吸血種の方々に関してですか?」
「一般的に優れた膂力、飛び抜けた瞬発力、常人より長い寿命、特異な同族形成は良く知られてはいますよね」
「え、種族としての話や市民権運動とは関係ない分野でのお話と」
「しかも、大戦中の?いや、確かに資料としては幾つかは有りますが大体は合州国や連合王国の従軍者あたりですよ。共和国や協商連合関連は本土が帝国に占領された関係で資料が集まりませんし」
「え?帝国の?それこそ資料なんて有りませんよ。戦中戦後の混乱でほぼ資料が散逸したりして、マトモな資料はありません。」
「戦場伝説の類いならありますが、それでも幼子が戦場で血を啜っていたという荒唐無稽な話ぐらいですよ」
吸血種市民権団体
朝 ライン戦線 後方駐屯地 大隊長私室
駐屯地にある宿舎の外から絶えず雷鳴に似た音が響いていた。
「少佐殿、今日も一段と響いていますね」
「ああ、セレブリャコーフ少尉。味方か敵かは知らないが、朝から仕事熱心なことだ」
敵か味方のどらかの砲兵隊による朝の定期便。
戦場では物珍しくもない日常の光景。
そう日常の光景。
私が望む日常の光景とは真逆のモノ。
慣れて適応さえすれども、心が安らぐことはない。
ただ、戦場の日常といえば今こうして私室で少尉と芋ばかりの朝食を共にし、その後の身支度を任せるのも私の日常と化している。
「芋ばかりは飽きる……」
「まだまだ兵站線が確立されてませんから、もう暫くは続くかと」
「はぁ、後方の兵站駅が稼働するのを待つしかないか」
「そうですね、噂ではもう少ししたらアレーヌからの兵站線が稼働するそうですよ」
「それは、誰からの話だ?」
「ええと、ライン司令部にいる同窓の友人から」
「なるほど、それなら本当の話だろうな」
少尉の話が本当なら、嬉しいことだ。
兵站が整う事は前線で戦う全将兵が心の底から望む願い事の一つだ。
兵器、弾薬、被服、糧食等その全てが不足する事は須らく恐怖だ。
現時点での補給体制を思うと、いま食べ終えた芋の朝食も有り難く思える程なのだ。
食べる物が有るだけマシなのだと。
「さて、少尉。従兵の真似事をさせてスマンが、身支度を終えたら食堂まで食器をお願い出来るかね?」
「はい、少佐殿。それと小官に謝らなくて大丈夫です。好きでしている事ですので」
「そうか、ありがとう少尉」
そう言い食卓の椅子から降り化粧台へ行こうとした所で、少尉に呼び止められた。
「少佐殿、申し訳ないのですが今週の特別配食をお忘れですが……」
その瞬間、忘れていたかった事実を思い起こさせた。
同時に存在Xへの憎悪を思い起こさせる。
そこまでして、そこまでして自由意思に基づく人の意思を、私たる自己を貶めるのかと。
「少尉、私にはその特別配食は必要ない。軍医殿に返しておいてくれ」
そう言い、先ほど少尉が朝食と一緒に食卓に置いた小瓶…前世の栄養ドリンクの瓶に類似している…を軍医に返すように伝える。
「しかし、軍医殿からは最低でも週に1度は特別配食を飲んで頂かないと困ると、言われております」
「それなのに、少佐殿はもう2週間も特別配食を飲んでおられません。今週は飲んで頂かないと」
少尉はそう言い、食卓の上にある小瓶を手に取り私に渡そうと、目の前に寄ってきた。
恐らく、少尉は完全な職務上から進言してきたのだろう。
私も少尉の立場ならそうしただろう。
上司が持病等を患っていたら、その持病に対する薬の服用を勧めるだろう。
体調の異変は仕事に対するパフォーマンスに直結する。
上司の仕事に対するパフォーマンス効率が悪化すれば、自分にまでその影響が及ぶ。
少尉の言うとおりだ、感情より仕事を優先しよう。
「分かった、少尉。飲もう」
「本当ですか、少佐殿!」
まるでその場で跳び跳ねる様に喜ぶ少尉の姿から、どうも大きく仕事の効率が落ちていたようだ。
そこまで、少尉に迷惑をかけていたのか。
反省せねばならんが、やはりコレばかりは勘弁願いたい。
私が、私である限り。
だが、とりあえず目の前のコトを済まそう。
小瓶を少尉から受け取り、瓶の蓋を開け一気に呷った。
その瞬間、口のなかが甘さで満たさる。
チョコ等とは違う、形容し難い甘さだ。
そして、前世で酒を飲んだときと同じ酩酊感が襲う。
同時に全身が満たさる感覚。
だが、心は身体の満たさる感覚とは正反対に乾いていく。
そう、どうして私は他者の血を飲んでこう満たされるのかと。
小瓶に入っていた血を全て飲み干し、小瓶を少尉に押し付ける様に渡してから化粧台前の椅子まで歩き、満足感と酩酊感からか椅子に座り込む。
何故か血を飲んだ直後は酷く酔ってしまう。
椅子の背に身体を寄りかからせ、少し楽になろうとするが酔いは治まらない。
経験上から10分程すれば治るのは分かるが、その酔いが醒めるまで少尉に酔った姿を晒すことになるのが困りモノだ。
ああ、考えるのが億劫になってきた。
とりあえず、酔いが醒めるまですこし休もう。
仕事はそれからだ。
深夜 大隊長執務室
渇く。
酷く喉が渇く。
血を飲んだ日は酷く喉が渇く。
喉の渇きの理由は分かりきっていた。
軍医の話いわく、血を摂取しない期間が続くと、次に摂取した際に反動なのか1日程は血に対する欲求が高まるらしい。
また、欲求が高まるだけで身体に対しての異常はあらわれないので安心しても良いと言われた。
しかし、ギリギリで我慢できるラインの欲求を1日中耐えしのぐは苦痛だ。
血は飲みたくない、しかし、身体は血を飲みたいと欲する。
朝から執務室のデスクにむかい、書類仕事を行ってきたが、その耐え難いジレンマのせいで仕事は全く捗らなかった。
もう今日は仕事は終わりにして休もうか。
しかし、体調管理も出来ず挙げ句には仕事も終わらせられない無能と思われるのも勘弁願いたい。
幸い、もう少しで仕事の区切りはつきそうだ。
区切りをつけたら、早々に休もう。
明日もまた仕事《せんそう》なのだから。
その時、ドアをノックする音が聞こえた
。
ノックの音で反射的に私は「入室を許可する」と声に出してしまった。
入ってきたのはセレブリャコーフ少尉だった。
「セレブリャコーフ少尉どうした。緊急の要件か?」
「はい、いいえ少佐殿。少佐殿の体調を心配しまして様子を見に来ました」
どうやら、少尉に心配されるぐらいには今日の私は酷いモノだったらしい。
「少尉、それは心配させてスマンかった。だが、体調に関しては心配ない。少尉は帰ってよろしい」
ここまで上司が言ったなら、流石に少尉も帰るだろ。
「僭越ながら、少佐殿はお苦しいのではないでしょか」
少尉はたまに見せる頑固さを発揮し、私の体調を聞いてくる。
今回ばかりはその頑固さが恨めしい。
いま、私は、酷く、喉が、乾いているのだ。
それなのに、いま、少尉は、私の、体調を、案じて、声をかけつつ、私がいる、デスクまで、近寄ってくる。
「少佐殿、私は大丈夫です」
少尉が、なにか、いっている。
「私は少佐殿に血を吸われるなら大丈夫です」
血を、吸っても、だいじょうぶ。
血を、すっても。
血を。
張りつめていた糸が切れる様に、私は隣まで近寄って来た少尉に襲い掛かった。
床に少尉を押し倒し上半身に馬乗りでのし掛かると、軍衣の襟首から覗く白く柔らかそうな首に牙を突き立てた。
皮膚と肉を切り裂き、牙を血管に届かせ血を溢れさす。
少尉は痛みから小さく悲鳴が漏らす。
しかし、その声すらも今の私にとっては飢餓感を和らげる要素にしかならない。
牙を血管から外すと首筋から血が溢れでた。
私はその血を舐めとる。
血を口に入れた途端に喉の渇きが癒され、口の中は甘美な味で満たされていく。
そう、この味だ。
この血の味を思う存分に飲みたかったのだ。
更に血の味を楽しもうと首筋に空けた牙の痕から執拗に血を舐めとる。
私が首筋に舌を這わせる度に、痛みからか少尉は小さな声を上げる。
しかし、私は目の前にある少尉の血に夢中だった。
もっと味わいたい。
もっと飲みたい。
しかし、首筋から血を飲んでいると何時もの酩酊感が襲い、私は気付かない内に意識を手放していた。
翌朝 大隊長執務室
朝の陽光を感じ、頭がボンヤリとだが覚醒しだすと同時に身体が柔かな感触を感じる。
はて、私は昨日はデスクに向かって書類仕事をしていたのでは無かったか。
仮眠用のベッドに入り込んだ記憶もないし、とすればデスクで寝落ちした筈。
だが現実には何か柔かなモノに包まれている感触がする。
この柔かな感触はあの固い軍用ベッドでは無さそうだ。
そこまで、思考を巡らせてから目で見て確認しようと目を開く。
視界にはセレブリャコーフ少尉の顔が映った。
まて、まてまて。
何故に少尉の顔が目の前にあるのだ、昨日は深夜までデスクに向かい仕事をしていた筈だ?
いや、そういえば少尉が訪ねてきた記憶が……。
その瞬間に寝ぼけていた頭が覚醒し、周囲の状況を認識し始めた。
私はいま、執務室の仮眠用ベッドで少尉に抱き付かれながら寝ている。
そして、私の記憶違い出なければと思いながら少尉の首筋に目をやると、くっきりと血を吸った痕が残っていた。
ああ、やってしまった。
部下に、しかもうら若き女性に暴行するなど最低な行いではないか。
とりあえず、隣で未だに私を抱き締めながら寝ている少尉を起こさねば。
「起床!少尉、起床だ!」
「は、はい!少佐殿!」
少尉の耳元で起床と叫べば、悲しい軍人の性ゆえに少尉は跳ねる様にベッドから飛び上がり、ベッドの横にへと立った。
そして、飛び上がり過程でベッドへと放り投げた私に向かって、惚れ惚れするほど綺麗な敬礼を行った。
「セレブリャコーフ少尉、ただいま起床致しました!」
「よろしいセレブリャコーフ少尉、休め」
少尉に声を掛けた後にベッドから降り、私は少尉に身体を向けると深々と頭を下げ謝った。
「セレブリャコーフ少尉、昨日はすまなかった」
「少、少佐殿!私は大丈夫ですので、頭をお上げください」
「いや、しかし私は少尉に謂われなき暴力を振るったのだぞ。少尉が望むならどの様な責任でも取る」
少尉は私の言葉を聞くと少し黙った後に、私に声を掛けた。
「わかりました、少佐殿。お手数ですが小官に付いてきて下さい」
そう言って少尉は私の手を握ると、私を引き摺る様に歩きだした。
「お、おい少尉!私は一人で歩けるぞ!」
しかし少尉は返事を返さずに執務室を出て、私を引っ張りながら廊下を進んでいった。
やはり、このまま憲兵隊に引き渡されるのだろうか。
普通に考えれば犯罪者を治安組織に引き渡すのは道理なのだ。
少尉がそれを厭う理由が無い。
ああ、この忌々しい吸血種としての本能が私の人生設計の足を引っ張る事になるとは、存在Xに災いあれだ。
そうこう考えている間に、少尉は目的の場所に着いたのか、ある扉の前で立ち止まり自らの姓官名を申告した後に扉を開け、私を連れ立って部屋に入った。
「おはよう、セレブリャコーフ少尉。朝から少佐殿と一緒にどうしましたか」
「はい、軍医殿。おはようございます。以前に仰られていた特定吸血種への専任血液提供申請に参りました」
軍医殿?
それに、特定吸血種への専任血液提供申請?
少尉は何を言っているのだ?
憲兵隊ではないのか?
「あら、では少佐殿が遂に同意したの?」
「はい、先ほど許可を得まして」
「そうですか、では此方の書類にお二方のサインをお願い致します」
「はい、わかりました軍医殿」
軍医は近くの書類棚より書類を一枚取り出すと、それを少尉に手渡した。
少尉はそれを受けとると、軍医との敬礼時に手放した私の手をもう一度取ると、そのまま近くのデスクに私を座らせた。
そして、自分も近くのデスクに座ると軍医から貰った書類にサラサラとサインを行った後に、その書類を私に手渡した。
「少佐殿、こちらにサインをお願い致します」
「セレブリャコーフ少尉、これは一体なんだ?」
「何だと言われましても、小官と少佐殿との血液提供に関する書類ですが……」
少尉は何か問題が有りますか?という顔をして答えた。
「いや、少尉。私がいつ少尉からの血液提供に関して許可を出したのだ」
「え、先ほど少佐殿ご自身でどの様な責任も取ると仰られていたので……」
あの発言か!
なるほど、私は憲兵隊への引き渡しと考えて発言したが、少尉は何か別の考えをしたのか。
しかし、私も責任ある大人であり加害者なのだ。
少尉の要望を叶えてから、真意を聞いても遅くは無い筈だ。
「分かった少尉、サインしよう」
渡された書類にサインし、少尉に書類を手渡す。
渡された書類を少尉は、そのまま軍医に手渡した。
軍医は渡された書類に軽く目を走らせると「問題なし。受領しておきます」と言い、自らの事務机にある決済箱に書類を入れた。
その後に、私たちは軍医に別れを告げ大隊長私室に向かった。
取り敢えず、少尉の真意を確かめたかった。
私室に着いてから少尉を椅子に座らせ、私も向かい合わせになるよう椅子に座ると彼女に問うた。
「少尉。なぜ、私を憲兵に突き出さなかったのだ」
「理由をお答えしないとダメでしょうか」
「ダメとは言わないが、事が事だ。少尉に乱暴を働いて無罪放免とは少尉に申し訳ない」
「ええと、その色々と理由がありまして」
「色々か」
「はい、色々とです」
少尉はそう言うと私の顔を伺った。
「少尉。私は貴官を疑う事はない。だから、その理由を話してくれないだろうか」
そう言うと、少尉は心を決めたのか口を開いた。
「昨日、少佐殿が私の血をお飲みになられた時に、私に対して『愛している。好きだ、ヴィーシャ』と言われたのです。覚えておられませんか?」
聞いた瞬間、叫ばなかった私自身を褒めたかった。
愛している。好きだ、ヴィーシャ。
私が少尉に言ったのか?
歳が10以上も離れている少女に向かって?
私が、少尉に?
「それでですね、実は小官も前々から少佐殿の事を個人的な感情でお慕いしておりまして、これはチャンスだと思い、憲兵には連絡はしなかったのです」
え、少尉が私を慕っている。
likeではなくloveで?
確かに、確かにセレブリャコーフ少尉は魅力的な女性で有ることは認めよう。
頭の回転も良く、良く気配りができ、料理も上手く、私の様なコンプレックスの塊みたいな者と対等以上に接してくれる。
それに、彼女が淹れてくれる珈琲の旨さといったら前世でも味わいえない程の素晴らしさだ。
時折だが夢で彼女の事を見る事はある。
価値観的にいえば私は男性であると確信している。
だが、私がセレブリャコーフ少尉に惹かれていると?
セレブリャコーフ少尉を愛していると?
「それで、少佐殿。あのお返事を頂きたいのですが」
「へ、へんじ?」
「はい、少佐殿」
目の前にいたセレブリャコーフ少尉は、椅子から立ち上がり私の元へ来て跪いた。
顔を赤らめ、少し深呼吸した後に告げた。
「私、ヴィクトーリヤ・イヴァーノヴナ・セレブリャコーフはターニャ・フォン・デグレチャフを愛しております」
今生において、いや、前世においても無かった事だ。
他人から愛していると言われるのは。
だからだろうか、すらりと言葉がでたのは。
「私も同じ気持ちだ、セレブリャコーフ少尉」
「少佐殿、もう少し具体的な言葉を欲しいのですが」
「これでも、意味は通じるだろう少尉!」
「はっきりと少佐殿のお言葉をお聞きしたいのです!」
「愛してる、ヴィーシャ」
恥ずかしさを我慢し、そう告げると少尉は感極まったのか立ち上がり私を抱き締めた。
「少、少尉!危ないぞ少尉!」
「すみません少佐殿、わたし嬉しくって」
少尉に、いやヴィーシャに抱き締められながら、存外に愛されるとは良いものだと感じた。