上司と副官   作:山翁

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書籍9巻の内容を含んでおります。

あと最初から付き合ってる設定。

前回の設定とは関係はありません。


泥船の中での恋

1927年6月29日

 

帝都ベルン 参謀本部

 

レルゲン大佐と別れたあと参謀本部のエントランスへと歩くあいだ、先ほどのルーデルドルフ中将閣下の話が重くのし掛かる。

 

最高統帥会議の実質的な機能不全。

 

信じられない思いだった。

 

まさか、最高統帥会議がマトモな国家方針の策定すら出来ない集団になってしまったとは。

 

正しく帝国は泥船になってしまった。

 

今は辛うじて浮かんではいるが、いつか訪れる破断点を迎えてしまえば、盛大に沈んでいくだろう。

 

いや、取り敢えず先の会談については後で考えよう。

 

何かしら考えを纏めるにしろ、少し時間を置いた方が良い。

 

帝都の、後方の情報も少なすぎる。

 

後でウーガ中佐等から情報を仕入れねば。

 

そうこう考えている間にエントランスまでたどり着いた私は考えるのを一旦やめにして、エントランスで私の帰りを待って立っていた副官を労ることにした。

 

「セレブリャコーフ中尉!出迎えご苦労!」

「はっ、デグレチャフ中佐殿」

「それにしても中尉、貴官だけでも帰って良かったのだぞ。久しぶりの帝都だ、ゆっくりしたいのでは?」

「はい、いいえ中佐殿。少しでも中佐殿のお役に立ちたいと思いまして」

「中尉、その気持ちはありがとう。貴官の事だ、ただ待っていただけでは無いだろ?」

「はい、中佐殿をお待ちする間に少し情報収集を」

 

全くこの副官は良く出来た副官だ。

 

ちょうど情報について考えを巡らしていた最中に、この様な申し出とは。

 

いやはや、後で何か労いをしなければ。

 

「そうか、中尉。君の献身には何時も感謝している」

「はっ、ありがとうございます中佐殿」

「それで、集まった情報は?」

 

そう言うと中尉は声を抑え話し出した。

 

「はっ、少し憚る内容もありますので、どうせなら大隊保養地まで行く車の中でも宜しいでしょうか」

「勿論だ、中尉」

 

頷くと、中尉が事前に手配していた車が用意され、そのまま中尉の運転する車の後部座席に乗り込んだ。

 

手早く車を発進させた中尉の手際に惚れ惚れしながら、私は運転席のシートを見ながら話しかける

 

「それで、どの様な内容だったのだ?」

「はっ、軍内での世間話程度の内容ですが世論、政府、軍との間で意見の相違が目立つと」

「なるほど、他には?」

「議会の機能不全に、政府の大衆迎合化、参謀本部内の職掌範囲の異様な増大です」

「そうか、ありがとう」

 

あまり良いニュースと言えないのは確かだ。

 

帝都へ帰る最中に読んだ新聞からも言えるが、理性で判断しなければならない政府や最高統帥会議が世論の圧力と勝利の幻想に屈している。

 

これは、これは余りにも酷い……。

 

我らが帝国は泥船だ。

 

一刻も早く何とかしなければ。

 

だが、どうすれば。

 

ルーデルドルフ中将やレルゲン大佐の動向に加え、東部のゼートゥーア中将の動き。

 

ああ、やはり帝都の動向が読めないのが痛いな。

 

何をするにもやはり情報が……。

 

「ターニャ、大丈夫ですか」

 

中尉からの声で私は思考の海から浮上する。

 

「ああ、大丈夫だ。大丈夫だともヴィーシャ」

 

いかんな、どうやら随分と考え込んでいたらしい。

 

ヴィーシャを不安にさせるとは情けない。

 

「ヴィーシャ、保養地に着いたら二人で過ごさないか?」

 

そうだ、せっかくの帝都なのだ。

 

ルーデルドルフ中将やレルゲン大佐から無茶振りされる前に、思いっきりヴィーシャと一緒に過ごそう。

 

「何処に行きたい?映画か?それともカフェか?」

「それでしたら、今日は出掛けずにターニャと二人っきりで過ごしたいです」

「ん?」

 

まさか、ヴィーシャがここまで積極的だとは。

 

確かに、東部ではいつ連邦軍に襲われるか分からん時が続き、かつ風紀の関係上ヴィーシャと過ごす時間があまり無かったからな。

 

ヴィーシャがそう思うのも宜なるかな。

 

「ヴィーシャ、君がそこまで我慢していたとは知らなかったよ」

「タ、ターニャ?」

「ああ、みなまで言うな。君の気持ちは良く分かっている。東部ではお互いロクに時間取れなかったからな。二人っきりでゆっくりと部屋で過ごそうじゃないか」

「その、ターニャ!」

「ん、何だねヴィーシャ」

「その、私はゆっくりターニャと二人で珈琲でも飲もうと……」

 

あー、何だ。

 

もしかして、これは私の早とちりか。

 

途端に自分の顔に朱が指すのが分かった。

 

「ターニャ」

「な、何だねヴィーシャ」

「可愛いらしいですよ」

「なっ」

 

直ぐに顔を車窓に反らすが、クスクスと小さな笑い声が運転席から聞こえる。

 

どうやら、ミラー越しに私の事を見ていたらしい。

 

流石は我が副官、状況把握はお手の物ということか。

 

しかし、このまま副官に良いようにされるのも癪だな。

 

「さて、ヴィーシャ。珈琲を飲んだ後はどうする?」

「ターニャも意地悪ですね」

「何を言う、私ほど優しい人間もいないだろ」

「なら今度、戦闘団の皆さんに聞いてみますか?」

「……それは勘弁して欲しいな」

「ふふふ、分かりました」

 

どうも今日のヴィーシャには敵わないらしい。

 

ちょっとした反撃も、ヴィーシャからの逆襲にあって押し込まれてしまう。

 

「ターニャ、保養地のホテルが見えてきましたよ」

 

あれこれヴィーシャに対してどの様に反撃しようか考えていたら、ヴィーシャからの声にフロントガラスから前を覗くと、帝都での保養施設に指定されているホテルが見えてきた。

 

たしか、あのホテルは戦前では帝都でも有名なホテルの筈だ。

 

ルーデルドルフ中将かレルゲン大佐のどちらかが奮発したみたいだ。

 

確かに我が戦闘団はそれだけの働きはしたのだ。

 

働きに対する正当な報酬は大切だ。

 

「それでは車は正面に止めますので」

「ああ、分かった。車はどうする」

「付近の憲兵が拾いに来てくれる予定です」

「そうか、流石だな」

 

ホテルの正面に車を着けたあと、ホテルマンが直ぐに車の扉を開けエスコートする。

 

ヴィーシャも車から降り、ホテルマンに車の鍵を渡した。

 

ホテルに入り受付を済ませた後は、戦闘団に割り振りされた部屋まで案内された。

 

部屋はホテルでも上等なランクらしく、部屋は広々とし窓からの眺めも最高だ。

 

案内してくれたホテルマンにチップを弾み、部屋から離れる様に言い含めた。

 

「それでは、珈琲でも飲みましょうか」

 

ヴィーシャのその言葉に、ターニャも動き出す。

 

備え付けの小さなキッチンへ赴き、部屋にあった珈琲豆(しかも本物の珈琲豆!)をフライパンで焙煎し、次にヴィーシャが丁寧に豆を引いていく。

 

二人して窓の近くにあるソファーに肩が触れ合う程の狭せで座り、出来上がった珈琲を飲む。

 

「ああ、これぞ本物の珈琲だ」

「ええ、本物の珈琲ですね」

 

至福と言って良い時間だった。

 

恋人が隣におり、本物の珈琲をのんで穏やかな時を過ごす。

 

正しく私が望んだ平穏な日々。

 

そんな理想の時間なのだ、もう少し欲張っても良いだろう。

 

「ヴィーシャ」

「なんです、ターニャ」

 

傍らにいるヴィーシャが私の声に反応して此方に顔を向けた瞬間、ヴィーシャの唇にキスをする。

 

軽く触れる程度のキス。

 

何秒も触れていないキスだが、こういった事も東部では人目と連邦軍のお蔭でおいそれと出来なかった。

 

「……不意打ちは卑怯ですよ、ターニャ」

「いやなに、ついな」

「……もしかして欲求不満ですか?」

 

ヴィーシャからの指摘に対して咄嗟に否定しようとしたが、止めた。

 

ヴィーシャの指摘が正しいと思ったからだ。

 

そうだ、恋人同士に成ったのに触れ合えないのは可笑しい。

 

普通はもう少し休日にデートしたり、家で一緒に夕食を食べたり、過ごすものだろう。

 

なのに、実際は戦場での僅かな触れ合いのみ。

 

しかも、身体は女性かもしれんが、心は男性なのだ。

 

私とて欲求不満に陥るだろう。

 

「ああ、そうだ」

 

そう答えるとヴィーシャは顔を赤くさせ押し黙った。

 

どうも、私がこうも容易く肯定するとは思っていなかったようだ。

 

ソファー横のサイドテーブルに珈琲カップを置き、ヴィーシャにも珈琲カップを置くように促す。

 

少し間をおいてヴィーシャも珈琲カップを置き、私の顔をじっと見つめる。

 

私は再びヴィーシャの唇に軽くキスをし、そのままソファーに押し倒し馬乗りになる。

 

「ヴィーシャ、良いか?」

「……はい、ターニャ」

 

そして、また唇にキスをした。

 

 

 

 

帝国は泥船だ。

 

何時かは沈む泥船だ。

 

泥船から逃げなければ、私も溺れてしまうだろう。

 

だが、その泥船の中でも一つだけ、たった一つだけ私を泥船に留まらせる理由があった。

 

ヴィクトーリヤ・イヴァーノヴナ・セレブリャコーフ。

 

私の愛しい部下《こいびと》


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