ひとりぼっちの戦争遊戯   作:とやる

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ひとりぼっちの戦争遊戯

 

「あんた、ホントに泣き虫ね」

 

 転んで擦りむいた膝を抑えて目尻に涙を溜める僕を見て、ダフネちゃんは呆れるように言った。

 

「そんなんで冒険者になれるの?」

 

 小首を傾げる彼女に少しむっとして、僕は「なれるよ!」と答えた。

 

「ならウチを心配させないように、その泣き虫直さないとね」

 

 差し出された手を取るのを一瞬ためらって、重ねる。

 彼女の柔らかな手に力が込められて、ぐいっと僕の身体は持ち上がった。

 手を繋いだまま先を歩く彼女に引かれるようにして歩く。

 痛む膝に顔をしかめながら三歩ほど大きく歩幅を取ると、彼女の横顔が見えた。

 僕が「いつもありがとう」と伝えると、彼女は出来の悪い弟の面倒を見るように笑った。

 

「いつかウチを助けられるようになってね、男の子」

 

 それが、6年前の記憶。

 大不作で食い扶持を減らすために、僅かばかりの路銀を持たされて村を出た僕とダフネちゃんがオラリオに行くまでの記憶。

 懐かしい思い出だ。

 

 

 ☆☆☆

 

 

 根本的に僕は臆病なんだと思う。

 

「次!来るよッ!!」

 

 痛みが怖い。死ぬのが怖い。暗いところも、なんだか無性に心細くなって怖い。

 だからダンジョンも怖い。

 

 そんな僕がなんでダンジョンに潜り、怪物と戦うことで生計を立てる冒険者になったかといえば、自分を変えたかったとか憧れがあったとかじゃなくて、ひとえに僕は彼女に付いていく以外の生き方を知らなかったからだ。

 知らないことは、怖い。だから僕は彼女と同じ冒険者になった。

 

 剣を振るう。

 連戦の疲労と恐怖心で引けそうになる腰を彼女の声を力に必死に抑え付けて。

 こんな僕でも、背中に刻まれた【神の恩恵】のおかげで身体能力は常人のそれを逸する。

 怪物の天然武器と僕の剣が打ち合い火花を散らす。

 手に伝わる衝撃がじんじんとした痛みに変わり、獰猛な雄叫びを眼前であげる怪物の迫力に怯みそうになる。

 そんな僕の弱気を隙と見たのか、無茶苦茶に、されど暴風のように力強く天然武器を振り回す怪物が一期果敢に攻める。

 僕も必死に応戦するが、数合打ち合ったところで繰り出された横薙ぎの一撃を逸らしきれずに腹を浅めに裂かれた。

 途端に歪む視界を無視して、半ば勘で引き戻すように袈裟懸けに振るった剣が怪物を斬るも、浅く急所も外したそれは怪物を倒すに至らない。

 勝ちを確信したように怪物が笑った気がして、僕にトドメを刺す致命の一撃が迫る。

 

「せりゃあ!!」

 

 僕がカウンターを仕掛ける直前、胸の中心から剣の切っ先を生やした怪物は魔石を砕かれて黒い灰へと変貌し、強靭な肉体に打ち据えられるはずだった僕の身体は変わりに大量の灰を頭から被った。

 

「怪我大丈夫?」

「……うん、大丈夫。ありがとう」

「痛がりなんだからあんま深追いしちゃダメだよ」

 

 剣を鞘に納める彼女ーーダフネちゃんに、ポーションを使った僕は被った灰をはらいながらお礼を言った。

 

「ま〜た泣いてる」

「泣いてないよ」

「嘘。頰に涙の跡付いてるし」

「え、ホントに?」

「ホントに。まだまだウチが見てないとダメだね。ほら、団長さんたち先行っちゃうから行くよ」

 

 顔をごしごしと袖で拭いながら、前方に見える人影を指差すダフネちゃんが差し出す手を取る。

 ダフネちゃんに手を引かれて数秒小走りすれば、同じファミリアの団長さんたちと合流できた。

 

「中層は怪物の出現感覚が短くて敵わんなあ……お、ダフネたちも無事だったか」

「手を繋いで微笑ましいなあ」

「仲良いわねえ」

 

 指摘されて、恥ずかしくなったので手を離した。

 今まで当たり前のようにダフネちゃんの後を付いてきたから、手を出されると反射で手を繋いでしまうけど、それを他人に言われると羞恥心が鎌首をもたげる。

 ひとつ歳下の僕の姉のように振る舞うダフネちゃんは、不思議そうな顔をしているけど。

 

「もうポーションも少ないし、今日はこの辺りで切り上げるか」

 

 団長さんの一声で僕たちは地上へ帰還するために歩き出す。

 その途中、団長さんは僕の頭にワシっと手を置いた。

 

「またダフネに助けられたんだろう?お前もLv.2になってだいぶ経つんだ、好きな相手にそろそろ男を見せないとな」

「……うるさい」

 

 ガハハ、と豪快に笑う団長さんの手を頭を振って退ける。

 僕の数歩先では楽しそうに団員の人と話すダフネちゃんがいた。

 

 僕はダフネちゃんに特別な感情を抱いている。

 この気持ちを自覚したのはもう随分と前だ。

 二人で村を出て、同じファミリアに入って、冒険者としてスタートを切ったときにはもうダフネちゃんの事を意識していたと思う。

 多分、最初に僕が抱いていたのは依存心。

 優しくて、頼りになって、面倒見のいいダフネちゃんは臆病な僕を放って置けなかった。

 二人ぼっちでオラリオに来たというのもあって、そんな彼女に僕は依存していた。

 幼い頃の僕にとってダフネちゃんは御伽噺の英雄のようだった。

 怖いと言えば、助けてと泣けば、ダフネちゃんが全部なんとかしてくれる。本気で、そう思っていた。

 

 その幻想はダフネちゃんが大怪我をする事で打ち砕かれた。

 あの時のことは今でも鮮明に思い出せる。

 後衛で魔法を詠唱する僕に迫る怪物。僕を守るために決死で駆ける彼女。眼前で振りかぶられる凶刃。直後、視界いっぱいに埋まる見慣れた背中。

 肉を断つ水っぽい音がして、見たこともない量の血を流す彼女を見た。

 団長さんが怪物を倒して、大慌てで彼女の治療に取り掛かる。

 その場から一歩も動けず、崩れ落ちるように尻餅をついて呆然とする僕を見て、彼女は安心したように笑った。

 

『やっぱりウチが見てないとダメね』

 

 ダフネちゃんは無敵の英雄じゃない。

 とっくの昔に気付いていたのに、必死に見ないようにしていた現実を僕は初めて直視した。

 気を失った彼女に泣いて縋って、余裕が消え失せた団長さんたちと必死に地上まで撤退して、治療院で目を覚ました彼女を見て、また泣いた。

 泣き喚く僕の頭を撫でる彼女の手は優しくて、でも、とても小さかった。

 僕よりは少しだけ大きかったけれど、団長さんたちよりもずっとずっと小さな手で、僕の手を引いて歩いてくれていた。

 感謝とか、情け無さや不甲斐なさとか、いろんな感情がごちゃごちゃに混ざって、涙が止まらなかった。

 僕の前を歩いてくれていたのは英雄じゃなくて、ひとりの女の子だった。

 泣いて、泣いて、泣いてーー僕は杖を捨て剣をとった。

 僕の性格から後衛でやっていくものだとばかり思っていたダフネちゃんは驚いていたけど、もうあんな光景は見たくなかったのだ。

 泥のように沈殿していた依存心が消え、埋めるように彼女の存在が僕の心に注がれた。

 前衛の彼女と肩を並べて、僕がダフネちゃんを助けられるようになる。

 ダフネちゃんは走るのが速くて、僕はまだまだ彼女の後ろを歩いているけれど、いつか必ず。

 

「置いてくわよー!」

「あ、待って!」

 

 いつのまにかだいぶ小さくなっていたダフネちゃんが口に手を当てて呼んでいる。

 ぱん、と気持ちを切り替えるように一度両頬を手で挟んで駆け出した。

 

 彼女の横に並ぶ日は遠そうだけど、時間はいっぱいある。臆病で泣き虫な性分は中々克服出来ないけれど、このまま頑張っていれば、いつかきっと。

 

 無邪気にも、僕はそう信じていた。

 

 

 ☆☆☆

 

 

 肌を刺すような冷たい風が吹くようになった頃。

 

「【アポロン・ファミリア】と戦争遊戯(ウォー・ゲーム)をすることになった」

 

 神会から戻ってきた神様は悔しそうに、申し訳なさそうに僕らにそう告げた。

 

 僕たちは約2ヶ月に渡る期間、恐らく【アポロン・ファミリア】による嫌がらせ……侵害行為を受けていた。

 最初はホームの器物損壊程度だったものが次第に過激になり、遂には闇討ちで大怪我を負う人も出てきた。

 勿論僕たちもただ手をこまねいていたわけじゃなくてギルドに報告していたけど、返ってきたのは『証拠がない』の五文字のみ。

 常に複数人で行動したりホームに戦える人を残したりといった対策を取ったけど、僕たちと【アポロン・ファミリア】ではファミリアの規模が違う。やがてジリ貧になりみんなが憔悴していくのにそう時間はかからなかった。

 

 限界だと神様が【アポロン・ファミリア】のホームに乗り込んでも、神アポロンは居ないとまるで取り合わない。

 神様は今日の神会で神アポロンを糾弾すると言っていたけど、みんなこうなる事が分かっていたかのようにああ、やっぱりなといった空気が流れた。

 

「そんな……ウチのせいで……」

 

 何故なら【アポロン・ファミリア】の嫌がらせが始まる直前、ダフネちゃんの引き抜きにきた神アポロンをダフネちゃんが一蹴していたからだ。

 

「ダフネのせいじゃない」

「ああ、全部あのクソ神のせいだ」

「でも……!」

 

 両手で顔を覆い俯くダフネちゃんからは激しい自責の念が伝わってくる。

 仲間が自分のせいで傷ついていると自分を責めるダフネちゃんの心情は想像するだけで胸が痛くなる。

 ダフネちゃんのせいなわけがない。

 いくら神アポロンの評判が最悪だとはいえ、たったひとりの勧誘のためにここまで大それた事をしでかすなんて、一体誰が予想できようか。

 

 ファミリアの規模とはそのまま発言力の強さに直結する。

 戦争遊戯を受けなければ侵害行為がさらに激化する、と言われてしまえば、二ヶ月で疲弊しきった僕たちに選択肢はなかった。

 神アポロンからの要求は、『ダフネ・ラウロスの改宗と今後彼女に関わらない事並びに多額の賠償金。』

 戦争遊戯の形式は平野でダフネちゃんを除く全眷属の正面衝突となった。

 

 はっきり言って、勝ち目は無いに等しかった。

 

 両ファミリアの最高レベルに差が無くても、構成員数に倍近い差があった。

 外部ファミリアの救援や常軌を逸した大火力があれば話は別だが、眷属のみで平野での合戦となると地力の差がもろに出てしまう。

 規模の小さいファミリアは主導権を握られただけでここまで不利な状況を押し付けられるのかと、不甲斐ない主神ですまないと、神様が怒りに震えて机に拳をぶつけた。

 

 戦争遊戯の情報は瞬く間にオラリオを駆け巡った。

 ファミリアとファミリアの全面戦争である戦争遊戯は、見方を変えればオラリオの一大イベントだ。

 滅多に行われないというのも、その熱を上げる一助になっている。

 戦争遊戯開催の発表から数日。オラリオは熱気に包まれていた。

 

「……ねえ、【弟のような幼馴染】……」

 

 戦場に行くためにオラリオの外門に並ぶ馬車に乗り込む僕の名前をダフネちゃんが呼ぶ。

 ダフネちゃんは唇を噛んでいて、何かを言うのを躊躇っているようだった。

 

「……大丈夫。今度は僕がダフネちゃんを助けるから」

「……ごめん」

「そこは頑張ってって言って欲しいな」

「……ごめん……ウチ……」

「だめ?」

「……ううん。頑張って【弟のような幼馴染】」

 

 馬車が動き出してダフネちゃんの姿がどんどん小さくなる。

 戦争遊戯の『景品』でもあるダフネちゃんは、オラリオで戦争遊戯の結末を見届ける事になった。

 傷がついたらいけないから、と。

 本当に、糞食らえだ。

 何が景品だ。ふざけるな。ダフネちゃんは物じゃない。

 自分を巡って仲間が戦うのに、自分はその戦いに参加する事すら許されない。それはどんなに辛い事だろうか。

 ……いや。僕の心にぐつぐつと湧き上がる感情は、きっとそれだけじゃない。

 ダフネちゃんが心から改宗を望んでいるならまだしも、嫌がっているダフネちゃんを嫌がっている場所になんて行かせたくない。

 いつも僕の手を引いて進んでくれた彼女が。いつか追いつくって決めた彼女が、まるで骨董品を集めるみたいに彼女の意思を無視して奪われようとしている。

 なによりも、僕の心がダフネちゃんとこんな形で別れる事を激しく拒絶していた。

 

 だから、僕は本気で勝つ気だった。

 馴染みの赤い髪の鍛治士に頼み込んで武具を特急で整備してもらい、少しでもステイタスを上げようと時間いっぱいダンジョンに篭った。

 僕の貯蓄が許す限りの消耗品も用意した。

 平野での正面衝突でも相手の団長を……ヒュアキントスを倒せば僕らの勝ちだ。

 唯一ヒュアキントスと同レベルの団長さんは警戒されていることや人数差の関係でヒュアキントスがいるであろう敵陣奥深くまではいけないが、僕は違う。

 地を這ってでもヒュアキントスまで辿り着いて、レベル差があろうとも絶対に倒す。

 そう決心した。

 

 そして、平野の両端に両ファミリアが揃いーー戦争遊戯が始まった。

 

 三百六十度全方向から鳴り響く剣戟。

 飛び交う攻撃魔法。

 詠唱していた魔法を先頭にぶっ放して飛び出す。相手を倒そうとはせず受け流すようにして前へ。致命傷以外は無視して、ただヒュアキントスの元へ辿り着くために駆ける。

 痛かった。怖かった。両目から涙が溢れた。

 それでも、僕は雄叫びをあげて走った。

 ダフネちゃんが居なくなることが何よりも怖かったから。

 

「ヒュアキントスっ!!!」

 

 陣地奥深くに座するヒュアキントスを視界に入れた僕は、悲鳴をあげる脚を無視して加速。

 護衛に両脇を固めていた冒険者が動かないのを不思議に思ってーー無視。ヒュアキントスを倒せばそれで僕らの勝ちだ。

 Lv.2の脚力で一気に肉薄した僕は渾身の力で剣を叩きつけーー

 

「弱い」

 

 ヒュン、とヒュアキントスの腕が霞む。

 視認できない速度で振るわれたヒュアキントスの獲物が僕の鎧を砕き、その勢いのまま僕は地面をバウンドして転がった。

 

 痛い、なんてものじゃない。

 塊のような血を吐いて、溢れる涙で何も見えなくて。

 ドチャ、と粘着質な液体が落ちる音が聞こえた。

 

「みっともないな。少年とはいえ男がそのように汚く涙を流すのは美しくない」

「うぐーーっ」

 

 がくがくと震える腕でポーチからポーションを取り出そうとした腕をポーチごと蹴られる。千切れたポーチがはるか後方へ飛んで行った。

 立ち上がれと念じる脚はみっともなく痙攣するだけで、ヒュアキントスを睨もうとする目は溢れる液体で滲んで何も見えない。

 涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった僕の顔を失笑するような声が聞こえた。

 

「それにしても……哀れな奴だ」

 

 そこで、激痛に思考能力を奪われた僕の頭をひとつの疑念を抱いた。

 僕が敵陣奥深くにまで辿り着けたのに、他に誰も来ない。

 何故ーー。

 

「必死だったのはお前だけだったようだな」

「えーー」

 

 言い捨てて、ヒュアキントスが何処かへ行く。僕の近くには護衛のひとりが残った。

 その言葉にそんなわけがないと否定したくて。みんなダフネちゃんのために戦ってるんだと言い返してやりたくて。

 恐る恐る振り返った僕の目には、最初の衝突から押し込むばかりか……諦めたように白旗をあげる僕のファミリアが見えた。

 

「なん……で……!?」

「なんでも何もないだろ。戦力差は絶望的。起死回生の手段もない。戦ってもお前のようにいたずらに怪我をするだけなら賢明な判断だ」

「違う!だって、この戦いにはダフネちゃんが……!」

「じゃあそのダフネちゃんのために命懸けようって気にならなかったんじゃないの。人間そんなもんだ……ほらよ。もう終わったしこれで傷塞ぎな」

 

 ポーションを放り捨てた護衛のひとりはヒュアキントスの後を追うように離れていった。

 後には、圧倒的に実力差を叩きつけられた、血を流して地に膝をつく無様な僕だけが残った。

 

「う、うあああぁぁ」

 

 また、涙がこみ上げた。

 なんで。どうして。

 疑問ばかりが頭を駆け巡って、地を掴む指に力が入った。

 

 負けた。

 手も足も出なかった。

 それどころか、本気で戦っていたのは僕だけだった。

 両ファミリアの総力戦のようであって、その実これは、僕だけのーーひとりぼっちの戦争遊戯(ウォー・ゲーム)だった。

 

「ああああ……ああああっ!!」

 

 ダフネちゃんは大切な仲間じゃないのか。

 みんなダフネちゃんが居なくなってもいいのか。もう会えなくもなるのに。

 なんで、どうして諦められるんだ。ファミリアは家族なんじゃないのか。

 

 あれほど怖かったはずの痛みも忘れて、傷の治療すら頭から吹き飛んで。

 僕は叫ぶことでしか心を保つ術を知らなかった。

 

「あああああああああああああああああああああああああっっ!!!!!」

 

 戦闘の音が引いた平野を僕の慟哭が貫く。

 ダフネちゃんが居なくなる。

 それだけが現実だった。

 

 

 ☆☆☆

 

 

「脱退したいものは申し出てくれ。止めはしない」

 

 戦争遊戯に負けた僕らは多額の賠償金を負い、その返済のためにホームを売り払った。

 ダフネちゃん以外の眷属を集めて、神様はそう言った。

 

「すみません、俺……」

「私も……」

「……俺も抜けます」

 

 ひとり、またひとりと手が上がって団員だった人たちが居なくなっていく。

 

「……恨んでくれていい」

 

 最後にそう言って団長だった人が居なくなった。

 いつもやっていたように僕の頭に手を置くことはなかった。

 

「お前は……はどうする」

「僕は……」

 

 ひとり立ち尽くす僕に神様が問いかける。

 即答出来なかったのは、僕が心の何処かで『ダフネちゃんの帰って来る場所』を残したがってたからだ。

 賠償金で保有権利を根刮ぎ奪われたファミリアに……なにより、ダフネちゃんを見捨てるような人たちがいたファミリアに残る理由なんてない。

 それでも、ダフネちゃんが居たファミリアが無くなることを拒んだのは、ひょっとしたらダフネちゃんが帰って来るかもしれないという期待があるからだ。

 ……そんなことあるわけないのに。

 戦争遊戯の結果【アポロン・ファミリア】に改宗したダフネちゃんと会う事は戦争遊戯前の取り決めにより出来ない。

 これを破ればペナルティが与えられる。

 血に濡れた僕と目を合わせようともしない団員だった人たちと馬車でオラリオに戻ったときには、ダフネちゃんの改宗はもう終わっていた。

 会うことも、声を聞くことも、謝ることも、一目見ることさえ出来なかった。

 

「……考えさせてください」

「……そうか」

 

 また涙が溢れてきて、僕は神様の元を去った。

 決断は出来なかった。

 

 

 ☆☆☆

 

 

 受け入れ難い現実を前にしたとき、人の心は逃避のための行動を取ろうとする。

 また、追い詰められた人間は得てして大胆になりやすい。

 

 僕はその両方に当てはまっていた。

 

 ダフネちゃんが居なくなる。

 ーー無理やりだ。

 ダフネちゃんと会えなくなる。

 ーー彼女の意思じゃない。

 ダフネちゃんは望んで改宗したわけじゃない。

 ーーなら、ダフネちゃんも助けを求めているはずだ。

 

 そうやって大義名分を作り出し、理論武装をした僕は【アポロン・ファミリア】のホームに忍び込んでいた。

 正面から挑んでも絶対に勝てない。僕に残された最後の手段。

 三日の調査でダフネちゃんがどの部屋に居るかは分かってる。

 直ぐそばに人が登れそうな木があるのも具合がいい。

 ホームの内部に侵入するのとしないのでは難易度が桁違いだから。

 

 ダフネちゃんを連れてオラリオを出る。

 すでに馬車も、僕の許可証も用意してある。ダフネちゃんには荷物に隠れてもらって、外門を通過さえしてしまえばこっちのものだ。

 流石に神アポロンも都市外まで追いかけて来ることはないだろう。

 その後のことは考えてないけど、ダフネちゃんと一緒なら僕はそれだけでよかった。

 

 これが現実からの逃避の行動で、彼女に縋ろうとする行為である事に僕は気付くことが出来なかった。

 

 木に登りカーテンから仄かな明かりが漏れる部屋の窓に小石をぶつけ続ける。

 五回目の小石を投げようとしたときにカーテンが開き、驚きに目を見開くダフネちゃんが現れた。

 

「どうして!?なんで【弟のような幼馴染】が……」

「ダフネちゃん、助けに来た。一緒に逃げよう」

 

 窓を開けて瞠目するダフネちゃんに、いつも彼女が僕にするように手を差し出す。

 彼女は僕の顔と手を交互に見た。

 それを迷っているのだと判断した僕は、彼女の選択を促すために言葉を重ねる。

 

「馬車の用意も出来てる。僕と一緒にオラリオを出よう。戦争遊戯は無理だったけど、今度は絶対大丈夫だから……!僕が守るから……!見つからないうちに、早く!」

「ウチは……」

 

 それでもなお逡巡を見せる彼女に、僕は気持ちを愬えるように言った。

 

「ダフネちゃん!僕の手を取って……!お願いだから……!」

 

 手を差し出す僕と手を差し出される彼女。

 いつもと逆の構図。

 この手を取ってほしい。助けてと言ってほしい。

 目尻に涙を溜め祈るようにダフネちゃんの目を見つめる僕に、片手で胸のあたりの服を握り込んだ彼女は突き放すように言った。

 

「……嫌だ。ウチはそんな事頼んでない」

「……、あ、え……?」

 

 ダフネちゃんの発した言葉の意味が分からず……いや、理解を拒んだ僕の頭が言葉でもないただの声を喉から吐き出す。

 

「ウチは【アポロン・ファミリア】に居る。誰も、助けてほしいなんて言ってない」

「……え?……あ、で、でも!ダフネちゃんは無理やり……!」

「最初はね。でも入ってから気が変わった。意外と良くしてくれるし。生活水準は改宗してからの方が高いかも」

「……え、ぁ……え?ダフネちゃん……?」

「あ、でも、もう【弟のような幼馴染】とは会えなくなるね。まあ、あんたのお世話から解放されて楽になるかな」

「……ぁ」

 

 何を言われているのか、分からなかった。

 喉が乾き切って舌が張り付く。

 何かを堪えるように顔を歪ませた彼女は、震える声音で続けた。

 

「だから【弟のような幼馴染】もこれ以上ウチに関わらないでね……ペナルティ対象なんでしょ?人を呼ぶわよ」

 

 拒絶するように僕に背を向けた彼女は肩を震わせていた。

 身体が固まって動けないでいた僕に、彼女は大きく息を吸い込んで高い声をだした。

 

「あーー!ここに侵入者がいますーー!!!」

「ダフネちゃんっ!」

「誰か来てくださいーー!」

「ダフネちゃん!!なんで、どうしてっ!!」

「……人間なんだし、気持ちが変わることもあるよ。ウチはたまたま、それがこのタイミングだったってだけ。……ほら、人が来るよ」

「〜〜〜〜っ!!」

 

 ドタバタと階段を駆け上がる音や移動する音が聞こえて、頭のどこか冷静で臆病な部分で見つかった時のリスクを計算した僕は木から飛び降りて逃走を図る。

 

「……ぅ、ばいばい……っ。その泣き虫も……っ早く治しな。元気でね【幼馴染】」

 

 最後に、震える彼女の声を聞いた気がした。

 

 

 ☆☆☆

 

 

【アポロン・ファミリア】のホームへ侵入してから一夜明けた。

 僕はその間一睡もできなかった。

 当てもなく彷徨い続けて、いつのまにかオラリオの外壁の上まで来ていた。

 

 彼女に拒絶された。

 その純然たる事実が頭の中をずっと占領している。

 彼女が助けを望んでいる。僕の薄っぺらな大義名分は粉々に砕け、後に残ったのは僕の行動の愚かさだ。

 結局、僕は彼女のためと言い訳して自分の事しか考えていなかった。

 あの時、手を取るように彼女に言ったのは彼女が助けを望んだという証拠が欲しかったからだ。

 臆病で弱い僕は、選択権を彼女に委ねて決断から逃れようとした。

 手を差し出していた僕は、その実彼女が手を差し出してくれるのを待っていた。

 いつものように、彼女の後ろを付いて行こうとしただけだった。

 

「最低だ……」

 

 変わろうと決心して何も変わっちゃいなかった。変わろうするフリをしているだけだった。

 僕はずっと彼女に甘えていた。きっと、彼女もそれが分かっていたのだろう。

 だから、僕を拒絶した。

 

 もう、彼女と一緒にいる事は出来ない。

 他ならない彼女に拒否を突きつけられたのだから、僕はもう何も出来ない。

 むしろ、このまま彼女に迷惑をかけないようにオラリオを出る事が彼女のために僕が出来る一番の事なんじゃないだろうか。

 

 ……嫌だ。

 彼女のいない未来を想像して心が悲鳴をあげた。

 嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ。

 だって、ずっと一緒だった。村にいた時も。オラリオに来てからも。

 彼女は僕の特別だ。大切な人だ。

 たとえ別れることになるにしても、こんな形で終わりだなんて絶対に嫌だ。

 

 だって、彼女は泣いていた。

 滅多に涙を見せない彼女が、あの時確かに泣いていた。

【アポロン・ファミリア】に居ると言った彼女は涙を堪えるように震えていて、堪えきれずに溢れた涙を僕に見せないように背を向けた。

 その時に宙を落ちる一雫の彼女の涙を僕は見ていた。

 せめて、その理由を聞くまでは彼女と離れるなんて嫌だ。

 

 彼女のためーー違う。

 これは僕のエゴだ。醜い独占欲にも似たものだ。徹頭徹尾僕のためだ。

 僕が、このまま彼女と別れるのが嫌だ。

 嘘をつかないで……彼女の本音を聞かないまま彼女と別れるなんて絶対に嫌だ。

 その本心を聞くまで僕は彼女と一緒にいる未来をを諦められない。

 

 でも、もう彼女と会う事は出来ない。

 彼女が侵入者が居たと声を上げて【アポロン・ファミリア】のホーム警備は暫く厳重になるだろう。

 侵入は出来ない。警備が手薄になっても、多分彼女はもう会ってくれない気がする。

 ……そういえば、よくよく考えれば、本当に拒絶をするのなら僕を逃すのはおかしい。

 規約違反を突きつけてペナルティを僕に与えた方がより拒絶の意思を示せるのだから。

 ……ペナルティ?

 

 そこに思い当たったとき、僕の身体を電流が走った。

 ……ある。たったひとつだけ、彼女と話しが出来る方法がある。

 賠償金を除いた戦争遊戯の取り決めは2つ。

『ダフネ・ラウロスの改宗と今後ダフネ・ラウロスに関わらないこと』だ。

 つまり。

 

「【アポロン・ファミリア】には関われる……!!」

 

 目指すべき道は見えた。

 見据える未来は一年後。

 戦争遊戯のインターバルが開けたとき……僕は、もう一度挑む。

 やってやる。僕の独善を通すために。彼女ともう一度話をするために。

 奪われた彼女を奪い返すために、今度はこっちから戦争を仕掛けよう。

 

 ひとりぼっちの戦争遊戯(ウォー・ゲーム)を。





ダフネヒロインの二次創作見つからないんじゃが……。

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