ひとりぼっちの戦争遊戯   作:とやる

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第3話

 

 静寂。

 一挙一動を見逃さんと鋭く突きつけ合う視線は空気を殺すほどの緊張感を生む。

 魔剣の解放と爆発により破壊された大広間には穿たれた天井だったものが散らばり、遮るものがなくなった陽の光が照らすのは覚悟の瞳を宿す相貌。

 獲物を抜刀し構えるヒュアキントスに動きはない。

 隙を見せた瞬間に斬り殺すと殺意の剣戟が舞う。

 

 ガラリ、と辛うじて残っていた天井の一部が崩れ、引き伸ばされた空気を引き裂くように落下。

 澄んだ硬質な音が僅かに木霊し──それが合図になった。

 

「っぜあぁ!!」

 

 床を踏みしめた僕の身体が弓矢のように射出。

 Lv.3へとランクアップした敏捷はほんの数Mの距離でも十分な加速を生み出す。

 一般人が見れば線にしか見えない速度で彼我の距離を殺した剣が、未だ一歩も動かないヒュアキントスの首を狙う。

 

 速度、力、回転。

 正面から行くと見せかけて背後へと周り、腰のひねりで生み出した力を使った一撃はさながら裏拳の如く。

 威力を形作る全てを剣に乗せて放った開戦の初撃。

 

 それはあっさりとヒュアキントスの剣により防がれた。

 

「野蛮な太刀筋だな!」

 

 抜かれた鋼は装飾の施された美しい剣。

 美丈夫であるヒュアキントスに親和する見た目だが、着目するのはその性能。

 一見細剣のようだが、全力で叩きつけても軋みすらしない中堅派閥団長の名に恥じぬ業物だ。

 

「くっ!」

 

 続けざまに振るわれる剣尖の暴風域からの離脱。

 再び生まれた数Mの距離を視線が射抜く。

 ぷつりと頰に細い線が生まれ、滲んだ血液が顎を伝った。

 

 人の形を持って生まれた生物には共通する弱点がある。

 即ち、頸を斬り落とせば死あるのみ。

 怪物と多対一の連戦に明け暮れた僕の戦闘スタイルは一撃必殺を軸に置く。

 弱点をより速く、より正確に狙い、より多くの怪物を倒す。

 着込んでいる防具の性能やLv.3の冒険者として経験値を積んできていることを鑑みて、Lv.3になりたての僕の一撃で殺す事はないだろうと迷わず頸を狙った。

 

 浮き上がったのは彼我の実力差。

 

 培った剣技も、泥に塗れて得た経験も、鍛えたステイタスもヒュアキントスに及ばない。

 

 分かっていた事。

 分かりきっていた事とはいえ、いざこうして実感として突き付けられると参ってしまう。

 死に物狂いで走った一年の積み重ねが……もしかしたら、もしかしたらヒュアキントスの喉笛を喰い千切る牙に成り得ているのかもしれないと思った。

 笑えてくる。甘い期待だった。

 

「何がおかしい」

「……一年前を思い出した」

 

 でも。

 動きすら追えず、赤子の手をひねる様に無様に地面を転がされた僕が、攻撃や回避をして、防御をさせた。

 積み重ねた一年は勝負の土俵へ指をかけた。

 

「あの時とは違うぞヒュアキントス。僕の剣は貴方に届く」

「戯言を!」

 

 同時に踏み込み、激突。

 高速で振るわれる鋼と鋼が打ち合い、擦過音を鳴らし火花が散る。

 重い踏み込みが半壊した城を揺らし、砂とかした瓦礫が空気に浮かぶ。

 

 剣を通し腕を襲う衝撃は重い。

 正面から打ちあわず受け流す様にしてカウンターを狙うが、己より技量の高い相手にこの剣戟は長くは続かないだろう。

 短期決戦。速攻で決着をつける。

 

「一年でこれほど……っ!」

「覚えてるとは思わなかったよっ!」

 

 刀身を滑り流れるヒュアキントスの剣を尻目に、剣を握る右腕をコンパクトに畳み射出。

 突き出された切っ先が狙うのは右肩。

 ここを砕かれれば腕は動かず、剣を握る事ら出来ない。

 しかし、身をかわすヒュアキントスを捉えきれず翻った長い髪の一部を穿つ結果にとどまる。

 そのまま横に流れるヒュアキントスの身体を追う顔に跳ね上げられた右脚の蹴りが直撃した。

 

 真っ赤に染まる視界。

 何かが砕ける音と灼熱の痛みに染まる思考。だが、開いた目は絶対に閉じない。

 

「終わりだ!」

「まだだアっ!!」

 

 倒れまいとよろめいた僕に半月の軌跡を描く横振りの銀線が迫る。

 唸りを上げるそれを剣で防御。威力を受け止めきれず今度こそ地から足が浮く。

 

 ごろごろと転がる身体を左手を地面に押し付ける様に突き出して跳ね起きる。

 前を睨みつける双眼はここで仕留めんと突っ込んでくるヒュアキントスを捉えた。

 

「あああああああっ!!!」

 

 荒い息を吐き出す口が、血の臭いを伝える鼻が、剣を振るう腕が痛覚の撃鉄を打ち付ける。

 それらを叫ぶ事で頭から追い出し、高速で閃く銀線に喰らいつく。

 

 強い。

 強靭な身体から繰り出される技の冴え。それを支える信念。心技体全てが高水準でまとまったこの相手は、今まで戦ったどの怪物よりも強い。

 思うように攻撃が当たらず、かわされる。

 

 短期決戦を狙う当初の目論見は既に吹き飛び、不慣れな防御に必死の状況。

 このままでは負ける。

 なんとかしなければ。なんとかしなければいけない。

 まだ奥の手は切れない。

 カウンターを。攻勢に転じるための逆転の一手を放たなければ。

 

「しまっ……!」

 

 焦りから前乗りとなった気持ちと身体が防御を甘くし、剣をすくうように上へかち上げられる。

 意思に反して腕に引っ張られるように仰け反る身体。

 

「私の勝ちだ」

 

 引き絞られるヒュアキントスの右腕を見た。

 解放された右腕が射出され剣先が弾丸のように身体を穿つ。

 

「貴様っ!?」

 

 左手を貫通した剣が肉を潰す音を立てる。

 僕の腹の中心を狙った突きは、左の掌を貫通し横腹を抉りとるにとどまった。

 その剣を、握る。

 目の奥で火花が散る。切れた掌から止めどなく溢れる血液が美しい刀身を染めていく。

 目を見開いたヒュアキントスの声が鼓膜を打つ。

 

 剣の間合い。

 ヒュアキントスの剣は僕が握っている。

 僕のステイタスではヒュアキントスを抑え切ることはできない。

 全力で振るわれれば指ごと切断されるだろう。

 だけど。

 瞠目するヒュアキントスの意識の間隙。

 その一瞬を押し留めることはできる。

 一瞬。されど剣を振るうには十分すぎる。

 

「終わりだア!!」

「ぐっ!」

 

 意趣返しのように叫び、袈裟懸けに一閃した剣がヒュアキントスの左肩から腰を斜めに切り裂く。

 窮屈な体制から無理やり振り切った剣は本来の威力には程遠い。

 だが、致命傷回避のために捧げられた左腕に見合うだけのダメージは入った。

 

「おおおおおおっ!!」

 

 剣から手を離しバックステップを踏むヒュアキントスを逃すまいと踏み込む。

 

 胴を狙う斬り払い。

 手首の返しで弧を描く剣線。

 右の回し蹴り。

 腿を穿つ突き。

 左の回転蹴り。

 

 攻撃の終わりを次の攻撃の起点へ。

 初めて入った明確なダメージによりヒュアキントスに生まれる焦り。

 最大の好機。

 ここを逃せば次はない! 

 

「餓鬼が調子にのるなあっ!!」

「ぐぁ!?」

 

 追撃の手を緩めない僕の連撃を回避するのに手一杯だったヒュアキントスは、下がる足が壁に行き当たったことを察した瞬間後ろ足で壁を駆け上がり跳躍。

 逆さまにその身を宙に踊らし抜刀した二本目の剣を叩きつける。

 突然の三次元機動に対処が遅れ堪らずたたらを踏む足と着地の衝撃が城を揺らした。

 

「ちくしょう……!」

 

 左手に突き刺さったままだった剣の柄を歯で挟み引き抜く。

 意識がスパークする程の鋭い痛みと骨が砕ける音が聞こえたが柄を噛み砕くほどに噛み締めて堪えた。

 蹴り飛ばした剣が甲高い音を立てて部屋の隅へ滑っていく。

 

「……狂気すら感じる執念。浅ましい怨讐か。何がお前をそこまで駆り立てる」

「……否定はしない。貴方たちを恨んでいないと言えば嘘になる」

 

【アポロン・ファミリア】が戦争遊戯を仕掛けて来なければ、とやり場のない憤りを募らせて眠った夜は数え切れない。

 悪行を行った彼らも報いを受けるべきだ、と考えたこともある。

 なるほど、それならば確かに僕は復讐者だ。

 

「でも、今僕が此処にいる理由はそうじゃない」

「なに?」

 

 止めどなく血が流れ続ける左手を剣に添え構える。

 傷が深すぎる。出血量も多い。

 ヒュアキントスも身体の全面から多量の血を流しているが、鎧で急所は守られたため僕に比べればそのダメージは薄い。

 

 ああ、痛い。痛いなあくそ。

 剣を抜いたあたりから目端に溜まっていた涙が一粒、二粒と頰を伝う。

 睨み合うヒュアキントスの眉が微かに中央に寄ったのが分かった。

 また、男が涙を流すのはみっともないと言うのだろうか。

 その通りだと僕も思う。でも仕方ないだろう、本当に痛いんだから。

 最上階に来るまでに全身に斬傷はあったし、魔剣の炎で焼かれた傷は止血にこそなったけどぶくぶくと皮膚が泡立つように癒着して空気に触れるだけで叫びたくなる。

 貫通した左手は痙攣して煮えたつ鍋の中に手を入れているみたいだし、何度も剣を打ち合った腕もじんじんとして思うように力が入らない。

 本音を言えば、今すぐ意識を手放してしまいたいぐらいだ。

 

 それでも僕が立って剣を持つのは。

 

「惚れた女の子に泣いて欲しくないから。――僕の覚悟だ」

 

 あの夜に見た彼女の涙。お姉ちゃんのように前を歩いてくれていた背中が小さく震えていた。

 それだけは我慢ならないと僕の中に燻っていた雄が絶叫を上げたから。

 男の芯が膝を屈することを許さない。

 そうか、と短く吐き出したヒュアキントスの瞳が一瞬だけ弛緩した。直後、鋭い瞳が射抜く。

 

「例え何者に阻まれようと神命を遂行する。――私の覚悟だ」

 

 繰り返すように宣言される誓い。

 腰を落とす。

 ヒュアキントスにはまだ余力があるだろうが、僕はもう限界が近い。

 気力や根性の話ではない。身体機能としての限界が迫ってきている。

 これ以上身体能力を落とせばヒュアキントスに追いすがることすら出来なくなるだろう。

 そうなればあっさりと負けてしまう。

 

 故に、一撃。

 

 次の一瞬で勝負が決まる。

 風穴の空いた左手親指以外の間で最後のポーションをつまみ口の中に放り込む。

 

「ふっ!!」

 

 それを隙と見た剣を肩に担いだヒュアキントスの突撃。

 研ぎ澄まされた集中力が時間を引き延ばす。

 推進力を生み出す脚の動きが。剣を振るうため躍動する筋肉が。意思を映し出す視線が。

 その全ての動きがゆっくりになり見渡せるような感覚。

 

 一年間。

 その時間のほぼ全てを怪物との戦いに費やした僕が最も得意な……否、最も繰り返した攻撃方法。

 

 与えたダメージ。与えられたダメージにより満身創痍な身体。混ざり合った濃密な殺気。

 ヒュアキントスにも焦りがあったのか、待ち望んでいた瞬間が訪れた。

 

 カウンター。

 

 何百、何千、何万と怪物を倒してきた最大の信を置く攻撃。

 

 肩から股下にかけてを斜めに斬り下ろす一閃。

 ヒュアキントスのそれに低い姿勢で踏み込む。

 耳の表面をなぞり肩を浅く削る。

 脚のバネを使い身体を瞬間的に持ち上げ、踏み込んだ足を軸に半回転。

 僅かな工程で生み出した遠心力を全て剣に乗せ攻撃最中の無防備な背中に振り下ろす。

 勝負を決する一撃。

 空気を切り裂く必殺の刃がヒュアキントスに迫り――、

 

「これしきで敗れると思ったかッ!!」

「思って……ないさッ!!」

 

 剣を振り切った勢いのまま独楽のように回ったヒュアキントスの剣が防御を間に合わせる。

 背面から倒れこむように身を倒すヒュアキントスの剣と僕の剣が轟音を立て火花をまき散らした。

 ガラスのような音を立て僕の剣が砕け――刹那、僕の左拳がヒュアキントスの頰を貫く。

 

 地に激突しバウンドするヒュアキントスの手を思い切り蹴り剣を手放させた瞬間、脚で僕の身体に絡みついたヒュアキントスが脚力のみで僕を頭から地に叩きつける。

 星が瞬く視界を無視して身をよじった僕がヒュアキントスの腹を殴打し、拘束が緩んだ瞬間に抜け出した。

 

 ゼロ距離インファイト。

 拳と拳が激突し生まれる衝撃波の闘気が肌を焦がす。

 肉と肉がぶつかり合ったとは思えないほどの轟音が大気を振動させ、反動で吹き飛びそうになる身体を震脚で無理やりその場に釘付ける。

 

 受け、流し、捌き、避け、相打つ。

 

 握った左拳が神経が表面に纏わり付いているのかと思うほどの激痛を訴える。

 無視。

 前だけを見ろ。目の前の男の事だけを考えろ。

 一瞬でも気を緩めるな。さもなくば、瞬きの間に倒れているのは自分になるぞ! 

 

「ああああああああぁぁぁああ!!!!!」

「おおおおおおおおぉぉおお!!!!!」

 

 だが、とうに身体は限界寸前。

 打ち込まれる拳の一撃一撃が容赦なく意識を飛ばそうとしてくる。

 ヒュアキントスに己より体力があり、力があり、技術があり、余力が残っている。

 

「【閉ざされた大地 凍てつく白亜の凍土】」

「並行詠唱か!?」

 

 決断は刹那。行動は一瞬。

 

【魔法】の詠唱。

 元々杖を持った魔導師だった僕は攻撃魔法が使える。

 指定した座標から氷を隆起させるという臆病な僕らしい外敵から身を守るための冷たい防壁。

 壁として使ってもいいし、槍のように勢いよく射出すればそれなりの殺傷力を誇るため勝負を決める大一番で頼りにできる奥の手。

 

 並行詠唱ができればの話だが。

 

 精々が歩きながらの詠唱しかできない僕に、拳と拳がぶつかり合い互いの肉体を打ち合う乱打戦の中詠唱など不可能だ。

 

「【世界を侵す白は銀の調べ】……っ!!」

「はあっ!!」

 

 詠唱をし終える前にトドメを刺すつもりか、ヒュアキントスの猛攻が勢いを増す。

 捌ききれず肉体に拳が突き刺さりながらも、顔だけは必死に死守する。

 制御の手綱をとうに振り払った魔力が身体の中で荒れ狂う。

 

 そうだ、僕に並行詠唱なんて出来ない。

 そんな高等技術を身につける余裕と時間、才覚はなかった。

 でも、そんな僕だからこそ出来る奥の手がある。

 

 ――魔法暴発。

 

 魔力の制御を誤った魔術師が陥る自爆技。

 命の危機に関わるダメージを負うが……この魔力の暴発は自身の周囲にまで破壊をもたらす。

 生きていれば運がいい。五体満足なら奇跡。

 クロッゾの魔剣を除けば僕の保有する最大火力。

 最後まで残しておいた奥の手。

 

「【何者も動く事叶わず 何物をも拒む】……づぁ!」

「貴様……まさか……!?」

 

 僕の目論見に気がついたのかヒュアキントスの顔が驚愕に染まる。

 

「付き合ってもらうぞヒュアキントスっ!」

「勝負を捨て死ぬつもりか!?」

 

 ヒュアキントスの腰に組み付く。

 強烈な肘鉄が背を打ち、膝蹴りが肋骨をへし折るが回した手は意地でも離さない。

 

 自殺行為をしていることは分かっている。

 でも、ここで負ければ。

 それは、彼女に涙を流させる全てから助けると誓った僕が死ぬ事と同義だ。

 

 死ぬつもりは当然ない。

 だが、負ければ死も同然。

 なら、死力を尽くすことに躊躇いがあるわけがない。

 最初からこの手は考えていたのだから。

 

「ぐ、おおおおっ!?」

 

 ヒュアキントスの絶叫が鼓膜を穿ち、直後。身体の内側から弾けた魔力の爆発が意識を飲み込んだ。

 

 

 ☆☆☆

 

 

 彼女は見ていた。

 

 思いつめた表情でダンジョンに潜る【幼馴染】を。

 真っ赤に染まった服でバベルを出る【幼馴染】を。

 

 彼女は見ていた。

 

 何かに取り憑かれたように強くなろうとする【幼馴染】を見ていた。

 

 あれほど泣き虫だった【幼馴染】が命すら危ういような怪我をしている。

 数にして数度。

 その度に彼女の心は悲鳴をあげていた。

 

 危険を犯してまで共に逃げようと手を差し出した【幼馴染】を拒絶した。

 神アポロンの執着は常軌を逸する。手に入れていないものだからこそ欲しくなる。あの時点で逃げれば神アポロンは必ず彼女たちを追ってきただろう。

 直接対面して、話してそう確信していた彼女はそれを断った。

 自分が守ってやらなければならない。だから【幼馴染】が自分に未練を残さないようあえて嫌われるように。

 

 自棄になったのかと思った。

 誰が見ても遠からず死ぬような無茶無謀。

 止めに行こうとする身体を何度も血が滴るまで拳を強く握り抑えた。

 でも、【幼馴染】の立場を思えばこそ、それは出来なかった。

 戦争遊戯による賠償金と保有権利の強奪。ファミリアの解散。

 また戦争遊戯の内容による風当たりの強さによる市民の冷ややかな視線。

 その上ギルドからのペナルティまで【幼馴染】に背負わせてしまってもいいのか。

 

 ――それは、自分が招いた事なのに。

 

 その思いが彼女の心と身体を鉛のように重くした。

 

 ファミリアの空気がそれに拍車をかけた。

 アポロンを信ずる眷属と彼女と同じように引き抜かれた眷属。

 二分されたファミリアは居心地が良いとは口が裂けても言えなかった。

 生活に困る事が無かったのは神アポロンなりの気遣いと責任の取り方だったのだろうか。

 しかし、恨みは泥のように心に沈殿する。

 

 唯一の救いは、カサンドラという少女の存在。

 同い年の彼女は泣き虫で、臆病だった。

 自分がしっかりしなければと思うようになり、またカサンドラが善良な少女であった事が幸いした。

 二人の間に友情が芽生えるのも必然であった。

 それでも、彼女は【幼馴染】の事がずっと気がかりだった。

 物心ついた時からずっと一緒にいたのだから。【幼馴染】が弱い弟のような存在で、守ってあげなきゃいけないのだと彼女は思っていた。

 

 そうして一年が経つ頃【アポロン・ファミリア】に戦争遊戯が申し込まれた。

 対戦相手は【幼馴染】のファミリア。

 

 何のために、と問うほど彼女は頭の血の巡りが悪い人物ではない。

 

 頭を支配したのは、どうしてという疑問。

 嫌われるように拒絶した。関わるなと言った。

 なのに、どうしてと。

 

 戦争遊戯で取り決められた事は覆せない。

【幼馴染】ひとりで挑むと知った彼女は辞めさせようと神アポロンに直談判して拘束された。

 数日後、神命を果たすのが眷属の責務であると、そう語った団長たちがホームを出発し入れ替わるように彼女はバベルへと連れていかれた。

 

 愛する女を取り返すために単身殴り込み。

 

 このフレーズに盛り上がった神々から口々に声をかけられるも、アルカナムによって投影された映像に釘付けな彼女がそれに取り合う事はなかった。

 

 草原に佇むひとりの少年。

 

 半年ぶりに見た【男の子の幼馴染】は彼女の記憶より随分と精悍になっているような気がした。

 

 彼女は見ていた。

 

 魔剣を振るい必死に走る【男の子の幼馴染】を。

 嘘みたいに強くなったその姿を。

 

 彼女は見ていた。

 

 半壊した城で剣を抜きはなち見たことのない顔をする【男の子の幼馴染】を。

 想像をしただけで身体を抱きしめてしまうような激痛に顔を歪めながらも、前を睨みつけるその顔を。

 

 もうやめてと叫びたかった。

 もう十分だと抱きしめたかった。

 

 でも、【男の子の幼馴染】は一瞬たりとも諦めなかった。

 

 彼女は見ている。

 目を背けたくなるような壮絶な殴り合いの末、故意に引き起こした魔力暴発で巻き上がった瓦礫の粉塵。

 蹌踉めき、全身ボロボロ。しかし二本の足で立ち上がったヒュアキントスと、地に伏せたままピクリとも動かない【男の子】を。

 

「――――ーで」

 

 頰を伝う涙が一雫。

 蛇口が緩んだように、また一雫、二雫。

 様々な感情がごちゃごちゃに混ざった熱が心から溢れ出し、喉を通って声になる。

 

「――ーないで」

 

 伝わるわけがない。

 この行為に意味などない。

 そう理解していても彼女――ダフネはそれを堪える事ができなかった。

 

「死なないで……! 立って!! お願いだからぁ……!!」

 

 涙に濡れた声音。

 少女の心から溢れた悲痛な叫び。

 

 それは確かに、少年へ届いた。

 

 

 ☆☆☆

 

 

 ひどく懐かしい声が聞こえた――ような気がして、意識が戻った。

 焼けるような痛みに侵される全身。

 ピクリとも動かない身体。

 

 床に押し付けられた耳がずり、ずりと衣擦れの音を捉えた。

 

「ぐっ……は……はぁ……はぁ……!」

 

 荒い息遣い。されど、そこには二本の足で立ち上がるヒュアキントスがいた。

 

 身体は動かない。

 

「ふざ……ける……な……!!」

 

 ガリ、と奥歯で口に入れていたポーションの容器を破壊する。

 溢れ出した癒しの液体が喉を伝って体内へと入り、焼けるような激痛が炙られるような激痛へと緩和されていく。

 

 身体は動かない。

 

「称賛してやろう。この私が貴様にここまで追い詰められるとはな……!」

 

 立て。立ち上がれ。

 奇跡的に身体についていた四肢に必死に力を込めるも、望む反応はなくみっともなく痙攣するのみ。

 

 身体は動かない。

 

「私の勝ちだ――これで、神命を果たせる」

 

 思考が止まる。

 そうだ。何のためにここにいるのか。

 立ち上がれ。立って拳を握れ。

 またダフネちゃんに涙を流させるのか!? 

 ダフネちゃんに笑っていて欲しいからここにいるんだろう!? 

 

 身体に芯熱が流れていく。

 

「まだ……だ……っ!」

 

 彼女の笑顔を想起する。それでみっともない四肢の痙攣は止まった。

 ふらふらする意識を覚悟の槌で殴りつけ拳を握る。

 

「まだ……立てるのか……!」

「当たり前……だ……!」

 

 強がりだ。

 今この瞬間にも意識を失ってしまいそうだ。

 握った右の拳からブチリと嫌な音がする。

 拳だけじゃない、全身で不協和音を奏でていた。

 血管が、肉が、骨が、内臓が、およそ身体を構成する全てがぐちゃぐちゃになっている錯覚。

 いや、本当はもうそうなっていて、脳内麻薬やらなんやらで誤魔化しているだけなのかもしれない。

 

 ――関係ない。

 拳を握れたのなら殴れる。

 殴れるのなら倒せる。

 倒せるのなら勝てる。

 

 ヒュアキントスのダメージも尋常ではない。

 お互いが魂に通した一本の芯のみでここに立っている。

 

 共に満身創痍。瀕死の瀬戸際。

 

 一撃を受ければ……いや、一撃を繰り出せば倒れてしまいかねない、命を咀嚼して立ち上がった獣。

 

 己の定めた覚悟。貫く信念のために目の前の生物が許せない。

 

「……」

「……」

 

 言葉はなく。

 しかし動いたのは同時だった。

 

「あああああああぁぁぁああ!!!!」

「おおおおおおおぉぉぉおお!!!!」

 

 声ですらない砲声。唸りを上げる拳と拳が交錯する。

 最後の一撃。死力を尽くした残り滓。

 

 先に届いたのはヒュアキントスの拳だった。

 

 鈍い打突音。

 額を捉えたその拳の威力は勝負に幕を引くに十分だった。

 最後のダメ出しに意識が白み――、

 

「が、ああああぁぁああ!!!」

 

 ガリィ! と響く破砕音。

 口の中に隠していたもうひとつの――正真正銘最後のポーション。

 治癒の力を持つ液体が絞りきったはずの力の残り滓をほんの少し上乗せする。

 

 僅かに身をひねる。何度も何度も反復した遠心力を生み出す工程。

 突き進む拳に力が、積み重ねが、想いが託される。

 

「――ふ」

 

 刹那、ヒュアキントスの口角がほんの少し歪んだような気がして。

 長い戦いに――ひとりぼっちの戦争遊戯の終わりを告げる拳がその頰に突き刺さった。

 





3話で終わるといったな、あれは嘘だ。
あと1話だけ続くんじゃよ。
第4話 エピローグ

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