ライノ~ガーリー・エアフォース・アポクリファ~ 作:フリッカー
空は、不気味なほど厚く暗い雲に覆われていた。
眼下に広がる海辺の大都会は、蠢く影がひとつたりともないゴーストタウンと化していた。
その上空を、2つのきらめく光が切り裂く。
暗闇を駆ける孤独な流れ星のように飛ぶのは、白銀の戦闘機。
ゆっくりと開いていく大きな可変翼には、緑・白・赤の蛇の目が描かれている。
F-14Aトムキャット。
しかしそのボディには幾何学的な模様が走り、コックピットは装甲に覆われている。
「上海の市街地……生命反応は、ないか」
その機内で、後席に座る男がつぶやく。
彼はパイロットらしくヘルメットと酸素マスクを身に着けていたが、前席に座るパイロットは異様だった。
「中尉さん、ここの空気はどこか妙です。気を抜くと溶かされてしまうような、何者かの罠に迷い込んだような」
年齢が10代後半程度にしか見えない少女なのだ。
褐色肌の彼女は、髪と首元を布で覆ってはいるものの、ヘルメットも酸素マスクも着けていない。
しかも、布から僅かにあふれている銀髪は、ぼんやりと発光している。
その操縦席も異様で、操縦桿もスロットルレバーもなく、少女は側面にあるパネルの上に手を置いているだけ。
「そりゃあ、敵さんの足元だからなあ。わからんでもないが──」
「それに、気付いていますか。時計が全て止まっています」
少女の感情を押し殺すような冷静なつぶやきで、男ははたとコックピットに据え付けられたアナログ時計を見る。
動いていない。
はたと腕時計を確認するが、それも止まっていた。
機内の時計と自身の腕時計が揃って、同じ時刻を差したまま止まっている。
偶然と考えるにしても、あり得ない状況。
何が起きたんだ、と男が戸惑っていると、
『……アンフィジカルレイヤー』
無線で幼い少女の声がしたと思うと、右を別の光が追い抜いた。
マゼンタに輝くその機体は、コブラのフードを思わせるストレーキを持ち、カンガルーをあしらった特徴的な国籍マークを付けた戦闘機。
EA-18Gグラウラー。
しかし、やはり幾何学的なラインが走り、コックピットは装甲に覆われている。
そんなグラウラーは、ゆっくりと速度を落としトムキャットの横に並ぶ。
「グラウラー、何だそれは?」
『時間と空間の概念、物理的な壁さえ存在しない、別次元の世界』
グラウラーと呼ばれた少女が説明する幼い声は、まるでロボットのようで感情はない。
故に、男は言っている事を理解できなかった。
「どういう事だ?」
「マトリョシカ人形を思い浮かべてください。個人の体・精神という壁が、マトリョシカ人形を開けるように取り払われていって、最後には『本質』だけが残る、んだそうです」
「個体って概念が存在しない世界、って事か?」
前席の少女の説明を聞いて、何だそれ、と男は思った。
完全にSF映画の世界だ。
とは言っても、今乗っている戦闘機さえSF映画の世界から出てきたようなものと考えて、何が起こっても不思議ではないと心を落ち着かせる。
「とにかく、長居は無用だな。ザイがいつ出てくるかもわからない。トム、グラウラー、手がかりが見つからなかったらすぐ引き返すぞ」
「了解」
気を引き締めて、飛行を続ける。
やがて、進路上に巨大な空港が見えてきた。
上海の国際的な空の玄関口だった場所。
当然、人影も旅客機の姿もない、と思われていたが──
「中尉さん!」
トムキャットのディスプレイに、あり得ないものが映し出された。
主翼下に下げたポッドのカメラが捉えた映像。
そこには、2機の戦闘機が駐機しているのが見える。
深紅のダブルデルタ戦闘機。
そして、グラウラーと瓜二つの、青い戦闘機。
「ドーター……! グリペンに、ライノ!」
しかもそのふもとにはタンクローリーが横付けされていて、誰かが作業しているのが見える。
青い髪の少女と、黒髪の少年。
見間違えようがない。
「ライノだ! ナルタニもいるぞ!」
探し求めていた相手が、簡単に見つかるなんて。
砂漠の中にオアシスを見つけた如く、男は安堵した。
もう1人見つけるべき者の姿は見当たらないが、2人が無事ならば彼女も無事である可能性が高いだろう。
だが、問題はここからだ。
『お姉様……!』
グラウラーが急に高度を下げ始めた。
2機の戦闘機の真上を通るコースを取り、アフターバーナーを点火し。
「お、おい待てグラウラー!」
『お姉様、お姉様、お姉様……っ!』
男が止める間もなく、グラウラーは先程の無感情さが嘘のように言葉を連呼しながら、2機の頭上を低空で通過した。
だが、2人の少年少女は特に気付く様子がない。
普通なら、轟音に驚かないはずがないのに。
それには、グラウラーも驚いたようで息を呑んだ。
「気付いていない!?」
「恐らく、EPCMの影響……彼らにこちらが見えていないという事は、恐らく無線も通じないでしょう」
「くそ……」
こちらから呼びかけられないのなら、直接会いに行くしかない。
男は、迷わなかった。
「トム、着陸して俺を降ろしてくれ」
「え?」
「あいつらが地上にいるって事は、少なくとも空港は安全って事だ。行って直接話を付けてくる」
「ですが──!」
「わかってる。トムは俺を降ろしたらすぐ離陸して、上空を警戒してくれ。グラウラーを1人にさせる訳にはいかないしな」
「……了解」
トムキャットは男の指示通り、浦東国際空港への着陸コースにつく。
車輪を降ろし、滑走路に向けて高度を下げている間に、男は準備を整える。
ヘルメットを脱ぎ、緊急用の無線機と繋げたインカムをセット。
万が一の時に備えた拳銃。
そして、小さなリモコン。
間違って押されないようにスイッチが二重に閉ざされていたそのリモコンを、男は一瞬迷ったがポケットに入れる。
『ヌードル、お姉様をお願い』
「心配すんな。ちゃんど連れ戻してきてやる」
妙に動転している様子のグラウラーとやり取りした直後、トムキャットが滑走路に降り立つ。
停止すると同時に、蒸気を吹き出しながら装甲キャノピーが開く。
男はインテークに上がってから、乱暴に地上へ飛び降りる。
強い衝撃。
うまく受け身をする事はできたが、それでも一瞬立ち上がる力を奪われるほどの衝撃。
だが、痛みに苦しんでいる暇などない。
そんな体に鞭打って、立ち上がる。
『
反転するトムキャットから、そんなペルシャ語の挨拶が送られた後、装甲キャノピーが閉ざされたのが見えた。
男はトムキャットが再び離陸していくのを尻目に、ターミナルへ向かって駆け出した。
国際空港のターミナルは相当に広いはずなのだが、目的の相手の様子がはっきり見える所には、1分も走らずに着いた。
妙な空気。
自分は自動車並みの速度で走れる訳もないし、相応に走ったはずの疲れもない。
途端。
「──!?」
信じられない光景を見て、足が止まった。
青い髪の少女が、黒髪の少年に拳銃を向けたのだ。
しかもその体から、青いガラス細工が生え始めるのも見える。
あれは。
あれは、何だ……!?
『お姉様……!?』
『あれは……!? 中尉さん! ライノに一体何が……!?』
不幸な事に、上空からモニターしている2人からも同じ反応。
どうやら、自分だけが幻を見ている訳ではないと、男は確信する。
「嘘だろ……」
そうこうしている内に、少年が一瞬の隙を突いて少女の前から逃げ出した。
少女が後を追いかける。
男は迷う事なく、2人の後を追い始めた。
気が付けば、1分も走らずに建物の中。
景色が目まぐるしく変わり、どこをどう走っているのかわからない感覚。
気が付けば、周囲の建物がガラス細工に覆われていくのが見える。
これには、見覚えがある。
ザイの世界。
ここは、ザイの世界と化している。
『お姉様! お姉様っ!』
『敵機出現! グラウラー、下がってください! わたくしが引き受けます!』
無線で敵機襲来の知らせが来ている。
同時に、空がやかましくなるが、見ている余裕などない。
やはりこれは、奴らの罠だったのか。ミイラ取りをミイラにするための。
急がなくてはならない。
そう思っていると、廊下の陰に隠れている少年を見つけた。
探していた相手の片方だ。ただ、その頬には切り傷がある。
すぐに駆け寄った。
「ナルタニ!」
「ヌードルさん!? どうしてここに!?」
「君達を探しに来た。トム達も一緒だ。それよりグリペンはどうした? というかライノに何が遭った?」
「グリペンは多分無事です。ですがライノは、恐らくザイに……」
ち、と男は舌打ちする。
これが夢なら覚めて欲しいと思ったが、悲観している時間などない。
「ねえ、話し合お? あたし達、きっとわかり合えるよ」
まるで酔ったように甘ったるい声が奥から聞こえる。
こんな状況で聞きたい声じゃなかった、と男は歯噛みする。
「ナルタニ。君はグリペンを連れて先に行け。俺が時間を稼ぐ」
「えっ!? ですが──」
「心配すんな。君と違って俺はプロの軍人だぞ。こういう修羅場を潜り抜ける訓練は、しっかり受けている。あいつの事は任せろ」
「……わかりました」
物わかりのいい子だ、と男は安心した。
覚悟を決めて、少年を背に歩き出す。
「ライノ!」
男はわざと大声を出して、ガラス細工が生えた少女の前に立ちはだかった。
ライノと呼ばれた少女は、一瞬目を見開いたが、
「あ、ヌードルじゃない! という事は、先輩やグラウラーも一緒かな? あはは、にぎやかになるなあ!」
すぐに、何気なく友人と顔を合わせたかのように、拳銃を向けたままへらへらと笑った。
ガラス細工の世界でしてはいけない表情。
明らかに狂っている。
まるで変な薬でも打ったような様に、男は戸惑いを隠せない。
男はゆっくりと拳銃を抜く。
だが、それをライノに向ける腕は、石のように重かった。
「どうしたんだ……!? 一体どうしちまったんだ、ライノ!?」
なぜこのような事になってしまったのか。
男は、閉じてから1年も経っていない記憶の引き出しを開いた──