命の意味~Per connetterti con te~ 作:Anmary
次の日は嫌に乾燥していて、フードで顔を隠していても肌や唇が水気を失っていくのを感じていた。
フォルトゥナの街を軽く歩いた限り、悪魔の出現頻度はそう高くないように思われる。『スパーダの血族』の気配と香りに誘き寄せられたらしい個体は幾つか散見したが、その原因が察せられている以上自分がいない状態のフォルトゥナでは恐らく地獄門の封印がしっかり成されているのだろう。
「おかえり」
古書店の扉を開くと、本棚の間から伺えるカウンターでロックグラス片手にビアンカがそう声をかけてきた。真昼間から飲酒しているらしい彼女からは濃い酒の匂いが漂っていて、思わずバージルは眉間にシワを寄せる。
「臭うぞ」
「ああ、そう?」
彼女はへらりと笑うだけで、ウィスキーを煽る手を止めることは無い。バージルはその横をすり抜けるように
「あとで聞きたいことがある」
「はいはい、夕飯は食べるの?」
三食昼寝付きと自分で言っていたくせに、と睨んだらその眼光だけで降参とばかりに彼女は両手を挙げた。
「直ぐに用意するよ」
缶詰から取り出され温められただけのパスタは妙に水気を吸って伸びていた。
「……で、それが俺の母親かもしれない唯一の人間だって?」
そうして時は現在に戻り。ガタガタと揺れる移動事務所の座席の上でネロは呆れかえってしまった。彼から聞く限りでは「大酒飲み」「料理下手」その他挙げていくときりがないがおおよそネロから見て魅力的な女性とは思えなかった。
少なくとも、彼が大切な恋人として認識しているキリエとは天地ほど差があるように思えた。(これについては彼氏としての欲目もあるかもしれない。)自分から見て何となく冷酷・几帳面・傲岸不遜といったイメージのあるバージルが一番嫌いそうな人種ではないのだろうか?
「そうだな、正直に言えば俺が奴に抱いていたイメージは最悪に等しい。用が済めばさっさと縁を切ろうとすら思っていた」
彼女をなぜ殺さなかったのかと問われれば少し説明に困るが。彼にとって彼女は切り殺すほどにまでは目障りな存在ではなかったのだ。多少なりとも不快に思う言動等はあっても殺意に変わるほどにパーソナルスペースに土足で踏み込まれたわけでも、何か危害を加えようとされたわけでも、裏切りの気配を感じたことがあるわけでもなかった。ある一点において、彼女は誠実だったのだ。距離感は保ち、必要以上に関わってくることがなかった。だからバージルは自分のやりたいようにやったし彼女もそれについて何か言ってくることもなかった。
ああいやでも。
「むしろ一度本気で殺そうと思ったこともあったな」
ネロが
「なんで俺が生まれてきたのかマジでわっかんねぇんだけど」
彼がため息とともに吐き出された言葉は超がつくほどに正当な感想だった。確かに今話した内容ではとても、(結果を先に聞かされているにも拘らず)そういう関係になったとは信じられないだろう。契約途中でバージルがビアンカを切り殺した、なんて結果になっている方がむしろ自然だと感じる程ではないか。
しかし事実バージルもネロが自分の息子だとダンテに肯定された瞬間には最高に戸惑った。息子が生まれていたなど知る由もなかったのはもちろんだが、何より身に覚えが一つしかなかったのだ。
バージルは人間の営みというものに興味がなかった、何もかもを凌駕する
つまりネロの存在というのはたった一回の若気の至りが見事に形を成したということになってしまう。それを本人に告げるのは流石のバージルも気が引けた。
「教えてくれよ、親父。アンタはその女を愛してたのか?」
「……」
彼からしてみれば一番気になるポイントだろう。自分が望まれて生まれてきたのかどうか、それは問うことを諦めていたであろう疑問。両親共にいないはずだった彼が幼い頃に諦め飲みこんだ言葉はあまりに無垢で、そしてとても真摯だった。
父性というものはバージルに馴染みがないが、しかし真剣に向き合おうという意思を生じさせるに十分だった。自分の遺伝子をその体の半分に受け継いでいるはずの息子は、実に自分に似ていない。かといってあの女に似ているかと問われればそれも確信はない。だが時折感じるその気配はきっと、彼が顔も知らぬ母親から受け継いでいるのかもしれないとなんとなく思った。それがまた、息子にとっては理不尽だが小生意気に感じられてしまうわけで。
「貴様がキリエとやらを愛しているほどには、なかっただろうな」
「はあ?」
「俺とあの女の間にまともな恋愛感情があったとは思えん。他者を愛おしいと思うような感情は、あの時の俺の中にはひとかけらも存在していなかったからな」
それはつまり、母の方の感情は認識していないということじゃないか。と。そう思ったネロはしかしその言葉を言うことなく口をつぐみ父の記憶の話に再び耳を傾けるのだった。
「──……魘されてたから、起こしてやろうかと思っただけじゃないか」
勘弁してよ、と言う彼女の低い声はひきつっていた。
無理もない、今は夜中。しかもそこはバージルが借りている部屋で、そして彼に閻魔刀を喉元に突きつけられていれば命の危機を感じるのは当然のことだ。そして実際、バージルが少し、そうほんの少しだけその刀に力を込めるだけでこの女はいとも簡単に死んでしまうことだろう。
「俺に、余計な真似を、しようとするな」
一つ一つの言葉を切りながら低く唸る。その台詞に殺気すら籠るのは、半ば八つ当たりのようなものだった。今しがた見ていた夢が、あまりに胸糞が悪かったから。
「次は殺す」
「わかったから、とりあえずその物騒なものをしまってくれないか」
不機嫌そうに眉間にしわを寄せたまま軽く切っ先を引いてやれば薄く傷がつき、一筋だけ血が線を描いた。ビアンカの柳眉が痛みからか顰められるが知ったことではない。
「『置いていかないでくれ、母さん』」
傷口を摩りながら彼女は囁いた。バージルはそれを聞いて思わず息を詰める。ギロリとそちらを睨めば彼女はもはやいつも通りのほほ笑みを浮かべていて。
「案外可愛い寝言が聞こえてくるなと思ってさ」
「本当に殺されたいらしいな」
唸るようにそう噛み付くのは、その寝言に心当たりがあるからだ。
彼が見る悪夢はいつだって同じ。目に映る最初の光景は遠ざかっていく母の背中だ。
彼女が死んだあの日、バージルは独りで隠れ、震えているのが精一杯だった。だが彼の双子の弟は母親によって庇われ、護られていたのだ。
自分の目では見ていないはずのその様を、バージルはしばしば夢で見ていた。それはつまり、母が自分を見棄てて弟だけを守ろうとする光景だ。母に捨てられ、悪魔に嬲り殺されていく幼い無力な自分の断末魔で幕となる。それは目が覚めた今でも耳の奥にこびりついていた。
「殺されたいだなんてとんでもない、私はまだまだ死にたくないよ」
「だったら」
「私が知りたいのはさ、私が生まれてきた意味だ」
聞いてもいないのにどうして勝手にべらべらとしゃべりだすのか、バージルは心底理解に苦しんだ。今しがた本気で殺されかけたというのを理解していないのか。
だが彼女はむしろ瞳を輝かせて、自分の話を聞いてほしいようだった。そんな彼女を黙らせ、部屋から追い出した自分は今までになく辛抱強かったと思う。無意味な殺生は好んでするわけではないものの、普段なら少しでも不快に思った時点で切り捨てているというのに。
生まれてきた意味、という言葉に少しだけ興味を惹かれたからかもしれない。興味を惹かれたというよりは嘲笑する意味の方が強かったかもしれないが。