9月に入って少しは過ごしやすくなると思いきや、まだまだ暑さが8月と変わらず部屋の中はクーラーをフル稼働している。
そう言えば部屋のカレンダーをまだ8月からめくっていない事に気が付いた。画鋲によって壁に張り付けられているカレンダーを手に取って、ビリビリと破る。
カレンダーは9月に更新されて、手元には役目を終えた8月分のカレンダーがある。
その役目を終えた月をボーっと眺めながらある事を思う。
それは、8月に起きた素敵な思い出。
一緒に海水浴に行って、同じ部屋で一晩を共にした。言い方は何だかいやらしいけどそんな事はしていない。まぁ、キスはその、しちゃったけど。
一緒に和太鼓を叩いた。いつも一人で和太鼓を叩いていて楽しかったけど、二人で叩くのも悪くないって思えた。
そして、恋を自覚した月でもある。
このままこの役目を終えたカレンダーを捨てると今までの思い出が消えてしまいそうな気がした。もちろんそんな事あるはず無いんだけどさ。
コンコン、と部屋のドアをノックする音が聞こえる。
入ってもいいぞ、と伝えると妹が入って来た。
「おねーちゃん、ちょっとあことお話しよ?」
「ああ、もちろん良いぞ」
妹のあこは高校3年生だから、受験シーズンに入ってくる。簡単に言えば忙しくなっていくんじゃないだろうか。
まぁでも、あこはアタシの自慢の妹だ。きっと良い方向に進んでいくはずだ。
「おねーちゃんにね……お、男の子のお友達がいるよね?」
「ああ、正博だろ?それがどうかしたか?」
「あこ、ちょっと気になってて……おねーちゃんは正博さんの事、好き?」
アタシは手に持っていた8月分のカレンダーをきれいに、小さく折りたたんだ。やっぱりアタシにはこのカレンダーを捨てることが出来なさそうだ。
あこはアタシと正博の仲が気になるらしい。
一度、正博を家に連れてきて一緒にご飯を食べたし、例の謝罪の時も両親に会っている。
アタシはあこに嘘はつきたくないから、本当の気持ちを話すよ。
きっとあこも女子高生だから恋愛の話とか好きかもしれないな……いや、ゲームの話題の方が好きか。
「ああ、アタシは正博の事が好きだよ。異性として、な」
「やっぱり!?いつからお姉ちゃんは正博さんの事、好きになったの?」
「そうだな……ライブに誘って感想を聞くとすごく喜んでくれてさ、多分そのあたりから少しずつ正博を好きになっていたと思う。気づいたのはお祭りの時なんだけどな」
最初は正博を中学生の時の蘭に重ねてしまって、アタシが面倒を見てあげなきゃって思っていた。だけど次第にそんな感情は無くなっていた。
今あるのは少しでも正博と一緒にいる時間を増やしたい、正博のそばにいたいと言う感情。
そして、アタシの恋心を正博に気づいて欲しいと言う感情。
でも積極的すぎると正博に引かれちゃうよな……。
ずっと女子高で学んできたアタシに恋の駆け引きはとっても難しい。
同性からかっこいい、と良く言われるけどこのままで良いのだろうか。正博は「笑顔がかわいい女の子が好き」って以前言っていた。
「正博さんって良い人そうだもんね。ちょっと頼りなさそうだけど」
「あはは、でもああ見えても頼りになるんだぞ」
あこに海水浴に行った時に、クラゲに刺されたんだけど的確に対応してもらえたことをあこに教えてあげようと思った時にアタシの携帯にメッセージが入ったらしい。
アタシは携帯を見ると「佐東正博」と言う人物からだけど、友達登録はされていない人だった。
「うん……正博か?これ」
「あ!あこ、ゲームする約束忘れてた!おねーちゃん、幸せにねっ!」
あこは急いで部屋から飛び出していった。きっとアタシの邪魔をしたくなかったのだろう。
別にそこまで気にしなくてもいいぞって言おうとしたけど、もうあこは部屋を出て行った後だった。
機種変更した時に間違えて消しちゃったので前のアカウントは消してください
そう送られてきた。たしかに正博だったら間違えて消してしまいそうだよな。このSNSなんて簡単に引き継げるのに。
それにアタシはちょっと正博の声を聞きたくなった。だから今来た「佐東正博」に電話をしてみた。
通話がつながるまでドキドキしながら待つ。この胸が締め付けられるような感覚はきっと正博が電話から出た時に優しく解され、心地よい感覚になる。
もう、アタシは恋をする女の子。
「……もしもし?巴ちゃん?」
「あ、正博!機種変更で引き継ぎ失敗したんだろ?笑わせないでくれよ、あははは」
「も、もう……笑わないでよ」
「分かった、もう笑わないよ。ところでさ、今週の火曜日って暇か?」
「えっと……うん。お、僕は大丈夫だよ」
「そっか!じゃあさ、一緒にラーメン屋を食べ歩かないか?最近ラーメン食べてないから我慢できなくてさ」
「うん、行こうよ!朝の10時くらいに経済大学前で集合しない?」
「よし、それで行こう!じゃあな、正博」
アタシの心はかなり満たされてきた。正博と話していると楽しいし、なにより一緒にラーメン屋を食べ歩く約束までしてしまった。
今は日曜日だから明後日と言う事なんだけど、今から楽しみしかない。
アタシはさっとSNSにさっき来た正博を友達承認した。そして古い方の正博のアカウントをブロックして削除手続きに入って、指が止まる。
カレンダーでも同じことを思ったけど、この正博のアカウントは正博と出会った時からこれで連絡のやり取りをしている。このアカウントを削除すれば正博との思い出が消えてしまうように感じた。
「……でも、そんな事を思っていたら何も捨てれなくなっちゃうよな」
カレンダーもこれからずっとたまっていく事にもなってしまうだろう。8月分のカレンダーはファイルに入れておく。でもこれから先のカレンダーはきれいに折ってから捨てよう。だからこのアカウントにはお別れを告げて、新しい正博のアカウントで楽しい日常を作っていこう。
「これからも、楽しい日常を過ごそうな、正博」
そしてアタシは最後に一言を告げて、古い方の正博のアカウントを削除した。
「正博、好きだよ。ずっと、これからも」
正博とラーメン屋を食べ歩く日まであと1日と迫って、アタシはもうすでに明日が待ちきれない程ワクワクしている。
そんな日にアタシは幼馴染とファミレスでお昼ご飯を食べていた。朝からバンド練習をし終えた後、みんなでご飯を食べようと我らがリーダーのひまりが言いだしたんだ。
「ところでともちん、まーくんとキス、したの~」
「ブッ!も、モカ!いきなり変な事言うなよ!」
アタシは予想外の質問に飲んでいたオレンジジュースを少し吹いてしまった。女の子がこんな事をしたらダメだろう、なんて思いながら紙で机を拭く。
その時のモカの顔はいつもよりニヤ~ッとしていて、ひまりは目をキラキラと輝かせている。蘭とつぐは頬を赤く染めながらポカンとアタシの方を見ていた。
あれ?アタシ変な事言ったか?
「巴!今の反応は絶対、正博君とキスしたよねっ!ねっ!」
「ちょ、ひまり!近いって!」
「付き合って何か月でキスしたの!?結構ペース速いよね!」
「まだ付き合ってないってば!」
ひまりがこんなにも恋愛に興味があるとは思わなかった。だってアタシと正博がひまりに謝りに行った時なんか「これ以上イチャイチャを見せつけないで!」とか言って走ってつぐん
モカがほほ~、なんてニヤニヤしながら言っているのが何か気になる。モカはボーッとしているけど核心を上手く突いてくるから、発言には気をつけないといけないな。
「と、巴……」
「どうした?蘭」
「まさか、まだ付き合ってないのに……キス、したの?」
「それにともちん、さっき『まだ』付き合ってないって言ってたね~。もうお付き合いする気満々だ~」
アタシは早速自分のした発言のミスを指摘され気づく。これは流石に不利だし、つぐに助けを求めても顔を赤くしながら「あ、はは……」と笑っているだけだった。
それに蘭はボソッと「あいつ、ぶん殴ってやる……」なんて言っていた。ごめん、正博。
蘭に殴られてくれ。でもそれで蘭の事を好きになったら許さないけど。
「まぁ、その……キスはした」
「巴!初めてのキスってどんな味がしたの?」
「味!?そんなの分かんないよ……」
だってあの時は急に思い立って、勢いでキスしちゃったような感じだったから。
それに正博がアタシの下唇を吸ってくるなんて思っても無かったから、もうキスした時の感触なんて忘れちゃったんだよ。
その正博にもう一度キスしないか、なんて言えないよ。
なんかアタシがスケベな女のように思われてしまうし……。
私が思案の海の中に潜っていて、息継ぎの為に出てきて周りを見てみると4人とも目をパチクリさせて口をあんぐりさせてアタシの方を見ていた。
あのモカでさえ、ストローから口を離すのを忘れてしまっている。
またアタシ、おかしなこと言ったのか?
「巴ちゃん……本当に恋をしているんだね」
「どういうことだよ」
「さっきの巴ちゃんの顔。すっごくかわいかったよ」
つぐにそんな事を言われるとは思っていなかったけど、他の3人もうんうんと頷いていたし……アタシ、どんな顔をしていたんだろうか。
アタシはかばんに入っている手鏡で自分の顔を見てみた。
手鏡によって映し出されたアタシの顔は、頬がほんのりと赤く染まっていて口角がちょっと上がる感じで、目はトロンとしていた。
@komugikonana
次話は6月25日(火)の22:00に投稿します。
新しくこの小説をお気に入りにして頂いた方々、ありがとうございます!
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~次回予告~
幼馴染たちから怒涛の質問ラッシュがあった次の日。
今日は正博とお昼ご飯を食べる。
でもアタシは気付いた。そういえば正博の事をあまり知らないって。
例えば彼が左利きだったこととか……。
「……それを知って、どうするの?」
ドスのきいた、低い声も出せてしまうっていう事に。
では、次話までまったり待ってあげてください。