7月に入ってもう何週間も経つ今日この頃。
外に立っているだけでも汗が額からにじみ出るぐらいの暑さがコンクリートをギラギラと照らすものだから、まるで頑固な親父に焼かれているタイ焼きのような気持ちになった。
上からも、下からも熱せられれば海にも逃げたくなる。
僕はいつもと変わらない安物のイヤホンを耳につけて大学に通学する。巴ちゃんのライブに行った後に聴くとどうしても物足りなく感じる。
ハイレゾ仕様のイヤホンに変えてみようかなって思うけど、良いイヤホンはどれも高くて今の僕には手が届かない。
僕が受講している授業も残す回数はあと2回、すなわち来週ですべての授業が終わる。
授業が終わればテストがあって、そのテストを60点以上獲得しないと単位認定が認められないって最初のオリエンテーションで聞いた。
大学生になって初めてのテストだから難易度なんて正直まったく分からない。
現時点で僕に分かる事は一つだけ。
「授業の内容……まったく頭に入っていないんだよな」
大学の経済の授業なんて本当に聞いてもちんぷんかんぷんで、何でも仮定として話を進めるから実感がまったく湧かない。
おまけに専門用語をたっぷりと詰め込んでくるから訳が分からない。
僕の大学は一応「経済大学」だから大した偏差値も無いのに経済は専門的に詰め込むものだから生徒が付いていけていない感がすごい。
……偏差値関係なく、どこの大学もそんな感じなのかもしれないけど。
大学生になってから、本当に勉強をしなくなった。
そんな事を考えていると、教授が教室までやって来ていつものようにやる気のない声で授業を始めた。
いつものように筆箱とメモ用紙、そして携帯を机の上に置いてから左頬に頬杖を突きながら無駄に分厚い教科書を睨みながら説明を聞く。
そんな時に僕の右隣の席に誰かが荷物を置いて椅子を弾いてスッと座って来た。
ここの教室は細長い机に椅子が3つ並んでいる。友達のいない僕は早くに教室について後ろの席に座って真ん中の椅子に自分のリュックを置くんだ。
服装をチラッと見たけど、女の子らしき恰好だったから真ん中に置いてあった僕のリュックをちょっとだけずらした。
……どうしてか知らないけど、隣から視線を感じる。もしかしてこの女の子は友達と2人で来ていて座れる場所が無いから一人で座っている僕の席に来て座ろうと思っているのかもしれない。
そうしたら真ん中の席に置いてある僕のリュックはとっても邪魔な存在だ。「荷物をどけてよ」なんて言われるかも知れないな。
僕は気怠そうに頬杖をしながら隣に座って来た女の子を見ることにしたんだけど。
「よっ!正博!」
「えっ!?どうして巴ちゃ」
「しーっ!声デカいって!」
「あ、ご、ごめん」
隣に座って来た女の子は、大学に来てから出会った大切な友達の巴ちゃんだった。
予想外すぎる人物の登場により、僕は授業中にも関わらず大きな声を出してしまって巴ちゃんは慌てながらも口に右人差し指を当ててしーっ、ってしていた。
「ど、どうして巴ちゃんがここにいるの?」
「その理由は後で言うからさ……隣、座っていいか?教科書も見せて欲しいし」
「へっ!?あ、ごめんすぐにリュックをどけるよ」
僕は真ん中の席に置いてあったリュックをササッと避けて座っている椅子の下に置いた。巴ちゃんは「サンキュー」と言って僕の隣に座って来た。
巴ちゃんが座った時にフワッと風に乗って良いにおいが僕の鼻をくすぐる。
このにおいが僕の心臓を爆発的に加速させる。心音が大きく響いて、教授の声が途切れてしまう程バクバクいっている。
僕の教科書を見ながら左手で髪の毛を掻き上げる巴ちゃんを見て、二度ドッキリする。
少しでも動けば巴ちゃんの肩が僕の肩とぶつかってしまうぐらいの距離。
こんな状況で集中できるはずも無く、僕は頬杖をつきながら授業を聞いているように見せかけてチラッチラッと巴ちゃんの横顔を眺めていた。
いつもはうざったいのに、今回だけは至福とドキドキにまみれた授業が終わり、他の生徒たちはお昼ご飯を食べるために早々と教室を後にする。
僕は白紙のメモ用紙を4つ折りにしてから教科書に挟み込んで、ふぅと一息つく。
すぐ横にいる巴ちゃんはうーん、と座りながらも両手を天井に伸ばしながら背伸びをしている。こんな些細な仕草にもドキッとしてしまう僕は、なんなのだろう。
「ねぇ、巴ちゃん。巴ちゃんはどうしてここにいるの?」
「ん?あぁ、それはだな……」
隣に座っている巴ちゃんに僕は真っ当な質問をぶつけてみた。
今、僕の隣に巴ちゃんが座っている事は非現実的なんだ。だって巴ちゃんと僕は大学は近いけど別々の大学に通っている。
そうなんだけど、ね。
今の感情を正直に吐露してみると、もっと巴ちゃんと一緒に授業を受けたいと願っている僕が居るんだ。巴ちゃんがそばにいたら面白く無い授業も胸が躍るし、巴ちゃんも僕と同じ大学だったら良かったのに。
そんな非現実的な願いをしてしまう僕は、非……?
「アタシ、ちょっとだけ経済学に興味あるんだよ」
「そうなんだ……意外といるよね、経済学に興味ある人」
「なんだ、正博は経済学に興味があるからこの大学なんだと思ってたよ」
「最初はあったけど、今じゃあ難しい単語を使いたいだけの学問に思えてきたよ」
どうしてだろう、巴ちゃんには僕が経済学部なのを「この先でも役に立ちそうだから」と言う、なんとなく決めたって言えない。
最初は経済学に興味があった?最初から無いはずなんだけど。どうやら巴ちゃんの前では恰好つけたいらしい無意識な心が僕の中にはいる。
「……あれ?」
「ん?どうした正博」
僕はちょっとした疑問を抱いた。頭の上には2つのクエスチョンマークがフワフワと漂っている。
「羽丘女子大にも経済学部ってあったよね?」
「ああ、あるぞ」
「どうしてわざわざこっちまで来たの?」
巴ちゃんが通っている大学、羽丘女子大学にも経済学部が存在するのだ。
校内偏差値的には低い方ではあるが、名門女子大の授業の方が質が良いような気もするし何より巴ちゃんも学内の方が融通が利くのに。
巴ちゃんは僕の方をじっと見ながら僕の疑問を聞いてくれていた。
僕が聞いた後、巴ちゃんはちょっとだけ顔を赤くした。
「だ、だってさ……一人で授業を受けたりしても面白くないだろ?」
「へっ!?」
「それにアタシは経済学の教科書持ってないからだよ!」
そう言いながらパシパシと僕の右肩を叩く巴ちゃんの顔はとっても笑顔だった。
中々な勢いで叩かれているからちょっとだけ右肩がヒリヒリするけど、巴ちゃんなら良いかなって思える。
巴ちゃんの叩く手からは、優しさが受け取れるから。
もう一つの感情も受け取れるような気がするんだけど、分からない。何かの感情をごまかす時のような時に持つ感情なんだけど、まさかね。
「どうした?難しい顔して」
「何でもないよ。それより巴ちゃんはこれからどうするの?僕は3限にもう一つの必修の経済の授業があるからそっちの教室に行くけど」
「ほんとか!?アタシも行ってもいいか?」
「巴ちゃんは授業とか大丈夫なの?」
「ああ、蘭たちに任せておけば大丈夫だ」
僕はそれもそうだね、って笑う。
巴ちゃんたちは5人とも同じ大学で同じ学部に籍を置いているらしい。とても仲良しな幼馴染たちで僕はちょっと羨ましい。
「正博、早く教室に行こうぜ!」
「あ、うん。行こうか」
僕はもう少し、と言うか今日だけかもしれないけど。
巴ちゃんと一緒に授業を受けると言う、非現実的な現実を味わう事にした。
「なるほどな、そう言う事か。良く分かったよ」
「……それ、本当に言ってる?巴ちゃん」
3限目の必修授業も巴ちゃんと一緒に受けた授業は、あっという間に終わりのチャイムが鳴り響いた。
巴ちゃんは授業中ずっと忙しく動かしていたシャーペンをルーズリーフの上にコトン、と置いてから一息ついていた。
巴ちゃんのルーズリーフをチラッと見てみると、きれいにまとめられていてカラーペンでメモみたいなものを書いてあった。
……教授が説明しているよりとっても分かりやすそうに見える。
僕は隣に巴ちゃんがいることに心が満たされていたけど、この授業は単位を取らないと進級できないらしいから真剣に聞いた。
だけど、僕の頭では整理できなくて何もかも分からなかった。
「もちろん、本当だぞ」
「僕にはほとんど理解できなかったよ……これ、再来週のテスト絶対ダメなやつだよ」
「あー……そう言えばもうすぐテストだっけ」
僕は根っからの文系脳だから、グラフで説明されても訳が分からない。
僕は大学の選択も間違えたのかも知れないなぁ、とため息をついていると巴ちゃんが「それならさ」と言い出した。
僕の頭は勝手に「アタシが教えてあげるよ」とかいう、頭ハッピーな出来事を即座に期待してしまった。
そんな事が現実にあるわけが無いのに、僕はもう疲れているのかもしれない。
「どうしたの、巴ちゃん?」
僕はそんな期待を隠しながら、出来るだけいつも通りに聞いてみた。
巴ちゃんはナイスアイディア、みたいな顔をしている。そんな顔をしている巴ちゃんはかっこよさの中にかわいさも含めている、反則級の笑顔だった。
「来週、正博の家で一緒に勉強しようよ」
「はいっ!?」
今日は非現実的だったのをすっかり忘れていた僕は、頭ハッピーな予想よりもかなり上のレベルでの答えに素っ頓狂な声を教室中に響き渡らせた。
教えてくれるだけじゃなくて……。
ぼ、僕の家に巴ちゃんが来るの!?
@komugikonana
次話は5月21日(火)の22:00に投稿します。
新しくこの小説をお気に入りにして頂いた方々、ありがとうございます!
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~次回予告~
今日のお昼から、ここで巴ちゃんと勉強会をする事になった僕たち。巴ちゃんと勉強なんて……集中できる気がしないなぁ。
「正博ってさ、その、好きな女の子とかっているか?」
シャーペンの芯がバキッと言う音をたてて部屋のどこかに飛んで行った。
では、次話までまったり待ってあげてください。