それは、少しだけずれた日本の高校のどこかで、 作:AyA Tono N.C.
5月19日。
これは見る人が見れば奇妙に思うし詮索したくなるものであるが、長廊下…これは通称で、体育館に向かう広くて長いやや下り坂への廊下を、教師生徒問わずそう言う。
そこで片側の壁に寄りかかって会話をしているのは、片側は詩津華と花形で、もう片方は、剃った頭を撫でながら話を聞いていた。風雅である。
「…いかがですか伊崎さん」
「あぁいいでしょう。おれも少し調べられそうなことがある」
そして風雅はニヤニヤと笑いながら。
「で。あなたがた。たぶん別軸で加納にも似たようなことを頼んでると思うんですけどぉ~…」
詩津華ははっとして、「やはりおわかりでしょうね。まあ、気づいて当然ですか」。
「あいつをおれがお借りしたらおかしいですか」
「はい?」
「あいつにも、あなたたちはおれとは別のことを頼んでるんでしょうけど、ひとまずおれが受けたほうをクリアにするから、あいつに頼んだ方はちょっと待ってもらってもいいですかって、ことですよ」
「…」
「ここからはおれの推理です。間違ってたら指摘してほしい」、風雅は人差し指をあげて。「あいつ、きっと何か失敗したんですよ。顔色とか様子がおかしい。一緒にいる柴崎が。でもきっとそれを誰にも言えない状態なんですよ、あいつらは。黄瀬さん、別にそんなこと聞いてないでしょ?それか、聞けない雰囲気なのか。だからおれに依頼が入ったのかなって思ってます」
詩津華は舌を巻いた。頭が切れる。その観察眼もすごい。同時に、これは彼に頼んでみて正解だったとも。その結果、謝礼を出すことになるのだけれど。
風雅は余裕綽々と、眼鏡をなおしたり、頭を撫でたりと落ち着かない。行動はそうだが、思考はきわめて冷静だ。
「でもねえ、黄瀬さんがおれにお願いしてることって、調査と潜入なんすよ。それって加納の御名術なんです。おれのはね、保管と証拠隠滅だからねぇ~…ふたり合わさりゃ、完璧ですからねえ~」
「あなたの御名術のことはわかりません。ですけども、加納さんが必要だっていうなら、彼女に直接話をしてみてください」
「はいはいぃ~」
確かに、先週の金曜以降、鈴奈の案件についての動きについて聞かない。月曜になれば1時間目の休み時間に来ると思っていた。むしろ、D組を避けられているような気がする。詩津華は思った。なにかあったか、よくないことが…余計なことを、知りすぎてしまってはいないか。立ち入りすぎてはしまってはいないか。
「竹内君は言えば来てくれるから…キーは加納だな。穂村もついて来たら、なおいい。逆に、柴崎はいらん。邪魔になりそうだ」
「ちょっと待ってください。御名術もち総動員ですの?」
「なに言ってんですかぁ~。黄瀬さんね、おれに、そんぐらい無茶なことを頼んでるんですよ?謝礼、よろしく。教習所行けても、バイク買う金がないからねぇ~」
おもむろにマサカは誰も親しい知り合い、友人のいないC組にずかずかと入り込んで。
教室の一部分でひとりで漫画を読んでいる男の後姿を見つけ。男は、背後につかれても気づかない。教室が少し静かになり、そこに注目が集まる。
「ヤングジャンプ?それ。まーたコソコソエロそうな漫画読んでんのか?お前?ア?」
「うっ…」、太った男がようやく気付く。「ひっ!か、加納、さん!」
「富島、お前もうちょっと休み時間誰かとおしゃべりするとかしろよ、自分磨きしてんだろ?ちゃんと毎日風呂入ってるか?あっ、この子かわいいねえ!でも目がでかすぎだな。漫画だからなあ」
怯える富島が逃げないように、マサカの両腕は肩から失われていて、空からその巨体を囲むように腕だけが浮遊しており、週刊漫画をぺらぺらめくる。
「なっ、なんの、よ、用ですか」
「お前、マサカちゃんのファンだよな?ちょっとあたしの悩み事を、聞いて受けろ。いいか」
「な、な、なんでしょう」
「お前の御名術でぶちのめしてほしい奴がいるんだよぉー。な。いいだろ?もしかしてな、断りゃしないだろうな?ん?」
「む、む、む、無理です!そんな、ぼく、無理です!もうするなって言ったの、か、加納さんじゃ、ないですか。自分で、やってください」
マサカはむっとして、そして小声を。「…じゃあお前じゃなくていいわ。このクラス、初芝って女が御名術もちだったな?そいつの御名術はなに?」
「わ、わからないですよお。だって、初芝さんなんて、しゃべったこともないし」
「なーんでお前は1か月も経って!自分のクラスなのにしゃべってないやつがいるんだああ!!」
そこから少し離れた席の、赤いリボンでベリーショートの髪の女子が、席を立ってどことも知れぬ教室の外に行った。それが彼女である。一切かかわる気がないので、休み時間が終わるまで、避ける。
ゆりはそれを外から見守り、これはダメだ、と顔を曇らせる。
きっとあのグレーのスーツの中年は、事実、言った通り、高校生には手が出しづらいのだろう。確かに、暴力団のいざこざ巻き添えで死んだ高校生とかの話は聞かないし(いるのかもしれないがきっと学校に通っていない)、
例えば借金のかたに漁船に乗せられたり、AVに出させられたり、管理売春に組み込まれたりと。そこにはそういう境遇にさせられるだけの原因がある。
今回のことはどうだ。
殺人事件の現場の写真を知り合いが撮ってしまったことがばれた、と。実は自分たちには落ち度はない。向こうの要求は写真そのもの(これは奪われた)、ネガ(ない)、撮影者である。
恐らく、すべてそろえてしまえば、自分の学生証は返してもらえるのではないか。自分が考えているよりは無事に。それ以上の、例えば金を強請られるようなことは、ないのではないか。自分は。
けれどそのためには折笠を差し出す必要があって、彼はどうなってしまうかわからない。先に考えた通りになる可能性は高い。
それは偶然なのだけれど。そう。偶然が膨張して大騒ぎになった。こんなものは予見できない。
ゆりは考えれば考えるほどに具合が悪くなり、ふとしゃがみこむと、マサカが傍に立っていて、心配そうな顔を見せられる。C組は没交渉だ。
「マサカちゃん、わたし、今日早退する。やっぱ具合だめで」
「そう。大丈夫。家までついてくよ」
「ちゃんと補習を受けて!」
「…ひとりで帰んないほうがいい」
「すぐバスに乗るから」
彼女はそれを止められない。
5月20日。
ゆりが登校してこないので、その日はマサカの不安が募る。彼女ではなく、自身の。
あまり隠し事などをしない性格だ。情報は放出するほうが性分にあっている。
―この際、折笠と黄瀬に白状してしまうか。すると、どうなる。
折笠は観念して自分の責任だと言うかもしれない。
ひょっとしたら黄瀬は自分の家庭環境の力を発揮するかもしれない。示談をもちかけるような。
が、それは自身の価値観に穴をあけることで、越境に程が過ぎる。
シンプルに、ぶちのめして、お縄にして、取り返せれば、いいのだ。そのためには計画と協力者が必要なのであって。
「暗い顔してんねえおたく。そんなに柴崎がいないとだめか」
「ああん!?」
マサカを苛立たせる声がする。
「7限終わるまで待ってるわ。頼みがある」
「てめー何だ?何の用だ?呼んでないぞ。勝手にA組入ってくんな」
「じゃあB組入ってくるとき誰かに許可もらって来てんのかい」
彼の背丈はマサカより少し高い程度で、普通にしていれば敵意のないさまを感じられる。
マサカが視線を斜め後ろにそらすと、そこには穂村の視線があって。
彼は4月の終わりごろ、マサカに言った。「竹内はもうA組にもよその組にもケンカ吹っ掛けたりとか絶対にしねえと思うけどな。あいつは間違いなく考え方はこっちについた。卒業式前に相手してやんにゃあってのは、あるけどよ。ああもう、なんで俺たちは入学してすぐ卒業式のことを考えなきゃいけねえんだ。絶対おかしいぜ」、そして、「でも伊崎は目を離すな。あいつは御名術の正体を見せようともしねえし、穏便に仲良くやろうってしてんのが、もう、ずる賢い人間のやつだ。
できればいざってときは俺が見破ってやりてえけどよ。あいつの狙いは俺よりおめえだぜ。あいつは、竹内とC組のあいつを圧倒したおめえと勝負したくてしょうがねえのさ」。
その言葉だけで、マサカの用心を固めるのは十分であって。
「お前があたしに頼みとか、ろくなことなさそうなんだけど」
「じゃあこう言ったらどうだぁ?黄瀬のお嬢様にものを頼まれた。おたくの力が必要だ。その代わりにだなぁ、おれを手伝ってくれたら、おたくの困りごとに協力し返してあげるさ」
マサカは血相を変えて。
「お前、何知ってる?ユッピからなんか聞いたか?」
「なんも知らんさぁ~。でもおたくらなんか、だいぶ困ってそうだからなあ~」
マサカは、そして、呑むしかない。藁にもすがりたいとは、今のような心の在りようを言うのだ。
補習は合同教室であって、B組の生徒はA組に移動して基礎復習の授業を受ける。英語は教科書とは全く別教材を使って行われるので、余計な単語を覚えさせられてストレスがかかる。
担当する、英語講師の補佐のような男が言うには「教科書とは違うけど、この用例を覚えとけば役に立つから、いいんだよ」と。
マサカも従士郎も、求めているのは「テストの例題に出るのと似たような文章」であって、応用と見知らぬ英単語が並ぶ初対面の例文ではない。
<以下の5つの例文より、誤った用法を含む文章に○をつけましょう。複数に○をしても可>
「だからさあ!だったら間違ってるのが5ぶんのいくつなのか教えてくんないといけなくない!?」
「同感だね。本当に、この問題文は正々堂々としていない。文章を読むに値しない」
「いいから黙って今さっき教えたことを思い出しなさい!」
補習が終わるまであと10分くらいで。教室の外では風雅が待っており。
「あいつらは問題にケチつける前に静かに授業を受けるとかそういう小学生の基礎はできんのか」
「…」
隣には、それに油断しない穂村がいる。
チャイムを聞いて、教室の人の出入りが始まると、そして、4人が鉢合わせする。マサカは少し驚いて。穂村が風雅とともにいることを。どうやって連れて来たのか?
「場所を変えよう。化学実験室のそばの階段下とかいいねぇ」
「景虎はなんで」
「ちょっとな…」
風雅は行先を指さす。けれど親しい従士郎も彼のしめす内容は理解が足りないようで。「伊崎君。いったいどうして?なぜ、御名術もちだけを集めたんだ?」。それとは別に、「柴崎さん休み?」とマサカに訊く。
「まあ端的に言おう。これは加納と柴崎が引き受けてるね、黄瀬のお嬢様の友達の家庭のトラブルがもとになっててね。お嬢様はとにかく早く解決したいらしい。だから、加納だけじゃなくっておれにもそういう話が来たんだよね」
「黄瀬が?なんで?あたしたちだけじゃ物足りないからって?」
「いんや。おたくらとは別のことを頼みたいからってさ」
「写真のことは関係ないの?」
「写真?写真ってなに?」
うん、と彼女は言葉に詰まり、誰かの詮索を避けるように目を伏せた。マサカの普段見る姿としてはかなり珍しい素振りだ。
「ま。竹内君と穂村君は知らないだろうから簡単に言うとね、お嬢様のお友達、これをSさんとするね?Sさんはその兄貴から家族の金の問題で嫌がらせを受けてるんだけどねえ。それを解決するために、まず加納と柴崎は兄貴の嫌がらせを止めるために、なんかSさんの正当性を主張するための証明を探そうとしてるわけ。うまくいってないみたいだけどな」
「うるせえんだよ」
穂村は憤るマサカを止めて。「落ち着け。続けろ」。
「黄瀬のお嬢様も加納がわは決定打に欠けるからって、少し乱暴な手段に訴えようってことになっちゃったワケよ」
「乱暴な手段だって?」
「そうだね。さて少し竹内君が嫌いそうな話をするよ。これで竹内君がその気になってくれたら、おれは嬉しい。まだ証拠を確保できてないけど―」、風雅は徐々に表情を硬くさせていって。
「Sさんの兄貴は、たぶん前科もちだな。子供にいたずらしちゃったタイプのねえ。でも捕まってないし、小さい会社の社長やってるから、まあうまくもみ消したんじゃないの」。
「何だって!もみ消した!?罪も償わないで?今も?」
案の定、と風雅は少し笑う。そういう理不尽な話に従士郎は強く反応する、それを知っているから。
「続けろ」、穂村はまだ無感情で。
マサカはその初めて耳にする情報を、耳からこぼれないよう静かに聞いて。
「つまりねぇ。兄貴がSさんに、あるべき金が足りないって言ってるのはね?父親が自分のために。もみ消してもらうためにかなりの金を使ってくれたことを知らないんじゃないかって思うわけよ」
マサカは、あっと声をあげる。それは、消えた2000万円の行き先であって。
「ん?伊崎君?すまない、今のはどういう意味?あるべき?」
「…説明が不足してる。加納はわかってるみたいだが」
「アッハッハ!ごめん、ごめん!ちょっとな、おれの推理が入っちゃってる上に、加納をびっくりさせようとして言ったからねぇ~!」
風雅が、高く笑う。
「ハゲ、お前」
「証拠物品が足りなくてなぁ~。そういうの、忍び込んで手に入れるの、高校生じゃ限界があるだろ?ああ。竹内君。これは犯罪をしようとしてるわけじゃないよ。正義のために、誰からの目からも遠ざけられてしまった証拠品を世に出そうと!目論んでるわけだよ」
そして、従士郎は「役に立てるかわからないけど、伊崎君の言うとおりのことが起こって罪に問われていないなら、僕はそういうのは許せないから」。
そういう、頼りになるがあまり周囲には理解されがたい過剰な正義感を放った。目が燃えているとも、見える。
マサカはいろいろな不満はあるが、今はわずかでも状況改善の手段がほしいもので。自分の御名術は不法侵入や窃盗のためのものではないのだけれど。嫌々ながら頷いた。
「おたくはどうだね。穂村君」
彼はそしてずっと無表情のままで。
「…加納が俺を必要ってんなら、やるが」
「お?おたくらそういう関係だったっけ?」
「違えよ。おめえが俺を必要そうにしてんのかよくわからねえからだよ」
マサカは後ろの穂村へと向きなおり、「ちょ、景虎は―」、黄瀬に頼まれてないんだから全然関係ないだろ、と言おうとして。
小さな声を聴く。「知らねえ女のトラブルなんか知ったこっちゃねえけど、こいつの御名術を見るチャンスだ」、と。
頭がごちゃごちゃになってきて、何もかもから逃げ出したい気分のマサカは、けれどゆりの顔を思い出し、どうにかしてあげないと、と奮起しなおして、ふと見るとまたニヤニヤしだした風雅に、吐き捨てるように返答をする。「こいつも行く」と。
クラスに1人は、避けられがちなオタにも優しく分け隔てなく接してくれて、それでいて彼がクラスの中心からはずれていることについて理解がついていかない聖母のような人がいるんだよ。