それは、少しだけずれた日本の高校のどこかで、   作:AyA Tono N.C.

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#24 私の写真を撮って(6)

 5月22日。

 

 その夜は少し霧雨の降る肌寒い日で、小汚いナイトクラブの奥の奥の一室で、急な呼び出しがあったときに備え軽く適度に、酔わないように、という名目にて3人の男たちがそこで暇をもてあましている。話を聞かれたくないからホステスはつけない。

若い二人はウイスキーをちびちびとやりながら、兄貴分の中年の男の機嫌を取っている。取られている男はこともなげに、安い焼酎を清涼飲料水のようにハイペースで飲んでいるが、酔わない。彼は味がぎりぎりわかる程度まで薄くしているから。

そして部下にとって、聞きなれない電子音がそこに鳴り響いて。

しょぼくれたおっさん、と自らを称する男が、懐から携帯電話を引っ張り出した。彼は煙草を灰皿に押し付けて消し、その着信の相手をする。

「マサオキさん、携帯電話ですか」

「君らも早く持った方がいいよ」、マサオキはそう言うと、電話を受けた(※1997年の携帯電話人口普及率は、3割強とされている)。「ハイ、マサオキです。ああ。どう」。

 

 彼の耳に届く言葉は。

「マサオキさん。言われた通りに調べたまま、少しお話をしてもよろしいですか?」

彼は応答を返す。

「いいよ」

「マサオキさんの仰った通りなんですが―」

「うん」

「あれを、写真、と言うのは無理があります」

「ああ、やっぱそうなんだ」

「なぜかと言いますと―」

「紙じゃないからでしょ」

「…」

「俺っちは専門的なことを知らないけどね。あれは一般的な写真の紙に転写した写真じゃあ、ないよね。なんなのかよくわからないものに、普通の写真よりも細けえ画質で瞬間映像が閉じ込められてるやつだよね。それは、写真とは言わないよね。そうだろ」

「…は、はい。そうです」

「というかね、きっと俺がきみに渡した写真はさあ、カメラで撮ったかどうかもわからないってことだよね」

「え?そ、それは、ですね?」

「まさかとは思うけど、この話誰にもしてないよね。まあ正直さあ、イケさんに知られると困るんだわ」

「も、もちろんです!あくまで私個人で、内密に調べてます!」

 

「わかった。じゃあ、あとで聞きに行く。うん。じゃあね」

部下の片方が、その電話を終えたマサオキの方へ首を突き出して。

「なに」

「マ、マサオキさん。や、やっぱあの時に、写真撮られてたんですね?」

切羽詰まったような声だった。それを聞いて、もう片方も身を乗り出して、問いかけた。

「一体、どいつが写真を撮ったんですか?」

「いや、写真は撮られてねえんだわ」

「え…」

「だけどさ。あん時の現場を別の手段で一枚の写真用紙みてえなもんに記録されたのは、間違いねえのさ」

部下は、意味をとれない。だから、また同じような質問をする。

「写真用紙みてえなのに残されたら、写真撮られたってことじゃあないすか!」

「それは、お、俺も写っちまってるんですか?」

 

 そしてマサオキはロンググラスにミネラルウォーターを入れて。部下の片方、吉田のほうがマサオキの好みの濃度に、焼酎を入れる。「それでいい」。

折笠の写真―被写体は、クウェート人の死体と、マサオキと、彼らの雇い主の池ノ上である。これに、吉田は、映らなかった。シャッター音は聞こえなかった。暗闇と物陰という条件下で、その場にいた彼は偶然にも映らなかった。

彼は、その結果シャッター音を聞けなかったことについて池ノ上にかなり罵倒されていた。耳腐ってんのか、どうせ女のことでも考えてたんだろう、あんなでけえ音さえ聞き逃すなんて頭のネジが外れてやがる、など。

「よっちゃんはねえ、映ってないよ。でね。イケさんはああ言うけどねえ。我慢してよ。よっちゃんはねえ、シャッター音はね、聞こえてなくって、いいんだわ。きっと」

吉田は、まったく理解のいかない表情をして。

もう片方の道蔦が訊く。彼は、金を横領した外国人の案件には触れていないが、マサオキらがシャッター音を聞いてから、すぐに命を受け、リーダーとなって周辺から駅までの聞き込みや荷物調査を行っていた。

「わかんねえんです。写真が残ってたら、それはカメラを持ってたやつがいたはずで―でも、そんなのは、誰も…使い捨てだっていなかったってのに」

彼は、見落としが発覚したら、かなり痛い目に遭ってしまうという恐怖がある。

「いやね。道蔦くんはね。ちゃんとやってんだ、わ」、マサオキは手をぶらぶらと振って。彼の表情は動かない。ただ、部下は、怒鳴られたりするような機嫌ではない、そういうことは理解して、少し胸をなでおろした。

 

「いいかい。カメラじゃねえものを使って写真によく似たもんが撮影されたとしてもね、それは写真じゃねえしカメラなんかねえんだわ。ここではな」

「こ、ここでは?いったい、どういうことなんですか?ビデオカメラとかそういう事を言ってるんですか?」

「じゃあ、ちょっとすげえ事言っちゃっていいかなあ」、マサオキは説明に面倒くさがり、そこでやっと例の単語を使用して。「超能力を使って瞬間映像を記録されたら、それは写真とは言わないよね」。と。

 

 それは当然か、吉田はますます理解を失って、とても間の抜けた顔で、絶句した。

彼よりもマサオキとつきあいの長い道蔦は。「なぜ、この人は冗談一つ交えない顔で、そんなことを言うんだろう」と唾を飲み込んだ。

部下ふたりはマサオキに質問を続けられない。

「俺っちはねえ。最初にイケさんに、カメラで撮られたんじゃあねえってさ、言ったんだわ。それは煙に巻くためじゃあ、なくってね」

 

 そしてまた電話が鳴って。

「はい。マサオキですけど。…は?なんで?それ、必要?洋行C.Mの社長の家?…だから、なんで?」

電話が終わるまでに、彼の顔はだいぶ渋くなって、そして部下二人がわかる不機嫌さで。

「マ、マサオキさん。どうされましたか?池ノ上さんですか?」

「イケさんじゃないよ。畔原がねえ。今すぐ、洋行C.Mの小倉の家に行けってさ。なんか揉めてるみたいだ」

「そんな。こんな時間ですよ。マサオキさん。もう飲んじまってますけど、俺が行きますよ。ふざけてます」

「いやいや、行く必要さえねえよ。マサオキさん。お電話お借りしてもいいですか。畔原の奴に、俺が文句言ってやりますよ、てめえんとこの兵隊でも行かせろって」

吉田も道蔦も、機嫌を害したマサオキをなだめるように、声を荒げて、急な出向指令をよこした者への怒りをわざとらしいくらい現す。

 

「いいや、俺っちは勘がよくってな。俺が行っとかねえとおちおち面倒なことになるってのが、なんかわかんだよ」

そして彼はその場を立つ。戻るのが遅かったら適当な時間に君たちは帰っていいと、残して。

 

 

 

 マサカはそこに、かなり大きい"洞"を作って。それはだいぶ疲労を誘う。

出口も生み出した。そこを通り抜ければ、壁の先の部屋の中へと瞬間移動できる。

マサカは飛び込む前に"洞"を見ても、その転送先の風景を"洞"から見ることはできない。ただ、そこには黒と群青色に薄く輝いた無の孔が見えるだけだ。

けれど、目的地の視界は無理にせよ、接続した"洞"から音は漏れ出してくる。少しそれを聞いて、理解できると、マサカは背後の風雅にしかめた顔で振り向いて。

「ねえ~…こ、ここの部屋、だよね?なんかさあ、女の人の喘ぎ声っぽいの聞こえるんだけど…」

「ああ。聞こえるね」

ふたりは、侵入を果たそうとしている。その邸宅は洋行C.Mの若き社長、相馬鈴奈の兄、小倉健太郎のものであり、見張りとして従士郎と穂村を上手く使い、壁を何度か通過することによってその部屋の裏手の付近までたどり着いた。

今のところ、家人に見つかってはいない。掃除婦のような中年女に出くわしはしたが、声を上げられる前に穂村が凝視した。

できれば従士郎が力を振るわないまま終わらせたいところであるが、時間の問題だろう。早々に目的を果たす必要がある。

 

「これさ、部屋入ったらやっちゃってる最中です、とかだったら、あたしたちどうすんの」

「そういうときは仕方ないだろうさぁ。大人はきっとそういうこともあるんじゃないの?いいから入れよ」

「声がやむまでさあ、終わるまで待つっていうのは?」

「だめだろ。時間がかかればかかる程、竹内君と穂村の負担が増すだろ。いいから飛び込めよ」

「お前らはさっ!いいよなあ!どうせAVもエロ本も楽しんで見てるだろうから興味津々なんだろ!あたしは別にそういうの見たくないんだよ!お前らと違って毎日のおかず探してるようなさ、男じゃないんだぞ!」

「世のすべての男がそういう感じって言う考えは改めた方がいいぞ」

「うう~…」

「加納が思ってるほど変態の総人口ってもんはそんなに多くないぞ」

「ああもう、わかったよ!」

そしてマサカは飛び込む。薄目のままで。

ばっと身を翻すと、移動先は照明が全部ついたままでとても明るいのは解った。

そして聞こえていた、女のあえぎ声と言うものも大きく聞こえて。

けれど。

その大音量の女の艶っぽい声をバックに、男の「うわあああああああ!!!」という絶叫がマサカの耳に届く。

すんませんすんませんしょうがなくやってるんです、お楽しみを邪魔するつもりは―と。

マサカが目をやっと開くと。

安楽椅子に全裸でもたれて開脚し、得体のしれない器具等をむき出しの身体の数か所につけ、自慰行為を中断させた男の姿を真正面より、視認する。

 

「fvipauhklnl;ophsAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAHHHHHHHHHHHHH―――――――――――!!!!」

 

マサカが絶叫する。そして、残念ながらその猥雑の限りを尽くしたワンショットは完璧に彼女の網膜に焼き付いて、両手で顔を覆って床に転がる。

 

「な!?何だぁ!?何だお前は!?わああああああああああ!!??」

そして風雅がそれに続いて"洞"から現れ。

「ウッワ。うわ、うわ、うっわ。これ、やべえなこれ。これは濃度の濃い変態じゃないか…」

風雅は眉間にしわを寄せ、その部屋をぐるり見渡す。四方に貼られたポスターは国内のみならず白人のヌード。しかも明らかに歳幼い。

マサカも、その部屋の主、小倉も声にならない声で叫んでいるが、喘ぎ声を放つビデオモニターは停止しない。

床や棚、本棚をみれば用途は全く分からないが恐らくきわめて性的で特殊な小道具や、少女のマネキンのようなオブジェも。

風雅はあまりの自分の性癖との乖離に、興奮などもできずただ神妙な顔で周囲を観察するばかり。

「うっわ。うっわ。おい加納、見てみろよ。このビデオ、モザイクないぞ。…というか、日本でこんな中学生以下の子のエロビデオとか、流通しちゃいけないと思うんだが…」

「止めろーーー!!止めろよ!!見たくない!!あたしそんなの絶対見ない!!」

「な、なんなんだお前ら!?どうやって入ったんだ!?警察呼ばれたいか!!」

「小倉健太郎さんですね。ちょっと急にこういう侵入方法ですみません」、そして少女の拍動する声が耳障りで、「ちょっとまず、落ち着いて。このビデオ止めません?あとさ、社長さん、服着た方がいいんじゃないですかね…」。

その社長はパニックになりつつも、得体のしれない侵入者(女のほう)をようやく意識し、リモコンをたどたどしく操作しビデオテープの再生を止め、装用器具をはずし、床に放り投げたボトムズを下着なしのまま履いて。

「お前らっ!不法住居侵入罪だっ!プライバシーのひどい侵害もだっ!!私が誰だかわかっているのか!」

「まあまあ。そう怒らないで冷静に聞いてくださいな」、風雅は気を落ち着けようと自身の頭を撫でて。「加納、証拠品お前が持ってんだからいつまでもそうやってないでくれる」。

「お、おまえ…おまえなあ~…」

マサカは涙ぐんで。変態の総人口は多いじゃないか、と言わんばかりに。

「チンポからケツの穴まで真正面で見たのがそんなショックだったのか」

「だからあたし女だっつってんだろーーーーーーが!!」

「だってインドネシアで子供の世話でおむつ替えとか風呂入れたりとかとかしてたんじゃないの~?」

「歳ィーーーーーーーーー!!」

風雅はけたたましいマサカに近づき、彼女が抱えていた大きな茶封筒を奪い取って。

 

 そして小倉は一部着衣をして落ち着きを取り戻したか。動揺を隠して、尊大に聞こえるように、言う。

「いいか、お前ら。なんなんだ…?写真週刊誌の記者とかじゃあないようだが、その歳では…だが!絶対に警察に突き出してやる!私の部屋に無断で入ったからには!絶対に警察に突き出す、お前達の親にも容赦なく言う、学生だというなら学校にもだ、お前達はそれだけのことをしたんだ、いいな!」

「いいですかね、小倉社長。おれたちはあなたの妹さんのことについてご相談があって参りましてねぇ~」

「妹?妹だと?お前、鈴奈の知り合いか?だから何だというんだ、妹の友達だろうと私は許さないからな」

そして風雅は封筒より、ホッチキスで止めた新聞の切り抜きや何か硬質の紙に書かれた書面などを取り出して。

「1991年の9月に小学校に通う8歳の女の子が自宅に帰ってこず、翌々日の未明に自宅より2km離れた公園付近で、近隣マンションの住人に保護されるというという事件がありましたが―」

「なあっ!!」

「ああ、わかりやすい人だな。社長さんなんだからもうちょっと知らぬ存ぜぬでいってくださいよ。この女の子はそののち入院してますね。で、行方不明になった日に、知人と思われる青年に連れられ車に乗り込んだ、という目撃証言があると。ただこの事件、警察が1週間で捜査をやめてるんですよね。早すぎでしょ。なんでだろ。誘拐未遂じゃないのかね」

そして小倉はぶるぶると震えあがり、口をだらしなく開閉させて。

「で、なんでこんなやばそうな事件をね、当時の新聞のちっちゃいところでしか報道しないのかって、おれは不審に思ったわけです」

「だ、誰か!誰か来てくれー!不審者だ、不審者が!」

けれど風雅は意に介さず。小倉は、その部屋を逃げ出そうとする。けれど。

「え…?」

 

 彼のよく知る場所に、出入り口となる、ドアがない。

ドアノブが、ない。壁面を触っても、何もなくて。いや。自分の部屋の構造が、なにか変容しているかのようで。

小倉は振り向き返し、部屋に3箇所、あるはずの窓が、なくなっていることに、すぐに気づく。

そして小倉は意味をなさない声を張り上げた。「へぇっ!!??」

マサカは一手遅いが、その異変に気付く。彼女は思う。

どうして、この部屋は密室なんだ。この部屋は完璧に同じ色の壁と天井に囲まれている。そしていかがわしいポスターとに。どこにも出入り口がない。

この部屋は、あたしの御名術なしに、どうやって出入りするんだ?

「加納、気にするな。おれの御名術だよ」

「…」

理屈が合わないんだが、とマサカは。

従士郎とふたりで待ち伏せしていた時、穂村を対向車線の歩道まで引き上げた。次は、場を出走するときに気づかぬ間に10メートルは後ろにいつの間にか逃げていた。

つまり、自分の瞬間移動と似たようなそれだと、彼女は思っていたのに。

「だから、そこのやつと一緒に、図書館の奥に入り込んだりさ、警察の倉庫に入り込んだりさ。週刊誌の編集部に忍び込んだりさ。おれらもすごい大変だったんだ」。風雅は小倉を冷たく見下ろして。「そんでこういう趣味と変態性癖のまんまじゃさあ、また被害者が出ちゃうんじゃないかっておれなんかは勘ぐるよね」。冷酷に、吐き捨てる。

小倉は呼吸を情けなく漏らしている。そして。

「加納。なにしてる。さっさと撮れ。この部屋だけで十分だ」

風雅は。小倉の近くに置かれたリモコンを奪い、そしてモニターに向け再生ボタンを押す。

言われるがまま、マサカはまたも、心底嫌そうな顔でポケットに手を入れ、使い捨てカメラを取り出した。新品の、写ルンですを2個。

「24枚がふたつ、全部使い切れよ」

「やっ、やめてくれーーー!!」

また、喘ぎ声がはじまって。

「地域密着型のマンション管理を主とした清掃サービスと保守点検、設備クリアランス業務。だかなんだか知らんけど。こういうクソみたいな過去が発覚したら、客は喜んであんたの会社に清掃を頼むかな!ま、自分の薄汚い過去をここまで消せるんだからなかなかの清掃徹底力だって皮肉をいうやつはいるかもしれんけどね!」

マサカはシャッターを切る。小倉と部屋のポスター、いかがわしい道具一式、児童ポルノの画面などをひたすらに。そこにシャッター音が続けざまに、やまない。

そして思う。風雅にはできるだけカメラを向けずに。彼もそれをわかってか部屋の隅に移動して。小倉はわめき散らして部屋を駆けずり回るが、マサカと風雅を止めることはできない。

容赦ないやつだ、とマサカは思う。幼女暴行の疑惑を(そのきっかけさえどこから調べ上げたのか?)皮切りに、一切の妥協なく機密書類の眠る場所を追求し、なんの後ろめたさもなくこのためだけに拝借する。返す気もないのだろうか。それともこれから元通りに戻しに行かされるのか。犯罪をしているのは、むしろこっちだ。

 

 こいつは、景虎とも、従士郎とも、全然別の方向性で、恐ろしい。

 

 それがマサカのこの瞬間の思いで。

48回のシャッターを切ったあと、風雅は終わりかと聞き、マサカはそうだと答えて。

モニターのなか、白い肌の幼い少女に精液がまきちらされるのを見て、彼女は吐き気を覚える。

風雅がすぐに、ビデオをまた停止した。

「こんな物量の証拠を抱えときながら全部きれいにもみ消すのに2000万かからないなんて、どうしてそんな楽観的に思ったんですかね」

小倉は、は、と息をのんで。

「あんたはもう少しお父様に感謝をしたほうがいいねぇ。ひょっとしたら2000万で済んでないかもしれないのに、たっぷり遺産もらってんだからさぁ」

若い社長は情けなく、両こぶしと顔を床に突っ伏して、嗚咽する。

「相馬鈴奈とその母親に以後迷惑がかかったら、この証拠品はすぐにばらまかれるぞ。ついでに黄瀬家とのつながりも地に落ちるな」。風雅は、先日、従士郎がマサカに倒されたときに一瞬した鬼のような形相で、激しく言う。「わかったなっ!!」。

 

 

 従士郎と穂村は2F吹き抜け前の廊下、社長の部屋の前で家人あるいは使用人の排除を執り行っていた。

"洞"がそこにあき、4人が合流する。マサカの足元に、倒れた男の背中が見えて。

すぐに、従士郎が「急いでここを出た方がいいぞ。1階に人が集まり出してきた」。

「警察かい」

そして、風雅は従士郎の顔を、殴られた痕、と見逃さない。

「いや、違う。警察は来てないし」、彼はマサカの足元を指さして。「家の使用人にしては、人相とかガラが悪すぎるし、暴力的すぎると思った」。

穂村は補足する。

「俺にはチンピラにしか見えなかったぜ、こいつとかな。それと、その前に階段の先っちょを上ってきたおっさんを睨んでやった」

「そっち系の人たちとつながりありそうだったからねえ~、調べてみると」

マサカにかなりの疲労を強いることとなるが、ここからの転移は、ベランダのある部屋付近の壁→ベランダ→非常階段→少し降りたのち、庭のすみに→邸宅の壁を抜ける、そういう手筈で行われることとなった。4人が通り抜けることができて、8メートルの最大移動範囲と、残る御名術使用のゆとりの限界、を取った逃走経路だ。

「おたくはそれで身体、もつの?」

「無茶だけどやんないといけないだろ。急いで行くぞ」

確かに1階が騒々しくなってきたのを確認し、4人は計画、計算通りに"洞"の点在を駆けてゆく。

そして、風雅が訊く。

「不測の事態が生じて、竹内君が言うような荒っぽい強そうなやつが行先に立ちふさがったら、どう対処するね?おたくら、あと御名術何回使えんの?おれはたぶん6回だ、加納は言わなくていい」

「5回、まだいける」、従士郎が答える。

「2回」、穂村も答えて。

4人は2分間で庭の暗がりまで駆け、館の明かりもだいぶ遠くなって、もう月光くらいしか足元を照らしてくれない。

距離感を間違わずに、壁を"洞"で抜けた先にこの邸宅内の異常に気付いた何者かが待ち伏せているようなことさえなければ、そのまま全員で走って逃げるだけ。

おそらく飼い犬、2匹くらいの鳴き声が4人のまわりに響き、マサカはこれが最後だと大きな"洞"を作り出し、全員でそれに飛び込む。

そして、抜けた先には無人の乗用車が停まっているだけで、人はそこには誰も、いない。

 

 小倉の邸宅をもう300メートルは離れ、バス停留所のある十字路の手前で一安心したか、まず最初に風雅が息を切らせて足をとめる。

その少し前に穂村、もう少し先、もう十字路を通り抜けている従士郎とマサカ。従士郎が顔を横に向けると自動車販売店があって、歩道に一番近い車のフロントが彼らの姿を映している。彼女は、不服そうな顔をして、「ハゲさあ、あんた一番頑張ってるあたしより息切れ、もう、ってどういうことなの」。

「はあっ、はあっ、あ、あのねぇ。おれは都会っ子でな、君らみたいな野生児とは、違うんだよ…」

「伊崎君、僕も一応都会の子なんだけどね」

そして穂村が数歩戻り、風雅の手を引く。「おい、早く来い。タクシーか電車に乗るまで安心できねえ」。

風雅は交通標識に捕まって身体を持ち上げ、すまん、すまんと穂村に笑った顔を見せると。

 

「穂村君、ちょっとね、そっちにいるスーツのおっさんを、睨んでくれないか」

 

風雅は右後ろを指さして。

そして、穂村は一瞬、それへの理解が遅れた。

 

 穂村の視線などは追い付かない。いや、追いついたとしても、街灯の明かりしか役に立たないそこで、グレーのスーツを身にまとった男の目を正確に凝視するのは、難しかった。

瞬足とそれは、表現できて。

身体全身ごと、左拳を突き出して追突するその強打は、穂村の顔面に突き刺さる。

風雅は、それに驚く時間さえ与えられず。

身を守る猶予なく、首を掴まれ、そして持ち上げられて。後頭部から、アスファルトへと叩き付けられる。

その暗闇の中で。

 

その中年男は乱れたスーツを気にかけ、

「お嬢ちゃん、領分っていうものがあるんだ」

「ウッソだろ」

「俺っちはね、あなたのお友達でもね、男には手加減できないんだ」

「い、伊崎君!!穂村君!!」

「黙れ!!従士郎!!」、マサカはそこで叫んで。

「学生の本分は勉強だよ。俺はね、きみらにちゃんと勉強をしててほしいんだ。それは、こういう夜遊びじゃないよ」

マサカは冷や汗を指で拭って、だが何故か、彼女の胸に闘志が湧いてきて。いや、これは、やってやるんだ。そう思って。脈打つ鼓動を邪魔臭く思いながら、けれど笑う。

「従士郎。お前がいれば勝てる。お前が御名術を使えば。でも、あのおっさん、左側のどっかに拳銃持ってるからな。それだけ、まず何とかしようよ」

「は…なに!?」

「いいから、何とかするから。やべえヤーさんだけど、御名術をもってるぶんあたしらの方が、有利だから。ふたりなら、やれる」

「か、加納さん!?何で知って…!?君はいったい、何をやらかしてるんだ!?何に関わってるんだ!?」

「うるさいな…」

彼女はにじむような汗を背中に感じて。

 

 Tシャツと腹部あたりの肌との間。そしてデニムの左ポケットのなかに、小さな"洞"をひそやかに、生み出す。

 

 

※最終セクションの(7)に続く




気の強い女の子が不意打ちできったねえおっさんの裸見て叫ぶってコメディにもラブコメにもサスペンスにもエロにも使えるから便利だよな。俺はそう思うよ。
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