それは、少しだけずれた日本の高校のどこかで、 作:AyA Tono N.C.
【ここで視点は変わる】
あたしがなんとなく寒いと感じたのは恐れなどではなく、音もなく降る霧雨のせい。
きっと、何か理由を言ったとしても聞き入れてくれないのだろう。それ以前に理由をまとまった言葉で説明できるような頭の状態でも、ない。
こんな場所で出くわすなんて思わなかった。瞬く間に同級生、しかも決して脆弱ではない―2人が、たちまち敗けてしまうことも想定外。
けどこれだけは信じてほしい。あたしは景虎もハゲも、盾に使おうなんて決して思わなかった。そんなことを想う暇もなくって。
でもひとりでまた、相手をしなくちゃいけないんじゃなくってよかったと思う。あたしは。
横には従士郎がいて。
こいつは、御名術さえタイミングよく使ったなら、たぶん銃弾さえも視てよけてくれるんじゃないかと思うから。
今さっき、あのおっさんは拳銃を持ってるって言って、こいつは目に見えて困惑している。
言わなきゃよかったのかもしれないし、数分後には言っといてよかった、と思えるかもしれない。
「従士郎、ユッピの学生証をね、あのおっさんに奪われたんだ」
「なんだって」
「だからいま、あたしはどうしてもそれを取り返してやりたいんだよ」
「…」
従士郎はあたしの好む返事を返してくれなかったけど。
ただ、こいつは、両腕を前に、構えて。
もう5月も半ばに近づくのに、4月の終わりにはもう暖かくなってきたなって思ったけれど、この日はとっても肌寒くって。
あたしは右手をおなかにつけている。服の中に穴を作って隠してあるから。
あたしは左手をポケットに入れている。ポッケの中に穴を作って隠している。
そしてあたしは8メートルより決して離れることなく、あのおっさんとつかず離れずの距離をとって、左手が銃に手をかけるのを、最後まで妨害してやるんだぞ、と。
「加納さん、もちろん、見てるだけじゃないんだよね」
「あたりまえだろ」
従士郎は身体だけでなく、頭も、臨戦態勢に切り替えたと、今の言葉でわかった。こいつはシンプルだ。とてもシンプルだ。
「僕の名は竹内従士郎」、あたしは頭を抱えたくなる。なんで名乗るんだ。ちがうだろ。「友人の学生証を取り返したく、勝負を所望する。よろしいか」。
そしておっさんは表情のパーツを全然変えずに、むしろアホかこのガキは、みたいな顔をして、けど、適当に名乗った。
「マサオキです。苗字は言いたくない」
名乗んのかよ。
従士郎はじりじりと近づいて。間合いを詰めている。
「きみはそのお嬢ちゃんたちのお友達のようだけど、どうして俺っちと勝負したいのかな」
「あなたが、僕の友人の学生証を―」
「違うくって、そうじゃない。きみらはね、小倉の家でなんかやっちゃって逃げてんだろう。計画的かもしんないけど。なんかね、俺っちをぶちのめさないとその件でやばいことになるから返り討ちにしてやる、ってのはわかんだわ。なんで、名乗りを上げてタイマンで勝負をしたいのか、これがよくわからない」
そしてあたしは言う。「そいつ正々堂々とした形式じゃないと動いてくんないんだもん」
「正々堂々?違うでしょう。だってお嬢ちゃんも俺っちの足元を掬おうって要所要所で超能力を使うんでしょう?それって全然正々堂々じゃないよね」
そう、それを見破られていないわけが、ない。
「あんたは素手じゃないからさ」
「なるほど?」
首を傾げられて。ああ。決して納得していないし、きっとこないだみたいな、あたしの御名術主体のモーションはおそらくだけど通用しない。この見た目貧相なおっさんは、でも、おっそろしく強いことをあたしは知ってるから。
だから、従士郎のサポートをしよう。地味、でもいい。でも決してあいつを邪魔しないように。
「高校生をねじ伏せるのは好きじゃないけどね。未来ある若者はね、気が引けるよ。まあ、どっちみちきみたちはとっ捕まえないといけないけどね」
「今の言葉、了解と受け取った。参ります」
そして従士郎は音を立てた素早いすり足で、そいつとの距離をすぐに縮めた。
相手は驚いた様子。武道家と戦ったことがないのかもしれない。世の中の何パーセントかの、それはマイノリティだけど。
従士郎の左正拳。スウェーでいなされる。続けざまに右足払い。おっさんは左足をすぐにあげて、後ろに倒れ込むような勢いで2歩バック。当たらない。
けれど足払いの回転運動は従士郎の全身をしならせ、背を向ける形となった従士郎のその体制は、おとりであって。
おっさんの振り下ろすハンマーパンチは、従士郎が左ひじで受け止める。
そして。
従士郎はもう半回転身体をゆらし、右手の掌底を、おっさんのみぞおちに叩き込んだ。
「せやぁ!!」
「…!」
しかし、困ったことに、従士郎が追撃をしない。
「ばっ!バカ!!終わるな、そのおっさんは…!」
みぞおちにもらったばかりなのに、勢いの着いた従士郎の顔面に右フックをぶちかます。バカ野郎。そんな、やわじゃないんだ。
まずいか。さっきのを見るに、おっさんのパンチは景虎を一発でのすくらいの威力―。
そして、逆に追撃をされた。いわゆるそれは、前に突き出すヤクザキックというやつで。従士郎の身体が、吹っ飛ぶ。
「従士郎バカ!!そのおっさんを普通のやつだとか思うな!お前の道場で一番強いやつだと思ってやれよ!お前の師範とおんなじなんだよ!」
あたしは適当に言う。従士郎の通っているそういう道場のこととか、知らない。
「…」
「…」
「加納さん。少し黙っていてくれないか。僕は手を抜いてるつもりなんてまったくないぞ」、従士郎がすぐに立つ。
「こりゃあたまげたもんですわ」
おっさんは何に驚いているのだろう。従士郎の体さばきか。それとも一撃もらったのを些細なこととばかり起き上がったタフネスにか。
これはいい。もしも接近戦でいい勝負をしてるなら、あたしの手癖ひとつでどうにかなりそうだから。
「あっ!」
おっさんがジャケットを脱いで、従士郎の方へ投げて。あたしは声を上げる。ほんの少しだけ視界を遮られた従士郎の体制のバランスが、崩れる。いけない。
あたしが、穴に突っ込んだままのどっちかの手を、その飛ぶスーツを横から捕まえて、あいつの視界を確保してやんなくちゃいけなかったのに。
おっさんの指は人差し指と中指を突き出していて、そしてジャケットが従士郎にかぶさるのと同時に踏み込んで、目つぶしを果たそうとして。
そこであたしはようやく御名術の行使に頭が間に合う。あたしの左手首だけが、その素早い目つぶしを掴もうとし、勢いに負けてしまったけど、そらした。
その指は少し上にいき、従士郎の広いおでこに当たって。
そして、あたしは帯を見れないけど、きっと従士郎はそこで御名術を使った。
シルエットだけが明確なその世界で、従士郎の白い私服の色が渦のように反時計回りに光る。
暗闇を切り裂くような白い細い線であって。従士郎の体勢はまるで空中遊泳をするように。
ぼぐり、と音がする。
従士郎の身体がまるで10秒ほど、空中に逆さ向きで停滞するようにさえあたしは錯覚した。それはとても美しい渦で。
だけど従士郎はその美しさを壊してしまうように、「ばかな!!」とやかましく叫ぶ。
おっさんが、今度は吹っ飛ぶ。地に伏し横に2、3度と回転をして、シャツには泥がついて。
「や、やったか!すげえぞ従士郎!」
「いや、だめだ!!鎖骨は折ったと思うけど僕はそんなのは狙いじゃない!!脳天に浴びせ蹴りを、そう思ったのに!」
その従士郎の必殺の一撃がなかったかのように、おっさんは膝をついて立ち上がり、左肩を押さえ。
「いや、左手を使えなくしたらもうこっちの…」
あたしの声は、そこでこないだ同じように聞いた銃弾のぱん、という音を聞いて。
従士郎は、身をこわばらせる。
あたしは、こともあろうにびびってしゃがみこんでしまって。
その従士郎の隙を完全に狙われたから、防御が遅れてしまい。
あたしは、なんて役に立たないんだろう。折角、小さな穴を準備して、このおっさんが銃を撃つのだけは止めないといけなかったのに!
おっさんは、銃を右手に持っていた。そして、グリップを持ったままの手で、従士郎の顔面にストレート一閃。鼻血が飛び散り、従士郎の両足は地面を離れる。
そして、だからあたしはそんなリアクションを取ってる暇はないって言うのに。
つい、声を上げることにすべてを費やしてしまったから、従士郎の顔面が踏みつけられることを、いささかも止められなかった。
「大したお点前です…」
起きてくれ。たのむ。まだ、4回も御名術を使う余裕はあるんだろう?顔を踏まれてようが、平気だろう?あたしの馬乗りを跳ね飛ばしたんだ、から…。
「雨で左足が少し滑らなかったら頭に行ってたから、俺っちの方が気絶してたよ」
ああ、考えたくない。考えたくないぞ。従士郎は、ぴくりとも動かない。
ああ、またあたしだけになっちゃった、その絶望はヤケクソに変わって。
あたしは。
穴を経由してあいつの拳銃の筒をつかむ。熱い。そして、肩が抜けてもいいから、全力で引っこ抜こうとして。
それだけはかなった。
おっさんは拳銃が引っ張られることに少し驚いた様子を見せて。
その拳銃が長いことが、あたしには運がよかった(サイレンサーが装着されていたから。マサカはその用途などを理解できていないが)。
その拳銃は落ちて、車道の方へ滑っていって。暗闇のほうへまぎれて、あたしには消えたように見える。
だからおっさんはやっと表情を崩して従士郎から離れたから。
あたしは目の前に開けた下向きの穴へと、全身で飛び込む。
そう、もうこうなったら死ぬ気でやってやる。どんなに見苦しくったって。
あたしはおっさんの上半身へワープして。そして、組み伏せようと。
相手は尻もちをつく。その少しでも勢いのついたあたしの身体を支えられなかったから。
本来は、膝を使って両腕をロックしてぶん殴り続けるのが、よかったんだ。2年前、ひったくりにしがみついて止めたとき、あのときは御名術なんか使えなかったけど、
女のガキだと油断したそいつはあたしの噛みつきとか頭突きとかを想定してなかったから、簡単に両腕を膝で固めて馬乗りにできたから。
今回はだめだ。あたしがひざで抑えているのはもう役に立ってないだろう左腕のほうだったから。痛みを与えるくらいしかできない、きっと。
あたしはおっさんの顔面を殴りつけるけれど、右腕が自由だからすぐにあたしの利き手は掴まれてしまい。
おっさんの右腕とあたしの右腕が邪魔をして、あたしの左のパンチは全然当たらないか、当たってもまったく軽い。
むしろ、その握力のせいで、あたしの手首が、また逆側に折られてしまいそうになって。
ああ、勝てないんだな、いちいちあたしのやる事は詰めが甘いんだな、きっとユッピの学生証も取り返せないんだなと思うと、すぐに涙がこぼれてきて。
そうじゃない。本当はね、あたしはこんな、悔しくて泣くような女じゃないんだよ。
そして。
「お嬢ちゃん。もうやめなさい」
「…」
「こんぐらいの歳の子に、泣かれながら殴られるってのもなかなかこたえるもんなんだよ」
「…」
「どうせ、うちの親分は超能力っていったって絶対信じないし言うだけ無駄。俺っちが怒られて終わるんだからさ。写真は返してあげれないけど、学生証は返してあげるよ。それで手打ちにしないかい」
あたしは慣用句でもなんでもなく涙をのんで。
「写真はね、俺が出てこないように預かるけどね。お嬢ちゃんとお友達にはもう迷惑しないからさ。もうやめなさい」
「
やっと、おっさんが悲しそうな顔をしているのを、今気づいた。そういう顔は、憐憫とか、慈しみとか、そういうシチュエーションのときの顔なんだよ。
「どうせあれさ。あたしが信じてどいたら、きっとあたしばーんって撃たれるんだ。人を信じるって事はそういうことだから。女とか弱い子供はそうやって悪い奴に殺されるんだもん」
「お嬢ちゃんみたいな若い子が、そういう外国人みたいなやさぐれた考え方は、やめなさい。こっちが悲しくなるよ」
「
「面倒な子だね、きみは」
おっさんが手に力を入れたのか、あたしの手首が一点刺すように痛んで。身体が硬直したあたしは、背中がエビぞって。
すぐに、馬乗りだったのを転がされてしまうから。
目がぼやけていると目の前に何か、定期券と同じようなサイズのものが降ってきて、目をこすってそれを見ると、そこには柴崎悠利って書いてあって。
だからあたしは、それを両手にとる。
「さよならお嬢ちゃん。次は決して俺っちは優しくないよ」
霧雨はあたしの身体を濡らして、ひゅうひゅうと風が吹き始め、全身に汗をかいたあたしの身体は冷え始める。たぶんあたしは、ほどなくして風邪をひいてしまう。
【視点をもどす】
5月25日。
折笠はもうその写真を両手にはさんで、もう40分以上は経ってしまったか。
決して清潔とは言えない彼の顔はじっとりと汗がにじんで、神妙とかそういう言葉であらわすにはやや見苦しい。
相馬鈴奈は少し離れてそれを見ていて、彼女の顔は少し気が晴れていた。きっと、何かの肩の荷が下りたのだろう。
せかしたいところだが、微熱があるマサカは特に何も言わずじっと我慢している。たまに、鈴奈に詩津華が優しい声をかけて。
それからもう15分くらいして、折笠は手のひらから写真をはいで、復元された写真を、見る。「できました」と。そして、少し明るい面持ちで、写真と鈴奈とに交互に視線を。
マサカとゆりがそれを後ろからそのぞき込む。
「あっ!?」
マサカが驚嘆の声をあげて。
けれどゆりは、「ああ…やっぱ、そうだったんだ」と。
「エ。ユッピ。どうして?どうしてそういう感じなの?びっくりしなかった?なんで?」
「ううん。いや、わたしは最初っから、そういうことじゃないかって思ってて…」
詩津華が「まさか」と言うと。「あたしの名前を呼んだぃ?」、「ちがいます」。
彼女は折笠のほうへ、そして写真を大切そうに受け取ると。
「相馬さん」
向き直って。
「はい…?」
「写真をお返しします。これはあなたが大事にとっておくか、またお墓に戻してあげるといいでしょう」
賞状を渡すようにゆっくりと鈴奈に近づいて、両手ごと差し出して。
被写体はひとりだけで、それは10歳足らずの少女のバストアップを映していて、見覚えのあるその少女の顔をみて鈴奈はたちまち泣きそうな声を漏らす。
「面影はまんまですね。これはきっと数年前のあなたの写真ですから、あなたのお父様の最愛の女性というのは、あなたのことだったのです」
それをすぐに胸に引き寄せ抱き、顔をくしゃくしゃにして、彼女は椅子に小さくうずくまる。
「お父さん」
「こんなんもらい泣きしちゃうじゃん」
「しちゃうねー」
マサカとゆりはそこを離れて。詩津華もぐすぐすとはじまってしまったので、少し部外者は離れていましょう、と折笠を手招きする。
「ちょっとお前、記念撮影しようよ。あと3人連れてくるから。今回の功労者集めてな。記念撮影しようよ」
「いいですよ!俺がみなさんに最高の写真撮ってあげますから!」
そして放課後すぎて30分、D組の教室の黒板を背に。詩津華、鈴奈を真ん中にして、左サイドにマサカ、ゆり、花形がついて。
右サイドには怪我の跡が残る従士郎と風雅と穂村。
「ちょっと、男性陣と女性陣もう少しバランスよく混じりませんか!左側、みなさんから見て右側がすんごく重いんですよ!」、折笠が8人を前にして指でフレームをつくる。
そして席替えが行われて、こんな顔で写してほしくない、とか、前に行ってしゃがめ、とか、ポーズ決めていい?とか。そういう無駄話が行われ、折笠は右目に、そこで帯を練ると。
「おい、何やってんだ折笠。お前もこい」
「はっ!?」
「はっじゃねーよ。今回の決め手の功労賞はお前だろうが。はやく黄瀬のとなりに来い」
「いやいや、何言ってんですか。俺、カメラマンなんですよ。」
「カメラマンは写真に写ったらいけないのか。アホくさ。カメラマンてそんな偉いのか。たまには写る側の気持ちを考えろ」
「じゃあ、誰が撮るんですか!俺の御名術で撮るんですよ。三脚は今持ってないし、そもそもカメラもないし、セルフタイマーなんて」
マサカが両腕を"洞"のなかに入れて。折笠の顔の脇から、「写ルンです」を持ったマサカの両腕が出現する。そしてレンズを向けて。
「まあっ!すごい、そういう写真の撮り方があるなんて!折笠さん、はやくわたくしのこっち側に来てください」
「え、ええ…!?い、いや、そんなのダメすよ!使い捨てカメラなんて、いい写真撮れないし、手ぶれもあるし、それじゃファインダーのぞいてないし!」
「お前、かなりつまんねえやつだな。いいか。みんなで撮る写真ってのはな、人数の多さと、見切れがないことと、誰かが目をつぶってないかだけ心配してりゃいいんだよ」
ゆりが、うんうんと頷いて。
彼を説得するにはだいぶ時間がかかってしまったけれど、全員に押されるとようやく折笠は詩津華のとなりにしゃがむ。
「いいか、
「いいから普通にハイチーズでやれ!」、待たされすぎた穂村が、怒る。
そして恐らく折笠は自然な笑顔というものをだいぶ苦手にしていて、女の誰かが「もう1枚!」とリクエストをし、他にも何度か失敗をして、残りフィルムを半分まで使って、きっと満足いくのが撮れた、と彼女らははしゃぐ。
男たちは、もっとも温厚な花形でさえ不機嫌さを抑えきれず、「長い!」「早く帰らせろ」「絶対2枚目のでよかった」といちいち悪態をついて。
その写真は御名術で撮られたものではないから、どんなに技術がなくとも、ずっと保管できて、思い出に残るから、そこに価値がある。
複数人の写真撮影に技術なんかいらねえんだよ。みんなで写ったってことが大事なんだ。