それは、少しだけずれた日本の高校のどこかで、 作:AyA Tono N.C.
「イヒヒヒヒ。どう、景虎くん。お姉さんいいお店知ってるでしょ」。蓮は、ついた座席の向こう側奥、カウンター席付近に設置された年代物のコーヒーサイフォンを指さしたり、外国の洋館で吊り下げられているようなイメージを思わせる照明機器を指さしたり。
一番年長のベストを着た従業員は、それこそまるで、爵位をもった近代の有力者のようにひげをたくわえ、むすっとした面持ちで食器やコーヒーカップを磨こうとしている。
「アタシ、なかなかここには相当仲良くないと連れてこないんだよ。ネ。いいでしょォー」。
そして景虎は素っ頓狂とも思える返答で、「TVの世界だ」、と自分でもよくわからない評定を言った。
彼はこういった、コーヒー1杯が700円より高くなる店など立ち寄った経験はなかったし、その雰囲気も歩み慣れている雑なファーストフードなどとは何もかもが違う。
「でも、いい店だと思うぜ」
そうして、言いなおすようにそこを褒めて言った。
「でっしょォー」
相手は、身体全体で笑う。
その仕草を見て、穂村はそして表情は一切変えないものの、なにか心の中で、どき、と高鳴るから。
おかしい。別に、かわいくもないのに。と彼は自分を理不尽に思う。
彼が格好つけて頼んだ、詳しくもないダッチコーヒー(値段は真ん中へんを選んだ)が届き、年上の女はエスプレッソを目の前に置かれるとはしゃいだ。
その味が美味いのか不味いのかはよくわからない。以前間違えて買ってしまった缶コーヒーよりは美味いかもしれないとは、思う。さらに、彼女が注文したコーヒーカップの小ささの意味がわからない。
そしてカウンターに立っていた老人は近寄ってきて、「蓮、ケーキは食わないのか」と訊く。
名前が通っているのか、こんな女子高生に、と穂村は驚き、「エエー食べたいけどさァ」。「フルーツタルト。金持ってないのか?一口くらいならただでやってもいいぞ」。「エッ、ううん、カネは持ってんの。ただねェー。この子にがっついてるとこ見られたくないんだよォー」。
そして当然の行動のように、その老人に、蓮は財布を開いて見せる。
また、だ。穂村からも見える。今日も札束が―千円札多めの3万円くらいであるが、15歳の少年には札束である。老人は顔をしかめて。
「またガキのくせにそんな大金持ち歩きやがって。じじいはお前のその金の出所が心配だよ」
「違うものォー。これはね、ちゃんと自分で稼いだカネェー。昔みたいなことしてないってェ。まじめに稼いだあたしのカネなんだからァ」
そして彼女は体全体で騒ぐ。
なにか、穂村は老人に「スンマセン」と無駄に謝った。その行動に必要性はなくて。
老人は言った。「お前のツレにしてはなかなかいい顔した坊やだな」。
「アッ!マスターやっぱわかるよねェ!1年生なんだよ1年生!でもすんごいパリっとしてると思わない。一昨日、あたしのヒーローになったんだものォ」
穂村は複雑な顔でその言葉に驚き、老人に頭を下げ、「穂村です」と挨拶をした。
「いいよ、君。若いのに目がいい、その髪型もじじいには最高だ。昔を思い出す」
と、険しい貌で彼はほくそ笑む。
こうやって、年長の従業員と会話になることも彼にとってははじめての経験で。その、決して居心地は悪くないけれど緊張感があって、なにか自分を認めてくれる場所。そこに彼は、心の安息のようなものを、得る。そして、体面する女がいて。
「マスター雇ってあげたらァ。スカウトするのォ。このお店たまにバイトの子欲しいときあるって言ってたじゃんねェ」
蓮はデミタスカップを空にする。強いコーヒーの香りが最後に漂って。
「ん」
「ねェトラちゃん、どう。バイトしてないんでしょォ。たぶんその髪型じゃパチ屋かガソリンスタンドしか無理じゃん。でも15じゃあ取ってくんないよねェ」
そうして勝手に蓮は話を進める。ついさっき、少し金を稼ぎたく悩んでいる、のような話題になったばかりだった。
老人はやはり険しい貌をして顎に手を持って行き、少し考えて「若すぎんな。もうちょっと18くらいに見えるようになったらいいかもなあ」。そう診断する。
「エーッ!アタシより年上に見えるじゃんよォ!」
「お前は俺にゃあ13,4にしか見えないよ。それにしてもいい目だなあ」
蓮がそれに文句を言って、そして彼はここで、自分の姿に怪訝な表情を見せる一般的な周囲とは一線を画した、ある種の、口幅ったいが、それはきっと自分のための場所であって。
「フルーツタルト食うよな?」
「ウン。やっぱ食う」
そして彼は心を開いたか、年上の女に、「なんであんたはそんな金をいっぱい持ってんだ?」、訊く。あまり答えを聞きたいわけではないが。
「だって急に必要になることもあるじゃんねェ。女なんだから」
それは彼の聞いた質問に適していない。
「違う、いや。その金はちゃんと…」、と、穂村は口をつぐむ。
「アーッ!景虎くん、アタシがこの金カツアゲとか援交とかして稼いだと思ってんでしょォー!ちがうちがう、アタシを信じて。バイトの給料入ったら全部おろしちゃうんだもん、アタシ。前に弟にさァ、クズなんだけどね、勝手に銀行のカード持ち出されたときあってさァ。暗証番号とこに誕生日打たれたら、おろされちゃうじゃんねェ。ひどいよねェ。だから自分のカネは自分で守んないとねェ」
「…」
「ウン、まあ、昔はネ。そういうことして稼いでた時期もあったけどねェ。今は違うんだよ。信じてねェ」
そして穂村はその表情の微妙な動きを感じ、そして包み隠さず言う言葉の真意をつかんで、むろんショックも受けるが、そこに、彼女の人格をみる。
なんでだ。俺は、この女のことが好きかもしれない。
彼と、蓮の接点は最初から起算し、いまだ30分足らずであって。
そんなのおかしいぜ、彼はそれを勘違いだと自分に言い聞かせる。
やがて時間が過ぎていくと、蓮は思い出したかのようにもうおしまいだと、今日のところの別れを切り出し、レジで2467円を支払う。結局、当初の穂村のジュースだけなどという子供の約束はいい意味で無視されて。
しかしもうそれを咎めようとか指摘しなければなどという考えは、彼には、ない。消えた。
「本当に、お前は歳のくせに金の重みが軽い、よな。蓮」、老人は嘆くのに飽きたような顔をして。「君、君からもこいつに、金使いを改めるように言いなさい」。穂村にそう言う。
6月30日。
マサカが単独でD組に来るというのが彼女にとってはだいぶ珍しい事で。
廊下で待っている風でもなかったので、詩津華はさっそく「柴崎さんと何かあったんですの。口げんか?」。
「違うよ。たまにはそういう日もあるの。いつも一緒とかバカップルじゃないからさ」
マサカは無意識のうちにそういう言い回しを吐いた。それもまた、詩津華は珍しいな、と思う。色恋に関わる単語を自ら言うタイプではないと知っているから。
「天里さんのことですか」
そして本題を指摘される前に。
「そうだよ」
「すみません。まだお話に至ってないんです」
「どうしてだよ。もう1か月したよ?隣のクラスだよね」
「病欠しがちなんです、彼女。昔からそうなんです。わたくしも毎日C組をのぞきに行けているわけではないのは謝りますけど」
ふたつ隣の教室なのだが、美有が話題をあげてからもう1か月も経ってしまうというのに、マサカは未だ天里凛々守という女の姿を見ていない。
ゆりは、後頭部だけを見た、という。しかし、まったく帯を感じなかった。やっぱり御名術もちではないのではないか、という疑念も沸いた。
けれど、それでは美有が嘘を言ったことになって、その行為にメリットがない。
これが例えば、美有と天里につながりができていて、東棟になにか影響というか行動を起こすがため目論んでいるとしたならば、美有はあそこで「C組の御名術もちは3人」などと、言うか?
隠していればいいのだ。
ゆりの意見として「帯の弱い強いがわかる人形谷さんの見間違えってのは、ないと思う。どっちかっていうと見間違えてるのはわたしかもしれないよ。わたしの身の回りの人達も、校長先生も、人形谷さんもだけど、帯が体中を包んでいるんだけど、いざ御名術を使うってなったときにね、それが1か所に集中するように見えることがあるんだよね。C組の富島君は帯が大きい手になるからね。だから、近くで、全身を観ないといけないかもしれない」と。
彼女はまだ臆病ながら、仲間たちの「眼」である自覚とその責任感が身についている。
「わかった。もしつかまえられたら、教えてよ」
「当然です。わたくしも彼女には。『御名術が身についてしまったならどうしてわたくしに相談しないんですか…』くらいは、言いたいのです。彼女の性格なら、持て余してよくないことになります」
詩津華はそう言うが。彼女と花形は中学時代より知っているはずだが、「どういう女なの?」という質問を、答えづらそうにぼんやりと曖昧に返答する。そして、そんなの誰にでもあるじゃん、と言われるまでがいつものワンセット。
そこに花形が立ち入って。
「おはようっす」
「あら。おは…」
「アッ。お前の事、ずっと誰かに似てるって思ってたんだ。そうだ、昨日TV見ててわかった。ミスチルのギターだ」
「だからさ。マサカさんいつも脈絡ないよね。そしてあんまり嬉しくない」
「ギタリスト!あなたギタリストだったんですのッ!詳しく聞かせなさい!」
地味な男はよそ見して、ゆるいパーマのかかった頭を掻いて。「あーもうこれ長引きそうだな」。
そして誰それが芸能人で言うと誰に似てて、などと軽い話が続いて、花形は待ちきれないように話を切り替えた。
「マサカさん、ちょっと大事な話あるんで、いいすか」
「ア?」
詩津華が珍しがって。彼から詩津華以外の誰かにそういう形で話し出すのは、以前もあったように、彼しか知らない極秘情報が語られるときであって。彼は事情通である、と周りは評価する。だいたいそれは詩津華も初耳の情報となってしまい、いつも彼女に怒られて、いる。
「どうしたんですか?またわたくしに何も言わないで大事なこと!」
「ホントだよ。そんで、どうしたの」
「んー。ちょっと、その、内容が内容なだけに。あっちの方で、サシで話してもいいですか」
「…は?」
マサカは意表をつかれて。
「待ちなさい。それをわたくしに聞かせないというのはいったいどういうことなんですの」
「内々におさめたいと思ってるから」
「わかりませんッ!」
マサカは困惑しつつも詩津華をなだめ、「…じゃあ、ごめんな。黄瀬のギター、借りるね。大丈夫、別にとったりしないから」。
「執事長、覚えておきなさい。わたくしにあなたが隠し事をするなんてどうしたものか。もちろんあとで教えてくれるんですよね?」
「いいえ。だいぶナイーヴな話なんで、言いません」
「何ですってッ!」
そこに可愛らしい怒りが生じるが、マサカはその空気感を読み、花形に従われ廊下まで行き。そして、そこではまだ騒がしすぎると、窓がきれいにはりなおされたトイレ前廊下まで、出る。
「なんかお前とふたりでしゃべるの珍しいね。なに、お前もマサカちゃんファンクラブに入りたいの?」
「それ、よく言いますけど本当にあるんですか。どういう活動内容でどういう会報が配られてるんですか」
そして花形はてきぱきと言う。スポークスマンのように。
「昨日の昼すぎに、穂村君がちょっと悪そうな女の子とふたりで歩いてたんだけど」
「おお~っ!!そう!そうなんだよ!あいつ、なんか年上の女つかまえたらしくてね!デートしたはずなの!あ、木曜だけじゃなくて昨日も会ってたんだぁ!?」
さすが、情報通、とマサカは花形の背中を叩いて。そしてそこまでは、からかうでかいネタができた、と喜び。
「その女の子、あ、先輩なんだ。その人ね、穂村君とわかれた後、方向同じだったんだけど」
「エ?お前、いつもそうやって尾行して情報集めてんの?恐ろしいやつだな」
「いやちょっと。マサカさん。こっからマジで。俺、心配してるんですけど」
「ア?」
「その先輩のとこに、それとは別の髪の長い女のひとがやってきてね」
「んん」
「で、穂村君とデート?してたその人、その髪の長い女のひとをいきなりビンタして、で…その、ビンタされたほう、財布からお金を差し出して。で、ぐわって、奪い取って…」、すっとマサカの顔が、静かになって。「俺は確実に見ましたけど。穂村君はそういうこと知ってるんだろうか」。
そしてマサカは少し待って。
「確かか」
「はい」
「そうかよ…」
「もちろん、穂村君はそういうのに直接は関わってない、関わるわけないってわかってるけどね」、彼は頭を掻く。言葉を選びながら。
「うん」
マサカは頷いた後、「あいつ、きっと舐められてんだよな」と断定的な評価をして、「どうしてあたしの好きなやつらってこう、人を観る目がないのかなあ。だめなのかな。わからんもんかな」。
花形はそれに、「それは、わからない」と。
その会話はそこで冷ややかに終了し、マサカはどう伝えたらいいのか、いや、というかどうやめさせるべきか。考えて。こっちの件は、ゆりのほうよりはずっと言い易そうだと思い。
お互いの教室に戻るため踵を返して右手へ曲がろうとすると、マサカは思いがけぬ美男子に出くわす。
「オウッス、花形君」
「よぉ、浦済君」
現れた浦済はD組同士、少し花形と言葉を交わして、そしてマサカに目を向ける。
「花形君、話し終わるの待ってたんだけど、加納さんお借りしても大丈夫?」
「うん。俺はもういいよ」
彼だけが先に行く。
そしてマサカは、嫌味ったらしいほどかっこいい奴だなあ、と感じ、徐々に表情を緩和させてゆき、「なに」と訊く。
身長差がほとんどなく、視線が水平に一致する。
「先週言ってくれた、生徒会への要望、御名術もちの生徒と他、うんぬんの話、校長先生と生徒指導の先生たちに言ってほとんど了解とってきたよ」
「お。ホントか」
「矢敷がノッてこないから、俺がさっさと片づけて来たんだよ」
「仕事のできるやつだなあ。キミが生徒会長やったらいいんじゃないの」
「俺はそっちは苦手なんだよー」
と、浦済は手のひらでマサカの二の腕に触れて。それは特に他意のないコミュニケーションのひとつなのだと感じるが、気になったマサカはすぐに払う。
「ごめ、ちょっと触っちゃうクセがついてて」、彼は自制したように苦笑いをする。
「まあいいけどさ、それ、セクハラって言いだす女、結構いるからな。気をつけたほうがいい。中小企業のハゲ部長とおんなじだぞ」
「しないしない。ちゃんと人は選んでやるから。でもかわいい子には、いつの間にかやっちゃうなあ」
マサカは顔をしかめ、そう最近はかわいいなどとは言われた覚えがないので、「ナンパ野郎」と強がって、感情を隠す。
ほどなくして片腕にぴり、という浅薄な刺激を感じたが、すぐに彼女は忘れた。
ブラックか微糖のコーヒーを平然と飲んでる女子高生はカッコイイか大人っぽい。これが男子高校生だと奇抜な背伸びしたがり野郎。甘々にしたコーヒー飲む女子高生は可愛い。男だとお子ちゃま。なぜなのか。