それは、少しだけずれた日本の高校のどこかで、 作:AyA Tono N.C.
あまり長い時間を考え事に充てることはできないけれど、この件に関しては「何かの勘違い」とか「相互の誤解」で片づけられるものとは到底、美有は思っていない。
諒太は、本来自分に、絶対に伝えなくてはならない何かがあったのだけれど、それをなぜか、忘れている。
さらに、女の教師は即座の判断にて、こちらに向かって御名術を行使した。広範囲の床をゴキブリホイホイに変えたのだ。つまり、こちらを、動けなくしようとした。
男の教師は両手の指を諒太の頭に当て、何か御名術を行使した。あれは、諒太の頭に何か悪い影響を与えている。諒太が「記憶」という単語を叫んだのはしっかり聞いている。つまり単純に、シンプルに考えれば記憶を消されたのだと思う。
校長はもう一人の知らない教師を呼んでくれと、それに頼まれた。
あそこにいた3人は、東棟の御名術もちと同等程度の帯が"練られて"いる。かなり扱いなれているのだ。
きっと、あの教師陣の目的は、御名術もちの複数人で自分を抑えつけて、記憶を消すことなのだ、と考えれば心当たりはあるし、納得がいく。
要は先手を打たれたのだ。
わたしは、つい数日前、そう思い始めたのだから。校長を、御名術をもって圧倒し、自身の御名術を自分の言葉で放棄させられることができたなら。
きっと、入学式の日に御名術もちの生徒が増えた理由は校長にある。
過剰に水増しされた自分に近しい超能力者などいなければいい。自分だけでいい。
「持ち出す」だの「失う」だのそういう概念さえ、意義を喪えばいい。
この学校を、ただの学校にする。
東棟のあいつらは、御名術もちの生徒が争うことで関係ない生徒たちに迷惑がかかるようなことをゼロにしよう、と奔走しているけれど。
わたしは、それよりは少し先の次元で何もかもを解決して見せるよ、と。
美有は右肘をそっとさすりながら、階層は3階へと向かっていく。まだ、その用途のない空の教室はA組やB組などの表札が添え付けられてもおらず。
まず最初にのぞいたA組は、まるで物置にされていた。段ボールや積み上げられた椅子は、何かに使えそうな気はしたが、いかんせん余計な障害物を縫って歩かなくてはならないそこは、きっと最初の戦いには向いていない。
きっと、A組の加納ならばここで戦うのだろう、と彼女は思う。
(部位ワープができるあの女なら、こういう遮蔽物がたくさんある場所で地の利を得、柴崎さんが床を見さえしていれば、下半身を他の場所に移しながら、あの女教師は完封できるだろう)
そこが、自分にはできない戦い方である。
相手の御名術の特性は解った。が、行使速度がかなり早い。床に左手をついて5秒もせずに、教室の1/4程度の面積が粘着物質で覆われることとなる。
そして美有は、いずれ3年D組になるであろう教室を選び、黒板を背にし大股に足を開いた。「真ん中があいている」と感じたから。
諒太はその左手側で美有の指示を受けながら、誰かが廊下を歩いてこないか見張っている。
彼は、美有から質問をされた。彼はそして、囮でもいいと言った。
その教室は前の出入り口が、積み上げられた机とひとつあたり4段は重ねられた椅子により遮蔽されバリケードのようになっていて、それがいいと美有は思った。窓際にはそれとは別の、同じくらいの数量の机と椅子が重ねられている。保護ビニールも剥いでいない。
相手が出てくる方向を一か所に限定し、1段高い教壇の個所に立って待ち受ける。
「諒太、ちょっと窓の方の机をね、後ろの戸を開けたら、邪魔になるように積んでみたいんだ」
「これを?いくつ?」
「5つくらい」
言われたとおりに諒太はそれを運び。
ルートを、狭める。
後ろ戸から侵入する者の足取りを数歩までコントロールする。そのきっと数秒の時間稼ぎこそが、肝要なのだ。
最後にぴしゃりと戸を閉める。
そして準備が整うと彼女らは敵の襲来を待つが。簡易障害物をかなりてきぱきと急いで仕上げたのに、誰の足音も来ない。
「美有、こ、来ないんじゃないのか?ここで待ってることの方が無駄で、戻ろうとしたとこを待ち伏せされてんじゃないのか?」
「そうかもね」
「んな、日が暮れちまうよ!いつになったら帰れるんだよ!」
「帰るよ、わたしは。今日中に、わたしの敵を倒してから帰るんだ」
すう、と美有は深呼吸をする。
「オ、オレは待ってても来なそうに思うけどな…」
「だァーから、待ってって言ってるじゃん。静かにして、それと。足音を聞いてほしいの。女はヒールだったし男も、校長も革靴だった。足音がしないことはないの。この静かさなら、やってくるタイミングは音でわかる。運動靴に履き替えたとしても、近づいたら少しは音がするはずだから。そのタイミングを、気長に待つの」
「あ、ああ…」
ふたりは耳をすまして。
到来するピンチのタイミングに合わせて御名術を発現させなくては。
来たるべき危機に合わせなかった場合、空のエクセルマットだけが表示されて使い物にならない。この未来予知は、そう万能なものではないのだ。
そして張り詰めた空気のなか、もう10分も経った頃、美有はしびれを切らせる。まだ来ないのかと。
校長が呼びに行った3人目の教師の御名術は、見なくてはわからない。それも、警戒する。
「美有、オレ、外にいって様子を見てこようか?」
諒太が訊く。
美有は少し悩み、「わかった。でも、誰かの姿が見えたらそっこー戻ってきてほしい」。哨戒を頼む。
そういう、彼の勇気についてはかなり評価はしている。蛮勇。その、危険を顧みない行動力こそ、自分には必要なのかもしれないと。
けれど彼の、ぐるり回ってくる、には何の釣果もなかった。戻ってきて早々に。「ダメだ、階段の下までのぞいたけどあっちもこっちも誰もいなかった」。
おかしい。
目算を誤ったか、と美有は思う。上階に登るという判断はおかしかったのか。
では、下駄箱の先の廊下でふたり同時に相手をするというのが適切だったとでもいうのか。
おかし―
チャイムが、鳴り響く。その教室に、校内に。
「え?」
そのタイミングは?昼休みが終わるチャイムよりも、鳴るにはいささか早すぎはしないか。
その音色は教室にやかましく鳴り響いた。その音は、廊下にやってくる足音を、消すかのように。
「諒太!今何時!」
「…12時35分ちょっと前、あ?あれ!?」
視線を下に落とし、教室の床を見やるに、左手側の、前出入り戸の床の隙間から黄色い帯が染み込んでくるのを、美有は見る。
その黄色は、薄く薄くにじんで広がってゆき、バリケードの机の足をすり抜けて、教壇へと差し迫って美有は飛びのいた。
「なっ!!」
しまった、チャイムを鳴らす時間を、変えたのか―!
足音を消すために!
「諒太!そこに立たないで!!」
その言葉は、やや遅く、諒太の右足をとらえて今なお教室の前面を侵食してゆく。
「うわあああ!?ま、また!?」
靴を脱ぐだけでは、それは脱出できない。粘着物質が飛散し、くるぶしとスラックスについてねばついた。それでは、着衣を脱ごうとするだけでも粘着する範囲が広がってしまう。
蛭間はしゃがんだままがらりと前の戸を開けたが、積み上げられた机を見て驚き、左手を床から離さずに事態に迷っている。
彼女の判断は間違いであった。黒板側から声がしたと思ったので、彼女はそちら側から御名術を行使したのだ。
けれど捕えられたのはどうでもいい男の方であり、ターゲットにはまた、届いていない。
「本当に、ずいぶん勘のいい子なのね」、蛭間は舌打ちをする。「けど関係ないわね。やっぱり、あっちから御名術を使いましょう」。
蛭間はバリケードをどうにもできず、そこを立ち上がって引き戸を閉じる。
美有はべたついた右足をどうにかしようとしている諒太に近づけず、けれど観察をしている。
左手を離したからと言って、すぐに床の粘着物質が消えるわけでは、ない。帯が残留している。
次に、あの女は教室の後ろの方からやって来て、今度は教室の床すべてを粘着物質に変容させ、自分の足を捕まえるつもりなのだ、と。
美有は思い立ち、黒板の左端に身体を寄せ、窓際から椅子をふたつ持ってきてそのうちの片方の上に、立った。もうひとつは自分の立った椅子と、教壇の間に配置する。
これで、得意ではないけれど、飛び跳ねるための足場をみっつつくることができた。
それだけ動ければ十分。あとはエクセルの指示に身を任せれば、危険度が70を越していない限りは、最初の事態は解決させられる。
右肘が、まだ痛みを訴えている。
「オート」の弊害である。脳から来た指示に従うとき、おりてきた、これをせよという工程に対し、容易にできるものなら「マニュアル」で指示通りに身体を動かせばいい。
だが、「そんなこと、自分にできるわけがない」と思ってしまったら「オート」にせざるを得ない。意識を失ってしまうが、脳が勝手に身体を動かしてくれる。だけど、意識を取り戻したとき自分に
何が起こったのかわからない上、いつの間にか身体のどこかがその無意識の活動に耐え切れず怪我をしている。脆弱な身体である自分にとって大問題だ。
学力テストの前日にF組の御名術もちと戦った時、「オート」で勝利を収めたが、右手の小指が骨折していた。筆記用具を持つのにも難儀だった。
できる限り「マニュアル」でどうにかしたい。怪我をしたとしてもそれに対して、なぜ怪我になったら自覚があるかないかでは、その後の恐怖に大差が生じると彼女は思う。
今日の怪我はこの右肘だけでおさめたい。打撲だけ。どうか、安全な指示がおりてきますように、と。
◇優先目的 ◇状況改善効果 ◇危険度
1 女が入ってくるのを待つ ★ 55% 非推奨
2 すぐに女に攻撃を加える ★★★ 69%
3 すぐに諒太を助ける ★ 65%
4 諒太に攻撃を加える ★★★★ 78%
5 ひとりで逃げる ★★ 45% 非推奨
「うっ、うっうっ…ひ…ひどい…どれ選べってーのぉ…」
美有はエクセルを確認すると、顔をゆがめて。
「ああもう!わかったよ!やればいいんでしょ…」
椅子のひとつが宙を舞い、教壇付近に落下する。
「ひ…」
美有がそれに恐怖し、登っていた椅子から飛び降り、黒板に背中を預けた。
けれど。
彼女は、妙な感触を背中と、後ろ髪に覚えた。
「あああーーーーーー!!美有!!」
諒太は、叫ぶ。
左に目をやると。少し開いた戸の隙間から這い出る蛭間の左手は、教室の最前面の壁面についている。
しまった。床だけじゃない。壁にもできるんだ。
どうして。この女、教室の後ろの方からやってくると思ったのに。なんでまだ前の方にいるの。騙された。
美有のワイシャツと髪の毛の一部が、粘着物質に汚染された黒板にひっついた。
「や…やば…」
「美有ーー!!」
そして諒太はやっと床の粘着効果より解放され、美有を助けに向かうのだが、その状況は美有のワイシャツを破って、髪の毛を切らないと脱出させられそうにはない。
諒太はそれは躊躇する。狼狽して。
◇優先目的 ◇状況改善効果 ◇危険度
1 女が入ってくるのを待つ ★ 55% 非推奨
2 すぐに女に攻撃を加える ★★★ 69%
3 すぐに諒太を助ける ★ 65%
4 諒太に攻撃を加える ★★★★ 78%
5 ひとりで逃げる ★★ 45% 非推奨
「う…ど、どうしよ」
「美有!オレになんか言ってくれ、あの女先公オレがどうにかすっからさあ!」
「ば、ばか。むり…」
◇優先目的 ◇状況改善効果 ◇危険度
1 女が入ってくるのを待つ ★ 55% 非推奨
2 すぐに女に攻撃を加える ★★★ 69%
3 すぐに諒太を助ける ★ 65%
4 諒太に攻撃を加える ★★★★ 78%
5 ひとりで逃げる ★★ 45% 非推奨
「…」
美有はそして。
自らの完璧な御名術を信用して。
「4番」
自ら、最もまずい数値を選択肢をチョイスする。
目の前の諒太を力の限り突き飛ばして!
◇マニュアル◇ ◇ オート ◇
これで離れて行ってしまうようなら、その程度の関係だったんでしょう。
「マニュアル」
美有は後身を煩わしく思いつつ、どうにかして自分を助けようとする諒太を両手でどん、と力いっぱい押して、彼の身体は教壇に激突し激しく転倒する。その衝撃は、彼女が思う以上に大きかった。
自分でもかなりの馬鹿力を出してしまったのか。そうとさえ思えた。後頭部に複数の連続した痛みが走る。髪の毛が数十本抜けただろう。
何しろ、その衝撃で教壇が滑り、「こちら」と「あちら」を分ける遮蔽物の重なりへと、教壇がスライドしてぶつかりに行ったのだから。
がぁん、と衝突音がする。
「きゃあああ!!」
悲鳴が上がり、バリケードの机は揺れ、その一部が廊下側へと崩れ落ちる。その重さは閉じた出入り口戸を倒す程で、その引き戸ははずれて蛭間に、崩落した。
「ンンンーーーーーーッ!!」
女教師は落石事故のような重圧にさらされ、その悲鳴は声にならない。
廊下から、もだえ苦しむ女の悲鳴が聞こえるが、美有と諒太は顔を見合わせ、うなずき、ほっと胸をなでおろす。左手はもう、壁面につけるどころではない。
「ま、まずひとりやったな!さっすが、さすが美有!やっぱり美有は、すげえなあ!」
「ちょっと、のんきしてないでくれる」
美有は冷たい声を上げて。
目が、据わっている。それは諒太から見てもひどく冷淡で、無感情で、机、椅子、引き戸の下敷きになった蛭間の傍へ行って。
その左手が彼女を押しつぶすものからはみ出て伸ばそうとしていたから、美有は冷酷に容赦なく、その手首を踏み、砕いた。
「ぎゃああああああああ!!」
女のとも男のともつかないようなひときわ大きな悲鳴が上がって。
それだけでは収まらない。美有は、蛭間を下敷きにする、その戸に、登った。だん、だん、だん、とそれを踏み鳴らして。
その一撃ごとに、獣のような悲鳴が上がる。
諒太は、けれどそれを止めない。止められない。「美有…」、ただ、弱い声を上げるだけで、それを止めようとすることさえ、憚る。
「諒太、わたし、うしろハゲてない?触っていいから」
「え、ええと…ううんと?」
彼女は諒太に後頭部を許す。撫でまわしてもいいと。
「こいつみたいな小汚い下品な御名術もちのせいで、大事な後頭部のヘアアレンジがめちゃくちゃになったよ…ねえあんたどうしてくれんの」
「美有、だ…いじょうぶ、だと思うけど、そんな、ハゲてなんて、ないよ」
「そう、ならいいけどね。78だったから流血覚悟だったけど、髪の毛だけで済んだなら、まあ、強運」
美有は、そしてその顔は、彼女の特徴だが、人間性を失ったと同時に、蒼白となる。そういう、体質。
「諒太、この戸、どかしてよ」
「え?」
「どかしてよっ!!」
彼女は、疾呼する。それは諒太の身体をびくりとさせて。
彼は言われるがままに、その重い引き戸をずらし、蛭間の鼻っ柱を砕かれた顔をあらわにして。
そして美有は蛭間の首元までずらされた戸のへりに強く足をかけ、蛭間の首に食い込むよう、ねじ込むように体重をのせた。
「クワァアアーーー…!!」
そして鳥類のような耳をつんざく悲鳴を聞き流し、彼女は。「今すぐ御名術を放棄すると言え。言わなければこのまま首を折って殺す」。
それはまるで自分が足をかけている人間が、自分よりも遥かに劣った存在であるかのように、一切の手加減なく、罪悪感もない。美有はつまり、「わたしはお前とは違う生物なんだぞ」と。
言葉にすれば、そういう事。
諒太は、けれど止めない。これは彼にとっても初めて目にする光景のひとつでは、ないので。
「早く言え」
「コ…」
「早く言え!」
「か…か…」
「言わないのかお前みたいな紛い物の御名術もちがーーーー!!この黄色い帯をもう見たくないと言ってるんだ!!気持ち悪い!ゲロ吐きそう!こんな力をもったお前に生きてる価値はない!今すぐ死ぬか御名術を放棄するか選べ!わたしにこの、汚らしい黄色い帯を見せるな!!」
美有は吐き捨てる。この瞬間ばかりは、彼女は、自分よりも低質な存在についての生死の意義などに、何の興味ももたずに。
そして。
「ほ…ほうき…します…」
その言葉はきっと、呪いのようなものを解除するかのような言霊のひとつで、その言葉は校長に聞こえてはいないけれど、ぼろぼろの蛭間の身体より、その黄色い帯は瞬時に、砂塵のように吹き飛んで、消えた。
美有はそして。
終わったら、思い切り歌おうと、決める。終わったのが、夕方だったとしても、夜だったとしても。
このストレスを振り払い、また元通りの自分になるために、大きな声で歌おうと、心から思い、そして足をどかしてやる以外の情けも行動も蛭間に対しとってやることもなく、ただその場に放置して、次の御名術もちの教師を倒しに行こうと意識を切り替え諒太を引っ張った。
エクセルとゴキブリホイホイとの異能力バトルして殺すとか殺さないとかいう話になるってなんなのよって自分で書いていて思う。