それは、少しだけずれた日本の高校のどこかで、   作:AyA Tono N.C.

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#38 わたしの超能力はエクセル(3)

 美有が蛭間を打破し御名術を放棄させてから、まだ5分しか経っていない。

けれど。

 

 歯噛みする、彼女は。どうしてこうなってしまったことについて、まったく自分は気づきもしなかったのかと。

自分の右か左に常にいて、何かあったら必ず守るよと陽気に、頼りになる男アピールを繰り返していた男は、彼女がそれを見失ってほんの十数秒で、2階へと降りる階段の踊り場に倒れ伏し、身を痙攣させている。

階段から転落させられたのか。

 

 美有たちは西棟を下りて、職員室の方向へとあえて回り込んで次の教師を相手どろうとしていた。無関係の教師がそこらに点在するような場所ならば、御名術の行使もやりづらくなるだろうという見込みだった。

しかし、肝心の職員室に到達するまでの間に攻撃をされてしまっては、揚げ句随伴者を攻撃されたのでは、今ここから動くことはとてもできそうにない。

そもそも、いつ、何の気配も見せずに、物音も立てずに諒太が階段から突き落とされているのか。そんな音は、しなかった。

 

 彼が落とされた位置がもう数メートル先であったなら、彼の身体は吹き抜けの階下に滑落していたかもしれない。

前には3階における東棟と西棟を接続する連絡通路がある。そこの宙に浮かぶ通路の手すりは鉄製で美有の腹部まで。つまり、それだけの高さでしかない。

少しでも体勢を崩したり、よじ登るようなことをすれば2階層下に落下させることさえできそうな場所だ。

美有は思う。女教師のやられっぷりを見て、次の相手は相当に手加減をしてくれそうにないだろう、と。

 

 足音も、呼吸音も、何も感じられない。帯までも。

御名術を行使しか瞬間にしか帯の強い発光がないという特性の敵だったならば(これは従士郎がそうである)、かなり厄介だ。その帯の視認が遅れれば遅れるほど、自分の身への危険度は増すし、エクセルを出すタイミングが図れない。

きっと2人目の教師はごく近くのどこかに隠れており、自分の死角から攻撃をし、力づくで取り押さえようとするだろう。力では絶対に、誰にもかなわないのだから、それだけは避けなくてはならない。

 

 帯を感じ取れない。視認できていない。

 

 では、「匂い」と「音」ではどうか?

 

 ここから先は、恐らく美有にしか―天然の御名術もちにしか―わからない領域だ。

帯は「身体器官」である。体外に粒子として浮遊しているという特殊性こそあれど、その性質や肉体における位置づけは「血液」に近しい。

肉体に体臭があるように、帯にも匂いというものがある。身体器官であるから。美有は解剖などはした経験はないが、多分人間の肉体で無臭という箇所はないように思える。

また、帯が体外を対流しているのであれば、その対流音というものは聞こえるのではないか。

血管のなかを血液が流れているときも、音が全くしないということは、ないだろう。血管の中の音だから聞こえないというだけであって。

 

 これらの分析に加え、美有はゆりのそれよりも少し優れた帯の感知能力がある。

だから彼女の綿密で静かな集中の結果、そこに彼女がすぐに看破できたものがあったとしても、それは当然のこと、であった。

そう、それは少しすえたようなごく一瞬の匂いであって。

こぉぉぉぉぉぉぉ、という、新幹線の車内で感じるとても静かな走行音の断片。

 

 が、帯の波形を一瞬感じたとき、彼女は感づく。

「わたし」と「敵」の距離が、あまりに近すぎやしないか?と。

 

「ぬぐっっ!!」

途端。

美有の口元に何か湿らせた布のようなものが当てられ、彼女の嗅覚は油性マジックのような刺激臭を感じる。

 

 まずい、これは…眠らせるやつ!

 

美有は焦燥し、口元と掴まれた左肩をぶんと回し、意識せぬ間に背後についていた次の敵へと抵抗をする。

「あ、あれ?」

男の声がする。

少し間の抜けた、それは男の声で、彼はきっと薬品を嗅がせすぐに美有が前後不覚な状態になるのを期待していた。

「ぐっ…ううっ!!」

美有が口元からそれを離すにはだいぶ無我夢中で暴れまわる必要があった。それほど、彼女の膂力は乏しい。

クロロホルムをわざわざ理科実験室から用意してきた男の体格は痩身で、力は決して強い方ではないが、もしも薬品などに頼らず美有に気付かれる前に両手で抑え込んだならば、美有はどうにもできなかっただろう。

彼は、余計な閃きを行動に移すべきではなかった。

知覚されづらくなる、という御名術を持っているその教師の名は、坂田。

世界史と地理に明るいその男は、美有も同じだが、クロロホルムを嗅がせればすぐに人間が昏倒する、という漫画やドラマの表現に欺かれていすぎた。

 

 だから美有はその身から男の身体がすぐに離れたら、右足を後方へ向けて関節の可動域ぎりぎりまで振り上げ、後ろ蹴りでさらに坂田との距離をはなす。

美有は敵に向き直り深呼吸、しかしその場に敵が見えない。距離が離れたせいで匂いも音も感じない。

 

 これは、よくない。

美有は思う。

相手の姿が知覚できない。帯をわずかに感じ取れたとしたら、それはもう50cmも離れていない距離。

相手がどこにいるかわからない。相手が何をしてくるかわからない。

対象物が見えないのに、エクセルが指示をくれるだろうか?カラッポのマットが出て来たなら、それはもうおしまいだ。

そした彼女は身体に帯を循環させる。

 

   ◇優先目的       ◇状況改善効果  ◇危険度

1 後方へ退避する    ★★      44% 

2 真正面を突っ切る   ★★      35% 

3 右手へ迂回する    ★★★     52%

4 左足元に何かを投げる ★       20% 

5 背後の窓を破って脱出 ★★★★    89% 非推奨 

6 声を上げて諒太を起こす★★      41% 

7 天井に何かを投げる  ★★★     63%

8 最も近い教室に逃げ込む★★★     55% 

9 動かない       ★★★     76% 非推奨

 

 

 

「お…多い…!」

 

 行項目が、9つ。これは彼女の今までの御名術行使でも最大の多岐の選択肢で。

ただ選択肢が多いことが問題なのではない。

状況改善効果がほとんど、均一すぎる。危険度たるや、ある程度の怪我はほぼ免れられない。

美有は瞬時の判断に悩む。

5番ならば教師の位置を見抜き撃破できそうではある。しかし、89%というのがまずい。明日からの夏休みを療養で過ごす覚悟が要る。そんな悲劇的な未来は受け入れられない。除外。

4番はまったく事態の解決が見込めない。除外。

9番も危険度が高すぎる。除外。

7番は何を投げるという?投げられるものなど、靴しかない。それによって今解決に至ったとしても、まだ敵はいる。そのときに素早く走れという指示が来たら?除外。

1、2、6は状況改善効果が低い。除外。

3か8。3か8。3か8。8か3。8か3。危険度は3のほうが少し低くて…。

 

「8番!!」

 

美有はそして。

自分の好きな数字の方を、選んだ。

 

   この選択肢はオートを推奨します。

 

   この選択肢はオートを推奨します。

 

   窓から飛び降りるときは、必ず頭から降りてください。

 

   ◇マニュアル◇ ◇ オート ◇

 

   この選択肢はオートを推奨します。

 

 

「ちょっ…」

彼女が総毛立つ。

「なにそれ!!5番もなんか窓から飛び降りるやつだったじゃん!指示がぜんぶおんなじだし!!」

美有はその後の未来への具体性を見出せなくて。

だが彼女は8番を選んだからには、もっとも近い教室、3年E組になる予定の教室へ駆けこむしか、ない。

そして彼女は思う。例えば、飲料のようなものがあればそれを口にし、吹きかけて見えない敵の居場所を推理できるのではないかと。床が濡れれば足跡も見つけられるかも―。

だが、それを今からやろというのは愚策である。

彼女のエクセルに現れた選択肢にないものは、状況改善効果はゼロということだ。危険度は推しはかれないということだ。エクセルに従わないのは自殺行為なのだ。

 

 それでも「窓から飛び降りるときは、―」のくだりは、美有を恐怖させる。それ即ち、窓から飛び降りる、頭から、というのは真面な感受性ならばとうてい容認できない。

むしろ、なぜそれだけのことを求めているのに危険度が55%で済んでいるのかが不思議だ。

美有は後ろの引き戸を力いっぱい閉じた。騒音がそこに響く。

彼女がその教室の窓際に進んだなら、その引き戸はまた横にスライドし、それをした人間の姿はやはり、見えない。

 

 坂田は―足音ひとつ聞こえさせずに、窓際に立つ美有の左手側にゆっくりと回り込む。

それでも彼は、いまだに美有に近づき関節をねじりあげれば泣きわめいて無抵抗になるような女生徒、と軽視している。

姿を現さない、衣擦れの音さえ感知させない。吐息の口臭どころか温度さえも感知させないという、まるで透明人間になる御名術を身につけているだけに彼は当然たるべし自意識過剰さが、あった。

 

 それ即ち。最善の未来を自らの選択でつかみ取る御名術とはなんなのか。それを、まったく理解できて、いない。

 

「オート」

 

 坂田は左側面から美有の左手首をつかみあげ、斜めのほうへと関節を逆に極める。そして空いた手の方で美有の首に、手をかけた。

「子供が、大人をなめるなよ。もう逃がさねえぞ。おとなしくしないと」

 

 

「おとなしくしないと…」

 

 

「おっ、おとっ、うっ?うっ?え…?」

 

 後ろ手に極めた左腕が、細腕の少女の力としては異常なまでに。それを、元の位置に戻そうという逆の力でもって、坂田の力に比肩する力がそこに生まれて。

美有の痛覚は遮断されている。それはつまり、マニュアルでは出てこない、脳がリミッターをはずした力。

首にかけた手は簡単にひきはがされて。

そしてすぐに、関節を逆に歪曲させられているのは、坂田に入れ替わった。

「うわあああああああああああ!!イッ!!痛ぇ!!」

美有の目に感情はなくて。

しかし美有はその力で坂田をねじふせるのではなく。窓を背にしたまま、その自分よりも一回り以上大きな体躯を引っ張り、ぐいと窓際に引き込んだ。

 

 その窓ガラスを割ったのは、美有の後頭部と、坂田の顔面であった。

ふたりの身体が窓枠から半分以上はみでたところで、無意識の美有は手を離し、両手が自由になった坂田はもがき、がむしゃらに窓枠をつかむ。

残留したガラスの破片は彼の両手に深く刺さり、回転したその身体は遠心力により3階の窓の外に打ち付けられた。

そして、坂田は絶叫する。両手に力をこめればこめるほど、鋭く熱い痛みが邪魔をし、よじ登るのは極めて難儀だった。それだけならば彼にはまだ救いがあった。

すぐに坂田の足首に体重がかかり、彼を落下させようとばかりに美有がそこにぶらさがっている。

「あ。あ。ああああああ!!た、助けてくれーーーー!!」

そこで、美有は意識を取り戻す。

「…」

 

   オートモードでは交渉ができないため、解除します。  

   両腕の力を弱めないでください。   

   手を離した後は、壁を蹴ってください。   

 

「…なんなの、いったい。うう…なんなんだろ…頭と腕が痛いよぉ…で、わたし、なんでこんなことになってんだろ」

自分は何か、知らない男の足にしがみついており、その帯の波形はさっきまで消失していた教師のものと同じ。

美有はそして、真下を見れない。見たならば、きっと吸い込まれるように、落ちる。

 

 

   ◇優先目的        ◇状況改善効果  ◇危険度

1 手を離してから交渉する ★★★★★   27%おすすめ! 

2 交渉してから手を離す  ★★★★★   60% 

 

 

 

「なんなの」

彼女はエクセルの指示を鬱陶しがって。けれど、従わなければいけないから。「1番」。

 

 ぱっと、彼女は恐怖に目をつぶる。きっと、普通の脳から指示がこない人間だったなら、彼女が。坂田の足にしがみついたまま、誰かの助けを待つのだろう。

しかし彼女はもう据わっていてしまって、そして27%という数値に信用を抱き、数秒の無重力を味わったあと、ふと思い出して壁面を足で蹴った。

それによって落下軌道が変わり、すぐさま、両手両足を支えようとする何かに身体は到達し、四肢をあずけた。

美有が目を開けると、痛みなどほとんどなく、ただ硬くまた柔らかいものに、自分はしがみついている。校庭に間隔をもって植えられたケヤキの木の1本に、美有の身体は落下した。

ちょうど、彼女の四肢を支えるように、扇状の枝が広がっている。

少しの切り傷と、擦り傷。そして、スカートの破れ。ワイシャツの汚れ。その落下は、彼女が逃れられない最小限の痛みだけを与えて、美有の身体を守った。

 

「…」、美有は深呼吸を再びし、「3階から落ちてこれしか怪我がないんだから、わたしはこれは、人間じゃないよ。最高だ、わたしのエクセル。わたしは、誰よりも上にゆく」。

そして木登りの姿勢のまま、上方に向けて。「御名術を放棄すると言え。言えば、助けてやる」。

坂田の両手からの血が、窓枠から壁面を濡らす。

やがてすぐに、わめいていた男は大声で、「放棄する!!だから助けてくれーーーーー!!」

そう、叫ぶのだけれど。

 

 美有はゆっくりと、慎重に慎重に、その樹を降りる。

少女のころも木登りなどという行為はしたことがなかったので、恐る恐る次の足場を求めながら、そのひときわ樹高のある樹をそっとおりてゆく。

自分の命を救ってくれた樹なので、そっとありがとうと撫でながら。

最後の枝からだいぶ近くなった地へと飛び降り、彼女は決意をもって「あとひとり。校長含めたらふたり」と校舎に振り返った。

 

 ふと思い出して美有は少し首を上げ、ガラスの割れた窓枠を見やるが、そこには特に誰もしがみついたりはしていなかった。樹を降りているときに何か大きな音が聞こえた覚えがあるので、きっと落ちたのだろう。

 

 

 

 

 




クロロホルムで昏睡させて云々を初めて物語表現としてやった戦犯はどこのどいつなんだろう。それに引き換え「おまたせ!アイスティーしかなかったんだけどいいかな?」は事実誤認がなくて説得力がある。
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