それは、少しだけずれた日本の高校のどこかで、 作:AyA Tono N.C.
インドネシアはむっちゃくちゃいっぱいの宗教が入り乱れてしまっていて、ユッピが考えてるような、イスラム教徒ばっかりの国ではないという事はキミらはちゃんと覚えておいてほしい。
土着の神様みたいな考え方がとても多くて、神話とかそっちのファンタジックな話になると、だいたい女神さまとか竜みたいなのが出てくることが多い。わりとクラスで流行ってるRPGのゲームしてる、と思うのである(という勝手な先入観で話を進めるが、あたしはRPGのゲームなんてわからない。最近でいうとエアリスって言う子が死ぬことぐらいしか知らない)。まあインドネシアは国旗にガルーダ描いてるようなとこだしな。
もちろんこってこての宗教施設はいっぱいあるし、ボロブドゥールに行った時のガキのあたしはそのスケールに「すっげー!」としか言わなかった。このあたりのスケールがざっくばらんなところ、あたしは好き。
あたしが住んでいた島ではなくて、だいぶ西のほうのでっかい島の伝承で、森の中を迷わせてしまう
死んだ人の霊が森の中を歩いてる人をいたずらで迷わせる。籐かごをまっぷたつにして、その間をくぐると退治できるそうだ。
どうも雑魚いと思うが、幽霊ひとつのせいで籐かごをだめにしなくてはいけないという点では嫌がらせ強度は結構高いんじゃないかとあたしは思う。
さてそんな、他愛もないおとぎ話に紛れてこの話をしたいのだけど、あたしの住んでいた家の斜め左のほうに、スダムじっちゃんという偏屈で赤茶色の顔したなかばアル中の年寄りの家があった。
あたしのパパはこのじっちゃんのことが大嫌いで、学校が終わったあとに奥さんにそこの家に誘われてごはんをご馳走してもらったりして、家に帰ると物凄い勢いで怒鳴られた。あんなじじいの家に立ち入るなと。あたしが半泣きになったくらいでママが仲裁に入ってあたしは自分の部屋に追いやられ、30分くらいすると静かになる。
という経験は少なくとも10回以上ある。懲りなかったのか、学習しなかったのか、反抗期なのか、とか指摘されてもしかたないんだけど、ちょっと抗えなかった欲求ってえもんがあったからだ。
このスダムじっちゃんという人、今はもう70すぎたと思うけど、もンのすごく話が面白かったのである。
この話はあたしが今言ったばかりの、伝承、寓話、おとぎ話の類で。
このじっちゃんは前置きとして、「こいつぁ俺の作り話なんだけどな」、絶対にそう言ってから話をしだした。それはつまり、インドネシアの伝承とかよその国の物語とか、そういう機軸を全部外したうえで「これは俺の考えたフィクションだからおとなしく聞いてろ、途中で立ったら殴るぞ」と言ったのである。
なるほど、今まとめてみるとそんな年寄りに大事な娘を近づけたくなかったんだろうな、という親の気持ちはわかるし正しかったと思う。
「これはこの国がオランダのもんだったころの話だ」、とか「これはこの国にはじめて電気が通った頃の話で」とか時代背景をかなり詳細に伝え置いたうえで、ワクワクするような若い男の子の冒険活劇を語ったり、お姫様の身分違いのラブロマンスとか…混血の航海士の半生とか―そういう話を。
きっとあれは、スダムじっちゃんが昔聞いた話、それも各国の小説やお芝居を下地にして、「インドネシアに実在した人間の、本当にあった話」として語るという点において。あの年寄りは天才であった、アンドそれがあたしの琴線に触れまくった、というのが、今客観的にみての所感。
同じ話はたまに2度聞かされることもあったけれどそれらはいつも新鮮で、あたしだけじゃなくて他の子たちにも興奮と感動を与えていた。
あの年寄りは確かに、まずい類の大人ではあったけれど、子供の心を揺さぶる力だけは真実で。
あたしが14になる手前くらいでうちの家族は少し離れた場所に引っ越してしまったから、そこでスダムじっちゃんとの接点はおしまい。話は聞けなくなったが、あたしはあまり寂しくなかった。
ここで、あたしがスダムじっちゃんから聞いた、忘れられない物語を説明しよう。
下地はおそらく、ヨーロッパらへんに黒いマリア様の像がちょこちょこあるのが、それ。
ざっくりとあらすじを説明すると。
200年前の漁村に、ありふれた結婚をした夫婦がいた。最初の頃はみんながうらやむくらい仲が良かったその夫婦は次第に関係がきしんでいき…理由は、漁師のだんなの方が、弱い人に暴力を振るうタイプだという、本性が、じわじわと表に出て行って。
飼っている大事な牛を意味もなく殺してしまったり、騒がしい子供を叩いて家に近づけさせなかったり、とか。まあ、なんとなくどこの世界でも聞く話か?
そんなだんなに嫌気がさした気弱なお嫁さんは思い切って厳しい言葉でいさめたけれど、逆ギレされて頭から顔に大きな火傷を負わされ、あげく子供が産めない身体にされてしまった。
その漁村から少し離れたとこに、当時には珍しいカトリックの教会があって、失意のお嫁さんはそこにあった聖母像にお祈りをささげた。お嫁さんはイスラム教徒だったけど、アッラーにお祈りを捧げても何もしてくれなかったから、とかそういう理由だったはず。このあたり、曖昧。
ある日。
「貴女は夫をどうしたいのですか?乱暴な性格を治してあげたいのですか?それともいなくなってほしいのですか?」と、夢枕に立ったのはそのマリア様であって。
お嫁さんは即答ができなくて、そのうち目が覚めてしまい、夢から覚めて火傷を負った自分の顔を鏡に映した。
だんなに対する愛とか情とかそういう描写は覚えていない。ただあたしの印象に強く残っていたのは、鏡を見た後のお嫁さんは「いなくなってほしい」と絞り出すように声を出し、すぐにそれはかなった。
その日のうちに暴力夫は漁船から投げ出され溺れ死に、死体の一部も回収できないくらいに魚に食われて海の底に沈んだのだと。
お嫁さんはだんなが死んだあとはすぐにもっと素敵な男の目に留まって再婚し、再びあの教会に足を運ぶと、御祈りをささげた聖母像の顔は、純白だったはずなのに、真っ黒に染まってしまっていた。
お嫁さんはキリスト教に改宗し、生涯そのマリア様を磨き続け、おばあちゃんになったことにやっとその顔を純白に戻すことができたんだって。めでたしめでたし。
この話の教訓は要するに、あたしが考えるに、「DV夫は早いうちにどうにかしろ」「人の罪は神が背負う」「改宗してもいい」、要するにそういう事じゃないかと思う。
きっとスダムじっちゃんに今会いに行って、まだ健康でいたなら、覚えていたならこの話の真意はなんですか?と聞きたいところではあるのだが。まあ難しいだろうな。
それが、あたしの頭の中に刻み付けられた、一番印象深い話。
(1-8)
9月1日。
「ねえ従士郎、お願いがあんだけどー」
あたしは少し思いつめた感情をしてると思うが、これはお芝居ではない。今朝から、少し友達との距離感を間違えてるせいで話しかけ方をどうも意識してしまう。
もともとついてないと思ったのは、今日いきなり電車が遅延してしまい、大慌てで遅刻寸前で教室に駆け込んだこと。
新学期の始業式が終わったあと、そのときのあたしはとにかく早く「誰かに話しかけて夏休みにあったことを伝えたい系女子」だったわけだ。
ユッピとは夏休み中も結構な頻度で会っていたけど、それでも昨日一昨日の話をしたいわけで、始業式が終わってすぐにユッピに勢いよく話しかけたが。
「…ごめん、マサカちゃん。ちょっと控えめにして。具合が…悪くって」
と。重い瞼のようす、三白眼みたいになったユッピはかなりの可能性で生理痛がひどいと見え、あたしはそこで勢いをなくした。少なくとも、超高速で「このあと手打ち練屋ってラーメン屋行こうよ!ふたつとなりの駅で、昨日テレビでやってたんだよ!」なんて誘うのははばかり。そう。あたしはそのラーメン屋に行きたくてしかたがないのだ。
「う、うーん。じゃあ、よしとく。ごめんね」
「まって、マサカちゃん。わたしに何か言いに来たでしょ。途中でやめるのは、やめて。らしくない」
彼女は遠慮しがちなあたしを許してくれない。
「そっ、そのぅ…昨日深夜番組で見た、ラーメン屋さん行きたいなって…」
「ちょっと今日は無理かな。別の日に誘ってほしい」
重い声。このあたり他のクラスの多数に、ユッピは単なるおとなしいいい子だと誤解されがちではある。でも機嫌の悪い時のユッピはかなり怖いという事を知っている子はそう少なくもない。普段の小動物みたいなかわいらしいアレを想像してはいけない。
この状態のときにデリカシーなく男やらがバカみたいにでけえ声でユッピに話かけて、静かに冷たく「ねえ、もうちょっと静かにしてもらえないの?」と凍り付く視線を浴びせられるのをあたしは何度か見た。
彼女の性格のうち一部をあたしが醸造してしまった自覚はあるけれど、あれはな、かなり怖いぞ。騒々しくする人間を自分と同列の人間として見てない残酷な視線だ。いつもとのギャップがあるせいで、その一言だけで教室の半分が静まるなんて現象はそうはお目にかかれないぞ。
そして体の具合がよくなってくると、「マサカちゃ~ん…ごめんね~…わたし、具合悪くて相手してあげられなくって~」とかむっちゃくちゃ愛らしい声で言うのだ。カワイイ。
「でもさ、ラーメン屋さんだけじゃないよね?なに?」、見抜かれる。
「いっ、いやっ。それ以外は、特にないんだけど…」
「うそでしょう。早く、言って!」
そしてあたしは、この話を使ってバカみたいに盛り上がりたかったのに。
「え。えーと。あのさ、ユッピ、あたし、タトゥー入れたい」
「は?」
やばいぞ。まったく笑ってくれない。
「い、いやさ、ハートとね、なんかこう、可愛い悪魔みたいなの…」
「なんで」
「…あ、たしの好きな黒人のヴォーカルが…」
「どこに」
「…こ、ここ。内腿にワンポイントで入れた…」
「誰に見せるの」
「…」
あたしは、盛り上がる話題を完全にだめな方向性で消耗してしまい。まるで嘘をついた小学生みたいだ。二の句をつげない。何を言っても怒られる。
そしてユッピはため息をついて。「先々々週は、スーパーモデルになりたい。先週は、アルビノになりたい。で。今日は?タトゥーを入れたいと。ふとももに。ねえ、マサカちゃん。まずね、手が届きそうなこと思い付きでしたって、それって今後のマサカちゃんの一生にかかわってね…」。
「ハイ」
ほれ見たことか。もう教室の右側3割が凍り付いているぞ。誰か。誰か助けてくれ。須藤でも、れいかでも、まさるでも、笹尾でもいい。近いやつ、誰か。
「まずそういう話は、お母さんに相談してからにしよっか?」
「や、あの、ね。ママに言ったら、呆れられて…ゆりちゃんに相談して返事もらいなさいって…」
「却下」
そして、誰も助けてくれない。
「ユ…」
「却下!」
彼女はうつむいて。あたしは何だか涙ぐんでいる。依存度が高いというのも、考え物である。
ずーんと落ち込んだあたしはけれど挫けない。八井田と、ケイスケとの話を終わらせて帰宅に向かおうとする景虎を、あたしの目はロックオンした。
「オッ、景虎ぁー」、いつも通りのノリと、少しの上ずった声はあいつの意識をすぐにとらえ、「どうした」という返事を誘導する。
「きのうトゥナイト2見てたんだけどさ、山本カントクがさあ」
「…なんでおめえは女のくせにあれを見てるんだ」
「るっさいな、別にいいじゃん。でね。カントク出てきたからエロいとこ行くのかなって思うじゃん。でもね、確かに一緒についてったグラドルはもう、これもんで、おっぱいでかかったんだけど、何と晴北駅近くのラーメン屋だったわけ!すっごくない!?あたし、昨日の夜から行きたくてしょうがなかったんだけど、ねえ、どう!」
「へえ」
景虎は、そっけないが明らかに興味のある顔をした。無駄に激しいリアクションが功を奏して。だから畳みかける、あたしは。
「ね!ね!行きたいじゃん!むちゃくちゃ美味しいんだって!なんだったら、あたしがおごってあげてもいい!ね!」
「…おう、いいぜ」
「
あたしはガッツポーズを全身で表明して。そして景虎はかなり気が乗ってくれたのか、他の男にも声をかけて結果4人でそこに行くことになった。当然、景虎が女におごらせるわけがないことはわかっている。
だがここで思い返してほしい。あたしは言った。友達との距離感を間違えていると。
少し日が傾いたころ、あたしを中心に男3人が取り囲んで、校門を抜けていく。さっきのユッピで受けたショックもそこそこ快復。
「ねぇ結局夏休み中に行けなかったじゃん、黄瀬の別荘行ってバカンスするってさぁー。10人くらい集まる予定だったのにさ、意外とみんな忙しかったっしょ。冬休みに絶対行こうよ!もう今のうちに予定たてとこ!」
「確かにそうだな。俺も興味あったんだけどよお、悪いな、俺もちょっと忙しくってな」
「へぇーそうなんだ。ま、しょうがないよね。彼女いるもんね。強制はできないよね」
「…」
景虎は頭を掻いて。
ここまではよかった。ここまではよかったんだが。なぜ、あたしは、自分の性格がとてつもなくアクが強くて、考えたことをすぐに声に出してしまうのか、そろそろ治した方がいいんじゃないのか、と後悔してやまない。
「蓮姉ぇとヤった?」
景虎の顔は一呼吸の合間も見せず、思い切り引きつり、如来様が仁王像になっちゃいました、くらいの勢いで豹変した。あ、と思ってももう遅い。あたしは、何かドラマで見るような、両手で口を慌てて抑えるようなバカげた仕草をしてしまう。
この男とその年上の彼女は、双方の見た目に反して、結構プラトニックな恋愛をしている最中だというのに。
一緒にやってきた八井田と吹田は景虎から即座に身を離す。バカ、あたしをフォローしろと思うけれど、そんな優しい話はその場ではなくって。
深い呼吸音が聞こえる。景虎の。これは、怒りを必死で抑えてるやつ。
「ご!ごめん!言い方が悪かった!」
「…解散だ」
「あたしが悪かったの!ね!ごめんごめん!景虎と蓮姉ぇがそんなんじゃないの、わかってる!悪い冗談こいた、ごめん!」
「おめえ、帰れよ」
「かげ―」
「
あたしの身体はとてもじゃないけど、男3人について行けない。景虎は、「悪ぃ、すまねえ。行こうぜ」、そう、八井田と吹田の肩を押して、怒りのベクトルはあたし以外にはまったく向けていなかったから。
どうして世の中の政治家が失言というもので要職を奪われるかその瞬間よーく味わって体験することができたのである。つらい。
「ねえ従士郎、お願いがあんだけどー」
「はぁ。それで、マサカさんが僕を呼び出したのは、ここのラーメン屋に来たかっただけ、だからなんだね」
「そうなんだよ」
真っ赤な電飾看板が目を引く狭い場所で、そこは。あたしは山本カントクが座ったと記憶してる場所をおさえ、隣に従士郎を座らせる。15時なので、結構すいていた。
多少だが、あたしは目をこすって腫れてしまっていると思う。ちょっぴり涙声で電話を受けた従士郎にはさぞ迷惑だったろう。というか、こいつはきっとあたしがもっととんでもないことになってしまったから、と勘違いしてきてくれた感じである。息を切らせて来て、「なんだ、想像してたより無事そうじゃないか」と。
今はこいつは呆れている。
でも、一緒にラーメン屋に向かってついてきてくれたこいつは、きっといいやつ。
「僕はさ、大事件というかね…そうだな、伊崎君か、人形谷さんとやりあってる最中なのか!?って勘ぐってね。それが…」
「あんなやつらどうでもいい」、そしてあたしはただ単に今の即物的な欲求とさっき生まれたA組内生徒での悩みごと、そして食欲を遠慮なく従士郎に言って。「なに、あいつらとあたしが戦っててピンチになったら、従士郎が助けてくれんのかい?」。
「まあ、頼まれれば助けるかもしれないね」
「なんだその言い方、ばっきゃろう、素直にあたしを助けるって言え!」
あたしは顔をほころばせて隣のやつのほっぺにグーパンを軽くかました。後ほど語るが、ここら付近のあたしの好意、仕草、客観的に見たら随分と「甘えている」と感じられるかもしれない。他人には。そういう気持ちは、べつになかったんだが…。
従士郎を呼びだして1時間後、あたしはやっとTVで見たのと同じものにありつけた。テンションは上がるしニヤニヤが止まらない。匂いもあたし好み。
1時間前は、もしかしたら景虎含む3人が食べていたかもしれない。あのまま行っていたなら。
そのラーメン屋の、30はいかないくらいのベリーショートのお姉さんがエプロンをして活気よく応対してくれて、その姿にあたしは感動してしまう。ああ、このお姉さんはラーメン屋やるために生まれてきたような人だぞ、短い茶髪で細身で声が大きくて笑顔がカワイイ。完璧だ。
そして期待通り、ラーメンは徹底的にあたし好みであって、具材から分量まで非の打ちどころがない構成だった。
「美味いねー!!」、「これすっごいねー!!」、「マジおいしいねー!!」、とあたしはでかい声で従士郎に連呼している。きっと、ずっとニッコニコで笑っていた。
ここで、従士郎が普段のあたしの在り方としては異常である、ということを理解してくれていたらのちのち面倒なことにならなくて済んだのだが。
「チャーハンにこんなでっかいザーサイが入ってるんだね…僕は、これはとても気に入ったかもしれない」
「一口ちょうだいよ!!」
そのれんげを奪う。あたしは、今年で一番テンションが高かった。このとき。
「ねぇ夏休み行けなかったじゃん、黄瀬の別荘行くって話流れちゃったじゃん、冬休みこそ、絶対行こうよ、今から予定あけてさあ」
「ああ、うん。僕は結構期待してたんだけど…なんでなくなっちゃったんだろうね?」
「だってみんな何だかんだ忙しかったみたいでさー」
「僕は結構暇してたけど?」
「だろぉ?」
「夏休み、なんか変わったことした?」
「
「道場かよって筋トレして…おじいちゃんの家に帰って…うん。なにも変わったことはしてないね」
「面白いことしようよ…遊べんの今のうちだけかもしんないんだぞ?」
「うん。ごもっとも」、従士郎はゆっくりと頷く。
「てかね、あたしね、リスペクトしてる黒人のヴォーカリストみたくさ、タトゥー入れてみたいんだよね…それくらい遊びたいじゃん」
こいつは少し驚いた様子で。「え。タトゥー入れたいんだ。どこに?」、あたしを顔を見合わせる。
あたしは制服のスカートをぱぁんと。股間を叩いて。太ももを指ししめすつもりだった。
勢いが強かったから指が引っかかったのと、お店のエアコンの送風が偶然こちらに向いたタイミングだったか。あたしのスカートはめくれあがり、もろ、パンツが見える。
「あッ!ちょ、ごめん!汚いもん見しちゃった」
すぐさまあたしは元に戻すのだけど、そこにバカ笑いでも生じるのかと思ったけれど。右に座った男はすぐに顔をよそに向けて、一言も発さない。そう。こんな些細なことで、まったく気にしないあたしとは正反対に。従士郎は、過敏に反応して唇を噛んでいる。
いかん。こいつ、こんなシャイだったか?あたしは思い返す。
そして、あたしの分析が終わらないうちに。
「すみませーん、お冷、入れましょうか?」、さっきのお姉さんがそれはにこやかに、左後ろからあたしに。「あ、ハイ。お願いします」、とお行儀よく返事するあたしの耳に入ったのは、
「彼氏さんのもお入れしましょうかー」
と。
従士郎がびくりと半身を揺さぶる。
あたしは絶句する。「は?」、距離感。
(視点を変える)
9月3日。
涼しいというには少しぬるい感じの空気が漂っていて、翌月には衣替えをしなければならないというのには、わたしは少し反抗的である。暑いのが本当に苦手だから。
今年の8月はわたしは涼しかったと思うのだが、マサカちゃんは徹頭徹尾、黄瀬さんのおうちの所持するリゾートで涼みたかったとみえる。未だにぼやいているから。
ただ、高校生活初めての夏休みでみんなどう過ごしていいか戸惑っていたし、バイトをしたり家族の用事が重なった子もいるので、それはまあ冬休みでいいのかな―とわたしはそういう話が出るたびに言っている。
いや、天気の話はどうでもよくて。わたしは今日、マサカちゃんに会ったら聞き出さなければいけないことがあるのだ。
どうもおととい、わたしが断ってしまったからか件のラーメン屋さんには竹内君と行ったらしいのだけれど。
それの目撃証言がショッキングすぎる。なんでも行きの時からマサカちゃんは竹内君に頻繁にボディタッチをし、名前を何度も呼び、それは学校ではとても目にできない、というか極めて珍しい…一方的に好きみたいな感じで甘えまくっていちゃいちゃしていたという。
チャーハンをあーんさせてもらっていたというし、こともあろうにいきなりスカートの前をめくりあげておもむろに竹内君に下着を見せたのだという。お店の中で。なんだそれ。確かにいやらしいことをずばずば言うタイプだけど、自分の肌を集団監視のなか直接的にさらすなんて聞いたことがないぞ。
彼女が何を考えていようと、わたしの意見としては、まあいつの間に?全然わからなかった。二人とも背が高いからお似合いかもね。と感じるが。
2点気になる事としては、まず人に見られていてこんなすぐにわたしの耳に入る程に恥ずかしい行動をしない方がいい、という事と、あとは彼氏が欲しくなって消去法で選びはしなかったかと心配なのである。
夏休み明けに誰それと誰それがつきあった、という話題は耳に入ってくるが同時にすぐに別れたという同量の話題数も入手するもの。
あんまし入れ込んで、それでいてすぐにケンカ別れでもしてしまおうものなら、あの二人の知名度的に東棟の人間関係がぎくしゃくするんじゃないかとわたしは少々心配だ。むしろ、この話を聞いたとき、いつもの妄想モードにギアチェンジできなくて、そっちの心配モードになってしまった。
などと考え込んでいると、学校への1本道にたたずむ痩せた街路樹の陰から、スレンダーすぎる身体にピンク色の粒子を帯びた女子が現れ、目が合う。
相手は少し逡巡して、「あ、おはようございます、柴崎さん」と。わたしは、「人形谷さん、おはようございます」。
彼女はわずかに警戒の様子を見せたが、「一緒に行きましょう」と声がハモった。彼女は、東棟の御名術もちをだいぶ気にしているが、わたしには多少心を開いてくれているみたいで。
話が合うのかわからなかったが、当たり障りのない、御名術という言葉も帯という言葉も使わない、浅い会話をした。夏休みと同時に、帯をもった3人の教師を全員やっつけて追放したという話は聞いている。本人からではないけれど。
わたしは平和主義者だったので触れたくないと思ったし、もしも彼女が人間よりひとつ上の存在となることを掲げて生きていたとしても、わたしより細いこの女の子が争いごとに明け暮れているというのは、やはり今日はわたしは心配モードだから、気にかけてあげたくなるもので。
「人形谷が、終業式で出て来た御名術もちの先公3人ともぶちのめしたらしいなぁ~…どう思うね。おれは、早めにケリつけておかないといけないと思うんだがねえ~」
夏休みのはじめ、4人で集まったときにもっとも攻撃的な意見を伊崎君が出した。とにかくそれは強くて速くて。マサカちゃんはそれに不快感を示して何も言わなかった。わたしは急にそんなことを言いだされておろおろして、竹内君が何やかや言ってその話をやめさせた。
だからわたしは思う。彼女は、かなり苦しい学校生活を送る運命にあるのだと。
「お、あれは」
会話が途切れたあと、人形谷さんが目の前のほうへ。
小柄な女の子だった。その後ろ姿は見覚えがある。
「
C組の女子の名前を、彼女は言った。「なんでだろう。柴崎さん、わかりますか?あの子、絶対に御名術もちなのに。帯が見えてこないんですよ。見えますか?」と。
私は驚く。
「ちょっと待ってください。あのひとがとんでもない御名術もちだって言ったのは人形谷さんですよね?人形谷さん、帯、見えてないんですか?」
「ハイ。見えてません」
「え?じゃあ、御名術もちだってどうして決めつ…」、わたしは言いなおして。「どうしてわかるんですか?」。
彼女はその後ろ姿を目を細めて観察し始める。
「帯は体の外にあるだけで、その人の内臓と同じですよ。温度も匂いもするからです。それも、かなり強い帯の」
「…」
わたしには全然わからない段階の説明で。
急に。右手側からバカ騒ぎをして駆けてきた3人の男子が蛇行してわたしたちの前方に走り込んで来て。危険を察知したわたしたちは足を止める。
そして、そのうちの一人、パーマをかけた男子が大きく左側にふくらんで、天里さんという小さな子に身体をかすらせ、謝りもせずに前へと前へとその姿を小さくしてゆく。小さな子は、その衝撃でアスファルトに伏す。ばたりと。かばんがひっくり返る。
「あっ!?」
「…」
わたしたちは倒れた女子のほうへ急いで。身体を抱き起し、人形谷さんは衝撃でかばんからはみ出た教科書を拾い上げて。
「ちょっと、なに!あの人たち、最低!」、わたしがそう言っても彼らは止まらないが。
「ねえ、だいじょ…」、人形谷さんが優しい声を、止めて。
そして私は声を聴く、彼女の。同時に、何かわたしが触れている身体の部位。わたしの腕は不思議とぼんやりとした感覚を受けた。
「うう…こわい…こわいよぉ…男のひとこわいよぉ…」
その、真っ白い不健康そうな彼女の顔を、はじめて見る。濡らした瞳は隈だらけで、唇はカサカサ。過去に切ったのか、上唇のラインは少し欠けてくっついていた。そして、何か精神的な病気なのか、左側頭部の前髪から頭頂部少し前までの、指3本分くらいの面積は、髪の毛がまるまるなかった。
「こわい…こわい…」
そこに転がったものをわたしはどきりとして、見やる。それは握りこぶしくらいのサイズの、人間の頭蓋骨のおもちゃ、それが転がっていて、私は拾ってあげるのに躊躇した。
この子、どういう素性の子?とわたしはだいぶ失礼な懸念をするが、大事なのは彼女が怪我をしていないかということで。
けれど気を配る言葉をかけても、天里さんはこわい、としか返してくれなかったので埒が明かない。まず動転しているかもしれないので保健室に連れて行って…。「柴崎さん」。
「え?」
人形谷さんは、胸に手を当てて、唾をのみこむ音が聞こえた。
そこに。
「ひっ!?」
"彫像のような存在"が立っていた。それは私たちより少し背の高い。胸が膨らんでいるので女性像。真っ白いヴェールと古代ギリシャ風のワンピース…外套。それを纏った彫像の肌は漆黒で、袖からのぞく手首から先はやはり真っ黒で、その顔も。
漆黒で塗りつぶされた顔。表情はとてもわからない。恐ろしくて観察ができない。ともかく、純白の着衣の、真っ黒い人型の存在がそこに、あった。
わたしは、理解ができなくて、声が出せない。
「こわい…男のひとこわい…」
明らかに勇気を出して踏み込んで、人形谷さんはその彫像の顔を覗き込む。
彫像の真っ黒い顔は斜め右を向いて、「!!」、人形谷さんは、すぐに退く。逆に顔を覗き込まれたから。
その超自然の漆黒の存在は人形谷さんの視認に対してあまり何も思うことがなかったのか、すぐに視線をずらしてその場に身を丸める天里さんを見下ろしていた。
表情は動かない。
「すごいびっくりした…」、そう、人形谷さんはやっと声を振り絞って。「この彫刻が、帯です。この子の。黄色い帯の塊が真っ黒く塗りつぶされてて、帯として見えない」。
「えっ…」
天里さんの手が伸びて、転げた青白い頭蓋骨を真っ先にかばんにしまった。
歳をとってからでさえ、ふと油断した状態で異性と遊んでいると誰かしらに見つかって後々面倒な説明をしなくてはならないというのに、いわんや高校生の時節をや。ダメージの規模は若い時の方が多かろう。