それは、少しだけずれた日本の高校のどこかで、 作:AyA Tono N.C.
考えが足りなかった。
彼女が先生をやっつけたところで、お互いに、最も危険な彼の武器を取り除いた、と錯誤した。
けれど違うのだ。彼の武器はあやつった誰かではなく、その視線が及ぼす影響であって、そしてそれがどうして1度で終わりだと楽観視してしまったのか。
彼が凝視で意識を失わせた3人は、二次的には彼の意のままに動くものになってしまう。
凝視を重ねると瞬間的だが本来以上の潜在的な力を出させるという事もなんとなくわかる。
それはさっきの先生であって、今彼女の首を絞める笹尾君であって、最後に倒れ込んだ女生徒であって。
女生徒は非力そうに見えるので、穂村君自身が有効に利用するとは思えない。これも希望的観測なのだが。
近隣の中学校で空手部があるのは彼の出身中学校の藤陽専科中学校だけである、わたしの知る限りは。
かつ、「藤陽の空手部」といえば結構なネームバリューで、何かの大会等で賞をとる選手を輩出していると記憶しているし、
そういうのが好きな男子たちの、漫画的な強さの象徴のように扱われてもいた。
だから、笹尾君は少なくとも一般的な男子生徒よりも、強い。
彼女は必死の形相で手をはがそうとする。わたしは、情けないことにパニックになって笹尾君をどうこうしようとも思いつかない。
先ほどまで見ていたが、確かに彼女は間違いなく、女子としてはケンカが非常に強い。躊躇がない。
後日彼女が語る表現で述べるならば、護身術とか武術ではなく、「向こうの島で悪いやつをとっちめるための、純然とした暴力」である。
だからといって、1対1で相対したとき、鍛えている男の腕力にかなうことはできない。筋肉も骨格も男子の方が頑丈だ。
彼女は笹尾君の手に爪を立て、それでも緩まないと判断し、自分の後頭部すぐに"
彼女は頭をできる限り前に倒し、勢いをつけた後ろ頭を、振る。それは数十cmの距離を短縮して。笹尾君の顔面に、ワープしてきた彼女の後頭部を打ち付ける。
彼女は御名術を使用すれば、すべての動作を不意打ちにできる、そう思った。
その衝撃。さすがに、手が緩んだのか。
そして、彼女の機転はやまない。今度は、彼女は自分の顔の下半分に小さな"洞"をつくり、彼女の鼻から下を飛び込ませ、締め上げる手まで転移させ、笹尾君の指2本ほどを思い切り、噛んだ。
硬い骨付きの肉料理を噛みちぎるように。その光景は必死の行動とはいえあまりにおぞましく、非現実的で、わたしは内臓から下腹部までに悪寒と戦慄を感じる。
「アー、アー、ア、アアアアア!」
笹尾君は声を上げ、激痛をこらえられず、片方の手を、放す。血液がしたたり落ちる。
彼女はすぐに体勢をぐるんと横に回転させ、もう片方の手を振り払う。そして、咳込んで、かすれた声で「ごめん!!」と叫んだのち、"洞"を作り出し、そこに打ち上げるような拳を差し込むと、
…言いづらいことだが、彼女の加速した右腕は、その振り上げよりも下がった位置に転移。笹尾君の股間に、クラッシュする。
わたしには3つ下の弟がいる。自分では知らないにせよ、その痛みがどういうものかは、見ている。
笹尾君は声なくうずくまり、彼女はまた激しく咳込み、落ち着かないうちに、うずくまった彼の背中にひじ打ちを。転倒するように、落とす。
そして、2人目のあやつり人形は、ダウンする。
「鳥肌が立つようなことしてんじゃねえよ、女がよ」
穂村君が、近づく。わたしは、目に見えて、彼が冷汗をかいていることに気付く。当然と言えば当然か。
彼女は、御名術を披露していなかったにしても、だいぶ強い。そして、今の笹尾君を止める術を見て、その行動に一切の遠慮がない。それを教室の誰もが思い知った。
おそらくわたしは強姦されそうになったり殺されそうになったり(決してそんな事態に出くわしたくないものだが)、そういう時でもなければ、あれくらいのことはできない、と感じた。
「お、おまえ、さあ。女が、男とケンカするって、大変なんだぞ…。もうちょっと、手心を加えろよ。な、なんなんだよ」
まずい。
彼女は、困憊している。首を絞められたことが、相当な毀傷として蓄積している。
「いいや、俺はおまえを女じゃなく、恐ろしい超能力者として見てる」
彼は、こともあろうに、机を両腕でひとつ高く持ち上げて、彼女に投げた。彼女は、右手付近に大きな"洞"をつくった。逃れるための。
けれど。
「俺だって、女にこういうことしたかねえや」
彼女は、先ほどまでの素早さを失っている。投げられた机は、彼女に覆いかぶさって。
わたしは、悲鳴を上げる。
御名術と、ケンカスキル(わたしの造語)。
皮肉にもこれを見せ付けられたことが、かえって穂村君の恐怖心や警戒心、容赦なさを磨き昂らせた。
彼女は絞り出すような苦痛のうめき声をあげる。「さ、最悪だ。こうやってさ、理不尽にキレた男にさ、女は暴力で言うこと聞かされたり、殺されたりすんだ。だいたいそうだ」
「殺すとか考えてねえよ!」
彼は近づき、ひっくりかえった机ごしに。彼女を、踏みつける。
わたしは、泣く。けれど、それに意味はなくて。
次に、なぜ、みんなは見ているだけなのかと。誰か勇気を出して外に助けを求めてくれと、切望する。
そして、なぜどいつも傍観してるだけなのかと。怒りを覚える。
けれど。
傍観しているだけで、彼女に何もしてあげていないのは、わたしも同じことだったから。
わたしは、彼女がしたように、立ち上がり、駆けて、彼女がつくった穴の中へ。飛び込む。
彼女は、だいぶ驚いたような顔で目を見開いて。
穂村君は驚愕の短い声をあげて。
わたしの身体は、"洞"に横に落ち込んでまばたきをする間もなく、机を踏みつける彼の左半身に瞬間移動し、肩口から衝突をはたす。
「こ、この」、彼はわたしの下敷きになって。「なにしてくれんだあ!!」。できたことは彼を転倒させたことだけだけれど、十分。わたしは、こそこそと、這って逃げる。これ以上の勇気は出そうにない。
「…よっこいしょ」
がたん。ひっくり返った机をどかして。
「
彼女は、すっくと立ちあがる。少しふらついて。やさしい笑顔をわたしに、
「いままで。屋台でケツ触ってくるおっさんをあしらうようなノリでやってたのがあたしの間違いだった」。そして、ひどくきつい貌を彼に。「刃物持ったひったくりをぶちのめすような覚悟でやんなきゃいけなかったんだな」。
彼は、きっと「舐めんな」とでも言いたかったのだろう。けれど、ふっと彼女は"洞"を目の前につくり、そこにゆっくりと手を入れ。
それは殴打ではない。穂村君の視界を覆うように、彼女の手のひらが飛び出た。
穂村君はびくりとし、その目隠しを警戒し、両腕を顔面を守るように覆うと。
そのために、彼は彼女の突拍子もない行動を、視認することに完璧に後れをとる。
スライディング。机や椅子という障害物がない、女子の身体ひとつが通れるような教室の床の細道を、彼女の身体がすべる。机がひとつ定位置から転がされたので、そのルートはできていた。
床を滑り、衣をこする音がした。
彼女は、紺色のスカートをひるがえして、タイツが破れるとか、下着が見えるとか、そういうことを何も躊躇しない。
彼女の身体は、穂村君が大股に開いた左足と右足の間をくぐりぬけて。迅い。
"洞"を使うことなく(疲労でもう、無理だったのかもしれない)、彼の背後に回り込んだ。すぐさま彼女は彼の背後で立ち上がり、「は!?」と彼が上半身を回したときにはもう遅い。
彼女は、背後から穂村君の股間を蹴り上げている。
わたしは顔を覆う。彼は、大きな目をさらに見開いて、顔をゆがませ、呼吸音をもらした。
まだ。彼女は容赦ない。それで終わりでない。彼女は右こぶしを振り向きかけの穂村君の顔面に打ち付ける。そしてさらに、殴った後に、こぶしを時計回りに180度、ねじった。
わたしはそれを、眺めながら、そのこぶしの回転の意義を探ろうと、自分の頬にぴしゃとパンチし、ねじった。
なるほど。これは、痛みを増すやつか。
「てめぇーーーーー…」
彼女は容赦ない。そして、消え入りそうな声を出した彼に、またこぶしを。今度は、のどに右ストレート一閃。もちろん、ねじる。
そして、やっと、騒ぎを起こした彼は、変な声をあげて、床に顔面から倒れ込んだ。
彼女は我慢をやめてうずくまって、「バカタレが」と悪態をつき、荒い呼吸をする。
わたしはまだ泣いているので、近寄って、彼女に何か感謝の言葉をかけることもできなかったから、手を握ることだけをした。
ようやく教室の時間が動き出したように周りがわたしたちを囲み、心配の声をくれ。先生が起き上がり、男子の誰かが事情を説明していて。
「あたしね、マサカって言うんだけど、キミは?」
「ゆりです」
「ゆりちゃん?なんでこんな可愛いのに、あんなに勇気あるの?」
「可愛くないよ」
「可愛いよ」
「可愛くない」
「そうかなあ」
「すごい、引き締まった腕。そりゃ、強いわけだよね」
「ゴリラだよ、ゴリラ」
「そんなことないよ!」
「島の子供、みんなあたしのことゴリラって言うよ」
「ちょ…、ひどいねえ!」
「そう?おいしいよ」
「おいしい?本当?」
「フフ」
先生の顔の痛みはほとんど彼女がやったことではあったけれど、状況説明をした男子は彼女…マサカちゃんをかばうような発言を要所要所に入れてくれたので、まったく咎められず(仮に、これが彼女への叱咤に変わるなら、わたしが反論した)、
先生はぐったりした穂村君が目を覚ますのを確認すると、「ルール違反もルール違反だなあ、お前」と襟首をつかみあげた。
穂村君は敗けを認めたのだろうが、寄り添うわたしたちを見て、こう。
「ちくしょう…また、こんなかよ…なんでこう、俺は目立てねえんだ」
「目立ったよ、バカタレ。はやくどっか連れてかれろ」
「なんで俺は才能も何もねえんだ、ゴミみてえだ、悲しくなるよ、ちくしょう」
「じゅうぶん才能あるわバカ。あたしがこんなボロボロなんのはじめてだわ」
彼の目は充血して、泣き腫らしているように見える。顔面を殴られ続けたからだけではない。そして、女にケンカで負かされたことについて、というだけでもないと思った。
きっと、何らかの今までの劣等感の蓄積のようなものがあって。
そして、それを何となく理解したのはわたしだけではなく。
先生は彼に、もう十分か、と尋ね、はい、と言われると、彼を強く捕まえたまま。全員には、生徒指導室に行くから、みんなはもう今日は帰ること。明日も遅刻しないように、と言った。
そして、穂村君とともに教室を出ていく。どういう処分が下されるのか。こういうのは停学だろうか。いや?そうだろうか。何しろ、この学校、関係ない者を巻き込まないようにという前提警告はあれ、体裁のいいように超能力者同士の校内でのケンカを認めている―。
「なんか、あいつ、きっと本当は悪いやつじゃあないかもなって、思うんだけどね」
彼についてマサカちゃんは、女に机を投げるなんてマジでありえない、とか、女を力で負かそうとするやつはクズだ、とか、ああいうやつが性犯罪を起こすんだ、とか、DV夫予備軍だ、とかボロボロに言った後にフォローするような言葉を急に言うものだから、わたしはぽかんとして、「そうかもねえ」と同意し、彼女がまだ痛むという箇所を、さする。
書き上げた後、知人に見せると「マサカの戦い方がゲスすぎる」という予想済みの評価が返ってきた。
私はそうは思わない。女が体格や力で勝る男に必死で戦って勝つためには当然の戦略だ。
格闘マンガのような、女の攻撃一撃で男が沈み倒れるなどリアリティもクソもない。格闘ゲームではないからスピードだけではどうにならない。だから、不意打ちと急所攻撃は、この作品からは省けない。