イアーズ・ストーリー 作:水代
最初は四人だった。
やがて二人になった。
最後には一人になって。
だから私は
* * *
「恋をしたのよ」
彼女はそう言った、確かにそう言ったのだ。
どこか蕩けるような笑みを浮かべて、己こそがこの世界で最も幸福な命であると信じて疑わないような表情で。
だけれども、私はそれが理解できなかった。
「恋とは?」
私は私を知っている。そして私と彼女が同じであることを知っている。
そして私が知らないことを、私が理解できないことを、彼女が知っていることが、彼女が理解していることが私には分からなかった。
「ふふ……言葉にすることは難しいわね。焦がれるような感情……そうね、貴女も誰かに恋をしてみれば分かるんじゃない?」
恋、恋、恋。
意味を調べてみても良く分からない言葉だった。
だから彼女を見ていれば、彼女と共にいれば、彼女と同じ時間を過ごせば、私は私の知らないその感情を知ることができるのだろうか……そう思った。
だからこそ、彼女は恋をしたのだろうか。
それとも、恋をしたから彼女は……。
分からない、分からない、分からない。
ただ分からないまま、分からない私だけが残ってしまった。
恋を描いていたはずの彼女は、未来を夢見ていたはずの彼女は、もうどこにもいない。
一度死んでしまえばそれまでなのだ。
心も、記憶も、思いも、必要なもの以外の全ては喪失する。
だから死んだらそこまでだ。
同じ彼女はもうどこにもいない。
彼女と同じ顔をしただけの別人がそこにはいるだけだった。
* * *
恋をしたから彼女はあの場所を『逃げ出した』のだろうか。
恋をしたから彼女は死んでしまったのだろうか。
私には分からないその感情のせいで彼女が死んだというのならば。
私はきっとその感情を知らなければならないと思った。
彼女を死なせてしまった側として。
彼女の妹として。
彼女を理解しようと思った。
けれどそれは難航した。
恋どころか、
だからまず人間について学ぶことから始めた。
こういうのを不幸中の幸いというのだろうが、彼女が死んだことによって私どころでは無くなった部分がある。
どうして私でなく彼女が死んでしまったのか。そう思いながらもけれど死ぬことのできない私は結局生きていたいのだろう、浅ましくも、醜くも。
そうして今の街にやってきた。
流れ着いてきた。
たどり着いた。
私自身と姉妹、そして『カミサマ』以外の存在を認識したのはそれが始まりだった。
時間の感覚が曖昧で、果たして私があの街に何年いたのかは思い出せないが、それなりの時間が経ったように思う。
気づけば街は近くに出来たダンジョンによって急速に発展を遂げ、往来する人の数も急増していた。
私は冒険者ギルドでポーターという職業についた。
どうやら私でもできるような仕事、となるとこれが一番稼ぎが良いらしい。
それに合わせて必要なことは詰め込んでいく。知識を得ることは簡単だ、一度見て聞いて覚えればそれで忘れなくなる。何せ自身は
ダンジョン内では危険もあったが、それは私を脅かすほどでも無かった。
それで生きていく分にはどうにでもなった。
けれど結局、一番重要なことは何一つ満たされないままの日々が続いた。
―――人を理解することは難解だった。
何故人間というのは合理に従わないのだろうか。明らかに非合理的なことを時折言い出し、やり出す。
結局それで自分の首を絞める結果で終わるのに、それでも飽きもせず同じことを何度も何度も繰り返す。
人間は一体どういう理屈で動いているのだろうか?
そんな疑問が湧くくらいに意味の分からない生物であり、けれど同時に『模倣』するのは簡単だった。
周りと同じように振る舞う。周りの人間を観察し、それらしく振る舞うだけで大抵の人間は私を『普通の人間』として見た。
理解するのも難解なはずの生物の模倣は驚くほどに簡単で、そしてあっさりしていた。
そして興味深い事実を見つける。
『恋』とは人間が持つ当然の感情らしい。
創作の中で良く使われる
方向性は間違っていなかったと思った。人間を模倣し、理解すればきっと私にも『恋』が理解できるのだろう。
『恋』を理解できれば、彼女のことも理解できる……そう信じた。
恋、つまり人を好きになる気持ち。
好きと好き、ライクとラブの違いはどこにあるのか。
恋とは、愛とは何かと問うた私にある人間がそう答えた。
ライクもラブも同じ好き。
けれど同じ好きなのに別の好き。
つまりそれが愛という物の差なんじゃないかな。
そう言った人間だったが、けれど私にはそもそも『好き』という感情が良く分からない。
私にとって世界の全ては『必要』か『不必要』で別れているから。
好む、好まないという極めて『非合理』な感情が理解できなかった。
所詮人間ではない私には不可能なのだろうか、そんな諦めにも似た感情が胸の内に宿った。
* * *
彼を選んだのは本当に偶然だった。
偶然、今日がこの街に来て初めての休日だった。
偶然、出かけた先で彼を見かけた。
偶然、彼の用事に対して私が力になることができた。
偶然、偶然、偶然の偶然の連続。
ただふと気づいたのだ。
これを貸し借りと言えるなら、以前から気になっていたことを頼めるのではないか、と。
書の物語に学ぶならば、恋をしている人間たちは『デート』というのをするらしい。
実際これがどういう意味なのか私にはよく分からなかったが、とにかく男と女で買い物などに出かけたりすることをそう呼ぶらしい、ということは何となく理解した。
ただ残念ながらそれを頼めそうな人がこれまでいなかった。
買い物するにも仕事に使う物や生活のためのもの、そんなものは一人で行けるし、誰かを伴う必要もない。そもそも仕事を休むということが無かったのでそんな時間が無かった、とも言える。
あの化け物蜘蛛の発見によってダンジョンが閉鎖され、それに伴って討伐隊が編成されたがさすがにそこにポーターの居場所は無い。
―――フィーア、アンタこれを機に少しは休みなさい。
ギルドの人間にそう言われて一日完全な休日となったが、今まで『必要』だけで生きていたせいで、『不必要』な時間に何をすれば良いのかも分からなかった。
街に出たのは特に理由があったわけでも無い。ただ宿でやることも無かったので、何か『必要』が無いかと街を目的も無く歩いていただけの話だった。
そこで、彼に出会った。
そこで、彼に貸しを作った。
少なくとも彼はそれを『貸し』であると認識しているようで、だから一つ『頼み事』をした。
―――私、デートというのがしてみたいです。
本当はそれを通じて『恋』を知りたいのだが、それは言わないほうが良いと判断した。
少なくとも長くこの街で暮らし、他人と触れ合う中でその程度の知識は身につけた。
彼は困惑したような表情をしていたが、やがて頷いてくれた。
そのことに驚く。喜怒哀楽は感情の根本ではあるが、私にそういう感情の揺れがあったことをその時初めて知った。
そうして街を二人で歩くことになったが、察するに彼はこういうことに不慣れなのだろう、表情から困惑や懊悩が見え隠れしていた。
それでも私の頼み事のために必死に考えてくれているその姿に胸が温かくなった。
誰かと一緒にご飯を食べる。
それも初めてのことだった。
食べる時や寝る時、というのは意識が散りやすい。
無意識に警戒してしまうのでこれまで他人と共に食事したことは無かった。
―――うん、美味い。
食事は生きるために『必要』な行為だ。だから今までだって食べてはいたが、結局それは必要以上でも以下でも無かった。
だから食べるという行為に味を求めたことは無かった。
味覚が無いわけではない。甘い、塩辛い、酸っぱい、苦い、そういう基本的な味を感じ取ることはできる。
だがそれはただ味がするというだけで、それを『美味しい』や『不味い』という表現に変えることができなかった。
ぱくり、と彼の買ったフリートを一口齧る。
甘くて、塩辛くて、少し酸っぱくて。
隣で美味しいと言ってそれを食べる彼を見て、なるほどこれは美味しいのか、と理解する。
そんなことすら今まで知らなかった。
言ってみれば基準が無かったのだ。何が美味しいのか、何が不味いのかそれすら分からず、他人と食べることも無かったので他人にそれを教えてもらうこともできず。
けれどこれは『美味しい』ものだと隣で食べる彼に勝手に教わる。
そうしてもう一口、食べてみると先ほどと同じ味。
でもやっぱり何か違う。さっきとは何か違う。
これが『美味しさ』なのだろうか?
彼に問うてみても怪訝そうな、どこか戸惑ったような表情を浮かべるだけで。
そんな彼の様子がおかしくて、くすり、と心の中で笑い声をあげた。
* * *
少しややこしい話なのだが。
ポーターというのはギルド職員であってギルド職員ではない。
正確にはギルド職員ではないのだが、半ばギルド職員扱いされている、というべきか。
その理由は様々あるのだが、大雑把に言うと半分くらいはポーターを守るためで、半分くらいはギルドの人手不足が挙げられる。
その関係上、ギルドの仕事を手伝うこともあるのだが、その一環で商業区に何度か足を運んだことがある。
そこまで広い街ではないので長年住んでいた関係上、街のことならだいたい知っていると思っていたのだが、思っていた以上この街は広く、そして知らない場所が多かったことに気づかされた。
彼に連れられて街を歩くが、食事を買った屋台市もそうだがそれ以外でも来たことも無い場所があり、私自身思っていた以上に街のことを知らなかったのだと理解させられた。
そうして知らない街並みを彼と手を繋いで歩くことを
その後もたくさんの店を見て回る。
中には私が一度も入ったことも無いような店もあって。
隣に誰かいる、という状況が酷く新鮮で時間はあっという間に過ぎ去って行った。
そうして。
―――もう夕方か。
告げる彼の言葉に空を見上げ、それほどまでに時間が経っていることに初めて気づいた。
時間を忘れるなんて感覚、ダンジョンならばともかく街では初めてのことで少し戸惑った。
今日が終わる。そのことを
寂しいなんて感情、生まれて初めて味わった。
胸にぽっかりと穴が空くような、物足りなさに少し戸惑う。
こういう時、人間はどうするのだろう。
こんな、苦しい感情、人間はどうやって抑えているのだろう。
その時、ぼーん、と遠くで鐘が鳴った。
時計鐘が夕暮れの時刻を示す。
時間的にはそろそろ良いころ合いではあった。
明日はギルドの手伝いもある。休日はこれでお終いだ。
……そう、もうお終いなのだ。
―――今日はありがとうございました。
だから彼に礼を告げる。
今日たった一日で、これまで知らなかったことをたくさん教えてもらった。
私が持っていなかったと思っていたたくさんのものをもらった。
本当に感謝しかない。だから。
―――割と楽しかったよ……だから気にしなくていい。
そう言ってもらえて嬉しかった。
心が温かくなるような感覚。少し戸惑うけれど、決してそれを厭うことは無かった。
だからそう、終わらせなければならない。
帰られなければならないのだ。そう考えると少し
けれども。
―――今日、楽しかったか?
呼び止められ、問われた言葉に頷く。
間違いなく、今まで生きていて最も楽しいと感じた日だった。
だからそれは間違いようもなかった。
* * *
―――こっちも楽しかった、ありがとうな。
告げて去って行く彼の背を呆と見つめながら。
やがて手の中に落とされたそれを見やる。
「……イヤリング、ですか」
多分途中で寄った装飾店、あの時に買っていたのだろうと思う。
シンプルな銀製のイヤリング。
「あれ……どうして?」
見ていると段々顔を熱くなってくる。
とくんとくん、と心臓が早鐘を打つ。
イヤリングを持つ手が僅かに震える。
何故、どうして、唐突に。
分からない、分からない、分からない。
ただ焦がれるような思いだけがそこにあった。
けれど今の私にはそれを理解することができなくて。
頬に当てた手に感じたのは確かな熱。
その頬が真っ赤に染まっていることに、今の私が気づくことは無かった。
アインスさんなら俺の隣で寝てるよ。
実を言うと、ルーくんであることにそこまで特別性は無い。
単純にフィーアちゃんが純真無垢で割とちょろいだけではある。
ただここで出会うのがルーくん以外では多分ここまで発展はしなかった。
まあその辺に理由はあるんだけど、ほぼ裏設定みたいなものなので気にしなくも良い。