イアーズ・ストーリー   作:水代

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十六話

 

 

 

「ああ、くそっ」

 

 毒づきながら、水晶の壁にもたれかかり腰を落とす。

 荒い息を吐きだしながら視線を彷徨わせる。

 眩い光のダンジョンは、乱反射する光のせいで遠くが見えづらい。

 それでも耳と合わせて少しでも敵の位置を探ろうと神経を尖らせる。

 

 シン、と静まり返ったダンジョン内でただ自身の荒い呼吸だけが響き渡る。

 

「一先ず安心……とは行かない、な」

 

 視線を右へ左へと移すがそこには誰も居ない。

 二十人といたはずの仲間の全てが散り散りになってしまっていた。

 探さなければならない、と思いつつも未だに震えが収まらない両足は立ち上がるのすら困難だった。

 

 何十回、否、何百回とダンジョンへと潜り続けたし、ダンジョンボスを撃破したことだって何度もある。

 言ってみれば怪物退治なんてものは男、ノルベルトにとって容易いわけでは無いが、緊張し恐怖に震えるようなことでも無い。

 戦いの高揚こそあれ、恐怖に震えるなことはあり得ない……はずだった。

 

「……やっぱりそういうことか、これは」

 

 足が震える。正確には言えば()()()()()()()()

 怪物の姿が見えなくなってからですら、こうだ。

 根深く、心の奥底に刻まれた恐怖と言う名の傷がいつまでもじくじくと疼いている。

 

()()()

 

 確信めいた口調でそう呟く。

 否ほぼ確信している。

 冷静に考えれば厄介な相手ではあっても恐れるような相手ではないのだ。

 にも関わらず討伐隊に面々が半狂乱に陥り、まるで統制が取れなくなってしまったことを考えると。

 

 ―――恐怖心を植え付ける魔法。

 

 言うなれば。

 

「『恐怖(フィアー)』ってところか」

 

 自分たちの例に習って名前をつけるならば、多分そんな名前になるのだろう。

 その効力は……今の討伐隊の有様を見ての通りだろう。

 

「厄介だな」

 

 吐き捨てるように呟き、顔を顰める。

 

 そもそも『精神』に作用する魔法というのはかなり少ない。

 魔法は原理こそあれど、その根本は『イメージ』だ。

 計算式のような精密な理論の上に立つものではなく、頭の中に絵を描くような想像的発想によって発現する。

 だからこそ『目で見えない』ものはイメージし辛くなるのだ。

 『恐怖』などというものを明確にイメージするのは難しい、それは人それぞれだろうし何よりも『実感』し辛いからだ。

 

 だから()()()()()()()()()()()のでも無ければあんな魔法普通は生まれないのだが。

 

「いや、それはどうでも良い。問題はそこじゃない」

 

 確かに珍しいがそれ自体はどうでも良い。

 魔物なのだ、魔法が使えて当然だった。それは前提に入っていた。

 というか単純に魔法を使うだけならダンジョンボスだって使う。自分たちよりも遥かに格上の化け物は魔法という強力な力を手にしているのは脅威ではあるが、けれどそれだって対処法さえ分かればどうにでもなる。

 

 対処法さえ分かれば。

 

「……あの魔法、防ぎようがないぞ」

 

 感情を持つ生物である以上、恐怖心というものは必ず存在する。

 それこそ()()()()()()()()()()()()()()()()、恐怖心に絡めとられ足は竦むし、手は縮こまる。心というものがある限りそれは不可避の結果だ。

 それこそが何よりも凶悪であり、討伐隊を壊滅に追い込んだ何よりの原因だろう。

 

 とは言え、それが必殺の一撃となるかと言われればそれはまた別の話。

 

 ノルベルトがこうして生きているのがその証拠だろう。

 

「強く意識を持つこと……()()()()()()()()だけの意思、後は単純にレベルか?」

 

 まだ手足の震えは収まらないが、それでもあの場でノルベルトだけが剣を抜いて戦うことができたのは、仲間を引きずって逃げ出すことができたのは、恐らくその二つが要因だろう。

 冒険者稼業とは実力主義の部分が大きいので、クランやチームなどのリーダーは必然的に一番レベルの高い人間が務める傾向にある。

 ノルベルトのチームも同じであり、今回の討伐隊の中で最もレベルが高かったのはノルベルトだ。

 レベルの高さは生命としての格の高さだ。故に押し付けられた恐怖心に抗うことができたのだろう。

 だがそれでも全身を襲う虚脱感はぬぐい切れなかったが、それでも恐怖に縮こまった体を無理矢理に動かす。

 それが出来たのは恐怖に染まった心を捻じ伏せるだけの意思があったからだろう。

 

 精神的な作用をする魔法だけに、強靭な精神ならば耐えられるのかもしれないと考察する。

 

 とは言え、ノルベルトのレベルでようやく、と言ったラインだとするならば。

 レベル50以下の人間はほぼ全てあの化け物蜘蛛の前では無力と化すのだろう。

 

「しくじったな……」

 

 ギルドの応援を要請したのは良いが、この状況では焼け石に水どころか無駄死にになりかねない。

 なんとか途中で状況に気づいて帰還してくれれば良いのだが。

 

「まだ大丈夫だ。あの街にはルーが……カゲがいる」

 

 討伐隊の面々は壊滅してしまった、それでもあの街には自分の信頼する男がいる。

 だから大丈夫……なんだかんだでいつも何とかしてしまう男だ、だから大丈夫。

 自らを納得させるように何度も何度も呟き。

 

「むしろ、ここから生きて帰れるか……それを心配すべきかもな」

 

 自嘲気味に呟く。

 

 装備はボロボロ、先ほどの戦いで獲物の剣も折れてしまった。

 未だに心の奥底に巣食う恐怖のせいで力の半分も発揮できず、ダンジョン中層で孤立している状況。

 

「やっぱりろくでもないことになったな」

 

 あの時の胸騒ぎは決して間違いでは無かったということだ。

 とは言え今それを言っても仕方ないの無い話。

 

「何人助かった……何人死んだ?」

 

 自分が連れて逃げ出せたのは数人。それも途中で錯乱して逃げられて。

 果たしてあの化け物蜘蛛の巣食うこの五階層でどれだけの人間が生きているのか。

 

 ごとり、と。

 

 不意に音が響いた。

 何か、石のようなものが転がる音。

 

 ―――来た。

 

 そのことを確信する。

 死神(クモ)(ツメ)を携えて獲物を狩りに来たのだ、と。

 まだ足は動かない。いや、動かそうと思えば動くのだろうが、その動作は緩慢でありとてもあの化け物蜘蛛から逃げ出せるようなものではない。

 そもそも先ほど逃げ出せたのも、あの化け物蜘蛛が討伐隊の仲間の死体を漁ることに夢中になっていたからであり、一度補足されてしまえば逃げ出すことは限りなく困難であると言える。

 

「俺もここまでか……」

 

 呟き、嘆息する。

 諦めたわけでは無いが、この状況から生き残れる確率など無に等しいことは分かっている。

 

「……アイリス」

 

 そうして迫る死に、思い浮かんだのはたった一人、惚れた女の顔。

 必ず帰ってこい、そう言われて飛び出した故郷。

 

「約束、破っちまったなあ」

 

 何て呟いた言葉に。

 

「何諦めたようなこと言ってやがるんだよ」

 

 言葉が返ってくる。

 視線を向ければそこにいたのは。

 

「……カゲ?」

「ルーだっつってんだろ」

 

 自身の最も信頼する男が呆れたような表情で立っていた。

 

 

 * * *

 

 

 五階層の広間に散らばる惨殺死体。

 その意味を考えれば、討伐隊の壊滅という答えにすぐに行きついた。

 アルを助けた時と合わせてあの化け物蜘蛛の()()()()()()を見るのはこれで二度目になるが、骨を抜き取られ千切れた皮と散乱した肉が血の海に沈んでいる光景は何度見ても慣れる物ではない、思わず視線を逸らし顔を顰めてしまう。

 フィーアはローブに隠れて表情は見えないが、気分の良い物じゃないとフードを深く被ったし、アルに至っては顔面蒼白で今にも吐き出しそうだった。

 

「……どういうこったこりゃ」

 

 だがそれと同時に湧いた疑問。

 死屍累々という言葉が似つかわしいほどに酷い有様の広間を見やり、だからこそ思う。

 

「こんだけ人数いて一方的に全滅……? あり得ねえ」

 

 そう、戦った痕跡が無いのだ。広間のどこにも。

 剣を抜く、槌を叩きつける、或いは魔法だってあったかもしれない。

 彼らに与えられた戦うのための手札は多くあったはずなのに、それらを使った形跡が無い。というよりまるで荒れていないのだ、この広場は。

 あの超巨大な蜘蛛が鉤爪一本振り下ろすだけで床が砕けるというのに、広間にはたった一つを除いて一切の傷が無い。

 直接あの化け物蜘蛛と戦い、鬼ごっこまで演じたのだ、その力量のほどは良く分かっている。

 一度も攻撃させないまま倒した、なんて無理な話だし、一度も攻撃できないまま殺された、なんて可能性もあり得ない。

 

「これは……多分着地の跡だな」

 

 広間のやや奥のほうに残る亀裂の入った床は恐らく蜘蛛が上から降って来たのだろう痕跡だと思われる。

 だがそれだけだ。

 唯一それだけを残して、痕跡は絶えていた。

 ダンジョンが修復した? まだ一日も経っていないし、着地跡が残っている以上きっと違う。

 そもそも戦っていない?

 ならばこの死体の有様は何だ。まさか蜘蛛が来る前に全員死んだとでも言うのか、あり得ない。

 

 やはり可能性として考えられるのは一つ。

 

「戦えなかった、ってところか」

 

 何等かの事情があった。例えば怪我人を逃がしていた、などの可能性。

 いや、それなら戦える人間が前に出て守るはずだ。

 逆に見捨てた? 足手まといを切り捨てた、という可能性。

 リーダーのノルがそういうことをするとは思えない、というか切り捨てるには人数が多すぎる。

 ぐちゃぐちゃの惨殺死体になってしまっているため詳細には分からないが、最低でも十人以上は死んでいるだろう。元々三十人弱の討伐隊なのに切り捨てるには数が多すぎる。

 

 となれば。

 

「一瞬で全員やられた?」

 

 あの蜘蛛にそんな攻撃方法があったのだろうか?

 だが全員同時にやられた割には死んだ人数が少ない。壊滅したという『シーカー』部隊を差し引いても本体は二十人かそこらはいたはずだ。

 

 と、なると。

 

「こいつらがやられたから撤退した……ってとこか?」

 

 その辺りが妥当なラインだろう。

 だが着地の位置からして、爪や脚を使った攻撃、と言うわけでは無さそうだが。

 

「ルー」

 

 そんな風に考察していると、いつの間にか俺の傍にやってきていたフィーアが袖を引く。

 

「どうした?」

「あちらに」

 

 袖のだぼついたローブから出した白魚のような指が指し示す方向を見やれば、点々と続く血痕。

 

「どっちのだと思う?」

「間隔からすれば人間のほうかと」

 

 例えば怪我をした討伐隊の誰かがここから逃げる時に流した血の跡。

 ならば素直に追っていけばその誰かに会えるかもしれない。

 

 だがもし……例えばの話だが。

 

 人を食った蜘蛛の口から垂れ流された血、だったりした場合、それを追えばどうなるか。

 

 とは言え人間とあの化け物蜘蛛では歩幅が違い過ぎる。

 点々と続く血痕の間隔からすれば、確かに人間だろう。

 

「行くか」

「罠という可能性は?」

「あの蜘蛛が?」

 

 人質を囮にのこのことやってきた仲間を諸共に鏖殺(おうさつ)……という可能性は無いわけでも無いが。

 

「あの蜘蛛にそこまでの知能は無いと思うぞ」

「分かりました、では行きましょう」

 

 余りぐだぐだと主張をぶつけているわけにも行かない。

 ここはダンジョンであり、すでに自分たちは死地に踏み込んでしまっているのだから。

 最小限の意思疎通だけで意見を決めていく。

 アルは特に言うことも無いようで周囲を警戒するように何度も右へ左へと視線を向けながらこちらについてくる。

 

 点々と続く血を目印にしばらく歩く。

 

 そうして。

 

「……途切れたな」

 

 立ち止まる。

 幸いにして水晶魔洞はとにかく光が乱反射するので血のような光を通さない物は良く見えるのだが、点々とダンジョンの床に零れていた血の痕跡が分かれ道の前で途切れていた。

 それから少し周囲を見渡してみれば。

 

「ここ、血痕があるな」

「それと、こちらにも」

 

 分かれ道の両方に血痕がある。ただし片方はほとんど分岐一歩目で再び途切れており、もう一方は続いている。ただ途切れているほうの血痕のつき方がそれまで少し違っていて……。

 

「フィーア、ここ少し立ってみてくれ」

 

 ふと思いついたことを試そうとしてフィーアに声をかければフィーアが言われた通りの位置に立つ。

 ちょうど分岐路の中央あたり。そうして自身がその隣に立ち。

 

「これは……二人いた可能性があるな」

「その根拠は?」

「多分ここまでは担がれるかどうにかして逃げて来たんだ。片方はこの血痕の主で、もう一方はそれを担いだ方」

 

 分岐路の中央、ちょうどフィーアと俺が隣り合って立っている場所を足で蹴って示す。

 

「ただ……またあの化け物蜘蛛に襲われたのか、それとも何かあったのか分からんが、ここで二人が別れた……というより怪我してるほうが逃げたんじゃないかこれ」

 

 フィーアの肩に触れて、軽く押す。

 押し込む分だけフィーアが後退して。

 

「……そういうことですか」

 

 ちょうどフィーアが数歩下がった辺りに血痕が飛び散っていた。

 

「多分この辺で怪我してるやつがもう一人を突き飛ばして分岐のこっち側へ……」

 

 点々とさらに奥へと続く血痕を指さす。

 

「もう一人がどっちにいったかは分からんが……」

「なら先にこっちへ行ってみますか?」

「そうだな」

 

 血痕の続くほうの通路。恐らく怪我人がいるだろうほうへと進もうとして。

 

「待った」

 

 後ろから聞こえた声に、歩みを止める。

 

「どうしたアル?」

 

 ここまで一言も喋らずに押し黙っていたアルの突然の言葉に、少しだけ緊張して尋ねる。

 

「多分……こっちのほうが良い、と思います」

 

 血痕の途切れた通路を指さし、告げるアルにフィーアと思わず顔を合わせ。

 

「分かった」

「分かりました」

 

 躊躇いなく頷き、そちらへと歩き出す。

 ふと振り返ればアルが驚いたようが表情をして立ち止まり。

 

「行くぞ」

「え……あ、はい」

 

 呆けていたアルに声をかければ、すぐにはっとなって慌てて追いかけてくる。

 何の根拠も無い話ではあるが、それでもアルの発言には何か意味がある。

 それはここまでのナビゲートで十分に分かっているはずだ。

 

 だからこそ、この先にはきっと何かがある、そう信じて歩き。

 

「約束、破っちまったなあ」

 

 そこにいたのは。

 

「何諦めたようなこと言ってやがるんだよ」

 

 そこにいたのは。

 

「……カゲ?」

「ルーだっつってんだろ」

 

 自身も良く知った男だった。

 

 




魔法名:恐怖(フィアー)
階梯:第一階梯/第一法則
使用者:アルカサル・ファミリア

恐怖とは感情の一つであり、言うなれば生命体の本能が発する『危機』に対する警告であると言える。
化け物蜘蛛の威容を見れば大半の人間はそれを『危険な存在』だと認識するし、それに対して本能が『危機』を発する。つまりそれが『恐怖』という感情であり、この魔法はこの『恐怖心』を増大させる効果を持つ。
逆説的に化け物蜘蛛の威容や力に『恐怖』を抱かない場合効果が無いし、『恐怖』が薄い場合その効果が相応に低くなる。
簡単に言えば竜などの肉体的な格の差がより上位の存在や化け物蜘蛛よりもレベルが圧倒的に高い存在には効果がほぼ無い。逆に肉体的に格の差が下位の存在や蜘蛛とレベルが同じかそれ以下の存在には圧倒的な効力をもたらす。
とは言えあくまで『恐怖』を増大させるだけの魔法であり、直接的な攻撃手段とは言えない。また『恐怖』を克服する強い精神があれば軽減も可能である。

根本的には怪物的肉体を持つ生物を前にした際の本能的な恐怖に対して作用する魔法であり、心の持ちよう一つで割とどうにかなってしまう魔法ではある。




『第一階梯ではまだ』……ではあるが。

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