イアーズ・ストーリー   作:水代

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十七話

 動けないノルを担ぎながら四階層まで戻る。

 道中で襲われるのではないかと警戒していたが、あの化け物蜘蛛が出てくることも無く無事階段へと辿り着いた。

 

「今更だが大丈夫か?」

 

 見たところノルに怪我は無いように見えるが、それでもあのノルが動けないほどになるまでに座り込み、ここまで担がれて運ばれてくるほどに衰弱しているのだ。尋常では無い事態であることは明確だった。

 

「ああ、ちっと体が震える、だけだ」

 

 どう見たってそれだけと言えるような有様では無かったが、それでも怪我らしい怪我は無いらしい。

 だが同時に疑問が残る。

 

「何があった?」

 

 ノルベルト・ティーガという男は非常に優れた冒険者である。

 冒険王などという呼ばれ方をしていることからも分かるように、歴戦の冒険者でありこの手の化け物相手に幾度となく戦い、打ち勝ってきたはずの男である。

 だからこそその男が、その男が率いていたはずの一団が、あの蜘蛛相手に一方的に敗北したという事実がどうしても引っかかる。

 

「確かに強敵ではあるが……それでもお前たちがそこまでやられるような相手じゃないはずだ」

 

 あの広場を見た時から感じていた違和感。

 

 その答えを。

 

「魔法だ」

 

 ノルが告げる。

 

「あの蜘蛛の放った魔法で全員やられた」

 

 忌々しそうに、表情を歪めた。

 

「魔法だと?」

 

 僅かに驚く。何故なら俺が戦った時はそんなもの使った様子が無かったから。

 とは言え魔物なのだ、魔法だって使えて当然だ。しかもここは『ダンジョン』なのだ。

 ダンジョン内部は地上と比べて圧倒的に魔力濃度が高い。

 地上の魔力濃度では生きられないような魔物すら生きることを可能とするほどに。

 故にダンジョン内部ならば冒険者も魔物もばかすかと魔法を使うことができる。

 まあ俺の魔法は余りばかすか撃ってたら凍死する危険性があるのでそう使える物でも無いのだが。

 

 そんなダンジョン内部で魔法を使ってくる様子が無かったのでおかしいとは思っていたのだが、単純に『まだ』使えるレベルではないのだと思っていたのだ。

 もしくは、大した効果が無いような魔法か、或いは自分にだけ作用するような。

 とにかく他者を害するような、そういう類ではないかもしくは使えないか。そう推測していたのだが。

 

「魔法に関して推測は?」

 

 俺はその魔法を見ていないのでそれを体感したのはノルだけになる。

 当然それを尋ねるわけだが。

 

「…………」

 

 訊かれたノルはけれど黙したまま僅かに俯く。

 

「ノル?」

 

 その様子を少しおかしい、そう思いながらもう一度訪ねて。

 

「『恐怖(フィアー)』だ。少なくとも俺はそう名付けた」

 

 そうして気づく。ノルの手足が未だに震えていることに。

 まるで恐怖に耐えるかのように、俯いているのはその時の感情を思い出してしまったからか。

 そんなことを考え。

 

「恐怖心を植え付けられる……多分そういう魔法だ。気をしっかり持てばある程度軽減は可能だが」

 

 その結果が今のノルの惨状だというのならば、凶悪という言葉では尽くしがたい。

 よりにもよって精神干渉系魔法とは厄介過ぎる。

 

「不味いな」

 

 精神干渉魔法というのは非常に希少だ。

 何せ魔法には強いイメージが必要となる。理論はあっても理屈じゃ使えないのが魔法なのだ。

 魔力を自らの性質に合わせて変換する、例えば俺ならば『燃焼』の概念。

 だが変換したそれを『魔法』として発現するためにはどうやってもイメージが必要になる。

 

 だから魔法を『組み上げる』時は実際に自分が起こそうとする現象を『見て』覚えるのが一番手っ取り早い。

 

 そういう意味で『燃焼』というのは非常に分かりやすい。

 イメージがしやすいから咄嗟の状況でも即座に魔法が使える。

 

 だが『恐怖』というものをイメージするのは簡単ではない。

 

 これが『恐怖』である、と目に見えて言える物ではないし、目に見えない以上『イメージ』もし辛い物がある。

 果たしてあの蜘蛛がどうやって魔法を発現させているのか、謎ではあるが問題はそこではない。

 

 例えば『燃焼』の魔法ならば火を起こすことは魔法であって、物を燃やすことはただの現象だ。

 つまり水をかければ消えるし、そもそも一階梯ならば燃えない物質を身に纏われればそれだけで魔法が使えなくなる。全身を鉱石で構成したあの蜘蛛などは一階梯魔法では『燃焼』させることはできない。

 

 第一法則下の現象ならば、同じ第一法則で防ぐことができる。

 

 だが精神に対する干渉というのは基本的に()()()()()()()()()のだ。

 人間は基本的に自らの精神を自由にできる力を持たない。精神生命体などならばともかく人間に精神干渉を防ぐ力は無い。

 

 故に精神干渉系魔法に対する対策は基本的に三つだ。

 

 一つは同じ精神干渉魔法で上書き、もしくは防止する。

 同じ位階(ステージ)の魔法ならば後は単純なレベルの違いの問題だ。

 故に『暗示(インプリント)』の魔法などで予め精神を『強制的に』正常に保つようにするか、より強力な精神干渉でかけられた精神魔法を『上書き』するか。

 軍隊などに良くある手法である。そのため精神干渉魔法を使える人間というのはその種類や階梯に関わらず優遇される立場にある。

 

 二つ目は『魔導具』を使う、だ。

 『魔導具』にも種類はあるが精神保護系の『魔導具』というのも稀にはあるのだ。

 ただしほとんど出回らない。何せ要人が大半買って行ってしまうからだ。

 そのため冒険者たちからすればこんなもの持っているほが稀なレベルではあるのだが、基本的に精神干渉魔法など使ってくる敵などいないためこれまでそのことが問題になったことは無かった。

 とは言えこんな事態に遭遇すると分かっていたならば大枚叩いてでも買っておくべきだったのだろうが、今更過ぎる話である。

 

 そして三つ目が『意識を強く保つ』こと。

 つまり精神論である。

 とは言えこれは決して馬鹿にできない効果がある。

 精神干渉魔法とはその名の通り『精神』に対して作用する魔法だ。

 例えば『恐怖』という感情を植え付けられたとしてもその恐怖を克服するだけの精神力があれば動くことは可能になるだろう。

 もし何も知らずに何の心構えもできていない状態でいきなり使われたのならば……俺もあの広場の連中のように屍を晒していたかもしれない。寧ろいきなりの魔法に耐えられたノルのほうが例外なのだろう。

 だがそのノルのお陰で知ることができた。

 『未知』は何よりも恐ろしいが、『既知』ならば心構えだってできる。

 今ならば蜘蛛が『魔法』を使ったとして耐えることはできるだろう。

 

 ただそれは一番手っ取り早い方法ではある反面、そもそも防ぐことができていない、ということでもある。

 できるのは『軽減』であって『無効化』では無いのだ。

 つまり確実にパフォーマンスは落ちる。

 あの化け物蜘蛛相手に、実力を十全に発揮できない。

 想像するだけで背筋が凍る話だった。

 

 

 * * *

 

 

 しばらく時間を置くと少しずつ回復してきたのか、ノルも立ち上がることくらいはできるようになっていた。

 まだ手足が少し震えるらしいが、モンスター相手に切った張ったするくらいならできるだろう。

 

「それで、だけど」

 

 とは言えあの化け物蜘蛛を相手にするには完全に足手まといであるのは事実である。

 だがこの四階層に置いておくわけも行かない。何せここは敵地なのだ、いつあの化け物蜘蛛が五階層から上がって来るともしれない。

 

「結論から言えばノルとアルの二人で脱出してくれるか」

 

 告げた言葉に咄嗟にアルが反論しようとして……けれど項垂れる。

 アルとて分かっているのだろう、自分に来れるのがここまでだと。

 確かに勘は良い、だがまだ実力が足り無さ過ぎる。

 恐らくアルでは蜘蛛の魔法に耐えられない。そうなれば動けない足手まといを抱えることになり、余計に危険だ。

 

「……わかり、ました」

 

 行けば死ぬ、それが直感で理解できたのか悔しそうな表情でアルが頷く。

 それから視線をノルに移し。

 

「脱出したらペンタスの街にこのことを伝えてくれ……最悪の可能性も考えてな」

 

 告げる言葉にノルが一瞬息を飲む。

 すでにアルによって予知が為されている。

 ここで防げなければ三日内にダンジョンを飛び出しペンタスの街を食い荒らすことを。

 

「カゲ、お前」

「ルーだっつってんだろ。それに別に死ぬつもりはねえよ」

 

 こんなところで死ぬつもりは毛頭無い。

 

()()()()()()()()()()()()……そのためにもあの化け物蜘蛛はここで止めるし、そのためにも俺は生きて帰る」

 

 約束だ、と拳と突き出す。

 

「…………」

 

 一瞬、ノルがそれを見て迷う。

 僅かな時間黙す。思考し、やがて。

 

「分かった……約束だ」

 

 ノルの伸ばした拳が俺の拳とぶつかり合った。

 

 

 * * *

 

 

「もう良いんですか?」

 去って行く二人を見送りながらフィーアがそんなこと尋ねてくる。

「何がだ?」

「お知り合いのようでしたし、もっと色々話すこと、あったのでは?」

 なんだそんなことか、と鼻を鳴らす。

 

「良いんだよ。俺は死なねえ、あの化け物蜘蛛はぶっ倒す」

 

 それは絶対だ、と告げる俺にフィーアがくすりと笑う。

「頼もしい話ですね」

「……まあ、お前を巻き込んだのは悪かったと思うがな」

 ノルを帰したのは、足手まといなのも事実だが、それ以上死なせたくないという個人的に感情が大きかったのも自覚している。

 そのために戦力を自ら手放したのだから、残されたフィーアには申し訳なさもあった。

 

「構いませんよ。言ってることは間違いではありませんし」

 

 だがあっけからんとそう告げるフィーアに少しだけ救われたような気分になる。

 

「とは言え……もうどうにもならん話はここまでだ」

 

 視線を階段のほうへと向ける。

 五階層へと続く水晶の階段。その先はここからでは見えない。

 だがその先に確かにいるのだ……あの化け物蜘蛛が。

 

「多分これが最後だ、準備は良いか?」

 

 隣に立つ少女へと尋ね。

 

「もちろ……あ、いえ、少しだけ待ってもらっていいですか」

 

 準備万端、といった風に見えたフィーアだったが、ふと何かを思い出したかのように持っていた荷物を床に置く。

 何をするのかと見ている俺の目の前で着ていたローブのフードを脱ぐ。

 仕事中は脱がないと思っていただけにそのことに少しだけ驚くと同時に気づく。

 

「それ……着けてたんだな」

「ええ、折角もらったものですから」

 

 その耳に昨日去り際に渡したイヤリングが着けられていた。

 そのことに気づいた瞬間、どくんと僅かに心臓が波打った。

 そんな自身を他所にフィーアは目の前でそのイヤリングを外しそれをポケットに入れようとして。

 

「…………」

 

 何故かその動きを止める。

 少し考えごとをするように手の中のイヤリングを見つめ。

 

「フィーア?」

 

 動かないフィーアに思わず声を挙げると同時にフィーアがこちらへ向き直る。

 そうして手の中のイヤリングの片方を自らのポケットに放り込むと。

 

「良かったらこれ、片方持っていてもらえませんか?」

 

 僅かに口角を上げてそんなことを言った。

 その表情が少し気恥ずかしそうに見えるのは俺の気のせいだろうか。

 その頬が僅かに紅潮しているように見えるのはダンジョンの光加減が見せる錯覚だったかもしれない。

 そうして差し出されたイヤリングを見やり、それからフィーアとイヤリングへと視線を何度も往復させ。

 

「……えっと、何のために?」

 

 片っぽだけのイヤリングを俺に渡す意味が分からず、そう尋ねるがフィーアは曖昧に笑うだけで明確な答えを返そうとはしない。

 ただ冗談とかそういうことではないのは分かる。何がしか意味はあるのだろう……恐らく。

 フィーアという少女の性格を考えればそれが『必要』なのだろう。

 

 だから。

 

「分かった、受け取っておくが……街に戻ったら返せばいいか?」

 

 折角送ったのに半分だけ返されてもそれはそれで困るし、是非ともそうしてくれ、という意味も込めて尋ねればフィーアがそれで大丈夫です、と頷いた。

 そうしてフィーアの手からイヤリングを受け取り、少し考えたが上着のポケットに入れる。

 荷物に入れておくのが一番安全なのだろうが、最悪荷物は捨てることになる可能性もあるので、そう考えればここが一番『マシ』な選択肢だろう。

 

 そうこうしている内にフィーアが再び荷物を担ぎ直して。

 

「すみません、余計な手間を取らせましたね。もう大丈夫ですから、行きましょうか」

 

 こちらを見やり、そう告げる。

 少しだけ戸惑ったが、けれどすぐに意識を切り替える。

 これからあの化け物蜘蛛と戦うのだ、そう考えれば簡単に意識なんて切り替わる。

 

 ―――本能が危機を発している。

 

「それじゃあ今度こそ」

「ええ、今度こそ」

 

 ―――行くな、死ぬぞ、と叫んでいる。

 

「行くぞ」

 

 それでも行くしかないのだから。

 

「はい」

 

 ただ行く。

 それだけの話だ。

 

 


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