イアーズ・ストーリー   作:水代

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十八話

 

 階段を下ると相変わらずの惨状が広がっていた。

 咽返るような血の臭いに顔を顰めながらも足早に通り過ぎていく。

 足元に広がる地獄めいた光景に気を取られがちだが、上にも警戒を払う。

 あの巨体でどうやって、と思うがあの化け物蜘蛛は天井に張り付いて移動できるらしい。

 さらには壁を掘って進むこともできるようだし、移動先を予測して先回りするだけの知能もある。

 足元に気を取られている間に上から……という可能性も十分考えられたのだが、どうやらそれらしい物は見えない。

 耳を澄ましてみるが壁を掘るような音も聞こえない。

 どうやらこの周辺にはいないらしい。

 

 そう油断したところで、という可能性も無くはないが。

 

 だが常時神経を張り詰めさせることもできない。

 一度弛緩させ、ゆっくりと息を吐く。

 

「入口辺りはセーフ、か」

「そうですね」

 

 離れていてもなお鼻につく血の臭いに思わず鼻を摘まみたくなる衝動に駆られるが、両手とも空いていないとそれはそれで不安にもなるので我慢しようとする。

 

 と、その直後。

 

「おっ」

「あっ」

 

 途端に強まるダンジョンの光。

 その元凶が広間に転がる惨殺死体からであるのを認めると二人して思わず声が漏れた。

 死体が光輝に包まれる。その眩さに目を細めていると段々と光が小さくなっていく。

 徐々に、徐々に、けれど目に見えてサイズが減少していくそれらはやがて小さな小さな光の珠となって―――。

 

 ふっと、虚空へと消えた。

 

「……時間切れだな」

「そうですね」

 

 ぽつりと呟いたそんな俺の独り言にフィーアが同意するように返した。

 何が起きたのか、俺だって初めて見た光景だがすぐに分かった。

 

 ()()()()()()()()()()()()

 

 光はすでに消え、先ほどまで血生臭さ漂う地獄のような光景が広がっていた広間では、けれどまるでそれが夢か幻だったかと思うほどに何も残っていなかった。

 血痕の一滴すら残されず、感じていた血の臭いすら綺麗さっぱり消え去っていた。

 

「俺たちも死んだらああなるのか」

 

 ダンジョンが人を食う、聞いてはいたが本当に一切の痕跡すら残さず、まるで最初からそこにはいなかったかのように消え去るその光景に、思わず呟く。

 

「死にませんよ……私が、死なせません」

 

 内心の動揺を押し殺そうとして、けれど手は確かに震えていて。

 そんな自身の手をそっとフィーアが掴んだ。

 驚き、視線を向けた先で、フィーアは真っすぐこちらを向いていた。

 

「絶対に……絶対にです」

 

 告げるそのフードの奥から見え隠れする瞳は、真っすぐ過ぎるほどに……ただ俺だけを見ていた。

 

 

 * * *

 

 

 ―――おかしい。

 

 内心で呟いた言葉はけれど表に出ることは無いままに心の内で秘められる。

 けれどそれは先ほどから何度も繰り返している言葉であり、いい加減見て見ぬふりをすることもできなくなっていた。

 

 ―――どうして?

 

 けれどすでに何度か問いかけたその言葉に答えが返って来ることも無かった。

 隣を歩く彼を姿をそっと盗み見る。

 幸いにもフードのお陰でこちらの視線に気づかれた様子も無い。

 見たところ普通の冒険者だ。腕は良いが、それ以上に何かがあるわけでも無い。

 別にフィーアにとって特に必要な物を持っているわけでも無ければ、排他するほど害があるわけでも無い。

 

 彼……ルーの存在は単純な必要と不必要で言えば不必要に分類されるだろう。

 

 とは言っても積極的に排除する必要があるわけでも無い。だからただの冒険者、ただのポーターとして付き合っていれば良かった。それで良いと思っていた。

 確かに一度、デートに付き合ってもらった身ではあるが、確かにそれには恩を感じているが、それだけと言えばそれだけなのだ。

 だからいつも通りで良い、何か特別に思う必要も無い。

 ただの知り合い程度の距離感で良い。

 そう思っていたはずなのに。

 

 今朝、ルーとギルドの入口でばったりと出会った時、言葉が出なかった。

 

 どうして?

 

 その言葉を考え続けても答えは出なかった。

 少しだけ、胸がきゅっと苦しくて、彼と話す時だけどうしてか、時折言葉に詰まりそうになってしまう。

 彼に気づかれなかっただろうか、ふとそんなことを考えてしまい、また余計にどうしてそんなことを考えてしまうのか、ぐるぐる、ぐるぐると思考の迷路に陥ってしまう。

 

 ダンジョンに入ってひりついた空気を浴びて、気は引き締まった。正確には意識が『切り替わった』ため先程までそんな思考は止めていられたのだが。

 

 ―――片方持っていてもらえませんか?

 

 どうしてそんなことを頼んでしまったのだろう。

 ただあの瞬間、気づけばそう言っていた。

 

 ―――私が死なせません。

 

 どうしてそんなことを言ってしまったのだろう。

 ただのあの瞬間、死んでほしくないと願っていた。

 

 自分の言動が、自分で理解できなくて。

 けれどその理由がきっと彼にあるのだろうというのは分かっていて。

 胸の奥に燻った理解しがたい感情がある事実に、先ほどから妙にそわそわとしてしまう。

 

 そうして気づけばまた彼のほうを見ていて。

 

「ん? フィーア? 何かあったか?」

 

 どうやら気づかない内に見過ぎていたらしい、彼がこちらの視線に気づいた。

 けれどそれに何でも無いと首を振れば、そうかと言ってまた正面へと向き直る。

 

 一体私は何をやっているのだろう。

 

 こんな時に、こんな状況で、一体何をやっているのか。

 

 自問自答してみてもどうしても答えが出ない。

 

 ―――そうね、貴女も誰かに恋をしてみれば分かるんじゃない?

 

 ふと思い出す、姉だった彼女の言葉。

 結局私は最初から最後まで彼女を理解できなかった。

 恋という感情を持った彼女を理解できなかった。

 そして私の中にある同じ理解できない感情。

 果たしてそれは同じなのだろうか。

 

 分からない、分からない、分からない。

 

 ただそう。

 

 初めて『必要』と『不必要』以外のカテゴリーができたのは確かだ。

 

 彼のことを『特別』であると思ったのは確かであり。

 

 ―――そんな感情あるはずない。私にそんなものが『備わっている』はずがない。

 

 そう思うこと自体がすでにおかしいのだと、自分でも理解できていて。

 

 ああ、私も随分と『バグ』を起こしている。

 

 けれどそんな私自身のことを、私は『嫌』だとは思わなかった。

 

 

 * * *

 

 

 例えばランク3以上の冒険者ならば、一日でダンジョンを五階層か六階層以上突破して稼いで戻って来ることは不可能じゃない。

 ランク4,5ともなれば一日で十層近くを踏破することもある。

 だがそれは事前に地図が分かっていて、さらに言うなら階層を突破することに集中した場合だ。

 一階層丸々を探索する、となるとそれだけで一日がかりとなる大仕事であり、だからこそ『クラン』において『マッパー』なんて役割が生まれるほどだ。

 

 五階層をただ抜けるだけならば難しい話じゃない。

 そもそも障害と成り得る居るはずのモンスターたちが居ないのだ、恐らくあの化け物蜘蛛に食われたのだろう。

 モンスターというのは生命体に見えて、その実ダンジョンが生み出した魔力の塊のような存在なので、魔力無しでは生きられない魔物からすればただの餌でしかない。

 

 つまり時間をかければかけるほどあの化け物蜘蛛はさらに『成長』してしまう。

 

 早く見つけなければならない。

 だが焦って注意が疎かになればあの化け物蜘蛛がどこから奇襲してくるか分かったものではない。

 警戒は厳重に、けれど迅速に。そんな矛盾した要求を突き付けられながらも少しずつ少しずつ五階層を埋めていく。

 

「地図的にはどうだ?」

「まだ一割も埋まってませんね」

 

 地図に視線を落としながら答えるフィーアに嘆息する。

 本来ならば三十人かそこらでやるべきことを二人でやっているのだ、当然ながら作業は遅々として進まない。

 そのことに僅かな焦りを覚えながらも同時に別に懸念もある。

 

「フィーア」

「……はい」

 

 名前を呼ぶが、少女はこちらを見ない。

 フード越しに顔が見えないのは今までも同じだったが、こちらを向くことさえしないというのは今までならば無かったことであり。

 

「その……」

 

 その理由を問おうとして何と言った物かと思い、戸惑う。

 フィーアもまた、中途半端な俺の態度に常ならば『何か?』くらい言うだろうに、今に限って何も言ってくれない。

 そうして結局。

 

「いや、何でもないわ」

「……そうですか」

 

 少し気まずい空気が漂う中、ため息と共に視線を落とす。

 そうして。

 

「止まれ!」

 

 思わず声を荒げる。

 声と共にフィーアがぴたりと足を止め、そうしてさすがに何かあったことを察してこちらへと視線を向ける。

 

「足元だ、何か光ったぞ」

「それは……常にでは?」

 

 ほんの一瞬だけだが、視線を落とした瞬間、視界の中で何かが光ったのを見た。

 告げる俺に、けれどフィーアが怪訝そうに尋ねる。

 確かにこのダンジョン、壁も床も天井も光を透かせるせいでキラキラと乱反射する光が眩しいダンジョンではあるが。

 

「そうじゃない……空中で何か……線のような物が」

 

 呟きながらじっくりと見やるが、けれど良く見えない。

 フィーアも同じように視線を細め。

 

「ん……?」

 

 直後にフィーアから声が漏れた。

 見つけたのかとフィーアを見やると、フィーアが手でこちらを制止してくる。

 どうするつもりだ、と見ているとローブの内側に手を入れ、そうして一本の短剣(ダガー)を抜く。

 初めて見たフィーアが武器を抜くところに僅かに驚きながらその光景を見守っていると、フィーアは目の前の空間に短剣を突きだして。

 

 すっと、縦方向に降ろした。

 

 ぷつん

 

 直後、何も無いはずの空間で何がか()()()

 

「「…………」」

 

 はらり、と床に落ちたそれを見やり、そっと指先で摘まみ上げる。

 

「糸、か、これ?」

「の、ようですね」

 

 ほとんど透明に近いが、摘まみ上げ角度を変えてみればほんの僅かに光を反射する不思議な触感のする糸だった。

 やけに硬い、本当に細い細い糸なのに、まるで中に鉄心が入っているかのような妙な『しこり』がある。

 両端を持って軽く引っ張ろうとするが嫌に硬い感触が返って来るのでさらに力を込めてようやくブチりと引きちぎることができる。

 

「なんだコレ」

「ただの糸……なわけがありませんよね」

 

 フィーアも同じように引っ張って千切っているが、その弾性に驚いているような声音だった。

 ほとんど肉眼では見えないほど細いにも関わらず非常に丈夫だった。

 多分歩いている時ならともかく、走っている時に引っ掛けたらそのまま転ぶと思う程度には。

 

「嫌な予感がするな」

「同感ですね。そもそも相手が『蜘蛛』という時点でこういう可能性は考えるべきでした」

 

 例えば後ろからあの化け物蜘蛛に追いかけまわされている時にこの細い糸があったとして気づけるだろうか? 余程の奇跡的幸運に恵まれなければまず気づかず足を引っかけ転び、そしてそのまま……。

 

「この間戦った時はこんなの無かったよな」

「恐らくこの僅かな間に獲得したものかと。そもそも元凶である『アルカサル』も同じように糸を使うそうですから、親と同じ特性を持っていても不思議ではありません」

 

 言われ思い出す。

 『災害種』が一体『集虫砲禍(アルカサル)』は時折人の街にも襲来するが、その時街を半壊させ人工物を『食って』いった後、時折だが金属製の『糸』を残すらしい。

 その『糸』は性質として非常に強靭かつ柔軟であり、数えきれないほど多くの用途で使用できる希少品である。

 あの化け物蜘蛛は恐らく『アルカサル』が落とした『卵』から産まれた『災厄の子』である以上、親である『アルカサル』と同じような『糸』が使えてもおかしくは無い。

 

「粘着性は無いみたいだな」

「けれどそれ以上にこの強度と細さは厄介ですね」

 

 視線を上げて先へと続く通路を見やる。

 乱反射する光のせいで明るくはあるが、けれどそこに糸があるのか無いのかここからでは見えない。

 

「二、三本束ねたら人間の首くらい簡単に切り落とせそうだな」

「鋼糸ですか? 恐らくこの糸、原料はここの水晶でしょうから、石糸と言うべきかもしれませんが」

 

 ただでさえ蜘蛛に対する警戒が必要だというのにさらに厄介な物が追加されてしまった。

 

「フィーア、俺が先に出る」

 

 腰に刺した鉄剣を抜いて軽くブンブンと振る。

 気づかなかったらしい何本かの糸がぶつんと切れてはらりと落ちてくる。

 

「厄介ではあるが、歩いてるだけで怪我するよりはマシだろ……これで行こう」

「……分かりました」

 

 一瞬悩んだ様子を見せたものの、フィーアが納得したように頷いて。

 

 

 ギィィィィィィィィィィィィィィ

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 

 




フィーアちゃんのヒロイン度アップのために休憩シーンを挟もうかと思ったけど、長引くからカットして歩きながらヒロインムーブしてもらうことにした。

こう……ちょっとずつ、ちょっとずつ自覚していくのって、可愛いと思うんだ。

→あれ、何だろうこの気持ち。
→私、どうして……。
→もしかしてこの気持ちが。

みたいな感情の移り変わり?
もうちょっと尺取ってフィーアちゃんとルーくん積極的に絡ませても良かったかもしれないが、まあそれは今後の楽しみとしておこう。
ガンバレルーくん。頑張ってフィーアちゃんをデレッデレにするんだ。

尚、ルーくんのほうは(

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