イアーズ・ストーリー 作:水代
―――『
咆哮が本能を刺激する。脳髄にまで響き渡った絶叫が怪物を前にした人間の本能的な恐怖を喚起する。
直後、がくん、と全身から力が抜ける。恐慌する体が一瞬の虚脱を起こす。
「う……らああああああああ!!!」
故に叫ぶ。まるで全身にのしかかる重い空気を振り払うかのように。
心を強く持つ。
超と共に恐怖を吐き出すように、叫び、咆哮し、心を奮い立たせる。
―――きちきちキチ
蜘蛛が動き出し、爪を振り上げる。
ワンパターンではあるが、その爪は防ぐことすら不可能な必殺の武器である。
同じことの繰り返しではある、だが同じことを繰り返しているだけでこの蜘蛛は大半の生物を打倒できてしまう。それだけの肉体的なスペックの差が……『肉体の格』に差があり過ぎた。
恐怖に竦んだ体に鞭を入れ、無理矢理に動かす。
動くのは動く……少なくとも動けないままに一方的に殺されるということは無い。
だがこの恐怖に『慣れる』までに数分程度、大きな制限が付くのは間違い無い。
一人ならば間違いなく詰んでいる状況、だが。
「フィーア!」
「大丈夫、こちらは問題ありません」
今は頼りになる相方が隣にいる。
振り上げられた蜘蛛の爪に合わせるように短剣をかざし。
「『
言葉と共に莫大な量の魔力がフィーアの持つ短剣へと収束する。
肌で感じ取れるほどの強力な魔力が第一法則への極めて強力な矛盾を引き起こす。
第二階梯魔法、それは第二法則への干渉。
第二法則とは魔力法則、それはつまり第一法則の反理法則。
「
まるで何の抵抗も無く。
燃える刃物で積雪を切るより容易く。
蜘蛛の前脚が一本、宙を舞った。
「ナイス、だ」
突如一本、脚を失った化け物蜘蛛がバランスを崩して地に転がる。
直後にベゴッ、と鈍い音を立てて床をひび割りながら切り飛ばされた前脚が降って来る。
それを契機にしたかのように、後退する。
少しずつだが感覚は戻ってきている。
だがもう少し、もう少しだけ時間が必要だ。
「すまん、あと少し頼む」
「分かりました」
端的な願いに躊躇も無くフィーアが頷き、前に出る。
「もう一発行きましょう」
とん、と一歩、前に踏み出し。
「『
呟きと共に
* * *
魔法には三つの階梯がある。
―――第一法則に干渉する第一階梯。
第一法則とはつまり『物理法則』だ。
上に投げた物は下に落ちる。水は高きより低きに流れ、火に水をかければ消える。
木々は大地の上に育ち、太陽は東から西へ昇り、空気が移動すれば風が吹く。
そういう極々自然的な事象を意図的に『発生』させるのが第一階梯。
鉄の刃で切れば大抵の物はすっぱり
それが当然の理ではあるが、岩や鉄を刃で切れば刃が弾かれる。
何故なら岩や鉄のほうが『頑丈』だから。それが当然の理だ。
故に第一法則に干渉する第一階梯魔法ではそういう当然の理を無視しえない。
だから次の階梯があるのだ。
―――第二法則に干渉する第二階梯。
第二法則とは魔力法則、それはつまり第一法則の反理法則。
魔力の持つ『物理法則への矛盾』という性質を突き詰めた反物理法則。
硬い物と柔らかい物、この二つをぶつけて硬い物が砕ける。そういうあり得ざる矛盾を引き起こすのが第二法則であり、それを意図的に引き出すのが第二階梯魔法。
とは言え、結局それだって第二法則という一つの法則の中で起きている事象に過ぎない。
極論を言えば魔力を加工すれば同じような効果を引き出すことができる。
だからこそ、その次は魔法の『究極』なのだ。
―――第三法則を『生成』する第三階梯。
第三法則というものは厳密には『存在しない』法則である。
少なくともこの世界を作る
では第三法則とは一体何なのかと言われれば『個々人が作った法則』と言うのが正しい言い方だろう。
簡単に言えば『概念』を基準として生み出された勝手なルールである。
そう、ルールなのだ。法則なのだ。理なのだ。
第三階梯魔法使いが何故飛び抜けた力を持つと言われるのか、その全てがそこに集約されている。
即ち。
―――第三階梯魔法使いは『世界の理』を創造/改竄する力を持つ。
勿論どんなルールも自由自在に、というわけでは無い。
魔法の性質となる『属性』*1がある以上はそれに縛られるが、逆を言えば個々人が持つ『属性』の範囲内ならばどんなルールでも『生み出せる』というわけだ。
そして何よりも問題なのは。
第三法則とは第一法則と第二法則の上に来るのだ。
つまり、物理法則よりも魔導法則よりも強固な概念を持っている。
だからこそ、第一法則、第二法則に矛盾するようなルールすらも第三法則で一時的に上書きすることができる。
ルールの範囲内で戦う第二階梯以下の魔法使いたちと、ルールを自分で創り出す第三階梯魔法使いでは次元が一つ違うのは当然の帰結なのだ。
* * *
「『
そう呟いた瞬間には全てが終わっていた。
―――ぎちぎちぎちぎちぎちぎち
軋りようなうめき声のような音を発しながら、恐れるように蜘蛛が数歩後退する。
否、正確には数歩分、体を引きずったというべきだろうか。
何せその後ろ脚は三本まとめて綺麗に切り落とされていた。
断言するが、一瞬たりとも俺は蜘蛛とフィーアから目を離していなかった。
だがフィーアが呟いた瞬間にはフィーアの姿が消え、蜘蛛の後方に現れたと思ったら蜘蛛の後ろ脚が切断されていた。
何が起きたのか理解できないまま、けれど確かなのは今がとてつもない好機であるということで。
「が……ああああああああああ!!」
沸き立つ恐怖を吐き出しながら、一歩、一歩と踏み出す。
たったそれだけの作業に気力を振り絞る必要があった。
恐怖が絡みついた肉体は、ただ動かすだけで気力と体力を大きく削られる。
それでも動く、平時と比べて涙が出るほど鈍い動作で一歩、一歩、踏み出していく。
すでに蜘蛛はこちらを見ていない。背後に回ったフィーアへと意識を向けて体を回転させようとしている。
だから、この一撃は避けられない。
「『
手にした鉄剣を構え、真っすぐに突き出す。
第一階梯魔法に必要なのは『可燃物』。だからこそ木剣を使っていたが、逆にこの魔法に必要なのは『不燃物』。
蜘蛛の多脚の一本へと鉄剣が伸び、僅かな関節の隙間に突き刺さる。
バキン、と一瞬その脚の動きを止めた鉄剣だったが、けれどすぐに
それでもすでに剣は突き刺さった。以前使っていた剣ならば刺さる前に折れていた、やはりあの店の品は良い物だったと内心で苦笑しつつ、圧し折れ刺さったままの剣先を見つめ。
だがそれで良い、それが良い。
内心で笑う。
―――すでに魔法は仕込み終わった。
直後。
―――キチキチキチギチ
化け物蜘蛛の全身を
―――ギチッギチギチッキチキチキチキチ
自らの身に起こる現象に気づいてか蜘蛛が困惑したように軋るような音を発するが、陽炎のような半透明な靄でできた炎は爛々と蜘蛛の全身を包んでいた。
* * *
―――『
『切断』概念から生み出したフィーアの
極めて単純に、誰にでも分かるように言うならば。
過程を『切り落とす』魔法だ。
フィーアの魔法はその性質上、対魔物・モンスター相手にはそれほど相性が良いとは言えない。
確かに絶対切断の刃は非常に強力ではあるがその代償に切断対象が強固であればあるほど必要とする魔力量が跳ね上がる。故に目前の化け物蜘蛛のような全身を鉱物で構成された魔物など相性的には最悪に近い。
何よりも刃自体は必殺のそれであって、それを当てるのはあくまで自らの力でだ。
あの全長二十メートル近い化け物蜘蛛相手にこの手の中の小さな短剣一本を当てるという所業がどれだけ難易度が高いか。
相手が攻撃してくる瞬間にカウンター気味に被せるのならばまだどうにかなるかもしれない。
だがリーチの差は歴然である、一発目のあのカウンターとて二度目が決まるかどうか怪しい。
そうフィーアの最大の弱点とはその肉体である。
レベルは非常に高い。魔法も殺傷性が高い。
だがそれを生かすには体躯が小さく、力も非力だった。
こんな小さな短剣一本まともに振るうのがやっとなほどにフィーアは肉体的に非力だった。
例えばルーあたりが同じ魔法を持っていれば地上最強の剣豪が出来上がっていたかもしれない。
だが現実にはフィーアではこの魔法を最大限に生かせているとは言えない。
そんな現実を塗り替える『
相手に接近する、短剣を振り上げ、相手を切る。
この三つの動作の『過程』を『切り落とす』。
そうすると魔法を発動した瞬間に『相手に接近して切った』という事実だけが残る。
それがフィーアの第三階梯魔法『
* * *
第二法則とは先も言ったように物理法則の反理法則である。
では『燃焼』という概念の反対とは。
簡単である『不燃』。燃えないこと。
第二階梯魔法『
鉄や鉱物など『本来燃えない』物質にだけ作用する魔法であり、『酸化』を引き起こさない代わりにひたすら『熱』だけを増幅させる作用がある。
この時『燃やす』のは対象の物質に込めた『魔力』であり、魔力が無くなった時この魔法の効果も消失する。
ただし。
もし対象が『魔力』を含んでいたならば。
例えば魔物はその全身を魔力を持っている。
その魔力があるからこそ、魔物は物理的には存在しえないような生態を維持している。
故に魔物は須らく魔力を持っている、魔力が無ければ生きられない。
それはあの化け物蜘蛛も同じはずなのだ。
そう……
それは目の前でのたうち苦しむ蜘蛛の姿が証明していた。
* * *
―――ぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎちぎち
燃えていた。
色は無くとも、半透明で薄っすらと、靄のようにしか見えずとも。
確かにそれは燃えていた。
化け物蜘蛛の命綱を燃やし尽くしていた。
「効いたか?!」
想像以上の効果を発揮する半透明の炎にようやく戻って来た全身の感覚を確かめながら視線を蜘蛛へと固定する。
どんどん、と床に脚を叩きつけながら苦しみ暴れ回る蜘蛛に近づくにはリスクが高すぎる故にこうして離れて見ているが、段々と蜘蛛が弱っているのが分かる。
そもそも魔物とは魔力が無ければ生きられない存在であるが故に、魔力を燃やす炎は致命的なダメージとなって蜘蛛を襲っていた。
ギィィィィィィィィィィィィィィ
蜘蛛の絶叫が洞窟内に響く。
だが先ほどと違って恐怖を喚起されるようなことは無い。
正真正銘
逆に言えば、最早魔法を発動するほどの余裕も無いということだろうか。
「ルー」
そうして藻掻く蜘蛛の様子を見ていると、いつの間にかフィーアがこちらへとやってきていた。
さすがにこの状況で手は出せないと同じく様子を見ているようだ。
「これで、終わりか?」
「……まだ終わってませんよ」
だが時間の問題のようにも見える。
あの炎は基本的に『魔力が無くなるまで』は燃え続ける。
もしくは使用者である俺が死ぬ、ないし気絶するようなことでもあれば別ではあるが。
だが最早その余裕すら無いほどに苦しんでいる蜘蛛をこうして離れて見ている、それで終わりだ。
嘆息し、目を閉じる。
何だか随分と呆気なかったな。
そんなことを考えた、直後。
―――ぽたり、と何かが頬に落ちた。
僅かに驚き目を開く……そうして頬に手を当て。
拭った手の平へと視線をやり。
「……あ?」
手の平に付いた真紅に思わず声が漏れる。
ぽたり、ぽたり、と。
再び雫が落ちる。
一体何だこれは。
考えながら視線を背後へと向け。
「……る、う」
「…………」
一瞬、理解ができずに言葉を失くし。
「……は?」
思わず呟いた一言、まるでそれを契機にしたかのように。
ぐしゃぁ
フィーアの頭が爆ぜた。
三話書いてる頃から思ってた。
まりもちゃんしよう!
ってな!!