イアーズ・ストーリー   作:水代

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二十二話

 

 二度、三度。

 放たれるたびに背筋が凍りそうな鋭い爪の一撃。

 荒れ狂ったように暴走気味に突っ込んでくる突進。

 だがそれでも避ける。特に先までの糸を使った移動が無いため視界から消えるようなことが無いのが幸いだった。

 すでに化け物蜘蛛の動きに先程までの余裕が無い、ただガムシャラに乱雑な動きで自身を捉えようとしているが、そんな動きで捕まるはずがない。

 

 それに逆にこちらには先ほどまでと違い余裕があった。

 

 化け物蜘蛛が苦しんでいる。

 

 それはつまり自身の魔法が効いているということだ。

 脱皮で逃げられるかと予想していたが、この状況でそれをしないということは簡単にはできないと考えて良いだろう。

 

 だとすれば、このまま化け物蜘蛛の魔力が尽きるまで耐えれば勝てる。

 

 生への希望が心の奥底にあった怪物への僅かな恐怖を消し去る。

 

「いくらでも相手してやるよ……お前が力尽きるその時まで」

 

 鉄槌を握る手に力がこもる。

 実際あとどれくらいやれるか。

 肩に受けた傷が痛む。傷口は焼き切ったとは言え、派手に出血もした。

 その状態で激しい運動を繰り返しているのだ、息も荒くなっているし、体力も残り少ないのを自覚している。

 

 そして何より、魔法を使い過ぎた。

 

 自身の魔法は自らの『体温』を使用する。

 故に使えば使うほどに体温が下がって行く。

 先ほどの出血と併せて、動いても動いても体に熱が溜まらない。

 

 コンディションはかなり悪い。

 だが、だからどうしたという話だ。

 

 あと少しなのだ……あと少しで化け物蜘蛛を倒せる、そこまで来ているのだ。

 

 少しばかり血が足りずに頭がふらついていても、体温が下がり過ぎて手足の感覚が無くなってきていても、体力が底を突きそうで全身が鉛のよう重くても、焼き切った肩の傷口に激痛が走っていても何だというのだ。

 

「あと少し」

 

 燃え上がる白い炎はそれだけ多くの魔力を燃やしている証左でもある。

 だが段々と段々と、炎が縮小していっている。

 白い炎が燃え尽きた時、それがあの化け物蜘蛛の魔力が尽きた時であり、それはそう遠い先のことでは無い。

 

 ―――あと少し。

 

 最早その言葉を口にする余裕すら無いほどに疲弊しながらも視線だけで化け物蜘蛛を射抜いていた。

 

 直後。

 

 

 

 ギィィィィィィィィィィィィィィ

 

 

 

 蜘蛛の絶叫が響き渡る。

 広間を反響し、左右から鼓膜を突き抜けていく音の連なりが脳へと届いた瞬間。

 

 ふっ、と。

 

 全身の力が抜け落ちた。

 

「あ、ああ……ああああああ……ああああああああああ」

 

 硬く冷たい水晶の床に転がりながら全身を震わせる。

 先ほどまでの余裕が嘘だったかのように、心に()()()()()()恐怖が体を震わせ、指一本自由に動かせない。

 先ほどまでの本能的な恐怖を喚起させる類の物とはまるで別。

 

 心を強く、だとか意思で克服するだとか、そんな物がまるで無意味だと言わんばかりに。

 

 ―――()()()()を一瞬にして徹底的に()()()()()()

 

 耐える耐えないの話ではない。

 聞こえた瞬間に強制的に心が折られた。

 恐怖の余りに全身が震え、力が入らない。

 指先一本動かず。

 

 ―――きちきちきちきちきちきちきちきちきちきちきち

 

 炎に包まれた化け物蜘蛛が狂乱染みた軋り声を挙げながら迫って来る。

 不味い、不味い、不味い。

 このままではまともに食らう。

 

 あの炎は自身の魔法だ。

 

 自身が死ねば解除されてしまう。

 

 それはつまりあの化け物蜘蛛が解き放たれるということに他ならない。

 

 避けろ、動け、避けろ、動け、避けろ、動け。

 

 命じても、命じても体は動かない。

 凍り付いたかのように震えるばかりで何一つ思い通りにならず。

 

 ―――ああ、ここまでか。

 

 そんな諦観の思いすら湧き出して。

 

 迫り来る蜘蛛をぼんやりと見つめていた。

 

 あれに轢かれたら……まあ即死だろう。

 

 痛みすら感じぬ間に死ねるのなら……まあ良いかな。

 

 そんなことを考えながら視線をふと動かし。

 

 

 

「……あ?」

 

 

 

 床に転がる銀色を見た。

 

 

 * * *

 

 

「俺たちも死んだらああなるのか」

 

 ダンジョンに食われた討伐隊の面々を見て、確かそんなことを思った。

 

「死にませんよ……私が、死なせません」

 

 内心の動揺を押し殺そうとして、けれど手は確かに震えていて。

 そんな自身の手をそっとフィーアが掴んで。

 

「絶対に……絶対にです」

 

 告げるそのフードの奥から見え隠れする瞳は、真っすぐ過ぎるほどに……ただ俺だけを見ていて。

 

 とても綺麗なアイスブルーの瞳を、ふと思い出した。

 

 

 * * *

 

 

 イヤリングだった。

 

 自身が、フィーアに渡した物で。

 フィーアが片方だけ持っていたはずの物。

 先ほどから大暴れしていたせいで、知らぬ間に転がってきていたらしい。

 

「…………」

 

 フィーア。

 

 蜘蛛に殺された自身の……俺の相棒。

 と言ったって、今回限りの話。

 俺はあいつのことなんてほとんど何にも知らないし、あいつだって俺に何にも話はしなかった。

 だから今回だけの浅い付き合い。

 それでも俺は、あいつのことが嫌いじゃなかった。

 何がしたかったのか、今となってはもう良く分からないけれど。

 

 きっと、フィーアは俺に何かを求めていた。

 

 ほとんど互いのことも知らない、数日前に初めて顔を突き合わせたばかりの俺に一体何をと思うけれど。

 それでもほんの数日。人を好きになるのにそれだけの時間があれば十分だった。

 

 感情表現が不器用で、不格好で、どこか子供っぽくて、どこか人形染みていて、それでいて人間臭い。

 

 そんな少女のことが好きだった。

 短い付き合いだったが、言ってみれば友人のように思っていたのだ。

 

 ―――分かった、受け取っておくが……街に戻ったら返せばいいか?

 

「……やく、そく、あったな」

 

 そうだ、約束があるのだ。

 

 ―――俺には帰るべき場所がある……そのためにもあの化け物蜘蛛はここで止めるし、そのためにも俺は生きて帰る。

 

 フィーアとだけではない、ノルとも約束をした。

 

「まもらなきゃ、な」

 

 何より、()()()()()()()()()()()()()

 

 ―――ちゃんと帰ってきてね、■■■。

 

「し、ねる……か」

 

 沸々と、心の奥底で何か熱い物が沸きあがって来る。

 

「死ねる、かよ……こんな、とこで」

 

 少しずつ、少しずつ、震える体にゆっくりと、丁寧に、力を込めていき。

 

「まだ、俺は……俺は……」

 

 ―――きちきちきちきちきちきち

 

 半狂乱となって突っ込んでくる化け物蜘蛛を前に。

 

「死ねるかああああああああ!!!」

 

 

 ―――『勇往心燃(イグナイトハーツ)

 

 

 傍に落ちていた鉄槌を思い切り投げつけた。

 ぶんぶんと円運動を繰り返しながら鉄槌が蜘蛛へと迫り。

 

 がん、と硬い音を立てて()()()()()()()()()()

 

 当然と言えば当然だ、先も言ったが質量に差があり過ぎる。

 だがそれでも顔面を強打したのだ、一瞬蜘蛛がふらついて、その進路が逸れる。

 ほんの1メートルか、2メートルほど。蜘蛛のサイズから言ってほんの一歩分ほども無い程度ズレ。

 それでもその僅かな進路のズレが俺の命を救う。

 

 ドドドドドドォォ―――ン

 

 真横を化け物蜘蛛が通り過ぎ、そのまま壁に激突する。

 勢い任せの突撃だったせいで壁に大穴が空いているが蜘蛛はそんなことはどうでも良いとさらにこちらへとゆったりと方向転換、引き返し。

 

「はあ……はあ……」

 

 荒い息を吐き、腰に刺さっていた木剣を杖代わりにゆっくりと立ち上がる。

 すでに心に巣食っていた恐怖はどこかへと消えて行った。

 理屈は分からないが、無我夢中で何か『魔法』を使った気がする、恐らくそれの効果だとは思う。

 だが体の自由を取り戻せど、すでに失った体力や魔力までは取り戻せない。

 最早限界に達しているこの体であの化け物蜘蛛の再度の突進をどうやって止めれば良いのか。

 

 回避は、無理だろう。

 

 体が重すぎる。

 

 元々かなり疲労していたのだ、そこに精神的な追い打ちがかけられた。

 半ば気力で持たしていたのに緊張の糸が先の魔法で切れてしまったのだ。

 堰を切ったかのように溢れだした疲労感が全身を鉛のように重くしていた。

 

 使える手札は木剣二本と鉄剣一本。

 

 化け物蜘蛛の全身を覆う炎は目に見えて小さい。

 ただえさえ魔力を削られ続けているのに魔法まで使ったのだ、当然の帰結である。

 最早化け物蜘蛛にとて時間的な猶予は残されていないだろう。

 

 この突進さえ凌げれば……。

 

 だがどうやって?

 

 回避の手段すら無い以上、どうにかして迎撃するしかないのだろうが。

 あの超質量をどうやって止めれば良いのだろうか。

 

 考え、考え、考えて。

 

「分からん……行くか」

 

 何も思いつかないまま一歩()()()()

 

 ドドドドとまるで洞窟中に反響するような地響きを立てながら蜘蛛が迫り。

 

 

「ルーさん!」

 

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 完全に予想もしていなかった方向からの衝撃に踏ん張ることすらできないまま数メートルの距離をゴロゴロと転がる。

 直後に蜘蛛が直前まで自身がいた場所を通り過ぎて行き。

 

 

 ―――きち……きちきち……きち……きち……ッ!

 

 

 ギイィィィ……ィィ……ィ……

 

 

 断末魔のような悲鳴を上げ()()()()()()()

 

 

 * * *

 

 

 ルーが動かなくなった化け物蜘蛛を見やり、ゆっくり、ゆっくりと重い足取りで近づく。

 そうして触れるほどの距離まで近づき、それでも動かない化け物蜘蛛を見て。

 

「『不燃炎』」

 

 ルーが何かを呟くと同時に化け物蜘蛛から白っぽい半透明な炎のような揺らめきが立ち上る。

 そうして数秒の間、化け物蜘蛛が燃えるがすぐに炎が消え。

 

「……死んでる、か」

 

 ぽつり、とルーが呟くと同時にその全身が力無く崩れ落ちる。

 

「ルーさん!」

 

 慌てて駆け寄りその体を支えられるが、最早立つ気力すら沸いてこないと、ぐったりと力無く手足を投げ出したルーの肩を揺するが反応は無い。

 疲労の極致(ピーク)であることは見れば分かるので少しだけ化け物蜘蛛から引き離し、持ってきた荷物を枕にして眠らせておく。

 

 目を閉じた途端に寝息を立て始めたルーを見やり。

 

「……お疲れ様です」

 

 小さく呟いた。

 

「……ん?」

 

 同時に気づく、だらんと力無く投げ出された手だが拳だけは硬く握りしめられている。

 何がを握っている、のだとは思うが……まあ良いだろう。

 少し気を取り直して周囲を見渡す。

 蜘蛛の巣、らしい糸だらけの場所。

 気になるのは見えない『もう一人』。

 

「フィーアさんは、どこに」

 

 歩きながら少女の姿を探すが、床が抉れていたり、糸に塗れていたり、天井や壁と繋がった糸が邪魔で通れなかったりと非常に歩き辛い。

 それでも勘便りに『なんとなく』で歩いていき。

 

「…………」

 

 頭半分消失した()()()()()()ローブを着た死体を見つけた。

 それが誰の死体かを理解し、唇を噛み締める。

 

「……ごめんなさい」

 

 それが一体何に対して謝ったのか。

 自分でも良く分からないけれど、それでも。

 

「ごめんなさい」

 

 涙が溢れそうになる。

 フィーアとはそう深い関わりがあったわけじゃない。

 だが全く見知らぬ他人というわけでも無い。

 自身は確かに知れたはずなのに。

 

 ―――こうなることを自身は確かに察すことができたはずなのに。

 

 それは後悔だった。

 自身の怠慢が導いた後悔の結果。

 

「ああ……くそ、なんで」

 

 何で今更後悔しているんだ。

 後悔するなら最初から動いていれば良かったのに。

 

「助けられたんだ、俺なら」

 

 直接的な手出しはできなくても……助言ならば。

 

「いつもそうだ」

 

 口では色々言える。

 だがいつもいつも自分では何もできない。

 そんなもどかしさが胸の内側で燻っていた。

 

 そうして物言わぬ死体となった少女を前に、涙しているその瞬間。

 

「……っ!」

 

 少女が光に包まれる。

 まさか、と気づいた時にはすでに遅く、少女の輝きがどんどん強まったかと思うと、その全身が少しずつ、少しずつ小さくなっていき。

 

「フィーアさん!」

 

 叫び、手を伸ばした直後、ぱぁん、と光の粒子となって消えて行った。

 

「……そんな」

 

 後には何も残らなかった。

 血の一滴すら残らないままに。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 愕然となり、思わず膝を突く。

 ダンジョンに人が食われた瞬間を見たのは初めてだったが。

 

「こんな……こんなのってあるかよ」

 

 血の一滴、服の一破片すら残さず、まるで最初からそこに誰も居なかったかのように死体は消え去っていた。

 

「こんな……まるで何も無かったみたいに」

 

 死体一つ、遺品すら残さず消えてしまった。

 その事実に歯噛みしてしまう。

 しばらくそうして誰も居なくなった空間を見ていたが、やがて振り返ってルーの元へと行く。

 

「生きててくれて良かった」

 

 例え彼だけでも、生きていてくれて本当に良かったと思う。

 静かに眠るルーに安堵の息を漏らし。

 

「帰りましょう、ルーさん……街へ一緒に」

 

 呟き、眠るルーを起こさんと手を伸ばした。

 




魔法名:恐叫喚(テラー)
階梯:第二階梯/第二法則
使用者:アルカサル・ファミリア

『恐怖』の魔法が生命の本能的恐怖の喚起だとするならば、こちらは『自ら』が持つ『死の恐怖』の増幅と転写である。
極めて凶悪な魔法であり、一般的な精神干渉魔法が『精神論』で耐え、軽減することが可能なのに対して、自らの持つ恐怖を『増幅』させそれを『転写』し相手の心に『刷り込み』『刻み込む』ことによって一瞬にして感情を書き換えてしまう。
そのためどれだけ意思が強かろうが無条件に『心が折れ』てしまう。
また『死の恐怖』に苛まれるため『死』による安楽を救いであると錯覚し、自ら求めてしまう。つまり魔法の対象全員に『自殺願望』を持たせる。
そのため万一蜘蛛自身に殺されなくても、最悪自らの手で自らの命を絶ち、『死の恐怖』から逃れようとする。

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