イアーズ・ストーリー 作:水代
「えっと……何ですかこれ。何かの動物の石像?」
街から徒歩で三十分ほど歩くとオクレール家の屋敷へとたどり着く。
すでに日は落ち、すっかり暗くなってしまっているが、月明りは煌々と照っておりその全容は良く見える。
屋敷を囲む塀の正面の門を抜けようとして、その横に経つソレに気づいたアルが首を傾げた。
「犬だよ……正確には『狛犬』何だが」
「コマイヌ?」
屋敷の外見と余りにも合ってない石造りの犬の像はけれど十年以上前から置かれた物であり。
「『東和』文化の産物でな……厄除けみたいな意味合いがあるらしいぞ」
本来なら神社……俺たちの文化で言うところの神殿のような場所に置かれる物らしいが、
「トウワ! トウワってあのトウワですか?!」
驚いたようにアルが目を丸くして声を大きくする。
まあ割と予想通りの反応だったのでそうだと頷き、肯定する。
この世界……否、このイアーズ大陸の人間にとって『海』とは一種の禁忌だからだ。
それ故にイアーズ大陸からほんの数十キロ程度しか距離の無い島国である東和国の存在は数百年前にイアーズ帝国が発見し、交流を始めるまで誰も知らなかった。
東和という国自体は二千年近い歴史を持つ国だったらしいのだが、とある理由により島国なのに『海』から距離を置いていたため東和の人間もすぐ近くに大陸があったことに気づかなかったらしい。
現代においてすでに東和とは亡国の名である。
人魔大戦中には多くの人間が無くなり、南方の三つの国が滅びかける事態にもなったが、人魔大戦以降平和だったはずのイアーズ大陸の国々にこの世界の厳しい現実を突きつけた。
忘れていたわけでは無いのだ。
この世界の現実を。
だが人類はそこから目を逸らしていた。
いつ起こるかも分からない不確定な『天災』よりも目前に迫った明確な『天敵』を見ていたから。
だから魔族という人類の『天敵』が消え、ようやく安堵の息を吐いた人類に『天災』は降り注いだ。
東和事変。
災害種が一体
* * *
オクレール家の屋敷には意外と東和由来の品が多い。
庭の一角を彩る『枯山水』などもその一つだ。
東和文化を良く知らないアルからすれば何故芝を敷いた庭の一角に石ころを詰めているのかと疑問に思うのだろうが、明るくなってから見るとまた違った
後は屋敷の屋根の上に載せられた謎の魚の像などもそうだろうか。
置いた人間曰く『シャチホコ』とかいうらしい。東和由来の文化だと言っていたが果たしてそれが事実かどうかは謎に包まれている。
東和文化は大陸文化とはかなり違う独特の雰囲気があるので一緒にしていると明らかに調和が取れておらず、一目見ておかしいと思える。
逆に言えばこの屋敷を見て何かおかしいと思ったならそこに東和文化の品が隠れている。
「このお屋敷は貧乏だと聞いてましたけど?」
「貧乏だぞ……正真正銘な」
「でもトウワ由来の品ってお高いのでは?」
基本的に東和由来の品はどれだけ大したものでなくとも『最低』が100万ゴールドを超える。
例えば東和で一般に使われていたという安物の『毛筆』という筆記用具。大陸文化では羽ペンや万年筆などが使われているが、この『毛筆』がどれだけ安い物でも200万ゴールドを越える。
その他にも東和では一般に普及しているようなものでも、現在の大陸では途方もない価値になり得るものばかりであり、この屋敷にあるそう言った品々を全て売却すれば屋敷を立て直しても有り余るほどの金銭が得られる……のだろうが。
「全部貰い物で買ったわけじゃないからな」
「へ? 全部ですか?」
驚くアルを他所にたどり着いた玄関の扉を開く。
そうして開いた扉の向こう側に明りが灯っていた。
「お帰りなさい」
そこに立っていたのは
女性にしてはそこそこ上背が高いが、さすがに俺よりはやや低い。そのせいか、それとも僅かな幼さの残る容姿のせいか、外見的には俺より少し下くらいに見えるかもしれないが、実際は二つ上。
自身の黒に近い藍色の髪とは全く似つかない銀色の髪に、自身の真赤な瞳とは対照的な青の瞳。
色素が抜けているかのような白い肌は芸術的というよりは
外見的特徴だけ挙げていくとまるで似ても似つかない少女と俺だが、一応
「ただいま、アイ姉」
アイリス・オルランド。それが今現在の少女を示す名前だ。
身内贔屓抜きで美しい少女だった。ただそこに佇んでいるだけで見惚れる男がいるほどに。
例えば、俺の後ろのやつとか。
「アル……しっかりしろ」
とんとん、と肩を叩くとすぐにはっと、意識を取り戻す。
それから何度となく俺とアイ姉を見比べる。
「アイ姉、紹介するな。『通信』でも伝えたと思うが、アルだ」
「アルフリート・リュートです……えっと」
「アイリス・オルランドよ、そこのミカの姉になるわ」
アイ姉の言葉にアルがこちらを見つめ、ミカ? と疑問を口にする。
そう言えばちゃんと名乗ってなかったとその時になってようやく思い出し。
「
正確には『ルー』はオルランド家を継ぐ人間だけが持つ名前ではあるが、まあ扱いとしては普通にミドルネームである。
まあミカだったりカゲだったり、基本的には名前呼びされることが多いのだが。
「アイ姉、お嬢様は?」
「執務室にいるから、荷物を置いたら先に行ってなさい。私はこの子を部屋に案内するから」
「分かった、じゃ、アル。後はアイ姉について行ってくれ」
「あ……はい、分かりました」
まだ緊張が解れないのかアイ姉の顔を二度、三度と見やりながらも頷いてアイ姉について屋敷の中へと入って行く。
そうして後には一人残されて。
「じゃ……行くか」
ほとんど一月ぶりくらいになる再会に少しだけ緊張しながら玄関を開けて目の前にある二階への階段を登る。
登った先で通路が左右に分かれているが、まずは左へ。
進むと部屋がいくつか並んでいるが、一番奥の部屋の扉を開く。
開いた瞬間、ふわりと香る花の香。
部屋の中に置いた覚えの無い花瓶があったが、そこに生けられた花を見て誰がそこに置いたのかを察する。
「後で礼言っとかないとな」
一月ほど空けていた自室は、けれど清掃が行き届いており、埃の一つも見えなかった。
居なかった間もアイ姉が清掃してくれていたのだろう、あの人はそういうところマメというか几帳面だから。
それはさておき、部屋の片隅に背負っていた荷物を置く。
ペンタスからここまでそれなりに長旅だったので荷物を纏めていた鞄も汚れている。
これも今日明日には綺麗にしなければならないな、と思いつつ。
「服……一応着替えるか」
クローゼットを開けば大きな
とは言え夜の闇の中で月明りのか細い光は頼りにならないので入口横のスイッチを入れて天井の照明を点ける。
「うへえ……埃っぽいな」
そうして姿見に映る自身の姿を改めて見るとあちこち服が解れ、汚れていた。
まあ上に鎧を付けていたとは言え、ダンジョン内であれだけ切った張ったしていたのだからそうなるのも当然と言えば当然なのかもしれないが。
そもそも元々からしてそれほど数が無かったのに、化け物蜘蛛の爪で肩を抉られたせいで一枚襤褸切れになってしまった。
着古しすっかりくたびれてしまった物も含め、新しい物を買う必要があるのだろう。
尤も、エノテラ領にそんな物無いので王都からの輸入を待つ必要があるのだが。
いや、ただの服ならある、服屋というのがあるのでそこで買えば良い。
ただ自分のように戦う人間の服というのはそれなりに条件を付けたくなるのだ。
服のせいで戦いづらいということが無いようにすると、自然と注文が多くなる。
そういう要望を満たそうとすると人の多い王都のほうから品が流れてくるのを待つしかない。
これでも領主の配下ということでやってくる商人に注文できるだけマシなほうなのだ。
「さすがに風呂入るのもこの時間じゃなあ」
何よりお嬢様をいつまでも待たせるわけにも行かない。
とは言えあんまり小汚い恰好で行くのも不味いだろう。そこまで神経質な性質でも無いだろうが、それでも貴族のお嬢様なのだ。
「服だけ着替えて後は拭うしかねえか」
いそいそと服を脱ぎ、そうしてクローゼットの中から一着掴み取り出す。
広げて見やる、その黒一色の服に。
「これ着るのも一月ぶりか」
呟き、苦笑した。
* * *
こんこん、と扉をノックする。
反応は無いが、特に気にせず扉を開き。
―――最初に見えたのは真っ暗な室内。
先ほどまで照明に付いた部屋にいたから、目がこなれていなかったが、暗闇に目が慣れてくると窓から差し込む月明りのお陰で段々と室内がはっきりと見えてくる。
部屋の中央にどんと置かれた大きなデスクに背もたれのついた大きな回転椅子。壁際には本棚が並び、書籍や書類がぎっしりと詰まっている。
部屋の片隅に置かれたスタンドテーブルには花瓶が置いてあり、自身の部屋にもあったピンク色の花が活けてある。
自身の知る風景と変わりのない室内の様子、けれど部屋の主の反応は無い。
「…………」
「…………」
居る。確実に居る。
というかこちらに背を向けた椅子に座っている。
それは分かっている。そして向こうも俺がやってきたことは分かっているはずなのだが、こうも反応が無いと困惑してしまう。
「……むっすー」
口に出してむっすーとか言われた。
「え、あの? お嬢様?」
戸惑いながら尋ねるが、けれど返答は来ず。
「つーん」
あ、これ拗ねてる、それに気づくと共に嘆息する。
「
名を呼ぶ。まだこちらに顔を見せてくれない少女の名を。
それに反応するように椅子越しにでも分かるくらいに少女がぴくり、と体を震わせ。
「……ルーくん」
名を呼ばれるが、未だにこちらを向こうとはしない少女に少し呆れる。
「何で怒ってんの?」
「危ないことしたでしょ」
仕事着で来たのだから相応の態度で、と思っていたのだが向こうはどうやら完全に公私の私のほうらしいので、敬語も辞めるが向こうも特にそれを咎めるような真似もせず、言葉を返した。
「まあそれなりに」
「…………」
「仕方ないだろ、それは」
そもそもの話。
「
そんな俺の言葉に、少女……トワはけれど黙して返さず。
その代わりのように、はぁ、と嘆息一つ。
「ごめんね、それと……ありがとう」
それは直接的な答えではないが、けれど間接的な容認のようにも取れる言葉ではあった。
「ま……俺が『ルー・オルランド』である以上は仕方ない話だよ」
その言葉はほとんど自身へ向けた独り言染みた物ではあったが、けれど静かな室内で口に出した言葉は良く響いた。
「それでも、だよ……ありがとう。『私の』ルー・オルランド」
それから、と口にしながらトワがクルリ、と椅子を回転させ。
「おかえり、
満面の笑みを浮かべて、そう告げた。
* * *
光の刺さない闇深く。
―――ぐるぅぅぅぅぅぅ
闇の中で鳴き声が響いた。
もしその光景を見る者が居たならば、そのあり得ないような光景に目を疑うだろう。
全長数メートルの規格外に巨大な『梟』が同じく高さ百メートル超はありそうな太い太い幹を持つ樹木の枝に逆さまにぶら下がっていた。
先ほどの鳴き声の主がその『梟』であると、けれど誰も気づかない。
何故ならば『梟』を中心とした範囲数百メートル付近には
故にその鳴き声は反響を繰り返し
災害種が一体。
梟歌衰月『オーデグラウ』
闇哭樹海から出ようとしないその存在が『災害』と称されたのはひとえにその声が原因とされる。
この『梟』は幾重にも重ねた鳴き声で『歌』を作る。
森に反響する音の連なりがやがて『歌』を紡ぐのだ。
そしてその『歌』を聞いた物は抗えぬ不可視の力によって森の奥へ、奥へと導かれていく。
かつての大戦時には魔族追討のために森に入ってきた人間の軍勢を20万人以上殺したとされ、その時に正式に『生ける災害』とされた。
この歌が厄介なところは森を反響し続けるせいで下手をすれば『森の外』から誘われる危険性がある点。
そして元凶へ近づけば近づくほど強烈な『音』を食らうことになる点。
故にそれは異常としか言い様が無かった。
ざ、ざ、ざ、と闇の中から
『梟』の『歌』が流れる今の森の中で、『梟』以外存在が歌を聞いてそれでも平然と『梟』の元へと向かおうとしている。
その異常性にけれど誰も気づくことができない。
そうして足音の主はやがて『梟』の足元で辿り着き。
「――――――――」
何かを呟いた。
ついに登場、お嬢様ことトワしゃま。
そしてラストに登場した『梟』の力を物と物しないのは一体どこの幼女なんだ。