イアーズ・ストーリー 作:水代
葉物野菜のスープにスクランブルエッグ、カットされたウインナーに今朝焼いたばかりの食パンのトースト、そこに新鮮なミルクとフルーツを付け加えればオクレール家の朝食の完成である。
ノーヴェ王国内でもかなりの田舎領地であるエノテラ領は、そこそこ広い領地を持ちながらその半分以上が畑や牧場で占められている。
そのため領内の食料自給率は高く、少なくともエノテラ領内における食糧品の価格というのは王都などと比べれば随分と安い。
とは言え野菜など年中作れる物でもないので小麦以外そこまで極端に安価、というわけでも無いのだがアイ姉がその辺に拘っているためこうして毎日毎日欠かさず肉、野菜は食卓に出てくる。
「お~、アイちゃん今日も美味しそうだね」
「ふふ、ありがとうございます、お嬢様」
食卓に並べられた料理にお嬢様……トワが目を輝かせる。
そんなトワの様子にアイ姉が苦笑しながら椅子を引いて着席を促す。
メイドというか王都のレストランのウェイターみたいだな、なんて感想を抱きながら自身もまた席に座り。
「どうした? 座らないのか、アル」
食堂の入口に立って戸惑った様子た佇むアルに声をかければ、びっくりした様子でこちらへと視線を向けてくる。
「え、だって、一緒にって、主人の目の前ですよ?」
ちらちらとトワへと視線を向けながら呟くアルに、なるほどと頷く。
まあ確かに普通貴族の食卓ともなればもっと厳粛というか厳格なのをイメージするのかもしれない。
「まあ見ての通り、うちは割とそういうとこ自由だぞ」
そもそもからして、住人が四人しかいなかった屋敷である。
貴族『らしさ』なんて物を求められたところで恰好すらつかない、侘しいだけである。
「あ、アルくんも早く座りなよ、みんなで一緒に食べよ?」
「え……あ……は、はい」
にっこりと笑みを浮かべて手招くトワに毒気を抜かれたようにアルが頷きながら俺の隣の空いた席に座る。
「あれがうちのお嬢様だ、どうだ? 良いだろ?」
「…………」
少しだけ自慢するようにアルに問いかければ、数秒沈黙し、やがてこくりと頷く。
まだ少し貴族の家という物に対して緊張があるようだが、まあこの家で生活していればすぐに慣れるだろう。
そうして忙しそうに準備を進めるアイ姉の後ろ姿を見つめていると、そんな俺の視線に気づいたアイ姉が少し呆れたようにこちらを見つめ。
「ミカ、暇ならあの子を起こしてきてくれる?」
言われて視線を巡らせれば、確かにまだ一人足りない。
アイ姉は忙しそうに準備を進めており、まだ時間がかかりそうだった。
「分かった、ちょっと行ってくる」
告げて席を立ち、食堂を出た。
* * *
オクレール家はオルランド家を『管理』する家系である。
管理と言えば少し言い方が悪いが、言い換えればオルランド家が途絶えることの無いように『扶養』し続ける役割を負った貴族なのだ。
故に、元々はオルランド家はオクレール家から『家』が与えられていた。
かつてのエノテラ領もまた今と変わらないド田舎領地だったらしいが、それでも今よりはよっぽど金銭的な余裕もあったし、貴族として家を一軒用意するくらい簡単なことだった。
当初は使用人なども用意しようとしていたらしいが、オルランド家……ルー・オルランド自身は英雄とは言えその生まれは『平民』である。自分のことは自分でやるが当然の『平民』にそんなものは必要無いときっぱりと断られ、一家族が普通に暮らすには少々大きいが貴族の屋敷にしてはややこじんまりとした、言わば別荘のようなものを用意し、オルランド家はそれ以来そこを自らの『家』として暮らしてきた。
この時点で両者の関係性は『養う側』と『養われる側』ではあったが、養うことが国王からの命令である以上、ある種平等ではあった。
もしここからオルランド家がつけあがれば、或いはオクレール家が傲慢さを見せれば、両者の関係はあっと言う間に崩れ、利用し、利用されるだけの冷え切った関係性となっていたのかもしれない。
だがオルランド家はルー・オルランドを初めとしてその子も、孫も自らが『平民』以上であることを求めず、『平民』として『平民』らしく生きることを良しとしたし。
オクレール家もまた代々善良性を見せ、あくまで王国の臣として王国の英雄たるオルランド家を大切に扱った。
ただそこには一定の『距離感』があった。
オルランド家は『英雄の家系』である。
別にルー・オルランド一人で世界を救ったわけでは無いが、民間伝承で語られる英雄がルー・オルランドを指し示すように、当時に最初に立ち上がり、人類の反撃のための一歩目を踏み出し、最初に旗を振ったとされている。
大戦の終結から五十年。
当時の戦争を覚えている人間はまだそれなりに多く、それ故に『英雄』の名は必要以上に重さを持っている。
そんな『英雄の家系』が必要以上に特定の『貴族』と距離を近づけるのはいらぬ誤解を与えかねない。
そのことをオルランド家はともかくオクレール家は理解していた。
そしてそのころを理解していないオルランド家にとってもオクレール家という『貴族』家系と必要以上に近づくことは『平民』として弁えていた。
そういう事情からオルランド家とオクレール家は互いに意識はしていても『良き隣人』というスタンスを崩すことなく長年やってきていて。
そんな関係性が壊れてしまったのが、数年前のことである。
* * *
とんとん、と寝室の扉をノックするが反応は無い。
少し考え込み、扉を開く。
そうして開け放たれた扉の向こう、部屋の中からふわりと香る花の匂いが鼻孔をくすぐる。
「起きてるか?」
部屋を中を見やり、ベッドの上でシーツに包まって動かない少女を見つける。
自身の声に反応してぴくり、と丸まったシーツが揺れるがけれどそれ以上の反応は無い。
まだ寝てるのか、と嘆息しながら部屋へと入り、ベッドのシーツの塊を揺する。
「おい、起きろ……起きろー!」
「う……うぅ……」
揺らすごとに反応が大きくなる。そろそろ起きるか、と思っていると。
「う……あう……」
ぬ、とシーツから顔を覗かせる。
自身に良く似た黒に近い藍色の髪と赤い瞳。まだ幼いその顔立ちは、けれど将来きっと美しくなるだろうと今から期待できるほどに整っている。
そうして上半身を起こし、ベッドの上でぺたんと座ると共に、その顔がこちらを向く。
ぱちぱちと、眠そうに目を何度も
「……おにいちゃん?」
「おう。おはよう
「……うん。かえってたの?」
「ああ、昨日の夜な。お前はもう寝てたけど」
「そっか……」
寝ぼけた頭に自身の言葉が届いているのかいないのか、分からないが。
自身をじっと見つめたほぼ一月ぶりに会った
「おはよ、おにーちゃん」
そう返した。
「おう、おはよう」
「……えへへ」
何が嬉しいのか、笑みを浮かべたままその手を伸ばし。
「おにいちゃん」
「っと、どうした」
ベッドから落ちそうになりながらさらに手を伸ばすので思わず受け止めると、サクラはさらに手を伸ばして自身の体にしがみつくような態勢になる。
「ぎゅー」
そんなことを口で言いながら、しがみつく妹の頭を撫で、抱き上げる。
「何やってんだ、サクラ」
「えへへ、いっかげつぶりのおにーちゃんをたんのーしてるの」
そんなことを言いながら胸元に顔を埋めてくるサクラに嘆息し。
「後にしろ、朝食だぞ」
「えー」
抱えたサクラをベッドに降ろしそう告げると、不満そうにサクラが唇を尖らせる。
「早くしないと、アイ姉に怒られるぞ」
「……はーい」
まだ不満そうではあったが、アイ姉の名を出すと渋々納得し頷く。
だが起き上がる気配も無いサクラに首を傾げると同時、サクラがその両手を挙げて。
「おにーちゃん」
「何だよ」
「きがえさせて?」
「一人でやれ」
甘えたことを言う妹をずばっと切り捨てる。
えーと不満げなサクラだったが、先に行っているぞ、と言えば諦めて、はーい、と返事をした。
そうして部屋から出ようとして。
「あ……おにいちゃん」
聞こえた声に振り返ったその先には、サクラが真っすぐこちらを見つめていて。
「いいわすれてた」
どうした、と問い返せば。
「おかえり、おにーちゃん!」
告げて、えへへ、と笑みを浮かべた。
* * *
朝食は家族みんなで。
それが『今の』オクレール家の
「いただきます」
「いただきまーす」
「はい、いただきます」
「えっと、いただきます?」
「いただきまーす!」
ご飯を食べる前には必ず『いただきます』。
『今の』オクレール家の形が出来た時から続く伝統である。
元は東和文化らしい。何のためにそうするのか『意味』は知らないが、少なくとも俺たちはこれが『習慣』となっている。
「ごちそうさまでした」
因みにこちらも『習慣』である。
幼い頃から身に付いた物というのは中々離れない物で。
他所ならともかく、家で食べる時は無意識のようにこの挨拶が出てくる。
「そういやアル、ちゃんと紹介してなかったな……サクラ」
「はーい?」
そうして全員で朝食を食べ終え、アイ姉が片づけをしている姿を横目に、ふと思い出す。
自身の対面で朝食を食べていたサクラを手招きするとちょこちょことこちらにやってくる。
そうして隣に座るアルと向き直らせて。
「アル、こいつは俺の妹のサクラだ」
「はじめまして、サクラだよ」
「んで、サクラ。こいつが今日から新しい家族のアルだ」
「アルフリート……です」
家族、という言葉に一瞬アルが反応していたが、けれど飲みこんだのかそれを口にすること無く挨拶をする。
「サクラ、悪いがアルに屋敷の案内してやってくれないか?」
「いいよー」
まかせて、と嬉しそうに告げる妹の頭を撫でながらアルへと視線を向け。
「アル、一先ずサクラについて屋敷を見て回ってくれ。それが終わったら仕事について教えるから」
「分かりました」
こくり、と頷いたアルにじゃあ後は頼んだ、と言えばサクラがアルを伴って食堂を出ていく。
その背を見送りながら、ぱたん、と扉を閉まるのを確認し。
「それで、お嬢様」
「ん……ふう。んー? なになに?」
食後の一服にとアイ姉に出された紅茶のカップを傾けていたトワがこちらへと見やる。
「『通信』でさらっと聞いただけなんだが、何か問題があるって?」
その言葉にトワがうっ、と顔をしかめる。
その表情から察するに、かなり面倒なことが起こっているのだと理解する。
そうして言いたくない物を我慢するかのようにトワが紅茶を一口飲み、カップを置く。
「ふう」
少し息を整え、心を落ち着かせて。
「確かに、問題と言えば問題だよ」
嘆息一つ。
「簡単に言っちゃうとね」
その視線を窓の外……黒い森へと向けて。
「樹海絡みの話なんだよね」
そうしてもう一度、ため息を吐いた。
* * *
何度も言うがエノテラ領はドがつく田舎領地である。
領地の半分ほどが畑のため領内の食料自給率は高く、少なくともエノテラ領内における食糧品の価格というのは王都などと比べれば随分と安いのは先も言った通り。
逆に言えば、大量に生産しても安く買い叩かれているのが現状であり、輸出する作物の量と比べ入って来る貨幣の量というのは随分と少ない。買い叩かれた少ない対価に関しても結局王都からの輸入に使ってしまっているからだ。
だがそれを制限することもできない。
畑以外に目立った物がないこの領地で、王都からの輸入を止めると本当に経済が回らなくなってしまうからだ。
酷いところでは物々交換が当たり前のように成り立つほどにエノテラ領の『貨幣』の流通量は少ない。
輸入まで取りやめたらいよいよ本当に『貨幣』の使い道が無くなってしまう。
そうなれば貨幣経済のこの国において、経済が成り立たない、それは即ち領地経営の破綻を意味するに等しい。
大戦の影響でどこもかしこも復興に追われていた十数年前までならそれでも良かったかもしれないが、すでに復興も終わり経済が回り始めたこの国でそんなことになれば、統治能力に疑問を抱かれて最悪領地没収すらあり得る。
故にエノテラ領主トワ・オクレールにとって最も重要なことは『経済』の流れを生み出すことであった。
だがそのために必要な物がある。
売り物だ。
現在のエノテラ領は安く買って、他所で高く売るを商人が繰り返しているが、そもそも食料品などエノテラ領以外でも多く作られており、王都などに行けばそれなりの値段は付くが、あくまでそれなりでしかなく、最悪エノテラ領で買わずとも他所で買える程度のものでしかない。
そもそも余裕があるのは小麦くらいであり、他を輸出するほど量があるか、と言われればそれほどでもない。
故に売れるのは小麦、しかも安い物ばかりであり、それで得た貨幣を、王都で輸入するのに払う貨幣の量が釣り合っていない、これが領内からどんどん貨幣が減って行く最大の原因である。
故に解決策は二つある。
一つは現在輸入している物を領内でも作ること。
そうすれば領内で安く物を作り、普及させることができる。
だがそれをすると今度は外から貨幣が入って来なくなる。
結局領内だけで回すなら物々交換に行きついてしまうのだ。
これまでの経験から『貨幣』を使うという習慣がエノテラ領の人間……特に村の人間たちには無いのだ。
物々交換は一番分かりやすく安心できる価値の保証だ。
だがそれではダメなのだ。
周りはどんどん貨幣経済に順応していっている。
そこに取り残されれば最悪この領地は滅びるかもしれない。否、そこに行くまでに確実に没収されるだろう。
故にもう一つの解決策。
『売れる物』を領内で作って外貨を稼ぐ。それでもできれば『エノテラ領でしか作られていない』物が良い。
結局行きつくのはそこである。
トワ・オクレールがこのエノテラ領の領主となって数年が経つが、領内のごたごたを片付けたのが昨年のこと。
今年になってようやく『売れる物』……つまり『特産品』の開発に取り組み始めたのだが。
「実はね……先週、『錬金術師』の一人がうちの領地に工房を構えたいって申し出てきたの」
それがこの件の始まりだった。
一応言っとくと今回初登場のサクラちゃん、ポケモンのほうとは全く関係ないので(
妙な勘違いしないように(ドールズ読者には釘差しとく