イアーズ・ストーリー 作:水代
去って行くその背を見送ると、カップに残った紅茶を飲み干す。
中身の無くなったカップをソーサーに置く。
「お代わりはいかがですか?」
どこで見ていたのかと言わんほどにタイミング良く現れた従者がそう尋ねてくるが、けれど自身が答える前からその答えを分かっていると言わんばかりにその手には何も持っておらず。
「いや、良いよ……今日もお仕事しないとね」
窓から見やれば日はすっかり昇っている。
ぽかぽかとお日様が温かい。昔のように二度寝でもできれば心地よいだろうが。
「ごちそうさま、今日も美味しかったよ。アイちゃん」
「はい、お粗末様です。後で部屋のほうに紅茶お持ちしますね」
「うん、よろしく」
目の前の少女も、先ほど出て行った少年も、そして最初に出て行った二人も。
自身が背負うべき物であり、守るべき家族だ。
それは
「さーて……今日も頑張ろうか」
両手を突きだして伸びをしながら呟く。
そうしてつい先ほど街へと向かった少年のことを思い。
「……あ」
その要件に思考を巡らせている時、ふと思い出す。
「大分変った人だったよ、って伝え忘れてた」
呟いて……まあ大丈夫か、なんて楽観的に考える。
「何とかなるよね、ルーくんだし」
そこにあるのは少年への厚い信頼だった。
* * *
屋敷から三十分ほどに歩いて街へとたどり着く。
門を抜け街へと踏み入れると、街中を人がまばらに歩いている姿が見える。
これから仕事へ向かう人や、夜間の仕事を終えて戻ってきた人など様々ではあるが、ペンタスの人がごった返す様を見てしまうと、やはり根本的に人が少ないのだと思わされる。
まあ自分は政治家ではない。
オルランド家は『平民』である。
ならばそんな『貴族』の領分についてあれこれ考えても仕方ない話ではあるのだが。
「お嬢様に近づきすぎたな」
『オルランド』という名が大戦から五十年経つ今となってはどれほど意味を持つのか俺には分からないが。
それでも五十年、初代様を含め父や祖父もまた守ってきた節度を俺は超えようとしている。
自らの主が、トワがどれだけ頑張ってこの領地を支えているかを知っている身としては、どうしてもそういう視点で考えてしまう。
朝起きてから夜寝るその時まで、毎日毎日この領地のことを考えているような少女だ。
あの小さな肩にはエノテラに住む1万人の人間の命が懸かっているのだ。
ほんの少しでも、その荷を、その責を減らしてやりたい。
そう思ってしまう。
「だからって俺に何ができるって話ではあるけどな」
今からすることだってその一環だろう。
トワの従者として動くことに不満はない。それがトワの役に立つのならばむしろ喜んで引き受けよう。
『平民』として生きてきた俺には本当の意味で『貴族』であるトワの苦労は理解し得ない。
けれど、だからこそトワのためにできることがあるならば何だってしてやりたいと思う。
今でこそ、俺とトワは従者とその主だが。
ほんの数年前、俺がただのミカゲ・オルランドだった頃まではただの
* * *
錬金術師の工房というのは外観から見てすぐに分かる。
何せ魔導具を作るための施設だ。相応の設備というものが必要になるためどうしても規模の大きい建物になる。
とは言え、まだ実際に工房が作られると決まったわけでは無いため
故郷を卑下するわけでは無いが、ペンタスならば街中に宿は二十軒、三十軒とあった。
それだけ必要とされているという話であり、逆に言えばこの街において宿など一軒あれば十分と言える程度にしか外から人が来ないということでもある。
実際、王都からやってくる商人くらいしか使われない宿屋は平時では常に空き部屋ばかりであり、基本的にメインは一階の酒場である。
その酒場だって夜に仕事終わりの男たちが安酒を呷る程度の物であり、大きな儲けになっているとは言い難い。
じゃあなんで潰れないんだと言われれば唯一の宿屋が無くなったらいよいよ街に来る人が皆無になってしまうためにオクレール家が金銭的に支援をしているからだ。
「ああ……見えてきた」
数年前まではオルランド家もまたこの街に住んでいた。
だから街唯一の宿屋の場所くらい分かる。
スペシオザの街は大きな二重の壁で囲まれているのは以前も言った通りだが、門自体は『東門』と『西門』の二つしか存在しない。
これはいざ外敵が襲来した時に敵の入口を制限するためであるのと、門にそれほど多く人員を避けないため門自体を減らして少人数でも警戒できるように、という配慮である。
さらにその二つの門を繋ぐように中央通りが存在する。
ペンタスの街は真上から見れば六角形の形をした街だったが、スペシオザは長方形と言える。
その中央に道が敷かれているので住人からは分かりやすく上側を『北街』、下側を『南街』と指して呼称している。
基本的に北街のほうは商業関連の建物が多く、南街のほうは逆に住居が多い。
そういうわけで街唯一の宿屋は当然北街の西端のほうにある。
昔住んでいた家は南街の東端のほうなので、実は同じ街の中でもこちらのほうはそれほど行く機会が無かったりする。
そんなわけで、少しだけ新鮮な気分になりながらも遠くに見えた宿屋の看板目指して歩き続け。
「ここか」
目的地にたどり着いた。
* * *
世間ではどうか知らないが、この街においてオルランド家という名はオクレール家と同じくらい知られている。
なのでその一員である俺のことも宿屋の主人は知っていたらしく、突然の訪問に驚かれながらも歓迎される。
何か飲んでいくか、なんて誘いも断りながら宿を借りている女について尋ねる。
「ああ、あの人たちか……」
「たち?」
トワの話しぶりからすると錬金術師一人だと思っていたため、たち、という表現に首を傾げる。
「ああ、若い女の子が一人とフードを被った子供が一人だよ」
「何だその怪しすぎるの風体のやつ」
若い女の子、というのが多分トワの言っていた錬金術師、ということだろうか?
じゃあもう一人のフードを被った子供というのは。
「そのフードを被った子供ってのはどんなやつだった?」
錬金術師と一緒にいるのだから護衛か何かだろうか、とも考えたらだが子供が? とも思う。
弟子か何かなのかもしれない。普通に考えればそちらのほうが自然だろう。
そんなことを思いながら訪ねるが、宿の主人は良く分からないとのこと。
「全身をすっぽりコートで覆って顔はフードで隠しちまってるからなあ。小柄だったし、ほとんど喋らなかったけど少し聞こえた声から多分女の子だろうって思っただけで実際どうなのかも分からんよ」
「……そうか」
聞いてるだけで怪しさ満載なのだが、とは言え実際に会ってみないことにはこれ以上は分からないということが分かった。
「一応聞いとくけど……何かやばい客なのかい?」
俺というトワの従者が来たことに不信感でも与えてしまったのか、宿の主人が声を潜めて聞いてくるので首を横に振る。
「いや、お嬢様の客だよ。ただ粗相のないように一応事前に話を聞いただけさ」
そう言って返すと、宿の主人がほっとしたように息を吐いた。
そうしてその二人の泊っている部屋を聞くと、階段を上り客室のほうへと向かう。
「えっと……ここ、だよな?」
廊下を進んで一つの客室の扉の前で足を止め、確かめるように部屋の番号を確かめる。
そうして。
こんこん
扉をノックする。
「…………」
返事は無い。
ただ中からがさごそ、と音が聞こえるので誰かいるのは確実のようで。
「すまない、オクレール家の人間なのだが、錬金術師殿はいるか?」
もう一度ノック。
そうしてたっぷり十秒ほど沈黙が続いたところで。
がちゃり、とその扉が僅かに開く。
そこにいたのは。
「……あ、あの。その……ぼぼ、ぼく、ぼくに……なな、なにかごよう、ですか?」
そーっと開いた扉の隙間からこちらを覗く、小さな少女だった。
* * *
がくがく、ぶるぶる。
「あの」
「ひゃ、ひゃいっ」
がくがく、ぶるぶる。
「いや……その……なんでもないです」
「は、はは、はい」
客室に置かれた机を挟んで座っているが、少女には気づかれないようにこっそりとため息を吐く。
先にトワが連絡を入れてくれていたためオクレール家からの遣いとして中に入れてもらえたのは良い物の、先ほどからずっとこの調子だ。
こちらが話を切り出そうとする度、こうも過敏に反応されてはどうにも調子が狂う。
どしたものか、と視線を向けてまたびくり、とその肩が震える。
「…………」
「ななな、なにか」
いや、なんでも、と首を振る。
だがそれにしても、だ。
小さな少女である。
歳の頃十二か三ほどだろうか?
両サイドで縛って垂らしている薄紫色の髪は椅子に座っているのに床に届くのではないかと思うほど長い。
白と青のツートンカラーのミニドレスを着て腰には黒いフリルリボン、そして藍色のボレロを羽織ったその姿はどう見ても『錬金術師』のそれではない。
正直言ってどこかの貴族の御令嬢ではないかとしか思えない。
けれど先ほど『錬金術師はいるか』と戸を叩いた自身に『ぼくに』何か用かと返してきたのは目の前の少女である。
そうすると目の前の少女こそが件の錬金術師、ということになるわけだが。
視線の先にびくびくと体を震わせるこの少女が……錬金術師?
だがトワは『私と同じか、少し上くらいかな?』と言っていた、目の前の少女を見てそんな感想が出てくるはずも無い。
じゃあ別人か?
だとするなら今度は先程の言葉の意味が分からない。
いやまあ普通に聞けばいいだけの話ではあるのだが。
「あの……」
「ひ、ひゅぁい?!」
そうして声を発せば、即座にびくりと怯えるようにこちらを見てくる。
何か酷いことをしているような気分にさせられて気は進まないが、けれどいつまでもこのまま見合っているわけにも行かない。
「一つだけ確認させてくれ……錬金術師、というのは?」
「そそ、それは……ぼぼ、ぼ、ぼくのこと、です」
ようやく一歩、話が進んだ。そう思うと少し肩の力が抜ける。
ほんの僅かとは言えちゃんと意思疎通ができた、そのことに良い意味で緊張が緩んだ。
と同時にやはり疑問が残る。
「お嬢様からはもっと年上の人物と聞いていたんだが?」
「え、あ、あ、あ、あ、ああのですね、そそ、それは、ええ、えと、えっと、えっと」
問うた言葉に激しく動揺を見せながらしどろもどろになる少女にどうしたものかと思う。
けれど少女のほうもこれでは埒が明かないと思ったのか、椅子から立ち上がる。
「すす、少しままままま、待っててくだだださい、待ってて、てて、ください」
壊れた装置のように同じ台詞を繰り返しながら少女が部屋の奥へ、寝室のほうへと消えていく。
そうして待つこと十分ほど、未だに戻ってくる様子の無い少女にまだかまだかと考えていると。
かちゃり、と奥の部屋の扉が開き。
「待たせたわね」
そう告げて、寝室のほうからだぼだぼの灰色のローブを着た一人の女がやってきた。
ぱっと見た感じ歳の頃は二十くらいだろうか? もしかするともう少し若いかもしれない。
「アンタ……は」
その顔を見て驚く。
先程までここで向かい合っていたあの小さな少女、あの少女がそのまま成長すればきっとこんな顔になるのだろうと思えるほどにその容姿は極めて酷似していた。
「ごめんなさいね、『あの子』は人と話すのが苦手なのよ。ここからは私が話を聞くわ」
そう告げて女は俺と対面するように椅子に座り、こちらへと視線を向けた。
「すまない、その前に分からないんだが、結局アンタとさっきの子、どっちが『錬金術師』なんだ?」
先ほどの少女は自らが錬金術師であると認めた。
だが恐らくトワの元へ錬金術師であると名乗り、交渉に来たのは目の前の女だろう。
そうなるとおかしなことになる、そう思い尋ねれば。
「何もおかしなことは無いわ」
女はくすりと笑って口元に手を当てる。
何気無い仕草ではあったが、女がそうするとどこか上品に見える。
やはり先ほどの少女と合わせて貴族の家系なのではない、とそんな疑念が深まり。
そんなことを毛ほども気にした様子も無く女は微笑みながら答えた。
「私もあの子もどちらも錬金術師。私たちはね、『二人で一人』の錬金術師なのよ」
そう告げて、女の視線をこちらを見据え。
「改めました紹介させていただきますわ。錬金術師ハイデリーラ・
どうそ、よろしく。
告げる女の笑みは酷く妖しく、そして艶めいていた。