イアーズ・ストーリー 作:水代
領主の仕事は多忙を極める。
それはエノテラ領のような人も少ない領地でも同じことだ。
そもそも貴族の中でも『領地持ち』というのは少ない。
元々十二国の大本となったイアーズ帝国が皇帝を頂点とする中央集権を推し進めていた国家ということもあって、十二の公国もまた同様だったのだ。
とは言え人魔大戦によって公国の領地は荒れ、イアーズ帝国は滅び去り、さらに旧帝国領の接収による領土の拡大などもあり、公家だけでは手が回らず、目が行き届かない場所が増えた。そうして公家の代替としていくつかの貴族家系に領地を運営する権限が委譲された。
つまり領地を持った貴族というのが現れたのはここ何十年かからの話であり、それ以前の貴族というのは称号であり、身分であり、地位の名でしか無かったのだ。
国内における特権階級ではあるものの、逆に言えば特権を保有するだけの市民でしかない、とも言えた。
そんな理由もあってか、領土を持った貴族というのは必要最低限の数でしかない。
このノーヴェ王国内でも貴族の領地の数を上げていくと両手の数で足りる程度にしか無く、その内の一つがエノテラ領だ。
確かに領民の数自体は国内でも最底辺に位置するような田舎領土だが、それでも領地持ち貴族としてやらなければならないことは非常に多い。
当然ながら一人でやることでは無い。
秘書として
だがオクレール家にはそういう人間がいない。
正確には
一応ミカゲが手足となって動いてはいるが、それでもミカゲでは政務はできない。
だったら雇えば良いだけの話、なのだが。
「それもねぇ……」
嘆息しつつ、アイリス・オルランドは銀製のトレイに乗せたティーポットとカップを片手に扉の前で立ち止まり、トントンとノックする。
はーい、と中から返事が聞こえると共に扉を開く。
「お嬢様、紅茶をお持ちしました」
「あ、アイちゃん。ありがとう」
本日二度目になる差し入れに、トワが手に持っていたペンを直すと、うーん、と伸びをする。
「いつの間にか結構時間経っちゃってるね……」
視線を移せば壁に掛けられた振り子時計の針は11時を示していた。
2,3時間ほど熱中していたらしい、体も硬くなるはずだと思いながらアイリスが淹れてくれたアイスティーの入ったカップを受け取る。
ノーヴェ王国は地理的に比較的気温が上がりにくく、その中でもエノテラは年中寒い地方ではあるが、トワとてエノテラで生まれエノテラで育ってきたのだ、この程度の寒さなら慣れた物であったし、比較的寒いのには強い方だったのでそれほど気にしたことも無い。
何だったらこうして冷たい飲み物を飲む余裕だってあるのだが。
「うーん」
とは言えアイリス曰く、慣れない内は相当に厳しいらしい。
こういうのもこの領地に人が寄り付かない要因の一つなのかもしれないと思いつつも気候なんてどうしようも無い話。
紅茶のカップを片手に、ふと窓から見える街のほうへと視線をやり。
「そう言えば、ルーくんどうしてるのかな?」
少しばかり帰りの遅い
* * *
「
目の前の女……ハイデリーラの名乗り聞き、思わず呟く。
そんな俺にハイデリーラはええ、と頷いて。
「ファウスト錬金学会はご存じ?」
「それはまあ……名前くらいなら誰でも知ってるだろ」
何せ現在における大陸随一の魔導具メーカーである。
そして『錬金術』を『経済』と結びつけ、魔導具の流通を作った先駆者でもある。
元々は学会、という名の通り本質的には研究者の集まりであり、その研究費用を稼ぐために研究の副産物を自らが抱えた錬金術見習いの技術者たちに流し、技術者たちが魔導具を作ってそれを販売する。
それを繰り返し、大戦以前より拡大を続けた結果、市場に流通する魔導具の半数はファウスト製と言われるようになったほどだ。
「錬金術という物についてどれだけ造詣が深いかは分かりませんが、ファウスト、という名くらいは知っていて?」
「錬金術の開祖……というより、現代の錬金術の根底を作った人物、ってところか?」
そんな俺の答えにハイデリーラは満足したように頷く。
「概ねその認識で間違っていません。我ら錬金術の偉大なる祖、ギュンター・ファウスト。我らファウスト錬金学会はその名と共に、偉大なる祖の教えを代々継いできた者たちです。そして私たちはその末席を汚す者。畏れ多くも『ファウスト』の名を名乗ることを許された者たち」
曰く、ギュンター・ファウストの研究を直接継いだのは錬金術師カリオストロ一人ではあるが、ファウストの弟子はそれ以外にも数人いた。
中には独立した弟子もして、ファウスト亡き後カリオストロを除いた弟子たちが寄り集まってできたのがファウスト錬金学会の大本となる組織だった。
長い時の間、けれど弟子たちは自らの後継に偉大なる師より学んできたことの全てを教え、受け継がせ、そうして今に至るまでその教えを残してきた。
「とは言え、人魔大戦で多くの教えが失われました」
人類が死滅するか否か、そこまで追い詰められたのだ。
喪失した知識や文化は数え切れず、同時に大戦の中で培われた知識や文化も数えきれない。
「今や学会とは名ばかり。魔導具を売って儲けることばかりを考えた集団と成り果てましたわ」
これではカリオストロと何ら変わりがない。
偉大なる祖もさぞ嘆いていることでしょう、とハイデリーラは嘆息する。
「ですが学会の中にもまだ偉大なる祖から続く教えを受け継ぎ、真理を解き明かそうとする者たちもいます」
例えば私たちのように、とはハイデリーラの言。
「ですが」
困ったように嘆息一つ。
「すでにこのイアーズ大陸における人類圏で行える研究の大半は終わったと言っても過言ではありません」
何せ錬金術とはイアーズ帝国誕生以前からの話、千年どころか二千年、或いは三千年以上前から続く物である。
イアーズ大陸は広大で、巨大で、膨大ではあるが、それでも有限である。
千年単位でこと細かに研究を続ける者たちがいるならば、大半調べ尽くしていても何ら不思議ではない。
「故に、我々は次なるステージが求められています」
人類圏での研究が終わったというならば、次はその外に……ということになる。
「残念ながら海は人類の禁忌」
どのタイミングで、どの場所から海に出ようと、必ず数日内に『災害』がやってくる。
そして数日の船旅で辿り着ける場所など『東和』くらいしか無く、その東和もすでに滅んだ。
故に古来より海は化け物の領域だ。災害の住まう場所であり、人は陸の上で生きる生物なのだとやつらは徹底的に教え込んだが故に海は禁忌だ。
「と、なれば、この大陸で残された未踏破地域は一つしかありませんわよね?」
「『闇哭樹海』か」
呟く言葉にハイデリーラがニコリと微笑んだ。
『闇哭樹海』は大陸の中央に位置し、今の人類圏はそれを囲うように円状に作られている。
故にエノテラ領で許諾が取れなかったとして、別の領地に……何なら国外にでも行ってしまっても構わないのだ。エノテラ領でなければならない理由というのは基本的に無い。
では何故エノテラ領に来たのか。
―――少なくとも、ハイデリーラ・ファウストにとっては
「こちらからもお聞きしたいことがあるのですが?」
「……伺おう」
僅かに目を細め、警戒する俺を見てくすりと笑みを浮かべ。
「
その名に目を見開く。
―――それこそがハイデリーラがこのエノテラ領に来た最大の理由だったと。
* * *
錬金素材とは基本的にそれ専門の業者が『どこのダンジョンの物』と言った風にラベリングして持って来る。
錬金術を知らない人間は勘違いしがちだが、ダンジョン産の物質ならなんでもかんでも錬金素材になるわけでは無い。
性質次第では特定の保存方法でしか保管できない物もあるし、最悪ダンジョンから持ち出した瞬間性質が失われるような類の素材だってある。
故に錬金素材を得たいなら相応の知識を持ったそれ専門の人間がギルドに行って必要な物を買ってそれを運んでくる、というのが大半の錬金術師にとっての常識である。
錬金素材の在処とその性質などは実際使ってみるまで分からないことも多く、どんな素材がどんな性質を持っているか、何より魔導具を作った時にどんな効果を持つか、それらの情報を纏めた『レシピ』は錬金術師にとって何よりも大切な宝と言える。
そういう意味でファウスト錬金学会は千年単位でのレシピの積み重ねを持つ。
魔導具メーカーとしてどこよりも長けた所以がそこにある。
だが錬金素材が一般的な市場に無いか、と言われるとまた別の話。
冒険者の全てがギルドにダンジョン素材を持って行くわけでは無い。
個人的なコネクションで売っている冒険者もそれなりにある。
ギルドを仲介に挟むと余計な手数料が取られるため、冒険者を支援して代わりに優先的にダンジョンのドロップを買い取る商人というのもそれなりにいる。
ただそれが錬金素材に用いることができるか否か、というのは結局のところ錬金術師にしか分からない。
判断基準自体は簡単なのだ、錬金術師だったら一目見ただけで分かる。
ただ錬金術師以外の人間では少しばかり難しい。
ただ逆にそこに宿る魔力を一目で見分けることのできる錬金術師ならば、市場の中から有用な物と無用な物を見ただけで区別できる。
そうして時折、掘り出し物の錬金素材が売られていたりするので、ハイデリーラは他の錬金術師たちと違いそれなりに市場へと赴いていた。
そうして掘り出し物を探し求め赴いた市場で、ハイデリーラはソレを見つける。
―――ソレは一見すればただの肉の塊のようではあった。
色がやや黒ずんでいて、余り清潔な印象は持てなかったが、それでもぱっと見れば成人男性の拳大ほどの丸い肉片だった。
恐らく大半の人間がそれを見てちょっと何かの動物か魔物の肉だな、くらいにしか思わないだろう。
実際通りすがる人々はそれを一瞥しても特に気に留める事無く去って行く。
だがハイデリーラは一目見てその異常性に気づいた。
魔力浸食。ダンジョン学の中でもかなり深い造詣が無ければ知らないような知識ではあるが、錬金術師にとっての基礎知識である。
ダンジョンで高濃度の魔力に晒され続けた物質が
物質全体がどれだけ魔力に置き換わっているか、それを示す数値を浸食指数と呼び、この浸食指数の高さこそが錬金素材の価値の高さに直結する。
現在までのダンジョン産の錬金素材において最も高い浸食指数を記録したのが大昔、南のほうの今はもう無きダンジョンから産出された無色透明な液体だ。
通称『神の雫』と呼ばれる最高峰の錬金素材として今尚ファウスト錬金学会にほんの僅かなサンプルだけが残されたその液体を使って作られたのは『エリククシール』と呼ばれるほんの一滴で死者をも蘇らせるほどの力を持った奇跡の秘薬となった。
ハイデリーラはその目で『神の雫』を見たことがある。
その強烈なまでに渦巻く魔力の光を目に焼き付けたことがある。
今目の前で何気無く売られているその肉片には『神の雫』に或いは匹敵するかもしれないほどの尋常ではない魔力が込められていた。
これは一体どこで発見されたものなのか、これほどの一品が現代にあるなど聞いたことも無かった。
それ故に商人に尋ねてみれば。
―――さあ? ただエノテラ領から運ばれてきた物だよ。
という答えが返ってきた。
* * *
「その後当然調べたわ。このエノテラ領でそんな強力な錬金素材が手に入るなんて話は聞いたことも無かったし、一時調査は難航した。でもね、ここを行き来する商人に聞いてようやくその在処にたどり着いたわ」
スペシオザの街に往来する商人はいつも同じ人間だ。
もしエノテラ領から何かを輸出するならばほぼ確実にこの商人を通しており、この商人に聞けばその出所は判明する。
勿論商人にとって信用は第一なのでそんな簡単に顧客の情報を売ることは無いだろうが。
「錬金術師の信用、か」
「ええ。ある物は使う、当然でしょ?」
錬金術師は国家から認められた職業の一つだ。
言うなれば、貴族とは別種の特権階級と言える。
特に信用に関して、国家からのお墨付きが出ているの等しく、その信用をかざせば確かに商人ならば口を開かざるを得ない*1。
当然聞いた内容を悪用すれば信用はがた落ちする。できるのはあくまで錬金術に関する範囲*2にのみである。逆に言えば範囲内ならば多少他人の意思を無視しても許されるということでもある。
「その商人が言うには
あの、というのはどういう意味なのかは分からないが、少なくとも目の前の女はオルランドというものがどういう存在なのか理解しているようだった。
「ふふ……アナタがここに来たのは『闇哭樹海』の件、ですよね?」
「……ああ」
「私があんなことを言うから、私が『闇哭樹海』で生き残れるかどうか、計りに来た……と言ったところでしょうか?」
「……ああ」
ふふふ、と怪しく笑みを零す女に、苦々しい表情になるのを自覚する。
どうにもペースを掴ませない。面倒な相手だった。
「逆に問いたいのですが」
そうしてハイデリーラはこちらを見つめて、その口元に弧を描く。
「アナタはどうやってあの魔境で生き残ったのですか?」
ねえ、ミカゲ・ルー・オルランド……さん?
「……お前、良い性格してるな」
全部分かっていた上での質問だったのだと思えば、本当に性格が悪い。
けれどそんな自身の視線を受けて、女は笑みを崩さない。
「ふふ」
口元に手を当て、楽しそうに笑みを浮かべていた。
ポケマスやってて遅くなりました。楽しいね、あれ。