イアーズ・ストーリー 作:水代
「あ……」
ぐぅ、と鳴った腹の音でふと我に返る。
随分と時間が経っている、窓から外を見やればすっかり日は高く昇っている。
そろそろ昼頃か? そんなことを思いつつ、視線を目の前の女へと戻し。
「そう言えばそろそろ良い時間ですわね」
「そうだな……話も一応纏まったし、俺はそろそろ失礼するとしようか」
「あら、よろしければお昼も一緒にどうかしら?」
「……遠慮しておく、帰ったら自分の分も用意されてるだろうしな」
それほど強く引き留める気も無かったのか、否定の言葉に女は気を悪くした様子も無く、そう、とだけ呟いた。
椅子から立ち上がり、部屋の出入り口へと向かう。
扉に手をかけ、開こうとして。
「一つ、聞きたいのだけれど」
背後から聞こえた声に、ドアノブを掴んだ手を止める。
振り返った先には、先ほどまでの薄ら笑いを止め、どこか戸惑うような視線でこちらを見る女がいて。
「貴方、あの樹海で『誰か』に出会ったことはあるかしら?」
「―――ッ、俺の知る限り、俺たち以外であの樹海に立ち入って帰ってきたやつなんていねえよ」
問いかけられた言葉に、一瞬言葉が詰まった。
けれど女は気づかなかったのか俺の返答に、そう、と嘆息し。
「分かったわ、ありがとう」
告げて目を伏せる。
それで用事が終わったのかこちらを見ることも無く。
「ああ、それじゃあ、また」
挨拶だけしてそのまま部屋を出る。
ばたん、と扉をしまると同時に思わず胸に手を当て。
「……バレて、無いよな?」
小さく、誰にも聞こえないくらいの声で呟く。
息を殺し、扉の向こう側の様子を伺うが、特に反応らしい反応は無い。
無意識的に足音を殺しながらそっと扉から離れ、そろりそろりと階段を降り、そのまま宿を出る。
そうして表の雑踏に紛れたところで。
「ふう」
息を吐く。
未だに鼓動の跳ねる心臓を鎮めるように深く呼吸を繰り返し。
「知ってる、のか? あいつ」
最後に問われた言葉の意味を考える。
―――誰かに出会ったことがあるか。
その言葉の意味を考える。
ただ単純に他の冒険者たちに出会ったかどうか、なんて話じゃないだろう。
他のやつならともかく、
「知ってる、のかもしれない」
半ば確信にも似た呟きだった。
―――樹海の奥に何がいるのか。
それだけならば誰だって知っている。
だが。
―――そこに『誰』がいるのか。
それを知っているのは、俺だけだと思っていたが。
「そうでも無いらしいな」
ほとんど勘だったが、けれどそれで間違いないという確信にも似た何かがそこにはあった。
* * *
「で? どうだったかしら、彼は」
部屋を出た少年が扉を閉めるのを見やりながら、女は背後へと声をかける。
直後に背後の寝室のほうの扉が僅かに開き。
「た、多分……
出てきたのは女よりも一回りも二回りも小さな少女。
扉から顔を覗かせながらも体半分扉に隠しながら少女は女を見やる。
「問い詰める?」
「だだ、ダメ、だよ。そういうの……は。へ、へいわ、てきな、かいけつを、のぞみ、ます」
「平和的に、ねえ?」
できるものならば、とでも言いたげな女の視線に、少女が不満げに頬を膨らませる。
「さ、さいしょから、あきらめるのは、ダメ、だよ」
「はいはい……仰せのままに、我が主
くすり、と笑う女に
「ぼ、ボクは……ハイゼリーラ、だよ。今は」
「ああ、そうでしたわね。ええ、ハイデリーラは私でした。すみません、間違えましたわ」
そう言いながら口元に歪める女を見ればそれがどう考えたってわざとだったのは明白だったが、結局それとて今更な話。女がそういう性格であることを少女は理解しており、許容している。
故に何時ものことと嘆息して。
「ボクの『
「分かっていますわよ。あくまで対象の感情を反映するだけ。具体的に何を思っているかまでは分からない。だからこそ確実ではない、と」
「も、もう一つ、上まで行けば……わかる、かもしれない、けど」
「そこまでやれば確実に気付かれますわね」
魔法を使うことには魔力が必要になる。
ある程度熟練した魔法使いならばその魔力の動きを察知することは可能だ。
とは言え、錬金術師は魔力の扱いに長けた者たちであり、第一階梯魔法くらいならば集中すれば気づかれずに発動させることは可能だ。
けれど第二階梯魔法ともなれば必要とする魔力量は第一階梯とは比較にならない。
さすがに今の状況でそこまで大量の魔力を隠蔽することはできないし、やったら確実に気付かれただろう。
錬金術師とは社会的にも地位の高い職業であり、世間からの信頼は強い。
必要に駆られてとは言え、商人から個人の情報を聞き出せる程度には信頼のある職業なのだ。
そんな錬金術師が他人に……それも領主の遣いに対して『精神系魔法』を使ったとバレでもしたら確実に問題になる。
例えそれが相手には何の害にもならないことだろうと、『精神系魔法』というだけで問題視されてしまうのだ。
故にリスクは犯せない。
絶対に気づかれないという確証のある第一階梯にのみ留めておいたが、けれどそれだけでは決定的と呼べるような情報を抜き取ることはできていなかった。
「……ふう」
片足を椅子の上に上げて、足を抱え込むような態勢をしながら、どこから取り出したのか紅茶の入ったカップをもう片方の手に持つ。
「行儀、悪いから……止めて」
少女が僅かに眉をひそめながらの注意を聞き流すように澄ました表情で笑みを浮かべ、カップに口を付けようとして。
「STOP」
少女が呟いた一言に、女の動きがピタリと止まる。
「や、止めてって、言ったよね……な、何度も、言わせないで」
びくびくと怯えたような言動ではあったが、けれど少女の目だけはジロリと女を射抜いていた。
数秒、完全に硬直していた女だったが、やがて動きだすと持ち上げていた足を下し、姿勢を正す。
「はーい、了解ですわ」
仕方ないな、とでも言いたげな女の声に少し不満そうな少女だったが、けれどそれ以上何かを言うことも無く、嘆息一つと共に扉から身を出して先ほどまで少年が座っていた椅子に腰かける。
「リーラ……ぼ、ボクにも、紅茶」
「畏まりまして」
ふふ、と薄く笑いながら女がまたどこからともなくカップを取り出し少女の前に置かれると、小さな両手でカップを包みながら口元へと運ぶ。
こくり、と小さく喉を鳴らした少女がカップを置いて、ふう、と息を吐いた。
「それで、リラ? 結局のところ、どうするのかしら?」
女に問われた少女はけれど悩む様子を見せたまま答えることは無く。
「
「う……わ、わわ、分かってるよお」
告げられる女の言葉に半泣きになりながら少女が頷く。
それでも受け入れがたいと視線だけで女に助けを求めて。
「無理な物は無理ね。諦めて自分で行くか……そうね、それこそ『作れば』良いじゃない」
「そそ、そんな簡単に作れるなら、くく、く、苦労しないよ」
すっぱりと切り落とされて、少女が項垂れる。
机に突っ伏して、両手を投げ出し。
「…………」
しばしの沈黙。
突っ伏して黙す少女を見やりながら、女は悠々とカップに入った紅茶を飲んでいて。
そうしてしばしの後、がばり、と少女が半身を起こし。
「い……行くしか……ない、かあ」
諦観したような、絶望したような暗い表情で少女が呟くと女がふっと笑みを浮かべた。
「ま、頑張りなさいな、主様」
* * *
屋敷に帰るとすでに正午を超えていた。
「遅かったわね」
出迎えてくれたアイ姉にそう言われながらも、まだサクラとアルが戻ってきてないらしくこれから探しに行くようだった。
「先に食堂に行ってなさい、お嬢様もすでにいるわよ」
「了解」
告げてアイ姉と別れて屋敷の中を歩く。
そうして到着した食堂の扉を開くと、窓から庭を眺めていたトワがこちらに気づいて笑みを浮かべる。
普通の屋敷なら主が従者を待つなどあり得ないのだろうが、トワは団欒という物を好む性質なのでなるべくなら食事は皆で取るようにしている。
俺たちもそれを知っているのでなるべくトワを待たせることの無いようにしているのだが。
「おかえり、ルーくん」
「ただいま、お嬢様」
「それでどうだった?」
前置きの無い端的な質問だったが、まあ分からないはずも無いし、先ほどまで話し合ってきたことをそのまま答える。
「取り合えず一回だけ俺が付いていって浅いところの探索に留める。その時の様子を見て最終的に二度目の許可を出すかどうかを決める、って方向性にした」
「うん……なるほど、まあ妥当なところかな。でももしダメだったら?」
「その時は『冒険者』としての俺に樹海素材の採取を依頼をするということになった」
そう告げる言葉に、トワが目を丸くする。
「え、ちょ、ちょっと待って。他所に行くんじゃなくて?」
「ああ、基本的に素材さえ手に入るなら文句は無いらしいからな。俺でどうにかなるレベルならまあ良いだろう」
「良くないよ、あんな危ないところ!」
声を大にしての否定に、今度はこちらが目を丸くする。
「だがお嬢様としては居着いて欲しいんだろ?」
「そうだけど……なんであんな危ないとこ、わざわざ行くかなあ」
実際に入ったことは無いにしてもこの地で十数年生きてきたトワである、樹海の恐ろしさを身に染みて知っているだろうしそう思うのは当然かもしれないが。
「まあ……お前のためだしな」
「……へ?」
呟いた言葉に、トワがぽかん、と呆けたように口を開いて動かなくなる。
「ん? どうかしたか?」
「ど、どど、どうしたって、だって、キミ……そんな」
ぱくぱくと何度も口を開いたり閉じたりするその顔は真っ赤に染まっていて。
何か言おうとして、けれど止めて、また言おうとして、また止める。
そんなことを数度繰り返した後、トワがぎゅっと目を瞑り。
「……はぁ、そうだよね、ルーくんだもんね」
何かを諦めたように大きなため息を吐いた。
意味が分からず、思わず首を傾げ。
「えっと、何がだ?」
「……なんでもなーい」
つーん、と自分で言いながら顔を背けるトワの態度の意味が分からずに混乱していると。
ぎぃ、と軋むような音を立てながら食堂の扉が開き、アイ姉がサクラとアルを連れて入って来る。
「お待たせしました、お嬢様」
「遅れちゃってごめんなさい、お兄ちゃん、トワお姉ちゃん」
「す、すみません、遅くなりました」
三者三様の物言いに、けれどトワは気にした様子も無く着席を促し、三人が食卓に着く。
卓の上にはすでにアイ姉が並べていたのだろう料理が並んでおり、美味しそうに湯気を立たせていた。
「ん……こほん、じゃ、みんな。冷めないうちにアイちゃんの作ってくれたお昼、食べようか」
未だに頬が赤いトワが咳払いしながらそう告げて両手を合わせる。
それに倣うように皆が手を合わせ。
「「「「「いただきます」」」」」
* * *
凛と鈴のような澄んだ音が暗い森に響き渡った。
無音の森の中でその音はことのほか良く響く。
だが直後には再び静寂が広がる。
「ふーむ」
首を傾げながら視線を彷徨わせる。
『闇哭樹海』はその名の通り、多い茂った木々が日の光を完全に遮ってしまって森の中は闇に包まれている。
故にこの樹海において『視覚』というのはほぼ役に立たない。
実際樹海に住む魔物も、中心部へと行くほどに視覚捨て他の感覚に特化したものが多くなる。
故に音というのは非常に重要になる。
この『闇哭樹海』の深部において、物音一つが生死に直結することなど多々とある。
特にこの『樹海の主』は自分以外の音に非常に敏感だ。いっそ過敏とすら言っても良い。
「……居ない、か」
そんな中で平然と音を立てて歩く一人の少女がそこにいた。
「今日辺りはこの辺に来ると思ったんだがね」
だぼだぼのローブに学者帽を被った橙色の髪の少女が頬を掻きながら独り呟く。
「まあ良いさ」
振り返り、歩き出す。
音も無く、光も無い森の奥へ、奥へと。
「時間ならいくらでも、だ」
そしてその姿は闇の中へと飲まれていった。
スチームでAOE2買って久々のプレイしてたら沼ってた。
こうなるの分かってたけど後悔はしていない。
アイスボーンすら今はもうどうでも良いってくらい沼ってしまった。