イアーズ・ストーリー   作:水代

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ハイゼリーラ・ファウスト

 

 

 赤子の時のことを覚えている人間というのは滅多にいないらしいが、()()はボクが生まれた時のことを良く覚えている。

 

 生まれて最初に覚えたことは息を殺すことだった。

 

 そこでは生まれたばかりの赤子が声を殺して、泣くことをしない。

 正確には母親に口元に手を当てられ、無理矢理口を閉じさせられる。

 廃墟と瓦礫の山だけが残る荒廃した街において、生きるということは戦うに等しい。

 声を上げることは自らを危険に晒すに等しい行為であり、泣きわめく赤ん坊は真っ先に死に、息を殺し、口を閉ざすことのできた賢い人間だけがそこでは生き残った。

 

 そんな地獄にボクは実の母親によって()()()()()

 

「なあに……私の子なら生き残れるさ」

 

 生まれて間もないボクにそう告げる母さんは笑っていた。

 まだろくに身じろぎすらできない赤子を、地獄のような場所で生み落とし、捨て、それでも笑っていた。

 どうして、そんな疑問すら声にできないまま母さんは去って行き。

 

 その日から生きるための戦いが始まった。

 

 

 * * *

 

 

 地獄のような日々でいくつか幸運があったとすれば。

 その一つはボクの精神が生まれた時から完成していたことだろう。

 鏡心の魔法によって映し出された母さんの精神の反転はハイデリーラと名付けられた赤子の精神に焼き付いてボクという完成された精神を作り出した。

 

 ろくに動けない体をどうにかこうにか転がしながら、真っ先に求めたのは隠れられる場所だった。

 

 ボクはボクの中に焼き付いた知識からこの場所を知っている。

 

 墟廃の街キルタンサス。

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()街である。

 

 かつての大戦で人類を裏切り、魔族に滅ぼされた亡国の首都。

 今となっては首都は移され打ち捨てられた、瓦礫と廃墟だけが残る街。

 そうしていつの間にか大陸中から罪人や難民が集まり、ならずものの街となった場所。

 

 この街にはあらゆるものが足りていない。

 食べる物も、着る物も、寝床すら。

 人間が人間足りえるための、尊厳を守るためのあらゆるものが足りていない。

 

 故にこの街に住むのは人ではない……獣である。

 奪い合い、殺し合い、盗み合い、そして負ければ打ち捨てられていく。

 ここは獣が息を潜め隠れ住む場所だった。

 

 そんな場所に生まれたばかりの赤子が一人、生きていくことがどれほど難しいことか。

 

 思い返せば真っ先に逃げ隠れたのは正しい判断だったと思う。

 何せこの街に潜む獣どもにとって弱者とは餌だ。

 奪うための餌、殺すための餌、盗むための餌。

 否まだそれだけなら『マシ』と言える。

 

 文字通りの『餌』になってしまうよりは、まだ人間として死ねるのだから幾分か『マシ』と言えるだろう。

 

 負け続け飢えに喘いだ者たちからすれば同じ『人』すらも『食料』となり果てるのだ。

 身動きできない赤子などましてや……である。

 

 この街にモラルなんてものは存在しない。

 それどころか文明すらも崩壊してしまっている。

 人が人であることすらできずに獣に立ち返る、それがこの街だった。

 

 

 * * *

 

 

 生きるためにならなんでも食った。

 

 この街でまともな食糧を食いたいなら奪うしかない。

 奪う先は『外』かそれとも『中』かにも寄るが、どちらにしても赤子にできることでは無い。

 で、あるならば『まとも』じゃない物を食うしかなかった。

 

 しかも『赤子』でも手に入る物で、となると一番マシなのが自生する植物だった。

 と言っても普通の人間が想像するような『まとも』な植物じゃない。

 それこそただの雑草すらもあの街では御馳走なのだ。

 飛んできた虫にかぶりついたこともあったし、汚水で喉を潤したこともあった。

 何度も腹を下したし、熱を出して死にかけた時もあった。

 一番辛かったのは他人の吐瀉物を食った時だろうか。

 酸っぱくて不味くて、臭くて自分でも吐き出しそうになりながら、それでも無理矢理舐めるように食った。それ以外に食う物が無かったし、食わなければ死ぬと分かっていたから。

 

 ()()()()()()()()()一週間もしない内に死んでいたかもしれないが、どうやらボクの母親というのはまともな人間では無いらしい。そしてその母親の胎から生まれたボクもだ。

 

 恐ろしいほどの速度で街に順応し、劣悪極まり無い環境の中でそれでもボクは生き残り、成長した。

 とは言えまともな物を食べてなかったせいなのか余り体は大きくならなかったが。

 

 まあ無駄にサイズがでかくなればそれだけ寝床に困るし、隠れ潜むことも難しくなるので逆に助かったと言えなくも無いが。

 二歳にもなれば自ら立って歩くことも可能になる。

 そうなれば行動範囲は大きく広がる。例え二歳児の体でも、だ。

 

 だが行動範囲が広がるということは、逆に言えば他人の行動範囲と被りやすくなるということでもある。動く時は慎重に行く必要があった。

 

 

 * * *

 

 

 初めてそれを食べた時、この世にこれほど美味しい物があるのかと思った。

 普通の人には何てことの無い、長期保存用の固焼きのビスケットだ。

 だが初めての『盗み』の収穫であるそれを口にした時、余りの美味しさに涙が出た。

 

 もっと欲しい、そう思ったのは自然な成り行きだったかもしれない。

 

 だが忘れてはならないのだ。

 欲は身を滅ぼすのだと。

 決して忘れてはならなかったはずなのに。

 

 ―――無茶をした。

 

 無茶をし過ぎた。

 そうして当然のようにその代償を払った。

 盗みというのは決して簡単ではない。この街では誰もかれもが自らの物を奪われまいと目を血走らせているのだから。

 もしやるならば小さな集団、できれば相手も単独が良い。

 そして誰もに見つからずこっそり、相手が狩りをしている最中などにこっそりと、そんな風に注意していたいたはずなのに、

 

 当然ながら盗みの報酬は小さな集団より大きな集団のほうが良くなる。

 大きな集団は幅を利かせている。つまり質の高い物を優先的に手に入れやすいからだ。

 

 欲に目が眩んだ。

 

 そうして大規模な集団へと盗みを働こうとして当然のように見つかってしまった。

 掴みかかって来る大人に対して幼い子供が対抗できるはずも無く、あっさりと捕まり殴られた。

 何度も、何度も、何度も殴られ、蹴られ、血を吐いた。

 

 もし後三、四年、歳を重ねていれば犯されてかもしれない。

 

 とは言えまだ五歳程度の子供に欲情するような特殊な性癖持ちも居なかったらしい。

 気を失うまで殴られ続けた後は縄でぐるぐる巻きにされ、彼らの『夕飯』にされるために下処理された。

 身に纏っていた服は全て剥ぎ取られ、ベッドに両手両足を押さえつけられ固定される。

 

 それから彼らが大鉈を持ってくる。

 

 ―――屠殺され、解体されるのだ。

 

 そのことに気づき、恐怖が沸きあがって来る。

 叫び、懇願すれば煩いと言わんばかりに殴られ、首を絞めつけられた。

 ギリギリと引き絞られていく首に呼吸が止まる。

 もがこうとしても手足は四人がかりで固定されしまっていて僅かにも動かない。

 そうして意識が朦朧とする中で大鉈が振り上げられて。

 

 嫌だ、嫌だ、嫌だ!

 

 死にたくない!

 

 ゾゾゾ、と恐怖が背筋を駆けあがる……と同時に首を絞めていた大人の一人が突如立ち上がって狂ったように声を挙げながら鉈を持った男へと殴りかかった。

 否、一人ではない……その場にいた全員が恐怖に染まった表情で鉈を持った男へと殴りかかった。

 それどころか鉈を持った男は振り上げた鉈を自らの頭へと振り下ろした。

 

 鮮血と共に脳漿がぶちまけられ、床に散った。

 

 大人たちは男の頭に突き刺さった鉈を手に取り、互いに殺し合っていた。

 その光景に恐怖しながらも自由になった手足で逃げ出す。

 逃げて、逃げて、逃げて。

 

 自らの隠れ家に戻った時、すとん、と崩れ落ち、動けなくなる。

 

 ただひたすら心の中で死にたくないと呟き続け。

 

 平静に戻るために一週間の時間を要した。

 

 

 * * *

 

 

 『鏡心(メンタルミラー)』。

 

 それはボクが母さんから受け継いだらしい魔法。

 自らの知識と照らし合わせても間違いないだろうと思う。

 あの大人たちが殺し合ったのはこの魔法のせいだった。

 

 自らの恐怖心が鏡のよう反射して周囲の大人たちの心に映ってしまった。

 しかも恐怖心の余り暴走状態にあったのか大人たちが互いの心に映った恐怖を合わせ鏡のように映し合うことでその恐怖心をさらに高めてしまった結果……があれなのだろう。

 死にたくない、そう願ったからこそ、あの場にいた全員がそう思ったからこそ彼らは殺し合った。自らが生き残るために、助かるために。

 仲間であるとかそういう余計な思考は全て恐怖心に塗りつぶされ、ただ自分以外の全てを排除すれば助かるという思考に憑りつかれた……結果があの惨劇なのだろう。

 鉈を持った男は自身にとって殺戮の象徴だ。故に恐怖心の矛先は全てそちらへと向き、自らが最も恐ろしい存在であると錯覚した男は自らを殺すために鉈を振り下ろした。

 

 一週間経ち、ようやく思考が落ち着いてきたボクはゆっくりと、冷静に思考を張り巡らせていた。

 

 この魔法は子供のボクにとって唯一の切り札だった。

 精神に干渉する魔法は非常に珍しいとボクの知識は言っていたが、同時に非常に扱いの難しい魔法だった。

 

 使い方を幾度も幾度もシミュレートしながら引きこもっていた一週間の間に消費してしまった蓄えを手に入れるために動きだした。

 

 

 * * *

 

 

 そうして月日が流れた。

 10歳になる頃にはこの街で生きていくこともすっかり慣れていた。

 そんなある日ふと疑問に思ったことがある。

 

 母さんはどうしてボクをここに捨てて行ったのだろう。

 

 必要無いならば最初から殺せば良かったのだ。

 赤子だった時ならば容易に出来たはずだ。そもそも産まずに流せば良かった。

 だが母さんの言葉を思い出せばそれは違うのだと思う。

 

 ―――なあに……私の子なら生き残れるさ。

 

 母さんはボクが生き残ることを望んでいた。

 ならば一体母さんは、何がしたいのだろう。ボクに何をさせたいのだろう。

 そんなことを考え。

 

 そもそもどうしてこの街なのだろう。

 

 ふと思った。

 

 どうして母さんはこの街に来たのだろう。

 胎の中に自分という赤子を連れたままこんな街に。

 

 疑問を抱けばいくらでも出てくる。

 何度も何度も考え、幾つもの考えを出し。

 

 もしかして、この街に母さんの手がかりか何かあるんじゃないだろうか。

 

 そんな考えに行きついた。

 

 そもそもこの街に来てすぐに赤子を産む、なんてことできるはずがない。

 十年ここで暮らしていたからこそ分かる、この街でそんなことしていればあっという間に囲まれ殺されるか嬲り者にされる。

 ならばどこか安全を確保した場所でボクを産み落としたはずだ、ボクが生まれて捨てられるまで居た場所があるはずだ。

 

 きっとそこに手がかりがある、そう思った。

 

 そうして記憶を掘り起こしていく。

 ゆっくり、ゆっくりと、一つ一つあったことを思い起こしていくように。

 

 覚えていく限りの最初の風景は瓦礫の山と廃墟の群れだった。

 

 だがその前があるはずなのだ。

 忘れているだけで覚えているはずなのだ。

 そうして記憶を頼りに街を探索していき。

 

 ボクは母さんの『研究所』を見つけた。

 

 ハイゼリーラ・ファウスト。

 

 それが研究所で初めて知ったボクの母さんの名前。

 

 ハイデリーラ・ファウスト。

 

 それが研究所で初めて知ったボクの名前だった。

 

 この街に似つかわしくないほどに白く、清潔で静かな部屋だった。

 研究用の資料と思わしき『錬金術』の本が本棚にぎっしりと詰め込まれていた。

 錬金術に使っていたらしい『魔導具』がいくつもそこにはあって。

 

 最奥、母さんが使っていたらしいデスクは綺麗に片づけられていて。

 

 そこには一冊の日記(ノート)が置いてあった。

 

 相当に長く使われているのかあちこちがぼろぼろになって変色してしまっている。

 それでもそこに書かれた文字は確かに読むことができていて。

 そこに書かれたボク宛てのメッセージが目に入った。

 

 我が娘ハイデリーラ・ファウストへ。

 そう出だしに書かれていた。

 

 そこに書かれていたのはシンプルなメッセージだった。

 

 ―――錬金術師になれ。

 

 他に書くことは無かったのかと言いたくなるような、母さんからのシンプル過ぎるメッセージ。

 それでもそれはボクにとって母さんのへの確かな手がかりだった。

 日記の大半は難しい内容で埋め尽くされていた。

 恐らく錬金術師としての勉強を積み重ねて行けばこの内容も読み解けるようになるのだろう。

 

 幸いにしてここには錬金術関連の書物が大量にある。

 

 ならば手さぐりでもここの書物を読み進めて行けば学は身に付いていくだろう。

 

 そうしてボクはその日から錬金術を学びを始めた。

 

 

 




実はリラちゃん設定だと18~20くらいだったんだけど、何故かロリな理由全く考えてなかったんだけど、きっと幼少期の栄養状態がうんたらかんたらだったんだよ、という謎の説得力が出来てしまった。

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